七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
バイト勇者の恋愛相談





プリンツ・オイゲン編
第百十五話「みんな、今までありがとう。大好きだよ!」


「やっと……会えましたね」

 

 燃え盛る海の上で私とその少女だけが立っていた。

 私の身体は既に裂傷やら打撲傷やらでボロボロで、服には血が滲んでいる。対照的に目の前の少女の身体には傷一つない。

 ゾッとするほど美しい、死人の如き白い肌。

 その肌同様、白く透き通った銀髪が少女の首の動きに合わせて流れる。そして、彼女の真っ赤な目が私の姿を確かに捉えた。

 

「…………」

 

 少女は何も言わないし、動かない。

 私を視界に収めてもまるで石ころでも見るかのように反応が薄い。

 私のよく知る彼女は、今は私のことを認識できていないらしい。

 それでも私は彼女に語りかける。そのために、私はここにいるのだから。

 

「さぁ、もう帰りましょう? 皆心配してますから、ね?」

 

 少女は私の声に反応しない。

 ただ、少女の背後で目にもとまらぬ速度で動くものがあった。

 それはまるで蛇のように宙をうねりながら一瞬で私の目の前まで伸びてくる。

 それは、灰色の触手だった。生物のようであり、所々鉱石のようでもあるその触手の先端部には巨大な黒い岩でできたサメを思わせる怪物の頭がついており、その口が私の頭を包み込むように大きく開かれていた。

 

「――大和っ! 逃げて!」

 

 背後から聞き覚えのある声がする。

 しかし、目の前に開かれた鋭利な牙と腐臭が蔓延する巨大な口から逃げるにはあまりにも判断が遅く、どうあがこうとその捕食から逃げられないことは明白だった。

 いやに時間がゆっくりと流れているように感じる。

 口が私の頭を砕かんと閉じられていく、死がゆっくりと迫ってくる中、私は何もできない。

 できることと言えば、一つ。

 

「プリンツ――――」

 

 少女の名前を、掠れた声で呼ぶことだけだった。

 

 

 およそ10日と18時間前、七丈島。

 

「おい、大和! あっちに焼きそばの屋台あるぜ!」

「行きましょう!」

「私もお供します、お姉さま!」

「あんた達、まだ食べるわけ……?」

「天龍、大和、プリンツも、あんまり勝手に動かない! この人混みの中じゃはぐれるかもしれないわ!」

「楽しいね! 磯風ちゃん!」

「そうだな、美海!」

 

 今日は七丈祭り。年に一度の大きな祭りであり、今日ばかりは島中が飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで埋め尽くされている。

 そんな空気に七丈島鎮守府の面々もすっかり当てられ祭りを満喫しているのだった。

 

「それにしても、こんな時に店長はいないなんて残念だ」

「うん、どうしても本島に行かなくちゃならない用事があるんだって」

「私も店長の新作カレーが味わえると期待していたんですけれどねぇ」

「まったく、娘の誕生日だってのによ! 美海はもっと怒っていいんだぜ?」

 

 今日はお祭りでもあるが、美海の13歳の誕生日でもある。

 まるで我が事のように怒る天龍に美海は笑って首を振った。

 

「ううん、お父さん、うんざりするほど謝ってくれたし、本島に行く前にお祝いもしてもらったからいいの! それに、お父さんは決して私をないがしろにしてるんじゃないって私が一番わかってるから!」

「いい子ですね……」

「店長は幸せ者ね」

「今日は店長の分まで俺らが一緒だからな! 日付が変わるまでは寝かせねぇから覚悟しとけ!」

「なんてこと言うの、教育に悪い!」

「えへへ、皆ありがとう!」

 

 満面の笑みを見せる美海に全員が癒される。

 磯風が率先して手を引っ張って二人で林檎飴を買いに行くのを見届け、大和達は身を寄せ合い、小声で話し始める。

 

「皆さん、そろそろですよ、わかってますよね?」

「おうよ、ばっちりだぜ」

「さっき提督から準備できたって連絡があったわ」

「さて、二人が戻ってきたら作戦開始ね!」

 

 四人が頷き合い、少しして林檎飴を手にして磯風と美海が帰ってくる。

 大和と磯風の間でアイコンタクトがあり、それが作戦開始の合図となった。

 

「そういえば、この後は花火があるらしいですよ!」

「え、そうなの!?」

 

 美海が驚いて食いついてくる。それはそうだ。例年、七丈祭りで花火はあげていない。

 だが、今年は特別なのだ。

 

「じゃあ、皆で花火見やすいとこ移動しよーぜ!」

「だったらやっぱりうちの鎮守府が一番じゃないの?」

「確かに海にも近いし、私達以外誰もいないし、まさに特等席ね」

「よし、じゃあ鎮守府に戻るか。美海もそれでいいか?」

「うん!」

 

 若干、演技臭いところがあったが、なんとか美海には気づかれていないようだと大和達は内心安堵の息を吐く。

 そして、鎮守府に戻るため、今来た道を戻ろうと大和が転身したその時、真正面に人がおり、思い切り衝突してしまう。

 この人混みで急に方向転換しようものならこうなるのは必然だったと自分の短慮を反省しながら大和は尻餅をついてしまった女性に手を差し伸べ声をかけた。

 

「す、すみません! 大丈夫でしょうか!?」

「アーハハ! いや、大丈夫大丈夫! ごめんなさいね……う、立ち眩みが……」

「本当に大丈夫ですか!?」

 

 一度立ち上がるも再度尻餅をついた女性は大和の手を取ってふらつきながら起き上がり、笑って両手を目の前で振る。

 島では見かけたことがない。というか、そもそも日本人ではなかった。

 真っ白な髪と肌が特徴的な線の細い身体をした彼女の瞳は美しい碧眼で、鼻も高い。外国人であることは一目瞭然であった。

 

「いやぁ、悪いね、助かったよ」

「いえいえ、あの、失礼ですが海外の方ですか?」

「ええ、ちょっと旅行でね! 好きなんですよ、日本!」

 

 女性は流暢な日本語で陽気にそう返す。

 今の時代、海を超えるということは深海棲艦が出没する以上そう簡単なことではない。

深海棲艦の支配から取り戻した海域はあまりに僅かで、その僅かな海域すら万が一を考慮して護衛の艦娘をつけなければ航海できないし、航空機の飛行はそもそも許可されていない。

 それ故に、その旅費も馬鹿にならない額になってくる。とてもじゃないが、一般庶民に手の届く値段ではない。

 彼女が日本へやってくることができたということは、かなりの富裕層に違いない。

 

「いやー、ここはいい島ですね! 気温も丁度よくて、住んでいる人たちはすごく活気づいていて、優しいし!」

「気に入っていただけて嬉しいです!」

「うん、すっごく気に入った! いつかはこういうとこでのんびり暮らしたいなぁ」

 

 七丈島のことを褒められるとなんだか自分を褒められたような気分になり、大和は頭を掻いて照れくささを誤魔化すように笑った。

 しかし、いつの間にか他の面々に置いて行かれていることに気が付き、急いで後を追うべく大和は慌てて話を切り上げる。

 

「あ、す、すみません! 私もう行かないと!」

「あぁ、ごめんね、引き止めちゃって!」

「いえいえ、とんでもないです! お姉さんもお祭りたくさん楽しんでください!」

「アーハハ! うん、そうするよ、ありがと! それじゃ、またね」

 

 観光客の女性と手を振りあって別れ、先行する皆に追いつくべく走る大和。

 ふと、彼女の最後の言葉が引っ掛かった。

 

「ん? またねって……まぁ、いいか!」

 

 後ろを振り向いても、既に人混みの中に消えて、女性の姿は見当たらなかった。

 

 

「さて、そろそろ花火があがる時間だぜ!」

「楽しみ! ね、磯風ちゃん!」

「ああ、そうだな!」

「何か適当に冷たい飲み物でも持ってくるわ。大和、手伝って」

「はい!」

「俺コーラな!」

「私はトロピカルジュースでいいわよ」

「私はお姉さまの飲みさしならなんでもいいです」

「皆オレンジジュースでいいわね?」

 

 鎮守府の堤防近くに椅子とテーブルを持ってきて特等席を作った。ここなら一番良く花火を見ることができるだろうと、瑞鳳が計算した位置取りである。

花火があがるまで後僅かの所で矢矧と私は席を立ち、手はず通り食堂へ向かう。

 

「花火なんて久しぶりに見るよ!」

「美海、あの七丈小島から打ちあがるらしいぞ」

「ここからなら七丈島のどこよりも綺麗に見えるはずよ。私の完璧な計算に間違いはないわ!」

「うお、なんか俺緊張してきたぜ」

「私もなんかテンションあがってきた!」

 

 そして、笛のような音と共に花火が打ちあがり、その夜空に色とりどりの花を咲かせた。

 しかし、それらはやがて一つの形を成していく。

 美海はそれに気づくと、思わず両手を口に当てた。

 

「え、嘘……」

 

 夜空には、花火で『オメデトウ ミウ!』という文字が描かれていた。

 驚きの余り声も出ない美海の背後から、歌声が聞こえてきた。

 大和と矢矧の声だった。

 

「ハッピバースデー、トゥーユー」

「ハッピバースデー、トゥーユー」

 

 そして、大和と矢矧が持ってきた13本の蝋燭の灯った誕生日ケーキを囲み、最後には七丈島艦隊全員の声が重なる。

 

「ハッピバースデー、ディア、美海ー……ハッピバースデートゥーユーっ!」

 

 全員で高らかに歌い上げた時には、美海の目は潤んで今にも決壊しそうになっていた。

 

「嘘、皆……信じられない……」

「美海、13歳の誕生日、おめでとう!」

「おめでとう!」

「おめでとうございます!」

「また一歩大人に近づいたわね!」

「めでたいぜぇええええ!」

「ひゃっはー、おめでとぉ!」

 

 声高に一人一人が美海に声をかける。

 もうそれ以上の我慢もできず、美海は泣き出してしまう。

 同時に、花火が夜空に乱れ咲いた。

 

「う、うえぇ、みんなぁ、みんなぁ……」

「おいおい、主役がそんなんじゃ、この蝋燭は誰が吹き消すんだ?」

「おら、頑張れ美海!」

「やだ、なんかこっちまで泣けてくるわ」

「わかります」

「うん……うん……!」

 

 涙でぐしゃぐしゃになった顔の美海が思い切り蝋燭を見事に吹き消して見せた瞬間、今日一番の大きな花火があがり、再び歓声があがった。

 

「みんなぁ、ありがとぉ……大好きぃ!」

「私もだ、美海!」

「私もです!」

「良かった、良かったわ……」

「おい、矢矧まで泣き出したぞ!?」

「ひゃっはー! ぱーりぃないとだぁああああ!」

「プリンツもなんかテンションおかしいんだけど!?」

 

 その後は休む間もなく放たれる花火を見て、食堂に戻り、屋台であれだけ食べ歩いたにも関わらず大和が腕によりをかけた料理とジュースとお菓子とケーキで大騒ぎした。

 しかし、流石に疲れたのだろう。日付が変わる前に美海は机に突っ伏して眠りこけてしまった。

 それを天龍が背負って部屋に連れて行くのを見届け、大和達も後片付けを始める。

 

「――ただいま戻りました。おや、丁度終わった所でしたか」

「あ、提督、お帰りなさい! 今日は本当にありがとうございます、無理を言ってしまって」

「いえいえ、島の方々も喜んでましたよ。花火なんて久しぶりだって」

 

 今回、美海の誕生日サプライズをするにあたり、ケーキや料理は大和が、企画と尺玉に関しては瑞鳳と妖精さん達が、花火の打ち上げに関しては提督が役場で交渉していた。

 予算や事故の面でそれなりに苦労したようだったが、花火自体は原材料さえ工面してくれればこちらで妖精さんがノーコストで作り上げてくれるし、花火による事故のリスクマネジメントは瑞鳳の企画書に完備されていたし、何より提督は職業柄か島の重鎮には意外と顔が利く。

苦労はあっても失敗に終わることはなかっただろう。

 

「おや、天龍はどこに?」

「美海ちゃんを寝かせに行ってます」

「なるほど、そうでしたか」

「提督、ここは私達で片づけておきますからもう休んでは? だいぶ付き合わされたのでしょう?」

「はは、分かりますか……」

 

 七丈祭りの打ち上げでは相当飲まされたらしく、平静を装っている提督の身体は絶えず左右に揺れていた。

 島の役場の方々は例外なくうわばみなのである。

 

「では、お言葉に甘えてお先に失礼します」

「後でお水持っていきますね」

「ありがとうございます、助かります」

 

 若干ふらつきながら、提督はそう言って食堂から立ち去っていった。

 

「それにしても美海が喜んでくれて良かった」

「ええ、本当に。また来年もやりましょう!」

「いいわね、今度は何をしようかしら。腕が鳴るわ」

「また提督には頑張ってもらわないといけないわね」

 

 皆で今日のサプライズ成功の余韻に浸りながら後片付けをしていたその時、磯風と瑞鳳の手がまず止まり、次にプリンツと矢矧の表情が固まった。

 

「……こんな日に、空き巣か?」

「穏やかじゃないわね」

「ええ、本当に」

「え、なんですか?」

 

 一人、状況に追いつけない大和にプリンツが小声で耳打ちする。

 

「多分、侵入者です。数は把握できないですけどかなり多いです」

「え、ええええ!?」

 

 普段の七丈島鎮守府ではそのような荒事は一切ない。

 というかそもそも七丈島自体にそういった事件がない。

 鍵をかけずに扉を開けっ放しにしていても問題ないくらいである。

 大和の脳裏には以前、あきつ丸率いる蜻蛉隊の襲撃の時のことが思い返された。

 

「ど、どうしましょう」

「迎え撃つしかないわね。瑞鳳、艦載機はどう?」

「今妖精さん達にメールしたから十分くらいで届くはず」

「よし、プリンツ、電気を消して。大和は食堂からフライパンだとか武器や防具になりそうなものを片っ端から持ってきて」

「て、提督と天龍はどうしましょう」

 

 天龍は美海を部屋に送り届けている最中だし、提督は酒でふらふらだ。

 しかし、大和の懸念を矢矧は薄く笑いながら首を振る。

 

「むしろあの二人なら心配ないわ。美海に天龍がついてくれて本当に良かった。提督は絶対に大丈夫よ」

「そうです、よね」

「今は自分達の心配をしましょう、迎撃準備よ!」

 

 

 時は遡り数時間前。

 人気のない街灯の少ない路地で男女が抱き合っていた。

 

「バイト君」

「いろは……ごめん」

「いいんだよ、帰ることは前々から聞いてたし、でも、きっと帰ってくるよね?」

「もちろんっす。俺はきっといつか君を迎えに――――」

 

 見つめ合うバイト勇者といろは。

 その会話を遮るように着信音が鳴り響いた。

 

「俺のっす、ごめん……」

「ううん、全然いいよ、出て」

「……いや、大丈夫っす」

 

 スマートフォンの画面を一瞬見ると、着信を切り、バイト勇者はもう一度力強くいろはを抱きしめる。

 

「ごめん、もう行かないといけなくなったっす」

「もう?」

「予定より早く迎えが来ちゃったみたいっすね」

「……バイト君、これ、受け取ってもらえる?」

 

 いろはは手提げ鞄から白玉のついたストラップを取り出し、手渡す。玉は揺れる度に美しい鈴の音を響かせる。

 

「二原山神社の鈴守り。ドイツまで無事に帰れますように、そして、もう一度ここに帰ってこられますように」

「いろは……ありがとう! いつも身に着けておくっす」

 

 そう言ってバイト勇者はズボンのベルト穴に鈴守りを結びつける。

 

「じゃあ、また」

「うん、またね」

 

 バイト勇者はいろはに背を向けて走り去る。

 彼が見えなくなり、やがてその足音すら聞こえなくなった所で、いろはが一人すすり泣く声だけが響いていた。

 

 

 七丈島鎮守府、食堂扉前。

 既に消灯された廊下に、闇に溶け込むよう真っ黒な装備に身を包む三名の人間がいた。

 いずれもその手には機関銃が握られており、一見してそれは兵士のような出で立ちであった。

 三名はハンドサインで意思疎通を図ると、食堂の扉を勢いよく開け、突入する。

 

「――やぁ!」

 

 最初に中に入った一人目の真横から大和がフライパンをフルスイングし、奇襲を仕掛ける。

 見事にフライパンが兵士の顔面にめり込み、大和の怪力によってそれは意識をかき消すには十分なダメージを与えることに成功し、あえなく床に倒れた。

 残る二人が慌てて銃を大和に向けようとした瞬間、不意に全ての電気が点灯し、闇に慣れていた視界が眩い光に眩む。

 

「今だ!」

「はっ!」

 

 その隙を突き、背後からプリンツと磯風がガスコンロと伸ばし棒を頭に叩きつけ、気絶させた。

 

「ふう、どうにか上手くいったわね。艦載機の到着を待つまでもなかったわ」

「まだ油断できない。気配は三人だけじゃなかった。後、四人いる」

「――おい! お前ら無事か!?」

「――みなさん、無事ですか!?」

 

 食堂に、両肩に兵士を二人背負って駆け込んできた天龍と提督を見て、今しがた警戒を解かないよう注意喚起した磯風は思わず吹き出してしまった。

 

「とりあえず、全員縛り上げましょうか」

「そうだな」

「誰なんでしょうこの人達」

「残念ながら空き巣じゃなさそうね」

「…………なんか、嫌な感じがするね」

 

 兵士の顔を見ても見覚えはない。理由がわからないのが不気味だ。

 一人くらい気絶させずに拘束できればそれを聞くこともできたのだが、そこまでの余裕はなかったのだから仕方がない。

 大和達が不安に包まれる中、再び磯風が食堂の入り口の方を振り向く。

 

「また、誰か入ってきたぞ」

「便利ですね、磯風レーダー」

「でも今度は全然気配を隠そうともしねぇ。こいつらじゃねぇのか?」

「皆さん、油断しないで。それぞれ物陰に隠れてください」

 

 全員テーブルを盾にしたり、厨房へ隠れたりと移動し終え、臨戦態勢が整った瞬間、食堂の扉が三回ノックされた。

 当然返事はしない。

 すると、ドアノブが回転し、扉が開く。

 食堂に入ってきたのは大和の知る顔だった。

 

「え、さっきのお姉さん……?」

「アーハハ! また会ったね、偶然!」

「なんだ、大和、知り合いか?」

「いえ、さっきお祭りで知り合った方なんですけれど……」

「う、嘘……嘘だ……」

「プリンツ?」

 

 状況が読めない中、プリンツだけが目を見開き、その女性を見据え、後ずさりしている。よく見れば、僅かに手が震えているように見える。

 そんなプリンツの方を見ると、女性は一瞬目を見開いて、次の瞬間、満面の笑みを浮かべた。

 

「アーハハ! 見違えた、すっかり立派になったね、『ゲルダ』!」

「ゲルダ?」

「……まさか、艦娘になる前の名前かしら?」

「昔の知り合いってことか……?」

 

 当然、艦娘も元は人。艦娘になる前の人としての名前がある。

 磯風のように艦娘になるまで名前を与えられなかった者や、記憶喪失で思い出せない大和のような者もいるが、基本、艦娘はその二つの名前を持って生きているのだ。

 そして、プリンツの真名を知っているということは少なからず彼女と深い関わりのある人物には違いないのである。

 

「プリンツ、誰なんだよ、そいつ」

「アルマ姉様……」

「アルマ、姉様?」

「嬉しいな、ゲルダ。まだ私のことを姉様と呼んでくれるんだね」

「あの、少しよろしいですか?」

 

 提督が物陰から出てきてアルマと呼ばれた女性の前に立つ。

 彼女は穏やかな笑みのまま、目線を提督に移した。

 

「ええ、なんでしょう」

「困ります。ここは一般人立ち入り禁止です。プリンツのお身内と愚考致しますが、一体どちら様で、どのようなご用件で来訪なされたのかまずは聞かせてください」

「……ああ、そうだね。ここではプリンツ・オイゲンだったね。ごめんね、姉さん少しはしゃいでしまって、つい」

 

 アルマはプリンツに謝罪するようにそう語りかけると、再び提督に向き直ると、懐から名刺を取り出し、それを両手で差し出しながら営業スマイルを浮かべ続ける。

 

「お初にお目にかかります。私、『Tragenales Shipping Company(トラーゲンアレス・シッピング・カンパニー)』兵器運送部部長を務めております、アルマ・トラーゲンアレスと申します。以後お見知りおきを」

「え、は、はぁ……」

 

 名刺を受取り混乱気味の提督にアルマはまくしたてるように続ける。

 

「かねてより、私の義妹であるゲルダ――失礼、プリンツ・オイゲンがお世話になっております。本来であればもっと早くにご挨拶に伺うべき所ではございますが、生憎と機会に恵まれず、遅れたご挨拶となってしまったこと心よりお詫び申し上げます。お詫びと言ってはなんですが、我が社の商品をお買い上げいただく際には可能な限り勉強させていただきます所存ですので何卒今後ともよろしくお願い致します。あ、ポストに当社のカタログなど勝手ながら投函させていただきましたので、注文の際には後ほどお電話かメールにてご連絡ください。そうですね、私のおすすめは――――」

「ちょ、ちょっと! ちょっと一旦待ってください!」

「はい、なんでしょうか!」

 

 終わりの見えぬ営業トークに慌てて提督が止めに入る。

 一方で、大和達は目の前のこのアルマという女性が果たして敵なのか味方なのか、依然判別がつかないこの状況に不安を募らせていた。

 しかし、このプリンツの怯えた反応を見る限り、およそ友好的な存在と考えるべきではないだろう。

 互いにそのようにアイコンタクトを交わすと、ゆっくりとプリンツを囲んで守るように位置取りを変えた。

 

「今日は、一体、どのような要件でいらっしゃったか聞いてもよろしいですか?」

「アーハハ、そうでした! 私どうにも営業にばかり口が待ってしまって、肝心要を忘れていました。申し訳ありません」

「…………」

「単刀直入に申しますと、今日はプリンツ・オイゲンを引き取りに参りました」

 

 その言葉を聞いた瞬間、提督が三歩後ろに下がり、プリンツの盾になるように立つ。

 大和達も、プリンツの包囲を更に固める。

 

「まぁ、そう警戒なさらず。勿論タダでとは言いません。そちらの言い値で買い取らせていただくのは如何でしょう?」

「馬鹿なことを言わないでください。お金の問題ではないんです」

「……ああ、戦力のことですか! ご安心ください、当社は艦娘の斡旋も行っておりますので、プリンツ・オイゲンの抜けた穴を埋めるだけの艦娘をこちらで無償補填させていただきます」

「そういう問題でもありません。如何なる条件を提示されようとお渡しできないと言っているんです」

「提督……」

 

 怒声混じりの提督の言葉にアルマは腕を組んで逡巡した後、大きく溜息をつく。

 

「そうですか、できればビジネスの範囲で平和的に解決したかったのですが」

「トラーゲンアレス社、ドイツの大手海運会社でしたね。それにプリンツの身内でもあると仰った。ならば全て知っているということでしょう。であれば絶対に渡せません」

 

 提督のその言葉を聞いた瞬間、今まで浮かべていた営業スマイルが嘘のように掻き消え、能面のような無表情が現れる。

 あまりの急変に、提督だけでなく、傍から見ているだけの大和達でさえ背筋が凍った。

 

「へぇ、その口ぶり、提督もご存じということですか。もしかして、そちらの艦娘達もですか?」

「いいえ、私だけです」

「ああ、それは良かった! 口封じはあなただけで十分というわけですね!」

「おい、ウチの提督に何する気だ」

「お話を戻しましょうか。プリンツ・オイゲンをどうかお引き渡しください。これが最後のお願いです。ここで承諾いただけなければ、こちらとしても少々アプローチを変えねばなりません」

「テメェ、無視すんな!」

 

 天龍の言葉を一切無視し、アルマは提督の返答を待つ。

 

「それは、脅しですか?」

「いいえ、脅しはこれからです」

 

 次の瞬間、近くで爆発音が鳴り響き、建物が揺れた。

 

「一体何事だよ!?」

「爆撃を受けてる……!?」

「既にこの鎮守府は当社の私兵(社員)で包囲致しました。これ以上、要求を拒否し続けるのであれば、この鎮守府に空爆を仕掛けます。今は脅迫の段階ですので無人区域を狙いましたが、本番ではここを更地にします」

 

 その言葉に全員が戦慄した。

 自分達が空襲を受けるのはまだいい。だが、今この鎮守府には美海がいる。

 彼女を危険に曝すわけにはいかない。

 提督の表情に明らかな焦りが浮かび、それにアルマが勝利を確信した笑みを浮かべた瞬間、食堂になだれ込むように何者かが飛び込んできた。

 

「アルマさん!」

「え、バイト勇者君……!?」

「おや、よくここがわかったね」

「話が違うっす……手荒な真似はしないって約束だった筈っす」

「私はそうしたくはなかったんだけれどね、提督が頑固なものだからねぇ」

 

 唖然とする大和達に気付いたアルマは悪戯っぽい笑みを浮かべると、バイト勇者の横に並び立ち、彼の肩に手を回す。

 

「この子はウチの私兵(社員)の一人でしてね。プリンツ・オイゲンの監視役として七丈島に潜入してもらっていたんですよ。ねぇ?」

「…………っ」

 

 バイト勇者は大和達と視線を合わせないように目を伏せ、唇を噛んでいる。

 

「ていうか、バイト勇者って何? ああ、そうか! 聞き間違えられたんだね! 『ベイト・ユーサー』が空耳でバイト勇者になったのか! ありえなさすぎて面白い!」

 

 一人で大爆笑を始めるアルマ。

 しかし、誰もかれもがこの状況についていけず、パニックになっていた。

 アルマが数十秒笑い転げた後、再び彼女は提督の方に視線を向けて問いかける。

 

「さぁ、決心はつきましたか?」

 

 状況が切迫してきた。天龍が小声で瑞鳳に話しかける

 

(おい、瑞鳳! お前の艦載機ってまだなのかよ!? それさえ来てくれりゃ打開策になるんじゃねぇのか?)

(……来ないのよ)

(はぁ!? なんでだよ!)

(決まってるわ。撃ち落とされたのよ。多分、向こうにも艦娘がいる)

 

 状況の打開を求めた先に待っていたのは更なる絶望的な推察。

 

「ああ、ついでに言わせてもらうと、私を人質にするのは諦めた方がいいですよ。無策で敵陣に乗り込んでくるわけないじゃないですか。出てきていいよ、涼月」

「はい、アルマさん」

「更に新手の艦娘かよ……!」

 

 食堂の扉からアルマ同様、白い髪をした儚げな雰囲気の少女が入ってくる。

 既に艤装を付けており、戦闘態勢に入っている。

 

「この子が私を護衛し、安全に逃がしてくれるから、空襲が始まっても私は大丈夫。あ、ベイトのことは完全に予想外だし自分でなんとかしてね」

「え」

「構いません、アルマさん。お二人とも涼月が守ります」

(……おい、磯風。あいつの気配はわかってたか?)

(残念だが、今の今まで全く気付かなかった)

 

 磯風にすら気配を探知させない実力の持ち主。

 明らかに格が違う。

 全員でかかっても装備も不十分な状態では勝機は薄いだろう。

 

「さぁ、それじゃ。待っても色好い返事はいただけないみたいだし、やってしまいますかね」

「ま、待ってください!」

「だめ、もう遅い」

 

 アルマがポケットからトランシーバーを取り出したその時、食堂に声が響き渡った。

 

「待って、アルマ姉様!」

「プリンツ!?」

「何?」

「行きます。戻りますから、私。だから、ここの皆には手を出さないで」

「…………そう! 良かった! うん、私も本当はこんなことしたくなくてね。ゲルダがそう言ってくれるなら本当に助かるよ」

 

 プリンツは顔を伏せたまま、大和達から離れ、アルマの元に歩いていく。

 

「お、おい、待てよ!」

「プリンツ、考え直せ!」

「くそ……何よ、なんなのよこの胸糞悪い展開」

「くっ……!」

「プリンツ!」

「天龍、磯風、瑞鳳、矢矧、お姉さま――いや、大和。ごめん、私、さよならだ」

 

 胸が締め付けられ想いだった。

 プリンツからお姉さまではなく、大和と呼ばれる。それが何を意味するのか。

 それを考えただけで、血が沸騰しそうなくらい熱くなり、眩暈がする。

 大和は思わず両手で顔を覆ってしまう。

 

「…………」

「提督、ありがとう。こんな私を最後まで守ってくれて。こんな私をあなたの艦娘にしてくれて」

「プリンツ、私は……」

「みんな、今までありがとう。大好きだよ!」

 

 プリンツの苦しそうな笑顔がかえって大和達の心を折った。

 もう誰も彼女を止める声をあげることはできず、ただその行く末を見守るだけであった。

 

「うん、いいお別れだ。姉さん涙が出そうだよ」

「どの口が……!」

 

 殺気立った天龍の前に立ちふさがるかのように涼月が動く。

 目が血走って怒りに震える天龍だったが、それでも無策で攻撃をしかけるようなことはしなかった。

 

「それじゃあ、もう日付も変わりそうだしお暇しようかな。ああ、そこに縛り上げている私兵の処分はお任せします。所詮二束三文で雇った傭兵崩れですので」

「…………本当にすみません」

 

 悠々とプリンツを連れて去っていくアルマ達。

 最後に出て行ったベイトが悲痛な声でそう呟いたのが鈴の音と共に聞こえた。

 それから、どれだけの時間が経ったのか。

 誰も立ち尽くしたまま動けなかった。

 やがて、食堂の振り子時計が12時の鐘を打った音が鳴り響くと、パンと乾いた音が響く。

 見れば、矢矧が大きく手を叩いた音だった。

 

「……今は、私達にできることはなにもない。とりあえず休みましょう」

「今からでも取り返しに!」

「馬鹿、まだ包囲解かれてなかったらどうすんのよ。美海を危険に曝す気?」

「でも、でもよぉ!」

「今は美海の安全が第一よ。プリンツだってそう考えたからこそああいう行動を取ったの。それを私達が台無しにしちゃいけない」

 

 瑞鳳のその台詞で、磯風、天龍、矢矧は食堂を出て行った。

 

「大和」

「はい……」

「提督も、こういう時はあんたが一番しっかりしなきゃでしょ」

「すみません、情けない姿を見せてしまいました」

「……仕方ないわ」

 

 そうして、全員が自分の部屋に戻り、眠りに落ちた。

 目が覚めたら、全部ただの悪い夢で終わることを願いながら。

 

 




プリンツ編開幕鬱スタート



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