薔薇と堆肥   作:小栗チカ

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第九話

独房に戻ってきました。

正直、この独房にあまり良い印象はありません。

窓が無い上に、乾燥もしているし、白一色なので圧迫感がこの上ないのです。

ですが、この日ばかりは、安堵と共にベッドに座り込みました。

どっと疲れが押し寄せて、そのままベッドに寝そべりたくなりましたが、何とかそれは踏みとどまります。

一通りのことはこなさないと。

体を拭いて着替えて、洗濯をして、それから夕飯です。

何が起ころうとも、PTで出されるご飯は、原材料と混合比不明の、味も素っ気も無い完全栄養食です。

それでも、

 

「いただきます」

 

疲れているせいか、いつもよりも噛むのが億劫ですが、でもちゃんと噛まないと満腹感を得られないのでヤケクソで噛み続けます。

正直、独房で食べるご飯は美味しくありません。

どん底生活を送っていた頃のご飯は、それこそ得体の知れないご飯ばかりでした。

それでも充実していたと思えるのは、チームのみんながいたからでしょう。

生きることに必死で、夢もなければ明日への希望も何も無い世界でしたが、それでもみんなと一緒にいれば、ほんのひと時ではあっても暖かくも楽しくはありましたから。

 

「ごちそうさまでした」

 

白湯を飲みつつ、エイノさんに視線を移します。

 

「エイノさん」

「はい、何でしょう」

「本日は、本当にお疲れ様でした。いつものように反省会をしましょう」

「了解しました。それでは本日のボランティアの所感を申し上げます」

 

思わず緊張し、背筋が伸びます。

 

「昼の休憩の時も申し上げましたとおり、敵の撃破については問題はありません。友軍とも連携もとれ、役割分担も上手くこなせていました。特に午後の貢献活動において、アブダクター三体に対する対応は上出来と言えるでしょう。ただし、貴方個人の銃撃戦に対する評価は、昼の時と変わっていません」

 

そうですか。

意識しようにも、あの状況ではそんな余裕はありませんでした。

 

「特に位置取りついては、貴方は目の前の状況しか見ていないような行動をする時があります。周囲に友軍がいる際はフォローも出来ますが、そうでない状況になることも今後はあるでしょう。常日頃から、先の状況を予測した上で行動するよう心がけて下さい」

「はい」

 

夢中になると視野が狭くなるのは悪い癖です。

その後も、昼間と同じ指摘を受けて若干凹みつつも、明日からちゃんと意識しようと心に決めて……、その時にはもうエイノさんがいないことに思い至りました。

途端に寂しくなりました。

次に配属されるアクセサリは、エイノさんと同じ指摘をするのでしょうか。

悪く取れば口うるさいこの指摘も、もう受けることはないのかもしれません。

 

「ミーティア」

「すみません。明日はもうエイノさんがいなくて、こういう指摘をすることもなくなるのかなって」

「それはないと断言できます」

 

エイノさんはあっさりと否定しました。

 

「次に配属されるアクセサリも、ほどなく貴方の至らぬ点に気付き、確実に指摘をするでしょう。貴方は百万年の刑期を終えた二級市民なのですから、わかっている欠点は迅速に直し、二級市民にふさわしい言動を身につけて下さい」

「あ、はい」

 

……このオニ軍曹は、ヒトの心の機微を、最後まで理解することはありませんでした。

寂しいと思いつつも、これでいいのだと思う自分がいます。

これがエイノさんです。

叔父がいなくなった後、ぼっちで未熟な私がそれでもここまで来れたのは、紛れもなく、このエイノさんのおかげなのです。

だからこそ、最後くらいはいいところを見せたかったのですが。

 

「結局最後まで、エイノさんにいいところを見せることができませんでしたね」

 

私は苦い気持ちで、それでも笑います。

 

「本当は今日、あの特殊ボランティアがなければ、通常のボランティアで頑張っていいところを見せようとしたんですよ。でも、改めて思い知りました。私はまだ、特殊ボランティアでいつもどおりの行動を取ることはできません。やっぱり怖いです」

 

エイノさんは感情のない視線が私に向けられています。

それが責められているような気がして、思わず目を背けました。

やっぱり私は、まだまだ未熟な咎人のままです。

 

「五年前、私の前の被監視者である、クリストフがロストした特殊ボランティアを覚えていますか」

 

声をかけられ、私は頷きました。

 

「もちろんです」

「あの時の貴方は、貴方を監視してたアクセサリが大破し、クリストフのロストを聞いて完全に戦意を喪失していました。戦うことも撤退することもできず、ただそこに座り込むだけの、イオン伝導炭素薄膜最低強度以下の咎人でしたね」

「そ、そうですね……」

 

抉ってくるなぁ……。

しかも、そんなマイナーな資源を持ち出す辺りがらしいと言えばらしいです。

 

「ですが、今回の特殊ボランティアにおいて、貴方は自分の意思で動くことができていました。あの爆発の後、現状を把握しようと努め、敵軍友軍問わずに救助にあたりました。敵軍の救助については疑問点もありますが、貴方はあの状況で困難を打開しようと自ら考え、そして冷静に行動を起こしていました。五年前の貴方と比較して、それは紛れもない成長です。その成長を見届けることができたことは、パノプティコンにとって、喜ばしいものだと言えるでしょう」

「……そうですか」

 

珍しく誉めてくれました。

もちろん、ボランティアの影響を考えれば手放しで喜べるものではありません。

それでも、私が成長できたことをエイノさんに見てもらえたことは、良かったと思っていいんですよね。

 

「ありがとうございます」

「礼を言われるようなことはしていません」

「ええ、そうなんですけど、でも、ここまで来れたのはエイノさんのおかげです。だから、ありがとうございます」

 

私は頭を下げました。

頭を上げると、やっぱり表情なくエイノさんが私を見ていました。

 

「アクセサリは、貴方を始めとした資源価値の極めて低い社会不適合者に対し、パノプティコン民として正しく幸福を享受できるようサポートするために存在しています。つまり、当たり前のことをしているだけです。その礼は、貴方に成長の機会を与えたパノプティコンに言うべきです」

「……えーと、じゃあ、エイノさんを通して、パノプティコンに言っているということにしておいて下さい」

「了解しました」

 

うーん、それこそ何十回、何百回とやっているやり取りですが、仕様とは言え面倒くさいです。

エイノさんの後任のアクセサリもこんな感じなのでしょうか。

ともあれ、反省会は終了。

白湯を飲みながら、ふと思いました。

そう言えば、先ほどのボランティアの救助と調査は進んでいるのでしょうか。

何となく聞いても答えてくれそうにないと思いましたが、それでも尋ねることにしました。

 

「エイノさん、さっきの特殊ボランティアですけど、現在の救助とか調査の情報で、私に開示できるものってありますか?」

「現時点で貴方にお伝えできる情報はありません」

「……ジャックチームとグスタフさんの安否は」

「現時点で貴方にお伝えできる情報はありません」

「そうですか」

 

それくらい教えてくれたっていいのに。

予想はしていたとは言え、落胆は隠せません。

思わず溜め息をつこうとして、でもエイノさんと過ごす最後の夜だと思って、どうにかそれを引っ込めました。

 

「あの特殊ボランティア、ディオーネが出てきたのはビックリしました。地上のヒトでも作れるんですね」

 

取り繕おうとして、思わず口に出ました。

 

「でも考えてみれば、あのヘンテコな箱のアブダクター、えっと眩耀(ラディアン)でしたっけ? あんなのも作れちゃうんですから、ディオーネも作れちゃいますよね。何か、全然飛ばないし走らない子たちでしたけど」

 

その分爆発してとんでもないことになりましたが。

言いながら、何か引っかかりを覚えました。

 

「今まで、ディオーネって天罰で散々出てきているのに、地上で作れたパノプティコンっていないですよね。ホウライとか、アガルタとか作れてもおかしくないのに、何で今まで、ディオーネを作ることができなかったんでしょう」

 

資源が足りないから?

技術がないから?

それはおかしいのではないのでしょうか。

つい最近出てきた眩耀は、どこかのPTの咎人が、その原形を真っ先に叩き落とし、力のあるPTがそれを再現して侵攻の切り札にしているのだと聞き及んでいます。

そうであるならば、昔からいるであろうディオーネは、それこそかなりの数を叩き落としているはずです。

当然、資源だってそれなりに集まっているはずですし、地上で再現できてもおかしくはないのに。

 

「それは天罰の影響であると推測します」

「天罰」

「はい」

 

エイノさんは淡々と語ります。

 

「天獄が『収穫』と称するこのイベントは、主にウィルオーを扱える市民を略奪することを目的としています。その市民を奪われるということは、パノプティコンにおいてウィルオーを扱える技術者が減るということです。結果、新たな技術を開発をしようとしても中断、もしくは中止せざるを得ない状況になります。ウィルオーによって動くアブダクターは、市民なくしては成り立たない技術です」

「それって、アブダクターだけじゃなくて、他のウィルオー技術もそうですよね」

「仰るとおりです。ですから、パノプティコンの発展と繁栄、そして幸福の拡大のために、貴方がた咎人や二級市民が、市民を守り奪還する貢献活動は、極めて重要であると断言できます」

 

これは、パノプティコン民と呼ばれる人たちなら誰もが知っている知識です。

私たち咎人や二級市民は、衣食住を始めとした権利を獲得するのと引き換えに、自分達のパノプティコンの市民を守り、他のパノプティコンからその市民を奪う貢献活動を行う義務があります。

それは、PT法によってそう決められているからです。

PT法。

正式な名称はPeople's rights & the greatest happiness。

人民の権利と最大幸福、そんな意味だと先代のアクセサリが教えてくれました。

人民の権利というのは、パノプティコンの人々の権利のことだと思います。

最大幸福とは、……パノプティコンという社会全体の幸福を最大にすること、らしいのですが、実はよくわかりません。

叔父が死んでから、このことを考えていた時もありましたが、知恵熱を出してエイノさんに止められました。

……話が逸れてしまいましたね。

ともかく、この法律が出来たのは、PT歴約十万五百年、今から約千五百年位前だとされています。

 

「エイノさん」

「はい、何でしょう」

「物凄くバカなことを伺いたいんですけど、よろしいですか?」

「貴方が愚かであることは誰の目から見ても明らかですから、改めて宣言する必要はありません。愚かな貴方であったとしても、質問に対しては、PT法で定められた二級市民の閲覧権限の範囲内でお答えします」

 

率直に言って殴りたいです。

でも我慢することにしました。

 

「では、お言葉に甘えて。PT法ができてから、だいたい千五百年が経っているんですよね」

「仰るとおりです」

「千五百年って、長い、ですよね」

「長い、という認識は正しいでしょう。身近なもので例えるなら、貴方がたヒトが生まれてから五十年で世代交代をするとした場合、確実に三十回は世代交代をしたことになります」

 

叔父が亡くなったのが四十七歳の時です。

その叔父の生まれてから死ぬまでの人生を、三十回以上繰り返す、という感じでしょうか。

途方もなさすぎて、想像が追いつきません。

 

「天罰も、その頃からあったんですよね」

「はい。仰るとおりです」

「当然、ウィルオー技術もあったんですよね」

「はい。天罰がウィルオーを取り扱える市民の略奪であることは明らかであり、その頃からウィルオー技術があったことは確実です。また、PT法を創設した人物の証言として、その旨の記述が残されています」

「そうですか」

 

言いながら、私の頭にはひとつの考えが浮かんでいました。

息苦しさの原因がもう一つ、形になって見えたような気がしました。

一つは前に触れた、PT法によって肉体や心や考え方が、社会という枠にはめられて管理されていることへの息苦しさ。

そしてもう一つが、今見えたもの。

天罰というシステムによって、パノプティコンという社会が進むことも変わることもできない息苦しさです。

PT法によって、パノプティコンの人々は幸福希求のため労働することを義務付けられています。

市民はひたすらに働き、咎人は資源を守り、それを得るために明けても暮れても戦い続ける。

そうして得た資源とウィルオー技術でPTを繁栄させようとすると、天罰によって市民をはじめとした資源が取られてしまうため、その効果は緩やかなものになるか、もしくは頓挫することだってあるでしょう。

咎人も咎人で、ウィルオーの影響で記憶の定着が不安定になり、いろんな意味で後退をし、時には振り出しに戻ることもあります。

つまり、千五百年以上、それをずーっと繰り返し、成長がほぼ止まった状態になっているのではないか。

 

これは、真偽入り混じるユートペディアの情報と、パノプティコンの象徴たるエイノさんの情報、そして愚かな私が見聞きし感じたことから導き出された、正確さに欠ける考えです。

こういう時、誰かがいて、考えを聞いてもらって何かしらの意見を貰えたらいいのに。

真っ先に思い浮かんだのは、黒いヘルメットとスーツを身に着けた、得体のしれない、でも私のことを誰よりも知っているフラタニティの構成員です。

彼のことを思ったとき、心の奥底のドブ川に佇む私が見えました。

その私が、私たち自身もまた、息苦しさに一役買っていることを告げています。

 

ドブ川に佇む私は、生きるためにただただ働き、時にお金を持っている人や無用心な人を狙って犯罪行為を犯していました。

その日をどうやって生き抜き、どうやって明日へ繋げていくか、そのことだけを考えていました。

ずっと働き続けていると、心がヘトヘトになって、夢を見ることも、未来のことを考えることもなくなります。

目の前にあるものだけを見て、それをこなすためだけに生きる。

第一、疲れているのに難しいことは考えたくないですし、考える気力もありません。

それだったら、目の前の資源を一個でも多くかき集め、雇われているなら、その雇い主の言うことに従って黙々と仕事をし、その合間にある嬉しいことや楽しいことに目を向けていたほうがずっと楽です。

当然、そこから抜け出そう、変わろうなどと思うこともありません。

少なくとも、子供の頃の私はそうでした。

息苦しいと思っていも、原因はわからず、それを考えるための知識も、時間も、心の余裕もありませんでしたから。

では、パノプティコンの人々はどうでしょう。

私は正式な市民になったわけではないですから、市民や上級市民の人々の生活はもちろん、その視線や考えや思いを知りません。

ですが、ロウストリートの咎人や市民を見るに、そのあり様は、モザイク街の人々とさほど変わらないのではないかと。

 

そして何よりも、この世界を息苦しいものにしている大きな問題があります。

資源の枯渇です。

資源の問題を克服できない限り、私たちは行き止まりのままです。

PT法は、資源が枯渇したこの世界で生きるための、極めて有力な社会を動かす仕組みです。

それを知っているからこそ、PT法に疑問を持っていても別のアイデアを出すことができず、またアイデアを出す意欲もなく、生きるために従い続けているのではないか。

まるでPT法が、人々の命を人質にして、否応なく従わせているように感じます。

PT法による管理と、天獄によって搾取され続けているこの世界は、一見動いているように見えますが、実際のところは、ウィルオーを生み出す資源を作り続けているだけで、様々な事情から進むことも変化することもできていない世界なのではないかと思います。

 

では、天罰がなくなればどうでしょう。

資源の問題が消えるわけでもなく、PT法もフラタニティのような組織も残るわけですから、都市国家間での戦争を止めることは恐らくは出来ないと思います。

ですが、今よりは技術開発を進み、成長することができるようになるかもしれません。

市民が本当の意味で活躍できる場ができれば、天獄とはまた違ったウィルオー技術を生み出したり、古代の文明の調査が進んでその知恵や技術を応用したり、今の私には想像できないような出来事が起こるかもしれません。

もしかしたら遠い未来に、その技術によって、資源の問題を克服することだってあり得るかもしれないのです。

……ええ、そうですね、これはあまりにも楽観的な考えです。

天獄という押さえがなくなったことで、都市国家が暴走し、戦争は激化、本当の意味での破滅の時を迎える可能性だって十分にあります。

それは、どん底にいた時に、組織やストリートギャングたちの抗争でも起こっていたことですから。

思わずエイノさんに聞こうとして、すぐに思いとどまりました。

PT法によって、未来を語ることは禁止されているからです。

エイノさんと過ごす最後の夜に、刑期加算はさすがに避けたいですしね。

 

「ミーティア」

 

そのエイノさんが呼びかけます。

 

「はい」

「消灯時間十五分前です。消灯の準備をすることを提案します」

「わかりました。最後にもう一つだけ聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

 

この質問をエイノさんに投げかけるのは無意味だとわかっていましたが、それでもちゃんと確認する必要がありました。

 

「エイノさんは、この世界が好きですか?」

「私には好き、という感情は理解できませんので、その質問にはお答えしかねます」

「ですよね」

「逆にお尋ねします。ミーティア、貴方はこの世界が好き、ですか?」

 

え?

まさか尋ねられるとは思いませんでしたが、正直に答えることにしました。

 

「好きになりたいけど、いろんなことがありすぎて好きになれずにいます。だから、どうしたら好きになれるのか、それを考えているところです」

「そうですか」

 

エイノさんはゆっくり頷きました。

 

「好き、という感情は、快楽、と結びつき、快楽は、幸福に結びついているものだとされています。そうであるならば、貴方の行為は幸福希求のために必要なことだと認識できます。知恵熱を出して貢献活動に支障をでることないよう、程々に考え続けてください」

「はい……」

 

釘を刺すことは決して忘れないエイノさんなのでした。

水を飲み干し、歯を磨いてベッドに横になります。

 

「エイノさん」

「はい、何でしょう」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい。明日も貢献活動に勤しみましょう」

 

最後の夜だというのに、いつもと同じ挨拶で消灯です。

本当に、情緒もへったくれもありません。

思わず苦笑いを浮かべ、そして目を閉じました。

疲れていたので、あっという間に眠りに落ちました。

 

◆

 

いつものように、あのドブ川でドブさらいをしていた時のことです。

視線を感じてそちらを見れば、ボロボロの服と、ボロ布を纏った男の人がこちらを見ていました。

最近、私たちのグループに数日に一度、一緒に生活をしている変わり者の市民さんです。

名前は確か、エンキと名乗っていました。

それが本名かどうか、知る術はありません。

手を振ると、彼もボロ布の向こうで笑顔を浮かべ、手を振り返しました。

今でこそ仲は良いのですが、出会いは最悪でした。

最初に私と出会ったのはやっぱりこの川で、私をジロジロ見ていたのです。

その視線に、売春を持ちかける人たちのようなギラついたものは感じられませんでしたが、同じくらいに不快な視線でした。

今ならあの視線の正体がわかります。

安全圏にいるがゆえの傲慢で残酷な好奇心と観察の視線です。

そして開口一番、彼は言ったのです。

 

「君たちはまるでケモノだな」

 

ケモノとは何かと聞いたら、古代で人間や人間の社会に依存していない生き物たちのことだと言っていました。

今にして思えば、彼の言っていることは理解できますし、まあ正しくもあります。

ですが、彼と初めて出会った時の私は、彼の何もかもが本能的に受け付けず、さらにゴミ拾いとドブさらいの収穫がよくなかったこともあり、極めて不機嫌だったのです。

なので、川の水とドロを彼に浴びせ、怯んだその隙に貴重品をスってその場を去りました。

故物屋で売り払ったら、結構な稼ぎになったと記憶しています。

翌日、やはりドブさらいをしていたら彼が抗議に来ました。

ですが、私の稼ぎの内容を知ったリーダーとトトが、彼が来ることを予測し、暴力をちらつかせて追い返しました。

それでも彼は、その翌日も、そのまた翌日もやって来たのです。

いい加減しつこいので、いよいよ暴力で訴えようかという話になった時、彼は膝をついて頭を下げたのです。

君たちの生活を見せて欲しい、と。

それは好奇心だということは認めていました。

ですが、それだけではないのだとも言っていました。

PT法の外で生きる人たちが、どんな社会を営んでいるのか。

日々どんな風に暮らし、どんなことを考えて生きているのかを知りたいんだ。

そう言っていました。

最初はどこかの組織のスパイなのではないかと相手にしませんでしたが、彼はそれでも毎日毎日やって来ては頭を下げ続けたのです。

結局チームのみんなで話し合い、彼を『お客さん』として引き入れることにしました。

そうして半年以上が経っても、彼は変わらずどん底に通いつめ、市民のくせに大した根性だと、チームのみんなも呆れつつも感心していました。

そして彼は、何故か私を主な観察対象にしたようで、私に付いてまわってはいろんなことを聞いてきました。

面倒だなと思いつつも、私もそれに答えていました。

そうしたやり取りが続き、いつの間にか、私は彼の世話役になっていたのでした。

ドブさらいを終え、彼と共に拾った資源を売り払った稼ぎでご飯を買うと、比較的開けた場所で一緒にご飯を食べます。

市民であるエンキは、今でこそどん底のご飯を普通に食べることができるようになりました。

ですが当初は、トイレに駆け込み、トイレの汚さに悲鳴を上げ、でも排泄欲求を抑えることは当然できず、頭を抱えて泣きわめきながらトイレの住人になったことを覚えています。

 

「僕はね、パノプティコンの生活に不満があるわけじゃないんだよ」

 

ご飯を食べつつ、彼は言いました。

 

「でも、もっとパノプティコンを良くしたいと思ったから、君たちの生活を体験しながら、距離を置いてパノプティコンを見てみようと思ったんだ。遠くから見ると、いろんなものが見えるだろ。そうやって、僕らの生活を見直してみようってね」

「それって大丈夫なの?」

「何が?」

「フラタニティのおじさんが言ってたよ。あの大きな建物に住んでいる人たちは、不平や不満を言っちゃいけないって。そういうことを言うと、赤い服を着た人に目を付けられて、捕まえて頭の中をいじくって酷いことをするって」

「君はフラタニティにも知り合いがいるのか?」

「ここに住んでいるヒトはみんな、フラタニティとは知りあいだと思うよ」

「あー……、そういうことを言いたかったわけじゃないんだけどなあ」

 

困ったような笑顔を浮かべる彼は、やがて疲れたような表情で溜め息をつきました。

 

「うんまあ、もう既に目は付けられているよ。僕達市民が、モザイク街を出歩くこと自体が良くないとされているしね」

「何で?」

「敵がPTを襲う目的は、僕らを始めとした貴重な資源を奪うことだっていうのはわかるよね。でもPTは、決まりごとの外にあるモザイク街は守らない。無いものとしているから。だから、敵に奪われないためにも、そういう危ないところにいてほしくないんだよ」

「ふーん、そっか」

「それ以外にも理由はあるんだけどね。でも、君らと生活してよかったと思えることの一つに、かなり用心深くなったことがあるなあ。そのおかげで何とか凌いでいる感じかな。今にして思えば、昔の僕って本当に隙だらけだったんだね」

「うん」

 

頷くと、彼はガックリと肩を落としました。

 

「そっかぁ。でもそうだよね。君と初めて出会った時に、その洗礼を受けたんだもんね」

「そうだよ。これからも十分に気をつけるといいよ」

「ハイ、気ヲツケマス」

 

その後も彼は、少なくとも私がチームから抜けるまで、どん底に通い続けていました。

私がモザイク街を去る時に、チームのみんなと共にどこか寂しそうな笑顔で見送っていたのを覚えています。

あの変わり者の市民は、今はどうしているのでしょう。

天罰によって、PTと共にあのモザイク街も消滅してしまいました。

天獄に攫われたか、それとも死んでしまったのか。

それとも逞しく生き残り、どこかのPTに拾われて、今もPTをより良くしていこうと密かに頑張っているのか。

いつかどこかで、彼に会えたらいいなと思っています。

今の私は、彼に話したいことも、聞きたいこともいっぱいあるのです。

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
誤字脱字、その他修正がありましたら、随時対応をします。

今回の話では、PT社会と天罰について触れてみました。
この話もまた、今更語る必要のない内容ではありますが、私個人としては今一度きちんと触れておきたかったので書いてみました。
主人公自身も触れていますが、この内容はあくまでもこの主人公の考えです。
間違いなどありましても、この主人公は、限られた情報の中でこういう考えを持っているんだね、くらいのレベルで見ていただければと思います。
現状では、正解なんて出ていませんしね。

ここで今一度触れておきたいのが、ユートペディアの存在です。
主人公は、ユートペディアの情報は真偽入り交じっていると認識しており、さらに彼女の中に真偽を判断する材料が乏しいため、自分の考えに自信を持てずにいます。
実際のところ、ユートペディアの情報が絶対であるという保証はどこにもなく、情報位階権限によって制限されている可能性は高いでしょうし、真実を載せてあったとしても、意図的に伏せられていたり、誇張されている部分もあるかもしれません。
これは現実の世界に生きる私達にも、オーバーラップすることではあります。

その上で、ねじ曲がった意地の悪い見方であると前置きをして。
現実の設定資料集にある情報も、実は虚実が入り混じり、伏せられている部分も多々あるのではないかと勘ぐっております。
設定資料集の「KNOW MORE パノプティコン」にも、詳細は回答できない、というコメントもありました。
であるならば、この設定資料集の情報もまた、そのまま鵜呑みにするのはちょっとまずいのかなと、個人的に思ったりしています。
でも世界観を出来る限り反映させようとすると、ゲーム内の情報では足りないし、個人の想像力には限界があるし、頼らざるをえないジレンマがあります。
私のねじ曲がった根性と視線による認識違いであるのなら、それが一番いいw
ともかく、FWの世界観を出来るだけ正しく反映させて、その中にキャラクターを置き、その過酷な世界観の中で、何を考えて行動し生きているのかを書きたいのですが、やっぱり難しいですね。

次回は、いよいよアクセサリとの別れの時がやってきます。
感動的なものでもなんでもありませんが、最後まで見届けていただければと思います。
それではまた。
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