目が覚めた時にはパノプティコンに着き、いつものモザイク街の広場は、すっかり夜の装いに変わっていました。
侵攻直後ということもあり、緊張感とひりついた空気が支配していましたが、それでもやっと戻って来ることができました。
ホッとすると同時に、心に冷たく引っかかるものがありました。
ジャックチームの皆さんと、アルフレッドワンことグスタフさんの安否が不明のままです。
この混乱でわからないだけで、無事に戻ってきているといいのですが。
私はライズさん、ヴェロニカさん、ウメさん、そして彼らのアクセサリ、最後にエイノさんのを見ます。
「皆さん、本日は本当にありがとうございました。お疲れ様でした」
深く頭を下げました。
「お疲れさん」
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様」
皆さんも唱和してくれました。
そこにすかさず、グラスを四つと水筒を持って来たのは、ライズさんのアクセサリです。
「ライズさん、これ」
「ああ、気にすんなよ。これが最後だからな」
アクセサリは、グラスを私たちに渡し、水筒からお水を注ぎます。
こういう気遣いはまだまだ敵わないなぁ。
思わず苦笑する私に、ライズさんは楽しげに笑って水を掲げました。
「んじゃま、ささやかではありますが、超ハードだった三○四から生還し、ヴェロニカとウメの第七情報位階権限昇進(暫定)祝いと、ミーティアのアクセサリ『オニ軍曹』ことエイノ君の十八年間の慰労、そして三ヶ月間俺が世話になったこのPTの自由と平和とその他諸々を祈願して乾杯!」
「乾杯!」
聞きなれない声が混じり、思わず声の主を見れば、あ!
「やあやあやあ、皆さん、本っ当にお疲れさんっすよー」
ハルカさんでした。
いつもの軽薄な調子ではあるものの、その声には珍しく気遣いを感じることができました。
でも、いつの間に輪に混じっていたんでしょう。
気配の殺し方が、洒落にならないレベルです。
突然のハルカさんの登場に、ヴェロニカさんとウメさんが固まっていました。
「あの、何故ハルカさんがここに?」
「そーだよ。お前確か、今日どっかのPTに出向するんじゃなかったのか?」
私が尋ねると、不愉快そうに顔をしかめて言葉を重ねるライズさん。
「おや、彼女から聞いたっすか? まあそうだったんすけどね──」
ハルカさんが言うには、三○四でのディオーネ爆発の影響で、主要道路が封鎖され別ルートの安全が確認取れたら出発することになったとのこと。
「ふーん。でも、お前らの組織は、あのPTの事情を把握していたんじゃないのか?」
厳しい表情で言うライズさんに、ハルカさん大げさに肩をすくめます。
「さあ。上はもしかしたら把握してたかも知れないっすけど、俺のような末端までは届いていなかったっすねぇ」
「本当かよ」
「俺が真実を語っても、旦那には真偽を判断する材料がないっしょ。なら、そんなの意味がねぇっすよ」
ハルカさんの胡散臭い言動に、ライズさんはかなり怖い感じの舌打ちをしました。
実際、どこまで嘘か本当かわかりません。
問いただしても、上手いことはぐらかされそうな気がしました。
フラタニティの事情も、やはり真相は闇の中。
知ることのできる真実の少なさに落胆と疲れを感じ、思わずうつむく私ですが、その横で彼は手袋に包まれた手を大きく打ち鳴らしました。
「ま、俺にとっちゃ将来の上客になるであろう皆さんの無事が確認できただけでも、万々歳っすよ。でもあれっすね。旦那が今日帰っちゃうのは本当に残念っすよー。結局、旦那に天使ちゃんを紹介してやることが出来なかったっす。天使ちゃん達に旦那の話をしたら、物凄く楽しみにしてくれてたんすけどねぇ」
腕を組んで唸るハルカさんに、ライズさんは鼻で笑いました。
「ハッ、ざまあ! お前らの店なんて誰が行くかよ。安酒のオトモに、適当なおっぱいの谷間と、恥じらいも何もないパンチラ見せて、がっつりぼったくるんだろ?」
「……旦那、俺は旦那のこと、結構評価してるんすよ」
ハルカさんの声がすっと下がりました。
今までに無い緊迫感に溢れた声です。
「女に関しちゃ百戦錬磨の旦那と、旦那のフリーダムウォーズなジュニアを相手にするからには、フラタニティの名にかけてそれ相応の店を紹介するっすよ。それにパンチラって何すか? 風が吹いただけで勃つような年でもないっしょ」
台詞は最低ですけどね。
呆気にとられるウメさんとヴェロニカさんを背に、ライズさんは不敵に笑いました。
「へぇ。大きく出たな」
「フッ。俺が紹介するのは、旦那のあくなき女への探究心を満たし、ジュニア君の攻撃性を増大をさせること、間違いなしの店っすよ」
ハルカさんは顎を引き、片腕を大きく振り上げ手のひらを空に向けました。
「天使ちゃんたち全員、はいてない店っす!」
…………。
カッコまで付けて何言ってるのかな、このヒトは。
ライズさんの目が、すっと細くなりました。
あからさまに侮蔑の視線をハルカさんに飛ばします。
「フン! この、ド変態組織め!」
「お褒めいただき、恐悦至極っす」
振り上げた右手を優雅に胸に当て、キレイにお辞儀するハルカさん。
そんなハルカさんを、ライズさんは傲慢な上級市民のような表情で見下ろしています。
と、ライズさんはくるりと私たちに背を向けました。
「今度遊びに行ってやってもいい」
え?
「えっ!? マジっすか!? おおおおおっ! よっしゃあああああっ!!」
ガッツポーズと共に歓声を上げるハルカさん。
背を向けたままのライズさんの腕を、ヴェロニカさんとウメさんが掴みます。
「ちょっとライズ!?」
「ダメよ、ライズ! その店は血塗られし呪われたカミのヤカタよ! 貴方のタマシイをダラクさせようとしているのよ!」
「だってぇ、行ってみたいじゃん、見てみたいじゃん、はいてない店! やっぱさ、オトコノコは生涯に一度は冒険の旅に出ないとダメなんだよ! 成長できないんだよ!」
「もうオトコノコっていう年じゃないでしょ!」
「歳をとっても夢を見るのは構わないわ。むしろステキよ。でも現実もちゃんと見て!」
ヴェロニカさんはともかく、ウメさんにそれを言われたらおしまいのような気がします。
ライズさん、本当にブレない人ですね。
お水を一口飲んで小さく溜め息をつきます。
この賑やかさは、先ほどの戦いの反動だと言うことはわかっていました。
そして、お別れの楽しいものにしようとする、皆さんの心遣いなのだと思います。
……多分。
このささやかな宴が終わったら、ライズさんたちは今夜中に自分達のパノプティコンへと戻ることになります。
ライズさんの、このパノプティコンへの在留許可が今日までになっていて、それを過ぎると重大なPT法違反になるからです。
ふと、ライズさんがこちらを向きました。
「そういや、ミーティア。三○四へ行く前に、俺に話があるって言ってたよな」
「……ここまで色々ありすぎて忘れてました」
「えー、俺はちゃんと覚えていたのにぃ」
この場で聞くことになりましたか。
私はライズさんに視線を合わせました。
私の表情に、ライズさんは体ごと振り向き、腕にくっついていたお二人も離れます。
「聞きたいことがあったんです」
「何でしょ」
先ほどのふざけた表情とは打って変わった余裕のある大人の表情。
私の話をちゃんと聞こうとする雰囲気が伝わってきます。
「あの三ヶ月前の天罰から、ライズさんには本当にお世話になりました。でもどうして、私をずっと助けてくれたんですか?」
ライズさんはいい人です。
でも、いい人なだけではもちろんありません。
ヒトが誰しも持つ打算だとか、欲望だとか、自分本位な部分もちゃんと持っていて、それを自覚して利用できるヒトです。
だからこそ、付き合って何の利益をもたらさない私のような存在と付き合おうとするのか、その理由がわかりません。
すると、ライズさんは腕を組みました。
「それはだな、ミーティア。お前のちゅー目当て」
「ライズ、真面目にやって」
「俺、旦那のそういうあえて空気を読まない態度、嫌いじゃないっすよー。嫌いじゃないっすけど、でも今はねぇ」
ヴェロニカさんどころか、ハルカさんにまで窘められ、さらにはウメさんの視線までもが冷たくなっていました。
さすがにばつが悪くなったのでしょう、ライズさんは頭を掻きました。
「あー……、そうねぇ……」
珍しく言葉を濁します。
少しためらった表情を見せ、
「そんな御大層なものじゃないんだが」
そう言って、改めて私を見ました。
「俺はモザイク街の隅っこかつ端っこの方で生まれ育ってさ、食い物にされている女子供を見てきたわけだ。んで、ガキの頃からなんでかわからんけど、そいつらを助けたい、守りたいと思っていた。でも、そう思う俺もガキだから、当然助けられるわけないじゃん。むしろ助けが必要な方なのに、それが本気で悔しくてな。だから、咎人になろうと思った。力をつけて、食い物にされている女やガキを一人でも助けたかった」
そして、ライズさんは笑いました。
「とは言ってもこの世界、そんな女子供が多すぎて、俺の手だけじゃ救いきれないけどな」
でもその笑顔は、いつもの飄々としたもののはずなのに、どこか寂しげでした。
「それはともかく。君は俺の境遇を感じ取っていたんだろ? 俺も君の境遇は察することができた。だからこそ孤立していて、PTの食い物にされている君を助けたかった。理由はただ、それだけなんだ」
それは、あまりにもシンプルで、だからこそ胸にきました。
恐らくはかなり省略されているであろう、彼の過去話を疑うことは容易いです。
でも、話をしていた彼の表情から、嘘を感じることはできなくて。
きっと彼は、その差し伸ばした手を振り払われたり、ひどい扱いを受けることもあったでしょう。
それでも、そのシンプルな思いは揺らぐことはなく、手を差し出し続けていたんだと思います。
私にはできなかったことを、彼は現時点でもできている事実が、自分の弱さを実感するとともに、とても嬉しいのです。
「ありがとうございます。ライズさんは、本当にいい人ですね」
助けてもらえて、嬉しかった。
ライズさんに会えて本当によかった。
だから、私は心からのお礼を言ったのですが、ライズさんは渋い表情になりました。
「昨日も言ったけど、俺はそのいい人って言葉が好きじゃない。そうだ!」
ライズさんは指を鳴らし、そして腕を大きく広げました。
「俺と一緒においで! 優しくていい人だけじゃない俺も見せてあげよう!」
「ずっと助けられているわけにもいきませんから、一人でも立てるようにしばらくはここで頑張ります」
笑って言うと、ライズさんは大げさに肩を落としました。
「あーあ、つれないねぇ。この三ヵ月、結局君とはちゅーはできなかったなぁ」
「旦那はもっと切実にちゅーをしたい女がいるんすよね。そっちを頑張ったらどうっすか?」
「お前はさあ、いらんことを言ってんじゃねーよ。余計なお世話だってーの!」
ハルカさんのツッコミに、露骨に顔をゆがめるライズさん。
ライズさんに本命がいることは、ハルカさんが度々触れているので把握していますが、どんな人なのでしょうね。
興味はありましたが、胸に納めておくことにしました。
聞く機会、あるといいな。
この後は、エイノさんやアクセサリも含めて、皆さんといろんな話をして過ごしました。
特にヴェロニカさんやウメさんのような女の人と、自然に会話が出来て、ストレスなく過ごすことができるのは、ずいぶん久しぶりのような気がします。
こうして楽しい時間は過ぎていき、いよいよお別れの時間がやってきました。
ライズさんのアクセサリがグラスを回収し、ヴェロニカさんとウメさんと、フェローカードの交換をします。
「今度はうちのPTにも来てね。時間を取って、みんなで一緒にモザイク街を見て回りましょう」
「はい、是非案内して下さい」
ヴェロニカさんは親しげに笑いました。
この次に会う時は、第八情報位階権限に昇格しているのでしょうか。
同盟が続いている間に、またお会いできたらいいな。
「ミーティアさん、貴方には私やライズ同じ世界を見ることができる力があると思うの。私たちの聖域へ来たら、第三の目の使い方を教えてあげる。だから是非声をかけてね」
「……はい」
第三の目ってなんでしょう。
そして、やっぱり何か誤解をされてしまっているようでした。
次に会う時には、誤解を解く努力をする必要がありそうです。
そして、最後にライズさんが私の前に進み出ました。
「んじゃ、短いながらも楽しい宴もここまでだ。三ヶ月間、本当にありがとうな」
「こちらこそ、本当にありがとうございました。どうかお元気で」
差し出された手を握った瞬間、何をするのか悟って身を引こうとしましたが一歩及ばず。
私の唇に、ライズさんの唇が触れていました。
最後の最後でしてやられました!
「よおしっ! 難攻不落のこのボランティア、ようやくクリアしたぞおおお!!」
「旦那……」
「もう、子供じゃないんだから、はしゃがないの」
呆れ果てる私たちを尻目に、ライズさんはガッツポーズを取りつつ、この三ヵ月で一番の会心の笑顔を見せました。
「それじゃ、またな!」
こうしてライズさんは、ヴェロニカさんとウメさんの肩を抱き、アクセサリたちを後ろに従え、大変にご機嫌な様子で広場を出て行きました。
瞬く間に私の周辺の温度が下がり、いつものモザイク街の喧騒が戻ってきました。
「ライズさん、最後の最後までライズさんだったなぁ」
「このシケたPTには中々いない、楽しい御仁だったっすね」
私の呟きに、ハルカさんは半ば呆れたように答えました。
そしてふと気づきます。
そういえば、ライズさんが何で自由に見えるのか、結局わかりませんでした。
「どうしたっすか? なにやら物憂げなご様子。あれっすか? 旦那がいなくなって寂しいってやつっすか?」
隣りにいる彼が声をかけてきます。
無関心と野放図の見本のような彼ですが、とても目敏いところがあって、本気でずるいと思うことがあります。
今もそうです。
「寂しい気持ちは否定しませんよ。でもそうじゃないです」
「じゃあ、何なんすか?」
珍しく食いついてきます。
こうなると誤魔化すのも面倒に思えて、今思っていたことを率直に話しました。
すると、彼は鼻で笑いました。
「何だそんなことっすか。んなの簡単っすよ。旦那は、PTに依存していないからっす」
「PTに、依存?」
「そうっすよー。お前もよく考えるといいっす」
答えは教えてくれても、解説まではしてくれないハルカさん。
ただでさえ考えることはいっぱいあるのに、また課題が増えてしまいました。
でも、知りたいと思う以上は、一つずつでもこなしていきましょうか。
小さく息を吐き、そして彼を見上げました。
「ハルカさんは、お時間、大丈夫なんですか」
「後もう少ししたら出発っすね。だから、最後の最後で詰めの甘いお嬢さんに、昔のよしみでプレゼントをくれてやるっすよ」
そう言ってハルカさんは、黒いスーツの内ポケットから何かを取り出すと、私の胸の下を通るベルトにそれを押し込みました。
一部の隙もない流れるような動きに一瞬何をされたのかわからず、慌てて押し込まれたものを手に取ります。
「スイートバー」
「ただのスイートバーじゃないっすよー。フラタニティ印の超レアリティのあるスイートバーっす」
「お代は?」
「プレゼントって言ったっしょ」
「原材料と混合比は?」
「企業秘密っす」
恐ろしいシロモノを掴まされたものです。
「あの、これ」
「痛み止めっすよ。何でも古代では、ガキが痛い目や辛い目にあうと、大人が甘いものをくれてやる習慣があったらしいっすね」
「私は子供ですか」
「ガキっすよ」
ハルカさんはあっさりと答えます。
「俺もお前もあの旦那も、どん底に捕らわれたままの薄汚れたガキっす。なら、そのどん底の流儀に則って、汚い手であろうと伸ばして、この世の何もかも利用して喰らいつくして生き延びてやるっすよ。死んだところで、自由になれもしなきゃ救われもしない。機械的にどっかの誰かの資源になって消費されるだけっす」
そして、彼は私に手を伸ばすと私の顎に手をつかみ、その親指で私の唇を拭いました。
「いいっすかー。どんな手段を使っても、ちゃーんと五体満足で生き残るっすよー。辛かったらその痛み止めを使うっす。意外に効くっすよ、それ」
ハルカさんも愛用しているんですかね。
私の顔の輪郭をなでていた彼の指は、呆気なく離れていきました。
唇の感触を気にしつつ、口を開きます。
「ありがとうございます。ハルカさんも、どうかお気をつけて」
「はいはい。今度会う時は説教じゃなくて土産話をさせてほしいっすな。んじゃ、行ってくるっすよ」
そうして音もなく鉄骨を組んだだけの手すりに飛び乗ります。
「行ってらっしゃい」
私の声を受けてハルカさんは軽く手を上げ、手すりからあっという間に滑り落ちました。
ビルから自由落下。
それを偶然見た人たちが、声を上げて慌てて駆け寄りますが、
「おお! 何だよあいつ!」
「すげぇ!!」
ここから三メートルほど下に丈夫なビルの廂があって、彼はそこに難なく着地を決めていました。
そして、集まってきた観客に軽薄に手を振ると、重力を感じさせない軽やかな移動を続け、瞬く間にモザイク街の闇に溶けて見えなくなりました。
私と同じチームに属していた彼もまた、どん底で生き残るための一通りの技術は身につけています。
この技術を見込まれて、彼はフラタニティ入りをしたのではないかなと。
彼が戻ってきたら、土産話を聞くついで聞いてみようかな。
そして残されたのは、私とエイノさんだけになりました。
「戻りましょうか」
「了解しました」
私はエイノさんの歩く速度にある程度合わせつつ、パノプティコンへ戻る通路へと歩き出します。
こうしてエイノさんと戦う最後の貢献活動は、非常に後味の悪いものではあったものの、無事生きて帰ることができました。
そして、エイノさんと過ごす最後の夜が始まります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
誤字脱字、言い回し等の修正がありましたら、都度対応をします。
これにて、主人公の周辺にいた主だったキャラクターが退場しました。
ガス抜きの役割をしていたキャラクターたちがいなくなり、次回からはまたどんよりとした雰囲気に戻りますが、引き続き、ご覧になっていただけたら嬉しいです。
それではまたー。