「おはようございます」
白い光と共に、馴染みのある人工合成音声が聞こえてきました。
「おはようございます」
目をこすりながら反射的に応えます。
起き上がるのがいつもよりも億劫です。
恐らく昨日の疲れが取れていないのだと思います。
おまけに目が乾燥してシパシパします。
エイノさんと過ごすのも後わずか数時間だというのに、目覚めは残念ながらイマイチです。
「現在の時刻は四時十五分八秒です。本日の日の出は五時三十三分。日没は十七時五十七分。天気は晴れ。降水確率は午前午後を通してゼロパーセント。最低気温は──」
いついかなる時も変わらないエイノさんの天気予報を聞きながら、どうにか体を動かし、用意してある洗面器とお湯で身支度を整えます。
今日は雨の心配もなくバッチリ晴れるようです。
「今朝はランニングに適した気候のようですが、バイタルがいつもより落ちていることを確認しました。昨日の疲れがまだ取れていないと推測します」
「ええまあ。なので、今日はいつもよりもゆっくり軽めでいこうと思います」
「了解しました」
三十分ほどで準備を済ませ、いつもどおりエイノさんを伴って出発しました。
当然、エイノさんの足は昨日のままなので移動もゆっくりです。
「おい」
顔見知りの安全保障局の人に呼び止められました。
「おはようございます」
「おはよう」
挨拶をして頭を下げると、彼女も挨拶を返してくれました。
名前はキクノさん。
警邏課に所属しているそうで、今朝も第八階層を巡回していました。
「お前のアクセサリ、歩行に障害があるようだが」
「あ、えっとですね」
どうやらエイノさんの状態を不審に思ったようです。
ですが、私が説明するまでもなく、手持ちの端末であっという間に事情を把握してお咎めはありませんでした。
「今朝もランニングか。毎日熱心なことだな」
「もう習慣付いちゃって、やらないと落ち着かないというか」
「体作りをすること自体は良いことだ。気をつけて行って来い」
「ありがとうございます。行って来ます」
会釈をしてエレベータへと向かいます。
ゆっくりとしたペースで歩いていて、ふと、アクセサリの監視から外れて、刑期加算されていた時期のことを思い出しました。
その当時は先代のアクセサリでしたが、私にとって移動が制限されるという行為は、結構ストレスになっていました。
今となっては懐かしい思い出です。
そうだ。
午前中の予定、エイノさんが回収されるまで何も入れていなかったけど、第一階層からエイノさんと巡ってみようかな。
エイノさんの足の調子もあるから、エイノさんに聞く必要があるけど、でもできたら行ってみたいです。
そうしてモザイク街の広場に出ると、いつもどおりのまばらな人気でした。
見上げる空は昨日とは違って雲ひとつありません。
黒に近い濃い青色の空が広がり、星もまだ目で見ることができますが、太陽の昇る方角の空の色は濃いオレンジ色と薄いピンク色に彩られていました。
どん底にいた時から、夜明け前から日の出までの空の色が好きでした。
太陽の昇る方角から、その光がまだ届かない反対側の空を染める色の移り変わりが綺麗だなと思っていて、今もそれは変わりません。
準備体操をしつつ、疲れが残って強張る体をほぐします。
「今日はいつもの尖がったビルじゃなくて、黄色ビルに行ってきます」
「そのコースですと、往復の走行距離が五キロを越えますが」
「大丈夫ですよ。休憩も含めて一時間半以内には戻ってきます」
「了解しました」
黄色ビルとは、例の尖ったビルから離れたところにある、工事途中で放置されているビルのことです。
正式な名前は知りません。
黄色ビルと呼んでいるのは、黄色の現場シートに一面が覆われているからですが、そこの非常階段からのぞむ尖ったビルの姿がとても気に入っていて、お気に入りのスポットなのです。
「じゃあ、行ってきます」
「UMAの川流れという古代の言葉もあります。周囲の状況をよく確認し行動して下さい」
「了解です」
答えつつ、内心首を傾げます。
言葉の意味は知っています。
その道の達人でも失敗することはある、という意味だと、エイノさんが教えてくれました。
そしてUMAとは、古代の言葉で未確認生命体という意味だそうです。
未確認なのに生命体って、ちょっと意味がわかりません。
いつものように鉄棒を組んだだけの手すりに飛び乗ると、そのまま跳躍。
手近なビルのフロアに転がり込み、いつもよりもスピードを落として走り始めました。
起きた時点でわかっていましたが、実際に動いて見ると自分の体調の不調をはっきりと認識できます。
体と心が、有無を言わさず今日は温存をしろと訴えていました。
現時点での限界を知っているからこそ、ブレーキもかかるというものです。
できれば、その限界の値を少しでも引き上げることができれば、もっといいのでしょうけどね。
比較的高低差の少ないルートを通りながら進み、ようやく黄色ビルに到着です。
太陽の出る周辺の空と大地が、先ほどよりも強く輝き始めていました。
遠慮なく現場シートをくぐり、腰のウィルオー灯を頼りに非常階段へと向かいます。
いつもより重い足取りで階段を登り、お気に入りの場所にたどり着きました。
ああ、今日は本当にしんどかった!
端末の時計を見れば、到着時間が予定よりもオーバーしていました。
息を整え、汗を吹き、水筒の水を飲みながらシートをめくって外を眺めます。
日の出の時間を過ぎ、外壁の向こうに白い光が大きく膨らみ眩く照らしていました。
その光の中で、尖がったビルが今日も変わらず聳え立っています。
一人でボロボロになっても立ち続ける戦士のような姿は、相変わらずかっこいいです。
先日の天罰で奇跡的に残ったビルですが、次に侵攻なり天罰が来たら、今度こそ倒壊してしまうでしょう。
いつまでもこの姿を見れる保証は、どこにもないのです。
しばらく目の前に広がる景色を眺め、そして引き返すことにしました。
モザイク街の人々も目を覚まし、いつもどおりの朝を迎えています。
この周辺は比較的恵まれた人々が住む地域で、人々の表情にも余裕が伺えました。
PTは、決してモザイク街を守ることはありません。
しかし、衣食住がそろい、周辺の人々と仲良くやれれば、この世は万事OKなのです。
いつ訪れるかわからない破滅の時に目を向けるより、今この時を、笑顔で生きることに目を向けた方が建設的ですから。
なのに、胸の奥からあふれ出そうになるのは、どす黒い下水のような思い。
それを無理やり力に変え、地面を蹴り、建物を飛び移りながら広場に到着しました。
昨日同様、ボランティアへ向かう人々はもちろん、今日もサボりを決め込む市民や咎人、物々交換をする人、友人か仲間でしょうか話に花を咲かせる人々で、広場は賑わいを見せています。
人々の話題の中に、昨日の特殊ボランティアの話題も飛び交っていて、思わず耳を澄ませます。
ですが、どこからどこまでが正しいのかわからない、噂レベルのものばかりでした。
落ち着いたら自分で調べてみようと心に決め、エイノさんの元にたどり着きました。
「戻りました。言ってた時間よりも遅くなっちゃいましたね」
「お帰りなさいませ。仰るとおり、貴方の申告した時刻から二十分ほど遅れての到着ですが、こちらの予想範囲内です」
「階段の昇降がしんどくて」
「現在の状態での激しい運動は、膝を始めとして体に大きな負担を与えます。資源価値を落とさないためにも、今日は休息に時間を多く当てることを推奨します」
二級市民は処遇が決まるまで、基本的にはボランティアに参加はできません。
参加するためには、自分で安全保障局に参加申請をし許可をもらう必要がありました。
逆を言えば、自分で申請をしないかぎり、ボランティアに参加しなくてもいいのです。
昨日の件は、完全に例外中の例外。
私がボランティアに参加していたのは、ひとえに、借金返済のためです。
取り立てをしていたハルカさんは、このPTから一時的に離れましたが、私の借金返済の日々は当然続きます。
でも流石に今日は、エイノさんの言っていることは全面的に正しいので、素直に頷きました。
「わかりました。じゃあ、戻りましょう」
「了解しました」
足の悪いエイノさんに気を遣いつつ、独房へと戻りました。
体を拭いて朝ご飯です。
「いただきます」
パノプティコンに入ってからの朝食の定番、いつもの完全栄養食です。
よく噛んで食べ、白湯を飲みます。
お昼ご飯と晩ご飯は、モザイク街で食べよう。
正直な話、この完全栄養食に飽きつつあり、それを回避するためにモザイク街の食べ物を口にしています。
生まれてからこの方、この完全栄養食で育ってきた人たちは主食として受け入れているのでしょうが、残念ながら私は受け入れられない状態です。
体調を崩さないだけましの、安全に食べることのできる物体でしかありません。
塩ナトで味を足すだけでも全然違ってくるんでしょうけど、持ち込み禁止ですしね。
「ごちそうさまでした」
「本日の予定は特に入っていないようですが、この後はどうされますか」
エイノさんの問いかけに、ポットのお湯と水を半分ずつカップに注ぎながら口を開きます。
「エイノさんを引き取りにくる時間って、確か十一時でしたよね」
「はい」
「それまでは、エイノさんと一緒に第一階層からゴミ拾いをしようと思っていますが、足の具合はどうでしょう。負担になるようならやめておきますが」
「移動速度は出せませんが、その程度の貢献活動でしたら問題はありません。また、貢献の度合いの大きいボランティアではありませんが、パノプティコンの環境を少しでも改善しようとする、貴方の心意気は素晴らしいものです。反対する理由は特にありません」
仰々しいなあ。
そんなご大層なものではなく、単純にエイノさんとゆっくり散歩しながらお話しようと思っていただけなんですが、そう受け取ってもらっても問題はありません。
「では、午前中はその予定でいきます」
「了解しました。午前十一時までの予定を更新中。……更新を完了しました」
現在の時刻は七時をちょっとすぎたあたり。
エイノさんの移動速度を考えると、後少ししたら出発したほうが良さそうです。
ですが、その前に聞きたいことがありました。
「エイノさん、昨日の特殊ボランティアの情報で、私に開示できる情報はありますか」
「現在の貴方に開示できる情報はありません」
「……そうですか」
おそらく今日も、調査と救助活動は続くのでしょう。
グスタフさんとジャックチームの安否が気がかりでしたが、今は目の前のことに集中することにしました。
「○七三○に出ます」
「了解しました」
いつもと違った言葉を選びましたが、あっさり応答するエイノさん。
これが人だったら、小さくとも何かしらのリアクションがありそうなんですけどね。
歯を磨き、身支度を整えている横で、エイノさんが水筒の準備をしていました。
これが最後とは思えない、いつもの日常の光景です。
「では出発しましょう。第一階層から順に上にのぼっていきます」
「了解しました」
独房から出ると階段を降り、エレベーターに向かいます。
「おい」
キクノさんが再び声をかけてきました。
「はい」
「まさかボランティアに行くつもりか?」
さすがに眉をひそめるキクノさんに、私は笑って首を振ります。
「いえ。第一階層からゴミ拾いをしようと思いまして」
「そうか。小さくともこのPTのために貢献する心意気は立派だが、アクセサリに無理はさせるなよ」
「はい。ありがとうございます」
エイノさんと同じこと言うんですね。
PT法を徹底的に叩き込まれて育ち、それを守る立場なのですから当たり前です。
会釈してエレベーターに乗り込みます。
そうして瞬く間に付きました、第一階層。
ドアが開いた瞬間、実に馴染みのある臭いが出迎えてくれました。
薄暗く、空気もよどみ、乾燥しているはずなのにどこか湿度を感じるような光景。
天井を埋め尽くす監視カメラの青い光は、このロウストリートを照らしつくすには至りません。
さ、建前のゴミ拾いを行いましょう。
第一階層は、私は比較的あっさりと通過してしまい、実はあまり印象に残っていません。
その当時は、叔父や叔父の仲間の皆さんと行動を共にしていたからです。
ただ、この天井の監視カメラには驚いて声を上げて、刑期加算を喰らったのはちゃんと覚えています。
「懐かしいな」
表情なく私を見るエイノさんに、私は笑顔を返します。
「つまらない事で刑期加算をしたことを思い出したんですよ」
「貴方を監視していた先代のアクセサリの記録によると、天井の監視カメラに気をとられて階段から転げ落ち、平時におけるゼロ運動量の罪に違反して刑期を加算したと報告にあります。また、」
「……えっと、そんなこともありましたね」
「はい」
「ハハ……」
懐かしいあるある話のはずが、このオニ軍曹は容赦なく傷を抉り出そうとします。
もう口にしないことにしました。
エイノさんの歩行ペースに合わせてゴミを拾い、続けて第二階層。
第二階層上がった私は、市民と話す権利を得ます。
しかし、その視線と空気から歓迎されていないことを悟り、自分から話しかけることはしませんでした。
尊大で、傲慢で、咎人をヒトとして見ることもなく、ゴミのように扱うその態度。
そのゴミに頼らなければならない弱者のくせにと、腹立たしく思っていましたが、グッと我慢をしていました。
咎人にどのような態度を取ったところで、市民はパノプティコンにいる限り、法によってその身を保護されますし、今なら彼らの重要性も理解できるというものです。
これがモザイク街のどん底だったらどうなることやら。
意地の悪い気持ちで思いましたが、同時に仲の良かったエンキのことも思い出しました。
どん底にはエンキだけでなく、他の市民も極まれに見かけたものです。
彼らは例外なく変装をしていましたが、やはり育ちの良さと知性はどうしてもにじみ出てしまいます。
そんな市民は、何かしらの思いと目的を持っていて、どん底に通い生活をすることで思いを形にし、目的を果たそうと頑張っているように見えました。
市民にも色々な人がいるんだと、改めて知ったのがこの第二階層です。
自分のかつていた独房を見上げ、背後にいるエイノさんに声をかけます。
「久しぶりにモザイク街に出れた時は、本当に嬉しかったんですよ」
「そのようですね。独房から銃弾のように飛び出し、平時におけるアクセサリ監視からの逃亡罪、並びに、平時における時間当たり運動量超過罪で刑期を二十三回加算されています」
「刑期にまつわる思い出話は結構ですよ。もう終わっている話題です」
「それは失礼しました」
まったく。
ゴミを拾いつつ、第三階層に向かいます。
第三階層もゴミが落ちていて汚く、薄暗いことに変わりはありませんが、エリアが幾分明るくなっていました。
そして、天井の監視カメラの数も減っています。
第一、第二階層は一エリアにつき八十八個設置されていましたが、第三階層は六十六個です。
ゴミを拾いつつ、エリアの隅っこでうずくまる咎人を見やります。
先ほどの階層でも見かけましたが、廃人同然になった咎人です。
どん底でもよく見かけた光景でした。
老いも若きも男も女も関係なく、その手のエピソードには事欠かないくらいです。
でも、法律のある世界でも、そういった人たちがいることに、当時の私はショックを受けました。
衣食住が揃っていても、それでもこぼれ落ちてしまうヒトたちがいる。
そして、本能的に恐怖を覚えました。
彼らの姿は、未来の私の姿かもしれないのだと。
「ミーティア」
「はい、行きますよ。第四階層へ」
「了解しました」
エイノさんを促し、エレベーターへと向かいます。
使い物にならなくなった咎人は、法の手によって再資源化されます。
パノプティコンに籍を置く以上、私もゆくゆくはそうなるのでしょう。
そしてそれは、モザイク街であっても変わりはないのです。
この世界はそういう風にできている。
理解はできても消化することはできず、どんよりとした気持ちを抱えて、第四階層へたどり着きました。
第三階層と変わらないと思いきや、監視カメラの数が減って三十三個になります。
この階層が、多くの咎人にとっては一つ目の分岐点です。
日常行動の権利がほぼ全て解放され、普通に行動する分には全く問題がなくなります。
なので、このままで十分とばかりに適当にボランティアをこなしつつ、この階層にとどまる人も少なくありません。
私は、叔父や叔父の仲間の皆さんと同じ情報位階権限へ上がりたかったので、頑張って戦い続けていました。
「そう言えば、アクセサリの身体形成ができたり、名前がつけられるようになるのは、この情報位階権限からでしたっけ?」
エイノさんは鷹揚に頷きました。
「はい、仰るとおりです。ですが貴方は、アクセサリに関わる権利は全く行使していませんでしたね」
「ええ。身体形成は何か面倒でしたし、名前はいい名前が思い浮かばなかったんです。せっかくの権利ですから、使ったほうが良かったですかね?」
「名称をつけ、身体形成をしたところで、アクセサリの性能にほぼ変わりはありません」
エイノさんは無機質に答えました。
「もし変化があるとするなら、それは貴方がたヒトなのではないのでしょうか」
「……そうですね」
名前をつけ、自分の好みの姿にすることで、対象にさらに愛着を持つようになります。
そして、自分と同じかそれ以上に大切に思うようになる。
それは多分、良いことなのでしょう。
でも、私はそれをしませんでした。
理由は、先ほど話したとおりです。
……ええ、アクセサリに対してあまり関心がないことは否定しません。
第四階層の目ぼしいゴミを拾い終えましたが、残念ながら百個には至りませんでした。
褒賞ゲットは次にお預けです。
ここから上の階層のロウストリートには、ほぼゴミが無いからです。
誰が掃除しているんでしょうね?
「エイノさん、今何時ですか?」
「現在の時刻は、九時十一分四十八秒です」
「この調子なら、十一時前には確実に戻れますね。じゃあ、続けて第五階層へ行きましょう」
「了解しました」
第五階層に到着しました。
誰の目から見ても、扱いが変わったことがわかります。
緑っぽくて暗かったロウストリートが、薄曇りの空の下にいるような雰囲気になりました。
ロウストリートの窓も、嵌め込まれてた鉄板が取り除かれて、セルガーデンと中央塔が見えるようになっています。
天井の監視カメラの数も、一気に六個にまで減りました。
初めてここに着た時、叔父に感想を聞かれて、ビックリしたと伝えました。
でも、何とも言えない居心地の悪さも感じていました。
私にとって綺麗な場所というのは馴染みがなかったから、そう思っていました。
「やっぱり第四階層までとは違いますね」
「はい。第五階層まで到達する咎人の向上心と努力を、パノプティコンも認めたということでしょう」
「そうですね」
エイノさんの言葉に頷きましたが、当然、素直にその言葉を受け止めることはしません。
上がるにしたがって、自分の存在がパノプティコン側へ明らかになっていきます。
つまり、監視の目がさらに強くなるとも言えます。
監視カメラの数が減っても、誰かが見ているかもしれない。
もしかしたら見ていないかもしれない。
そんな疑念と、PT法を遵守するよう教え込まれた私自身の心が、私を監視して無茶をしようとするとブレーキをかけるのです。
前に触れた息苦しさを、無自覚に感じ取った初めての場所、それがこの第五階層です。
ゴミはないかと探しましたが、やっぱり見当たりませんでした。
「この情報位階権限から、ボランティアも難しくなってくるんですよね」
「はい。今まで力押しできた咎人も、ここから先はしっかりとした戦術を学ぶ必要性を実感するでしょう」
「叔父や仲間の皆さんに教わる内容が、難しくなったことを覚えています」
「ちゃんと筋道を立てて教わることのなかった貴方は、随分と戸惑っていたようですね。ですが、チームを組んでの戦術の基礎は、第一情報位階権限からしっかりと出来ていたようで、飲み込みも早かったと、先代のアクセサリの記録に残されています」
エイノさんの言葉に、私はちょっとビックリです。
「そんな風に見られていたなんて知りませんでしたよ」
「それは、貴方から尋ねることがなかったからでしょう」
「あー……うん、そうですね」
苦笑いを浮かべます。
「そうか。でも始めからチームプレイができていたのは、育った環境のせいでしょうね」
それは、ストリートギャングのみんなで行動をしてきた中で身につけたものだと思います。
ストリートギャングは基本的に男社会です。
その中でガリガリのやせっぽちだった女の私は、周囲を観察し、場の空気と仲間の呼吸を読み、みんなのバックアップをすることを念頭において動いていました。
みんなが動く時にできる小さな穴を埋め、点を線にし、時に面で動けるようにフォローする。
それは、チームのリーダーや先輩に教えてもらったことではありますが、そこまで理論的に教えてもらったわけではなく、見て聞いて体で覚える程度のものでした。
まさか、それがボランティアで活かされるとは思いもよりませんでしたが。
そして、運命の第六階層へ。
ロウストリートの設備は、第五階層と変わりません。
ですが、この階層こそが、咎人にとっての一番大きな分岐点になります。
第四情報位階権限にとどまることなく頑張って戦ってきた人たちも、よほどの実力が無い限りはここで一度は足止めを喰らうことになります。
理由はご存知のとおり、第七情報位階権限取得考試の存在です。
昨日ご一緒したウメさんとヴェロニカさんも、それが理由でここで足止めをされていました。
この取得考試の難しさは、どのPTも変わることはないようで、ここにとどまる人も相当数います。
そこにいろんな組織の人たちが入り乱れ、活気があるのが特徴といえば特徴です。
私にとっても、大きな転換を迎えた情報位階権限でした。
五年前にここにたどり着いた私は、三年以上もここにとどまることになります。
三○四で自分のアクセサリが大破し、叔父と叔父の仲間が死に、自分に残されたモノが、叔父のアクセサリだったエイノさんだけになった場所です。
それでも何とかしようと立ち上がり、細々と貢献活動を続けてきましたが、前に触れたとおり、周囲の市民や咎人に裏切られ続け、その意思はあっさりとへし折れました。
そこに、今まで叔父たちによって隠され、私自身も目を背けていたPT社会の歪みと、叔父たちの死という現実が、庇護され緩みきっていた私に襲いかかったのです。
当然、当時の私は受け止めきれず、独房やセルガーデンに引きこもったり、貢献活動をしろと煩いエイノさんから逃げ出し、モザイク街で一日中ぼんやり過ごしていました。
当然、刑期もドンドン加算されていき目も当てられないような状態でした。
エイノさんに甘えと依存を指摘されるまで、それこそ廃ケーブル最低精度以下の咎人に成り下がっていたのです。
「ここから、エイノさんと一緒に貢献活動をするようになったんですよね」
「はい。仰るとおりです」
「エイノさんには、あの時は迷惑をかけましたね」
「貴方を監視し、貴方をパノプティコン民として幸福を享受できるよう教導し、補助するのが私に与えられた役割ですから、迷惑をかけられた覚えはありません」
エイノさんはきっぱりと無表情に否定します。
「迷惑をかけたとするのならば、それはパノプティコンに対して迷惑をかけたというべきでしょう」
「えーっと……」
「それに、現在も貴方は迷惑をかけています。ですから、謝罪をするのではなく、貴方に贖罪と成長の機会を与えたパノプティコンに対し、いかに貢献をしていくかを考えるほうが重要であり建設的であると言えます。資源価値はほぼない貴方のその脳を使い、知恵熱が出ない程度によく考えてください」
「あ、はい」
本当に情緒もへったくれもありませんね、このオニ軍曹は。
噂に寄れば、情緒プログラムとやらがあるそうですが、それをつけていたらもう少しヒトらしい受け答えができたのでしょうか。
でも、そんなご大層なモノがついていないエイノさんは、事務的に続けます。
「それでも謝罪をしたいというのであれば、民生院宛へどうぞ。いつでも二十四時間、年中無休で受け付けております」
「……わかりました」
いいんですけどね、これがエイノさんですし。
肩を落として溜め息をつきます。
エイノさんに甘えと依存の指摘を受けてから、一人で色々見て、調べて、考えて、はっきりとわかったのは、このままじゃいけないということでした。
周囲とエイノさんの手を借りずとも、一人で立てるようにならなければならないのだと。
そうして、ボランティアやセルガーデンの訓練場で特訓を重ね、グスタフさんに何回も半殺しの目にあいつつも、どうにか難関の取得考試をクリアできたのです。
「ミーティア。十一時まで後一時間です」
「了解しました。第七階層へ行きましょう」
あと一時間か、早いな。
胸を突く寂しさを確かに感じつつ、エレベーターで第七階層へ。
第七階層に来て、多くの咎人はさらに自分の立場が変わったことを自覚することになります。
私もその一人でした。
ロウストリートは白くてピカピカで綺麗で、天井の監視カメラはついになくなり、咎人の数もガクリと減ります。
明るく、清潔で、静かで、がらんどうなロウストリートが、自分の存在が内外へと否応なく浮き彫りになる感覚に、さらに居心地の悪さと息苦しさを感じたものです。
三ヶ月前まで、私はここにいました。
フェローカードの情報で、刑期はすでにゼロになっていたことは知っていましたが、第八情報位階権限に上がる実力はなかったのです。
ずっとこのままなのかな、そう思っていた矢先の大規模な天罰。
私は辛うじて生き残り、その功績を認められて第八情報位階権限に昇格、二級市民になりました。
でもその代償と言ってもいいでしょう、エイノさんが中破し、私はエイノさんを何とかしようと、パノプティコンとモザイク街をみっともなく奔走し、周囲に迷惑をかけながら今に至っている感じです。
「独房に戻りましょうか」
「了解しました」
第七階層を一通り見終えてエイノさんに声をかけると、エイノさんは頷きました。
そして第八階層、今の私の住んでいる場所に到着です。
第七階層と大きな違いはありません。
ですが、二級市民の居住区へ行けない私のような二級市民や、天獄からやってきた人たちも見かけるようになり、その表情には静かな自信に満ちていました。
本当にいろんな意味で、私にとっては場違いとしか思えない所です。
数少ない知り合いの自称元天兵さんと遭遇し、少し雑談をして、独房に戻ってきました。
「エイノさん、今何時ですか?」
「現在の時刻は、十時二十四分五十三秒です」
エイノさんとすごせるのも、後三十分ほどになってしまいました。
カップの白湯を一口飲みますが、どうにも落ち着きません。
「ミーティア」
「はい」
エイノさんに声をかけられ、いつもどおり返事をします。
「貴方にお伝えすべきことがあります」
「伝えること、ですか」
「はい」
エイノさんは頷きます。
何でしょう。
「新しいアクセサリの引継ぎの手続きですか?」
「それは、新任のアクセサリが担当する業務です。貴方はその指示にしたがっていただければ問題はありません。私がお伝えするのは、前の被監視者、クリストフ・“Z”・リュティからの伝言です」
「え?」
え? 何それ。
「伝言って」
「五年前の特殊ボランティアの際、クリストフから、伝言を預かっています」
ちょ、ちょっと待って!
カップを床に置き、エイノさんを食い入るように見つめます。
「それって、今頃言うんですか!?」
「はい。五年前の特殊ボランティアにおいて、劣勢に立たされた我がPTは、クリストフたちが担当していた戦域の放棄を決め、その戦域にいた全ての戦闘員に時間稼ぎの足止めを命じました。その際、クリストフは私に対し、自分がロストした時は貴方の元へ向かうよう命じ、音声メッセージを預けました。そして、私が貴方と合流を果たし、貴方の元を離れる時に、そのメッセージを伝えるよう申し付けたのです」
意図を理解して、思わず大きく溜め息をつき、肩を落としました。
多分叔父は、エイノさんと私が戦うのは、この場限りだと思ったのでしょう。
だから、そのように言ったのだと思います。
しかし実際には、エイノさんはそのまま私のアクセサリとなりました。
エイノさんは叔父の申しつけを忠実に守り、今日この日この時まで話さなかった。
そういうことなのでしょう。
ああ、本当に、エイノさんはエイノさんです。
どうにか平静を取り戻し、エイノさんを促します。
「理由はわかりました。では、その伝言を聞かせてください」
「了解しました」
エイノさんは、やっぱり事務的に応答し、程なくして音声が流れ始めました。
『ミーティア。ミーティ』
ノイズ混じりの叔父の声。
叔父の声です!
胸が一杯になり、思わず両手を握りしめました。
低く穏やかで、情に満ちたその声。
忘れるはずがないと思っていたその声ですが、それでも、色あせた思い出が色を付けて蘇るような気がしました。
でも、感動している場合ではありません。
ちゃんと内容を聞かなくては。
心を無理やり落ち着けて、叔父の声に耳を澄ませました。
◆
ミーティア。
ミーティ。
私はどうやら先に逝かなくてはならなくなったようだ。
すまない。
お前と、あの時交わした約束、空の果てへ共に行こうという夢を、果たすことができずに本当に無念だ。
私達の夢は、ここで潰えたと言ってもいいだろう。
それどころか、私の仲間もすでにロストし、一人になったお前には、もうこの夢すらとどめておける保証がなくなってしまった。
お前がこの夢を忘れてしまった時、もうそれを思い出させる存在がこの世にいないからだ。
記憶の喪失は、ウィルオーに依存した戦いを続ける咎人の宿命のようなものだ。
お前がどんなにこの夢を忘れずにいようとしても、決して避けられない、逃れられない、この世界の仕様だ。
それでも。
荒唐無稽な夢と未来を描いて語り、そのために枠の外へ挑戦できるのは、ヒトにしかできない。
お前は、あのモザイク街の奈落の底で、夢を見て、望む未来を私に語ることができた。
あの瞬間、お前はその日を生きるだけのケモノでもなく、搾取され消耗していくだけのモノでもなく、ヒトになれたのだ。
だから、私は嘆かない。
絶望もしない。
今のお前なら、今一度、夢と未来を描いて語り、挑戦することもできるはずだ。
私は、それを信じている。
だが、お前のことだ。
もしかしたら、へこたれて動けずにいるのかもしれない。
そうであるならば、今一度立ち上がり進むための力を与えよう。
私の全ての思い(ウィルオー)をお前に捧げよう。
私は、お前とお前の夢とともに生きることができて、本当に幸せだった。
心から感謝している。
ありがとう。
私のこの思いを喰らい、力にして、強く生きろ、ミーティ。
十万二千九年、六月二十六日。
クリストフ・“Z”・リュティ。
◆
「伝言は以上です」
エイノさんが事務的に告げましたが、私はそれどころじゃありませんでした。
……忘れていました。
ええ、こんなにも大事なことを忘れていたのです!
「エイノさん」
「はい、何でしょう」
震える声で呼びかけても、エイノさんは淡々と応答をします。
私もそれに構うことなく尋ねます。
「私の記憶の定着の数字って、咎人になった時から変わりましたか?」
「現在の貴方に、その情報を取得する権利はありません」
「エイノさん!!」
「現在の貴方に、その情報を取得する権利はありません」
思わず大きな声を出す私に対し、エイノさんはどこまでも無感情に告げます。
この無機質な態度が、これほど腹立たしく思ったのは何年ぶりのことでしょう。
でも、どこまで粘ろうとも、エイノさんは決して答えることはありません。
エイノさんは戦いのおけるパートナーではありますが、私の監視者であり、PT法を体現した看守であり、パノプティコンの繁栄と幸福拡大のために存在する機械(モノ)です。
そんなエイノさんが、私の個人的な事情など慮るはずなどありません。
叔父の伝言の内容とあいまって、思わず両手で顔を覆いました。
確かに、ここまで来るのにいろんなことがありました。
その結果、様々な事を忘れてしまっていることは否めません。
記憶をしていても、自分の中で勝手に書き換えてしまうことだってあるのです。
現に、私が咎人になった理由も書き換えられていました。
でも、こんなに大事なことを忘れてしまうほど、私の頭は残念な作りになっているのでしょうか。
否定しません。
否定はしませんが、別の可能性もありました。
ウィルオーの影響による、記憶の定着の低下。
それは咎人の、古代で言う『職業病』のようなものなのかもしれません。
私も例外なく、その病を患っているのかもしれない。
だからそれを確認したかったのですが……。
大きく落胆し失望もしましたが、それでも踏みとどまっていられたのは、その大事なことを思い出すことができたからです。
モザイク街のどん底で叔父と約束した、二人で空の果てへと行く夢。
その夢のために、私は咎人になって戦う道を選び、叔父はそんな私を後ろから見守り支えてくれたのです。
ですが、叔父が亡くなった今、その夢は完全に砕け散って残骸となっていました。
それを直視するのは、苦くて、痛くて、辛くて、しんどいことです。
でも……、思い出せて本当によかった。
そして心から願います。
これから先、どんなことがあっても、この記憶だけはなくならないで。
それが、どんなに儚く虚しい願いであったとしてもです。
ようやく心が静まってきました。
深呼吸を繰り返し、少なくとも私の意識する範囲で心は平常に戻ります。
顔を上げてエイノさんを見ました。
「エイノさん」
「はい、何でしょう」
「伝言、確かに受け取りました。ありがとうございます」
「礼の必要はありません。私はクリストフの申し付けに従って、伝言をそのままお伝えしたまでです」
「ええ。それでも、大切なものを受け取りました。だから、ありがとうございます」
「了解しました」
私は床に置いたカップを再び取り上げ、白湯を飲み干した時でした。
「ミーティア。生産維持部の職員二名が入室の許可を求めています」
ああ、ついに来てしまいましたか。
小さく息を吐き、頷きます。
「入れてあげて下さい」
「了解しました」
ベッドから立ち上がると、程なくして独房のドアが開きました。
男の市民二名が、私の前に立ちます。
一人は見知った顔でした。
エイノさんのメンテを担当した市民さん、リラン・ブラックスミス#eさんです。
私は丁寧に頭を下げました。
「お疲れ様です」
「ああ」
リランさんは鷹揚に頷きます。
そして、表情なく私を見上げます。
その様はまるでエイノさんのようですが、決定的に違うのはやはり情が表に滲み出ることです。
静かにそして穏やかに彼は告げます。
「ミーティア・“N”・リュティ。君のアクセサリの回収に来た」
「はい、お待ちしていました。いつでも大丈夫です」
「そうか」
声が震えそうになり、どうにかして声帯を引き締め、この時のために用意した言葉を紡ぎます。
「リランさん」
「何だ?」
「その節はお忙しい中、本当にお世話になりました。ありがとうございました」
「全グハっ!!」
リランさんの隣にいた市民さんが横柄に答えようとしたところで、リランさんの裏拳が彼の顔面に見事に炸裂しました。
鼻血を噴き出し仰け反る市民さんを一瞥することなく、リランさんはハンカチを取り出し、その手を拭きます。
市民とは思えない、目の覚めるような素晴らしい反応と威力。
咎人上がりの市民だと言われたら、思わず納得してしまいそうです。
私の思いを知るよしも無いリランさんは、再び口を開きました。
「ボランティアによって大破するアクセサリが多い中で、私たちの手によって無事に回収できることは、パノプティコンにとって紛れも無く幸運なことだ。君のアクセサリのデータを含めた全ての資源は、パノプティコンの幸福と繁栄の為、最大限に活用される。……誇りに思いたまえ」
「……はい」
私は頷き、控えているエイノさんを見ました。
いよいよ本当にお別れです。
「エイノさん」
「はい、何でしょう」
「叔父の分も含めて、今日までありがとうございました。そして十八年間、本当にお疲れ様でした」
私は深くお辞儀をしました。
わななく口元をどうにかして真一文字にします。
「ミーティア・“N”・リュティ」
エイノさんが呼びかけ、私は顔を上げました。
エイノさんのくすんだ緑の目が、私をいつものように見据えています。
「今までも再三申し上げてきましたが、最低精度な貴方の脳みそを考慮して、今一度申し上げたいことがあります」
最後の最後までこれですか。
小首をかしげ、そして続きを促します。
「何でしょう」
「はい。社会に対し、貴方自身がどのような貢献を行い、どのように幸福希求していくのか。それを考えることを、決して忘れないで下さい。そして」
私を見据えたまま言葉を区切り、再び口を開きます。
「自分の足で一人で立ち、強く生きて下さい。ミーティア」
エイノさんの表情は、無表情なままです。
それでも、私の胸にくるモノがありました。
ええ、錯覚です。
ご都合主義な思い込みです。
自分にとって都合のよい真実しか認識しようとしない、あまりにも身勝手なフィルターを通したモノです。
だからこそでしょう、確かに、心に届いたモノがありました。
届いたモノに体が反応し、目が熱くなり、零れ落ちそうになるモノを堰き止めるため、目を硬く閉じます。
思いを、ちゃんと言葉で伝えなければ。
私は目を開きました。
万感の思いを込めて、エイノさんの姿を、目と頼りない脳みそに焼きつけます。
「エイノさん」
「はい、何でしょう」
呼びかける声は震えていました。
表情なく立っているエイノさんに、私は頬を動かして笑顔を作りました。
上手くいったかはわかりません。
「ありがとうございます」
伝えて、再び頭を下げました。
この言葉が、私の全ての気持ちを表現しているわけではありません。
でも、この言葉以外に、適切な言葉を見つけることはできませんでした。
しばらくそうしていて頭を上げると、やはり何の情も浮かべずに立っているエイノさんと、思慮深げな表情で私を見るリランさんと、鼻を押さえながらどうにか立ち上がった市民さんを見ました。
リランさんは、改めて私に視線を合わせました。
「リュティ。聞いているとは思うが、新しいアクセサリが到着するまで、君はここで待機だ。遅くとも十分後には到着する」
「了解しました」
リランさんは頷くと、エイノさんを見ました。
「では行くぞ」
エイノさんは無言で扉の前に立ちました。
扉は再び音を立てて開き、そして、エイノさんは一度も私を見ることなく、独房を出て行きます。
「それでは、失礼する」
リランさんたちも出て行き、扉は無機質な音を立てて閉まりました。
…………。
行ってしまいました。
あまりの呆気なさに、私は所在をなくして立ったまま扉を見つめ続けます。
エイノさんと離れること自体は珍しいことではありません。
普段はアクセサリの監視外行動権で単独行動を取っていますし、エイノさんのメンテナンスで離れることもありました。
ですが今回こそは、エイノさんがここへ戻ってくることは二度とありません。
それなのにまだ、エイノさんが戻ってくるような気がして。
でも、それこそ本当に気のせいなのです。
エイノさんは、今日中に再資源化されて、この世のどこにもいなくなるのです。
エイノさんの無表情な顔が思い浮かび、それをきっかけに次々にエイノさんと過ごした日々が思い浮かびます。
人の心を最後まで理解することなく、十八年間、パノプティコンのために戦い続けた歴戦のアクセサリ。
五年間、不出来な私を監視し、一人前になるよう導いてきた厳格なオニ軍曹。
パノプティコンのためという前提もあるでしょうが、最後の最後に、私に声援(エール)を送ってくれた、かけがえのない協汎者(パートナー)。
大切な、本当に心から大切に思っていた叔父が残した、叔父の思いの形。
今の今まで必死に堰き止めていたモノが、溢れて顔を伝い流れ出していましたが、泣きじゃくりへたり込むことだけは自制できました。
これは、私がきちんと受け入れなくてはならない、……いえ違いますね、きちんと受け入れる現実です。
その思いと、先ほどエイノさんから受け取った言葉たちが、私をどうにか支えていたからです。
大丈夫、まだ立っていられる。
それでも今は、せめて新しいアクセサリが来るまでは、このままでいようと思いました。
だって、叔父とエイノさんを思って涙を流せるのは、もうこの世界に私しかいないのですから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
誤字脱字、その他修正がありましたら、随時対応をします。
また物語の展開等に無理あったらごめんなさいということで。
今までの話数は一万文字前後だったのですが、今回はエイノとの別れまでを一気に掲載しました。
次回は後日談、次々回はエピローグとなります。
陰々滅々としたこのお話も、後もう少しでひとまずの終りを迎えます。
最後までお読みいただけましたら幸いです。
今まで活動報告に載せていた補足ですが、ぷらいべったーに掲載をすることにしました。
http://privatter.net/u/chika_march
見るためにはログインが必要になります。
今後は、キャラクターの設定なども載せる予定ですが、大したことは書いてありません。
ご興味のある方だけどうぞ。
それではまた。