七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
叢雲打倒




第百一話「ああ、不毛です」

 

 好きな女がいた。

 

「私はね、艦娘になる。世界を守るの」

 

 彼女はそう誇らしげに笑った。

 その姿が眩しくて、そんな彼女の側にいたくて、自然と口が動いた。

 

「だったら、俺は提督になる。提督になって、君と戦う」

 

 一瞬、彼女は驚いた表情を見せてから、心底嬉しそうに笑った。

 俺は、海軍士官学校に入った。

 勉強もしたし、体も鍛えた。

 提督になれることを報告しに一年ぶりに出会った彼女は、別人のように逞しくなった俺を見て、爆笑していた。

 

「本当に提督になってくれるのね」

「当然だ」

「うん、待ってるわ。ずっと待ってる」

 

 提督になったら、必ず迎えに行く。そう約束し、俺はただがむしゃらに海軍士官学校での生活を過ごした。

 無論、楽ではなかった。厳しい試験を乗り越えた先にいるのは、同様にその試験を乗り越えた猛者達。いくら努力しても主席は愚か上位30名でさえ遥か彼方だった。

 それでも進級条件を満たし、やっと実務実習にまでたどり着いた。

 これで可以上の評価を得られれば晴れて提督になれる。

 俺の実習先は天の導きか、彼女のいる鎮守府だった。

 

「よく来てくれた。君の事は『神通』からよく聞いているよ」

 

 初老の提督は俺を歓迎しながらそう言った。

 この鎮守府では神通というのが彼女の名前らしい。

 実習中はいかに自分が未熟かを再三にまで思い知らされた。今まで寝る間も惜しんで学んできたことは提督にとっては基礎でしかない。

 何度も失敗し、提督から厳しい言葉を受けたことも一度や二度ではなかった。

 

「頑張ってるわね」

「いや、全然駄目だ」

「そんなことないわ。提督、いつもあなたのこと褒めているもの。勤勉で飲み込みも早いし、何より絶対に折れない根性があるって」

「根性か、はは。まぁ、それだけが取り柄で生きてきたからな」

 

 いくら辛くとも、苦しくとも、俺には彼女がいつも心の中にいた。

 彼女のためならば、どんなことだってできる気がした。

 その根性だけでここまでやってきたのだ。

 

「どうして、あなたはそこまで頑張れるの?」

 

 愚問だった。

 だが、彼女もわかってて聞いているのだろう。

 分からないのではなく、はっきりと言葉にして欲しくて聞いているのだ。

 だから俺は、迷いなく答えた。

 

「君の、一番近くにいたいからだ」

 

 俺の瞳と彼女の瞳がぶつかる。

 彼女は頬を赤らめ、幸せそうに笑った。

 

「きっとこれは天意ね」

「天意?」

「天の意志とか、物事の自然な道理とか、広義には運命なんて意味もあるわね」

 

 彼女は俺の肩に頭を乗せながら続けた。

 

「きっと、私とあなたが結ばれるのは、天意なのね」

「天意か、良い言葉だな」

 

 天の意志で決まっているというのなら、それは何より心強い。

 その日から、俺は一層に奮起した。

 それでも、やはり失敗は絶えなかったが、これまで以上に速く、確実に成長していることが実感できた。

 そして、最終日。

 

「私と、艦娘全員の評価を統合した結果、評価は『優』だ。よく頑張ったな」

「ありがとうございますッ! 大変お世話になりましたッ!」

「卒業したら、私の元に来なさい。提督ではなく、私のサポートからにはなるが、ゆくゆくはこの鎮守府を任せたい」

 

 思いもよらぬ申し出に心の臓が震えた。

 

「自分なんかでいいのですか……!?」

「むしろ君以上の適任が思い浮かばなくてね。それに、君としてもその方がいいんじゃないか?」

 

 ちらりと斜め後ろに立つ神通に視線をやって提督はニヤリと笑った。

 どこまでもお見通しというわけだ。

 俺は、二つ返事で申し出を受け、天にも昇るような気持ちで学園へと帰還した。

 

「そうか、これが、天意か……!」

 

 何もかもが上手くいっていた。

 今までの努力全てが報われたような気持ちだった。

 これで後は卒業まで時間が過ぎるのを待つのみとなった。

 その筈だった。

 

「――――鎮守府が……敵の攻撃を……?」

 

 卒業まで残り3カ月を切った時期だった。

 彼女のいる鎮守府が大打撃を受けたと手紙が来た。

 俺はすぐに身支度を整え、鎮守府へと向かった。

 その先には、地獄が待っていた。

 

「――申し訳ありません。よく、聞き取れず、もう一度……」

 

 半壊した鎮守府の執務室で、提督は苦い顔で口を開いた。

 

「神通が、轟沈した」

 

 目の前が真っ白になった。言葉の意味が理解できず、頭の中で提督の言葉が文字となって浮かんでいる状態だった。

 落ち着け、神通とは艦娘としての名前に過ぎない。コードネームのようなものだ。轟沈した神通が、彼女だとは限らない。

 

「本当に、申し訳ない……!」

 

 やめてくれ。何故、床に頭など付けているのだ。

 それではまるで、まるで彼女が死んでしまったようじゃないか。

 

「――やめろ! お前、提督に何をやっているんだ!」

「その手を放せ! 誰か! 誰か、来てくれ!」

「……え?」

 

 気が付けば、俺の身体を羽交い絞めする憲兵の姿が見えた。

 俺の左腕は提督の胸倉を掴み、その体を宙高く持ち上げていた。彼の顔には幾度か殴られた跡が見え、血まみれだった。

 俺の右腕を見ると、その拳にべっとりと血がこびりついていた。

 

「――退学処分だ。今日中に荷物をまとめなさい」

 

 一週間後。事の次第は全て学園に報告され、俺は卒業を目前に学園を去ることになった。

 提督は最後まで俺のことを庇い、処分を取り下げるよう嘆願を繰り返してくれていたらしい。

 しかし、俺はどちらにせよ学園を去るつもりだった。

 彼女がいない鎮守府で提督になることに価値など感じられなかったのだから。

 

「なんだ、なんなんだ、これは……!」

 

 俺の他に誰もいない電車の中、自然と震えた声が出た。

 

「こんなものが、こんな結末が、天意だと、言うのか……!?」

 

 断じて、否。

 彼女が何をした。彼女は、あんな志半ばで死ぬような人間じゃなかった。

 こんなものは、天意ではない。

 ならば、天の意志はどこにある。天は、俺に何をさせようとしている。

 そうして、長いこと考えた末、ようやく俺は一つの答えに辿り着いた。

 

「艦娘を、終わらせる」

 

 気付かなかった。当たり前だと刷り込まれていた。生まれた時から当たり前に存在していたものだから、それに疑問を抱けなかった。

 艦娘というシステムそのものが諸悪であることに気付けなかった。

 こんなことは間違っている。何故、男がのうのうと鎮守府や陸地で安全な生活している一方で女が戦場で戦わなければならない。

 女は、『生産者』だ。次代の子を残す役割を担う個体だ。それを死地に向かわせるなど狂っているにも程がある。

 

「そうだ。これこそが、天意だ」

 

 艦娘を終わらせる。

 提督では駄目だ。そもそも海軍では駄目だ。

 このシステムを変えるためには別のアプローチが必要だ。

 故郷に帰ってから考えあぐねていた俺の元に、一人の男性が訪ねてきた。

 まるまると太った巨大な狸を思わせる風貌で、陸軍の軍服を着ていた。

 

「ほっほ。いや、提督を殴りつけたという果敢な若者がここにいると聞きましてね」

 

 鎮守府で俺を取り押さえた憲兵から情報を得たらしい。

 

「よろしければ私の元に来ませんか? あなたも今の海軍に疑問を抱く一人なのでは?」

「俺は、艦娘が憎い」

「ほう」

「艦娘というシステムそのものが心底憎い」

「私なら力になれます」

「システムを覆す手が俺には思い浮かばない」

「私が提供しましょう。一つ、面白い研究があります。その被検体におなりなさい」

「俺は、あなたが天意を為すために必要だと今、確信した」

「ようこそ、陸軍へ。歓迎しますよ、原田君」

 

 こうして、俺は参謀総長の口利きで陸軍に入った。

 陸軍式海上戦闘用機動兵装丙型『ワダツミ』の第一被検体となるためだ。

 提督では駄目だ、上層部に取り入っても無駄だ。

 ならば、俺が、艦娘を凌駕した新たなシステムそのものになる。

 俺が艦娘を終わらせるのだ。

 もう、二度と、彼女のような悲劇を生まないよう、俺が、この世界を変えるのだ。

 

 

「負けられないッ! 負けられんのだぁ!」

 

 馬鹿な、ありえない。

 神通は目の前の原田を見て驚愕と困惑を隠しきれなかった。

 明らかにもう立つことすら苦しいはずだ。

 血も流しすぎている。意識も朦朧としているだろう。

 それなのに、何故、ここに来て、動きがさらに鋭くなるのか。

 

「……ッ!」

 

 信じられない気迫だった。

 思わず、こちらが飲み込まれてしまうほどの狂気に近い気迫。

 

「それでも、気合で実力差が埋まるほど現実は甘くないですよッ!」

 

 原田の砲撃を避け、再度刀を振りかぶる。

 その動きを予期していたのか、足元の海面に黒い影が見えた。

 魚雷の影だ。

 

「っ!」

 

 急停止から右に急旋回し、海面を蹴る。魚雷を回避した先には、原田がいつの間にか回り込み、拳を振り上げていた。

 相手が左右どちらへ回避するか、二択の賭けに出て、運よくそれが当たったのだと神通は考えた。

 だが、違う。原田は神通の右手に持つ刀を見て、重心の偏りを読んだ。右旋回の方を選びやすいと確信し、回り込んだのだ。

 

「甘いッ!」

 

 右手の刀で原田の腕を弾く。しかし、魚雷の緊急回避による体勢の崩れは直せなくなった。

 

「ああああああッ!」

「しまった、突っ込んで……!?」

 

 刀で腕を弾かれた所で少しも怯むことなく、身体全体でタックルを食らわせる。

 姿勢を立て直せていない神通には回避は愚か防御すらできず、攻撃をまともに受けて数メートル後方に吹っ飛ばされた。

 その威力は凄まじく、神通の内臓にまでダメージをもたらし、数年ぶりに彼女を吐血させるに至った。

 

「はぁ……はぁ……やっと、一撃、入れたぞ……ッ!」

「ようやく、理解しましたよ」

 

 朦朧とする意識の中、膝をつく神通を見て満足げに笑みを浮かべた原田。

 それを見て、ゆっくり立ち上がると神通は口元の血を親指で拭う。

 

「侮っていたわけではありません。殺さぬよう加減していたのは私の流儀の話ですから。しかし、あなたは、今の私では、どうやら殺さないよう勝つには難しい」

「ああ、その通りだ、神通!」

「申し訳ありません。私の未熟故、あなたには、殺す気でかからなければならない」

「気にすることはないぞ、本気で来い! それを打倒してこそ、天意は果たされる……ッ!」

 

 神通はゆっくりと刀を両手で持ち、構える。

 

「この刀は私の専用装備、銘を私の名と同じ『神通』と名付けています」

「ああ、特別な刀なのだろうな。随分と俺の手甲とも打ち合った筈だが刃こぼれ一つ見えん」

「頑丈なんですよ、すごく。なんでかわかりますか?」

 

 神通の右足が動く。

 原田自身、油断していた訳ではない。

 だが、気付けば数メートルあった距離は一瞬にして埋まり、既に神通の必殺の間合いの中に原田はいた。

 

「何!?」

「ふッ!」

 

 海が割れた。

 神通の上段からの一振り。それだけで、海に亀裂ができたのだ。

 原田が今の斬撃を回避できたのは偶然だった。

 あまりの驚愕と、疲弊、ダメージ。それが原田の身体をふらつかせ、後退させた。

 

「この刀は私の16番目の専用武器(神通)。それまでのものは全て、使い潰してしまいました。不思議とそうなってしまうんです、私が全力で武器をふるうと」

(距離を、取らなければッ!)

 

 あれをまともに食らえば終わりだと、原田は直感した。

 全力で神通の間合いから外れようと全力でエンジンを回す。

 しかし、どこにどのようにいくら逃げても、神通との距離はまるで塞がらない。如何なる動きにも即座に対応し、ぴったりと張り付いてくる。

 人間のレベルを遥かに超越した足運びだった。

 まるで、原田と神通が見えない糸で繋がっているかのように、両者の距離は少しも開かないのだ。

 

「この刀は結構気に入ってたんですが、あなたに使い潰すなら、それも良いと思えます」

「おおおおっ!」

 

 再び、神通の刀が彼女の頭上に掲げられる。

 それに対し、原田は逃げることを止め、逆に突進した。

 間合いが開かないのなら、逆に潰すまで。

 しかし、その動きすら神通は対応する。

 いくら追えども、間合いが縮まらない。

 それはまるで逃げ水を彷彿とさせる。

 

「さようなら。どうか、生き残れますように」

 

 神通の、全力の一撃が、原田に真っすぐ振り下ろされた。

 辛うじて、原田が腕を十字に交差させ、全力で防御を固めた次の瞬間、彼をこれまでに体験したことのない衝撃が襲った。

 痛みを感じる余裕すらなく、視界は失せ、どちらが上でどちらが下かすら判別がつかない。

 

(これが、刀で斬りつけられた感触なものか。地雷を踏み抜いたと言われた方が納得がいく)

「――よく、生き残りましたね。素晴らしい生命力です」

 

 神通の称賛の言葉に、原田は重い瞼をゆっくり持ち上げた。

 そして、立ち上がろうと右腕を動かそうとして、その感覚が一切ないことに気が付き、全てを悟った顔で小さく息を吐いた。

 

「腕を……失くしたか……」

「ええ、ですが、そのおかげであなたは生き延びた」

 

 神通の手で既に腕の止血は済んでいる。それでも、いつ失血死してもおかしくない程に重症なことは変わらない。

 

「私の勝ちです」

「いや、まだだ……」

「もう、やめてください。死にますよ」

「死んだっていいのだ……俺はな……」

「どうして、あなたはそこまで頑張れるんですか……」

 

 原田の目が虚ろになっていく。ここまでだ。もう心でどうにかなる境界線を越え、意識を保てなくなったのだろう。

 目を閉じる瞬間、神通の顔を見つめながら、原田は最後にもう一度口を開いた。

 

 

「どうして、あなたはそこまで頑張れるんですか……」

『どうして、あなたはそこまで頑張れるの?』

 

 朦朧とした意識の中で、目の前で俺を見下ろす神通と、『彼女』が重なった。

 ああ、あの時と同じ質問だ。

 だが、同じ答えじゃない。

 艦娘というシステムを否定したいだとか、生産者である女が戦場に立つのはおかしいとか、そういう論理立てた口上は結局、表向きに用意した建前だ。

 もっと、単純な話なんだ。

 ただ、俺は俺の目の前で女が死んで欲しくないだけなんだ。俺の無力で、死んでほしくない人が死ぬのが嫌なだけなんだ。

 俺は――――

 

「もう……(艦娘)に死なれるのは、御免だ……」

 

 だから――まだ、頑張らなくては――なら、な――――い。

 

 

 原田の意識が完全に消沈したことを確認した。

 私の右手には折れた刀が握られている。

 最後の一撃で、原田の両腕を吹き飛ばしたと同時に、力尽きたかのように折れたのだ。

 私は、残った部分を鞘に納めると空を見上げて恨みがましく息を吐いた。

 

「ああ、不毛です」

 

 最後の原田の言葉とその目を思い出す。

 憎悪に染まった目ではなかった。

 悲壮と、後悔に覆われた瞳だった。

 そこには私に対する敵意ではなく、憂いがあった。慮っていたのだ、心配していたのだ。

 彼は、ただの優しい青年に過ぎなかった。

 

「あなたみたいな人を傷つけるために、私は強くなったんじゃないのに」

 

 悲しげに、苦しげに、誰にも聞こえないよう小さな声で、神通は弱音を吐いた。

 

 

 北部、東部、南部。それぞれの海域での戦闘が終了した。

 それぞれが互いに大きな打撃を受け、誰一人として無傷とはいかなかった。

 しかし、いずれも制したのは、七丈島・横須賀連合艦隊であった。

 残りは、大和と天龍のいる西部海域のみ。

 それぞれがそう意識を向けた瞬間、それはやってきた。

 

 東部海域。

 

「――これ、は……ッ!」

「む、武蔵!? ちょっと、これ何!? 寒気がヤバいんだけど!?」

 

 南部海域。

 

「なんだ……? 急に突き刺すような、寒気が……」

 

 北部海域。

 

「これは……大和さん……!」

 

 気が付いたのは、武蔵と神通の二人のみ。

 正確には二人は知っていた、その背中を巨大で鋭利な氷柱に貫かれたような、気配。

 そして、西部海域には、今、まさに大和を救出しにいったザラとポーラが辿り着こうとしていた。

 

「え、何よ、今の!? なんか凄い砲撃音がしたと思ったら立て続けにこの寒気! 怖いんだけれど!?」

「ザ、ザラ姉さま。ちょっと行くのやめましょ? これはマジでやばそうだってぇ」

 

 本能が危険だと警鐘を鳴らしている。

 ポーラはその警告にのっとり撤退を進言した。しかし、そこまで理解しているうえで、それでもザラは首を横に振った。

 

「駄目よ、今この場所でさえこの重圧感。その中心へ向かうのは命を捨てるような行為かもしれない。でも、その中心近くに大和がいる。凄く危険な状態ってことよ」

「でも、私たちの今回の任務には……」

「そうね、関係ないわね。でも、他ならぬエドの頼みだもの、聞いてあげたくなるじゃない?」

「……もう、見栄張ってぇ」

 

 それ以上、ポーラから反論の言葉はなかった。

 ザラの足が恐怖に震えているのが見えた。それでも気丈に笑ってみせる彼女を見た。

 それでも、大和の救援に行きたいと言うのだ。

 生半可な覚悟ではないし、少なくとも、逃げるという選択肢よりは格好良いとポーラは感じた。

 

「う~、本当の本当にどうなっても知りませんからねぇ……?」

「ぎ、ギリギリまでは頑張りましょう! 基本、命を大事に!」

「決まらないな~、まぁ、ザラ姉さまらしいけど~」

 

 恐怖を押し殺して進む二人。

 先刻、大和達と別れた場所に辿り着く。

 ザラとポーラの目には、そこに見覚えのある一人の影を認めた。

 ぼうっと、何をするでもなく、海上に棒立ちして、空を見上げている。

 

「あ、あれ大和じゃない!? 無事よね!? 大和ー!」

「………んん? 何か、雰囲気が、違う、よう、な?」

 

 何事もなく、大和を発見できた喜びと安堵に手を振って彼女に呼びかけるザラ。

 その横で、まじまじと少し離れた場所に位置する大和らしき艦娘を見るポーラは首をひねる。

 見えているのは大和の後ろ姿。そこには大和型の特徴的な艤装が確かに見て取れるし、茶色がかった黒髪のポニーテールも間違いなく大和のものだ。

 しかし、ポーラは疑問に思う。

 ずっと感じていた冷たい重圧感は全くもって消えてはおらず、むしろ、より濃密に感じ取れるまでになっている。

 すなわち、その重圧感の発生源に自分達は近づいているはず。

 しかし、見える範囲には大和以外の影は見当たらない。

 では、依然この重圧を放つ、『何』かは一体どこにいるのだろうか。

 

「――――」

 

 その時、再三のザラの呼び声に気が付いたのか、大和の首がこちらにゆっくりと回り始めた。

 しかし、顔がこちらを向く寸前にその姿は突然、霧散してなくなる。

 

「え!?」

「ん!?」

 

――艦娘……『私達』の海を侵略する愚か者達……そう、やっぱり、そうなんですね

 

 音、として聞こえる声ではなかった。

 まるで、テレパシーか何かで脳内に直接響いているような声。

 しかし、その声の主が今ザラとポーラの背後に瞬間移動したことは彼女達自身、はっきり理解していた。

 もはや重圧などという言葉ですら表せない殺意と力の冷たい奔流。それが、背後で流れているように感じたから。

 

「あ、ああ、ああああ……」

「…………!」

 

 言葉が出ない。何を喋ろうとしても口から洩れるのは情けない悲鳴だけ。

 体の震えが止まらない。足が震えすぎて立っているだけでやっとだった。

 

――ねぇ、艦娘。教えてくださいませんか? 今は『いつ』で、ここは『どこ』なんでしょう?

 

 脳内に響く声色も、口調も、確かに大和の声と類似しているように思えた。

 しかし、そこに内在するものはまるで違う。

 大和の言葉は常に相手を慮る優しさに包まれていた。まるで心地よい陽だまりを思わせる温かな声。

 それ故、少し話しただけでも彼女が信頼に値する良い人なのだと、ザラとポーラは警戒を解いた。

 だが、この声は違う。

 まるで真逆だ。その声は、言葉は、相手を凍てつかせて動けなくし、生命の熱を奪う永久凍土を思わせる冷たい声

 

――答えてくれないんですね、困りました。では、すぐそこに見える島の方々に聞いてみましょうか

 

 その言葉に、思わずザラとポーラは振り向き、目の前の『何か』に砲口を突き付けた。

 反射的なものだった。

 彼女達が恐怖を打ち破り動けた理由はただ一つ、その島にエドがいるからというその一点。

 それでも撃つには至らなかった。

 震えて引き金を引こうにも指がかからず、また、撃ってしまえば最後、明確な死がやってくることが明白であるためであった。

 ザラとポーラの視界に入った大和は普段の彼女とはさして見た目は変わっているように見えなかった。

 あるいは内面の変化が大きすぎる故、外見の些細な変化を認識できなかったのかもしれない。

 強いて、気付いたことをあげるとするならば、彼女の目の色が、元の茶色から神々しいほどの黄金色に変化していたこと。

 一瞬、ザラ達は後光すら感じるその瞳に心を奪われかけた。

 一方で、ザラとポーラに突き付けられた連装砲をゆっくりと見つめる大和は、彼女達に何故か笑いかけた。

 

――頑張りましたね

 

 その一言に思わず涙が出そうになるのをザラとポーラは必死でこらえていた。

 今の大和には、自分達は砲を目の前に突き付けてさえ、敵として認識されていない、その情けなさに、そしてそれを受け入れざるをえない彼我の戦力差のあまりの大きさに。

 そして、圧倒的すぎる相手からの称賛の言葉に感動して。

 

――でも、いけませんよ。こんな危ないものを向けては

 

 優しく、二人の連装砲に触れただけのようにしか見えなかった。

 しかし、大和の触れた場所から連装砲は急激に黒く染まり始め、やがて、黒く染まった部分から自然に崩れ落ち、数秒のうちに全て風化してしまった。 

 

「うう、ううう! うあああああ!」

 

 虚しい抵抗。いや、抵抗にすらならなかった。

 目の前の圧倒的な理不尽に、既に言葉は出ない。既にザラ達の生存は大和の手の平の上。

 やがて、恐怖で脳が痺れてきたように感じ、目の前の世界が揺らぎ始めたその時だった。

 

――ああ、忌々しい。よもや、私を押し留めようとするのですね

 

 唐突に大和の声に怒気が籠もり、同時に、凍てつくような重圧感が小さくなっていくのを感じた。

 

――ああ、口惜しい。でも、全ては時間の問題。ならば、私は待ちましょう。猶予を食い潰すその時まで……

 

 その言葉を最後に周りを支配していた重圧は消失した。

 同時に大和の瞳の色が元の茶色に戻ったかと思うと、ゆっくりと目が閉じ、そのまま糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

 

「わ、わっ!?」

「ふぎゅ!?」

 

 前のめりに倒れた大和を丁度目の前にいたザラとポーラが受け止める形になった。

 依然、状況が掴めないまま、唖然として顔を見合わせる二人。

 不意に、ザラの目から涙が溢れ始めた。

 それにつられ、ポーラの目からも滝のような涙が流れ始める。

 

「もう、わけわかんない! なんなのよぉ! うわああああ!」

「うええええ! 怖かったぁ~!」

 

 目の前にあった脅威が完全になくなったことで緊張の糸が切れ、ザラとポーラは肩を抱き寄せ合って泣いた。

 

 


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