イカサマはバレなければイカサマではない。
第二十話「ストーカーを任務にしないでください!」
「矢矧が最近、怪しいんです!」
「急に執務室に呼び出したと思ったらなんですか、急に」
私、大和は朝から唐突に提督に呼び出され、執務室に来ていた。相変わらず仕事は捗っていないようで机の上には書類の山が順調に築かれている。
以前見た時よりも10センチ程高くなっているかもしれない。
「最近、矢矧が仕事もせずにどこか行っているみたいなんですよ!」
「仕事をしていないのは提督です」
「知ってます!」
「反省の素振りくらいは見せてください」
こんな無駄話をしている暇に溜まっている仕事を片付けるべきだと私は思う。
「とにかく、気になって仕事がままならないんですよ。それ以前に秘書艦の矢矧のサポートなしに私が仕事するのなんて無理ですし」
提督とは一体なんなのか、改めて目の前の男に問い質したい。
「という訳で、大和には矢矧の素行調査任務を命じます」
「ストーカーを任務にしないでください!」
「だって私がやるよりは大和がやった方がいいじゃないですか」
そもそもやらない方がいい。
「嫌ですよ、私じゃなくてもいいじゃないですか! 天龍は?」
「釣りに行くらしいです」
「プリンツは!? この手の任務はプロでしょう?」
「大和以外をストーキングするのは美学に反するので嫌らしいです」
「ストーキングに美学も何もないでしょう!? じゃあ、瑞鳳は!?」
「今日もデートです」
「羨ましい!」
「全くです」
「じゃあ、磯風…………は、駄目ですね」
「ええ、駄目ですね。教育的に」
つまり、残っているのは私だけであった。
「そういう訳でよろしくお願いしますね!」
「嫌です!」
私は声を大にして拒絶の意を示した。
見知った相手とはいえストーキングなんて誰がやるか。私はそう強く決意した
☆
「――と思っていた筈なのに、何故私は今矢矧を探しているのでしょうか」
私は、港町付近に矢矧が向かったという情報を元にその方面へと足を運んできてしまっていた。
「違います、私はストーカーをしている訳ではありません。仲間の動向が心配なだけです」
こう何度も自分に言い聞かせてはいるが、私がこう至った理由は先刻の提督の一言のせいであることは明白であろう。
『もしかしたら、矢矧にも彼氏ができたのかも知れませんねぇ』
あのお堅い矢矧の色恋沙汰などそれだけで興味が湧いて来るだろう。
「いえ、でも私はあくまで矢矧がもしかしたら何かトラブルを抱えている可能性も考えられるからこうして矢矧が何をしているのかを調べているだけです!」
そんな風に自分に言い訳を聞かせていると、数十メートル先に大き目の紙袋を抱えながらこちらに歩いて来る見覚えのあるポニーテールの少女を見つけた。
間違いなく矢矧である。
「いた!」
私は素早く傍にあった電柱に隠れ様子を伺った。矢矧は何やら機嫌よさそうに紙袋を抱えており、幸いにもこちらには気が付いていない様子であった。
「あんなに楽しそうな顔の矢矧の顔初めてみた……やっぱり、そういうことなんでしょうか」
矢矧はそのまま港町を出ると、港に入っていき、人気のない堤防の方へと周囲に気を配りながら向かっていく。
「こんな所で逢引? 漁師の方なんでしょうか?」
距離を取りながらタンカーなどの影に隠れつつ、矢矧を追っていくと、彼女は倉庫の影を曲がって行った。
私も急いで角を曲がろうとした時、聞こえてきた矢矧の声に私の足は止まった。
「お待たせ、あら、そんなに寄って来て、私のこと待ってたの? ふふ、可愛いわね」
「この角の先に……矢矧の……」
私は慎重に顔を半分だけ出して、矢矧と一緒にいるであろう、彼女の恋人の顔を見ようと意を決して覗き込んだ。
しかし、そこに居たのは別のものであった。
「にゃー、にゃー」
「はいはい、今あげるからね」
「…………猫?」
そこに居たのは幸せそうな顔の矢矧とそれに群がるたくさんの野良猫の姿であった。
矢矧が紙袋から取り出したのは大きなキャットフードの袋と牛乳に紙皿。
手際よく矢矧は紙皿にキャットフードを山のように入れると、猫達は一気に紙皿に群がっていく。
同じように牛乳も別の紙皿に注いでやると、猫達はそちらの方にも集まっていく。
「あぁ、なんて愛らしい」
矢矧は猫達をうっとりと見つめている。
私はがっくりと脱力してしまう。まさか、矢矧が最近執務を抜けている原因はこれだったというのだろうか。
いや、矢矧が猫好きであったという事実は中々以外であったが。
「……今なら触っても大丈夫かな」
(触りたいんですね、矢矧)
矢矧は慎重にそっと紙皿に群がる猫達の一匹に手を伸ばす。
「フゥーッ!」
「ああ! ごめんなさい、ごめんなさい! 何もしないから、怒らないで!」
(嫌われてる!)
どうやら猫達の目的はあくまで矢矧の持っていたキャットフードと牛乳であり、矢矧に関しては特に気を許してはいないらしい。
「うう……いえ、こうして何度も餌をあげていればいつか私にも懐いてくれるはずよ! 明日も来ましょう!」
(ああ、それで最近執務を抜け出してこうして猫の世話に……)
「フゥーッ!」
「なんで!? 今私何もしてなかったじゃない!? ああ、ごめん! 引っ掻かないで!」
(なんて不憫な……)
矢矧の方は熱烈だが、猫達の方はそうでもない、というかむしろ嫌われているようである。
矢矧は引っかかれた腕を引っ込めると紙袋の中に入れ、今度はその中から一冊の本を取り出す。
本の表紙には『猫語入門』と書かれている。
(うわぁ、また怪しい本を……)
「えーと、『こんにちは』は……にゃ、にゃあ~ん」
「シャーッ!」
「痛っ!?」
(矢矧いいいいいい!)
こんにちはと言っただけで引っ掻かれるという理不尽。
何故ここまで嫌われているのか。
私がしばらく猫語らしき何かで猫達とコミュニケーションを図ろうとする矢矧の様子を微笑ましく見ていると、突然背後から声が聞こえてきた。
「へぇー、なんか面白いことしてんなぁ、あいつ」
「なっ!? 天龍、いつの間に!?」
いつの間に後ろに片手に釣り竿、片手に大量の魚が入ったバケツを持った天龍が私同様、矢矧の様子をニヤニヤして見ていた。
「まさか、あの矢矧が猫好きだったなんてなぁ。あんな馬鹿みてぇにニャーとか言ってる矢矧初めて見たぜ」
「何でこんな所に……」
「ここは俺もよく来るんだよ、お前こそなんでこんな所で矢矧のことみてんだ?」
「提督から頼まれたんですよ」
「ああ、今朝そんな話もしたっけなぁ。ま、いいや、じゃあ行くぜ」
「え!? ちょ、待って!」
そう言うと、天龍は躊躇なく私の手を引っ張って矢矧と猫達の前に連れ出した。
矢矧の顔が私達を見て、青ざめていくのがすぐにわかった。
「な……あ、あなた達……! なんで……!?」
「いやぁ、偶然にも面白れぇもん見ちまったぜ。なぁ、大和?」
「え……いやぁ、はは」
「いつから、いつから見てたのよ!」
「俺は十分前くらいだけど、こいつはもっと前から見てたんじゃね?」
「あの、一応、三十分くらい前から……」
「――――」
矢矧はふらふらと立ち上がると、ゆっくりと海に向けて歩を進め始める。
「もう、死ぬしかない……!」
「矢矧、落ち着いて!」
「駄目だわ、監察艦としての威厳が……私のイメージが……」
「大丈夫ですから! こんなことで矢矧のイメージは変わったりしませんから!」
「ニャーって叫んでたけどあれなんて言ってたんだ?」
「このタイミングで私のフォロー台無しにするような追撃かけるのやめてもらえます!?」
「うわあああああああ!」
「矢矧いいいいい! 早まらないで! 早まらないでください!」
「離して! こんな生き恥、耐えられない!」
その後、海に身を投げようとする矢矧を羽交い絞めにしながら必死に説得を続け、なんとか矢矧は落ち着きを取り戻してくれた。
「落ち着きましたか……?」
「ええ、もうどうにでもして頂戴」
落ち着きというよりは諦めに近かった。
「全く、戦闘してねぇのに轟沈が出ちまうかとヒヤヒヤしたぜ」
「いや、天龍は終始笑ってただけでしょう」
「にゃにゃにゃー、にゃにゃー! って感じだっけか?」
「うわあああああああ!」
「矢矧落ち着いて!」
「これ面白れぇな」
「空気読んでください!」
また矢矧が落ち着きを取り戻すまでに数分を有した。
「悪かったよ、流石におふざけが過ぎたぜ」
「次やったら殴りますから」
「うう……よりによってこんな奴に……!」
矢矧は地面に手をついて悶えている。
「おいおい、こんな奴とは失礼だな。お前、猫と仲良くなりたくてここに通ってんじゃねぇのか?」
「そうよ、買い出しの帰りに見かけた猫を追って偶然ここを見つけて……それから頻繁にここに来るようになって」
「だったら、俺にはもう少し好意的な態度を取るべきだと思うがな」
「は? どういうことよ?」
天龍は不敵な笑みを浮かべると、バケツの中の魚を一匹取り出す。
その瞬間、猫達の目付きが変わった。
今まで食べていたキャットフードと牛乳に目もくれず、一斉に天龍の前に集まってくる。今にも天龍の持つ魚に食いかかろうと手を伸ばしているものもいる。
「待て」
その天龍の一言で、猫達はまるで統率された軍隊のようにその場に座り、一匹たりとも微動だにしないまま天龍を見て次の指示を待っているようであった。
「よし、ほら食いな!」
「ニャー!」
天龍の放り投げた魚に一斉に猫達が群がっていく。
その後も次々と魚を投げていき、バケツが空になるとドヤ顔で私達の方に視線を戻した。
「え、何ですか、これは?」
「ここにいる猫共は元々俺が集めた猫なんだよ」
天龍の話によると、元々この場所は天龍の釣り場としていた場所だったという。しかし、何度か釣りをしている内に猫達が天龍の釣った魚に集まって来た。
天龍が釣った魚の一部を猫達に与えている内に猫の数も増えて来てここは猫の集会場のようになってしまい、釣りどころではなくなったため釣り場所を変え、以降は釣った魚をここまで届けに定期的に通っていたのだと言う。
「要は、このシマをシめてるのは俺ってことだ」
「猫のボスってことですか。なんか似合いますね」
「あの、天龍が……!? 猫達を……!? やっぱり知能レベルが近いから……!?」
「ぶっ飛ばすぞ、お前ら」
見ると、天龍の足元には猫達がゴロゴロと喉を鳴らしながらすり寄っている姿が見える。
矢矧には威嚇しかしていなかったというのに、凄い懐かれ具合だ。
矢矧はそれを羨ましそうに見ている。
「ふふ、羨ましいか?」
「う、羨ましくなんか……これくらい、私だってちょっと通い詰めれば……」
「いいや、無理だね」
天龍は笑い飛ばすようにして言い切った。
「ここらの野良猫共は港で漁船から運ばれてくる魚を盗み取って生きてる奴らばっかりだ。腹は減ってるから何やっても食うには食うだろうが、キャットフードじゃ、こいつらの心は動かねぇぜ? やっぱ、魚じゃねぇとな」
「うぐ……」
「それとも、猫語とやらで頑張ってみるか?」
「うぐぐぐ……!」
悔しそうに拳を固める矢矧に、溜息をつきながら微笑むと天龍は続けた。
「だが、お前の態度次第じゃ釣りを教えてやってもいい」
「え?」
「魚を仕入れるんなら釣りだろうが。まさか市場で買ってくるつもりじゃねぇだろうな? 経費の事考えても釣りした方がコスパも良いんじゃねぇのか?」
「ま、まぁそうかもしれないけれど……」
矢矧は意外そうな表情で頷く。しかし、その後、すぐに疑わしい目つきに変わる。
「……で、私にどうしろと?」
天龍がここまで好意的な話を持ち掛けてくるには何か裏があると読んだのだろう。天龍はその質問にニヤリと笑う。
「人にものを頼む時には大事な言葉が必要だろう、『
「え?」
「ほら、ちゃんとお願いしてみな」
「別にそれくらい言われずともやるわよ…………お願いします、私に釣りを教えて、ください」
少しぎこちなくはあったが、矢矧はしっかりと天龍に頭を下げた。
「オーケー、オーケー! 了解したぜ、監察艦殿!」
天龍はその姿を見て満足そうに笑った。
私は天龍の耳元で、小声で尋ねた。
「え、本当にこれだけでいいんですか?」
「ん? ああ、十分だ。いや、一度言ってみたかったんだこの台詞! 俺の好きな漫画の台詞なんだよ」
「いや、知りませんけれど」
いつもスタンリングで雷撃されている天龍としてはもっと日頃の怨恨をこめて矢矧を辱めるような要求をすると思っていたのだ。
天龍は満足そうな笑みからどこか優しげな笑みを垣間見せながら言った。
「それによ、あんなになってまで猫と仲良くなりたいってんだから助けねぇ訳にはいかねぇだろ?」
天龍の視線の先には猫達にそっと伸ばされる矢矧の手があった。
その手は猫達による生傷だらけである。普段の執務では手袋をしているために提督も気付かなかったのだろう。
「良くも悪くもあいつは不器用だからな。仲間としては、たまに手助けしてやるのも悪くはねぇだろ?」
「天龍もいい所あるじゃないですか!」
「馬鹿、俺はいい所だらけだろうが」
「どの口がいうんですか?」
「ん? おっと、あいつはいけねぇな」
天龍は、今度は少し離れた所に一匹だけ佇んでいる黒猫の方に手を伸ばす矢矧に近づき、その手を掴んだ。
「そいつはやめときな」
「え、なんでよ?」
黒猫は、矢矧と天龍の方を睨み付けるようにして、そそくさとどこかへと歩いて行ってしまった。
「あいつはここの野良猫共のボスみてぇな奴でな。そんでもって俺や他の猫とも一切つるまねぇ、気難しい奴さ。近づいても引っ掻かれるだけだぜ?」
「……そう、いつも一人なのね」
「矢矧……?」
その時、黒猫を見つめる矢矧の目は酷く感傷的な目をしていた。
「ほら、そろそろ帰るぜ? 今度暇な時は俺に声かけてくれりゃ、釣りを教えてやるよ」
「ええ、しっかり頼むわ! 絶対に私も猫を撫でるんだから!」
「あ、一応提督の方も気にかけてあげてくださいね。仕事が溜まっていくばかりですから」
「あの人は少しくらい苦労させた方がいいわ」
「はは! 厳しいねぇ!」
猫の堤防の件は取り敢えず矢矧と私と天龍の間だけの秘密とする事になった。
私としては別に他の皆も受け入れてくれると思うのだが、矢矧自身が嫌がって聞かなかった。
日頃から対立――とはいっても天龍が一方的に電撃を食らうだけだが――しているイメージの矢矧と天龍だが、こうして見ると中々良いコンビなのかもしれない。
七丈島艦隊の新たな人間関係の誕生を私は素直に嬉しく思うのであった。
――この関係が数日後崩壊することなどいざ知らず。
☆
その頃、七丈島鎮守府の執務室に緊急の電文が送られてきていた。
「珍しいですね、万年出撃なしのこの鎮守府に大本営からの緊急電文だなんて。一体内容は――――」
電文を読み上げ、提督の表情は険しくなった。
「七丈島近海に、深海棲艦の艦影……!?」
その時、仮初の日常に一筋のヒビが入り始めたのだ。
更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
最近は色々忙しくなってきて中々執筆の時間が取れませんでした。
これからも恐らくはこんな感じで亀更新になってしまうと思いますが、不定期更新ということでご容赦ください。
とりあえずは長編一話目。導入話となりました。
ほぼ日常回でしたが、最後にシリアス。
迫る深海棲艦に七丈島艦隊はどう動くのか。
次回をお楽しみに。