薔薇と堆肥   作:小栗チカ

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この美、この神聖、この思想、
この浄らかな歓喜の館と収穫、
その天上の根は星をつかみ、
その萎える事なき花は永遠の香気で包まんばかりだが、
地上の土の中では、利用され尽した
労働者の骨によって豊かさを増し、
主な肥料たる売春婦の血で肥え太り、
狂人の頭脳と子供の砕かれた心臓の衣をまとう。
毎日あくせく働き、毎晩のように
この奢侈の根、全身の筋骨に生じた癌の痛みにもだえ
呻吟する君たちだけでも、せめてわかってくれ。
大聖堂がそびえ、天が美しく花開くのも、
君たちのゆえだ。君たちは美と歓喜、余暇、
情熱的な愛、高邁な想像力の
隠れたる腐葉土なのだ。
君たちは薔薇の美しさを保つ堆肥なのだ。

小池滋『ロンドン ほんの百年前の物語』より



プロローグ

私の住んでいたモザイク街のどん底に、川が流れていました。

建物と建物の間を流れ、外壁と呼ばれる大きな壁のさらに向こうまで流れていると聞いた、黒とも茶色とも言えない、くすんで、汚くて、酷い臭いのするドブ川。

モザイク街のヒトが捨てるあらゆる排水の中継地点です。

モザイク街の辺境にあるアンダーストリートと呼ばれる場所──カッコ良さ気に聞こえますが要は貧民街です──で暮らしていた私は、ゴミの集積所で資源を探した後、よくここでドブさらいをしていました。

もちろん、資源として売れるモノを見つけるためです。

いつ行っても酷い場所で、暑い日は本当に最悪な場所でした。

いつもの場所で成果がない時は、上流の地下の排水溝──暗渠(あんきょ)と言うそうです──まで遡り、わずかなウィルオー灯を頼りに探したこともありました。

そうして落ちている資源を拾い、売って糧とするのです。

稀に、ヒトが流れてきたり、アクセサリのパーツが流れて来る時もありました。

そうなったらもう、同じようにドブさらいをしている人たちと大喜びです。

ヒトもアクセサリも貴重な資源ですから、フラタニティを始めとした組織に引き渡せば、かなりの高値で買い取ってくれます。

そしたら、しばらくの間は働かなくてもよい位の糧を得ることが出来るのです。

まあ大体は、組織の人たちが網でささっと引き上げてしまうことの方が遥かに多いんですけど。

 

ドブ川にはモノもそうですが、いろんなヒトが集まって来たものです。

同じようにドブさらいをする大人や子供、私に売春を持ちかける男女、思いつめた表情をして下流に向かう人、ストリートギャング同士の抗争、その野次馬に集まった人々、何故か私を話し相手にしているフラタニティや、市民、咎人、自称天兵など色々です。

川に集う人たちの、他愛の無い雑談の中に混ざりこんでいる思いや欲望、生き様を見て聞いて話すことは、私にとって勉強のようなものでした。

モザイク街でも上流に住む人々は、様々な手段で勉強をすることができたようですが、私の住んでいた場所にそういうものはありません。

そもそも、そんな暇すらありませんでした。

暇があったら働いて、日々の糧を得ることの方がずっと大切だったからです。

一般常識を教えてくれるヒトも時間もなかった私は、あのドブ川に育てられたと言っても過言ではないでしょう。

 

そんなモザイク街の吹き溜まりのような場所からも見えていた、大きな建物がありました。

貴重な資源と言われている市民(シヴィリアン)と、生まれて存在すること自体が罪とされ、市民と資源を守り奪うことで罪を償う咎人(とがびと)が住む世界、牢国都市パノプティコンです。

あまりにも大きな建物の中がどうなっていて、どんな人が住んでいて、どんな生活をしているのか、子供の私は思いを馳せる暇もなく、ただの大きな大きな建物、遠い遠い別世界としか思っていませんでした。

それでも、あの建物の中のヒトとは何かしらの形で繋がっていることもわかっていました。

あの中のヒトやモノが、川のようのように流れてきて、私の前でとどまったり、消えたり、再び上流へと戻ったりしていました。

逆に、ここに住むヒトが、あの建物へ行くために川の上流へ、もしくは逃れるために下流へと行くのを見送ることもありました。

ですが私自身は、ずっとこの川とともに生きて、そして死んでいくのだろうと勝手に思い込んでいました。

 

イッスンサキは闇、世の中何が起こるかわかりません。

私は、叔父の手で貧民街から抜け出し、別のPT──PTとはパノプティコンの略称です──に移り住み、そこの咎人として牢国都市に入ることになりました。

そして、貧民街から出てから数年後、あの川のあったPTが天罰によって消滅したと聞きました。

ですから、あの川はもう、この地上のどこにもありません。

でも、私の心の奥底には、あの川は相変わらず流れています。

珍しく濃い灰色の雲が空一面を覆いつくし、まるで蓋をしているような空の下、汚泥でぬかるむ川に佇み、何をするでもなく一人で立っている子供の私がいます。

何故、こんな所で立っているのかはわかりませんし、覚えてもいません。

でも私はずっと、ここに立ち続けているのです。

 




えー、初めまして、もしくは、こんにちはこんばんはおはようございますー。
フリーダムウォーズのお話、再び始めましたー。
前作の主人公である咎人と違い、今回の主人公は比較的静かなので、こんな感じでノタノタと進めていきます。
時間がかかりすぎてネタに新鮮味が全くない上に、早速オリジナル色がかなり強めに出ていて、読みやすいかどうかも不明ですが、好みに合うようでしたら、しばらくお付き合いいただければ幸いでございます。

冒頭の詩は、引用元の本に掲載されていたもので、ジョン・デイヴィッドソンという詩人の『疎外された人間の遺言』の一節だそうです。
自分の書きたかった話とリンクする部分があり、ぜひ、使わせてもらいたいと思っておりました。
また、今回のお話のタイトルも、引用元の本の章タイトルをそのまま使わせてもらっています。
今から四十年ほど前の本なのですが、この本なくしてこの話は書けなかった大切な一冊です。

すでに話は書き終えていますが、推敲やチェックが終わっていないため、週一、もしくは二週に一回のペースでアップしていく予定です。
そして、予定は未定です。

それではまた。
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