島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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眠くて辛くて筆が進まず更新が途切れる。
不覚。




第四十二話 再突入

 俺と、吹雪と、夕立は、報告のために執務室へやって来た。

 藤見奈提督は椅子には座っておらず、窓の前に立って、霧の満ちる外を眺めていた。

 

「うん、そう! そう! 海に面した方にみんな配置して!」

 

 立派な机には乱れた書類があって、小さな机についた秘書艦の電と助秘書の鈴谷(すずや)が事態の収拾に努めている。電は開いたファイルを手で押さえて、別の書類に何かを走り書きしていて、鈴谷は耳に手を当ててしきりに誰かへ話しかけていた。たぶん、妖精暗号通信か、直通通信だろうけど、そのどちらも本来声を出す必要はない。いや、俺の知らない通信方法なのかもしれないけど、彼女には内容を声に出す癖があると思うのが正しいだろう。

 

「司令官さん、こちらに許可がいるのです」

「ああ、わかった」

 

 電に呼びかけられた提督が、どこか乱暴な動きで机へ歩み寄ると、ペンをとって書類に走らせ、横にあった太めのハンコか何かを鷲掴むと、ダン、と押し当てた。

 

「司令官さん」

「……ああ、悪かった。……ああ」

 

 その動きもまた乱暴で、彼らしくない。見ているこちら側としては縮こまってしまいそうなものだったけど、あいにく俺はそんな心境ではなかったので、ひたすら彼が俺達に話を聞こうとするのを待っていた。

 報告だというのに、彼は朝潮が攫われた事を聞くと、こうして忙しなく窓と電の下とを行き来し始めたのだ。俺に行かせてくれ、と言おうとしたのに、タイミングを逃して、だから発言の機会を窺っている。

 だけどもう、待てない。発言の許可などこの非常時に取らずとも良いだろう。俺が欲しいのは出撃の許可だ。朝潮を救い出すための許可。そんなもの取らず、今すぐにでもあの霧の中へ飛び込みたかったが、周りがそれを許してくれなかった。

 ……満潮の顔を見てしまうと、怒りも萎えて、どうしようもない気持ちでいっぱいになってしまうから、ここでこうしているのも仕方ない事なのかもしれない。

 

 情けないよね……彼女のためにと、満潮にだって聞かせたのに。

 彼女の笑顔を守りたいって、そう思ってたのに。

 

 ……何悲観的になってるんだろう。朝潮は死んでなんかない。あいつに攫われただけだ。

 大丈夫……彼女は死なない。それに、奴だって、俺の進化だかなんだかを見るために彼女を盾にしたのだ。……殺す意味なんて……。

 …………。

 

「! ……わかった、そっちに第四艦隊の子達向かわせんね。迎撃して!」

「どうした鈴谷! 何か起こったのか!?」

 

 机を叩く勢いで身を乗り出した提督に、鈴谷は背を反らしながら「どうどう」と押し返した。

 

「提督、落ち着いてって! また敵が現れたみたいだけど、その場の戦力で対処できる数だけだし。……聞こえる? うん、そっちに――」

「……そうか。……この霧が消えない限り、敵も途切れないってのか……?」

 

 手を振って言った鈴谷は、今度は別の誰かに通信を繋いだ。霧の中から現れているのだろう敵への対処は問題ないみたいだけど、こう何度も来ると、際限なく永遠にわき続けるんじゃないかと不安に思ってしまう。

 提督は気落ちしたように呟くと、振り返って、背を伸ばして立った。

 

「待たせて悪かった。続きを聞かせてくれ」

「……はい」

 

 ここにいる三人を代表して、レ級が消えた後の事を報告する。その間も鈴谷は引っ切り無しに指示を送り続けていて、彼は苦い顔をしたり、顔に浮かぶ汗を拭ったりしていて。

 時折建物が揺れるような衝撃が来ると、藤見奈提督は、必ず鈴谷に確認した。誰かやられてないか。大破した者はいないか。

 鈴谷が「いない」と答えれば、安堵したように息を吐いて、俺達に向き直る。

 電も後処理のためと今からの防衛のために必要書類を作り続けて、たびたび確認をとるから、俺が説明せずとも事のあらましが提督に伝わっていった。

 正直、あまり喋りたい気分ではないから助かった。……それでも、報告は報告だ。何が起こったかを提督が知っていたとしても、俺は俺の知る事を話さなければならなかった。

 

「……救出のための編成を決める。……由良を呼んでくれ」

 

 全て話し終えれば、彼は目元を押さえて考え込むと、振り返って、電に告げた。頷いた電が耳に手を当てて少しすれば、鈴谷の方から「すぐ向かうって」と返事があった。

 

「あの、提督!」

「どうした、島風」

「私も……!」

 

 私も。……私を、その編成に組み込んで欲しい。

 喉まで出かかった言葉は、しかしなぜか、声にはならなかった。

 

「……あの霧に入っても、すぐ元の場所に戻されてしまうじゃないですか」

 

 結局出てきたのは、そんな言葉だった。言おうとしたのとは全然違う、思ってもない言葉。

 それも、満潮の方から報告済みの話だ。

 俺達がここに来た時から提督は各地の友軍に連絡を試みていたし、先程は綾波率いる駆逐艦の子達が、隣の基地を見に行ったけれど、やはり霧を抜ける事はできなかったらしい。向こうからの連絡も無ければ、何かの音がする事もない。

 空母の方が艦載機を飛ばしてみたらしけど、それも駄目だったって。しかも搭乗していた妖精さん達は原因不明の体調不良になってダウンしてしまったという。

 

「それでも試さない訳にはいかない。……主力艦隊で……いや……それを決めたい」

「…………」

 

 『主力艦隊』には、当然俺は入ってない。でも、だからこそ、俺を……そんな言葉は、やっぱり出てこなかった。言いたいのに、言えない。それを言う事がとても重くて、自分の情けなさや、怒りに満ちた満潮の目を思い出して、唇が微かに震えるだけだった。

 

 固まった俺を見た提督が、その後ろ、吹雪と夕立を見ると、「君達は少し体を休めてくれ」と言った。

 下がってよろしいって事だろう。夕立には、入渠の許可が出た。提督の言い方では、許可する、ではなく、今すぐ治してきてくれって感じだったけど。

 

「島風ちゃん……」

 

 執務室の扉を潜り、外へ出て、扉が閉まる音がすると、吹雪が控え目に声をかけてきた。一歩進んでから振り返れば、吹雪だけでなく夕立も、弱々しい表情で、俺を見ていた。

 戦ってた時はあんなに勇ましい顔だったのに、と思うと、ちょっと笑ってしまう。今の二人からは、さっきの姿を思い起こす事はできない。

 俯きがちになって、顔を振る。それから、頬にかかる髪を指先で耳の後ろへ掻き上げながら、振り返った。

 肌に触れる手袋の滑らかな触りが、少し気持ち悪かった。

 

「さっきはごめんね、八つ当たりみたいにしちゃって」

「ううん、仕方ないよ! 朝潮さんの事……私だって心配だもん。だから、島風ちゃんなら、私よりずっとそうだよね」

「提督さんは絶対に朝潮を見捨てないっぽい。前の時もそうだったから。……だから大丈夫、なんて言わないけど……」

「ううん。……私、ちょっと頭冷やしてくるね」

 

 気遣ってくれる二人に背を向けて、返事を聞かずに駆け出す。

 自分の至らなさが原因なのに、これ以上二人に悪い事を言いたくなかったし、傍にいたら、当たっちゃいそうだったから。

 

 踊り場に出て、階段を駆け下りていく。外からは、砲撃音や誰かの声が聞こえてきていた。でも、一階に下りて外に出た時には、そういった戦闘の音はなくなっていて、不気味な静けさが広がっていた。

 居ても立ってもいられない体を持て余しつつ、当てどもなくさ迷う。外周部や本棟正面に足を向けるのはよくないだろう。あそこらは『海に面した場所』だ。警戒し、防衛に当たっている子達がいるのに、邪魔しちゃ悪い。そう強く思う事で、勝手にあの海の向こうへ行こうとする自分を押し留める。

 ……こういう時、組織に身を置いているというのは不便だ、と思った。

 自分で選んで、望んでそうした事だけど……独断で動けなのは辛い。勝手な行動は自分以外にも迷惑をかけるし、信頼を裏切る事にも繋がる。そんなもの今はどうだって良いけど……きっと、よくない。

 難しいけど、自制するしかなかった。

 今この瞬間にも彼女が苦しんでいるかもしれないなんて想像を働かせるのは愚かな事だ。

 地面を蹴って駆け出す。走る事で、頭の中を空っぽにしようと思った。

 向かう場所なんて限られてるし、そう距離もない。スピードの上がったこの体では、あっという間にどこかへ辿り着いてしまう。

 工廠。……夕張さんの方。

 大きく口を開いた建物の前では、相変わらず妖精さん達が忙しなくしていた。中には雑多なものが並んでいる。天井から吊り下げられている艦載機の模型がふらふら揺れていた。

 夕張さんはいなかった。代わりに、ルームメイトが一人。

 

「……叢雲」

「あら、あんたも来たの?」

 

 左の壁際に(しつら)えられたテーブルと椅子。そこには叢雲が座っていて、膝に砲ちゃんを乗せて撫でていた。

 落ち着いた表情は常と変わらず、レ級に襲い掛かった時の激情は影もなかった。

 

『キュー』

 

 テーブルの周りをくるくると回って追いかけっこしていた連ちゃんと装ちゃんが、俺に気付いてとてとてと寄って来た。腰を折って二体の頭を撫でてから、叢雲の表情を窺う。俺に対して声を発したものの、彼女は砲ちゃんに目を落としたままだった。その砲ちゃんが膝の上から飛び下りて俺の方へ来ると、ジャンプして来たので、抱き止めた。それでようやく叢雲は顔を上げた。

 目が合う。

 夕日色の輝きは、本当に、いつもと変わりない色で、そこにあった。

 

「兵装を修理してもらいに来たのよ」

 

 まっすぐに俺を見つめる叢雲が、静かに話し出す。淡々としていて、それでいて、冷たさのある……いつもの声。

 

「明石の方は軽い怪我人の対処や艤装の修理で忙しいみたいだったから」

「そう、なんだ」

 

 奇妙……そう感じた。何がそうなのかはわからなかったけど、おかしいって思った。

 あんなに激昂していたのに、もうケロッとしている。「夕張さんも、この子達の整備なんかで忙しかったみたいだけどね」と説明した。

 テーブルの上に置かれた手の傍には、湯呑みが置いてあった。まるきり、寛いでいるみたいだった。

 ただ、ちょっと消耗した艤装を直してもらいに来て、その暇を潰しているだけ……そんな風に見えた。

 でも違った。

 少しずつ歩み寄って行って、なんとなく、対面の席を引いてから座る際に、湯呑みの中身が手付かずなのに気付いた。もう湯気も出ていない、すっかり冷めてしまった、口がつけられていないお茶。

 

「それで、あんたは何しに来たの」

 

 叢雲の唇は、渇いていた。

 目だって、ほとんど瞬きなんかしていなくて、ただじっと、俺の動きを注視していた。

 

「なんとなく、ここに来ちゃって。……それだけ」

「そう」

 

 膝の上の砲ちゃんを撫でつつ、机に目を向けて、答える。短い返答は、興味があるのかないのかわからない声音だった。

 少しの間、奥の方から聞こえてくる機械的な音……断続的な、小さな音を聞いていた。

 足にじゃれつく連ちゃんと装ちゃんを覗き込めば、小さな手で目を隠そうとしながら身を揺らす。その行動の意味がわからないでいると、二体とも叢雲の方へ行って、撫でてもらっていた。

 

「……私が前にいた鎮守府は、最前線を攻略する名高い場所だった」

「……?」

 

 それは、唐突だった。

 前触れなく話し出した叢雲に顔を上げて見てみれば、彼女は外を眺めながら、淡々とした語り口で、過去の出来事を振り返った。

 

「精鋭揃いと言っても過言ではなくて、新人も古株も関係なく、毎日、戦い続けてた」

 

 建造されたその日から海へ出て、敵と戦って、傷つきながらも勝利して。

 時には強い仲間に守られながら、時には、その仲間を率いるリーダーとなって。

 経験を重ねて強くなるのではなく、戦いに付随して戦い方を知っていく、そんな場所。

 

「戦って、戦って、時には体を休める日があって……でも、何もしてないなんてできなくて、無理矢理出撃させてもらって」

 

 厳しい場所ではなかった。

 厳しいのは戦場だけ。その鎮守府は、誰もが自信に満ちて、きらきらと輝いていて……まっすぐ前を向いていた。

 少し年のいった提督も、厳格ではあったが融通が利いていて、何より、人の気持ちを汲み取るのが上手い人だった。

 

 懐かしむように語る叢雲は、それでも、いつもと変わらない表情だった。

 ただ、その声から冷たさだけが抜けて、それだけ。

 吹雪や、明石と話す時と変わらない話し方。

 

「私の二回目の改造の話が持ち上がって……みんな、お祝いしてくれたわ」

 

 『みんな』の説明はなかった。

 叢雲は、俺に話しているのではなく、ただ、胸に浮かんだ言葉を吐き出しているだけみたいだった。

 たまたまその時に俺がこの場にいたっていうだけで。

 

「でも、私は改二にはなれなかった」

 

 理由はわからない。何度やっても改造は成功しない。

 それだけなら、残念な話で終わっていた。改造できないならできないで運用の仕方はある。

 それだけで終わらなかったから、叢雲は今、ここにいる。

 

「あいつが現れたのよ」

「……レ級?」

 

 聞いたって答えは返ってこないだろうと思いながらも問いかければ、彼女は俺を見て、頷いた。

 出撃していたみんながなぜか帰投してきていて、困惑や混乱の中で、鎮守府が濃霧に包まれた。

 霧の中から現れたレ級は、叢雲達を見回して、こう言ったのだという。

 

――強クナリスギタナ。オ前達ハ、不要ダ。

 

 当時最強の艦娘が多数在籍していた鎮守府は、外部と連絡が取れなくなっていた数分の間に、ほぼ全滅した。

 残ったのは、司令塔にいた提督と、叢雲だけだったという。

 

「進化の見込みがない私を壊す必要はない……たぶん、そういう意味の事を、あいつは言っていたと思う」

 

 叢雲は、その時は、起きた事が理解できず、呆然としていて、レ級の言葉をちゃんと理解したのは、つい最近の事だったらしい。最初の台詞は、海を眺めて考えていた時に。最後の台詞は、先程の戦いで、レ級が俺に言った言葉で。

 

 たった二人になってしまった鎮守府は、その日の内に一人になった。

 提督が自刃したらしい。理由はわからない。叢雲は、話そうとしなかった。

 その話の時だけ、彼女はなぜか、俺を直視したくないみたいに目を逸らしていた。

 

 上の意向で、彼女はこの鎮守府に転属してきた。

 それからしばらくして、今ではその鎮守府も新たな提督が着任し、艦娘も増え、元の活気を取り戻している。

 だけどそこはもう、叢雲の知る場所ではなく、帰る場所でもなかった。

 

「……ここが嫌いな訳ではないのよ。ここは……私の帰る場所よ」

 

 でも、今でも、前の鎮守府の事が、共に戦った仲間達の事が忘れられないらしい。

 寝ても覚めても周りにはかつての戦友がいて、遠くを見ていれば、声が聞こえてくる。

 あの霧が神隠しの霧と呼ばれている事を知り、レ級が、確認された事の無い個体だった事を知り、そうして、何を知っても聞いても、失った友の痛みに苛まれるようになった。

 彼女は、なかなかここに馴染めなかったらしい。今もそうだ。今は、同じ部屋の俺達や、明石とか夕張さんとか、一部の人とは交流を持っているみたいだけど、その他とは一線を引いているみたい。

 なまじここの人達が良い人ばかりだったから、関わるのが辛かったのかもしれない。

 そこまで語ってくれない彼女の心境は想像する事しかできないが、あまり良くなかっただろう事は深く考えなくてもわかる。

 

 きっと、この話は、これでおしまいなのだろう。しばらくの間、叢雲は何も喋らなかった。

 やがて彼女は俺を見ると、呟くくらいの声量で、ぽつりと言った。

 

「何もできずに終わるのって、辛い事よ」

 

 初め、それが俺に向けて投げかけられた言葉だとわからなかった。

 彼女の境遇を聞いた後だったから、その体験を通して彼女が思った事なのだろうと認識して……何秒かして、それだけでないと気づいた。

 叢雲は……俺を、促してるのかな。怖気づいてないで、勇気を出せって。

 俺だって、すぐにでも助けに行きたい。でもわからないんだ。俺の気持ちがわからない。

 彼女を助ける資格が俺にあるのか……そんな風に思ってしまう自分がいるのが、理解できなかった。

 戸惑いや不安や恐怖が頭と胸の中を埋め尽くして、無力感に重く圧し掛かられていて。

 そもそも俺が助けに行ったところで、レ級の下から無傷で救い出す事は可能なのだろうか。

 手も足も出なかったのに。怖がって固まるか、攻撃しても歯牙にもかけられないかで。

 

「ごめんね、島風ちゃん。今私にできるのは、あなたの助けになるよう、この子達を改修するだけなの」

 

 俯く俺の傍に、夕張さんが来ていた。

 膝の上の砲ちゃんを抱え上げてそう言うと、いつでも通信して、と言い残して、奥の方へ行ってしまった。連ちゃんと装ちゃんがアヒルの子みたいに夕張さんの後ろをついて行くのを見送って、叢雲に目を向ける。

 彼女は、両手に長いアンテナの艤装を持って――槍のように扱っていたやつだ――、ぼうっと眺めていた。

 夕張さんは忙しい中でもきっちりやってくれたみたいで、折れていたアンテナはすっかり元通りになっている。棒に手を当てて上へ撫で上げた叢雲は、椅子に片手をついて少し腰を浮かせ、体の位置を変えて俺に向けると、真正面から見てきた。

 ん、とアンテナを持った手が差し出される。

 

「……え、っと」

「…………」

 

 受け取れ……って事? まさかくれるという訳でもないだろう。

 彼女は何も言ってくれないが、そのアンテナを俺に渡そうとしているのだろう。黙って差し出すその手へ自分の手を差し向け、アンテナの半ばを掴む。そうすれば、予想通り、叢雲は手を離して下ろすと、工廠の外に顔を向けて眺め始めた。

 

「これ……」

 

 どうすれば良いの?

 そう聞こうと思ったけど、たぶん彼女は応えてくれないだろうと思えたので、あんまり聞く気にもなれず、とりあえず持っている事にした。

 座っている間は嵩張るから、どこかへ置いておこうかとテーブルの周りを見渡して、この細い棒では、たてかけたりしても滑って倒れるだろうし、床に置いたら長さゆえに邪魔だろうしで、困ってしまった。

 結局左腕にリストバンドで巻いた端末、カンドロイドに収納する事で、スロットを一つ埋めて保管する事にした。

 一息つくと、俺の前の机の上に湯呑みが置いてあるのに気付いた。

 叢雲もぼうっとしていると思っていたけど、俺も相当そんな感じだったらしい。夕張さんは俺のお茶も入れてくれていたらしい。

 まだ湯気の立つ熱いそれを一気に飲み干して、立ち上がる。喉を通り、胸を落ちていって、触れた個所を熱くする液体の感触に溜め息を吐く。

 ここでじっとしている気にはとてもじゃないがなれない。だから、どこか別の場所に行こうと思って、外へと歩き出した。

 

「……頼んだわ」

 

 去り際、後ろから叢雲の声が聞こえた。

 振り返っても、彼女は工廠の中を眺めているだけで、俺に顔さえ向けてはいなかった。

 空耳か何かだったのだろうと結論付けて、塀に囲まれた敷地内に出る。霧に遮られた世界は薄暗く、肌寒かった。

 

 

 本棟裏を歩いて艦娘寮に向かっていれば、道半ばに満潮と荒潮がいるのを見つけた。

 真向いで、こちらに向かってきている。

 一瞬硬直した体を動かして一歩後退り、だけど反転できなくて、立ち止まる。最初から彼女達は俺にようがあったみたいで、寮の方への道を通り過ぎると、俺の前までやってきた。

 

「――っぐ!」

 

 ずいと必要以上に近付いて来た満潮に胸倉を掴まれ、振り回されるようにして本棟の壁にぶつけられた。生体フィールドを纏っていなければ、俺は少し足が速いだけの少女だ。小さな手の内で布が擦れ合う音がするぐらいに握り締めている満潮は、明らかに生体フィールドを纏っていて、だから、襟ごと首に押し当てられた拳が痛くて苦しくとも、引き剥がす事はできなかった。

 もとより引き剥がす気はない。彼女には、こうする権利がある。そう思ったから。

 

「何が、『朝潮のために戦う』、よ」

 

 怒りにわななく満潮は、声にもそれが出ていて、震えていた。

 彼女に責められたくない。咎められたくない。そういった気持ちが働いて、彼女を避けていたのに、避け得ない状況になってしまって、怒りを向けられている。

 一緒にいる荒潮は、怒りを浮かべるでもなく、笑っているでもなく、ただ、冷たい瞳を俺に向けていた。

 ――苦しい。物理的なだけでなく、どこか深い部分が。

 

「ただの自己満足じゃない。守れもしない癖に朝潮の傍にいないでよ!!」

「っ……!」

 

 瞳を濡らした満潮が、俺を揺さぶりながら叫ぶ。

 それは違う。自己満足なんかじゃない。

 なんて、言えなかった。言えるはずがない。自分にだってよくわかっていない事なのだから。

 

「お願いだから……お願いだから、朝潮を……助けて」

「わたし、は……」

 

 激しかった語り口は、次第に弱々しく萎んでいって、ついには頭を下げるように俯いた満潮が、か細い声で、懇願してきた。

 

「私じゃあの霧は越えられなかった……でも、あんたなら」

 

 あの深海棲艦が目をつけていたあんたになら。

 ……それは、たしかにそうだ。

 レ級は俺の進化とやらを見たがっていた。そのために朝潮を連れていった。

 あの霧を抜けて、レ級の下に行けるのは……きっと俺しかいない。

 

「朝潮のために戦うんでしょ? だったら……」

「私からもお願いするわ」

 

 静観していた荒潮も、低めの声で、朝潮の救出を俺に頼んだ。

 ……俺が救っても良いの?

 もちろん俺は、彼女を救いたい。助けに行きたい。

 でも、一度守れなかった俺に、彼女を助けに行く資格は……。

 ずるりと体が下がって、地面に足がついた。捲れていた後ろ背の服が端まで伸びる。

 

「……あんたが作るって言ったケーキ……朝潮、楽しみにしてた」

 

 肝試しの時、帰り際に、三原先生の出していたケーキ屋さんの屋台が畳まれているのを見て、肩を落としている朝潮の姿を思い出した。

 俺が代わりに作るって言ったら、綺麗に笑って、お願いしますって言ってくれた。

 約束したんだ。そうした以上、約束を違える訳にはいかない。

 

「私も……荒潮も、早くケーキが食べたいの。みんなで……」

 

 だから、さっさと作ってよ。

 ぐいと目元を腕で拭った満潮は、俺を見上げて、手の平で俺の肩を押すように叩くと、踵を返して元来た道を歩いて行ってしまった。遅れてついていく荒潮が俺を振り返る。もう、目は冷たくなんかなかった。柔らかな笑みを向けられて、俺は、叩かれた部分の服を握り込んで、どうしようもなくやる気になった。

 朝潮を助けたいと思ってた。姉妹の子が助けてくれっていうんなら、資格はそれで十分だろう。

 

 ノックをして、碌に返事も聞かずに踏み込んだ執務室には、さっきと同じメンバーしかいなかった。

 椅子に深く腰掛けていた提督が横目で俺を見るのを見返しながら、足早に歩み寄っていく。

 

「提督、私を行かせてください」

「島風……。気持ちはわかるが、君ではまだ、あんなのを相手にするのは無理だ」

「無理かどうかなんて考えてる暇はありません! 行かせて……! 私を行かせてください!」

 

 出撃の許可を!

 机を叩くようにして両手をついて身を乗り出せば、提督は、近付いた顔から逃げようともせずに、俺の目を見つめてきた。

 目は逸らさない。なんと言われようと絶対に許可してもらう。そういう気持ちで、提督の目を見つめ返した。

 あの霧を抜けられるのは俺だけだ。きっと、いや、絶対に、俺だけが彼女を救える。

 だからお願い。俺を行かせてほしい。

 詰め寄ったまま言葉をぶつければ、立ち上がった提督が、後ろ腰で手を組んで、俺を見下ろした。

 

「……主力艦隊が何度突入を繰り返しても、霧を抜ける事はできてない」

「……私なら」

「……君に、望みをかけるしかないみたいだ」

 

 さらに言葉を重ねようとして、提督は、酷く苦悩するような顔で、許可を出してくれた。息を呑んで、浮かんでくるたくさんの感情をそのまま奥へ押し込む。

 きっと提督は、俺をいかせたくないのだろう。俺の強さに目をつけてくれてはいたけど、しょせん俺は駆逐艦で、相手は戦艦。それも、神隠しの霧なんて言う、どんな艦娘でも敵わない相手だ。

 本来なら……考えたくもないけど、提督は朝潮を切り捨てなきゃならないんだろう。

 でも、そうせずに……そんな事できないから、主力艦隊で以て打破しようとしていた。それが無理なら、一縷の望みにだって縋る。苦しげな表情なのは、それで俺が死ねば、申し訳ないどころじゃないからだろう。

 

「提督。心配する必要なんてこれっぽっちもありません」

「……島風」

「朝潮は絶対に救ってみせます! シマカゼの最高速で!」

 

 この名前に誓う。俺がどうなったって、彼女を救う。必ず助け出してみせる。

 

「頼もしいな。……ああ、頼もしいよ」

 

 力んで拳を握ってみせた俺に、提督はようやく小さな笑みを覗かせて、椅子に背をもたれかけさせて、そう言った。

 

「その端末を通して、できる限りの支援をする。だが君の言う通り時間がない。よって君を旗艦に、緊急出撃を許可する」

「承認するのです」

「頑張んなよー」

「ありがとうございます……!」

 

 一歩下がって、深く頭を下げる。

 出撃の許可は下りた。後は、あの霧へ向かうだけだ。

 

 執務室を退出し、本棟を出ると、夕張さんから通信が入った。

 霧を抜けようとする前に、工廠へ寄れ、と。

 先の戦いで俺もダメージを負っていたから、修復剤をしみこませたタオルで傷を拭っての応急処置と――もっとも、それで完全に回復したのだけど――、改修が完了した連装砲ちゃんを受け取った。

 

「先日の事件で作成した複製武器からコピーしたコア・ドライビアを内部に組み込む事で局地的に重加速現象を引き起こせるようになったの」

「………………?」

「……ようするに、あなたに追いつけるくらいには速く動けるようになったって事よ」

「あ、ありがとうございます」

 

 それはまた助かる話だ。

 俺のスピードばかり上がるせいで、連装砲ちゃんはだんだん追いつけなくなってきていたから、ここでその欠点が消えたのは嬉しい。

 彼女達も短い手をぱたぱた動かして喜びを表していた。

 

「カンドロイドを通じてめいっぱいサポートするわ。ちゃんと繋がれば、だけどね」

「たとえ繋がらなくたって、この端末があるだけでも助かります」

「そう言ってくれると嬉しいわ。……うん、それじゃあ……頑張ってね!」

「はい!」

 

 砲ちゃんを抱えて、工廠を後にする。端のテーブルについていた叢雲は、俺をちらりと見ると、湯呑みを持った手を僅かに振って激励してくれた。

 

 本棟前へ出る。

 白く濃い霧が立ち込め、不自然に地面の途中から海が広がるこの場所にやってくれば、海を防衛していた龍驤や日向や、駆逐艦の子が、俺の出発をサポートしてくれる運びになった。

 敵はまだ、この霧から不定期にわきでてきているらしいから、みんなが警戒してくれているなら安心だ。

 海の上に立ち、連ちゃんと装ちゃんが同じく暗い海面へ飛び乗るのを見届けてから、前傾姿勢になり、右足を前へ出す。

 

「無事を祈るでー!」

「後ろは任せると良い」

 

 二人の言葉を背に、滑り出す。

 流れてくる霧の中へ突っ込んでいけば、すぐに辺り一面が真っ白い世界になった。

 生体フォールド越しの肌を冷気が撫ぜていく。遠くに聞こえた砲撃音は、あっという間に聞こえなくなっていた。

 ばたばたとはためく服。後ろへ流れ、乱れる髪。頭を引っ張るようなうさみみりぼんのカチューシャ。

 波を()く足に水飛沫がかかる。

 やがて、霧の世界は終わりを迎えた。

 

「……!」

 

 霧に覆われつつも、水滴の集合体は薄く、正面に見える島の姿がよくわかった。

 空の合間から降り注ぐ暑い日差しが、夏真っ盛りを思い出させる。

 浜に朽ちた駆逐イ級が打ち上げられているこの島は。

 

 ……この孤島は、俺が目覚めた場所でもあって、朝潮を介抱した島でもあった。




TIPS
・執務室の鈴谷
助秘書。各艦隊の旗艦に指示を出したり
話を聞いて纏めたりしている。

・叢雲のいた鎮守府
隼鷹や陸奥、加古、古鷹、羽黒、最上、時雨……などがいた。
みんな仲良し。ランキングで言えば一番上。
この鎮守府が消えた事を藤見奈が知らなかったのかといえば、その通り。
日本で最も強かった艦隊が手も足も出ずやられたなんて広報できる訳がない。
元ネタはどこかの叢雲好きな人の艦隊。

・提督の自刃
その時叢雲は、真正面で盃を交わしていた。

・叢雲のアンテナ
彼女が手にしている、どうみても武器ではなさそうなアンテナ。
いちおう柄がついてるっぽいし、武器として振り回せそう。

・満潮の怒り
自分自身へ向けた言葉も多かったりする。
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