演習の最中、深海棲艦強襲。
そして、大和に戦艦タ級の砲弾が降り注ぐ。
第三十話「提督、仕事してください!」
「あなたが、噂の軍神さん、ですか?」
ある大きな鎮守府に立ち寄った時。出撃を終えて休憩している私は、開口一番そう言って話しかけてくる眼鏡の男と出会った。
「……誰、あなた?」
「私は、今度提督になる予定の者です」
男は恥ずかしそうに笑ってそう言った。
「良かったら私と少しお話でもしませんか?」
「ナンパなら他所でやって頂戴」
「ちょっと、勘違いしないでくださいよ! 私にナンパするような度胸なんてないですから! 伊達に年齢=彼女いない歴やってませんよ!?」
「別に聞いてない!」
何だ、この男は。
からかわれているのかと思い、腹を立てて立ち去ろうとする私の腕をその男は力強く掴んできた。
「……何? 何なの?」
「下心はありません。本当に、お話しがしたいだけなんです」
妙に真剣なその目に、私は致し方なく男に向き直った。
「それで、何よ、話って」
「私の鎮守府に来てくれませんか?」
「は? あなた、提督じゃないんでしょ? 鎮守府なんてあるの?」
「一か月後にある島の鎮守府の提督として私は着任します。その時、あなたを私の初めての艦娘として迎えたい、そう思っています」
「無理よ」
私ははっきりと断った。私は今の生き方を変えるつもりはない。これまでも来訪した鎮守府や泊地でスカウトされることは度々あった。しかし、私はその全てを断ってきている。それだけ私の決意は固いのだ。それを今更提督になってもいない者にスカウトされた所で私の心が揺らぐはずもなかった。
「そうですか、ダメですか」
「ええ、悪いわね」
「じゃあ、せめてその鎮守府や泊地を渡り歩くやり方を止めて欲しいのですが」
「は?」
男の言動の意味が理解できず、私は困惑してしまう。
「え? あの、え? あなた、私をスカウトしに来たんじゃないの?」
私はますます困惑してしまう。今まで、私の艦隊指揮能力を買って私を自分の鎮守府に置きたいという輩は散々見てきた。
しかし、私のこの流浪の生活をやめさせようとしてくる輩は初めて見た。
「あなたには、同じ時を過ごす仲間が必要だと思うんです」
これが、私と提督の初めての出会いだった。
☆
「――っ……うう、生きてる、みたいですね」
「大和! 大和!」
海面に両手をつく大和を矢矧が泣きそうな声で繰り返し呼んでいた。
しかし、大和もバルジを積んでいたとはいえ、艤装の損傷度合いは明らかに大破のそれ。今の砲撃をもろに食らえば轟沈してもおかしくはなかった筈である。あの距離を相手が外してくれるとも考えにくい。何故、自分はまだ生きているのか。
その大和の疑問は顔を上げた時にすぐに解けた。
「な、なんとか間に合いましたか」
「おい、大和、矢矧! 無事か!?」
「お姉さま!」
「矢矧も大丈夫だ!」
「提督!? 皆も!」
大和の目の前には提督が乗っていた小型の船艇。それが盾となってタ級の砲撃から大和を守ったのである。
「二人共、早く乗ってください!」
「はい! 矢矧も、早く!」
「…………」
大和と矢矧が船艇に上がると、矢矧は鬼の形相で大和に突然掴みかかる。
「お、おい! 何やってんだお前ら!?」
「矢矧!? お姉さま!?」
「大和……なんで、あんな無茶を――――ぐっ!?」
矢矧の言葉を遮るように突然爆発音と共に船艇が揺れる。
タ級の追撃によるものであった。
「おい、提督! 急いで逃げるぞ!」
「くそ、機関部がやられたみたいです……!」
「万事休すか……!」
矢矧はそれを聞くと大和の胸倉から手を離すと船艇を降りようと背を向けて歩き始める。
「私が囮になるわ。その内に提督を連れて全員逃げなさい」
「断る」
「そんなことできる訳ないでしょ!」
「私も同意見だ」
天龍、プリンツ、磯風の三人が矢矧の進路を塞ぐ。
それを見て、矢矧は静かに、しかし重みのある声で言った。
「じゃあ、瀕死のあなた達に戦艦が倒せるの?」
「む……」
「今、この状況で生存確率を上げるためには誰かが囮になるしかない。そして、その囮としての役目を全うできるとすれば、私以外にはいない」
「なんでそうなんだよ!?」
「忘れたの? あなた達は罪人であると同時に、予備選力でもある、失えないわ。でも、ただのお目付け役の私が死んだところで代わりはいる。だから、これがベストなのよ」
そう言って強引に天龍達を押しのけようとする矢矧の肩を誰かが掴んだ。
矢矧が振り向くと、そこには大和の姿があった。
「矢矧、先に謝っておきますね、すみません」
「は?」
次の瞬間、矢矧の顔面に強い衝撃が走り、視界が上へと弾かれた。
甲板に体が叩きつけられる感覚と、鼻から流れる生暖かい液体が鼻血だと気付いた時、ようやく矢矧は今自分は殴られたのだと認識した。
「ぐ、グーパンだ……」
「お、お姉さま……」
「おい、喧嘩は…その、よくないと思うぞ?」
天龍達が揃って動揺している。
普段温厚な大和が暴力を振るうなど想像もしていなかったのだろう。
矢矧もその例に漏れず、滴る鼻血を見つめて唖然としていた。
大和は甲板に倒れたままの矢矧に向かって口を開いた。
「矢矧、あなたは何もわかっていない」
「…………」
「矢矧、あなたは自分勝手です」
「そんなことはない!」
大和に噛みつくような勢いで、矢矧は立ち上がる。
「私は、あなたを、皆を守りたいから――――」
「知ってますよ、そんなこと!」
「ええ!?」
思わず天龍達の方から驚愕の声が上がった。
「あなたが、私を守るために横須賀艦隊に行こうとしたり、演習で勝つために横須賀艦隊の二人をその身を挺してサポートしたり、今も自分を囮にして私達を逃がそうとしてくれたり! もう、うんざりする程あなたが私達を守ろうとしてくれてるのは知ってます!」
「だったら、何が自分勝手なのよ!」
「全部、自己犠牲じゃないですか!」
「自己犠牲!? それがなんだって言うの!?」
「だから、わかってないって言うんです!」
今度は大和が矢矧の胸倉を掴んで引き寄せる。
大和は矢矧に訴えるように怒鳴った。
「なんで、矢矧が私達を守りたいと思うように、私達も矢矧を守りたいと思ってるってわからないんですか!?」
「――っ!」
「自己犠牲をしてまで、矢矧が傷ついてまで守られるなんて、そんなこと誰も望んでないんです!」
「で、でも……」
「自分勝手ですよ、私達の気持ちも知らず、一人で傷ついて……」
「でも、そうするしかないのよ!」
今度は矢矧が大和に怒鳴り返した。
「仕方ないじゃない! 私なんかの自己犠牲で済むなら、それだけで命一つ助けられるなら、そうするじゃない! それが最善でしょう!?」
矢矧の目には溢れんばかりの涙が溜まっていた。
急に胸倉を掴んでいた手が開き、矢矧は大和の拘束から不意に解放される。
「……最善な訳、ないじゃないですか」
大和はさっきまでの激怒したような様子とはうって変わって、いつも見せる柔和な笑みを向けて続けた。
「『私なんか』、じゃないですよ。
「…………!」
「誰も傷つかない、これが最善なんです」
「……そんなの無理よ」
「確かに一人じゃ無理です。でも、あなたは一人じゃない筈です」
不意に矢矧の手が引かれ、いつの間にか天龍、プリンツ、磯風、大和と円を作るように立っていた。
円の中心には、大和に握られたままの矢矧の手がある。
「矢矧、ここには私達がいます。ねぇ、皆さん?」
「おう!」
天龍の手が矢矧と大和の手の上に乗せられる。
「私も!」
続いてプリンツが手を乗せる。
「私もいるぞ!」
磯風も手を乗せる。
不意に、どこからか飛んできた九九式艦爆が重ねられた掌の上に着陸した。
『私を忘れてもらっちゃ困るんだけど?』
「瑞鳳か!?」
『今までの会話は盗聴器でしっかり聞かせてもらったわ』
そして、最後に一際大きい手が上に乗せられた。
「私も、入れてもらっていいですか?」
「提督……」
重ねられた手の厚みが、一番下の矢矧の手にかかる重みが、自分が一人ではないということの疑いようのない証だった。
「さて、一人じゃ無理でも、私達ならあれをどうにかできるんじゃないですか?」
そう言って、大和は目の前に迫っているタ級を指さして言った。
矢矧は辺りを見回して少し考えると、静かに口を開いた。
「一つだけ、私達があいつを倒せる方法があるわ。だけど、全員危険を伴うわよ」
「大丈夫です。皆が皆を守りあえば、誰も傷つきません!」
「フフ、俺様なら楽勝だぜ」
「お姉さまが果てぬ限り私も果てることはありません!」
「やってみせるさ」
全員、やる気は十分。
矢矧は緊張気味に手を振りあげた。同時に上に乗っていた全員の手も振り上げられる。
「やるわよ、皆であいつを倒して、皆で生き残る!」
☆
「ガアア! グオオオオオ!」
タ級は中々沈まぬ船艇を見て苛立ったのか、船艇の目の前まで来て、自らの拳を船艇の壁面に叩きつけ始めた。
しかし、威力は十分で、みるみるうちに船艇の壁に拳型の穴が増えていき、船尾に海水が偏り、船首が持ち上がってきた。
その時、タ級の真上の甲板から二人の人影が降ってくる。
「いくわよ!」
「おうよ!」
矢矧と天龍はタ級の左右にそれぞれ着地すると、攻撃をするでもなく、そのままタ級を通り越して駆け抜ける。
当然タ級は嬉々として砲塔を向けて滅茶苦茶に撃ってくる。
「チッ! あいつ、俺らが攻撃できないのを知ってやがるな! ノーガードで遊んでやがるぜ!」
「まぁ、むしろ好都合よ。このままあいつを船体から離さず、かつ引きつけておくのよ!」
「難しい注文だぜ、畜生!」
戦艦の砲撃が直撃すればその時点で轟沈は必至。故に二人は必死で逃げ回る。
タ級を沈めるその時まで。
「どうですか、磯風?」
「もう少し、だな。まだ船体が持ち上がり切ってない」
「これ、そろそろ重いんですけれど……!」
「我慢だ。それを持って走れるのはお前しかいないからな、頼むぞ?」
船体の影でタ級の様子を伺いながら磯風と大和はそのタイミングを待つ。
そして、船首が海面とほぼ直角に持ち上がった瞬間、磯風は船体の影から飛び出した。
「いくぞ!」
「はい!」
磯風に続き、大和も飛び出す。
その大和の手には、巨大な錨が抱えられている。錨の鎖は船艇に繋がっている。
「――!?」
タ級は後ろから迫る大和達に気付き、即座に砲塔を向ける。しかし、それよりも磯風の方が速い。
「四連装酸素魚雷、食らえ!」
「ギャアアッ!?」
所詮、魚雷数本では戦艦の装甲すら抜けるか厳しい所だが狙いはそこではない。
足元で魚雷が爆発したことで、タ級が大きく怯み、隙ができた。
「今だ!」
「はい!」
大和がタ級に切迫し、抱えていた錨を絡ませるようにその周囲を小回りする。
みるみるうちにタ級の体は鎖で身動きが取れなくなっていた。
「ガアアア!」
「うわ!?」
タ級は触手をうねらせることで鎖をすり抜け大和に砲塔を向けてくる。しかし、その砲撃を寸前で航空爆撃が妨げる。
「瑞鳳! ありがとうございます!」
『冷や冷やさせんじゃないわよ!』
そのまま一方的に触手すら動かせないまで錨を雁字搦めにした。
「フフ、フフフ」
「なんだ、こいつ、笑ってやがるぜ?」
「ここまでやって、結局縛り上げただけですからね。自分を殺すことができないとわかっているからこその余裕なのかもしれません」
「もう、終わっているんだがな」
「教えてあげましょう。瀕死の艦娘でも、仲間がいればあなた一体倒すなんて造作もないことを」
丁度矢矧の言葉が終わった瞬間、船艇が海底へと急速に沈み始め、同時に船艇の錨も徐々に海底へと引っ張られ始める。
「ガアアア!? ガアアアアアアアア!?」
タ級もようやく自分の危機的状況に気付いたのか、必死に体をよじらせるが、幾重にも絡みついた鎖は緩むことはない。
徐々に、船体と共にタ級の体が引きずり込まれていく。
「シ、沈ム! 私ガ!? 何故沈ム!?」
「簡単なことよ。とは言っても私もさっき気が付いたばかりなんだけれどね」
最早頭しか海面に出ていないタ級にしゃがみこんで矢矧は言った。
「あなたは一人で、私には仲間がいたからよ」
「キィイイイイイイイイイイイイイ!」
まるで金属音のような断末魔と共に、タ級は海底に引きずり込まれていった。
タ級の影が見えなくなった瞬間、全員の力が抜けた。
「はぁ……終わったぁ」
「つ、疲れたぜ」
「もう、動きたくないよぉ」
「全くだ」
「皆さん、本当にお疲れ様でした……」
思わずその場にしゃがみ込む私達の元に数十秒して神通が駆け付けた。
「……まさか、タ級を倒したんですか?」
「へへ、やってやったぜ」
天龍は自慢げに驚愕を露わにする神通に言った。
しかし、神通は自分の後方を指さすと、渋い顔で続ける。
「お疲れのところすみません、援軍です」
「はぁ!?」
神通の指の先を見ると、深海棲艦の一個艦隊がこちらに向かってきているのが見える。
「どうやら、さっきのタ級の奇声が仲間を呼び寄せたようですね」
「あれか……!」
先刻の金属音のような断末魔。あれは仲間を呼び寄せる特殊な音だったのだろう。
「まぁ、皆さんはそこの救命ボートの提督と一緒に鎮守府まで逃げてくれればいいですよ。ここは私一人でも十分なので――――」
「――いえ、その必要はないわ」
刀を振りかざして大和達を逃がそうとする神通の声を瑞鳳が制した。
その手には何故か零式艦上偵察機が乗っている。
『――七丈島艦隊の皆さん、よくぞ、ここまで耐え抜いてくれました』
「うお!? その声は!」
「夕張さんね」
「やっと、準備ができましたか……」
零式艦上偵察機を通して夕張と無線が繋がっていた。神通は疲れた声で零偵に声をかける。
「夕張さん、今丁度新たに深海棲艦の一個艦隊が現れた所なんですが」
『はい、見えてます』
「じゃあ、やってしまってください」
「え?」
『了解です! 一気にやっちゃいます!』
「ええ?」
そうあっさりと会話を終えると、七丈島鎮守府前に立つ夕張は艤装に直接接続された超大型の『スナイパーライフル』を抱え、スコープを覗き込む。
それは最早ライフル、というよりは大砲に近い。夕張の身の丈の倍はあるロングバレルにおおよそ41cm三連装砲と同等かそれ以上の口径。
艤装に接続して夕張の身体全身で支えていなければ砲口を保持することすらままならないその兵器は静かに稼働を開始した。
「艤装内部コンデンサからの電力供給率40、60、80%。重力、磁場補正、誤差0.01%以下。距離、5.97km――――」
艤装に内蔵したコンピュータが計算結果を夕張の脳内に送信し、それを受けて夕張が射撃補正を行う。
艤装と一体化する艦娘だからこそできる人体のマシン化。計算に強いコンピュータに対し、ランダム要素への簡易対応に強い人間の脳。これらを一つにすることで、より高度な計算補正が必要になる兵器を艦娘一人で運用することが可能となる。
これこそが、日々工廠に引きこもって進めている夕張の研究。そして、その実験は彼女自身の身体と艤装を持って行われるのだ。
「出力最大、スコープの倍率を固定、標的をマルチロック……ロックオン!」
撃鉄が鳴らされ、夕張の弾き金にかけた指に力が籠る。
「――発射ッ!」
掛け声と共に引き金を引いた瞬間、銃口から雷を束にしたような、光の塊が轟音と共に放たれる。
「――――え?」
深海棲艦達にはそれが何に見えたかはわからない。
ただ、大和達が見たそれは彼女達の知識で的確に表すなら、漫画やアニメで見るいわゆるビームだった。直極太のレーザービーム。それが深海棲艦の方へ飛んで行ったかと思うと、一個艦隊が残らず光に包まれ、そして跡形もなく消えた。
「目標の消失を確認! でも、この
しばらく何が起きたかわからなず固まる大和達とは対照的に、夕張は楽しそうにノートを取り出してメモを書きなぐっていた。
☆
「――――さて、深海棲艦の乱入ですっかり演習が滅茶苦茶になってしまった訳ですが」
数時間後、後処理を終えて夕日が水平線に沈み始める頃、全員再び演習場に戻ってきていた。
「どうしますか? 明日にでもやり直しますか?」
神通は日を改めで再度試合をしたいらしい。しかし、神通を手で制して矢矧が口を開いた。
「別に、やり直す必要なんてないわ。もう、勝敗は決まっているもの」
そう言って、笑いながら矢矧は両腕を上げる
「降参、私の負け、よ」
「そう言うと思いましたよ」
「旗艦が負けを認めてしまえばもう、仕方ないですね」
神通と夕張も予想していたのだろう。あっさりと矢矧の降参宣言を受け入れ、
「それじゃあ、約束通り、矢矧は返して貰うぜ?」
「ええ、どうぞ……」
「あ、あの、神通――――」
「大丈夫ですよ、矢矧さん」
矢矧が複雑そうな表情で神通に何か言おうとしたのを先読みして神通が口を開いた。
「あの時はああ言いましたけれど、実際私が問題なしと報告して疑うような人は横須賀艦隊にはいないんですよ。私、これでも結構偉いので……残念なことに……」
悔しそうな口ぶりであった。自分の発言力の高さを悔いるのは彼女にとって今日が最初で最後だろう。
「ま、まぁ、そういう訳なので、安心してください! 神通さんが血迷っても私が止めますし!」
「血迷いませんよ。横須賀艦隊の誇りを汚すようなことは絶対にできませんからね……残念なことに」
その後、すぐに神通と夕張は事後報告のためと言って横須賀へと帰っていった。提督が夕食くらい一緒にと引き留めたが、結局丁重に断られてしまった。
神通達を見送り、七丈島艦隊だけになると、提督が手を叩き言った。
「じゃあ、私達も帰りましょうか!」
「はい、そうですね! お腹すきましたし!」
「私もお腹すきました!」
「ま、今日は色々あって疲れたしな!」
「明日絶対筋肉痛だ、これ……」
「私も腰痛いわぁ」
いつものようにそれぞれ勝手なことを言いながら鎮守府へと向かう大和達を一歩退いた所から見ている矢矧に、提督はモーターボートの上から声をかけた。
「矢矧、鎮守府についたら執務室へ来てもらいますか?」
「はい? わかりました」
☆
「――提督、神通、夕張両名、只今戻りました」
「うむ、入れ」
横須賀鎮守府。その執務室に神通達は来ていた。執務室とは言っても障子で隔てられた和室である。
室内に入って見えるのは、龍虎の描かれた巨大な水墨画と、所狭しに敷き詰められた大量の書物。逆に言えば、それ以外のものはこの執務室にはないに等しい。
「ご苦労じゃったな、二人共」
「はい」
「は、はい!」
和室で一人書類を進めている着物を着た老人の前に二人は正座して頭を下げる。
オールバックの白髪に鋭い三白眼、一見細身にも見える身体には、実際は無駄なく筋肉が絞り込まれているのだと、はだけた胸元から一瞬で見て取れる。
見るからに威圧感と貫禄に満ちた風貌の初老の男性こそこの日本海軍の頭目。対深海棲艦において最強の人類、元帥である。
元帥はゆっくりと書面に走らせていた万年筆を置くと、神通達に視線を向けた。
神通などは慣れたもので涼しい顔をしているが、夕張はそれだけで心臓がはちきれんばかりに脈打つ。
「それで、どうじゃった?」
「はい、良い艦隊でした」
「そうか、貴様の目から見てそう言わしめるか」
神通の報告を聞いて元帥はどこか楽しげに笑った。
「大和は、問題ないか?」
「はい、さしあたって問題は見られませんでした」
「うむ、そうか」
(よし!)
夕張は胸を撫で下ろす。七丈島艦隊との約束はこれで果たされた。これでこの最大の目的は完了である。
しかし、気を抜いた最中、元帥は夕張に視線を向けて言った。
「ところで、夕張。貴様、小型荷電粒子砲を持ちだしたらしいのう?」
「がっ……!」
「しかも、撃ったと聞いたが?」
「あの……ええと……それは……」
拙い。夕張の顔から血の気が引いた。
今回持ち出した小型荷電粒子砲はまだ試作段階故、万が一の被害を考えてまだ実験は止められていた。無論持ち出しなど厳禁である。
これは確実に殺されるか沈められる。そう夕張は確信した。
「夕張、どうじゃった?」
「え……?」
「撃ってみてどうじゃったと聞いている!」
「は、はい! 最高に気持ちよかったです!」
何を言っているんだ私は。
夕張は真っ赤な顔を手で覆い隠した。
しかし、元帥は夕張に罵声を浴びせるでもなく、むしろ満足げな笑みを見せる。
「そうか、気持ちよかったか。くくく」
「え、あの? 怒らないんですか?」
「ふん、勝手に持ち出して失敗したのならば解体ものじゃが、成果を上げてきたのならば良し。小型荷電粒子砲は明日から実験に入って良いぞ。急ぎ実践投入へと改良を重ねよ」
「は、はい! 喜んで!」
「うむ、励めよ」
元帥は笑って茶を啜った。
「まぁ、今回は貴様らも良い経験になったじゃろう。いつも同じ艦隊の奴だけで組ませても面白味がないからのう」
「さ、流石に私みたいな第四艦隊の下っ端じゃ神通さんの足を引っ張るだけでしたけどね」
「いえいえ、そんなことはないですよ。私も夕張さんに色々と助けて貰いましたし。楽しかったので機会があればまた組みましょう」
「えぇ、私はもうしばらくは工廠に引きこもりたいです……」
大分砕けた雰囲気になった所で、元帥が咳払いを入れる。
途端に二人は再び姿勢を正す。
「うむ、他に報告がなければ下がって良いぞ。神通、貴様には早速明日の早朝に南方海域に出てもらう。準備を怠るな」
「はい」
「励めよ、第一艦隊旗艦」
第一艦隊旗艦。神通はそう呼ばれると、一際大きく返事をした。
☆
「提督、失礼します」
「ああ、矢矧、待ってましたよ!」
七丈島。執務室を訪ねた私は相変わらず書類の山に埋もれている提督を見てああ、戻ってきたんだなという実感と共にため息をついた。
「それで、用とはなんですか?」
「これを、返そうと思いましてね」
提督は矢矧の手を取って、黒い腕輪を手渡した。
スタンリングの起動権。七丈島艦隊監察艦の証である。
「ありがとうございます!」
私はすぐにリングを腕に通す。腕に通すとリングは収縮してブレスレットとなる。馴染みのある感触に浸りながら私は提督に尋ねた。
「提督、私と初めて会った時のこと、覚えていますか?」
「ええ、勿論です」
「提督、あの時私に言いましたよね。『あなたには、同じ時を過ごす仲間が必要だと思うんです』って」
「はい、言いました」
「今になって、ようやくわかった気がするわ。あの言葉の意味」
「それは、良かったです」
提督は嬉しそうに笑う。
次に、私は頭を下げつつ提督に言った。
「あの、それと……私の移籍の承認書類。あれ承認してしまうと凄く取り消し面倒よね……ごめんなさい」
「ああ、そのことですか」
提督は机の上から書類を一枚抜いてきて矢矧に見せる。
艦娘の移籍書類であることは確かだが、承認印は愚か、全くの白紙である。
「実は、私、この書類まだ手付けてなかったんですよね。面倒くさくて忘れてました」
私は思わず笑ってしまった。
どこまでわかってやっているのかわからないが、取り敢えず、私がこの七丈島艦隊の監察艦として、提督の秘書艦として戻ってきた記念として、こう言ってやることにする。
「提督、仕事してください!」
皆さま、お久しぶりです!
大分期間が空いてしまいましたが、矢矧編これにて完結となります。
今後の伏線とか色々入れてたらなんだか予想外に長くなってしまいました。
次回からはまた十話ぶりの一話or二話完結の日常回が続きます。