丸ノ内線から副都心線へのいつも通り薄暗い通路をスマホをいじりながらとぼとぼと歩く。今日も大学疲れたなあなんて思い、イヤホンから流れる音楽に耳を傾ける。
音楽は一昔前のアニソンで、他人が聞いても懐かしいねと言うだけかもしれないが自分にとってはこれを聞くだけで元気が湧いてくる魔法の音楽だ。
先ほどまで感じていた疲れが幾分か軽くなっていくことを感じながら、今日の夕ご飯について考え始める。駅前のスーパーで惣菜を買おうか。あるいはスパゲッティくらいならササッと作ってしまうのもいい。
何はともあれ男の一人暮らしの料理であるわけだし、あんまり凝ったものは作る分だけ労力の無駄というやつである。今日はもう面倒だしスパゲッティ作って明日買い物しようと決意したところで顔を上げると、何やら違和感がある。
現在の時刻は午後六時。日付は五月九日木曜日。この通路はこの時間帯、通勤ラッシュの三分の一程度の帰宅ラッシュになるので、今目の前に広がるような無人ということはほぼあり得ない。しかも妙に正面がうす暗い。というより先が見えない。
あり得るのかこんなこと。なんとなく後ろを振り向くのが怖く、心なしか早足になり、やっぱりスマホをいじりながら歩いた。足元にある点字ブロックに意識を向けながら歩く。歩く。歩く。
なんで歩いてるのかと言われれば、戻る気がそもそも湧きあがらないのだ。進む以外の選択肢が奪われた気さえする。
あれ? この通路ってこんなに長かった? とか考えてない。断じてない。なんか息が詰まるような気がするけどこれは速足が原因のはず。非日常的な少し不思議系の出来事とか起こるわけない。怖くなんかない。怖くなんか。
(……はぁ……良かった)
ようやく目の前に下に降りるエスカレーターが出てきた。あとはこれを降りるだけで電車に乗って家に帰れる。
……と思ったのだが、なんとなく嫌な予感がして最初にあるエスカレーターから少し先にもう一つあるエスカレーターに乗ることにした。
本当になんとなく嫌な感じがしたというだけでまたあんな怖い思いして歩くのかと自問自答したが嫌な予感がエスカレーターに近づくにつれ高まっていくので、しょうがなくもう少し歩くことにした。
ちらと見えたエスカレーターから何か圧力を感じた気がしたが、これも多分気のせいだろう。
歩き出してすぐに正面にちらほらと人が見えてきた。ホッと安心し、なんだ全部気のせいかよと自分に呆れてため息をついた。
ドッと疲れてしまったので今日はもうコンビニで適当になんか買って夕ご飯はそれでいいやという気分になった。
そのままふと周りを見渡すと、何となく違和感を感じる。妙に女性が多い。このくらいの時間帯なら仕事帰りのサラリーマンが結構いてもおかしくないはずなのだが、ほとんど見当たらない。
どういうことなのかと疑問に思ったが、まあ偶然こういうこともあるだろうと納得した。
そのまま電車に乗り、普通に降車駅に着いた。なんだか今日は変なことが立て続けに起こったなあと少し落ち込みながらコンビニの弁当を物色する。
また少し違和感を感じる。このコンビニの弁当のレパートリーってこんなんだった? というしょうもない違和感である。
ここ二か月くらいは一人暮らしに慣れるという名目の元、意図的にコンビニに寄らないようにしていたのでその間にがらりと変わった可能性も多分にあるので何とも言えないが、自分が好きだった弁当が見当たらないのはすこし悲しいものがある。
しょうがないので好きなお弁当に少し似ているお弁当を買って帰った。コンビニの店員の女性率の高さにまたしても首をひねりつつ、さっさと家に帰った。
街灯が道を照らす中、肩を落として歩く。何やらおかしいというのは気が付いているのだが、それをどう言葉にしたらいいのかわからなかった。
猛烈なズレという違和感がずっとついて回っている。自分だけが違和感を感じているというか、まるで自分一人だけ世界に取り残されてしまっているかのような錯覚を覚える。
まあこんな悩みだって一晩寝れば明日には忘れてるだろう。平気平気。もう疲れたしさっさとシャワー浴びて飯食って寝よう。
つらつら考えつつ、道路の白線からはみ出したら死ぬと仮定しながら歩いていると家の近くに来たので気持ちを切り替えて顔を上げた。
(……え? なんで?)
家に帰ったら家が無かった。正確にはなんかハイソなマンションが建っていた。自分の住んでいたアパートはちょっとボロいワンルームのはずだが、このマンションはどうにも外見からもっと広そうな印象を受ける。いったい何がどうなっているんだ……。
ポケットから鍵を出して、部屋番号などを見てみると201号室と書いてある。自分の部屋番号に変わりはなかった。もうどうにでもなれという気分でマンションの中に入り、エントランスを抜けてからエレベーターの横にある階段で上に行く。ひとまず鍵を差し込んでみると、鍵はするりと入り、抵抗なくガチャリと錠は開いた。
恐る恐る扉を開けるとまず目に入ったのは扉だった。玄関開けた先に扉があるという一戸建てか何かのような内装に、ここ家賃いくらなんだという疑問が先行し、扉の先に行くのが怖くなった。
しかし行くしかない。そう決意して扉を開けると、やはりハイソな部屋が広がっていた。
ソファーが置いてある一人暮らしの部屋って何だよという疑問やテレビ大きくないか? という疑問やガラスのテーブルとか怖いんだけどという思いなどもろもろを一先ず封印し、見覚えのあるパソコンを起動した。
起動中のこのパソコンの見た目は自分のパソコンと全く同じである。起動が終わり、スカイプの自動ログインが終わるのを待つ。
デスクトップの配置がやや違ったが、アカウントは同じのようだ。一応インターネットにもつなぎ、動画サイトや通販サイトに自動ログインしてみるとやはりこちらも同じアカウントをしていた。
同じパソコン。同じアカウント。部屋の鍵が一緒。これは偶然では済まない。しかし、マンションは違うし、家具だって違う。これは、絶対に何かがおかしい。
何か調べなきゃならないなと思うが今日はもうそんな気が湧かなかった。パソコンの電源を落としてささっとシャワーを浴び、電子レンジで温めたコンビニ弁当を食べてから歯を磨いて寝た。布団カバーがピンクだったのがちょっと嫌だった。
願わくば、寝て起きたらこの悪い夢から覚めますようにと考えながらぐっすりと寝た。
そして次の日。
早寝をしたおかげで朝の五時に起きてしまった。部屋を見渡すと昨日と変わっていない。朝からげんなりしながらとりあえず布団から出てシャワーを浴びた。
朝はこうするとすっきり目が覚める。今日は金曜日なので、授業は無い。大学の授業は月曜から木曜までに詰め込んでいるので毎週三連休なのだ。
そんなわけで今日はフルに使える。怖いが、この状況について調べないとならない。今日一日費やしたってこうなった原因がわからない可能性だって十分にあるのだ。
何はともあれ情報収集だ。ガシガシ頭を洗いながら頭の中を整理し、すっきりしたところで風呂から出た。
朝ご飯を食べようと漁った冷蔵庫の中が思いのほか充実していてびっくりしながらも、テレビをつけて朝のニュースを見る。
「――――天気は、曇り時々雨。傘を持って行った方がいいでしょう」
「――芸能人の○○さんと××氏の熱愛報道について」
テレビからニュースを集めようにもどの局も天気予報や今必要じゃないものしかやっていなかった。トーストをサクッと完食し、お皿はとりあえず水につけておいてからパソコンを起動した。
まず何について調べようか。そもそも何が知りたいんだ? この状況の原因を知ればあわよくば解決策がわかるかもしれない。
とすれば、まず第一に調べるべきは”何が違っているのか”だろうか。昨日感じた違和感は何かとの差なんじゃないかと思う。一つ一つ疑問を解消していこう。そうすれば見えてくることもあるはずだ。
調べ始めて三分。絶望を知る。
一時間が経過した時には悲しみの極限を迎える。
お昼には流す涙も枯れ果てていた。
(な、なぜ……何が起こっているというんだ……これはあまりにもあんまりな仕打ちだろう……!)
端的に言うなら、自分の好きなアニメや漫画、ゲームが全て軒並み消えていた。いくつか見覚えのある作品はちらほらあったが、大多数の作品は消失するかそれっぽい何かに変わってしまっていた。
幼少期のあの思い出も、熱くなって応援したあの名シーンも、涙を流したあの感動も嘘ではないのに、現実にはそれが無い。胸に渦巻くこの思いがぶつけようのないものだとわかっているからこそもやもやした気持ちが留まるところを知らない。
……もう今日は疲れた。元気の出る歌でも聞きながらゴロゴロしようそうしよう。
あと調べた感じ男女比がおかしなことになっていたり武将が女性になっていたりしたがそんな些細なことはどうでもいい。ゲームが無くなったということはこんな気持ちの発散もできない。ストレス発散?
そうだ、カラオケに行こう。いやなことは全部歌って吹っ飛ばそう。
そうと決めると、適当に髪を整えてからジーパンと薄手の長そでに着替える。クロックスを履いてさあ出かけようと思ったら財布が無い。財布を見ると金が無い。
銀行で下してから行かなきゃなあと考えて外に出ると雨が降っていた。傘が無い。っていうか雨なのにクロックスとかマジあり得ない。
なんで昨日から今日にかけてこんなに気分が落ち込むんだと理不尽に憤慨しながら銀行に向かった。周辺の地理は住んでいたマンション以外に変わりはない。何故マンションだけという疑問が湧くがそんな事どうだっていいさっさと歌いたいという気持ちが勝った。
ビニール傘をさしながら歩いているといくつか気が付いたことがある。まず第一に電線の数が異様に少ないこと。
次に、街灯の数の多さ。最後にガードレールの多さである。電線は大方地面に埋めているのであろうが、そんなことをするのは町の外観にこだわるような京都だとか観光に力を入れているところくらいではないのだろうか。
街灯の多さは電線を埋める工事の途中に増設でもしたのだろうか。ガードレールの多さは何故だろう。交通事故が多いのだろうか。
つらつら考えていると銀行に着いた。幸いATMに人は並んでおらず、すぐにお金を引き出せる。
(何だこの残高!?)
しかし、そこに表記されたお金の額が信じられないほど多かった。0が一つ多いのにビビりつつ、引き落としには成功した。ドキドキして荒くなる呼吸を落ちつけてからカラオケ店に入った。機種は曲の登録数が一番多いものを選んだ。
ドリンクを注文してからとりあえずは歌ってしまおうという気分になった。もろもろ面倒なことは後で考えればいいのだ。家帰ってから考えよう。
自慢ではないが、カラオケには自信があるのだ。というより、モノマネには自信があるのだ。声真似には特に自信がある。というか、もはや声帯模写と言っていいほどの声マネが俺の特技でもある。
友人を電話で騙したり、居眠りしている友人を彼の母の声で起こしたりするのが得意なのだ。
歌も本人そのままな歌い方が出来る。友人達からはCD音源そのままを聞いているかのようだと不評であるが俺自身はまあ気持ちよく歌えているので良いのだ。嫌な気持ちを吹っ飛ばす意味も込めて、熱血ソングを歌おう!
(無い! 無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い!)
好きな曲が無い! あの思い出の歌が入ってない!
急遽スマホで曲を調べるがそれらしい情報は一つもなかった。……そりゃそうか。よくよく考えてみれば本編のアニメだったりゲームが無いんじゃそれに付随した曲とかも無いよな。
がっくりして、とりあえずアカペラで歌うことにした。ジュースを運んできた店員さんにギョッとされたけど知るかそんなもの。一応カラオケとして歌った曲は童謡だけだった。童謡は変わりないのか。不思議なものだ。
しょんぼりして会計を済ませると、雨は止んでいた。そうだ、買い物に行かないと。とぼとぼ歩いていると、道行く人が道を開けて、足を止めているのがわかる。
偶然かと思っていたが、そうでもないようだ。
何だろう。こんなしょぼくれた雰囲気で歩いているからうつったらヤダとかそんな感じで避けられているんだろうか。
でも鬱々とした気分を晴らすために言ったカラオケでさらに鬱々とするという多段階に墓穴を掘削するような気分を味わっているのだ。こんな気分を味わったなら普通の人ならこんな感じになるだろう。
スマホにイヤホンを差し込み歌を聴き始める。すると何だか曲がってた背筋が真っ直ぐになるような気分になった。うん、やる気が出てくる! スマホには相当な数の曲が入っているのは不幸中の幸いだった。もしこれすらなかったら世をはかなんでいた可能性も否定できない。
溢れるやる気を全て買い物に傾注し、流れるような素早さで買い物を済ませた。セルフレジでもその流れは止まらず、レジさばきがプロさながらの様子だったので周りがチラチラこちらを見ていたのはしょうがないだろう。
そこそこの重さの買い物袋をブラブラ振りながら歩く。
「フフフンフフフフーフフンフン」
鼻歌を歌いながら歩く。こんないい歌があるのに世の中の人はこれを知らないなんて可哀想だなあ。
でもこれを自分が作曲しました的なニュアンスで発表するのは流石に曲を作った人に悪いし、曲の中には原作を知らないと何を言っているかわからないというものもある。
あ、動画サイトに捨てアカ作って適当にアップロードしたらいいじゃん。
原作が分からなきゃわかんないようなものは絵とか描いて動画にくっつけておけばいいか。よーし、世の人々にこの素晴らしい曲を聴かせるのだ! おー!
(とか考えてたけどそもそも歌どこで録るんだよっていう話だし、曲のカラオケバージョンとかスマホに入ってるわけないし、そもそもそんなことよりやるべきことあるじゃん。ちゃんと調べないと)
そんなふうに考えたのは夕ご飯に満足して布団に入ってからだった。のそのそと布団から這い出し、パソコンの電源を入れた。
一昨日までとの大きな違いは、男女比と歴史だ。
一先ずわかりやすい男女比を調べてみた結果、今現在の日本における男女比は1:5ほどだということが分かった。
これは過去から現在にかけて変化のない男女比で、自分以外に疑問を抱いている人はいないと思われる。
歴史はあまりにも差異がひどく、指導者の大半が女性であるという一言にまとめるしかない。男女比故に女性が表舞台に立つことが多かったのだと考えると納得がいくが、拭いがたい違和感が残るのは仕方がないことだと考えたい。
また、それらに関連して男女間の関係性にも変化があるようだ。社会形成が女性中心であることが原因か、男性の担っていた役割を女性が担っているようである。簡単に言うと男女間の役割が逆になっているのだった。
……結局、なんでこうなってしまったのかは分からなかった。この状況を、夢と言い張ることももう不可能だろう。あまり考えたくない可能性だが、ひょっとしてひょっとすると
「俺は、違う世界に来てしまったんじゃないだろうか」
そんな非現実的な現実を受け止められず、もやもやした気分で再度布団に潜り込んだのだった。
こんなことなら、調べものなんてしないでいい気分のまま眠ってしまいたかった。まあいつか調べなきゃなんないことだから仕方無いんだけど。
読みづらかったようなので改行をちょこっとしてみた