七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
大和、マフィアに喧嘩売る。





第百十九話「ご心配をおかけしました、大和、ただいま原隊に復帰しました!」

 

 あきつ丸。

 陸軍特殊小隊『蜻蛉隊』を纏めていた隊長。艦娘であり、その実力は私を含め、七丈島艦隊なら誰もが身に染みてよくわかっている。

 化け物だ。

 今でもよくこんなのを相手にして生きているのが不思議に思う。

 

「あきつ丸さん、軍刑務所に収容されているはずでは……」

「ああ、色々あって脱獄してきたであります」

「脱獄!?」

「大和、貴様こそ、何故香港にいるのでありますか?」

「……色々ありまして、ドイツに行く道中なんです」

「ほう、ドイツ……成程」

 

 目を細めて納得したようにあきつ丸は頷いた。

 何を考えているかわからない。どこまで知っているのかわからない。相変わらず底の見えない不気味な人だ。

 縄から解放されてひとまず自由になった筈の私の身体は緊張で固まっていた。

 

「師匠の知り合いー?」

 

 横からさっき私を拉致した妹の方が話しかけてきた。

 私のことを上目遣いで覗き込むようにしてじっと見ている。

 こうして改めて見ると、この子の外見が随分と貧相なことに気が付いた。服は黄ばんでいるし、髪も何日も洗っていないようにボサボサで傷んでいる。

 申し訳ないが体臭もそれなりに臭う。

 さっき金を出せなどと言っていたから貧民街の子供なのだろう。

 

「あの、あきつ丸さん、この子たちは?」

「私に聞かれても困るでありますな。ここに来た時、少し助けてやったら勝手に懐いてついてきただけでおおよそ無関係の他人であります」

「その割には随分熱心に捕手術など教えていたようで」

 

 あの手際は不意を突かれたとはいえプロ顔負けだったように思う。

 相当みっちり仕込んだと見える。

 

「ふ」

「何笑ってんですか」

 

 あきつ丸は特に悪びれる素振りもなく誇らしげな笑みを浮かべていた。

 

「あの、さっきはごめんなさい」

 

 姉の方が私に申し訳なさそうに頭を下げる。

 なんだかこちらの方が申し訳なくって私は首と両手をぶんぶん左右に振る。

 

「いえいえ、全然いいんですよ! 気にしてないです!」

「大和さんいい人ー!」

 

 妹の方が人懐っこく私の腰辺りに抱き着いてくる。その無邪気な姿に思わず頬が緩んだ。

 ここに来てからは初めて笑ったかもしれない。色々と思い悩むことが多かったから。

 

「それで? まさか貴様一人で来たわけでもなし。他の仲間はどうしたでありますか?」

「あ……」

 

 そうだ。すっかり失念していた。

 私は、今、香港で迷子なのだ。

 

「この子達に拉致されたのが原因で迷子でありますか。こちらが悪いとはいえ情けない話でありますな」

「うぐ……」

「しかし、悪いのはこちら。お前達、大和が仲間の所に戻れるよう協力してやるであります」

「了解です、師匠!」

「はーい、師匠!」

 

 姉妹は二人そろって敬礼して見せる。

 

「敬礼まで仕込んだんですか?」

「いや、これは、つい、熱が入って……」

 

 あきつ丸が目を逸らしてもごもごと何か呟いている。

 なんだか、この数分で彼女のイメージが変わった。もっと怖くて、冷たくて、腹の内の読めない人だと思っていたのだが。

 思わず笑いがこぼれた。

 

「あきつ丸さんは、結構面白い人なんですね」

「……貴様は変な奴でありますな」

「変な奴!?」

「少し前に殺されかけた相手に、そこまで無防備になれるものか。普通、もっと警戒して、言葉を交わすことすら躊躇うものであります」

 

 確かに、そうかもしれないが。

 天龍から話を聞いていたからかもしれない。

 彼女のために、原田とまるゆが自分の身体もいとわず庇いに入ったことを。

 そんな二人をあきつ丸もまた庇おうとしていたことを。

 

「話してみないと分からないことも多いですから」

 

 何故か、頭で考えるよりも早く言葉が滑り出ていた。

 

「私は、相手を否定する努力より相手を理解する努力がしたい」

 

 不思議な感じだ。まるで私が私じゃないみたいだ。不思議な力に操られていたかのように、まるで一瞬だけ誰かが乗り移ったかのように、気が付けば口が動いていた。

 

「やはり変な奴であります。さっさと仲間の元へ戻れ。こういう時のための軍事回線は打ち合わせてあるのでありましょう? 電話ボックスまで案内してもらうがいい」

「あ、えーと、その実は私今無一文――――」

「口止め料であります」

「ぐえ」

 

 私が言い終わる前に1ドルコインが顔面めがけて投げつけられた。

 避けることあたわず、私は額に直撃したコインを握ってポケットにしまいこむ。

 あきつ丸が楽しげにこちらを見つめているのが若干腹立たしいが、お金を施してもらっている立場故、何も言わなかった。

 

「私と出会ったことはくれぐれも内密に」

「……安い口止め料ですね、でもありがたく貰っておきます」

「よし、じゃあ行こう!」

「いこー!」

 

 姉妹に手を引っ張られ、再び狭い路地へ走り出した最中、私を先導して路地に曲がろうとした姉妹の身体が弾き飛ばされ、尻餅をつく。

 同時に路地からこちらに入ってきた大柄な男の身体が彼女達を跳ね飛ばしたのだった。

 

「ってーな。おい、糞ガキ。どこ行くつもりだ?」

「あ……」

 

 男は黒いジャケットに赤いシャツを着て髪をオールバックにした明らかにならず者の風体をしていた。

 男を見た姉妹の顔が一瞬で青ざめ、体が震えているのがわかった。

 

「よぉ、糞ガキ。金は集まったかよ?」

「そ、それは……」

「言ったよなぁ? 今日までにお前らの親が俺らに借りた金、利子つけて返してもらうって」

「え、期限まではまだ一週間あるはずじゃ……」

「はぁ? 俺が今日っつってんだから今日なんだよ! 口答えしてんじゃねーぞ! そもそもがそのザマで一週間時間があったところで返せるような額じゃねぇだろうが!」

「ひっ」

 

 男に怒鳴られ、姉妹はすっかり怯えて縮こまってしまっている。

 黙ってはいられなかった。

 

「ちょ、ちょっと、やめてください!」

「あ? 邪魔すんじゃねーよ。俺はな、正当な権利を主張してんのよ。金を貸したんだから返してもらうっていう正当な権利をよー。何か文句あんのか?」

「それは……」

「違う! お前らがお父さんを騙して滅茶苦茶な利子でお金を貸したから……! そのせいで借金が膨れあがって……!」

「お父さんも、お母さんも、その借金のためにたくさん働いて、死んじゃった……」

 

 姉妹の声は涙声になっていた。

 男を睨みつける目は真っ赤になっていた。

 そんな姉妹をゴミでも見るような目つきで見下しながら男は笑って言った。

 

「はぁ? 俺は騙してなんかいねー、お前らの親のおつむが緩かっただけだろうが! 大体よー、あいつら自分が死んだ後はお前らに借金が行くことになるって部分は確実に分かってて契約したんだぜ? 恨むなら俺じゃなく親の方じゃねーのか? 家まで差押えられて、今こんなとこでコソ泥してんのは全部お前らの親が原因だろうが!」

「違う、お父さんとお母さんは……!」

「もうやめてください……こんな子供に、こんな状態で借金が返せるはずないじゃないですか!」

「……まぁ、そいつはわかってるよ。だから俺は今日来たんだ」

 

 そう言って、男は姉の方を腕を捻り上げて無理やり立ち上がらせる。

 

「まぁ、こんな小汚いガキでも需要はあるもんだ。両親の借金はお前の身体で稼いで支払ってもらう」

「え……」

「まぁ、死ぬまでこき使ってやるよ。数年すれば妹の方も使う。二人で必死にやればなんとかなるんじゃねぇか? その頃には二人揃って廃人かもしれねぇけどなぁ!」

「や、やだ……嫌だ! 助けて! 誰か!」

「お姉ちゃん!」

 

 自分のこの後の運命を察し、暴れまわる姉。しかし、痩せ細った体ではろくに抵抗もできず男に容易く抑え込まれてしまう。

 

「暴れんじゃねぇよ。大丈夫だって、そう簡単には死なせねぇからよ」

「嫌だ! 嫌だぁ!」

「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」

「その手を離してください!」

 

 姉を連れて行こうと踵を返す男の腕を握る。

 男の殺気だった顔が私の方に振り向いた。

 

「ぶっ殺されてぇのか?」

「これは、不当です……! その子を連れて行かせるわけにはいきません」

「なんだ? 警察にでも駆け込むか? 裁判でも起こすか? やってみろよこっちには契約書の写しもある。そもそも俺達相手にしてこの国の警察だとか司法だとかがまともに動くと思うなよ?」

「ぐ……」

「上等だよ。お前、殺すわ。もう謝っても遅い」

 

 男は私の腕を振り払うと、素早く懐に手を入れ、そこから黒い鉄の塊を私に向けて突きつけた。

 拳銃。その銃口が、私の額に押し付けられていた。

 

「俺達が正義だ! 正義に楯突く奴はもれなく地獄送りなんだよ!」

「あ、あなた達が、正義な訳がない! そんなことは、絶対に認めません!」

「お前に認めてもらう必要なんざねぇんだわ、死ね」

 

 せめて、この姉妹が逃げる隙を作る。

 銃弾は避けきれないだろうが、なんとか致命傷だけは避けつつ、そのまま男にタックルを噛ましてやるつもりだった。私は艦娘なのだから、体は頑丈にできている。なんとかなるはずだ。

 しかし、男が引き金に指をかけ、私が重心を僅かに沈めた次の瞬間、私の真横を突風が吹き抜けた。

 

「――烈風拳」

「な……!?」

 

 それが男の断末魔になった。

 男は拳銃の引き金を引き終える前に一瞬で懐に潜り込んだあきつ丸に拳を腹部に叩きこまれ、くの字に体を曲げて路地の壁に叩きつけられた。

 当然、生身の人間が彼女の鉄拳を食らって無事で済むはずもなく、男は白目を剥いて地面に倒れ、起き上がることはなかった。

 

「あ、あきつ丸さん……」

「私を前に正義を語るとは、この男も貴様もいい度胸でありますな」

 

 その猟奇的な笑みは、間違いなく私と天龍を二体一の状況でその拳だけで瀕死に追いやってみせた化け物の笑顔であった。

 

「大和、貴様は正義などではない。自惚れるなであります」

「で、でも! あのままじゃあの子達が連れて行かれそうでしたし! 何より、あんなの横暴すぎます!」

「それで? その後は?」

 

 あきつ丸の冷たい視線が私を射抜く。

 

「そうやって中途半端に助けようとして、お前はその子を守り切れるのでありますか?」

「それは……」

「こいつはこの辺りを仕切るマフィアの手の者。マフィアを相手取って勝算があると?」

「…………」

「確かに貴様の言うことは正しい。この男は横暴で、悪であります。だが、正しいだけでは正義たり得ない」

 

 あきつ丸は淡々と語って聞かせる。

 先ほどの男のように怒鳴るわけでもないのに、恐ろしくてたまらない。

 

「お前は正しいが、その正しさを貫けるだけの力がない。だから正義にはなれない。だというのに、正しさだけは主張したがる。正義にはなれないが、悪者ではないと言い訳をするためだ。卑怯でありますな、大和」

 

 プリンツのことを言われている気がした。

 あの時、アルマ・トラーゲンアレスに連れて行かれた彼女に私は手を差し伸べることすらできなかった。

否、私は何もしなかったのだ。

 だから、やり直したくて、この遠征に参加しようとした。

 あの時、何もしなかった自分を否定したくて、上書きしたくて。

 私は、自分の身可愛さにプリンツを助けようとしているのだ。もっともらしい理由を作って周りの厚意を利用して、迷惑をかけてまで。

 それはまさしく、卑怯だ。

 木曾の言う通り、私は弱味噌なのだ。

 

「だから、私が貴様を鍛えてやるであります」

「え?」

 

 次の瞬間、大きく息を吸い込んだあきつ丸は、耳鳴りがするほどの大音声で叫んだ。

 

「私の名は大和ッ! 貴様らマフィアの横暴に腹を据えかね、制裁を下す! 覚悟するがいいッ!」

「え、ええええええええええ!?」

 

 とんでもない爆弾発言をかまされた。

 

「ふぅ」

「ふぅ、じゃない!」

「近くにこの男の仲間がいることには気づいていたであります。これでつつがなく貴様が下手人と報告されるでありましょう」

「なんてことを!?」

「覚悟を決めるであります。あの子達を救える正義の味方(ヒーロー)になりたいなら、マフィアの一つや二つ相手にできずいかんとする」

「スパルタが過ぎる!」

「厳しくいかねばいつまでも弱いままでありますからな」

「急には強くなれませんよ!」

「弱いなら弱いなりにやりかたはあるでありましょう。今の私が良い手本であります」

「は?」

「貴様一人では無理なら、周りを巻き込んでしまえ。否応なく、無理やり、貴様の正義に付き合わせるであります」

「そ、そんな身勝手な」

 

 おののく私にあきつ丸は私を見下すように顎を上にやり、笑った。

 

「ふん、迷惑を気遣える立場じゃないでありましょう? 大和、弱い貴様が正義を為さんとするなら、それこそ形振り構うことは許されないであります。ひたすらに、がむしゃらにやれば良い」

 

『いいか、テメーは弱い。一人じゃなんもできねぇんだろうが。申し訳ないだとかいっぱしに変な気遣ってんじゃねぇ! 逆に迷惑だ! 弱味噌は弱味噌らしくしてろ!』

 

 脳裏に、木曾の言葉が反響した。

 

(木曾さん、もしかしてこういう意味で……なわけないか)

「安心するであります、少なくとも、貴様は今私を巻き込むことには成功している」

「どっちが巻き込まれたかわかりませんけれどね……」

「いや、貴様の行動が、私に手を貸させたのであります。さぁ、行くでありますよ!」

「ああ、もう! こうなればやるだけやってやりますよ!」

 

 もうやってしまったことは取り返しがつかない。

 どちらにせよ、あそこでこの子達を見捨てる選択はあり得なかった。

 あそこで見捨てるようなら、私が今ここにいる意味がない。

 そうだ、私は、今度こそ――――

 

「大和さん……」

「ごめんなさい、私達のせいで……」

「いいえ、違います。私がやろうと決めたんです」

 

 ようやく、はっきりした。

 私は、プリンツの正義の味方(ヒーロー)になる。

 そのために、ドイツを目指すんだ。

 

「こんな所で、足踏みしていられません……!」

 

 

『――あ、木曾さんですか!? 阿武隈ですぅ! 実は、その、美味しそうなお店は見つけたんですけれど! その、あの、いつの間にか大和さんが……いなくなっていた、というか、はぐれたと言いますか……ごめんなさぁーいっ!』

「……ああ、大丈夫だ。既に居場所はわかってる」

『え!? なんで!? でも良かったぁ!』

「いや、最悪だ」

『なんで!?』

「お前らも取りあえずこっち来い。場所は――――」

 

 木曾は困惑を隠しきれない阿武隈に手短にここの住所を伝え、一方的に無線機を切った。

 目の前には青筋を浮かべて神経質に机を指で叩き続ける男の姿があった。

 

「よぉ、木曾。お仲間との連絡は取れたか?」

「おう、どうやら大和とははぐれて今一緒にはいねぇとよ」

「そうかぁ、じゃあ沈めるのはそいつだけで済みそうだなぁ」

 

 今にも爆発するのを必死で抑え込みながら男は血走った眼で木曾を睨みつける。

 木曾はそれに対し、飄々とした態度で肘をついて目を瞑る。

 

「おい、わかってんだろうなぁ? 大和とかいう奴がやったのは紛れもなく宣戦布告だ。こっちもタダでは引き下がれねぇ、面子ってもんがあるからなぁ」

「…………」

「ちょ、ちょっと、どうするのよ、木曾さん! 大和のせいで何もかも台無しじゃない! ああもう、不幸オブ不幸!」

「まぁまぁ、山城さん。もう焦ったってどうしようもないですし」

「で、でも、これもう大和助からないんじゃないの!? どうやっても無理でしょ! あのデブ怒り狂ってるわよ!? 血上りすぎてゆでだこみたいになってるわよ!?」

「山城さん、聞こえますから」

 

 さっきから山城にガンガン肩を揺さぶられ、眉を潜める木曾とそれをなだめる大鳳。

 しかし、一向に山城の不安は増していくばかりのようであった。

 

「いや、確かに大和いらないとは思ってたわよ! でも何も死んで欲しいとまでは思ってないじゃない! こんなの目覚め悪いじゃないの! ああ、不幸!」

「まぁ、でも、実際問題どうしますか? 一応、『準備』はできてますけれど……」

「……なるようになるだろ。今は大人しくしてろ」

 

 大鳳と山城に、木曾はそう言っただけで、再び目を閉じた。

 

「……はい、木曾さんがそう言うなら」

「私のせいじゃない! 私の不幸のせいじゃないわよ!?」

 

 その時だった。

 不意に室内の扉が開いた。

 真っ先に反応したのはゆでだこのように顔を真っ赤にした恰幅の良い幹部の男だった。

 

「おい! 今は誰も入れるなっていっただろうが!」

「悪いわね、執務中に」

「ぼ、ボス!? こ、これは……大変、し、失礼しました!」

 

 現れたのはチャイナドレスの蠱惑的な美女。

 しかし、その姿を見た幹部の男は、さっきまで真っ赤になっていた顔を一瞬で青ざめさせ、床に膝をつけて頭を下げていた。

 

「ぼ、ボス? ボスっていうのは、まさか……」

「ええ、どうやらとんでもない大物が出てきたみたいですね」

「…………」

 

 チャイナドレスの女は木曾達を一瞥すると、跪く幹部の男に視線を戻して笑った。

 

「そう畏まることはないわ。気にしないで頂戴。私が無理を言って通してもらったのよ、ごめんなさいね」

「い、いえ、とんでもございません……その、本日はどういったご用向きで……?」

「決まってるでしょう、私に喧嘩を売ってきた奇特な輩がいるって聞いて飛んできたのよ」

「既にご存じでしたか……」

「今はどういう状況?」

「はい、賊はこちらに向かってきていると。お任せください、生きていることから逃げ出したくなるような地獄の苦しみを与えてから生きたまま輪切りにして魚の餌にしてやります」

「うわぁ、えぐ!」

「山城さん、今はお静かに!」

「処理は任せるわ。私はその様子を見物させてもらうから」

「よぉ、親玉さんよ」

 

 唐突に、木曾の声が室内に響いた。

 首が外れるのではないかというくらいの勢いで幹部の男が木曾を睨みつけ、大鳳も動揺の余り固まっている。

 そして、ゆっくりとボスの視線が木曾の方へと注がれた。

 

「私のことかしら? ワンちゃん」

「おたく、表では世界有数の貿易会社だってなぁ」

「ええ、良く知ってるわね」

「なんでもフェアな取引ってやつをモットーにしていて信頼性が高いとか」

「ええ、私のポリシーなのよ」

「素晴らしいぜ。そこで提案なんだが、大和と話をしてみてくれねぇか?」

「大和? ああ、賊のことかしら?」

 

 ボスは確認を取るように幹部の男を見る。

 幹部の男は小さく数回頷いて見せた。

 

「今回、うちの仲間があんたに迷惑をかけたことについては俺からも謝る。だけれど、あいつは特に考えなしで人に喧嘩売れる奴じゃねぇ。何か理由があるはずなんだ」

「私に楯突く気概はないと?」

「あいつは弱味噌だからな」

「弱味噌……ふふっ、そうなの」

「だから、処分の前に少しだけでもあいつの話を聞いてやってくれ」

 

 しばらく、沈黙が流れた。

 息も詰まる重苦しい空気の中、ボスと木曾は互いを探るように見つめ合っている。

 やがて、ボスの方が小さく溜息をついた。

 

「いいわ。そこまで言うなら話をきいてあげる」

「ぼ、ボス、それはいけません!」

 

 慌てて幹部の男が制止する。

 しかし、ボスはそれに薄く笑って返す。

 

「いいのよ、確かに理由は気になるしね」

「いえ、そんなことは我々で聞き出します! 賊をボスの前に立たせるわけには――――」

「私が良いと言っている」

 

 ボスの声が一段低くなった。

 同時に空気がさらに重くなるのを木曾達も感じた。

 

「は、仰せのままに……」

「さて、じゃあ、その大和ちゃんとやらが来るまで待ちましょうか」

 

 ボスはそう言って、木曾の真正面のソファに深く腰をかけた。

 ますます縮こまる山城と大鳳とは対照的に、木曾は不敵な笑みを浮かべていた。

 

(よし、乗ってきた。さぁ、これでできることはやった。これでダメなら、その時はその時だ)

 

 

 それから、十分程して、扉が三度ノックされた後、黒スーツにサングラスをかけた女が入ってきた。

 その後ろから、続いて見えたのはボロボロになった大和であった。

 

「失礼します。賊を捕まえてきました」

「馬鹿野郎! ボスの前だぞ! 跪けッ!」

 

 幹部の男の怒号に、慌てて黒スーツは膝をつく。

 

「し、失礼いたしました」

「いやいいのよ。よく連れてきてくれた。ご苦労様」

「はっ」

「それで、あなたが大和ちゃんね」

「……はい」

 

 大和は真っ直ぐにボスの目を見つめて頷いた。

 

「別にあなたがこれからどんな可哀そうな目に遭おうが興味はないんだけれど、私に喧嘩をふっかけた理由だけ聞いておこうと思ってね。連れてきてもらったのよ」

「大和」

「木曾さん……」

 

 木曾は大和に声をかける。その隻眼は大和の奥底を見透かすように透き通った目をしていた。

 

「これは弱味噌なりに考えた結果か」

「はい、そうです!」

「そうか」

 

 それだけ言って、木曾はソファに深く倒れ込み、それ以上は何も言わなくなった。

 

「さて、じゃあお話してもらおうかしら。なんでマフィアに喧嘩売るなんて自殺紛いなことをしたのか」

「あなたの部下が、子供を攫おうとしていたからです」

「子供を?」

「はい、膨大な借金があったそうです。そのせいでその姉妹は両親を亡くし、家を追い出され、今は浮浪児として生活しています」

「ふぅん、でも、借金は自業自得ではないかしら? その姉妹は可哀そうだけれど、返せないならこっちで仕事を斡旋して稼いでもらうしかないわ」

 

 ボスの反論に大和は首を振った。

 

「その借金には法外な利子がついていたそうです。しかもそれを悟られないよう細工をし、騙して膨大な借金を背負わせたんです、あなた達が! 私はそれが許せない! だから、ここに来ました!」

「……それは、フェアじゃないわね」

 

 ボスの表情から笑みが消えた。

 

「でも、証拠はあるの? その子供の嘘だという可能性は?」

「子供を連れて行こうとしていた男は契約書の写しがあると言ってました。それを見れば、はっきりするのでは?」

 

 一瞬、幹部の身体が大きく揺れた。その後、ガクガクと小刻みに揺れ始めたかと思うと、慌てて立ち上がる。

 

「ぼ、ボス! その契約書の写し、俺がすぐに探して参ります!」

「ええ、すぐに探してきて頂戴。ただし、探すのはお前じゃない。私の秘書に探させる」

「ぼ、ボス……!?」

 

 冷や汗がだらだらと流れ落ち、高そうなジャケットはびしょ濡れになっている。

 そんな幹部の男にボスは虫けらを見るような無感情な視線をぶつけた。

 

「何か、思い当たる節があるようね。お前も知っているはず、私のポリシーはフェア。それに従わないということはこの私に楯突くということと同じこと」

「ボス、決して! 誓って、俺はボスに楯突いたりしておりません!」

「それはすぐにわかることだ」

 

 幹部はその頭を床に擦り付け、ボスに懇願する。

 しかし、そんな彼に彼女の視線が向けられることはもうなかった。

 

「よし、獲った!」

 

 小さく木曾が歓喜の声を上げた。

 それを皮切りに大鳳と山城の身体から緊張が抜け、ソファから滑り落ちていく。

 

「てめぇ、の、せいだ……!」

「え?」

 

 ゆらゆらと、ゾンビのように立ち上がりながら、幹部がふらつきつつ血走った眼を大和に向ける。

 次の瞬間、その袖口からナイフが飛び出し、幹部はその切っ先を大和に向けながら突進してくる。

 

「なっ!?」

 

 木曾達もすっかり気を抜いていた直後のできごとで、制止できない。

 唯一止められそうな幹部と大和の間に立っているボスは興味なさげにあっさり幹部に道を開けた。

 ナイフの切っ先が大和の胸元に迫ろうとしたその時、黒い影が大和の横から飛び出す。

 それは、大和を連れてきた黒スーツの女である。

 

「――――揃いも揃って油断しすぎであります」

「ぼぇぶっ!?」

「……この恥さらしが」

 

 サングラスの女の縦拳が幹部の腹部に深々と突き刺さる。余りある脂肪を考慮しても確実に内臓に達しているであろうその拳が引き抜かれた瞬間、幹部は血を吐き出しながら真後ろに倒れていく。

 それを見て、ボスは幹部を蔑むように罵り、一方で大和は安堵の息をついた。

 

「すみません、あきつ丸さん。助かりました」

「これもまた、弱いゆえに周囲を巻き込む力でありますな。まぁ、取りあえずは及第点と言っていい結果でありましょう」

 

 サングラスを外したあきつ丸はそう言ってニヤリと笑った。

 

「木曾さんッ! ご無事ですか!?」

「うわー、マフィアの本部初めて入ったー! すっごい豪華!」

「どうやら色々、終わってしまった後みたいですね」

「大和! 無事!? もう、勝手にいなくならないでよ、心配するでしょうがっ!」

 

 全ての決着がついた瞬間、扉を蹴り破る勢いで阿武隈、川内、吹雪、瑞鳳がなだれ込んできた。

 その姿は数時間ぶりなのになんだかとても懐かしく思えて、大和は満面の笑みで四人を迎えた。

 

「ご心配をおかけしました、大和、ただいま原隊に復帰しました!」

 

 

 


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