予想していたことと違う。当初の予定がどこかに行ってしまっている。
織斑一夏が立ち向かうとは。格上も格上なセシリアに挑もうとするなんて、まさしく無謀だ。私のお母さんはアナタごときにはとめられない。それも分からないとは。
膝を基点にして布仏本音を押さえつけたままだからだろう。本音が逃れようともがく。仕方がないので体重をかけて鎮圧しておいた。
「重いんだよ。クソデブ! こっちの背骨がへし折れたらどうすんだよ! 退け! テメーみたいな守られるだけの乳臭いガキに戦花がやれるか!」
でも駄目だった。ワンワンと吠え散らかしてくる。弱い犬ほどよく吠える。まさにその通りだ。
「五月蝿い」
「五月蝿いのはテメーだよ。このグレイト・リッチ様をこんな目にあわせやがって。戦花の名前と身体を良いように使ってくれたラウラ・ボーデヴィッヒと同じだ!」
本当に五月蝿い。
耳にくる鬱陶しさに会場に視線を向けると、ちょうど一夏がぶっ飛ばされるところだった。お母さんに殴り飛ばされたみたいだ。ま、手加減されているみたいだけど。
今のお母さんは徹底的にラウラを痛めつけてから殺すことを考えていると思ったけど、もしかしたら幾分は冷静さを取り戻したのかもしれない。
それにしてもちょっとだけ展開が違う。本来は一夏が立ち向かうのは予定にないし、こちらの最高戦力は姿を現さない。
確かにある程度ラウラを痛めつけるために最初は静観を決め込んだけど、何故出てこない。
「よく分からんが、どうやらそっちの思惑通りに事が進んでいるわけじゃあなさそうだな。ザマぁねーな。このグレイト・リッチ様をコケにしてくれたからだぜ」
いちいち神経を逆なでしようとしてくる。こっちの冷静さを欠いて逃げ出すチャンスを作り出そうとしているのか。
せこいこと考えている。昔はラジオ越しの凄い知識を持っているな、と感心していたのに、ここまで幻滅させてくれるようになったのか。仕方がないか、私のお母さんに手を出したんだ。幻滅するのもしょうがないかもしれない。
「……ずいぶんと口が悪いけど、貴女本当に本音なのかしらね?」
幻滅に幻滅を重ねていると、背後から楯無がやってきた。どこか信じられないものを見るような顔をしている。
「……オジョーサマ。あらら、ばれちまったか。はい、本当の本音ちゃんですよ」
開き直ってる。まぁ、この件については私には関係がないからいいや。
それにしてもこの事態をできるだけ早く収めて欲しい。私はお母さんに今すぐにでも抱き着きたいんだから。だから今すぐにでも姿を見せてほしいんだけど。
無惨に吹き飛ばされた。武器はない。素手の相手に簡単に払い除けられたことに悔しさはないが、このままじゃマズいと思う気持ちはある。
零落白夜を当てれば勝てるとか軽々しく考えていた自分を恥じたい。掠らせることもできはしないんじゃないか。
セシリアは強い。直接戦ったことは今日が初めてだが、戦う前からセシリアの方が強いことは感じ取れた。戦ってみれば絶望的な実力差を思い知らされた。
でも、ここで背中を見せるのは男が廃る。踏み込んだ異常は突き進むのが男だろう。
「それにまだ負けたわけじゃない」
エネルギーは残っている。これならまだ負けたことにはならない。
セシリアはゆっくりとこっちに近づいてくる。手には何も握っていない。武器もない相手に、こっちはブレードを手にしても当てられないが、じゃあこれから先の攻撃も当てられないということじゃないんだ。
「まだ足りないのか?」
ぞくりとする声音。耳元で囁かれたような錯覚に吐き気がしてくる。
「ああ、足りないぜ!」
無理矢理心を奮い立たせる。ブレードを構え直してセシリアを迎え撃つ。じわじわと近づいてくるセシリアが死神にしか見えなくなってきた。ISのおかげで汗は流れてこないが、実際は全身の穴という穴から冷や汗が噴き出していたに違いない。
深呼吸をして神経を研ぎ澄ます。あと少しで切っ先が届く。
あと一歩、というところでセシリアがその場から飛び退いた。続いて彼女がいた場所を弾丸が抉る。
「一夏!」
今一番聞きたい声であると同時に今一番聞きたくない声が響く。どうして、と疑問が浮かぶのだが、おかしなことに気持ちは幾分かは楽になっていた。
「シャル! 危ないから下がってろ」
そう言ってはみたものの、何となく心にしっくりとこない。
「一夏も危ないよ」
シャルは俺の隣に立つとニッコリと笑顔を浮かべた。
「下がってほしいなら、一夏も下がってくれなきゃ嫌だよ。それができないなら説得は諦めてね。ボクだって一夏を守りたいんだから」
強い言葉だった。俺はしっくりこない理由が分かってしまった。
「……よし。一緒にセシリアをとめようぜ」
ただ守るだけなら誰にだってできるけど、相手を想って守ろうとすれば答えは千差万別。俺はシャルを守りたい。シャルは俺を守りたい。
じゃあ、答えは簡単だ。互いが互いを守ればいい。背中を預けあって、心を支えあってやればいい。
分かればしっくりくる。俺はシャルに側にいて欲しいと思っていたんだ。それじゃあ遠ざけることにしっくりこないのも理解できる。
「いくぜ、シャル」
「うん。一夏、セシリアを助けてあげよう」
俺たちは戦いを選んだ。
やっぱり強い、なんて言葉で表すには度を越している。勝ち目を見出すことなんてできなさそうだ。水鉄砲で燃え盛る業火を鎮火しようと挑もうとする馬鹿らしさに、自分の身体が震える。
セシリアの右手にはレーザーライフル、左手にはショートブレード。両手に武器を持ち、セシリアはまったく隙のない立ち回りを見せてくれる。
セシリアの左手は一夏を軽くあしらう。一夏の渾身の一撃を正面から受け止めて押し返す。もしくは唾ぜり合ったところで蹴り飛ばしていた。
セシリアの右手は様々な銃をコールして攻撃をしようとするボクを押し留める。構えた銃は尽く銃身をレーザーライフルと、ボクの周囲を取り囲む遠隔操作兵器ブルー・ティアーズのレーザーによって溶断されてしまう。運よく引き金を引けても、飛び出した弾丸はセシリアに届く前にレーザーで撃ち落とされる。
ボクも一夏も一切のダメージを与えられずに疲労だけが蓄積していく。ボクの方は沢山あった武器が底を尽き、残されたのはシールド裏に隠されたパイルバンカーだけだ。今この戦いにおいてはお荷物でしかないものだ。
だけど、武器であることには変わらない。シールドを前面に構えて突撃する。セシリアからしてみれば最後の悪あがきにしか見えないだろう。事実、ボク個人で考えるならば悪あがきでしかない。
「パージ!!」
接近しつつシールドを剥ぎ取る。シールド裏から姿を現した小型のパイルバンカーを突き出して、セシリアへと突っ込む。
「喰らえ!!」
パイルバンカーを打ち出す。機械によって打ちだされた鋼鉄の杭は相手の装甲を突き破ることも出来ずにセシリアが突き出したレーザーライフルに阻まれて役目を終えてしまった。
でもそれでいい。だって、一夏がセシリアの背後から攻撃するためにチャンスになったから。
顔を見ればすぐに分かる。一夏が限界を迎えていることくらい。セシリアへの攻撃のキレが明らかに悪くなっているんだ。この一撃がボクたちの最後の攻撃になる。
一夏のブレードがエネルギーを纏う。全ての力を集約したブレードは綺麗に輝いていた。
セシリアが背後を振り返った時には、一夏は全身全霊の力でブレードを振り下ろしていた。
「だぁぁぁああああああ!!」
振り絞っての咆哮。一夏の瞳はこれまでになく輝いていて、彼の心の強さを表しているみたいだった。
勝てなくてもいい。せめて止められさえすればそれでいい。
ううん。そこまで贅沢なことは言わない。
ただ、一夏の最後の攻撃が少しでも意味のあるものになってくれさえすれば、ボクにとっては十分過ぎるほどだ。
エネルギーの集約した刃はセシリアが一夏の腕を掴んで止めたことで役目を果たすことなく力尽きてしまった。
一夏は何も言わなかった。ただ、ISが待機状態になると糸の切れた人形のように地面に倒れ伏しただけだった。
そんな一夏を、セシリアは一瞥すると歩き出した。目的はラウラだろう。もうボクたちには止められない。このままじゃあ、セシリアは一番やってはいけないことをしてしまうだろう。
誰でもいいから、セシリアを止めて。ボクに勇気をくれた人を、自分の気持ちの伝え方を教えてくれた人を救ってください。
離れていくセシリアの背中に手を伸ばすと、彼女が急激に近づいてきた。いいや、吹き飛ばされてきた。
「え!?」
気がつけば、セシリアはボクの頭上を飛び越していった。背後から地面を転がる音がしたかと思うと、セシリアが仰向けに倒れていた。
何が起こった。どうしてセシリアが転がっている。
「あらあら、隙だらけにもほどがあるわよ。それほどに余裕がないってことかしら」
この場には似つかわしくない穏やかな声が耳に入り込んでくる。
振り返り誰なのかを確認する。セシリアを吹き飛ばすくらいの人だ。きっと学園内で有名な人に違いない。
そう思って確認してみると知らない人がいた。
「……どちらさま?」
遂に出てきたと言えばいいか。ため息を吐き出したくなるほどの脱力感が血液に混じって身体中を流れていく。立っているのも疲れてきて、近場の席に座ってアリーナの中を見る。
会場に姿を現したのは、一応は私の側仕えの布仏虚だ。普段のどこか浮世離れした顔に慈しみの情を乗せて、彼女はセシリアを軽々と投げ飛ばしてしまった。
もちろん生身ではない。日本が誇る防御型IS『打鉄』を纏っている。だとしても、セシリアへと接近するスピードは打鉄の出せるスピードではなかった。
セシリアと同じだ。彼女と同じように元の身体能力を駆使して地面を走って接近したのだ。ISで飛ぶよりも圧倒的に早いのは、虚もまた人間離れしているということだ。
最強の名前が泣いている。学園最強と堂々と名乗っていた自分が恥ずかしくなる。今の私ではどう足掻いてもあの二人の戦いに割って入ることはできない。
だから、観客席に座って静観する以外の術がなかった。織斑くんやデュノアくんが逃げずに立ち向かったというのに。私は安全なところで事の成り行きを見守っているだけの臆病者だ。
「……驚いているみたいじゃあないか、オジョーサマ。私の姉があんなに強いことを知らなかったって感じだな。目が節穴だな」
ガムテープで蓑虫みたくグルグル巻きにされた本音が嘲笑う。しかしながら、薫子が膝で背中をぐりぐりすると許しを請うようになる。貫き通さない意志の弱さを平気で見せられるところに少しだけ感心してしまった。
「何かを隠しているのは察せたけどね。あそこまでは想像していなかったのは事実ね」
動き出した虚がセシリアに肉薄して組み合うのを眺める。もはや別次元の戦いだ。
「はぁ……強くて頼りになりそうだから是が非でも生徒会に入ってもらおう」
吹き飛ばされた時に頭が真っ白になった。まさか投げ飛ばされるとは思ってもいなかった。慢心と思われても仕方がないが、この世界の強者は私にとっては赤子同然だったのだ。赤子が自分を投げ飛ばしてくるなんて想像なんてしているはずがないわけだから、地面に転がっていることに気がついた時は驚愕した。
思考が止まって再び動きだした時、私は少しだけ冷静さを取り戻していた。
自分が何をしに行こうとしたのか、その結果どのようなことが起きるのか、万花と離れ離れになってしまうじゃないか。
次から次へと浮かんでくるデメリットに、自分の行おうとしたことが馬鹿らしくなってきた。今更気がついたことは遅いと言わざるを得ないが、全てが終わる前に気がつくことができたのは救いかもしれない。
観客席がはらはら事態を見守っている中で、まず確認するのは一夏とシャルルのことだ。二人にはずいぶんと迷惑をかけてしまったからな。ま、そこまで反省はしないけど。
そして次に確認するのは、私に冷静さを取り戻してくれた人間の顔だ。
「……虚かよ」
目と鼻の先に居るのは打鉄を着込んだ虚だ。
何故、とかは感じなかった。心のどこかで納得ができた。
虚と居ると安心や安らぎが常にあった。居心地の良さに生徒会にふらりと立ち寄るほどにだ。
だから、虚に投げ飛ばされたことに関しては怒りも悲しみも驚きも湧き起こらなかった。
そうこう考えていると、虚が接近してきた。ISによって補助を受けているとは言え、この世界の人間では出せないような速度で走り寄って来る。
私は両腕を突き出し、虚もまた両腕を突き出してくる。二人の指が絡み合ってがっちりと繋がると、押しつ押されつの力比べになる。
拮抗しているのか互いに身動きすることなく、その場にとどまり続けていた。
「まったく。私が言ったことを忘れちゃってたのね」
不意に言葉を投げかけられる。慈愛に溢れた母親のような柔らかい声でありながら、悪いことをした子供を叱りつけるような声だ。
「病気で死ぬ前に言ったはずよ。死者を想って泣くなら大いに泣きなさい。死者を想って引き摺るのは絶対にしてはいけない。貴女の心がグズグズになってしまうからと」
知っている言葉だ。教えてもらった言葉だ。こんな私に愛を伝え教えてくれた大切な人の最後の言葉なんだ。
「それなのに貴女は見事に引き摺ってしまったわね。もう、仕方がないんだから」
絡まった指が解けて離れていく。
「本当に仕方がないんだから」
気がつけば抱きしめられていた。虚の胸に頭を抱え込まれて、私は目の前の人物が布仏虚であると同時に、かつての私が最も大切に想う二人の内の一人シルヴィアだということに気がついてしまった。
シルヴィアと万花が居る。それもこんなに近くに居る。
それだけ分かればもう良かった。
私はドッと疲れが押し寄せてきた気がして、意識を手放してしまった。