島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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法事でどたばたしてました。
更新再開します。

ちょっと支離滅裂な内容になってるかも。



次の更新は1月23日(土)の夜を予定しています。
(数日単位で遅れが出る場合があります。あらかじめご了承ください)



   小話『越エテハイケナイ一線!』

 海水浴場には、穏やかな波の音が満ちている。

 大きく開いたパラソルの下、白いミニテーブルを挟んで、提督である藤見奈仁志と秘書艦の電が、ぽつり、ぽつりと言葉を交わしていた。

 たとえば藤見奈が投げかけるのは、「仕事をしないでいる時間とは、なんともむず痒いものだ」だとか、「波が穏やかだな」だとか、「良い天気が続いているな」だとか、他愛もない、普通の言葉ばかりであった。

 電は退屈した風もなく、はい、はいと小さな声で返事をして、藤見奈と一緒に青い海に目をやっていた。

 海も、風も、波も、天気も、何もかもが穏やかで、藤見奈と電の間に流れる空気もまた穏やかだった。

 八年。

 それが、二人が共に戦ってきた期間。

 常に、とまではいかないが、立場柄一緒にいる事が多く、寝食を共にした事も少なくない二人は、熟年の夫婦のような雰囲気があった。

 あくまで、雰囲気だけだ。

 二人はそういった関係ではない。今年二十六になる藤見奈は、未成年の頃から付き合いがある電は、妹のようなものだと思ってた。

 ……最近までは。

 

 半年前か、それとも一年前か。

 自分で気づかない内に、藤見奈は電に想いを寄せるようになっていた。ある日突然に、というよりは、うっすらとしたものが、少しずつ表面に浮かび上がってきたのだった。

 時代が時代だし、立場もある。藤見奈は、提督という面の中に恋慕を隠して過ごしてきた。

 日常の様々な場面で言葉を交わし接触していた電には彼の気持ちはお見通しで、それは藤見奈も感じている事であったが、まるで示し合わせたかのようにお互いそういう話題は出さなかった。

 意識はしている。

 意識されている事も、知っている。

 言葉にせずとも、想いは通じ合っている。

 当分の間、藤見奈はそれで満足だった。

 本来なら出会う事のできない艦娘と出会い、同じ時間を過ごす事ができた。関係も悪くない。

 だが、気持ちが移ろい、それだけで満足できなくなってきた。それでも藤見奈は何も言わず、普段の振る舞いを続けた。心の奥底では、明確な言葉を欲しながら。

 それは自分の役目であるのではないか。時折、ふと藤見奈はそう思う事があった。

 自身が持つ感情を最初に口にして伝えなければならないのは、自分ではないのか。

 今までは、形にしなくとも察してもらえて、だから、それでよかったのだが、結局、直接話さなければ何も変わりはしないと、そう気づいた。

 しかしその想いが頭を過るたびに、今は戦時下で、自分は提督で、彼女が艦娘だというのが、はっきりと浮かんできた。

 逃げ、だったのかもしれない。

 拒絶されるのが恐ろしい。気持ちのズレがあるかもしれないのが恐ろしい。

 もし、嫌いだなどと言われてしまったら、藤見奈は仕事に手がつかなくなり、籠ってしまうかもしれないと思った。

 だからそれらを理由にして、いつまでも一歩を踏み出せないでいた。

 

 世の提督方は、ケッコンカッコカリなるシステムで艦娘との絆を深め、その在り方を認め受け止める事でさらなるパワーアップを促しているという。

 誰が名付けたシステム名かは知らないが、藤見奈は、これならば本当の気持ちがわからずとも、ここまで親しい彼女との間に、仮のケッコンという絆を紡げるのではないかと考えた。

 そう思い至った時の藤見奈は、それは躍りださんばかりに上機嫌になったが、我に返ると、また二の足を踏み始めた。

 システム名が良くない。

 カリとはいえ、ケッコン。

 ただ想いを告げる事にすら躊躇するのに、そんな大事を言い出せるはずがない。

 想像は、できる。

 泰然とした顔をして、指輪を渡し、より強くなろう、と激励する自分の姿。

 現実となると、そう上手くはいかないだろう。

 渡す指輪の検討などつかないし、渡す時には手も腕も体も震えているだろうし、何より表情は緊張でぐちゃぐちゃだろう。

 というか、渡す事ができずに引き出しにしまいっぱなしになるかもしれない。

 ああせめて、ケッコンではなくコイビトカッコカリだとかなら、まだ勇気が持てたかもしれないのに。

 憂鬱な溜め息を吐き出す藤見奈に、電は、いつもの自信なさげな表情を向けて、目を瞬かせた。

 体調がすぐれないのかと心配しているのだ。藤見奈には、すぐに彼女の言いたい事がわかった。

 だから、少しずり下がっていた背中を背もたれにつけ、姿勢を正し、表情を整えた。

 せっかく遊びに来ているのに、無駄な心配はさせたくない。そう思っての事だったのだが、彼の気遣いは、電にも手に取るようにわかっていた。

 こんな事が、今まで幾度も繰り返されてきた。

 そうすると、わかり合えてしまうというのも問題かもしれない。言葉にしなくても言いたい事がわかるから、必然的に会話が減っていって、それが当たり前になる。

 いざ、絶対に口にしなければならない事があっても、普段がそうだから、なかなか言い出せなくなってしまっている。

 それが余計に藤見奈を苦しめていた。

 

 ザザァン、と涼しげな音が耳をくすぐるのに顔を動かし、煌めく波を見やった藤見奈は、だから踏み出すのが怖いのだ、と自分に言い訳をした。

 いつまでもそれでは、始まるものも始まらない。

 気持ちが通じ合っているからといって、言葉にしなければ、彼女の心を動かす事はできない。

 わかってはいるのだが、どうしても、藤見奈は行動に移す事ができなかった。

 

 時々、『前進しなければ』という意識が強まる時がくる。だがそんな時に限って、何か大変な事が起こるのだ。

 朝潮がいなくなったり、かと思えば島風を連れて帰還したり、遠い出来事だと思っていた神隠しの霧が襲いかかって来たり、また朝潮がいなくなったり。

 誰が悪い訳でもない。強いて言うなら、強い気持ちを持続できない藤見奈が悪い。

 タイミング悪く事件が起こって、対応に当たって、後処理に奔走して、報告の内容に悩んで。

 そうしていうるちに、いつの間にか『前進しなければ』という気持ちが消えていて、普段の関係で満足してしまうのだ。

 

「具合が悪いのですか?」

 

 電の声に、藤見奈は悪循環していた思考を放棄して、自分を窺う少女の顔を見た。

 金色の瞳は、心配しているという気持ちを、雄弁に語っていた。

 

「いや……。大丈夫だ。ただ、今日はちょっと暑いな」

「そうですね。昨日より2℃高いらしいのです。今日は一日中晴れているのです。だから、きっともっと暑くなると思うのです」

 

 いつの間にか、また少しずり落ちていた体を戻して答え、ついでに気を逸らす言葉をつける。電は、それに乗っかって、温度の話から、天気の話に繋げた。もちろんそれは、藤見奈を気遣っての事だ。

 あまり触れて欲しくないだろうと感じた電の、ほとんど無意識下の言葉。当たり前の動き。

 そうなるくらい付き合いが長く、深かった。

 

 会話が途切れると、二人の間に沈黙が下りた。

 それは決して不快なものではなく、お互いが自然体でいられるような、心地の良いものだった。

 これだから藤見奈は現状に満足してしまうのだ。この居心地の良い今の関係を壊すような一歩は、とてもではないが踏み出す勇気はなかった。

 

(いかんいかん)

 

 強い光を照り返す砂浜に目を向け、白んだ視界に頭を振って、藤見奈は消えかかっていた『前進しなければ』という感情を引き戻した。

 最近は物騒な出来事が続いている。それゆえ、彼の心も、この先の関係を強く求めるようになっていた。

 お互いにいつ死んでもおかしくないと、現実に認識し始めたのだ。

 鎮守府まで乗り込んでくる強大な敵。それは海にうようよといて、もしそのすべてが霧に紛れて押し寄せてきたら、いくら精強な少女達が守る地といえど、長くはもたないだろう。

 そうなる前に気持ちを伝えたいし、もっと深くまで通じ合いたい。それが藤見奈の望みだった。

 

 気を取り直してみても、やはりそういった話題は出し辛く、二、三言葉を交わすと、また黙って海を眺めるのに戻ってしまった。

 

「司令官さん」

 

 ただ一言「好きだ」と言えない自分に悩んでいれば、電が呼びかけた。

 

「司令官さんと初めて会ったのも、こんな青い空の広がった日だったのです」

 

 唐突だった。

 電が、ゆっくりとした語り口で話し出したそれは、藤見奈にとって突然のもので、しかしすぐに、昔に想いを馳せられるような自然さもあった。

 

 夏の日。

 入道雲が空の端っこからのそりと出てきているような青空の下で、藤見奈と電は出会った。

 

 『良い天気、ですね』

 『良い天気、なのです』

 

 第一声は、当たり障りのないものだったのを、藤見奈はよく覚えていた。

 

 古い記憶も呼び起こされる。

 順を追って、次々と頭の中に浮かべていく。

 

 藤見奈仁志は、民間からの抱え上げだった。

 全国に実施された一斉検査で自分に資質があるのを知った。

 艦娘を見たのもその時が初めてだ。不知火が肩に妖精を乗せて、集まった人間と言葉を交わした。その地区で妖精が見えていたのは、藤見奈と他の二、三人程だけだった。一緒に参加した藤見奈の友人は不適正で、道を違える事となった。今は別の基地で、特設海上防衛隊の一員として、世のため人のために働いているだろう。

 

 藤見奈は、その時、不知火が艦娘だなどとは夢にも思っていなかった。子供にしては凄く落ち着いていて、かわいいというよりは綺麗だと感じたけど、背丈や体躯からどうみてもこの場にいていいような大人ではないと思っていた。

 だから藤見奈は関係者のお子さんだろうと結論付け、肩に人形を乗せているなんて、変わった子だな、なんて能天気に考えていた。

 整列する自分の前に不知火がやってきて、じぃっと睨み上げられていた時は、彼の中から子供だなんだという認識は消え、必死に妖精さんを見て彼女の視線から逃れていたのだが、不知火に見上げられた人間は、ほとんど誰もが同じような反応を示していた。真っ向から目を合わせるのは一握りで、だから、藤見奈が特別小心者だった訳ではないのだ。

 

 晴れて適正のある人間と認定され、後日呼び出された藤見奈は、小さな体育館のような場所へ向かった。そこには海上防衛隊の高官が訪れ、集まっていた数少ない提督候補に自ら説明とお願いをしていた。

 人類の未来のために力を貸して欲しい。要約すれば、短くわかりやすい要求であったが、当時藤見奈は、これにいたく感激した記憶がある。

 体格も良く、いかにも頑固で厳しそうな男が、静かに語った言葉は予想以上に姿勢が低く、あくまでお願いの形を取っていた事に、その時初めて自身に特別感を抱いたのだ。だから気持ち良く提案を受け入れた。

 唯一いた女性の提督候補が辞退を申し出ても、その男は渋りもせずに許した。

 女性が出て行ったあとで、改めてそれぞれの紹介と、艦娘の詳しい説明があった。その後の提督候補の身の振り方もある程度教わった。

 

 この時、藤見奈は十六歳だった。

 

 二年ほど育成校に所属し、現在判明している敵の姿や特性、かつての大戦で戦った艦艇の事や、提督の仕事をこなすための下地作りが行われた。

 全国の人間が一ヶ所に集められているのに、同期は少なく、後輩もまた少なかった。途中でやめる者はいなかったが、何度か艦娘が実際に力を見せてくれた時に、怖くなったのか泣いている者などもいた。

 藤見奈も、人間と違う力に恐ろしくなりはしたものの、それよりも艦娘の姿を教えられていない事に疑問を抱いていた。

 結局卒業するまで、藤見奈は数人の艦娘しか知る事ができなかった。

 

 彼が配属された地は、生まれ過ごした場所から遠く離れていた。

 七月の半ば、陸路で海に面した鎮守府へ運ばれてきた藤見奈は、最初、基地内の物々しさに目を移ろわせて、気がつけば艦娘達が住まう地へ足を踏み入れていた。

 少ない荷物を手にし、運転手に礼を言って歩き出した藤見奈は、正面に見える立派な建物を見上げ、それから、入り口の前に立つ小さな少女に視線を向けた。

 

 初めて電を見た時、藤見奈はひどく驚いた。不知火という艦娘がいたから、子供の姿の艦娘もいるだろうとはわかっていたのだが、その艦娘より一回り以上も小さい電を見て、こんな子まで戦わせているのか、と慄いた。

 そして同時に、得も言えぬ、何か大きな感動がわきあがってくるのを感じた。

 幼い子供が立派に執務をこなしているのだから、自分も頑張らねば。そう思ったのだ。

 

 彼女が秘書艦であろうか、そう当たりをつけながら近寄ったは良いものの、胸に両手を押し当てて俯きがちになっている少女にどう声をかけて良いものかわからず、藤見奈は困り果ててしまった。

 名前を知っていればまだ違ったのかもしれないが、あいにく藤見奈には、目の前の茶髪の少女が、いったいかつてのどの船の現身なのかがわからなかった。

 どころか、これからどこに行き、まず何から初め、何をしていけば良いのかもいまいちわからなかった。

 必要な仕事の知識はある。艦隊運用の訓練もしている。しかし、とっかかりがない。ゆえにどうしたら良いのかがわからない。

 そのための秘書艦だ。

 藤見奈は、目の前に立つ、お腹程までの背丈の少女は、見た目と裏腹にずっとしっかりしているだろうと考え、彼女に期待を寄せた。同時に少しの尊敬の念も抱いた。 

 

 実際は違った。

 右も左もわからない新人であった藤見奈と同じで、電も建造されたばかりだったのだ。不安にしているのは、何も日頃からそうであるからというだけではなかった。

 初対面であったから、自分に対して人見知りをしているのも、藤見奈はなんとなく察した。

 お互い新人で、新たな地に環境に戸惑っている。それでも秘書艦と提督だ。藤見奈と電はすぐ執務にかかろうとして、そこで気付いた。いったい何をどうすれば良いのかわからない。結局そこに問題がいきついた。

 少し言葉を交わして自己紹介を済ませた二人は、とりあえず正面の建物に入り、広いフロントに出た。立派で綺麗なカウンターまでの道。部屋内は閑散としていて、人がおらず、受付まで無人だった。

 それもそのはず、前任の提督が引退すると同時、ここに所属していた艦娘の多くが別々の場所に移り、残っているのはほんの一握りだけだった。

 そんな訳で、案内してくれる人もいなかったのだ。

 出迎えてくれたのは電ただ一人。

 前の提督が使っていただろう執務室は、綺麗さっぱり片されていて未開封のダンボールが積み重なっているだけだったし、資料や何かは積まれているし、そうしている間にも妖精が挨拶にやってきて、もう何から始めれば良いのかわからなくなって右往左往した。

 それで、藤見奈と電は、二人で何をするか考え始めた。さっぱりした部屋の床に直接座って、頭をつっつきあわせて、うんうん唸って頭を悩ませた。

 まずはみんなへ挨拶に行こうと言ったのは、電だった。藤見奈は賛成して、二人で、数少ない艦娘達へ、一人一人に挨拶をしていった。みんな良い子だった。ただ、新たな提督が着任した事は知らず、通常通り遠征に出たりしていたので、その時鎮守府にいた艦娘の数は片手で数えられるくらいだったが、直接彼女らと顔を合わせ、言葉を交わす事で漠然とした鎮守府への不安は払拭さた。おまけに藤見奈も電もみんなに顔が知れて、この鎮守府をぐっと身近に感じられるようになり、自然と打ち解けた。

 しかし結局その後は、やっぱり何をすれば良いかわからず困って、艦娘に聞いても、提督の仕事はわからないという答えしか返ってこなかったのだ。前の秘書艦は前任の提督と共に退役している。引継ぎの資料などがあるらしいが、いったいどこにあるのかもわからないようだった。

 まずはそれを探そうという話になり、執務室に戻った。そこへ遠征から戻ってきた由良が報告に訪れ、流れで手伝ってくれたのだった。秘書艦になった事はないらしいが、彼女は最初期から生きていた艦娘で、鎮守府等が再びできる前から働いていた。そのため、正確ではなくても、おおよその仕事の内容は知っていたのだ。

 彼女に色々と教わりながら、藤見奈と電は二人三脚でやっていった。ちょっとした失態はあったが、今まで、概ね順調にやってきた。

 病める時も健やかなる時も……そう、これからだって、藤見奈は彼女と寄り添い合って生きていきたいと思っている。

 だから、電に言った。

 

「俺と結婚してくれないか」

 

 と。

 過去に想いを馳せていたら、驚くほどすんなりと告白の言葉が出てきたのだ。

 電は、驚いたりはしなかった。

 ただ、嬉しそうにはにかんで、頷いた。

 彼女は待っていたのだ。彼が気持ちを打ち明けてくれるのを。

 

「……ぉ、ああ」

 

 その事に逆に藤見奈が驚いてしまって、慌てて内ポケットを探ろうとして、今は上着を着ていないのを思い出し、一言断って席を立った。

 車まで走り、運転席に畳まれて置かれていた小さな箱を取り出すと、パラソルの下にとって返す。

 彼が持ってきたのは、指輪だった。

 さすがに電も、目の前で開かれた箱の中に煌めく物を見つければ、目を丸くせずにはいられなかった。

 まさかそこまで用意されているとは思わなかったのだろう。

 藤見奈自身、気が逸って買ってしまった指輪に使い時はないと思っていた。

 なにせどんな物を買えば良いのかわからなかったし、電がどんな指輪が好きかもわからなかったのだ。

 しかしいざ購入すると、指輪の入った赤紫の上品な箱は、この上なく大切な物のように思えて、以来肌身離さず所持していた。

 だから今、こうして渡す事ができた。

 

「ありがとう、なのです」

 

 潤んだ瞳が、斜光に照らされた白い肌と相まって、傘の下の暗がりの中で、宝石と同じくらいに輝いている。

 電は、指輪を直接受け取ろうとはせず、左手を持ち上げて、藤見奈に差し出した。

 察した藤見奈はすぐさま箱から指輪を抜き取り、そっと彼女の手を取って、薬指に通した。

 緊張の瞬間だった。

 もしサイズが合わなければ、この場はそれで終わりになってしまうだろう。

 せっかく形になった気持ちも崩れて、いつものような関係に戻ってしまうだろう。

 気のせいか、二人の手は震えていた。

 

 はたして、サイズはぴったりだった。

 

 緩やかに顔を上げた電が、藤見奈の顔を見上げる。

 つぅっと頬を涙が伝い落ちると、彼女は俯いて、左手を胸へ抱え込んだ。ぎゅうと、強く、とても大切そうに。

 暫くの間は、どちらも喋らなかった。今この瞬間を心に刻みつけるみたいに、黙っていた。

 

「司令官、さん」

 

 やがて、電が顔を上げると、湿っぽい声で呼びかけた。

 手を握る手に力がこもっている。何か勇気がいるような事を言おうとしているのは明白で、藤見奈も身を硬くして、一字一句聞き逃すまいと身構えた。

 

 「ぃ――」

 

 電も。

 おそらく、そう口にしようとしたのだろう。

 だが、彼女の声に被さるように、大きな水音がした。バラバラ、バタバタと海面を打つ音。リベッチオの悲鳴。

 

「なんだ……?」

 

 遠い場所から聞こえてきた異常な音に、藤見奈が身を乗り出して確認すれば、離れた海の上に深海棲艦が現れているのが見えた。

 もはや先程の言葉の続きを待っている場合ではなくなってしまい、結局その日、藤見奈は電と業務以外の会話をしなかった。

 

 翌日に、上に呼び出された藤見奈は、報告のために、電を連れて遠路を行き、俗に大本営と呼ばれる施設へ向かって、何人もの上官に今回の事を報告した。

 海休暇中の襲撃は、手柄として藤見奈の経歴に加えられた。深海棲艦の侵攻をいち早く察知して防いだ、と、そういった解釈になった。

 なったというからには、その前は違った解釈だったのかといえば、その通りである。

 最初は、藤見奈が敵を招き入れた愚か者として処遇を決めるといった頭ごなしの始まりであったが、共にきていた海棠とその秘書艦の曙、そして藤見奈の秘書艦の電の直訴に、なんとか良い方向へと向かわせる事ができた。

 なぜ藤見奈が悪い事になっていたかは誰も黙して語らなかったが、簡単に意見を翻したところを見るに、早とちりか、勘違いか、はたまた焦りによる独断であったのではないかと推測されるが、危機一髪だった藤見奈は胸を撫で下ろすばかりで、そういった何やらまで考えが及ばなかった。

 

 近場のホテルで一泊した折、藤見奈と海棠は、今回の深海棲艦の出現について、そして、これまでの事件や規則性についてを改めて話し合った。

 というのも、海棠は何かきな臭いものを感じたというのだ。

 上は何かを隠しているのではないか。そういった話から始まり、部屋で休ませているお互いの秘書艦との進展に続き、神隠しの霧に収束した。

 

「そのレ級とやら、まるで他の何かの意思の下に動いているように思えるな」

 

 霧に潜む強敵、戦艦レ級。

 シマカゼや朝潮を通して伝えられた敵の言動を藤見奈が話せば、海棠は開口一番そう言った。

 それは藤見奈も感じた事だ。

 しかし、何者かなど考えてもわかる訳がない。

 まさか深海棲艦に指揮官などいないだろうし、敵に意思があろうとも、ほとんどのモノとの会話が成立しないのは、多くの艦娘が報告し、周知の事実となっている。

 唯一会話可能な姫級や鬼級といった大型は、大規模作戦の下に出遭う事が多く、そんな時に悠長に会話などできない。会話を試みれば、それだけで甚大な被害を被る事になるだろう。傷つくのは現場で戦う艦娘なのだから、藤見奈は、誰にもそういった命令や頼み事はできなかった。

 

「バックに何がいるかわからないのは不気味だが……つーか何もいないかもしれんが、なんだろうな、こう、さ。……な?」

「言いたい事はわからんでもないが、もう少し纏めて話せ」

 

 右膝をがくがくと揺すりながら、どこか苛立たしげに話す海棠。不透明な敵の背景や目的がわからずストレスを溜めている。

 敵が正体不明なのは今に始まった事ではない。鹵獲した深海棲艦の解剖による分析では、生物と非生物が混じり合い、しかし既知の成分のみで構成されている事がわかっている。逆に言えば、それしか判明していない。というより、一般の――すべての――提督に知らされているのは、敵はこの世のものだ、という一つだけだ。

 

 二人の間で話が進むと、レ級の言動に不審な点が散見される事に気付いた。

 

「不要だ不要だっつって艦娘を攻撃するのはわかるけど、同じ深海棲艦も攻撃してるみたいじゃないか」

「神隠しの霧は艦娘を攫う事で有名だが、たしか……交戦中の敵も霧に飲まれて消えた事があると、前に取り寄せた資料にあったような気がする」

 

 話せば話すほどおかしな点が浮き彫りになっていく。それは主に、レ級が味方であるはずの深海棲艦まで頻繁に害していたらしい事だ。

 もとより不気味な存在だから、藤見奈が見逃していた事柄は多く、この場だけでは憶測が多くなってしまい、また、正確な資料が手元にある訳でもないから、記憶頼りの会話は継ぎ接ぎが多かった。

 何もなしに話していても埒が明かないとし、その日は中途半端なところで強引に会話を終わらせ、二人は一旦(いったん)離れて、自分の秘書艦と思い思いに過ごした。

 

「藤見奈。例の件、もう一度話し合わないか」

 

 十月の半ば頃に、海棠から連絡が入った。

 海休暇の時に聞き逃した電の言葉の続きが未だない事に悩んでいた藤見奈は、気分の入れ替えも兼ねて、自分の足で掻き集めた神隠しの霧に関する資料を持参し、海棠との話し合いに(のぞ)んだ。

 

 各鎮守府や泊地、基地にある資料には、個々の艦娘からの報告以外にも、日誌に書き止められた何気ない言葉や、その日戦場で見聞きした事が記された貴重な物が多く、そういったものをお互い持ち寄った。

 そこにはやはり、レ級が敵を害した事への艦娘の言及や、神隠しの霧が艦娘を素通りして優勢だった敵を攫っていった事も書かれていた。

 何人もがそういった事柄を見聞きしているのに、なぜこれらが取り沙汰されないのかは、考えずともわかる。そんな余裕はないからだ。

 常に日々、敵との戦いが続いている。敵同士で潰し合ってくれるならば理由など追求する必要はなく、放っておけば良い。

 だから、その情報は多くに行き渡らなかったのだろう。神隠しの霧については、艦娘を襲う不気味な怪現象としての側面だけが注目され、それを操るレ級の存在が浮かび上がっても、なんの考察もされなかった。

 あるいは誰かが考えたかもしれない。奴は何者なのか。霧とはなんなのか。

 ……どちらにせよ島風の前へ現れたレ級が彼女の手によって倒されたところからして、誰かが考察したとしても、それはただ考えるだけに終わっているだろう。

 

 閑散とした会議室、ドーナツ型の机についた藤見奈は、空間上に照射されている巨大な光化学モニターを見上げ、思い悩む様子で唸る海棠の顔を眺めた。

 霧の事はもういい。レ級は消えた。

 今問題にしなければならないのは、霧がなくとも現れる強敵の事だ。

 あの海岸が危険なのかと思った藤見奈は、海休暇を終えてもその海域を集中的に警備したが、あれ以来敵の姿は認められていない。神出鬼没の深海棲艦と霧は関係ないのか。だが、藤見奈の下へレ級が現れた時、レ級の操る霧の中から数多の敵が現れた。霧が敵を運ぶのは間違いないし、一人の艦娘からの報告からも、霧には転移の門の役割がある事がわかっていた。

 レ級の目的。その背後。霧の能力。その役割。そもそも深海棲艦の目的……。

 考える事は多いのに、判明した事は酷く断片的で、しかし一つ一つの情報が大きすぎる。パズルのピースというには手に余るほど巨大で、飲み込むには少々時間がかかるだろう。

 思考を整理し、一度問題を脇に退けた藤見奈がモニターを見上げれば、海棠があっと声を漏らして、呟いた。

 

「戦わない艦娘は不要で、強い艦娘を倒そうとする深海棲艦も不要で、強くなりすぎた艦娘も不要……」

「……それは」

「戦いに不要なのではなく、戦い続ける事に不要って事なのか?」

 

 核心に迫る一言。

 海棠の言葉は、『邪魔者は戦闘続行に不要』という意味ではない。

 『戦い続けるには、それらは邪魔なのだ』、と、そういった考えの下に出てきた台詞だった。

 

「戦いを、続ける……」

「レ級自身の考えか、バックにいるかもしれない何者の思考か、はたまた見えざる神の思惑か……」

 

 なあ……この戦争は、いつまで続くんだ?

 

 藤見奈の耳に、海棠の声が重く響いた。




TIPS
・電
最近自分の気持ちの正体に気付いた。
たぶん提督と同じタイミング。

・提督
セオリーに則り給料三か月分をつぎ込んで購入した指輪。
魔法石から削り出した訳ではない。

・海棠
割と曙と上手くやっている。
提督が資質がなければなれない存在でなければ、
その軽薄さと問題行動でとっくに叩き出されているだろう。
たまに鋭い思考をする事があるが、あまり活かされる事はない。

・レ級
ピチュった。


泣いてる。
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