七丈島艦隊 VS 台風
これは、磯風が七丈島鎮守府へ着任する、その少し前の話。
「どういうことでしょうか? 罪艦、磯風の軍法会議に立ちあえないというのは?」
提督は目の前で愛用のパイプにワックスをかけながらどっしりと腰掛ける男、軍事刑務所所長に対し、できるだけ動揺を抑えた静かな口調で尋ねた。
「この通り、本軍法会議への参加は大本営からの許可が下りている他、そちらからも了承の返答を受けたはずですが」
そう言って、提督は手に抱えた茶封筒から軍法会議の参加の許可、さらにこの刑務所所長の印が押されたその了承の旨を伝える公文書を彼に差し出して見せる。
それを見て所長は手に持っていたパイプを机上のパイプレストに立てかけておくと、僅かに声を洩らして笑みを浮かべた。
それに対し、怪訝な顔を浮かべる提督に対し、咳払いをすると彼はようやく口を開いた。
「いや、失礼。こちらの言い方が正確ではありませんでした、少将殿。はい、確かにこれらの文書は罪艦磯風の公判にあなたが参加することを公的、法的に認可するもので間違いはありませんな」
「ならば、何故――――」
「いや、大変心苦しいことではあるのですが、少将殿が参加するご予定の公判は二日前に既に終了しているのですよ」
「な……」
余りの驚きにろくに声も出ないといった様子の提督を再び所長は小さく嘲笑する。
提督は、一瞬頭の中が真っ白になったが、すぐに我に返ってまくしたてるように質問した。
「馬鹿な! 公判は明日と伺っていました! その文書にも日付が書かれている筈です!」
「いや、そうなのですがね。事情により公判を前倒しにすることが三日前に急遽決まりまして、その旨をお伝えする書簡を少将殿の鎮守府へ送ったはずなのですが。いや、そちらの鎮守府は本土から離れた離島故、どうやら間に合わず、行き違いになってしまったようですな」
「そんな大事なことならば電報でよろしかったではありませんかッ!」
提督は歩み寄り、彼が両手を組んで載せている机を叩いた。
しかし、所長は彼の怒りなどまるで気に留める様子もなく、パイプレストからパイプが落ちていないか視線を動かしてから再び提督の方に視線を戻して呆れたようなため息をついた。
「少将殿、私もこの刑務所の所長を務める身。己の一挙一動に際限なく公的な措置が絡む立場なのです。いくら急を要する要件であるにしても公文書としての発行は疎かにはできませぬよ。こちらの事情も鑑みていただきたい」
「……何故急に軍法会議の日程変更を?」
「さぁ、詳しい事情はわかりかねますな。本軍法会議は鎮守府軍法会議に属するものでありますからして、その最高決定権は鎮守府司令長官である犬見中将殿に委ねられておりますからな」
その言葉を聞いて提督はおおよその内情を察した。
要は、この所長は犬見の息のかかった人間なのだ。
そして、犬見が公判を早めた理由として考えられるのは、自分の介入を危惧してのことに違いないと提督は唇を噛んだ。
「成程、まんまと嵌められたというわけですか」
「はは、なんのことやらわかりかねますが。いや、かの『暴れ天龍』の時のようにまた『特例』で罪人を公然と攫われるおつもりだったならば、自重せよ、という天啓とも考えられませんかな?」
そう言いながら提督を見る所長の目は厳しい目をしていた。
成程、この所長も自分のことは良くは思っていないようだ。だから犬見の企みに協力するのもやぶさかではなかったという訳だ。
提督は内心で嘆息した。
「罪艦なんぞという不良品を掠め取って鎮守府に引き取るなど何を考えているのか理解に苦しみますが、提督ごっこなら他所でなさい。軍法会議は子供がはしゃぎまわって良い場所ではない。まぁ、此度の件はその良い教訓となったでしょう」
「…………」
もう隠す気すらない所長の明確な敵意に、提督の表情が冷たくなる。
「……それで、磯風の判決はどうなりましたか?」
「それに関しても後々全て文書でお渡しする予定ですが、聞くまでもないでしょう?」
所長は勝ち誇ったかのように笑いながら、続く言葉を一際大きな声で続けた。
「無論、死刑判決です」
☆
「おう、提督。どうだったよ」
「既に公判は終わっていると言われましたよ」
「は? おいおい、そりゃ話が違うだろうが」
「……成程、嵌められたってわけね」
「察しが良くて助かります、はぁ」
刑務所の前で待機していた矢矧と天龍と合流し、提督は溜息交じりに現状について話した。
「ん? じゃあ、俺の時みたいに特例うんたらでなんとかできねぇのか?」
「まぁ、軍法会議が終わってしまっている以上、そうなりますね」
「詰みじゃねぇか」
「なんとか磯風との面会は許可をもらってきたので、とりあえず彼女の元へ向かいましょう」
「でも、今更面会したって死刑になんのは変わらねぇだろ?」
「……それについては少し考えがあります。まず磯風と会って話をしましょう」
そう言って、考えの全てはを明かさないまま、提督は天龍と矢矧を連れて磯風のいる独房へと向かった。
「――こちらでお待ちください」
「案内ご苦労様です」
「はっ、では私はこれで」
刑務所の面会室まで案内された提督達は用意されたパイプ椅子に座り、アクリル板の向こうを一心に見つめる。
少しして、向こう側の入り口の扉が開き、刑務官と一緒に、本人が手を枷で拘束された状態で入ってきた。
「あれが、磯風」
天龍の洩らした声には憐憫が含まれている。それはそうだろう。
年の程は十くらいの少女は虚ろな目をして俯き気味に、刑務官に誘導されるがまま歩いていた。そこにおおよそ彼女の心というものは感じられず、まるで人形のような印象さえ受けた。
「現時刻ヒトゴーヨンハチ。面会時間は十五分になります」
刑務官は磯風を椅子に座らせてから時間を通告すると、磯風の斜め後ろに設置された机に座り、冊子に記録を取り始めた。
刑務官がペンを走らせる音だけが聞こえる数秒の静寂の後、話し始めたのは提督からだった。
「初めまして、磯風。私は七丈島鎮守府という所で提督をやっている者です」
「…………」
磯風は何も答えない。無視しているというよりもまるで聞こえていないかのように反応がなかった。
「極刑判決を受けたらしいですね。本来は私もあなたの公判に参加するつもりだったのですが、間に合わず申し訳ありません」
「…………」
「お待たせしました、磯風。私達はあなたを助けるためにやってきました」
刑務官のペンの動きが止まりこちらをジロリと睨んだ。天龍は不敵に笑い、矢矧は動揺が隠せない様子だ。
磯風もようやくその提督の言葉に対して顔を上げて怪訝な顔を見せた。提督はさらに続ける。
「具体的にはあなたには七丈島鎮守府の艦娘として着任してもらうつもりです。どうですか? 七丈島っていう本土から少し離れた離島なのですが、常春の島とも呼ばれているようにとても温暖な気候で島の人たちも良い人たちばかり――――」
「ゴホン、ゴホン!」
刑務官の大きな咳払いで提督の言葉は止められた。どう考えても警告である。
矢矧は焦った表情で提督の肩を掴んでゆすっている。
また少し静寂が場を支配した後、今度は磯風の方が口を開いた。
「あなた達は一体、何が目的なんだ?」
「目的?」
「まぁ、今の私を助けることができるかどうかは別として、それであなたになんの利があるのか皆目見当がつかない」
「本当に助けにきただけなんですけれど」
「悪いがそういう言葉は信用できなくてな」
磯風は提督から視線を外しながら顔を歪ませて冷たくそう言い放った。
「残念ながら、私は今まで人を信じて辛い目にばかりあってきたから、無償の善意を向けてくるあなた達が、怖い」
その後、また視線を提督の方に戻すと、今度は笑顔を浮かべて告げた。
「教えてくれ、私を助けることに一体何の意味があるんだ?」
その笑顔があまりに疲れきっていて、悲壮に満ちていたものだから、提督の両隣に座る矢矧と天龍は見ていられないと言わんばかりに目を背けた。
提督だけが彼女の目を見つめて、優しく笑い返して言った。
「意味なんてありません」
「なら――――」
「だって、あなたは何も悪くないじゃないですか!」
「――――っ!」
「だから、私達はあなたを助けに来た」
「少将殿、どうか、それ以上はご自重を」
提督の言葉に、相当に驚かされたのか磯風は目を大きく見開いて提督を見つめたまま硬直し、刑務官はそれが磯風にとって余計な言葉であると判断し、彼に明確な警告を放った。
「申し訳ありません。話を変えます」
「…………はぁ、今回に限り私の胸の内にのみ留めておくので、気を付けてください」
「ありがとうございます」
それからは本当に他愛のない話ばかりだった。
「――で、その日は疲れてたので夕食カップ麺だったんですけれど、まさかの矢矧がカップ麺を知らなかったんですよ!」
「ちょ、提督! その話はやめて!」
「はいってカップヌードル渡したら、しばらくじーっと見つめてたかと思うと中身そのまま食べ始めるんですもん! 固まっちゃいましたよ」
「お前、蓋に書いてある熱湯3分って文字読めなかったのかよ」
「仕方ないでしょ! 未知の物質との出会いにテンパってたのよ! 中身見てレーション的なものだと思ったのよ!」
七丈島鎮守府内の話だったり。
「――あ、磯風は料理とかできるんですか? ウチは現在ろくに料理できるのが矢矧くらいしかいなくて」
「まぁ、その矢矧もここ最近になってようやくマシなレベルになってきた程度だけどな」
「未だに肉じゃがも作れないあんたに言われたくない」
「俺はやらねぇだけだ。本気出せばヤバいぜ、俺は?」
「キャベツとレタスの区別くらいつくようになってから出直してきなさい」
「……まぁ、一応、料理は以前鎮守府で間宮さんに仕込んでもらったから、一通りは」
「間宮さん仕込みだってよ。かなり期待できるんじゃねぇのか?」
「小さいのに立派ですねぇ」
磯風のことについて質問してきたり。
「私、いまいち提督としての威厳が足りてない気がするんですよね」
「必要か?」
「いりますよ! なんというか私、もう少し尊敬されたい!」
「してるわよ」
「おう、尊敬してんぜ?」
「それ! なんか軽くないですか!?」
「……はぁ」
唐突なお悩み相談になったり。
「磯風、私の好きな食べ物知ってます?」
「…………さぁ」
「カツカレー」
「……だからなんだ」
死ぬ程どうでもいい話だったり。
しまいには刑務官が筆を止めてしまう程に残りの時間で行われたことは、本当に他愛のない雑談そのものだった。
「――時間です。これで面会は終了となります」
「あれ、もうお終いですか?」
「まぁ、こんなものでしょう」
「俺ら本当に何しに来たんだろうな」
いそいそと椅子から立ち上がる三人を見て、磯風はどこか惜しむように小さく声を洩らしていた。
それが自分でも意外で、磯風は思わず両手で口を覆った。
「大丈夫ですよ、磯風。また来ます」
「なぁ、結局ほとんど雑談に終わった気がするんだが、あれに何か意味があったのか?」
「そこまで深くは考えていませんでしたが」
提督は少し悩むように顎に手を当てて眉間に皺を寄せる。
「ま、強いて言えば、磯風に私達のことを知ってもらいたかった、ですかね?」
「なんのために?」
「決まってるじゃないですか、あなたと仲良くなるためですよ!」
提督は笑顔でそう断言した。
これには刑務官ももう呆れて声も出ない。後ろで矢矧と天龍もため息をついているが、その表情はどこか満足気である。
「それに、ほら、私達の鎮守府これで全員でして、皆友達少ないんですよ」
「し、失礼ね! ボッチは提督だけでしょう!」
「ボッチじゃないですしッ! 少ないだけですし!」
「はっはっは、不毛な争いだぜ」
その三人のやり取りがあまりに自然体で、アクリル板越しに見ている磯風にも彼らの間に堅い絆が結ばれていることがわかった。
その姿が、どことなく谷風、浜風、浦風に重なって、磯風は悲痛に歪みそうになる顔を苦笑に抑えて言った。
「だからって、死刑囚と仲良くなったって仕方ないだろう」
「だから、私達が助けに来ました」
「まだ言うか」
「少将殿!」
刑務官の悲痛な叫びに慌てて口を塞ぐと、提督は彼に頭を下げてそそくさと面会室から逃げるように出て行った。
「全く、あの方は……あまり本気にしないように。では戻るぞ」
――だって、あなたは何も悪くないじゃないですか!
「……まだ、私にああ言ってくれる人がいたんだな」
「何か言ったか?」
「いや、独り言だ。なんでもない」
再び刑務官に連れられ、また暗く冷たい独房に戻される中、磯風の表情は面会前よりもほんの僅か、明るさを取り戻しているように見えた。
☆
「掴みはバッチリですね! これで磯風もきっとウチにすぐ馴染めるはずです!」
「普通に雑談しただけじゃねぇか」
「むしろあの刑務官さんが優しくなかったら開始五分で追い出されてるわよ、私達」
刑務所を出てガッツポーズをとる提督に即座に天龍と矢矧から駄目だしが入る。
「で、あそこまで言い切ったからには磯風の死刑判決、覆す手はあるのよね?」
「おっし、提督! 俺は何すりゃいいんだ? あいつ助けるためならなんでもするぜ!」
「おお、二人ともかなり意欲的ですね」
思わずたじろぐ提督に二人は言った。
「ええ、あんな絶望と諦めに引きつった笑顔、子供がしていい顔じゃない」
「あいつ、もう何も信じられないから、何にも頼れなくなってんだ。とても見てらんねぇよ」
「同感です。私も直接磯風と話して確信しました。彼女は何も悪くない。ならば、助けなければなりません。それが、七丈島鎮守府のやり方です」
三人が頷き合う。
すると、提督は柄にもなく悪人じみた笑みを浮かべて言った。
「では、始めましょうか。磯風の脱獄作戦を!」
磯風の着任編です。
次話で終わる予定です。なるはやであげます。