不審者(天龍)、捕縛。
「――それで、お前あの超弩級盛り海軍カレー、五皿も完食したのかよ。ぱねぇな」
「はい、すごくおいしかったです! 思い出したらまたお腹が空いてきました」
「それでもまだ空くのか……」
私、大和と、同じ七丈島艦隊の天龍は並んで鎮守府を歩いていた。
友好的で話易い雰囲気の天龍は、私とものの数分で打ち解け、既に互いに気心の知れた仲にまでなっている。
先の一件で矢矧とも少し仲が深まったような気がしたが、天龍とはそれ以上に和気藹々と会話を楽しむことができていた。
きっと矢矧のような謎の威圧感がなく、なんというか物腰が軽いせいだろう。
今のは『軽』巡洋艦と掛けてみた訳では決してない。
「さて、腹が減ってるとこ悪いが、まずは俺達の散らかした食堂の掃除から始めなきゃ夕飯が作れねぇからな。ちゃっちゃと終わらせようぜ」
「さらっと私も手伝わせようとしないでください。散らかしたのは天龍だけじゃないですか」
「おいおい、冷たいぜ? そう浅い仲でもあるまいし」
いや、出会って数分の浅い仲じゃないですか。
しかし、食堂の入り口まで一緒に来て自分だけ何もせず見ているというのも中々、妙な罪悪感が湧いてくるもので、結局私は天龍と共に散らかった食堂を片付けることになった。
天龍が食堂の扉を開けて勇んで中に入っていくのに続き、私も食堂に入ると、天龍の無駄に大きい驚愕の声が私の耳に鳴り響く。
「なんじゃこりゃあああああ!?」
「急になんですか、うるさいですよ……ってええ!?」
ついさっきまで、食堂は天龍が暴れまわったせいでそこら中に食材が散開し、食器が割れていたりと酷い状況にあった筈。
それらが一体、何があったというのか。食堂はまるで何もなかったかのように綺麗に片付いており、しかも、机の上には色とりどりの料理が並べられ、部屋中をおいしそうな香りが漂っている。
その部屋の中心に、同様に料理を見つめる矢矧の姿があった。
「矢矧、まさか、食堂の掃除に加えてこの量を一人で作ったのですか!?」
「ごちそうじゃねぇか! やるな、矢矧!」
「そんな訳ないでしょ。私が来た時には既にこうなってたのよ。食堂を片付け、これを用意したのは――――」
「――それらを作ったのは私だよ」
いつの間にか、私と天龍、矢矧の後ろの厨房入り口付近に一人の少女が立っていた。
私や天龍や矢矧もまだまだ少女と呼ばれるには十分な容姿をしているが、その少女はそれよりもより少女たる未成熟な容姿をしていた。
幼女、とも呼べるのかも知れない。外見はおおよそ小学校高学年程度に見える。
しかし、調理中だからか、ゴムで括られた艶やかな長い黒髪をはためかせ、どこか大人っぽい仕草で微笑するその少女は、やはり七丈島艦隊の一員たる必然か、どこか子ども扱いできぬような異彩の空気を纏い、そこに立っていた。
「あなたが?」
「そう。見ない顔だな? 私は磯風。この七丈島鎮守府に所属している艦娘の一人だ」
「私は大和。今日、この鎮守府に配属されました」
「そうか、歓迎しよう、大和。これからよろしく頼む」
中性的な口調の磯風と名乗った少女は、私の自己紹介を聞き、嬉しそうに顔を綻ばせ、そう言った。
当初感じた大人っぽい雰囲気から一変、その笑顔の眩しさと言えば、まさにあれ位の年の子供特有の太陽のような輝きを放っており、私はその愛らしさに困惑してしまう。なんということだ。
「凄いですね、たった一人でこれだけの美味しそうな料理を……得意なんですか?」
「得意というほどではないさ。ただ、好きでやっている内にこうなっただけだよ」
少しも気取った感じなく、彼女は一言そう告げた。
あの年でこれだけ料理ができるなど、相当の練習を積んだに違いない。私も料理はそこそこ得意な方ではあるが、彼女位の歳の時はまだ包丁の使い方すらままならなかった。
「テーブルに置いてある料理は好きに食べていてくれ。私はデザートの準備があるからもうしばらく厨房から手が離せない」
「そんな、皆で一緒に食べましょうよ」
「申し出は嬉しいが、私を待っていては、折角作った料理が冷めてしまう。料理はやはり温かいうちに食べて欲しいんだ。私のことは遠慮せずに、先に食べてくれ。その方が私も、食材も喜ぶ」
なんというプロ意識だろう。本当に自分より年下なのだろうか。
「そういうことなら、俺も腹減ってるし、早速戴かせてもらうぜ、磯風!」
「ごめんなさい、磯風。ありがとう」
「礼には及ばない。さっきも言ったが、私は好きで料理しているだけだからな」
その一言を最後に、磯風は厨房へとまた姿を消した。
かっこいい。素直に彼女に対し、そう口にしている自分がいた。
私達は席につくと、三人で手を合わせ、食事を始める。
「いただきます!」
「いただきまーす!」
「戴きます」
空腹だった私達は、それぞれテーブルの近くの料理を取る。
私はどれを食べようか悩んでいる内に出遅れていた。
だが、それがむしろ幸運であったことを私は二秒後に知る。
「うっ!?」
「え!?」
「な、ど、どうした!?」
突然、隣に座っていた矢矧がうめき声を上げ、何回か身体を痙攣させたかと思うと、彼女の身体は力なく食堂の床に倒れ伏した。
「…………」
「…………」
えー……。
私と天龍はしばらく何も言わなかった。何故突然、一秒前まで元気だった筈の彼女が今はまるでヤムチャしてしまった後のように床に伏して動かないのだろうか。
「ん? どうしたー? 何かあったか?」
「ッ! な、なんでもありません!」
「ん、そうかー」
私達のどこかただならぬ様子を察知したのか、厨房の奥から磯風が声を掛けてくるが、私はその声につい、なんでもないと答えてしまった。
そして、すがるように天龍の方を見る。
天龍は動かない矢矧の姿を凝視すると、突然、席を立ち、彼女の方へと歩いていく。
「て、天龍……?」
「何ボサっとしてんだ? 矢矧が倒れたまま動かない。なら俺達がやることなんて一つしかないだろ」
「そ、そうですよね、急いで助けな――――」
「目覚める前にこいつが三日くらい寝込むような悪戯しないとな」
「私の感動を返してください」
ちょっとでも頼りになると天龍に尊敬の眼差しを向けていた自分を殴りたいです。
「やめましょうよ。後で痛い目見るのはわかりきってるじゃないですか? ていうか、そんな場合じゃないでしょう!?」
「止めんじゃねぇ! お前みたいな出会って数分の奴にゃ俺の気持ちなんてわかんねぇよ!」
「さっきは浅い仲でもないって言ってたじゃないですか!?」
「うるせぇ、どきな! こいつには昨日、夕飯に俺の苦手なピーマンを大量に入れられた恨みがある!」
「恨みがしょうもない!」
かつ、どうでもいい。
「取り敢えずは監察艦殿の鉄壁スカートの内側を写真に……ぐへへ」
しかも、仕返しの内容におっさんくさい下心が垣間見える。
「うーん……スタンリング、起動……天龍……」
「があああああああああ!?」
「迎撃!?」
危機察知能力半端ないな、と初めて矢矧を尊敬した瞬間でした。
「く、くそ! ぐ、偶然寝言でスタンリングを起動させるとは……悪運の強い奴! だが、二度目は――――」
「スタンリング、起動……天龍、むにゃ」
「みゃあああああああああ!」
まさかの連撃。
「ぐ、くそ! 三度目の正直!」
「スタンリング、むにゃ、起動。天龍!」
「にゃあああああああああ!?」
「これ矢矧、本当は起きてるんじゃないですか!?」
取り敢えず、矢矧が元気そうで安心しました。
倒れている女の子のスカートをめくろうとしていただけの筈なのに、既に満身創痍に近い天龍を諭し、私は本題に入った。
「とりあえず、矢矧は元気そうですし、今は何故彼女がこんなことになったのか、その原因究明から始めましょう」
「うう、でもピーマン……」
「ピーマンの件は漢らしく水に流してください」
「私、女だよぉ」
流石に三回連続で電気ショックを受けているからか、随分としおらしくなっている天龍がそこにはいた。
「うーん、取り敢えず、倒れた原因として最初に考えられるのは、このオムライスですよねぇ」
矢矧が一口だけ食べたオムライス。
これを食べてすぐに彼女は気を失ってしまった。原因はどう考えてもこれしかないが、こんなに美味しそうだし、それにあの磯風が毒を盛るというのも考えたくはない。
だが、しかし――――
「磯風が料理に毒を盛るってことだけはありえないぜ」
「天龍……」
「あいつは誰よりも、何よりも料理に真剣な奴だ。そんな自分の誇りとも言える料理を毒で汚すなんざ、ありえねぇ。俺が保障する」
天龍の声はいつになく真剣なものだった。
それだけ、天龍は磯風の料理への情熱を信じているということ。当然だろう、出会って数分の私にさえ、彼女の料理への真摯な態度がひしひしと伝わってきた。
加えて、磯風とより長い時を過ごして来た天龍が言うのなら間違いはないだろう。
しかし、そうなると、やはり矢矧の倒れた理由が謎であった。
「お、そうだ! そのオムライス食べて意識失ったんならそれもう一回食べてみれば何かわかるんじゃねぇか?」
「なんて提案するんですか!? やめてくださいよ!?」
私の制止の声も聞かず、天龍はオムライスの皿を手に取り、スプーンで一口分を掬い取る。
「ほら、矢矧、口開けろ」
「ちょっと」
止めを刺さないでください。
矢矧の口元にオムライスを近づける天龍に思わず私は手刀を振り下ろしていた。
「冗談だって!」
「いや、止めないと本当にやりそうな勢いだったんで、つい」
「流石にその一線は弁えてるさ。じゃ、頂きまーす」
「生死の一線弁えてます!?」
自ら矢矧を昏倒させたオムライスを口に運ぶ天龍。
私が慌てて手を伸ばすも、間に合わず、オムライスは天龍の口の中に消えていった。
「もぐもぐ、ふぅん、意外とうま――――いッ!?」
「天龍ーーーーッ!」
天龍は矢矧同様、体を激しく痙攣させ、その後、意識を失って力なく床に倒れた。
「――――ッ!」
矢矧を助けるどころか、むしろ屍が二つに……。
「なんか、さっきから静かだが、大丈夫かー?」
「え!? は、ふぁい! 大丈夫です!」
「そうかー! もうそろそろ私の方も作業が終わるから、すぐにそっちに行くよ」
「は、はーい」
どうしましょう、全然大丈夫じゃないんですけれど。
左右には屍が二つ。
目の前にはおそらくは一口でも食べれば昏倒不可避の殺人料理。
「一体、どうすれば……」
「――あれれー、あなた、新入りさん?」
「ふわあああ!?」
突然、真後ろから声がして、私は奇声を上げてしまった。
今の状況をどう打開するかに必死だったから背後への警戒が緩んでいたのだろう。
後ろには、金髪のツインテールが印象的なたれ目の少女が微笑んでいた。
「
「あ、大和です。よろしくお願いします、プリンツ……というか、今はそれどころじゃないんです! 力を貸してください!」
「んー? 何かお困りー?」
私はもう藁にも縋るような思いでこれまでのいきさつをプリンツに話す。
すると、彼女は笑って私に大丈夫だと言わんばかりに親指と人差し指で丸を作ってみせた。
「大丈夫、大丈夫! これならウチではよくあることなので!」
「よくあるんですか!?」
私が驚愕の声を上げると、プリンツは厨房の方を見ながら私の唇に指をあてがう。
「あ、すみません! 少し声が五月蠅かったですね」
「うん、ちょっと磯風ちゃんには聞かせられないからねぇ…………大和って、唇柔らかいんだねぇ、素敵」
「え?」
「ん、いやなんでもないよぉ」
え、なんでしょう。なんか今、少し寒気が。
「えっとね、実は磯風ちゃんの料理って見た目も匂いもすごく美味しそうなんだけれど、どうも味だけが恐ろしく良くないみたいでね、一口食べれば今倒れてる矢矧と天龍みたいに昏倒しちゃうの。あ、命に別状はないよ、一口だけなら」
致死量があるってことですか。それ料理なんですか、本当に。
「ん? 『みたい』ってプリンツは食べたことないんですか?」
「うん! 私は食べたことないし、食べるつもりもないよぉ。それに、食べた人は前後の記憶が抜け落ちちゃうから磯風ちゃんの料理のこと全く覚えてないの。だから今みたいにまた機会があれば食べちゃうんだよねぇ。ほら、見た目は美味しそうだからね」
「な、なんという、負のスパイラル……!」
「磯風ちゃんは自分の料理の味に関して無自覚だしねぇ」
「誰も言わないんですか? その、料理のこと……?」
「言えると思う?」
プリンツが視線を外すと同時に厨房の扉が開き、エプロンと髪ゴムを外した磯風の姿が現れた。
私とプリンツの姿を捉えると嬉しそうに駆けてくる。
「すまない、待たせてしまって! ん? 天龍と矢矧はどうしたんだ? こんな所で寝っ転がって」
「あ、それは……」
「二人とも、食べたら眠くなっちゃったらしくて眠っちゃったんだぁ」
返答に困った私をプリンツが素早くフォローする。
それを聞くと磯風は困ったように笑うと小さな身体で力いっぱい持ち上げ、二人を椅子の上に寝かせる。
「全く、この二人は毎回そうなんだ。せめて椅子をベッドにすればいいのに」
「…………」
「でも、嬉しいな。私の料理でそこまで満足してくれるなんて」
「…………ッ」
確かに言えません。ただ料理を食べた、料理を直接褒められた訳でもない。それなのにこんなに嬉しそうで満たされた笑顔を見せてくれる女の子に、あなたの料理は人を昏倒させるレベルで不味いなんて言える筈ありません。
「ね、わかったでしょ?」
「はい……」
嬉しそうに二人の寝顔を観察している磯風に隠れ、プリンツが耳元で囁く。
「で、でも、それならせめて天龍と矢矧に教えてあげるくらいはしてあげなかったんですか……?」
「したよ」
「え?」
プリンツの方を見ると、彼女は複雑な表情で私のことを見つめていた。
「ん? どうしたんだ? 二人でこそこそ話して? さぁ、たくさん作ったからどんどん食べてくれ!」
「は、はい……」
「
「ん? おっと、私としたことが、自分の取り皿と食器を持ってきていなかった。すまない、また厨房から取ってくるよ」
そう言って、満面の笑みで磯風は厨房へとまた戻って行った。
「こ、これは、私もいよいよ覚悟をきめなきゃかもぉ」
「くッ……!」
たった一口で艦娘を昏倒させる程の威力の殺人料理。それが目の前に数多置かれている。
どうする、どうするんですか、私!
次回に続く