七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

102 / 119
前回のあらすじ
原田の天意





第百二話「でも、いい夢見れたでしょう?」

 

 気が付いたら、いつの間にか私は椅子に座っていた。

 さっきまで装着していた筈の艤装はどこにもなく、足元には蒼い海面。

 海に不自然に浮いた椅子に私は腰かけている。

 

「こんにちは」

 

 状況を理解できない私に聞こえた声。それは目の前からだった。

 思わず顔をあげると目の前には私そっくりの少女が私同様椅子に座って微笑みかけているのだった。

 まるで鏡写しのように思われたが、向かい合う彼女は右目が眼帯で覆われており、そこが自分達を区別できるそれらしい唯一の箇所だった。

 こんな状況にあって、にこやかに笑いかける彼女の雰囲気は不思議と私を落ち着かせた。

 

「えと、あの、初めまして……?」

 

 恐る恐る返答する私に目の前の彼女は笑い声を洩らした。

 

「ふふ、いえ、すみません。以前お話した時も全く同じ言葉を仰っていたなと思い出してしまって」

「え、以前もお会いしてましたっけ!? そうなんですか!? す、すみません、大変な失礼を……!」

「いえいえ、そういうものなんです。ここでの記憶は実に揮発しやすい。大抵は全て忘れてしまうか、断片的にしか残らないのです」

 

 夢、のようなものなのだろうか。

 彼女の言葉を何度も反芻するものの、結局のところ私が今どういう状況なのか理解するには至らない。

 

「お名前を聞かせていただけますか?」

 

 彼女は私にそう尋ねた。

 以前も出会っているなら知っていると思うのだが。そう思ったものの、口に出すのは失礼な気がして、素直に私は答える。

 

「私は、大和といいます」

「そうなんですか。私は『大和』といいます」

 

 彼女は、『大和』と名乗った。

 姿だけでなく名前まで同じらしい。

 

「あなたも艦娘なんですか?」

「おや、あなたは艦娘なんですか?」

 

 私の質問に対して『大和』は更に質問を重ねた。

 当然だろうと言い返そうとして、今の私には艤装がないことに気が付いた。

 ああ、それは一目で艦娘とわかる筈もない。

 

「そうです、私は艦娘です」

「そう、それなら良かったです」

 

 何が良かったのだろう。

 

「あの、ここはどこなんでしょうか」

「それは実に説明しにくいですねぇ。とりあえずはあなたの心の中という表現が適切かもしれません」

「心の、中?」

「ああ、でも所謂『あの世』というのもすなわちここのことですね」

 

 私の心の中とあの世がイコールでは繋がらないと思うのだが。

 

「いえいえ、死後の世界も人の心の中も、根源は同じ。全ては一つに繋がり、集合するのです」

「はぁ……?」

 

 何を言っているのかさっぱり理解できない。

 とりあえず、ここがあの世であるとすれば、もしかして私は死んでしまったのだろうか。

 そんな恐ろしい発想に行きついた所で、『大和』は首を振った。

 

「いいえ、辛うじてあなたという存在はまだ保たれていますよ、ご心配なく」

「あ、そうなんですか」

「でも、非常に危ないところでした。前回みたいに、外的なダメージで瀕死になることで緩む程度ならば私が表層に出ていくらでも助けてあげられるんですが、今回は内的な変質でバランスが崩壊しかけてしまいましたから」

 

 言っていることが相変わらずよくわからない。ただ、要は私が砲撃をしたことについて彼女が言及しているであろうことは理解できた。

 

「駄目じゃないですか、砲撃したらあなたは消えてしまうんですよ?」

「でも、撃つしかなかったんです……」

「あなたが消えるだけならまだいい。でも、それだけじゃ済まないんですよ?」

 

 そう、砲撃は半人半深の私を深海棲艦に染め上げるトリガー。

 その後、私はきっと多くの命を奪うかもしれない。

 でも、あの場には武蔵がいた。神通や綾波もいた。

 私が深海棲艦になっても殺してくれるだけの保険はあった。それなら十分にやる価値はあると思ったし、今もその選択を後悔するつもりはない。

 それを話すと、『大和』はとても悲しい表情をした。

 

「あなたはもう少し自分というものを大切にするべきです」

「……すみません」

「それに、武蔵、神通、綾波三人だけではとても止められませんよ」

「え?」

 

 聞き間違いかと思った。

 しかし、『大和』の厳しい表情に、聞き返すまでもなく、聞き間違いでないことは明白であった。

 

「というか、止める術など今の世界にあるのでしょうか」

「そ、そんな馬鹿な」

「だからこそ、私は強く忠告します。あなたは、もう少し自分というものを大切にするべきです」

 

 同じ言葉を二度言われた。しかし、二度目は重く、私にのしかかる言葉だった。

 

「次はないですよ? 私も今回バランスを立て直すために随分と力を使ってしまいました。次砲撃をすれば、もうあなたを助けてあげられませんし、きっと世界も助からない」

「わ、わかりました……」

 

 『大和』の言葉に何度も頷く私に、一変して彼女は優しく笑いかけた。

 

「でも、命を賭してでも仲間を助けたい、あなたにそういった心が芽生えたことを私はとても嬉しく思いますよ、大和」

「あの、あなたは一体――――」

 

 そこまで言いかけた所で、私の身体が段々と透けていることに気が付いた。

 

「透けてる!? なんか透けてるんですけど!?」

「ここまでですかね」

 

 慌てる私とは対照的に、落ち着いた声で『大和』は言った。

 

「さようなら、大和。機会があれば、またお話しましょう」

 

 

「いやはや、敵いませんなぁ、寄る年波というものには」

 

 縛り上げられ、吊るされた参謀総長を見ながら提督は目を細めた。

 元帥と参謀総長の一騎打ちは一瞬にして決着がついた。

 元帥は重火器の乱射。しかし、参謀総長はその射線を読み切り、その全てを避けて接近した。提督の目にも、その先に、元帥の勝機はないように映った。

 しかし、彼は目の前に迫った参謀総長に凶悪な笑みを浮かべ、あろうことか手に持っていた機関銃を手放していた。

 実際、それは正解だった。既に間合いは殺されている。ならば、あのレベルの戦闘ならば機関銃よりも拳の方が早い。

 明らかに状況の変化に対応した動きとは思えない即決。つまるところ、元帥は初めからこうするつもりだったのだろう。

 超接近戦に誘導するため、あえて、重火器を見せつけ、乱射した。そして、初めからそうするつもりだった元帥と、その動きに虚を突かれ、一瞬動きの遅れた参謀総長。

 その拳骨を先制したのは元帥であり、すなわちそれは勝負の終わりだった。

 

「クックック、やはり最後に信じられるのは己の肉体のみよ」

 

 老齢に至ってなおも木の幹の如く逞しく太い二の腕を見せつけ、元帥は満足げに笑った。

 

「さて、語ってもらおうか。お前達、陸軍は一体何がしたかった?」

「DW-1、あれは陸軍復権のための茶番劇の舞台装置です」

 

 諦めたのか、参謀総長は早々に口を割った。

 

「殊勝なことだ。老いて牙も落ちたか」

「ほっほっほ、まぁ、どの道ここまで攻め落とされれば遅かれ早かれ判明すること。隠し立てすることに意味を感じなかったまでです」

「ふん」

 

 その後、参謀総長は全てを語った。

 DW-1の持つ招来の権能。それを機械装置で制御し、深海棲艦の奇襲を誘発。それを陸軍が食い止めるというマッチポンプの図式を作り、深海棲艦との戦争により薄れつつある陸軍の必要性、その復権を目論んでいたという。

 

「なんという、くだらぬ浅知恵よ……!」

 

 元帥の額に青筋が浮かび上がる。

 しかし、それに少しも威圧される様子なく、参謀総長は答えた。

 

「そうでしょう、我ながら心底くだらない計画。しかし、今の陸軍を守るためには、必要なことでした」

「守るべき国民を危険に晒して権威を守る。そんなことは権威ある者の所業ではない。腐ったか、陸軍ッ!」

「どうとでも罵るが良い。それでも今陸軍を海軍に取り込まれる訳にはいかないのです。軍は陸と海、二本柱だからこそ崩れない。どちらかがどちらかに取り込まれては必ず崩壊する! あなたは目の前のことしか見えていない! 『この戦争が終わった後』、必ず陸軍は必要となる……!」

 

 参謀総長と元帥のにらみ合いはどちらが譲ることもなかった。

 しかし、提督が静かに口を挟んだことで、その視線はそちらに向く。

 

「DW-1、彼女はどちらなんですか」

「どちらというと?」

「彼女に会って、少しですが話もしました。あれは深海棲艦なのですか、それとも艦娘なのですか」

「深海棲艦ですよ、当然」

 

 参謀総長はそう断言した。

 

「あれは敵です。なればこそ、捕縛するか破壊するかしなければならない。そのための蜻蛉隊です」

「彼女からは私達への敵意は感じられませんでしたが」

「ほっほ、あんな化物に演技をする知性があったとは驚きですな。まぁ、いずれにせよ敵意の有無など関係ない。深海棲艦はそこに留まるだけで瘴気で人を侵す。一隻だけならば影響が出るのは幾分先であろうが、放置することはできないでしょう」

 

 参謀総長が嘲笑混じりに言葉を終えるのと同時に、提督の右腕がその首に伸びた。

 

「敵だから、化物だから、何をしても良いわけじゃない」

「ぐ……おぉ……!?」

 

 片手で参謀総長の首を鷲掴みにする提督。その表情には怒りも悲しみもなく、ただ、無表情だけが張り付いていた。

 参謀総長の顔からみるみるうちに血の気が失せていくのが見て取れた。

 

「何故あなたの都合で彼女達が苦しまなければならない? 何故癒えかけた傷を抉るのですか?」

「よせ、死ぬぞ」

 

 元帥が提督の腕を掴む。

 はっと我に返ったような表情で、手を離すと、提督は再び口を開いた。

 

「鏑木美鈴について話してください」

「……DW-1が送られてきたのは数年前。見返りとして金、食料、医薬品、それと試薬と機器類を要求してきました」

「成程、陸軍を隠れ蓑に使うとは灯台下暗し。上手い手を考えたものだ」

「鏑木美鈴を実際に見たのですか?」

「いいえ、彼女とはいつも通信機越し、しかもボイスチェンジャー付きの会話しかしておりませんでしたから、姿を見たわけではありません」

「……偽物の可能性もあると?」

 

 しかし、提督のその言葉に参謀総長は首を振った。

 

「そうは思いませんでしたよ。彼女は『ワルキューレ計画』の全貌を把握していましたので」

「なんだと?」

 

 ワルキューレ計画。その単語に元帥の顔が露骨にひきつっていく。

 それは提督も同様だった。

 

「完全凍結されたあの研究の全貌を知るのは鏑木美鈴と限られた研究者達のみ。調べると、全員死亡確認済みの旨が記述されておりましたが、鏑木美鈴の死体だけは本人特定まではできていませんでした」

「つまり、あの死体は替え玉だと?」

「少なくとも私はそう思っています」

 

 参謀総長は熱のこもった声でで続ける。

 

「あれは、まだ生きています。そして、既に動き出して――――」

 

 言葉を遮るように室内に音が響き渡った。

 提督はその音を良く知っている。

 それは銃声。それもサイレンサーでエコー音を抑えたもの。

 参謀総長の表情が固まったかと思うと、そのこめかみからドロリと血が流れだし、力尽きたように頭が垂れ下がった。

 

「何者だッ!」

 

 元帥が銃声の主へ怒声を飛ばす。

 薄暗い室内の隅の闇から浮かび上がるように現れたのは陸軍の軍服に身を包む仮面の男。仮面と服の隙間からは褐色の肌が見えており、服の上からも鍛え上げられた肉体が見て取れる。

 その右手にはサイレンサーの取り付けられた黒い拳銃があった。

 

「…………」

 

 仮面の男は何も言わない。

 臨戦態勢を取り、今にも飛び掛からんと元帥と提督が重心を前傾させたと同時に、男が左手で機械のディスプレイを素早く操作した。

 同時に、爆発音と大きな振動がその場の全員を襲い、動きを止めた。

 

「まさか、自爆シークエンスか……!? 参謀総長め、秘密主義にも程があるぞ!」

「ぐ……仮面の男は……!?」

 

 突然の振動によろめき、視界が地面に下がった。

 慌てて仮面の男が立っていた場所に目を戻すも、既にそこには誰の姿もない。

 

「あの男は一体……」

「愚か者ッ! まずは一刻も早く脱出するぞッ!」

 

 

「よぉ、龍田」

 

 七丈小島。その堤防で、天龍は海を憂い気に見つめる龍田を見つけた。

 笑顔を向け、言葉をかける天龍に対し、龍田の表情は暗く、返答もない。

 

「さ、帰ろうぜ。皆お前を待ってる」

「無理よ」

 

 天龍の差し出した手を、龍田が取ることはなく、その視線も尚も彼女の方を向くことはなかった。

 それは、明確な拒絶の意志に他ならない。

 

「龍田」

「龍田じゃないわ」

 

 初めて龍田は天龍に顔を向けた。その声には、行き場のない感情が溜まり、濁りきっていた。

 

「私は、深海棲艦。龍田じゃない」

「ッ!?」

 

 突然だった。

 龍田が、一直線に天龍に近づきつつ、その右手に薙刀を出現させ、切りかかってきた。

 真上から振り下ろされた薙刀を刀で受け止める天龍。

 龍田の口角が徐々に吊り上がっていく。

 

「そう、私は深海棲艦DW-1! あの舞鶴の夜、あなたと戦い、あなたに斬られた深海棲艦よ! お久しぶり、天龍ちゃん! ようやく、二人きりになれたわねぇ! 待ち遠しかったわ!」

「お、前……!」

「ごめんねぇ? 今まで騙してて。悪気があったわけじゃないのよ? ただ私にも準備が必要だったから、龍田のフリをしてた方が都合が良かったのよ」

 

 突然、饒舌に回りだす龍田の舌に、数秒前の彼女の面影はなく、その敵意と嘲笑に包まれた笑みは間違いなく、あの夜、舞鶴を地獄に陥れた深海棲艦に他ならなかった。

 

「でも、いい夢見れたでしょう?」

「――――ッ!」

 

 龍田から放たれたその一言に、天龍の眉が動く。

 

「どうだったぁ? 死んだ筈の龍田と会えて心底嬉しかったかしら? そうよねぇ、こんな状況で、こんな場所までやってきて、まだ私に帰ろうなんて言ってくれるんだもの。よっぽど大切に想ってくれていたのよねぇ?」

「やめろ……」

「鎮守府がたくさんの深海棲艦に囲まれて、襲われて。まぁ、蜻蛉隊や横須賀とか不純物は多いけれども、なんだかあの舞鶴の夜を思い出すわねぇ、天龍ちゃん?」

「それ以上は、やめてくれ……」

「ねぇ、今回は何人死ぬのかしら、天龍ちゃん?」

 

 その一言が最後だった。

 龍田の薙刀の刃に、切れ目が浮かぶ。それに沿って、光の線が走ったかと思うと、刃は綺麗に切断された。

 さらに、光の線は薙刀だけに留まらず、その後大きく歪曲して龍田の右肩から左足にかけてを斜めに走り抜け、そこから鮮血が吹き出した。

 

「ぐぅ!?」

 

 苦悶と驚愕の入り混じった表情で龍田が真後ろに飛び、間合いを取る。

 傷は浅いが、この瞬間、龍田が今まで得ていたアドバンテージが失われたことを悟る。

 突然の龍田からの攻撃、それに対する混乱、躊躇。しかし、今、天龍からそれは消え失せた。

 

「もういい、それ以上喋るな」

「あ、は、あははは、そう、本気になったのね、天龍ちゃん!」

 

 ゆっくりと振り切った刀を鞘に戻す天龍。

 その目にはもう迷いはなく、目の前の敵を斬る、それだけに没頭していた。

 龍田はそれに対し、嬉しそうに笑うばかりだった。

 

「さぁ、あの夜の続きをしましょう! どちらかが死に果てるまで、踊り狂いましょう!」

 

 瞬間、龍田の薙刀に黒い霧が凝集し、その刃の大きさをさっきまでの数倍にまで大きくする。

 

「まず、決戦場としてここは不適格ねぇ」

 

 龍田が天龍のいる場所に向けて薙刀を横に薙ぐ。

 

「っ!」

 

 その威力は見た目から類推される質量にふさわしく、おおきく地面を抉り、天龍の身体を海へと弾き飛ばした。

 同時に、龍田も海面へと足をつけ、海上で再び彼女達は向かい合う形になった。

 

「私達の戦いは、海でこそ決着しなければならないわ。そうでしょう?」

「……ああ、そうだな。矢矧には決着をつけてこいって言われたんだった」

 

 天龍は、呟く。

 

「龍田、お前を連れて帰ってこい、とは命令されてねぇ。だから、お前がそうするんなら、もう助けられねぇ。いいんだな?」

「ええ、勿論よ! そのために、ずっと待って、待って、待ち焦がれていたんだもの!」

 

 終始無表情に徹する天龍の表情はどこか悲し気にも見えた。

 

「ああ、この感情は何なのかしら」

 

 龍田の両手に黒い霧が凝集する。

 巨大化した薙刀は元のサイズに戻り、代わりに左手にもう一本、同じ薙刀が握られていた。

 薙刀二刀流。龍田のその立ち姿はまさに舞鶴の夜を想起させるに十分だった。

 

「今度こそ、舞鶴のようにはならねぇ。俺は、誰も死なせねぇ」

 

 天龍の刀を握る手に力が籠もった。

 

 




百話超えてから話数ナンバリングの違和感が凄い。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。