朝潮さんのここがヘン! と思ったら是非教えてください。マッハで改善します。
「起きて! ねえ、大丈夫!?」
波に体を揺さぶられる中で、腕の中でぐったりとしている彼女へと呼びかける。息も絶え絶えで、途切れ途切れの声に、彼女は僅かに閉じた目を震わせて……。ああ! よかった、まだ生きてる!
「気をしっかり持って! 大丈夫だから!」
意味の通らない言葉を彼女へとかけながら、砂浜へ向かって泳いでいく。粘ついた潮風と光を反射する海面。この上に立って走った方が速いか。いや、彼女を引き上げる事ができそうにない。
ちかちかと頭の裏で明滅する危機感と焦り。跳ねる水が顔にかかって、汗みたいに流れ落ちていく。やっとの思いで浜に辿り着き、彼女を抱えたまま砂の上にあがった。
水を吸って重くなった服越しに風が当たると、すぐに体が冷えてしまいそうだと感じた。頭頂部なんかは太陽のせいで熱いのに、体は寒い。それに、肌に張り付く服の感触が気持ち悪かった。
防護フィールドなしでも軽々と抱えられる彼女の両腕を掴んで立たせようとすると、びくっと身を震わせた朝潮は、次には激しく咳き込んでよろめいた。鳩尾辺りの服を掴まれ、引き下ろすように引っ張られる。うまく体勢を安定させられない様子の彼女の腰を抱き寄せて、俺の体に寄りかからせた。
彼女が腕を持ち上げようとするのに、腕を押さえていた手を離せば、縋るように肩を掴まれた。ぐっと力がこめられると、彼女は緩慢に顔を上げて、俺の顔を見てきた。
「――……」
何かを言う素振りもなく、彼女はそのままふっと力を無くして、またぐったりとしてしまった。
だらんと落ちた腕の艤装に彼女の体が引っ張られてしまうのを
様々な感情が胸の中で交錯して、何を言う事もできず、感じられなかった。
ただ、帰ろう、とだけ考えて、彼女を抱き上げ、家路を急いだ。
◆
艤装を外して――艦橋から伸びる青い帯は、千切れていた場所どうしを結び付けられていた――再び、彼女を自分の寝床に寝かせ、体を拭いてやるために布を用意していると、彼女の体に取り付けられたままの壊れた艤装からのそりと妖精さん達が這い出てきた。
どこか申し訳なさそうにしている妖精さん達を見下ろしていれば、不明瞭な意思が飛んでくる。……これは……言い淀んでいるのだろうか? 躊躇いがちに口元に手をやっている二人を見るに、その認識で間違ってなさそうだ。おずおず、という擬音――この場合は、ぎ……ぎたいご? が正しいのだろうか――が出ていそうな二人の様子に溜め息を吐いて、しゃがみこむ。腹に張り付いた服の冷たさが肌に染みた。
「どうしたの」
何をそんなにおどおどしてるの、と呼びかければ、申し訳ない、と端的な謝罪。なぜ俺に謝るのかわからない、と返せば、俺の献身に報いず、裏切るような行いをしてしまったと詫びてきた。
……献身なんて大袈裟な。いや、これは俺が勝手にそう読み取っているだけか。実際はどういう表現をしているのかわからないけど、彼女達の八の字眉を見ていれば、相応に心苦しく思っているのだろうと察する事ができた。……今日だけで俺の観察眼というか、そういうスキルのレベルがかなりアップしている気がする。
「気にしなくていーよ。好きでやったんだし」
『そういう訳にはいきませぬ』
布を握ったままの手を緩く振れば、困り顔から一転して怒り顔に。拳を握り、銛を掲げ、どんな罰でも受けるから、彼女を許してやってほしい、と言ってきた。
「だからー、気にしなくていいって」
彼女達の義理堅さ? にちょっとげんなりしつつ、朝潮の体を拭こうとして、自分自身も濡れ鼠になっていたのを思い出した。幸い、家の中の床は布を引き剥がしまくったせいで、剥き出しの地面のみが濡れるに留まっているが……彼女を寝かせた布には、もう水が染み込んでしまっている。……彼女を拭く前に、干しておいた布を回収しに行くべきだろうか。
ああでも、俺が出かけている間にまた彼女に抜け出されても困る。
スカートのウエスト部分から垂れる黒い紐を手で弄りつつ自身の状態を再認識して、それから、額や頬、肌に張り付く髪の毛の重みを意識して、ふーい、とわざとらしく息を吐いた。思い出したようにお腹の痛みまで出てきた。防護フィールドは案外役に立たないのだろうか。役に立っているからこの程度で済んでるのか。
不思議な力の加護のおかげで、ひりつくような痛みはあるものの、剥き出しになっているお腹に目立つ傷はない。……しかし、下乳が見えるくらいにまでを器用に削り取られた服は、いったい何がどうしてこうなったのだろう。辛うじて紐一本で支えられている下着と違って、肌着の無い上は少しずれれば見えてはいけないものが見えてしまう状態だ。
彼女の事ばかりに頭がいってて気にしてなかったけど、今の俺の姿も相当酷い。ゲームで見たほどの損傷ではないけど、ううん、体を見下ろしているだけで恥ずかしくなってくる。スカートが無傷なのが救いだ。
胸元に垂れるリボンを握り、手の内で擦るようにして膝に手を落とす。俺の状態など今はどうでもいい。傷がない事への疑問だって、妖精さんに聞くか、後で考えれば済む話。今は彼女の容態と、なぜ海へ出たのかを聞くべきだ。
彼女の様子を見ればわかるが、イ級の攻撃による、右の二の腕にある擦ったような傷以外には目立った外傷はなく、露出した肌が赤くなっていて、服の焦げた部分が増えているくらいだった。呼吸は安定していて、熱に浮かされている様子もない。このまま妖精さん達と話していても、彼女は大丈夫だろう。風邪をひかないか心配ではあるから、素早く事情を理解する必要があるけど。
「じゃあ、なんでこの子が海に出たのかを教えて?」
『……了解』
ゆっくり言葉を投げかければ、少し間を空けて返答。二人が顔を見合わせた事から、話すか話さないかを決めたのだろう。
まず初めに理解してほしい、と妖精さん達が言う。彼女は……朝潮は、俺から逃げ出したりした訳ではない。そして、俺を認識していなかったわけでもない。
驚いた事に、彼女は俺が看病している時には、おぼろげながらも意識を取り戻していたらしいのだ。あの時、妖精さん達は彼女から応答はないと言っていたけど……どうやらそれは嘘だったみたいだ。
……嘘、つくんだ。妖精さんって。
小さくかわいい存在が人間らしい一面を持っている事に少しばかりショックを受けながらも、嘘をついたのは、結局は妖精さん達が慕う彼女のためなのだろうから、しかたないだろうと思った。
彼女が海に出る事を望んだ。俺がこの家を出た後に、妖精さん達は彼女を引き留めようとしたらしい。だけど、そこまでの意思疎通ができる状態ではなかったらしく、彼女が家を出ようとするのを引き留め、艤装を取り付けたらしい。
止められないなら共に行き、彼女と運命を共にしようと思った。そう、二人は語った。
共に沈もうとするほど、彼女の事を……?
想いの強さに、少しの間口を閉ざしてしまった。
この世界を現実だと受け入れられなかったみたいに、妖精さんの事もどこかふわふわしたものだって思ってたけど……彼女達にも確固とした意志があり、心がある。
その事実がなぜか受け入れ辛く……しかし、少しの時間で、なんとか心に浸透させる事ができた。
彼女達も、一個の生命として扱う。尊重する。そんな当たり前の事を、改めてやろうと思ったのだ。
小さく頷くと、彼女達も神妙な顔で頷き返してきた。
…………今頷いたのは、君達の行動に同意を示したからではなくて、自分の心の整理がついたから、なのだけど……ああ、『わかってくれるか』みたいな眼差しが……。
「んんっ。そ、それで、結局この子はなんで海に出たの?」
「帰らなければ、ならなかったからよ……」
その理由まではわからなかったのかな、と予想しつつ問いかければ、答えは意外なところから返ってきた。
「……大丈夫なの? 起きれる……?」
「ぅ……ええ、だいじょう……」
腕をついて身を起こしながら、朝潮が語りかけてくるのに、慌てて声をかければ、掠れた声で大丈夫と答えられた。最後まで言えてない。大丈夫じゃなさそうなんだけど……。
体を支えようと一歩、膝を前に出して手を伸ばそうとすると、顔をあげた彼女と目があった。強い意志が灯った、空色の瞳。
射抜かれるような錯覚を覚えて、少しばかり頭を後ろへ反らしてしまうと、彼女は一つ瞬きをして、ややうつむいた。視線が下に向かう。伏せられた目はどこか哀しげで、心の痛みを誘った。
「……大丈夫?」
「……心配は、」
再度問いかけて、しつこいか、と自分でも思ってしまっていると、彼女は下を向いたまま答えようとして……その声は、途中で途切れて、空気中に溶けていった。
部屋の奥から水入りの瓶をとってきて、飲む? と彼女へ差し出す。俺を見上げ、いただくわ、と短く答える彼女の姿に、なぜか凄く動揺しているのがわかった。それを表に出しはしなかったが、水を口に含み、目を細めて飲み下した彼女が、座らないの、と声をかけてくるまで動けなかった事から、相当なものだと気付いた。……なぜこんなにも動揺しているのか、自分でもわからない。……あ、いや、今、俺を目で追う彼女を見ていてなんとなくわかった。反応なしで動かなかった彼女が、彼女自身の意思で動いて喋っている事に、安心しているのだ。
生きてる。生きてるってのは、素晴らしい。
煩わしげに濡れて纏まった髪に触れる彼女を見ていると、自然とそんな言葉が思い浮かんで、その通りだ、と自分自身に賛同した。死んだら二度と会えない。この世から消えてしまうなど認められない。俺は、生きていてほしいのだ。
……目の前の、彼女に。
「助けて、くれたのね……」
感謝、するわ。
言葉を選んでいるのか、単に続けて言葉を言えないのか、どこかぎこちない感謝の言葉を述べる彼女に、気にしなくていい、と答える。
自分の前で命が散るのなんて見たくなかった。だから助けただけ。そこには道徳観念もいくらか含まれていただろうが、大本はその気持ちだったから……独り善がりのようなもの。感謝なんてしなくていい。
そこまでは流石に口に出さなかったが、彼女は聞き分けよく頷いて、それから、なぜ海へ向かったのかを話した。
話した、と言っても、ごく短い言葉だった。
帰らなくてはならないから。
まだ戦えるから。
だから、海へ出たのだという。
引き留めそうな俺を認識して、外へ出るのを見計らって、抜け出した。
すべては、彼女の所属する鎮守府に帰還するため。
自身の状態も把握していたというのだから、帰らなければ、と繰り返し呟く彼女の気持ちの強さが窺えた。
しかし同時に、まるでそれが強迫観念のようにも感じられて、だから俺は、彼女の手をとって両手で包んだ。
驚いたような目が向けられるのに、せいいっぱいの笑みで返す。
「今は、体を休めるのに専念しよ。ね?」
「でも……」
「今度は助けられないかもしれないよ」
「…………それでも」
帰らなければ。
その言葉を口にするのはもう何度目か。ひたすら繰り返される言葉は、ふいに彼女が向けてきた潤んだ瞳も相まって、懇願にも聞こえた。
「いいよ、帰っても」
「……いいの?」
「十分休息とったらね。それまでは、どこにも行かせない。……ね?」
最後の「ね?」は妖精さん達に向けたものだ。
嘘を吐いた負い目からか、二人は朝潮を窺いながらも、頷いてくれた。
彼女の艤装の妖精が俺に賛同すれば、それで彼女の心も傾いたのか、躊躇いがちにではあるが、休息をとってから帰る事に同意してくれた。
よかった。これでまだ帰るとごねるなら、強制的にお眠り頂こうと思っていたところだ。
今の彼女の状態で海に出たら、きっと先程の焼き直しになる。俺は彼女を見捨てられない。だから俺は、彼女を守るために飛び込んで……そんな事を繰り返していれば、絶対に無理が出る。
装備の入手も艤装の修理もできないこの場所では、休んだって、海に出た時の危険度は変わらないだろうけど、せめて体力を回復し、体調を整え、精神面だけでも万全にしてからでも遅くはないだろう。
俺はそう判断した。彼女の背景を何も知らない上での判断だ。彼女の所属しているという鎮守府から捜索隊などが出ていたりしたら、すぐにでも海に出た方が良いのかもしれないけど……そんなの、確認のしようがない。
……いや、彼女に聞けばいいのか。一人で思考を完結させる意味はない。彼女本人が反対しないからって、何もないとは限らないのだ。
という訳で、「あなたを捜索する部隊が編成される可能性はあるのか」、と聞いてみた。
そうすれば、今の提督の方針で、行方不明者が出れば可能な限り捜索活動を行うようになっている、という情報を得られた。……それを知っていて、ここに留まる事を了承してくれたのはなぜだろう。
「それは……」
彼女は、両手で持った瓶を僅かに揺らして、その理由とこの島に流れ着くに至った経緯を話し始めた――。