七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
磯風脱獄大作戦




第七十話「あなたは、生きるべき人間なんです」

 独房の中の私の視界には、しとしと降り続ける雨が映っている。

 私はそれが現実のものではないと知っている。

 誰も濡らすこともなければ冷たさも感じないこの雨は私の心が見せる幻。谷風と浜風の命を奪ったあの日から、私の目には幻の雨が映りこんでいた。

 この雨粒は熱の代わりに生きる活力そのものを奪っていく。きっとこの雨は私の悲壮、絶望、後悔、全ての負の感情の塊なのだ。

 そんな雨に絶えず降られた私は、自分を地獄の底へ叩き落とした張本人への怒りすら枯れ果て、生きることが辛くなっていた。

その根底にあったのは、家族同然の友を二人もこの手で殺めた私は死んで当然の存在なのだという、そんな今更な罪悪感だった。

 

「…………死刑は、いつなんだろうな」

 

 生きていることは辛かった。しかし、かと言って死が怖くないのかと問われれば決してそうではない。

 暗い独房の中心で膝を抱えて丸くなり、小声で呟く私の声と体は刻一刻と迫る死の瞬間に恐怖し、震えている。

 生の辛苦に悶え、死の恐怖に震える。私という存在はいよいよ逃げ場を失い、崩壊が始まりつつあった。

 

「――磯風、立て。お前に面会だ」

 

 軍法会議で極刑判決を言い渡されてから二日程経った時、私の元に名も顔も知らぬ提督が訪ねて来た。

 男は二人の艦娘を連れた眼鏡くらいしか特徴の見て取れない、印象の薄い男だった。

 

「お待たせしました、磯風。私達はあなたを助けるためにやってきました」

 

彼を私は一貫して拒絶した。

 恐ろしかったからだ。

 彼の真意がわからないから、彼の無償の善意がかの犬見誠一郎とそれにまつわる悲劇を思い出させるには十分だったから。

しかし、それ以上に恐ろしかったことは、彼が私を生かそうとしていることだ。

 生きる資格を持たない私が、生き続けるということがどれだけ恐ろしいことか。

 それは、一生消えぬ罪悪感と葛藤に心を擦り減らし続ける生き地獄だ。それをあとどれだけ途方もない時間耐え続けなければならないのかと考えると気が狂いそうだった。

なるべく顔に出さないようには努めたつもりではあったが、この時の私は男の両隣に座っていた艦娘の反応を見るに相当に酷い表情をしていたようだ。

 しかし、彼は笑みと共に、そんな私の内心を察したかのように言った。

 

「だって、あなたは何も悪くないじゃないですか!」

 

 その一言が、まるで私の全てを肯定してくれているようで。

 その一瞬だけ、絶え間なく振り続けた雨が、止んだ。

 

 

「――さて、そろそろ刑務所の見回りの交代時間ですね……行きますか」

 

 深夜、提督は時計を確認すると刑務所裏手のフェンスに手をかけた。

 

「2メートルくらいですか……上の方に有刺鉄線がありますけど、まぁ、この程度ならなんとかなるでしょう」

 

 そう言いつつ数秒でほとんど音もたてずにフェンスを登り切り、刑務所の敷地内に降り立つと、周りを見回して、建物の裏口に向かって走る。

 すぐに裏口の扉の鍵を開けて中に入ろうとしている二人の刑務官を見つけると、提督は彼らに音もなく近づく。

 

「あ、すみません、私も入れていただけますか?」

「お、提督さんもいたんですかい、ほら早く入ってください」

「どうもすみません」

「さて、あとは見回り交代して俺達の仕事は終わりだ。どうよ、これから飲みにでも行かねぇか?」

「お、いいねぇ! 一昨日いい店見つけたんだ、そこ行こうぜ」

「いいですねぇ、やっぱり仕事終わりのお酒は格別ですからね」

「流石、わかってらっしゃる!」

「そうそう、あのビールの喉ごし! あれがまた週末だとさらに違うんだ!」

「ええ、わかります、わかりますとも。私、最近は秘書艦にお酒止められてるんで、あの味が恋しいですよ」

「うわ、そりゃ可哀そうだなぁ!」

「いいじゃないですか、提督さんも今日くらいこっそり飲みに――――ん!?」

 

 刑務官二人は刑務所の廊下の真ん中で同時に立ち止まり、驚きと困惑のあまりそれから声がでずにいた。

 彼らは自分達と一緒に裏口から刑務所内に入った侵入者の存在に気が付いていたし、相手が侵入者だと認識したうえで会話していた。

 そんな不自然すぎる状況を微塵も不自然だと思えなかった自分達に驚きを隠せなかった。

 

「あんたは――――がっ!」

「ぐえ!」

 

 にっこりと笑顔を浮かべた提督に刑務官達は手刀の一撃で沈められる。

 

「さて、磯風はどこにいるんでしょうか……とりあえず誰かに聞いてみましょうか」

 

 そう言って適当な部屋に入ると、中にいた男性に提督はまるで自分が侵入者であることなど忘れているかのように口を開いた。

 

「お疲れ様です、罪艦の磯風ってどこにいるかご存じないですか?」

「あ、提督さんお疲れ様です。あれなら確か地下三階の最奥の独房――――あれ?」

「ありがとうございます」

 

 部屋の中で資料整理をしていたらしい刑務官の鳩尾に拳を叩き込んで気絶させると提督は地下三階の独房を目指して走り出した。

 

 

「おいおい、提督ほんとに単身で乗り込んでいっちまったぞ、大丈夫かよ、おい」

「ま、大丈夫でしょ」

「お前、なんでそんな余裕そうなんだよ」

 

 提督の指示通り刑務所から最寄りの港でボートをレンタルした矢矧と天龍はボートの中で買ってきたコンビニ弁当で遅めの夕食を摂りながら提督の帰りを待っていた。

 

「いくらなんでも刑務所に侵入して磯風連れて脱獄なんざ、普通無理だろ」

「ウチの提督は普通じゃないでしょ? あなただって鎮守府着任初日にフルボッコにされたじゃない」

「あれは陸だったからだ!」

「陸上での戦闘とはいえ提督は素手、あなたは刀使って完敗じゃ言い訳にならないわよ」

「ぐぬぬ……!」

 

 悔しそうに矢矧を睨む天龍を他所に矢矧はから揚げを口の中に放り込む。

 

「ま、大丈夫よ。あなたを迎えに行った時もなんやかんやしてなんとかなったんだから、今回もなんやかんや大丈夫なのよ」

「何そのふわっふわした説明!?」

「あなたにもいずれわかる時が来るわ」

「お前の提督に対するその特に理由のない全幅の信頼なんなんだよ。ちょっと怖ぇよ」

「フフ怖?」

「フフ怖ってなんだよ! やかましいわ!」

 

 

「…………誰だ」

「あれ、音は立ててなかったつもりだったんですけど……よくわかりましたね」

「気配がした、気がした」

 

 磯風は布団から体を起こして鉄格子の外に立つ男性を見て目を丸くした。

 

「何故あなたがここにいる」

「言ったじゃないですか、また来ますって」

「まさか独房まで訪ねてきてもらえるとは思っていなかったな」

「さぁ、磯風、逃げましょう! レッツ脱獄!」

「…………」

 

 提督の手にはどこからくすねてきたのか独房の鍵が握られている。

 しかし、磯風は何か考えあぐねるように顔を俯けたままだった。

 

「どうしました?」

「提督、私はな、友人を二人、この手で殺しているんだ」

「ええ」

「それ以来な、夢にあの二人が出てくるんだ。よくも殺したなって、私に怒っているんだ」

「ええ」

「なぁ、確かに私は中将のことを暗殺していないし、薬物の件も含めて犬見誠一郎の企みでその罪を被らされただけだ。でもな、あの二人を殺したのは、間違いなく私なんだ」

 

 磯風は体を震わせながら顔を上げて提督に尋ねた。

 

「ならば、私は死ぬべき人間なんじゃないのか?」

「いえ、違います」

 

 磯風の問いを提督はそう即答した。

 

「でも、私が生きているなんて――――」

「あなたが死んだところで殺した友人は帰ってきませんよね」

「…………」

 

 再び磯風は俯く。提督はそんな彼女に追いうちをかけるように厳しい表情で言葉を続けた。

 

「あなたが友人を殺したことを本当に悔いているのなら、死んで楽になることは許されない。むしろ、あなたは生きて悔い続けなければならない」

「……厳しいな、提督は」

「そうです。私は厳しいので絶対にあなたを死なせてあげません」

 

 苦しそうな表情の磯風に提督は一転して優しい笑みを浮かべて口を開いた。

 

「あなたは、生きるべき人間なんです」

「……生きなきゃ、ダメか」

「はい」

「……生きてて、いいのか?」

「勿論です」

「…………う」

「う?」

「――うわああああああん!」

「え!? ちょ!? ブレーカー落としたとはいえ、流石に見つかっちゃいます! やばい! ちょ、磯風! 今はちょっと、マジやばいです!」

 

 ずっと死ぬしかないと自分を追い詰めていた。こんな罪悪感を背負って生きていくのも御免だと思っていた。

 だが、そんな身勝手な思い上がりは、提督に阻まれた。

 殺した二人の命を背負って、生きて償い続けろと、苦しみ続けろと言われた。

 それでも生きていて欲しいと、言ってくれた。

 それが嬉しいのか悲しいのか、あるいは両方なのか磯風にはわからなかったが、彼女は泣かずにはいられなかった。

 

 

「うお、本当に磯風連れて帰ってきやがった!?」

「だから言ったでしょ、大丈夫だって」

「すみません、脱出に手間取って時間がかかりました」

「わ、私の泣き声のせいだな……すまない」

「大丈夫です! むしろ制圧する手間が省けましたし!」

「制圧したのか……」

「所長が会食とかでいなかったせいか統率取れてなくてやりやすかったです」

「あの所長には何もしてやれなかったのは癪ね」

「大丈夫です、矢矧。あの人の刻み煙草をびしょ濡れにしてやりましたよ」

「グッジョブです、提督」

「無邪気か」

 

 その後、提督がボートを運転している最中、磯風は罪艦となるまでの経緯を、犬見誠一郎との一件を話した。

 提督に尋ねられたこともあったが、一番は磯風が仲間に対して誠意を見せるべきだと判断したためだった。

 一通り話を終えた時、矢矧と天龍は目に涙を溜めて磯風に抱き着いてきた。

 

「あなたも色々苦労してるのねっ!」

「うおお、お前こんな小せぇ癖してよぉ、よく折れずに頑張ったなぁ!」

「あ、ああ……ありがとう……?」

「大丈夫よ、これからは私達が味方だからね! 磯風!」

「そうだぜ! 何でも頼ってくれていいんだぜ! 磯風!」

 

 早くも矢矧と天龍に可愛がられ、恥ずかしそうにしている磯風を見て、提督は嬉しそうに笑っていた。

 そして数時間後。

 

「――さて、やっと横須賀に着きましたか!」

「ん? ここで下りんのかよ?」

「どうせなら七丈島までいけばいいじゃない」

「いやいやそういう訳には行きませんよ。まだ、手続きが残ってますから」

 

 そう言って提督は磯風をボートから下ろし、その両手首に何か金属の輪らしきものをかけた。

 それは俗に、手錠と呼ばれるものである。

 

「脱獄囚磯風、逮捕、と」

「……え」

「ええええええええええ!?」

「はあああああああああ!?」

 

 夜明け前の横須賀に天龍と矢矧の大声が響き渡った。

 

 

「どういうことか、納得のいく説明をしていただきたい!」

 

 受話器の向こうで怒鳴る声に対して、提督はげんなりした声で返した。

 

「ですから、所長殿。磯風の『再審』の結果に則り、彼女は七丈島鎮守府へ『遠島』と判決が下されたのです。『特例』によって」

「な、何故既に判決の下った死刑囚の再審など……!」

「この軍法会議は先の軍法会議で取り上げられた磯風の重罪に加えて、今回の脱獄の罪も罪状に含めた上で改めて処分を決めるためのものですので」

「それが何故死刑から遠島に判決が甘くなるのだッ!」

「それは本軍法会議にて『特例』が適用されましたので」

「貴様……ッ!」

 

 今にも怒りに任せて拳を机に叩きつけんとする刑務所所長の真っ赤な顔が目に浮かぶようであった。

 

「そもそも磯風を脱獄させたのは――――」

「そこまでにしていただきましょう、所長殿」

 

 提督は所長の言葉を威圧的な口調で封殺する。

 

「あの夜、そちらは不幸な停電に見舞われて監視カメラの映像もなにもかも残ってはいなかったと聞いていますが? 何か、証拠でもあるのですか?」

「ぐっ……貴様がブレーカーを落としさえしなければ!」

「それ以上は侮辱罪に問われかねませんよ?」

 

 その言葉で所長もそれ以上は口を閉ざすしかなかった。

 提督は勝ち誇ったように続ける。

 

「偶然そちらで停電が起き、偶然磯風が脱獄し、偶然横須賀で逮捕され、偶然私が軍法会議に参加でき、特例によって磯風は七丈島鎮守府に着任した。それだけの話です」

「随分とできすぎた偶然ですな!」

「では、何かの天啓かもしれませんね?」

「くそっ……ところで何故か私の刻み煙草がびしょ濡れにされてカビが生えていたのですが――――」

「私執務がありますので失礼いたします。後の詳細は文書にして郵送いたしますので」

「な、待たれよ! そんなあからさまに!? やはりあなたが――――」

「――喫煙はあなたにとって肺がんの原因の一つとなりますッ!」

 

 所長はまだ何か怒鳴っていたが、提督は言うだけ言ってそのまま受話器を戻した。

 同時に矢矧が小さい小包を持って執務室に入ってきた。

 

「提督、よろしいですか? 鎮守府宛に荷物が届いているんですけれど」

「ああ、届きましたか。磯風を呼んできてください」

「ん? 私に関係あるものなのか?」

 

 すると、矢矧の背中からひょっこりと磯風が顔を出した。

 

「……何可愛いことしてるんですか」

「ん?」

「え、か、可愛いって……今矢矧に鎮守府ツアーをしてもらっていてな。さっきは食堂を案内してもらってたんだ」

 

 磯風は楽しそうに笑ってそう言った。

 

「お、丁度いいですね。では、早速食堂で腕を振るってもらえますか?」

「ん?」

 

 提督が小包を開けるとそこには三徳包丁が厳重に包装されていた。

 それは、磯風が間宮から貰った因縁の包丁であった。

 

「……もう戻ってこないかと思ってた」

「ええ、少し面倒でしたがなんとか取り戻せました。思う所もあるでしょうが、きっと大切なものだと思ったので」

 

 そう言いながら、包丁を渡す提督を見上げながら磯風は静かに頷いて包丁を受け取る。

 

「ありがとう、提督。私、頑張って生きてみるよ」

「ええ、長生きしてもらいますよ」

「では、この磯風、早速皆に自慢の料理を振舞わせてもらおう! 昼は楽しみにしておくといい」

「ええ、楽しみにしてますよ。磯風!」

「……提督はロリコンなの?」

「なんですか、急に!?」

 

 矢矧と提督が口論を始めた所で磯風は意気揚々と食堂へと走っていった。

 彼女の視界に、もう雨は降っていない。

 

 




 ちなみに、この数時間後、磯風の料理によって提督、矢矧、天龍が全員意識と記憶を失う第一次磯風インパクトが起こることになるのだが、それはまた別の話である。



なるはやであげるとか言っておいて普通に遅くなったことをここに謝罪します。
申し訳ありませんorz

次回はまた日常コメディ回。
そろそろ主人公さんに主人公してもらう予定。


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