エントマは俺の嫁 ~異論は認めぬ~ 作:雄愚衛門
(ぴゃあぁぁああぁ!)
エントマは絶叫した。辛うじて心の中で。
隙だらけになってバランスを崩した結果、至高の御方に抱きついてしまった。頑強な肉体の感触が否応無しに伝わる。至高の四十一人特有のオーラと、アバ・ドンの眩い輝きに当てられて頭がクラクラする。またも無意識の内に性フェロモンを放ってしまう。
(うおわぁぁぁぁぁああああ!?い、良い匂いがぁああ!感触がぁぁぁあ!)
アバ・ドンも絶叫した。辛うじて心の中で。
痛覚が無くなったとは言え、身体に触れられる感覚ぐらいは分かる。それが好きな女の子相手ならば尚更だ。
煩悩を誤魔化すべく、超変異体千鞭蟲が突如頭を振りかぶった事に疑問を持ち、一体どうしたのかと戦犯の表情を窺うと「後は頑張れよ、大将」と言っているような気がした。
(千鞭蟲め、余計な事をしやがって……!この御恩は一生忘れません!)
アバ・ドンは、時が落ち着いたら千鞭蟲の為に活きの良い動物を用意してやろうと誓った。ムカデは肉食性で生食を好む為だ。ちなみに、ゴキブリの卵なども好物に挙げられるが、恐怖公に配慮して除外した。
ムカデはゴキブリの卵がきっかけで民家に侵入するパターンが多いので、家は清潔にしましょう。
「あ、アバ・ドン様ぁ!申し訳ありません!」
「かかか、構いません。立ったままは辛かったのでしょう。そういう事ならば、しっかりと掴まって下さい。エントマさんを支える事に、何の問題があろうかと思う……ます、ですください」
「は、はいぃ……」
(ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイエントマちゃんががががが)
不動を貫くアバ・ドンの胸中はそれはもう大変な事になった。千鞭蟲への意識が逸れた途端に、現在進行形で襲い掛かるエントマの感触が脳内を焼き尽くさんとする。敬語が崩れてよく分からない何かになっているのが良い証拠だ。
ラブコメやラノベの主人公はこういったハプニングには紳士的、又は拒否的対応を見せるが、あれは聖人の領域だ。等と、半ば現実逃避気味に考えた。実際、アバ・ドンの場合、エントマが密着する時間を延ばそうとしている節がある。エントマが発しているフェロモンも原因の一端とは言え、紳士的とは言い難い。
(……触り心地がたまらんナニコレ)
昆虫類、蜘蛛類等の節足動物は、表面が外骨格で覆われており、腹部分が柔らかいのが大半だ。だが、蜘蛛人(アラクノイド)であるエントマの場合がどうなのかは不明であり、その触り心地が具体的にどうたまらないのかはアバ・ドンのみぞ知る。
(こぉ、こんな至近距離ぃ……!えっとぉ、掴まるぅ……掴まらなきゃぁ!)
『
エントマは、ほぼパニック状態になりながらも、指令を完遂するべく体を蠢かせる。
(あー、エントマったら何してんだか!)
アウラは頬を膨らませて怒りを露わにする。別に嫉妬している訳ではなく、従者として相応しくない姿に腹を立てただけだ。
(……あれ?エントマの背中が……ってまさか!?)
一部始終を眺めていたアウラは違和感に気付いた。エントマの背中が異様に膨らんでいる。背部に別の生き物を隠していたかのような動きを見せると、すぐさま四本の脚が飛び出した。黒い体毛に包まれた鋭い足先を持つそれは、巨大な蜘蛛の脚であった。
「んしょぉ……」
(ちょおぉぉぉぉぉぉお!?)
体格に不釣り合いな程の長い脚が、アバ・ドンに絡み付いた。エントマは、和式メイド服に袖を通した手足も含めた全ての脚を駆使し、アバ・ドンにガッチリとしがみ付いた。幸い、前方では邪魔になると認識出来たのか、アバ・ドンの背部によじ登った。もし、まかり間違って正面から試みていた場合、ペロロンチーノ流で言う"だいしゅきホールド"になるところであった。
(あ、アバ・ドン様にあんなにくっついて……!)
この状況下で冷静を保てなかったのはアウラも同じであった。巨大なムカデの上で大胆な行為を働くメイドと、それを受け入れる偉大なる御方は何とも刺激的であった。自分のよく知るヴァンパイアでも、御身にあれ程密着する事は無い。捕食してるのではないかと勘違いする程の熱烈さだ。
「あ、アバ・ドン様はエントマにくっつかれても平気なんですか?」
「はっはっは、これくらいへっちゃらです!」
内心全くへっちゃらではない。不動を維持し続けているのは少しでも体を動かそうものなら、本能のままにエントマへセクハラする可能性が高かったからだ。この時、アバ・ドンの精神沈静化は自己最高記録である分間60回をマークしたが、アウラのような子供の前で不埒な事は出来ない。
尚、その懸念は既に手遅れで、副腕の二本がエントマのお尻を支えていた。残念ながら、アバ・ドン自身はその事に全く気付いていない。
(あぁ、お尻ぃ……!)
勿論、エントマは気付いている。言葉には出さなかったが、フェロモンの量をブーストさせるに至った。変温動物である筈なのに、自身の体温が急激に上がっていく。
「で、では、少々トラブルはありましたが、走り回る事に集中しましょう」
「分かりました!」
先の出来事を少々と言い張ったのは大人の矜持か。惚れた異性と密着する初体験を、少々と言うのは厳しいものがある。
アバ・ドンは、千鞭蟲を走り回らせる集中力が切れそうな中……と言うより、エントマの感触に集中したいと思ってしまったせいで、操作がままならない。
だが、それでも超変異体千鞭蟲の動きは精彩を欠かなかった。何故なら、千鞭蟲は己の主人がのっぴきならなくなっている事に気付いていたからだ。今は、千鞭蟲自身の判断で、ジャングル内を駆け抜けている。
二人の蜜月を邪魔しないように。それと、なるべくアウラには見えないよう頭を持ち上げて。尚且つ、頭部を微かに揺らしながら走り続ける。ムカデ的に無理のある体勢になってしまったが、自身の神とも言える創造主の役に立てるならば大した問題ではない。
超変異体千鞭蟲は、賢かった。
(んー?千鞭蟲は何で頭を持ち上げながら走ってるんだろ?もしかして、アバ・ドン様がエントマに配慮してるのかなぁ……)
アバ・ドンとエントマを隠すような姿勢を見たアウラは、エントマの姿を隠す事で、彼女の名誉を守ろうとしてるのではないかと考えた。
(アバ・ドン様の事だから、そういう配慮もしそうだよね)
アウラは、アインズとアバ・ドンは慈悲深く配慮に優れた御方だと心から思っている。自分の推理はあながち間違いではないだろうと思った。
(それなら、エントマを咎めるのは間違いかな?うん、それなら見なかったことにしちゃおっと)
こうしてアウラは、"知らないフリ"という大人の対応を覚えたのであった。
アウラがまた一つ成長を見せた一方で、アバ・ドンの精神は新たな局面を迎えていた。
「んぅ……はぁ……うぅ……」
(やめてー!色っぽい声出さないでぇー!!)
アバ・ドンとエントマは興奮していた。不可抗力とは言え、想い人との密着がこれ程続くのだ。エントマは、専属メイドとして働く中でも、しょっちゅう漏らしていた性フェロモンがまたも溢れ出た。性的な声とフェロモンがアバ・ドンの精神を更に擦り減らす。
(エントマちゃん最近すごく良い匂いするんだよ……。色気を感じる……!)
鋭敏になった感覚が、エントマの発する全てを余すこと無く感知。艶めかしく荒い息遣いと、甘い香りが興奮を誘った。どうあがいても、エントマを意識してしまう。だが、それでもアバ・ドンは不動の姿勢を貫き通した。
(あうぅ、頭がポワポワするぅ)
エントマのフェロモンは絶えることが無かった。アバ・ドンも、性フェロモンに対する知識は持ち合わせていたが、自分に対して発情しているという発想を持てなかったせいで気づかなかった。女の子特有の良い匂いだと思い込んでしまったのだ。
そして、精神の沈静化も功を奏し、大事には至らなかった。とにかく、何か気が紛れる方法が欲しいとアバ・ドンは心から思った。尚、離れるという選択肢は無い。
(あ!何か、会話を!そう、他愛無い会話をすれば……!)
アバ・ドンは、苦肉の策としてエントマに話し掛けた。
「エントマさん、私の体は痛くないですか?ほら、私って棘々しいですから」
「平気ですぅ。ずっとこのままでもぉ、良いぐらいぃ……」
「……ッ」
自分の体で傷つかないだろうかという心配もあっての話題だったが、耳元で艶めかしく答えるエントマに色々と吹っ飛んだ。
『ずっとこのまま』
何と甘美で恐ろしい響きだろうか。自分に気遣っての発言だと思いながらも、獣欲が膨れ上がっては沈静化していく感覚にゴリゴリと蝕まれていく。もしも、精神異常無効化のスキルを持ちあわせていなかったら、とうの昔にエントマを押し倒していただろう。
「分かりました。では、何周か走り回ったら休憩しましょう」
「畏まりぃ……ましたぁ……」
精神が危機的状況だというのに、躊躇なく周回を宣言してしまった。だが、後には引けない。
エントマの抱擁がより力を増した気がした。エントマの力ではダメージが入らないので心配無用だが、アバ・ドンにもたらす衝撃は生半可ではない。
(本当にぃ、ずっとこのままだったらぁ、良いのにぃ。えへへぇ……)
エントマが正気に戻るのは暫く後の事だ。
(逞しくて美しい御身体ぁ、素敵ぃ)
(死にそう)
第六階層は広い。アバ・ドンとエントマの密着状態は、長い事続いた。
・
・
・
「……」
アバ・ドンは、第六階層を去ってエントマに休憩を命じ、自室に戻ってベッドに倒れ伏していた。うつ伏せのまま無駄に良い姿勢で寝転がっており、上の空なのか肩の鎌が四方八方に振り回されている。
「エントマちゃん……」
精神への負担は大きかったが、それでも夢のような一時だった。エントマの感触は忘れたくても忘れられない。否、忘れたくない。
(このままじゃあ、俺はエントマちゃんに良からぬ事をしてしまうかもしれない……)
だからと言って、エントマと距離を取るのは論外だ。専属に命じたのは自分自身であるし、エントマと離れ離れになるなんて絶対に嫌だ。最悪、エントマに見切りを付けた等と周囲に思われる可能性もある。そんな事になったら、彼女を傷つけかねない。
アバ・ドンは腹を括り、現状維持のまま理性を高く持つ事にした。
(絶対本能なんかに負けたりしない!!)
精神が強制的に安静化するにも拘らず、煩悩を抑えようとする修行僧の気分であった。決意は本物だったが、うつ伏せのまま肩の鎌を振り回し続ける状態だったので、イマイチ格好が付かなかった。
余談だが、とある使用人室では、虫の嘶きのような叫び声が響き渡ったと言う。
エントマちゃんのお尻は絶対柔らかいと思います(´ω`)