私の住んでいたモザイク街の少し離れたところに川が流れていました。
建物と建物の間を流れ、外壁と呼ばれる大きな壁のさらに向こうまで流れていると聞いた、黒とも茶色とも言えない、くすんで、汚くて、酷い臭いのするドブ川。
モザイク街のヒトが捨てるあらゆる排水の中継地点です。
私は、このドブ川に育てられたようなものです。
このドブ川で生きる糧を得て、様々な人と巡り会いました。
幸運な出会いもあれば、不幸な出会いもありました。
トト、フラタニティのスパイクさん、市民のエンキ、自称女天兵のベルと出会ったのも、この川でした。
でも、この川を見るのも、今日で最後になります。
何故なら、叔父とともにこのモザイク街から出て、別のPTのモザイク外へと移り住むことになったからです。
私の叔父が現れたのが半年ほど前。
フラタニティのスパイクさんの伝手で初めて遭遇しました。
叔父は私を見た途端、やっとやっと見つけることが出来たと言って街の目抜き通りでへたり込み、大声を上げて泣き出して、私やスパイクさんはもちろん、街中の人をドン引きさせるという類まれなことをしでかしたのです。
だからと言って、そう安々と信じられるほど、この街の人達はお人好しではありませんでした。
叔父の話を聞いた私の仲間はもちろん、スパイクさんやエンキ、ベルから叔父はチェックを受けることになったのです。
そうは言いつつも、仲間のシャーロットとベルは、
「キタキタキタ来ましたよー! 渋いヒゲのオジサマ、やってキター!」
「よっしゃあああっ! 飛んで火にいる渋いヒゲオジ! 速攻ゲットだぜ!!」
とか言っていましたから、どこまでちゃんとチェックしたのかは不明です。
ただ、男の人の見る目のある二人が大騒ぎするくらいでしたから、叔父はカッコいい部類に入る人だったと思います。
でも私にしてみれば、出会いの印象があまりに大きすぎて、カッコいいとは思えませんでした。
日に焼けた顔に喜怒哀楽をはっきりと浮かべ、人好きしそうな、それこそどこにでもいる普通のおじさんでした。
ただ、くすんだ緑色の目の表情、落ち着いた呼吸、仕草の一つ一つが、とても強いヒトだと察することはできました。
三十年近く咎人を続けてきたのですから当然です。
ですから、素直に叔父のことを強い人なんだねと告げたら、叔父は首を振り、苦い笑みを浮かべて言いました。
「私は強くないよ。だってここまで来るに、八年もかかってしまったのだから」
私が強ければ、お前をもっと早くに迎えにこれた。
叔父の苦渋に満ちた表情に、私はうつむきます。
そんな表情をして欲しくて言ったつもりはなくて、子供心ながらに後悔したものです。
みんなのチェックを受けている間、そんな感じで叔父と話す機会はあって、ここまで来た経緯や家族のことを聞きました。
正直、両親のことはもうほとんど覚えていませんでしたから、両親の話はピンとこなくて。
それよりも、叔父がどうやってここまで来たのかを聞かせてもらうほうが楽しかったです。
この世界だけしか知らない私にとって、叔父の旅の話はとても新鮮でしたから。
叔父もそれがわかったのか、いろんなPTのいろんな人やモノのことを話して聞かせてくれたものです。
そうして半年が過ぎ、叔父のチェックは終わって、無事合格点をもらいました。
私も叔父のことを信頼するようになって、それでも色々悩んで色んなヒトに相談して、最終的には叔父とともに行くことを決めました。
正直、皆と離れるのは本当に本当に寂しかったのですが、このどん底にいても、私に決して明るい未来はないことを、私を含めた周囲の人全員がわかっていたからです。
昨日、お別れ会をしてくれたのですが、私の仲間どころか見知らぬ人までやってきて、ものすごく賑やかなものになりました。
そして先ほど、仲間のみんなとお別れをし、叔父に無理を言って、この川に連れてきてもらったのです。
珍しく濃い灰色の雲が空一面を覆いつくし、まるで蓋をしているような空の下、汚泥でぬかるむ川に立っている私の隣に、叔父が何も言わずにそばにいてくれました。
私には疑問があって、でも何となく聞きづらいというか、聞きたくないというか、そんな気持ちで聞けなかったことを、尋ねてみることにしました。
「叔父さん」
「ん?」
「一個聞いていい?」
「なんだ」
私は叔父に目線を合わせず、空を見たまま切り出します。
「ここを出たら、息苦しいのってなくなるのかな?」
「息苦しい?」
叔父が尋ねるので、私は率直に話します。
モザイク街の暮らしも、仲間のみんなのことも好きだし楽しいけど、たまらなく息苦しくなる時があると。
あの空を覆いつくす雲のようなものが、自分の心や体を塞いているような感じがすると。
当時の私には、その息苦しさの原因はわかりませんでしたが、この息苦しさから逃れたいと、そう告げたのです。
叔父は黙りました。
結構長く黙っていたので、私の言ったことが伝わらなかったのかと疑問に思った時でした。
「……なくならないな」
叔父は、吐息とともに告げました。
「そっか」
私は短く応じます。
なんとなく予感はしていました。
だから、聞くことでその事実を確定させたくなかったのですが、でも、子供心にある程度の覚悟はできました。
「うん、なくならない。少なくとも天罰が無くならない限り、どこにいても、どんな人間になっても、ずっとこのまんまだ」
しかし、叔父の話は続いていました。
「私達は、天罰を引き起こす連中のヨウブンのようなものだからな」
「ヨウブン?」
「成長に必要なモノのことだ。私たちは天罰を引き起こす連中、天獄のための栄養価の高い食いもんのようなもんでな。巡り巡ってこのモザイク街の人たちも、例外なくその養分になっている」
このPTでも過去に天罰はあって、私の周囲の人はもちろん、仲間にも死んだ人がいました。
でもそれが何故起こっているのか、エンキと知り合って、その目的を何となく理解でき始めたばかりでした。
ですから、叔父の話は少し難しくて首を傾げます。
「よくわかんない」
「大丈夫だよ。今は聞いておくだけでいい。また教えるから」
叔父は苦笑し、そして私の頭を軽く一つ二つと叩き、空を仰ぎました。
「天獄の連中にとって、私達は大切な養分だ。根こそぎ取って、絶滅されたらたまらない。だから、最低限の養分を残して奪い取っていく。でも、彼らにとって大切な養分は、私達にとっても大切な養分だ。その養分を奪い取られた私達は、生きていくのに精一杯で成長をすることができない。成長したかったら、他の持っている連中から奪い取るしかない」
その部分は理解できました。
それは、私が今まで生活してきた中で、ありふれたことのだったからです。
だから、また首を傾げました。
「ここに住んでいる人と同じことをやってるの? 頭も良くて力もあるのに?」
「そういう仕組みになっているからな」
「……やっぱり、よくわかんないよ」
「うん。私もわからないよ。わからないことだらけだ」
叔父がわからないことを、私が理解できるはずもありません。
愚かな私の脳みそはフル回転をしていましたが、虚しい空回り状態でした。
なので、理解するのは諦めて、叔父に倣って空を見上げます。
「天罰をする人たちは、あの空から来るんだよね」
「ああ、そうだよ。あの空の果てのどこかにいる」
「その人たち、普段は何をしているのかな」
叔父に聞いてもわからない疑問を、私はそのまんま口にしました。
「ベルね、空の上から来たって言ってたよ。何で来たのって聞いたら、空の上がつまんなかったからだって」
「そうか」
叔父の顔を見れば、その表情は複雑な影に彩られた厳しいものでした。
私は叔父になんて声をかけていいかわからず、それでも思ったままのことを口にします。
「私達を食べて、何してるんだろうね」
叔父は答えません。
答えられるはずもないからです。
私はその沈黙に耐えられず、足りない頭を働かせて考えましたが、話題は全く浮かびません。
何をしていいのかわからず、空を再び見上げた時でした。
重たい蓋のような厚い雲がひび割れ、そのひび割れた隙間から白とも黄色とも付かない光の柱が、地上に向かって斜めに伸びていました。
私は思わず声を上げました。
この川には毎日訪れていましたが、雲が出ているだけでも珍しいのに、こんな光景を見たのは初めてだったからです。
そして光の出発地点、雲の向こうに目を凝らしましたが、白く輝いていて何も見えませんでした。
もちろん、雲の向こうはいつもの青い空のはずです。
でも、その不思議で綺麗な光景は、その向こうに別の世界があるように思えました。
それは一体、どんな世界なのでしょう。
ほとんど無意識のうちに、私は思ったことを口にしました。
「行ってみたいな」
叔父がこちらを見たことを感じ、私も叔父を見上げます。
「あの空の向こうに行ってみたい。そんで、私達を食べている人がどんな場所に住んでて、何してるのか知りたい」
叔父は目を見開きました。
当時の私は、叔父が何故驚いたのかを理解できませんでしたが、今ならわかります。
私はこの時初めて、自分の夢を語ったのです。
その日を生きることができればいいと思っていた私が、初めて、未来への希望を口にしたのです。
叔父の厳しい表情が崩れました。
目を潤ませ、口を震わせて、それでも何かにこらえるように横に引き締めようとしていました。
子供の私は、それがダメなことをだと受け取りました。
「やっぱダメだよね。てか、無理だよね」
「いや」
叔父はゆっくりと首を振り、崩れるような笑顔を浮かべました。
「行けるさ。お前が本当に行きたいと望み、諦めなければな」
「ホントに!?」
「本当だとも。私はそうやってお前を見つけ出すことができたんだ。諦めなければ、きっと叶う。でもそれは、とても大変なことだから私も力を貸そう」
「叔父さんも来てくれるの!?」
「ああ、約束する」
叔父は深くうなずき、そして私の右手を取りました。
「一緒にあの空の向こうに行こう。そして、私達を食い物にしている連中の住処を拝みに行こう。きっと、凄いところに違いないからな」
「うん! 一緒に行こう!」
それはあまりにも幼くて、荒唐無稽な夢です。
実現はほぼゼロで、空の星よりも遥かに遠い、夢というより妄想と言うべきでしょう。
それでも叔父は、それをちゃんと受け止めてくれたことがわかりました。
私は嬉しくて、叔父の大きくて硬くて分厚くて温かい手を握り返します。
叔父と一緒なら、きっとどこまでも行ける。
一欠片の根拠もない信頼を胸に、再び空を見上げます。
「でね、見に行ったら、トトやみんなにも教えたげるの」
「それはいいな。サケのいいツマミになる」
叔父も空を見上げます。
叔父の表情に、先ほどとは違った緊張感がみなぎっていました。
子供の私にはそれが何なのか、やっぱりわかりませんでした。
ですが、その目には力強い光が灯っていて、まるで太陽のようだと思い、また嬉しくなりました。
叔父は再び口を開きました。
「頑張って生きて、一緒に行こう」
「うん!」
私と叔父は手を握り、その光の柱が見えなくなるまで黙って空を見続けたのでした。
このドブ川は、私を育んだ場所です。
そして、この世界の養分に過ぎなかったケモノの私が、ヒトへと進化した場所であり、ヒトとして尽きることのない痛みと苦しみと挑戦への、スタート地点でもあったのです。
<薔薇と堆肥:終わり>
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
誤字脱字、その他修正がありましたら、随時対応をします。
陰気なこの物語も、ようやく終わりを迎えました。
世界観が好きという理由だけで、このゲームに付き合ってきました。
好きなNPCも、アクセサリも、命がけの貢献活動も、彼らをとりまくあらゆる事象が、世界観を考えるヒントであり謎です。
それをあれこれ考えて想像(妄想)するのが、ゲーム以上の楽しみになっていました。
しかし、あまりの穴の多さに自分の貧しい知識と想像力では到底追いつかず、考えるのに疲れ、じゃあわかっている部分を元に、改めて世界観を見直そうというのが、今回の話を書く本当のきっかけでした。
そして、捏造ではあるものの、モザイク街という異世界からやってきた、過去の記憶をしっかり持つ、ぼっちな二級市民を主人公にしました。
特定の仲間を持たせず、理解者からもいろんな意味で距離を離し、最後の命綱とも言うべきアクセサリにすがることを許さず、一人にすることで、この厳しい世界とどう関わるのか、それを書いてみたかった。
ゲームの主人公、前作の男主人公とは違った視点で、この世界を見てみたかった。
特別な力も使命もない、確実なものを見聞きすることも、知ることも、手に入れることもない、不確かで曖昧な自分と世界に生きる普通のヒトを書いてみたかった。
当初は男の設定でしたが、女にすることでさらに追い込んでみました。
でも、不確かで曖昧という点においては私達が生きるこの世界でも変わりはなく、結局この物語も、陰気で今更な、探せばいくらでも転がっているような、何てことのない、ありふれたものとなりました。
このぼっちなモブ二級市民、すでに疲弊しヘロヘロではありますが、本当の意味での独り立ちに向けてスタートを切りました。
この次があるのなら、この話の状態よりは成長し、強く逞しくなっているのではないかと思います。
そうでなくては困る。
こちらとしては、もっと厳しい状況に放り込む気満々ですから。
反省点も、書けずに心残りになっている点も多々ありますが、物語をひとまず完結させただけでも上等と自己満足しております。
ただ、精進して次に活かしたいですね。
楽しく、自分のペースで書いて、そして形にできたら、またひっそりとアップしたいなと思っています。
その時に、歌やグッズではなく、何かしらの情報が出ていたらいいのですが。
稚拙な上に、捏造と自己満足の話でしたが、それでもお読み頂きました方々に感謝を捧げます。
評価や感想は特に求めておりませんが、それでも少しずつ上がる閲覧数は、投稿のモチベーションとなっておりました。
本当にありがとうございます。
機会がありましたら、またお会いできれば嬉しく思います。
それではまた。
小栗チカ