島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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今年度中に完結できれば良いな。



第四十三話 霧を越えろ!

 

 進む先に見えたのは、確かにあの孤島だった。

 一ヶ月近く離れていたけど、左右に続く浜と陸地や、鬱蒼(うっそう)と茂る木々は、間違いない、俺が目覚め、朝潮と出会った場所。

 

「――っ!」

 

 近付けば近付くほど記憶がはっきりしてきて、より確信を強める。あそこで過ごした日々が昨日の事のように思い出せた。一人きりで過ごした倦怠的な日々や、自分以外の人と出会って、希望を抱いた時間。

 瞬きの合間にそういったものを思い出しつつ、もう少しで上陸できそうな距離になったところで、強い風が後ろから吹き付けてきた。

 

「ん、あ!?」

 

 白い靄が体を包む。

 まるで意思を持った巨大な生物みたいに、細い触手のようなものが伸びてきて、腕や脚へ巻き付いてきた。引っ張られたりはしてないし、拘束されている訳でもない。びっくりして足を動かせば、霧はその通りにぴったりとくっついて動いていた。

 辺りが暗くなる。背後に霧の壁が迫っているのだ。

 

「っ!」

 

 気付くのが遅かった。逃れる暇もなく、濃霧は、霧で俺の体を絡め取ると、一気に飲み込んだ。

 ――食べられた!? ……そう思ったけれど、こいつは生き物や何かじゃない。目の前が真っ白になってしまったけど、それだけ。

 体に纏わりつく冷気が、俺が『戻されて』しまったのだと教えてくれた。

 生体フィールド越しに、きめ細やかな水滴が髪も肌も関係なくくっついてくる。艦娘の機能として、それらのせいで濡れる事はなかったが、まつ毛や目に水が入ろうとすると反射で目を細めてしまって、少し視界が悪かった。……いや、元々視界は悪いのだが。

 

「……ん」

 

 走るのをやめたつもりはなかったのに、いつの間にか止まってしまった体に、なんとなく左腕を持ち上げて、括りつけた端末を見る。

 中にいる羅針盤の妖精さん達から、異常あり、と意思が届いた。そんなの見ればわかる。なんかこめかみ辺りがびりびりするのは、妨害電波の広がる海域にはつきものだ。

 

『キュ?』

 

 足下に浮かぶ二匹が、霧の中に逆戻りしてしまった状況に戸惑ってか、きょろきょろと顔を動かしていた。

 よし、連ちゃんと装ちゃんもちゃんといる。逆に言えば、彼女達も俺と一緒に戻されちゃったって事だけど……。

 せっかく俺のスピードについてこれるようになったのに、引き剥がされるよりはマシか。

 

「敵影あり! 右舷(みぎげん)、砲雷撃戦用意!」

「っ!」

 

 遠くのようで近くに響いた女性の声に、はっとして振り返る。幕のような、重厚な濃霧の向こうに、いくつか人影が浮かんでいた。

 それが波を割いて迫ってくるのに、右腕で抱えていた砲ちゃんを両手で持って前に突き出した。

 瞬間、霧から抜け出した由良さんが、すぐ隣を過ぎ去っていった。

 あっという間だった。影が大きくなったと思ったら、由良さんが出てきて。視線が合うと、彼女は驚いたように目を見開いて、でも、すぐ後ろへ行ってしまった。

 

「由良さん!?」

「金剛デース!」

 

 背後に広がる霧へ向けて呼びかければ、金剛先輩の声が耳元で聞こえた。

 涼しげな風が流れると、声の通り、金剛先輩が抜け出てきて、目の前で止まった。腰に手を当てて片手を前に突き出すお馴染のポーズだ。俺の姿を認めると、およ、と怪訝な顔をする。

 

「ごーやもいるよ!」

「でっ……ーヤ先輩」

 

 ざばりと足下から頭を出したのは、でっち先輩だ。ピンクの髪から海水が流れて滴ると、彼女は肩から下を海につけたまま俺を見上げた。

 

「島風? そこで何してるの?」

「雷……ちゃん?」

 

 金剛先輩の後ろからひょこりと出てきたのは、雷だった。教室でよく顔を合わせる子。リーダー的な役割をするのが得意で、先日も宿題係として夕立を……いや、これは今関係ない。

 艦娘が海を滑る音が、二つ重なって続く。

 金剛先輩と雷に並ぶように、北上と赤城さんも出てきた。

 

「あー? 何、こんなとこでドロップ艦?」

「うちの子ですよ、北上さん」

 

 三つ編みを揺らして訝しげに俺を見る北上に、ちゃんと俺の事を認識してくれている赤城さん。それから、その後ろに由良さんが続いて来た。

 あれ? さっき俺の横を通り過ぎて行ったのに……。

 

「島風ちゃん、どうしてここに?」

「あ、その……」

 

 しかし由良さんは気にした風もなく金剛先輩の前に出ると、そう問いかけてきた。

 不可思議な現象に言葉をつっかえさせてしまったが、一度息を吸って吐いてをして、気を落ち着けてから、提督に出撃の許可を頂いた事と、俺ならここを抜けられるんじゃないかと思ったのだと伝える。

 

「そうなの……。それで、どうだったの? 霧は抜けられた?」

「いえ……先輩方の方はどうなんです?」

「ワタシ達はずーっとここをグルグルデース。困りましたネー」

 

 ぐるぐるー、と両手の人差し指を突っつき合わせるように回して見せる金剛先輩に、雷が頷いて同意した。

 その動作に、ふと思い立って、ある事を口にする。

 

「……あ、主力艦隊って、ひょっとして」

「あたし達の事だねー。知らなかったの?」

「いや、でも、雷ちゃんもいるし……」

 

 この海域というか、霧に突入をしているのは、鎮守府の主力艦隊って話だったから、彼女達がそうなのかと問いかければ、北上が小首を傾げて、目を細めた。

 不機嫌そうに見える北上に少々萎縮しつつ答えれば、「しょーしんしょーめい、雷も第一艦隊よっ!」と腕を振り回して、雷が言った。えー、うそ。いつも一緒にお勉強してたじゃん。だから、俺達と同じくらいの練度なんだと思ってた。でも、主力に数えられるほどの強さだったんだ。知らなかった……。電はどうなんだろう?

 たぶん高練度だろう秘書艦の電は、授業に出たところは一度だって見た事ない……それは秘書艦のお仕事で忙しいからなのかな。

 授業に出てるのと出てないのとでは、どちらの方が強いかなんてわからない。別に、今ここで聞くべき事でもないだろうし、気にしないで良いだろう。

 

「言ったでしょー、ゴーヤは大先輩だ、って!」

「あの時の先輩の言葉は、こういう事だったんですね」

「そうでち。ゴーヤ達は主力も主力なんでち! ……と言っても、この霧を抜ける事はできてないんだけど……」

 

 えへんと胸を張って誇らしげにしたでっち先輩は、次にはしおしおと落ち込んでしまった。

 海の上からも海の中からも、どうやったって進めずに鎮守府に戻ってしまうらしい。これは練度が高いとか低いとか、どんな艦種であるとかは関係ないのだろう。

 

「私なら行けるかも、って思ったんですけど……駄目みたいです。戻されちゃいました。……島の前までは、行けたんですけど……」

「島?」

 

 勇ましく出てきたのに、結局俺も霧を抜ける事ができなくて、情けなさを感じながら言えば、由良さんが聞き返してきた。

 そう、島。……二週間くらいを過ごした、あの島。

 

「島風、落ち込む事はないデス! それが本当なら大躍進デース!」

「由良達は、ずっと霧の中を走ってただけだから……そっか。島風ちゃんなら、先に行けるかもしれないのね」

「でも、こうやって戻されちゃって……」

 

 今さっき失敗したばかりだから、感心したように頷く由良さんの言葉が心苦しかった。

 なぜかわいてきた羞恥心と焦りに、低めの声で彼女達の言葉を否定しようとすれば、「大丈夫よ、島風!」と雷。

 

「司令官が任せたんだもの、絶対いけるわよ!」

「yes! 自信を持ってくだサーイ!」

「……あ、はい」

 

 なんか、凄い良い笑顔なんだけど……。

 俺ならいけるかも、と思ったのは、そう強い根拠がある訳じゃないんだけど、この人達の言う『行ける』の根拠はなんなんだろう。いや、背中押してくれるのは嬉しいんだけどさ。

 キラキラがつくのを幻視するような、自信たっぷりの笑顔を見つつ、内心で嘆息(たんそく)する。

 まあ、行けるかもって気にはなってきたから、もう一度突貫するつもりではあるんだけど。

 行ける気がしなくても行くけどね。

 

「もしかしたら、新入りさんの体に紐を括り付けてゴーヤ達が持てば、一緒に霧を抜けられるかもしれないでち!」

「……それは、どう、でしょう……?」

 

 でっち先輩が変な事言い始めた。たぶん本気だ。

 自分で言った事に自分で頷いてるし。しかも満足気。

 

「えー、電車ごっこみたいにすんの? あたしは嫌だなー」

「むむ、良い案だと思うんだけどなあ」

 

 顔を(しか)める北上に、ごーやは首を傾げて、駄目かぁと呟いた。俺も嫌だよ、走りを阻害されるのは。というか、ここにはロープとかないし、やるとなると腰に腕を回したりしないとだから、ええと、みんな背丈違うし、一人は泳いでるしで……やっぱり無理だよ。

 ほっと息を吐いた赤城さんが、「未知の海域に踏み込む事も考えると、あまり良い手とは言えませんね」とでっち先輩を(さと)した。

 

「それでも、提督が希望を託した貴女(あなた)なら……島風さんなら、抜けられると信じます」

「由良達も諦める気はないけど、島風ちゃんよりも、望みは薄いと思うの。だから、ね?」

 

 前に立つ由良さんを見上げて、頷く。

 主力艦隊のみんながここを抜けられないなら、やっぱり俺が行くしかない。進化だかなんだか知らないけど、奴が求める俺をお届けしてやるしかないんだ。

 

「元より、霧を抜けるつもりです。少し弱気になっていましたが……もう大丈夫です。私、行きます」

 

 せっかく島の前まで行ったのに濃霧に飲まれて、どことも知れない海に戻されて、心のどこかで『無理かもしれない』なんて思ってしまったけど、そんな弱気の虫は、由良さんや、第一艦隊のみんなが潰してくれた。

 島を見たのは俺だけ。だから、あそこに行けるのは俺だけだっていう確信と、みんなが行けないなら俺が行くしかないっていう想いと、たとえ彼女達が来れなくても、けして諦めるつもりはないって気持ち。

 (たぎ)った気力に加えて、由良さんと第一艦隊皆の激励に、応援。そういうの見せられたら、今すぐ走り出すしかないじゃない。今すぐに、あの場所へ。

 

 横一列になったみんなが、俺を見下ろし、または見上げる。

 

「この霧さえなければ、あんな深海棲艦、ワタシが投げ飛ばしてやりたいところデスガ……島風、その役目はあなたに譲るデス!」

 

 金剛先輩、投げ飛ばすのは、私には無理だと思います。

 でも……やっつける役目なら引き受けますよ。あんな奴は、シマカゼが倒しちゃいますから。

 

「悔しいけど、いくら走ったって鎮守府に戻っちゃうんだもの。雷達の分も、頼むわよ!」

 

 うん。雷ちゃんの分まで、私、走るね。頼まれたからには、きっとやり遂げるから。

 宿題係さんに怒られるのも嫌だしね。きっちり片付けなきゃ。

 

「ごーやは短距離通信繋げとくね。新入りさん、切れたらすぐに言ってね!」

 

 でっち先輩……あの、通信切れたら、その事を伝えるのは無理だと思うんですけど。

 ああでも、切れたら切れたで、それが伝わるか。

 

「ちぇー、あたしら全然活躍できないじゃん。久々に出撃できたって思ったのにさー。……まぁ、頑張りなよ」

 

 はい、北上さん。悪いけど、活躍奪わせてもらいます。その分、うんと頑張りますから。

 ……結構優しいんですね。なんか、意外です。

 

「島風さん、私達は一度、貴女の道を切り開いてみます。貴女は貴女のやれる事を」

 

 わかりました、赤城さん。道を切り開くというのは……? ……そう、艦娘の力で。

 頼もしい限りです。それなら、行けると思います。

 

「島風ちゃん。朝潮をよろしくね。でも……無茶は、しないでね。ね?」

 

 由良さんは、ずっと朝潮と戦ってきたんでしたね。それなら、人一倍心配でしょうけど……安心してください。

 朝潮は私が必ず助けます。約束しましたからね。ケーキ、作るって。

 

 風に乗った霧が俺達の間を抜けていくと、スカートや服の端がばたばたと鳴って、はためいた。

 みんなの顔を見回して、頷き合う。

 

「じゃあ……シマカゼ、行きます!」

「うん。支援するね」

 

 直立し、みんなへ向けて敬礼する。右腕で抱いた砲ちゃんと、足下の連ちゃん、装ちゃんもびしっと敬礼モドキをした。

 海面を蹴り、高く跳び上がる。第一艦隊のみんなを飛び越え、空中で身を捻って、その後ろへ。

 霧の中に入り込んで、誰の姿も見えない場所に着水し、すぐ前を向く。

 両足を揃えて小ジャンプ。数十センチもない跳躍で体の調子を整え、足が海につくのと同時に屈伸。膝に力を溜め、跳ぶようにして駆け出した。

 後ろへ流れていく霧の中に、赤城さんの背中が見えた。彼女が弓に矢をつがえ、前方、上空へと放てば、それは一機の艦載機に変化して、濃霧の中へ飛び込んで行った。

 北上が隊列から抜けて横へずれると、魚雷発射管を動かして、しゅぱぱっと数本打ち出した。海に落ちた魚雷は、白線を残しながら前へ進んで行く。

 でっち先輩もそれに合わせて、海の中から魚雷を放った。数秒もせず遠くの海面が盛り上がり、水柱が立ち上がる。それが霧を僅かに晴らした。

 

「全砲門、Fire(ファイヤ)ー!」

「てーぇ!」

 

 横一列に並んだ金剛先輩、雷、由良さんが、霧に向けて砲撃する。強烈に打ち出されて空気ごと霧を巻き込み、砲弾は飛んでいく。

 無数の砲弾が霧を穿ち、散らして、文字通り道を切り開く。

 それでもあの島は見えない。でもいいんだ。この勢いのまま、俺も突っ込む。

 

「金剛先輩、お願いします!」

「任せるデース!」

 

 砲ちゃんも連ちゃんも装ちゃんも、金剛先輩にパスする。俺自身は高く跳躍して、膝を抱えて一回転。体を広げて足を伸ばす、飛び蹴りの体勢へ。

 そのまま、全部の力と勢いを前へ向けた。右足を前に、左足は畳む。両手は広げて、霧の向こうを睨みつける。

 

「とりゃーっ!」

 

 耳元で風が唸った。

 濃霧の中へ矢のように突っ込んでいく。散らされていた霧のエリアを越え、白一色の中へ。壁を一枚隔てたところから聞こえてくるエンジン音(艦載機)が、行くべき道を先導する。

 その音や気配が唐突に消えると、同時にでっち先輩とつないでいた短距離通信も切れた。霧を抜ける。眩い光の中へ、飛び出していく。

 

 煌めく海は青く、降り注ぐ光は強い。冷気はあっという間に剥がされ、むわりとした空気が渦巻いて、通り過ぎていく。

 波の上を越え、白粒の広がる海辺へ。

 

「っと!」

 

 勢いを失いつつも、砂浜の上に着地して、ブレーキを踏む。砂を巻き上げながらも二本の線がしばらく続いた先で、ようやく止まる事ができた。がくんと上半身が揺れ動く。体の芯と重心はしっかりしてるから、これくらいの衝撃なら問題なく受け止められた。

 ブーツ越しに踏み締めた、草と土の感触。

 立ち上がって後ろを見れば、島を取り巻くように霧がはびこっているのを確認できた。この島はおそらく、鎮守府と同じ状態にあるのだろう。考察しつつ視線を巡らせていれば、ちょうど俺の跳び出してきた霧の辺り(穴が開いているからわかりやすい)から、ぽぽぽんっ、と連装砲ちゃん達が吐き出されてきた。三匹はくるくる回転しながら海面に落ちると、ころころ転がって砂浜に上陸して来た。意味なく体を振るう動作をすると、すたこらと俺の下までやってくる。

 その動作の一つ一つを観察しながら警戒していたけど、霧は俺を元の場所へ戻そうとしなかった。触手みたいなのは伸びてこないし、霧の壁が迫ってくる事もない。

 それが霧の傍にいないからなのか、二度目の到達だからなのかはわからない。考える意味もない。そんな暇があるならさっさとレ級をぶっ潰しに行こう。

 踵を返し、森林へと踏み込む。

 土と草と木々の匂いを肺いっぱいに吸い込んで、駆け出した。

 

 

 やや昇り坂の道は……というより、道なき道だった。以前何度か行き来した事はあったはずだけど、踏み倒した草はこの一月余りですっかり元通りになってしまったらしい。

 

『島風ちゃん、聞こえる?』

 

 端末に通信が入り、機械を通した夕張さんの声が、森林の中に響いた。聞こえてます、と返事をすれば、夕張さんは最初こそ安堵したように溜め息を吐いたが、その後の声は苦々しいものだった。

 

『あなたのいる地点は……私達の鎮守府からとんでもなく遠い場所ね。場所さえわかれば支援を……と思ったけど、この調子では難しそう。ごめんなさい』

「夕張さんが謝る事はないです。それより、何か、何か朝潮の居場所がわかるような機能とかないんですか、これ」

 

 走る速度を緩め、端末を覗き込んで問いかける。あまりもたもたしていたら、朝潮が害されてしまうかもしれない。手遅れになる前に彼女の下へ辿り着きたいが、俺には彼女のいる場所がわからない。見当もつかない。こっちから通信を繋ぐ方法なんて知らないし……。

 習ったってわかんないんだから、これは本当にどうしようもない。だから他の手段が欲しい。

 

『あの子や霧の強敵にマーカーをつけたりはしていないでしょうし、直接場所を突き止める事はできない。でも、特定する事はできるかもしれない。マップを開いてみて』

「マップ……」

 

 通信を繋げたまま、端末を弄り、光の画面を出現させる。揺れる腕に合わせて震える画面は少し見辛かったが、贅沢は言ってられない。ボタン操作とスティック操作で、マップ画面へ切り替える。

 俯瞰で見た島の様子が大雑把に描きだされた。高低差を示す線の濃度の違いや、木々の緑に川の水色と、多少の色分けがなされていて、ぱっと見でわかりやすい。が、前に過ごしていたこの場所がこういう風になっていたのか、なんて思う事はできなかった。改めて地図で見直せば、全然違う場所に思えたからだ。

 『△』みたいな矢印で表された俺は、画面下部の浜辺から続く森の中をまっすぐ移動していた。そこは、島の中心から右に大分ずれている。ひし形に近い島の右端だから、直線での距離はかなり短い。

 でも、この先に元俺の家があったような……。

 

『自動マッピング機能がついているから、動けば動くほどその場所の情報がカンドロイドに反映されていくの』

「ここ、前に来た事がある場所ですから、もうほとんどマップは完成してます!」

『……そう、ここなのね。あなたが朝潮を助けた場所』

 

 そこを島の中心だと思っていた俺の脳内マップ機能は全く当てにならないな、なんて思いながら夕張さんに言えば、彼女が端末越しに頷く気配がした。妖精を介した意思でのやりとりではないから、身動ぎや他の何かの音も通ってくるのは不思議な気分だ。こっちの走る音や息の音も伝わっていると思うと、少し恥ずかしくなる。

 

『しらみつぶしに探すしか手はないわ。一度でも発見できれば、マーキングのチャンスがある。とはいっても、接敵すれば早々逃げたり逃げられたりはできないでしょうけど……』

「逃げないし、逃がしません」

『撤退も戦略のうちよ。……いえ、敵わないと思ったら逃げて。これは、私からのお願い』

 

 ……そんな事言われたって、俺は、奴を倒すつもりでいる。どれだけ硬かろうが、どれだけ力が強かろうが、不死身って訳でもないだろうし、殴り続ければ死ぬだろ。

 俺の意思が伝わったのか、夕張さんは少しの間何も言わず、それから、『武器の調整が終わっていれば』と溜め息交じりに呟いた。

 武器……ひょっとして、先日『あの人』が来た時にコピーしまくった武器達の事? でもあれって、戦いが終わったら破棄するって約束だったんじゃ……。

 いや、戦いは終わってないのか。深海棲艦との戦いは、終わりの兆しすら見えてないって聞いた。……そんな事より、俺は目の前の戦いに集中しないと。

 

『心してかかってね』

「はい!」

 

 通信が切れる。ずっと繋いだままでいても仕方がないし、話す事で集中が乱れたり、注意力が散漫になるのはよくない。夕張さんの気遣いをありがたく思いながら、土を蹴って先に進む。

 しばらく走っていれば、かつて過ごしていた、木の棒で組んだ家のある広場に出た。――記憶にあった粗末な家は影も形もなく、立派な二階建ての、大きな建物がどんと構えているのに、少々気圧されて足を止める。

 ……ああ、そうだった。俺のお手製小屋は、妖精さん達の手によってリフォームされてしまったのだった。

 外装も内装もまるきり違うから、建てた場所は別、って記憶してしまっていた。

 

「朝潮ーっ!」

 

 彼女の名を呼びながら、家の中に踏み込む。

 手入れされていない中は、砂や埃で少し汚れていた。玄関を飛び越え、土足で細い廊下を走る。左右に点々とある扉を蹴り開けて中を確認していく。

 洗面所、お風呂場、物置、客間、給湯室、食堂、応接間、工廠……。

 木板を軋ませて二階に駆け上がり、扉を跳ね開けて、寝室内を眺め回す。

 

「……いない」

 

 荒くなった息を呑み込みつつ、腕で口を拭う。木造りの窓を眺めていれば、背後で扉の閉まる音がした。慌てて振り返っても、誰もいない。……勢いよく開けたから、勝手に閉まったのだろう。

 早鐘を打つ心臓に、胸に手を押し当て、指先を肉に沈ませて、小さな痛みを自分に与える。それで、落ち着く事ができた。

 ここに朝潮はいない。レ級もいない。

 なら、ここにもう用はない。木製のベッドに乗っている薄汚れた布を一瞥してから、部屋を出た。

 そのまま建物も出てしまうと、マップを確認して、島の中心に行く事にした。可能性が高いのはそこだろう。この方角は……ここからだと少し遠い場所に、グリーンゼリー……高速修復剤の元があふれ出ていた温泉があったはずだ。島の中心って、そこだったんだろうか。

 あそこは高低差が激しく、大きな岩や石がごろごろ転がっている。できればそこでは戦いたくないな。いや、どこで戦うのも代わりはない気がするけど……温泉を壊したくない気持ちがあった。

 ……どうでもいい事だ。それは今、気にすべきものじゃない。

 

「連ちゃん、装ちゃん、行くよ」

『キュー』

 

 入り口前をうろつく二匹に声をかけ、腕に抱く砲ちゃんにも、いちおう一言やってから、走り出した。

 その先の池――湖で朝潮を見つけたのは、それからすぐの事だった。

 

 

 前にこの島にいた時とはスピードが大きく違っているのを失念していた。風になったみたいに木々や葉の合間を駆け抜ければ、道半ばに、湖があるのを見つけた。

 俺が『池』と呼称して、水を汲んだり魚を捕ったりしていた場所だ。

 水が寄せる岸……というより、地面のすぐ傍に、朝潮はうつ伏せになって横たわっていた。

 緩やかに上下する肩。腕で隠れた顔は、きっと穏やかではないにしても、苦しんではいないだろうと予想できた。

 

「朝潮!」

 

 胸を撫で下ろしている場合ではない。もっと正確に彼女の無事を確認しなければ。

 それに、警戒もしなきゃ。レ級の姿が見えないのはおかしい。あいつが俺をここにおびき寄せたのに、朝潮をほったらかしにするなんて……。

 

「っ!」

 

 彼女に駆け寄ろうとした俺の足下に、何かが飛んできた。地面とぶつかってグシャリと潰れ、液体と固体を撒き散らしたのは……リンゴモドキ。当たらないように急停止したはいいものの、果肉片がブーツに飛び散って来たのに、眉を寄せた。

 

 と、今度はもっと重いものが落ちてきた。

 ズドンと地面を揺らして、ゆっくりと上体を起こしたのは、レ級だった。

 

『ヨォ。遅カッタナ』

「……!」

 

 一歩下がって構えを取り、もう一歩下がって腰を落とす。牽制に、砲ちゃんを片手で突きだせば、奴は眉を動かして、腕を広げた。撃ってみろ、とでも言いたげだ。

 ……脅しにもならないか。それもそうだ。相手は戦艦だし、直撃したとしてどれほどのダメージが見込めるだろうか。そもそも、どうせ俺が撃ったって当たりっこない。奴の後ろにいる朝潮に被害が行く可能性も高い。

 だったら……。

 砲ちゃんを持つ手を下げて、地面に近付ける。あとは彼女自身に飛び降りてもらって、後ろに控えさせた。どうせなら、連装砲ちゃん達には自由に戦わせた方が、きっと当たる確率は高いだろう。

 再度握った両拳で、構えをとる。レ級は眉を寄せて、面白くなさそうに口を歪めた。

 

『……格闘シヨッテノカイ、オ前』

「だったら何」

 

 鋭く聞き返せば、レ級は肩を竦めて、すぐ後ろに転がる朝潮を見下ろした。

 

「――!」

 

 何かするつもりなら、すぐにでも殴り飛ばしてやろうと足に力をこめ、奴の動きを注意深く見る。だがレ級は、朝潮には何もせずに、俺に視線を戻した。

 

『オ前……何シニ来タンダ?』

「は? その子を助けるために決まってんだろ」

 

 馬鹿みたいな問いかけだった。

 意味わかんない事聞くんじゃないよ。お前が俺を呼んだんだろうが。進化だかなんだか言って、わざわざ朝潮を(さら)ってまでして。

 

「なに、あんた出前でも頼んでたわけ? 残念だったね、私で」

『ソウダナァ。オ前ジャ腹ノ足シニモナラナソウダシナ』

「……試してみれば?」

 

 小馬鹿にするような笑みを浮かべるレ級に苛ついて、地を蹴って突進する。

 踏み込んで、前蹴り。駆逐級くらいならこれで粉砕できるはずだけど、レ級は難なく腕で防いでみせた。黒い布に食い込んだヒールは、その布さえ傷つけるに至らない。膝曲げて足を離し、頭を狙っての上段蹴り。

 それもまた、腕で防がれた。

 

「!」

 

 直立した体勢のまま、レ級が尻尾を振るう。巨大な異形が一個の生物のように口を開けて迫るのを、咄嗟に背を反らす事で躱した。胸の上を過ぎ去っていく尻尾に、ブリッジするようにして地面に手をつき、レ級を蹴りつけてバク転する。

 着地した俺の前でレ級が跳ね上がり、後方の湖へと下り立った。派手に水飛沫が撒き散らされて、大きな波紋が広がり、地面を濡らす。朝潮から離れたレ級を狙って、連装砲ちゃん達が一斉に砲撃した。連続数発。けたたましい破裂音と直撃音が何度も響いて、黒煙がもくもくと膨れ上がる。

 

『無駄ダッテ言ッタダロ』

 

 効いてない……!

 煙が晴れれば、レ級は、少し後退してはいたものの、無傷だった。

 どんな手品があるのか知らないけど、こいつにはやっぱり、砲撃は効かないのか。

 

「く……ぅ」

「朝潮っ!?」

 

 傍で聞こえた呻き声にはっとして、見れば、朝潮が身を起こそうとしているところだった。地面に肘と腕を押し付けて、息をし辛そうにしている。

 

『余所見シテテ良イノカ?』

「っ、……?」

 

 何してんだ、あいつ。

 奴の声に慌てて向き直れば、あいつは、晴れゆく煙の中でただ立っていた。でも、そっちじゃない。レ級じゃないんだ、変なのは。

 尻尾が、湖面に口を突っ込んでいた。口を開閉させ、ばしゃばしゃと水を跳ねさせて……ゴク、ゴクって、……飲んでる?

 口の端から涎みたいに水を垂らし、際限なく湖の水をがぶ飲みする尻尾に目を奪われていると、レ級が腕を持ち上げるのが視界の端に見えた。伸ばした先に、二本指。あれは……っ!

 

「ううっ!」

 

 足を開いて、朝潮の前に体を晒す。腕を広げて庇う体勢が整った時、奴の指から水が噴出した。

 圧縮された水のカッター……水圧カッター。左肩から入り、右手の先の手の平まで……指の腹まで裂いていったのは、ただの水のはずなのに、服が破れた。

 受けたダメージを体中に分散させる事でやり過ごそうとする生体フィールドの限界を超えたのだ。中破か大破か。土を削り飛ばして、レ級が腕を振るままに薙ぎ払われた水が止まると、がくんと体が落ちて膝をついた。

 

 冷たいよりも熱い。痛いより、キツイ。きゅうっと傷口が疼く感覚がして、それから、くすぐったさ。肌の上を何かが伝う、どろっとした感覚。

 

「……!」

 

 ……露わになった肌……体に入った横線から、血が溢れていた。

 傷を目にしてしまうと、体の中と外とが激しく痛みだす。歯を食いしばって耐えようにも、心臓が脈打つのに合わせて何度も痛むから、喘ぐような声を出してしまった。

 思わず裂傷を押さえた手の、親指と人差し指の間に溢れた血が、手の甲を滑り落ちていく。赤い染みの臭いが鼻をついた。

 

『ヤッパ、硬イナオ前』

 

 腕を下げたレ級が感心した風に言って、湖面に尻尾を叩きつけた。

 パァン、と大きな音がする。それは、威嚇だとか、そういうのじゃなくて、癖とかそういうものなのだろう。

 

『デ、進化シナイノ?』

 

 余裕たっぷりに言うレ級の声は、少しの間、遠くに聞こえていた。

 

「はっ、はっ、……っ、はぁ、ふ」

 

 たった一撃貰っただけなのに、どくどくと主張する血液の流れが、眩暈に似た症状を呼ぶ。足や腕の感覚が一瞬なくなったりして、体がふらついた。

 

「んっ……、はぁ……!」

 

 ……大丈夫、このくらいの傷、なんて事ない。血だって、最近全然見てなかったから、びっくりしただけ。こんなの、ほっといても治る。

 ん、オッケー。ほんとに、もう大丈夫だ。

 たん、と傷を叩いてから、立ち上がって、レ級を睨みつける。……叩いた胸が滅茶苦茶痛いけど、気にしない。噛みしめた歯の隙間から漏れ出る息を、んく、と飲み込んで、もう一度、肉弾戦のための構えをとる。

 隣に、朝潮がよろめきながら並び立った。

 

「朝潮、大丈夫なの……!?」

「は、い……問題ありません……!」

 

 彼女の右手の砲も左手の魚雷も、損傷はない。朝潮本人にだって傷は見られない。戦えるといえば戦えるだろうけど、ふらついていて心配だ。砲を持ち上げ、レ級へ向ける朝潮にばかり注意をやってはいられない。俺もレ級を見据えて、いつ水圧カッターがきても良いように心構えをした。

 

『ウェイクアップフィーバー!』

 

 待つだけじゃ、ないけどね。

 胸元に掲げた左腕の端末、その上部のでっぱりを引く事で羅針盤システムを呼び出し、必殺技を決定する。胸の奥の深い場所から響いた島風の声が、俺を後押しした。顔の前で交差させた腕を開きながら、足に力を込めて、前方へ跳躍する。

 

『マタソレカ』

「だぁーっ!!」

 

 呆れたようなレ級の声を塗り潰すように声を張り上げ、俺は、両足キックの体勢で突っ込んでいった。




TIPS
・孤島
一話辺りからいた場所。

・『あの人』
番外編にて登場した刑事、泊進ノ介(とまりしんのすけ)

・二階建ての家
ほとんど木造。工廠妖精さん達の作品。
応接間からは地下へ行く道があり、工廠妖精さんの仕事場に繋がっている。

・夕張さん
技術者特有の超速理解。

・サイバロイドムーンブレイク
駆逐級なら助走なしで撃破する事ができる。

・水圧カッター
メタルg(省略。
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