七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
プリンツロボ、発進




第百八話「僕はね、尽くされる男よりも、尽くす男になりたいのさ」

 昔からママは僕に色々なことを教えてくれた。

 僕の心にはママの教えが今でも生きている。

 人生で必要なことの大半を、学校ではなく、ママから教わったんだ。

 

「ママは僕によく言ったものさ『女に尽くされるよりも、女に尽くせる男になりなさい』ってね」

「お前、そろそろイタリア帰れよ」

「そうだそうだ!」

 

 僕、エドモンド・ロッソ(偽名)は、DW-1の一件が収束した後も七丈島に居座っていた。もう一カ月くらいになる。

 確かに天龍とプリンツの不満はごもっともだろう。

 

「はっはっは、悪いが僕達にも事情があって手ぶらでイタリアには帰れないものでね。しばらく世話になるよ。あ、提督には了承してもらっているよ?」

「マジかよ」

「ふざけるなー! いいから出てけー!」

「プリンツ、わがまま言っちゃだめですよ」

「だってお姉さま! この鎮守府に男が居座るんですよ!? 危険です!」

「男性なら提督がいるじゃないですか」

「あれはなんていうか別じゃないですかぁ!」

 

 必死に大和に抗議するプリンツを見て、僕は溜息をつく。

 邪険にされていることを悲しく思って出たものではない。

 彼女のあまりの可憐さに、思わず溜息をもらしてしまったのだ。

 

「ほら! 見て、あの舐めまわすような視線! 絶対お姉さまを見て変なこと考えてますよ!」

「おい、ブーメラン刺さってんぞ」

「私はいいんだよ! ね、お姉さま!?」

「できればやめてくださいよ」

「ははは、いや、すまない。でも勘違いしないで欲しい。僕は決していかがわしい妄想なんてしていないし、何より僕が見ていたのは、大和ではなく君だよ、プリンツ」

「死ねぇ!」

「ごふっ!」

 

 プリンツの鋭いレバーブローが直撃する。

 しかし、なんだ、彼女とのスキンシップと思えば、中々悪くない。

 

「ああ……癒されるね……」

「さては武蔵と同じ部類の変態だな、テメー」

「やっぱりお姉さまのためにもこんな変態を鎮守府に置いたら駄目だぁ!」

「お前が言うな」

「まぁまぁ、一応提督も了承しているみたいですし、エドモンド提督が良いなら、今はいいんじゃないですかね?」

「な、ななな何言ってるんですか、お姉さまぁ!?」

「――そうだぞ、それに悪いことばかりじゃないだろう」

 

 会話の途中で、食堂の厨房の方からエプロン姿の磯風が姿を現す。

 ここに多くの言葉は無粋だ。端的に言おう。

 最高にキュートだ。いつかこんな娘にパパと呼ばれた日には僕の人生に思い残すことはないだろう。

 故に僕は叫ばずにはいられない。否、叫ばなければならない。

 

ディ・モールト(非常に)! ディ・モールト(非常に)良いぞッ!」

「うるせぇッ!」

「はっはっは、そんなに楽しみにしてもらえると、この磯風、胸が熱くなる思いだ」

 

 私の情熱の発露にも笑顔で答えてくれる磯風の無垢さたるや脱帽せざるをえまい。

 

「いや、本当に助かるわぁ、エドモンド提督みたいな素敵な人が来てくれたおかげでこれからは磯風料理を試食する必要もなくなるんだから。ほんと感謝しかない」

「お礼を言いたいのはこっちさ。女の子の手料理。しかも磯風みたいな美少女のものならいくらだって試食するとも」

「ロリコンだぁ……犯罪者予備軍だぁ……」

「お前は既に犯罪者の領域だけどな?」

 

 厨房から少し遅れて出てきたのは瑞鳳だ。

 この月に一度行っている磯風料理特訓における今月のコーチ役らしい。

 外見だけなら磯風と同じくらいに見えるが、その精神は誰よりも大人びており、どことない色気すら感じる。

 魔性の女というのはイタリアにも少なからず存在したし、何度かお相手してもらったこともあるが、彼女はそれ以上に危険な感じがする。そう、彼女なしでは生きられないほどに骨抜きに魅惑される、そんな危ない女の気配だ。

 

「だがッ! それがいいッ!」

「さっきからなんなんだ、お前!?」

「やっぱり危険だよ」

「そうかもな」

 

 拙い、あふれ出る情熱に天龍とプリンツの僕への心証が急降下中だ。

 

「瑞鳳、今日の磯風料理はなんですか?」

「炒飯よ。見た目は」

「不穏すぎる二言目やめろ」

 

 そんな会話をされながら僕の目の前に磯風から皿が置かれる。

 そこには、黄金色の米粒と、細切れの長ネギとチャーシューが織り交ぜられた炒飯が確かにあった。

 ラー油の香りが僕の鼻腔を刺激し、食欲を刺激する。

 

「いいじゃない、食べるのエドモンド提督だし」

「すまない、瑞鳳。一つお願いがあるんだ」

 

 僕は今から厚かましいお願いをする。

 それはあるいは抜け駆けにも等しい行為。一部の人間にとってこれを僕だけが享受するという事実は背信にも等しいのかもしれない。

 だが、僕はお願いせざるをえない。日本に来たからには、瑞鳳に会えたからには、絶対やってもらうって決めていたんだ。

 

「アレを、言ってみてくれないかな?」

「へぇ~、なになに言って欲しいんだぁ? 私に?」

 

 焦らすような視線と言葉に僕の中の何かが目覚めようとしている。

 

「言ってくれ! 言ってください!」

「仕方ないわねぇ、特別よ?」

 

 そう言うと、スプーンで炒飯を一口分ほど掬いあげ、僕の眼前に持ってくる。

 その表情は、既に魔性の女のそれに変わっていた。

 

「ねぇ、エドモンド提督。私、磯風と炒飯作ったんだけれど……たべりゅ?」

「ディ・モールトたべりゅぅううううううううううッ!」

 

 うるつかせた目、上目遣い、甘ったるい声、小首を傾げる仕草。

 全てがあざとい! 故に、たまらない!

 瑞鳳の『たべりゅ?』の破壊力の程は遠くイタリアの地でも聞き及んではいたが、まさかこれほどとは。

 なるほど、あざと可愛いは伊達じゃないということか。

 

「――――ッ!」

 

 一口食べただけで、全身を表現しがたい劇的な感覚が襲った。

 それは燃えるように熱く。

 また、凍えるように寒い。

 何が起こったのかわからないまま、僕は椅子から崩れ落ちる。

 

「今回もダメだったわね。知ってたけど」

「何故だぁ……」

「エドモンド・ロッソ、良い奴だったよ。南無」

「やった! やったぞ!」

「天龍、洒落になりませんから。プリンツも汚いから椅子の上に立たないでください」

 

 薄れゆく意識の中、5人の美少女が僕を覗き込んでいる。

 こんな死に方も悪くはないが、まだ、終われない。

 まだ、炒飯が残っている。

 炒飯、磯風の作った炒飯。すなわち、女の子の手料理。

 

「――この、エドモンド・ロッソは……! 女性の手料理は決して残さない……! これまでも、そして、これからもッ!」

 

 雄たけびと共に、僕は立ち上がり、スプーンで炒飯を全て口の中に掻き込む。

 体中が悲鳴を上げている。生命のアラートをけたましく鳴らしている。

 しかし、構うものか。

 僕には、命よりも重いと定めた流儀がある。

 そして、最後の一粒までを飲み込んだと同時に、僕は意識を失った。

 

 

「馬鹿なんですか? エドモンド・ロッソ提督」

 

 目覚めた医務室で矢矧が心底呆れた表情で僕を見つめる。

 凛としたその美しい顔立ちがいかにも度し難いといわんばかりに歪み、軽蔑的な視線が僕を射貫く。

 そんなに見つめられると、僕はもうどうにかなってしまいそうだ。

 

「別に天龍達の悪ふざけに付き合ってくれなくてもいいですから。せめて大人しくしていてくれませんか? 余計な仕事を増やされると困るんです」

 

 淡々と、僕を叱りつける矢矧には流石の僕としても茶々をいれるわけにはいかなかった。

 

「いや、すまない。世話になっている身で迷惑をかけてしまったらしい。もう随分と良くなったし行くよ」

 

 そうおどけて笑って見せながら立ち上がろうとすると、立ち眩みがしてバランスを崩す。それをすかさず矢矧が支えてくれた。

 

「急に立ち上がらないでください。あなたは自分がどれだけ無謀なことをしたのかわかってるの? 磯風の料理を一皿平らげるなんて……大和型でもないのに」

 

 磯風の料理を食べることに大和型の耐久力が求められていることに疑問しかないが、彼女の表情をこれ以上曇らせないためにも今は何も言うまい。

 

「とりあえずはしばらく安静にしていなさい。いいですね?」

 

 なんと献身的な。態度に多少棘こそあるものの、それも全てこちらを慮ってのこと。天龍と似た気質ではあるが、あれとはまた違う。

 そう、彼女は生真面目に、全力で、真っすぐ相手と接しようとしている。その真摯な姿勢に心を打たれる。

 日本の委員長系の破壊力の程は遠くイタリアの地でも聞き及んではいたが、まさかこれほどとは。

 なるほど、清楚系黒髪ポニテは伊達じゃないということか。

 是非、眼鏡とかかけて欲しいね。

 

「でも、そんな堅物なところを崩してみたいのが、男心さ」

「は?」

 

 体を支えてもらっているということは、至近距離にあるということ。

 イタリア男ならだれしもが弁えている。

 落とせる、間合いだと。

 そして、イタリア男にとって、美女を口説くのは最早礼節。ここでやらなきゃ男じゃない。例え、心に決めた女性がいるとしてもだ。

 彼女の頬に手を当て、軽く僕の方に顔を向かせる。決して力は入れない、しかし、抵抗の間も与えぬ程度にはスピーディかつスムーズに。

 

「矢矧、気をつけなくちゃ。こういうことをされると、君にその気はなくったって男はその気になっちゃうんだか――――らああああああ!?」

 

 セリフが途中から激痛による絶叫に変わる。

 僕が矢矧の頬に添えた手を、いつの間にか背後に回っていた七丈島提督がひねりあげていた。

 やめて、痛い、本当に折れる。

 

「油断も隙もありませんね」

「き、君……いつから……!?」

「最初からですけど」

「嘘だろ!? 全然気が付かなかったぞ影うっすいな、君!?」

「注意力が散漫ですね。軍人とは思えません」

「ぎゃあああああ、ディ・モールト痛ぁあああいッ!?」

 

 明らかにひねりあげる力が強くなった。

 

「提督、流石にそれ以上は……」

「矢矧も矢矧です。もう少し男性との距離感を考えてください……心配になります」

「え――は、はぃ」

「ぬおおおお!? 何だい、そのしおらしい表情!? くっそ、その顔にさせるのは僕のはず――――痛っったい、手がぁあああああ!?」

「反省してください。エドモンド提督」

 

 眼鏡の奥から覗かせる彼の怒りの丈は計り知れなかった。

 この時、僕は二度と彼を軽んじるまいと誓ったのだった。

 

「関節の限界というものを身をもって思い知らされたな」

 

 とりあえず医務室から逃げてきたはいいが、さてこれからどうしようか。

 まずは食堂に戻って無事を伝えようか。

 まぁ、プリンツには嫌そうな顔をされそうだが。

 

「まぁ、余所者がすぐには受け入れてもらえるとは考えていないさ」

 

 全く気にしてない、と言えば嘘になるが、だからと言って落ち込んでいても何も解決しない。

 何、イタリアに帰る目途なんてまるでたってないんだ。時間をかけて受け入れてもらえばいい。

 心を切り替えて食堂の扉を開けようとした時、中から声が聞こえてきた。

 

 

 

「あれ!? あれ!? ない! ないないない!? なんでぇ!?」

「き、急にどうしたんですかプリンツ!?」

 

 慌ただしいその声は間違いなくプリンツのものだ。

 

「お姉さま、ない……ないんですぅ! ロザリオが!」

「ロザリオ? いつも首からかけている?」

「チェーンが、いつの間にか切れていて……」

 

 どうやら、落とし物らしい。

 なるほど、ロザリオか。首から下げていたらしいが、服の内側に隠していたのだろうか。

 気が付かなかったな。

 

「いつからなくなってたかわかるか?」

「昨日の夜まではあったはずだけれど……」

「今日の午前中は鎮守府いたっけ?」

「いや、私の料理のために買い出しをしてくれていたんだったな……」

「うん、商店街の方歩き回ってた……多分、その時かも」

 

 プリンツの声は沈んでいる。

 商店街というのは僕も何度か足を運んだが、人通りが多く、物を落とせばそう簡単には見つからないかもしれない。

 それでなくとも鎮守府から商店街までの間もそれなりの距離はある。道路沿いの草むらに落とした可能性もある。

 なんにせよ、捜索範囲は広大だ。

 

「ど、どうしよう……」

 

 扉の隙間から垣間見たプリンツは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 

「とりあえず鎮守府の中から探してみましょう、提督と矢矧にも手伝ってもらえるよう話してみます」

「私は艦載機飛ばしてみるわ」

「俺も商店街のおっちゃんに話聞いてみるぜ」

「店長と美海にも話をしてみる」

「うう、皆ぁ、ありがとう……!」

 

 いい娘達だ。

 プリンツのために誰もが協力を即答した。

 

「エドモンド提督にも手伝ってもらうか。人手は多い方がいいだろう」

「そ、それは駄目!」

 

 プリンツの制止の声が響く。

 

「……その、あの人には、酷いことたくさん言っちゃったし、そんな立場で頼み事なんて……」

「いや、あれならお願いって上目遣いして頼めば一発よ」

 

 その通りだ。いっそ命令してくれたっていい。

 

「それに、あのロザリオには……ここの皆以外、あまり、触って欲しくない」

 

 切実な声だった。

 きっと、大切なものなのだ。

 大切な者達以外に触れてほしくないと思う程度には、掛け替えのないものなのだろう。

 僕は、その一言を聞いてそっと食堂から立ち去る。

 僕は、今なんの話も聞かなかった。それでいい。

 

「あ、エドだぁ~。ほら、いっぱい日本酒買ってきたよぉ~、みてみて」

「ただいま、エド! 遅くなってごめんなさいね、商店街が楽しくてつい。すぐにザラ特製パスタ作るわね!」

「いや、すまない。お昼はもう食べてしまったんだ。磯風の手料理をごちそうになってね」

「な、なんですって……!?」

 

 鎮守府の入り口付近で、大量の買い物袋を提げたザラとポーラと出くわす。

 

「すまないが、ちょっと出かけてくるよ。夜には戻る。ザラのパスタは帰ってから夕食に食べたいな」

「ほ、ほんと!? わかったわ、ザラに任せて!」

「ん? なになにおでかけ?」

「まぁね、ちょっと散歩さ。商店街までね」

 

 

 その夜。

 

「うめぇ! なんだこのトマトパスタ! 今まで食べたことねぇ!」

「うちは基本和食に偏るからイタリアンは新鮮でいいわよね、新鮮で」

「むぅ、これは新たな師匠になってもらおう」

「うぇへへ、ザラ姉さまのパスタは日本酒にもよく合う~」

「ふふ、グラッツェ! まだまだあるからたくさん食べてね!」

「本当に美味しいですね! ね、プリンツ!」

「はい、お姉さま!」

 

 交流もかねてザラの作ったトマトパスタに舌鼓を打つ一同。

 結果として、皆で色々な所を探し回ったが、結局ロザリオは見つからなかった。しかし、空気を重くするばかりなので誰もが消沈した様子は見せない。

 一見してプリンツも楽しそうだが、大和からはどことなく意気消沈している彼女の内心が伝わってくる。

 

「……大丈夫、きっと明日には見つかります」

「ありがとうございます、お姉さま。そのお言葉だけで、私とっても心強いです」

 

 そう笑顔を浮かべるプリンツに笑顔を返しながら、結局力になれていない自分を大和はどうしても責めずにはいられない。

 そんな時、食堂の扉が勢いよく開いた。

 

「ただいま、皆! いやぁ、遅くなって大変申し訳ない!」

「あー! エド! 遅いじゃないの! どこまで散歩してたのよ!」

「いやぁ、この島は美女が多い。商店街でことごとく美しい女性を見つけてしまってね。一通り全員に声をかけていたらいつの間にかこんな時間になってしまったよ、はっはっは!」

「この浮気者」

「ん? 石鹸の香り~。あとなんで服着替えてるの~?」

「ふっ、少し汗をかいたのと、衣服が乱れてしまってね」

「不潔ッ!」

「ぶ!?」

 

 ザラの鉄拳がエドの顔面にめりこんだ。

 

「か、顔だけはやめてくれ……イタリア1の伊達男が台無しに……」

「なんでそう、気が多いのかしら。あなたって人は」

「イタリア男にとって、美女を見かけたら口説くのはマナーなのさ」

「私、あなたみたいな人、嫌い」

「ぐっはあああああああああッ!?」

「エドぉおおおおお!」

 

 プリンツの心からの軽蔑の視線に、エドモンドは絶叫と共に食堂の床に倒れた。

 

 

「ふぅ、美味しかった! ね、お姉さま!」

「ええ、そうですね」

 

 厨房にて、二人で食器を片付けながらプリンツと大和は料理の感想を言い合う。

 しかし、両者ともにどこか心ここにあらずと言った様子で、会話も途切れがちだった。

 

「あの、お姉さま。ロザリオのことは、そんなに気にしなくてもいいんですからね?」

「いいえ、絶対に見つけます」

「……いつかは、手放さなくちゃとは思ってましたから、いつまでもロザリオに依存したままじゃいけないって。だから、いい機会だったのかもしれません。これも、主の思し召しなのですよ、きっと!」

「でも……」

「――あー、すまない、取込み中だったかな?」

「うわぁ!? エドモンド提督!?」

 

 唐突に声をかけられ、思わず大和達は悲鳴をあげてしまう。

 その反応に、申し訳なさそうに会釈して、エドモンドは言葉を続ける。

 

「申し訳ない。実は自室の鍵をどこかに紛失してしまってね。もしかしたら食堂にあるかもしれないと思ってきたんだが……」

「鍵ですか? すみません、見ていませんねぇ」

「そうかぁ、まぁ、他にも心当たりがあるからそっちに行ってみるよ」

「はい、後で掃除がてらもう一度食堂を確認しておきますね」

「本当かい? 申し訳ない、このお礼はきっとさせてもらうよ。差し当たっていつ頃が空いているかな? 二人で食事でも――――」

「お姉さまに近づくな」

「嬉しいな、嫉妬してくれているのかい?」

「ふふ、そう見える?」

「見えないな! よし、退散だな!」

 

 大和に詰め寄るエドモンドの前に立ち、笑顔で包丁をゆらめかせるプリンツの迫力たるや、流石の彼も全速力で逃げるしかなかったようだ。

 

「がるるるる」

「まぁまぁ、落ち着いて、プリンツ。エドモンド提督はあんな感じの人じゃないですか。挨拶みたいなものなんですよ、きっと」

「いや、あれは隙あらば食ってしまう野獣の眼光をしてましたよ! お姉さまの貞操は私が守る! というか私が貰い受ける!」

「あげません」

「ぶぅ」

「私、食堂の方掃除してきますね。厨房の片づけお願いします」

 

 エドモンド提督の自室の鍵のこともあるし、普段より念入りに掃除しよう。

 大和がそうして食堂の掃除を初めて数分が経った頃。

 

「ん?」

 

 食堂の角。観葉植物のおいてある鉢の付近に何か光るものを見つけた。

 おそるおそる近づいてみれば、それはまさしく銀製のロザリオ。

 プリンツが落としたそれに他ならなかった。

 

「プリンツ! プリンツ!」

「なんですかぁ、お姉さま?」

「ありました! ロザリオ! こんなところに!」

「え、ええ!? 本当ですか!? うわ、本当だ! わぁあああ!」

 

 食堂から濡れたままの手でプリンツが全速力で駆けてくる。

 そして、ロザリオを力強く抱きしめた。

 

「良かったぁ、本当に良かったよぉ……」

「ええ、本当に」

「流石、お姉さまです……! 私、きっとお姉さまが見つけてくださると信じていましたぁ!」

「……はい」

 

 泣いて喜ぶプリンツを他所に、大和はどこか素直に現状を受け止め切れていない様子だった。

 そして、プリンツを撫でて落ち着けてやると食堂の掃除を終わらし、早足で食堂から出ていく。

 

 

「――鍵は見つかりましたか、エドモンド提督?」

「ん? やぁ、大和。ああ、鍵は上着のポケットに入っていたよ! 気付かず洗濯機にいれてしまってて、さっき気付いて回収した所さ」

 

 そう言って鍵を見せるエドモンドに大和は頭をさげた。

 

「ありがとうございました。プリンツのロザリオを見つけてくれて」

「……ロザリオ? なんのことだい? 僕はお祈りとかはサボってしまう不信心ものでね、ほら、お祈りって目を閉じるだろ? あの間に美女が通りがかったら見逃すじゃないか。あ、それはそれとしてシスターさんは大好きだから教会にはよく通ってたよ」

 

 そうおどけて見せるが、大和は下げた頭をあげようとしない。

 それにエドモンドは参ってしまった。

 

「お願いだから、顔をあげてくれないかな。本当に何のことかわからないし、何より女性に頭を下げさせる趣味はないんだ。顔が見えないからね」

 

 そう言われて頭をあげた大和は優しく微笑んでいた。

 

「随分と長いお散歩でしたね」

「いや、可愛い子だらけだったからね」

「あのロザリオ、食堂に落ちていたのに土で少し汚れてましたよ?」

「なんだって? いや、そんなはずはない。汚れはしっかりと洗い落としたはず――――」

 

 反射的な反論。誘導されたと気付居た時にはあまりに遅い。

 それだけ、入念に、外で拾ったものと気が付かれないように、洗った。何より女性の持ち物を汚れたままにしておくなんてできないエドモンドの性格が、その大和の言葉を受け入れられなかったのだ。

 それがブラフだとわかっていたとしても。

 

「すみません、嘘です。はい、仰る通りとても綺麗でした。一日鉢植えの裏で放置されていたとは思えないほど」

「……確かに、埃一つ被ってないのは不自然だったかな」

 

 置く場所はもう少し考慮しておくべきだったかもしれないとエドモンドは自身の浅慮を後悔した。

 

「直には触っていない。手袋越しに触れただけだから許してくれ」

「聞いていたんですね、食堂での話。すみません、気を遣わせてしまって」

「僕が勝手にやったことだ、気にする必要はないさ」

「……プリンツにも伝えておきますね」

「それは駄目だ」

 

 即答だった。

 その反応に、大和は困惑を示す。

 

「少なくとも、このことを知れば、プリンツのあなたへの態度も多少は柔らかくなると思いますよ?」

「僕はね、尽くされる男よりも、尽くす男になりたいのさ」

 

 エドモンドの声は今までになく真剣そのものだった。

 

「ロザリオを探したのは僕がやりたかったからやっただけだ。見返りを求めてやったんじゃない。だから、彼女に知らせる必要なんてない」

「でも――――」

「それに、あのロザリオはそんなことのために利用していい程軽くはないはずだ」

 

 その言葉には大和も反論しなかった。

 

「何、プリンツにはまた違うアプローチを試みるまでさ。それに、君が知ってくれているというだけで僕の身勝手なお節介はもう十分すぎるほど報われている。これ以上を求めるのは、罰があたるよ」

「わかりました。そこまで言うのなら、このことは私の胸にしまっておきます」

「光栄だ、女性の胸の内に刻まれることほど男冥利に尽きるものはないからね」

 

 エドモンドはこれ以上なく誇らしげに笑った。

 

 

「美味しいですね、このパスタ」

「ええ、本当に。提督はこういう味付け好きなんですか?」

「そうですね、結構好きかもしれません」

「……覚えておきます」

「はぁ、そうですか……?」

 

 仕事がひと段落着いたので、矢矧と提督は執務室で遅めの夕食をとる。

 要望を聞きつけてザラが茹でたてのパスタを持ってきてくれたのだ。

 

「それにしても、エドモンド提督達を受け入れるなんて思いませんでした」

「まぁ、悪い人達ではなさそうでしたから」

「適当すぎませんか?」

「こんなに美味しいパスタを作れる人が悪人なわけないでしょう!」

「いつか騙されるわよ」

 

 呆れた様子の矢矧に、提督は続けた。

 

「でも、実際悪い人じゃなかったでしょう? エドモンド提督」

「まぁ、そうですね。あんなに泥まみれになって、どこまで探しに行ってたんでしょうか」

「調子に乗って山で迷子になったとか言い訳してましたから、方々手を尽くしてくれたんでしょう」

 

 空になった皿を重ねながら提督は安心したように溜息を吐いた。

 

「彼ならば、安心です」

「提督、いい顔でシメようとしているところ悪いんですけれど」

 

 提督の眼前に山の如く連なる書類が置かれる。

 現在、日にちが変わるまで既に3時間を切っている。

 

「ロザリオ捜しで中断していた分、仕事の進捗がすこぶる悪いです」

「……徹夜ですかね」

「徹夜ですね」

「はぁああああ」

 

 二人は揃って大きなため息をつき、再び書類仕事に戻る。

 こうして今日も一日つつがなく、七丈島の日常は終わりを告げるのであった。

 

 




台風の被害が半端ではないですが、頑張っていきましょう。


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