メシマズ要員磯風
「へぇ、今日の夕飯は磯風の手料理か!」
「そういえば以前も食べたことあった筈だけれど、おかしいわね、よく思い出せないわ」
(やっぱり、二人とも忘れてるんだ)
私、プリンツ・オイゲンがまだここに来て間もない頃、既に磯風の料理は何度か振る舞われていたようだった。
一口食べれば昏倒、そして目覚めた後は彼女の料理に関しては記憶が抜け落ちてしまう。
私は偶然、被害を受ける前にそれがわかったから良かったが、天龍と矢矧はすっかりその負のスパイラルに嵌ってしまっていた。
だから、私は言った。これ以上倒れる彼女達を見たくなかったから。
「あのー、その料理、食べるの?」
「ん? 何言ってんだよ、プリンツ。こんなにうまそうな料理が並べられてて食わねぇなんてどうかしてるぜ」
「折角磯風が作ってくれたのだし、皆で戴きましょう」
「駄目なんだよ。それを食べたらまた二人とも倒れちゃう」
「え?」
私は二人に全てを話した。磯風の料理は見た目こそ素晴らしいが、その味は一口で人を昏倒させる殺人料理であること。そして、矢矧と天龍はそれを毎回のように食べて倒れていること。
これで、もう天龍と矢矧は倒れることはない。磯風には皆でしっかりこのことを言おう。
問題は解決する筈。そう思っていたのに、二人は笑って言った。
「まぁ、でも、だからって食べない訳にもいかないんだがな」
「え? え?」
「そうね。私も食べるわ。例え、一口で倒れてしまおうとも」
「な、なんでぇ!? 私の話、聞いてなかったの!?」
「聞いてたさ。でもよ、これはあいつが、仲間が俺達のために作ってくれた料理だ」
「あんなに小さい子がたった一人で作ってくれた料理を、倒れる程度で食べないなんて、失礼よね」
そう言って、二人は皿の上の料理を口に運ぶ。
それを私は止めることなんてできなかった。
「あ、う……」
「ま、そういう訳だ、悪ぃな、プリンツ。多分今の話だと倒れた私を部屋まで運んでるのってお前だろ? 迷惑かけるが、もうしばらくよろしく頼む」
「ま、何度も食べてればその内耐性もついて来るわよ。つかなきゃ、無理やりにでも付けるわ」
「うう、そこまでしなくても……」
「いいんだよ、俺が好きでやってんだ」
「いいのよ、私が好きでやってるんだから」
そう言って、いつも通り倒れる二人。
私は、もう何度彼女達の倒れる姿を見ているのだろう。
私はもう長いこと、一歩を踏み出せていない。
☆
「ど、どうすれば! どうすれば、この状況を打破できる!」
時間は限られてる。
磯風が厨房に入ってから食器を見つけて戻ってくるまで約一分。その間に何か打開策を練るのだ。
私達も、磯風も傷つかない、平和なエンディングを。
「とりあえずはこの料理をなんとかすれば……!」
せめて食べても昏倒しないレベルにできれば、希望はあるかもしれません。
「そんな時のこれだよぉ、オリーブオイル!」
「オリーブオイル!? ていうかなんでそんなの持って……」
「以前、有名な料理番組で見たの! これさえあれば大丈夫、どんな料理もこれ一本だよ!」
そう言って、プリンツは新品のオリーブオイルの瓶を開けると、それをオムライスの上からどぼどぼと掛け始める。
「なるべく高い所から出来るだけたくさん振りかけるのがポイントだよ!」
「その料理番組の人、も●みちさんって名前じゃなかったですか?」
「これでこのオムライスも、ごきげんうまい!」
「いや、誰もが不機嫌になりそうな出来映えなんですけど!?」
黄色いオムライスの表面を覆い尽くす緑黄色の液体。最早、見た目すら食べ物に見えなくなっていた。
「じゃ、この調子で全部にオイル、かけちゃおっか!」
「嫌ですよ! 収拾つかなくなるからやめてくださいよ!」
「あ、その
「低めってなんですか!?」
オリーブオイルの滴下高度らしいです。
そうしてプリンツが椅子に立ってオリーブオイルをまき散らそうとするのをもみ合って止めている内に、厨房の扉が開いた。
「――いや、すまない。どうやら食器がもうないようだ。天龍の奴が相当割ってしまったようだ…………な、何をしてるんだ、お前達、抱き合ったりなんかして?」
「い、いやぁ、これは少しプリンツと親睦を深めていて……」
「そ、そうか、随分と、その……スキンシップが激しいんだな……」
「いやん、大和ったら激しいよぉ」
「~~~~ッ!」
フォローのつもりかもしれないですけど、それ逆効果ですからね。磯風顔真っ赤じゃないですか。
「で、では、私は倉庫まで食器の在庫を取りに行ってくるから、すまないが二人で食べていてくれ……その、ごゆっくり!」
ちょっと待って、ごゆっくりってどういう意味なんですか、ちょっと。
磯風は真っ赤の顔を隠しながらそう言って食堂を出ていった。
「さて、これでもうしばらく時間ができたね!」
「この間にこの料理をなんとかしないと……」
「じゃあ、やっぱりオリーブ――――」
「その線はなしで」
私は急いでこの料理をどう処理するか、思考を巡らせる。
今のままでは私もプリンツも一口で昏倒する。ならば、料理の味を改善するしかないが、その方法が全く思い浮かばない。
私がこれと同じ料理を全て作ってすり替える。駄目、時間があまりにも足りません。
「あー、まだ卵とご飯少し残ってる! あとで
「プリンツさん! いつの間に厨房に!? 何してるんですか!?」
厨房のカウンターから顔を覗かせた彼女は、そこをよじ登って外に出てくる。
彼女のミニスカートだと足を上げる時にパンツが見えてしまいそうになり、私は見ていて恥ずかしくなる。
だが、プリンツの方はそんなこと意にも介さず、厨房から出てくると手に持った大きな袋を私に渡す。
「ま、磯風ちゃんもそろそろ帰ってくるだろうし、もうちゃっちゃとやっちゃおう!」
「この袋は……」
「うん、仕方ないよ。食べられないんだもん。じゃあ、処分するしかない。少し可哀想だけどこれが最善じゃないかな」
そう言って、プリンツは片手に袋を持ち、オムライスの皿に手を掛ける。
私は思わず彼女の手首を握り、それを止めていた。
「……大和?」
「すみません。それだけは、できません」
「じゃあ、どうするの?」
プリンツの顔から笑みは消えていた。
鋭い目線に思わず私は目を背けてしまう。
確かに、今の関係を維持するのならこれが最善だろう。既にやられた天龍と矢矧を除き、皆が平和だ。しかし、今のこの負のスパイラルを残したままで本当にいいのか。
「……まず、この袋は使いません」
「ん?」
「プリンツはこのテーブル上の料理を全部、食べやすいように私の所に集めておいてください。それで、私はその間厨房をお借りします」
「え? 解決策思いついたの?」
私は心の中で覚悟を決めました。
そして、プリンツに向けて笑みを浮かべ、ポケットからスプーンを取り出しました。
普通のスプーンではありません。通常のスプーンよりも遥かに大きい、『ビッグスプーン』。
「これで、なんとかします!」
カレー食べた時から勢いで持って帰ってきてしまいました。店長さん、本当に御免なさい。
☆
その頃、カレー専門店、ビッグスプーン。
「ない、ないわあああああああああ!」
「どうしたんですか、店長?」
「なぁいのよぉ! この店の象徴、ビッグスプーンがぁあああ! どんだけえええええええッ!」
「あれ、高かったっすよねぇ」
「どんだけえええええええええッ!」
☆
「ふぅ、思ったよりも探すのに手間取ったな、すまない二人とも、今戻った……ん?」
「あ、磯風ちゃん、おかえりー」
「どうしたんだ? 料理をそんなに寄せて……それに、この匂い、誰か料理を?」
「大和がねぇ」
「お待たせしました!」
そう言って、厨房から一皿のオムライスを手に私は磯風の前に出た。
「ど、どうしたんだ? 急にオムライスなんて作って……」
「これは磯風さんの分です。座ってください」
「あ、ああ……?」
磯風を私の対面の席に座らせ、その目の前にオムライスを置く。
そして、ここからが本番であった。
「――では、いただきます!」
「――!?」
一瞬で私が手に取った皿の上の天津飯は姿を消していた。
ビッグスプーンと私の洗練された食事スピードが掛け合わさった賜物である。
(この天津飯、なんで苦いんですか!? あとウエハースみたいなサクサク感が!? いや、驚いている場合じゃありません、次!)
驚愕のあまり口を開けて唖然としている二人を尻目に私は素早く次の皿に手を掛けた。
カレーライス。見た目は普通だが、その味は予想の斜め上をいっていた。
(何これ、苦い、甘い、辛いが順に口の中で混ざり合ってくる……!? つ、次!)
次に手に取ったのは回鍋肉。
(味が……ない!?)
から揚げ。
(なんか、お餅みたいな食感……)
とんかつ。
(食べるとか以前に、これ動いてるんですけど……)
「す、凄い、一瞬で皿の上の料理が消えて……!」
ちなみにこの間、三秒程度です。
私の策はこうでした。
天龍が料理を食べてから倒れるまでにはおおよそ五秒程度のラグがありました。ならば、そのラグの間に料理を完食しようという策です。
幸い、食事スピードとそれを向上させる規格外の大きさのスプーンがあるので、一皿一秒もかかりません。
ただ、これは味が一瞬しか味わえないので料理が楽しめないのですが、この状況に限ってはこの方法しかないと考えました。
「――――くっ!」
餃子の皿を完食した所で、私の意識が揺れ始める。
まだ三分の一程度料理は残されている。やはり予想通り間に合わなかったようだ。
私はよろめきながら立ち上がると、プリンツに支えられながら磯風の目の前に立つ。
ここからが、正念場。この負のスパイラルを断ち切る、苦肉の策。
「だ、大丈夫か!? 喉に何か詰まらせたのか!?」
「ち、違います……! 時間もないので、簡潔に言わせて貰います……」
頭がぼやけ始め、視界が朦朧とする。意識が何度も飛びかけるのを、気合だけで持ちこたえつつ、私は続けた。
「あなたの料理は、不味い!」
「…………え」
「どれくらい不味いかというと、そこの天龍と矢矧が一口で卒倒する位不味い! 私も正直もう目の前がほとんど見えません!」
「不味いで済む話なのか、それは!?」
「大和……」
二人共、そんな顔しないでください。私だってこんな事言いたくはありません。
でも、料理を処分して嘘偽りで磯風を守って、それで問題の根本が解決するとは思えなかったんです。
この負のスパイラルのままじゃ、永遠に天龍や矢矧が傷つくまま。かと言ってそれを避けようとすれば今度は磯風を傷つける。
「――誰かのために、誰かが傷つくしかないなら、皆のために、皆が傷つきましょうよ。誰かの犠牲の上に成り立つ笑顔なんて、嘘です」
あれ、意識が朦朧として、もう、考えてることすら声に出てますね。
私は、最後の力を振り絞り、磯風の肩を掴む。
細くて、華奢な体つきだった。
「す、すまない。私は、今まで皆になんてものを……」
「私は、あなたの料理を食べました。次はあなたが私の料理を食べてください」
「え?」
「あなたの料理は不味いです。食べた私が断言します! だから、これから上手くなりましょう! 私が責任を持って教えてあげます! 必ず、まずはそのオムライスの味が作れるように、必ず! だから、これから、やりなおしましょ――――」
「や、大和!? 大和!?」
私の気力の限界が来たのでしょう。意識はそこで闇に飲まれ、それ以降私は長い眠りに入りました。
料理を批判するために、勇んで磯風の料理を大量に食べてしまいました。
取り敢えず、私のこの眠りが長い眠りであって、永い眠りにならないことを祈るばかりです。
☆
「い、息はあるのか!?」
「うん、大丈夫! よく眠ってるねぇ」
プリンツの膝の上で眠る大和を磯風が心配そうに覗き込む。
「しかし、驚いたな」
「自分の料理のこと?」
「それもあるが、大和にもだ。まさか、料理が不味いだなんて、真正面から言ってくるなって、ふふ、今思い出したらなんだか笑えてきたよ」
磯風が先刻の大和の言葉に深い傷を負った様子はなかった。
むしろどこか晴れ晴れとしたものすら感じる。
「いや、薄々、皆がどこか私を気を遣っていることは気が付いていたんだ。でも、私自身もそれに甘えていた。まさか、こんな殺人料理をだしていたなんて知らなかったからな。本当にすまない」
「い、いや、私に謝らないで! 私は、その……一度も食べてない、から」
頭を下げる磯風にプリンツは申し訳なさそうに俯きながら呟いた。
それを聞き、磯風は安心したかのように笑う。
「そうか、それは良かった。しばらくは私の料理には手をつけないでくれ」
「しばらく?」
「ああ、だって料理、教えてくれるんだろう? そこの大和が。だから、私が上達するまでだ」
「ああ、そんなことも言ってたねぇ」
「まずは、このオムライスの味に、だな」
そう言って、磯風は大和の作ったオムライスを見ると、スプーンで半熟のオムレツと中のチキンライスとを一緒に掬い、口に運ぶ。
塩コショウの効いたチキンライスにとろとろでふわりとした食感のオムレツの甘味が絶妙に調和し、満足感が口から喉を通る。
「凄くおいしい!」
「私もオムライス、一口貰っていい?」
「ああ、勿論だ」
「ううん、そっちじゃない。磯風ちゃんの作ったオムライス」
プリンツはそう言って、テーブルの上に残されたオムライスを指さす。
「や、やめてくれ、あんなもの食べるなんて」
「いいの! それに皆のために皆が傷つくんでしょ? 私だけ何も傷ついてないから、ね」
プリンツの強い押しに負け、磯風は仕方なく、プリンツの所にオムライスの皿を持っていく。
「じゃ、いただきまーす!」
「本当に、大丈夫か? やっぱりやめておいた方が……」
プリンツはオムライスを掬い、口に運ぶ。
最初は普通のオムライスの味、かに思えたが、徐々にそれが酸味を増し、まるでレモンをまるごと一つ口の中に押し込んだような強烈な刺激が口内から脳内に響き渡った。
「こ、これは、不味い……!」
「だから、言ったのに……」
「いいの! 私が好きでやってるんだから、ね!」
その刹那、途端に意識が朦朧とし、視界が回転し始める。
「ごめ~ん……あとは、よろしく……」
「え、ちょ! 流石に四人も部屋に運び込むのは私にはキツい――プリンツ! 頼む、帰って来てくれええええ!」
ようやく、これで私も一歩、踏みだせたかなぁ。
意識の途切れる瞬間、自分の真下で眠る大和の寝顔が目に入った。
――私の踏み出せなった一歩を踏み出して、全部解決しちゃうなんて。もう、この人以外に考えられない。やっと見つけた。私の、『お姉様』。
なんだかいい話風に終わってしまった(予想外)