七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
もう女将さん一人で良かったんじゃないかな




天龍編
第七十五話「……天龍ちゃん、よね?」


 私の中で正当なる怒りが燃え盛っていた。

 

「――第一から第四区画まで今すぐ閉鎖しろ! 区画内の職員の避難は待たなくて構わん!」

「駄目です! 第四区画、隔壁突破されました! DW-1、さらに加速して第三区画を進行中!」

「やはり、人間用の隔壁では時間稼ぎにもならんか……!」

「このままでは一時間持たずに地上へ到達します!」

「ならぬ! なんとしてでもそれだけは防ぐのだ!」

 

 既に戦闘員らしき職員は全員片づけた。他の職員は誰もかれも私を恐れて震えるばかりだった。涙を流してみっともなく命乞いまで始めた者までいた。

普段、白衣をまとって冷たい目で私を見つめる彼らを知っている身としては随分と滑稽に見えて、笑いすらこみ上げる。

 

「――現時刻をもって第二、第三区画を放棄! 二区画をガスで満たせ!」

 

 建物の中を歩いていると、少し、肌がひりついてきた。意識もぼうっとして、息もしにくくなって、気持ちが悪い。

 だが、それも私の足を止めるほどの障害ではない。

 

「……駄目です! 催眠性、神経性、糜爛性、いずれも効果ありません! 目標の速度、尚も上昇中!」

「化け物め……!」

「DW-1、第一区画に到達します!」

 

 きっとあと少しだ、ほのかに潮の香がする。私達の海の匂いがする。

 

「ひっ……」

「ついに、ここまで来させてしまったか……!」

 

 管制室らしい様々な機器とモニターで埋め尽くされた部屋に、数人のオペレーターと恐らくはこの施設の最高責任者らしき軍服の中年男性が私を睨みつけているのが見える。

 

「ここで貴様を地上に出すわけにはいかん、陸軍の威信をかけて、この私が差し違えてでも貴様を殺す!」

 

 それが銃を構えた男の最期の言葉だった。

 そして、私は解放された。

 どうやら地下にあったらしい、その施設を脱出した私の目の前に雄大な海が目の前に広がっている。成程、潮の香がしたのはここが港の倉庫にカモフラージュして作られた研究所であったためなのだろう。

 あまりの喜びに頬の緩みより先に目から涙が流れてくる。

 

「ああ、これでやっと、帰れる……待っててね、天龍ちゃん」

 

 私は最愛の彼女の名前を呼んで、海面に足をつけた。

 

 

「――では、次の議題は前回保留のままとなった軍事予算についてだが」

「儂からは前回通り、陸軍の予算縮小、海軍の予算増額の案を推す」

 

 大本営会議。その場で誰よりも強大で禍々しいオーラをまき散らす老人は悪辣な笑みを浮かべながら予算案を提示した。

 軍令部長、またの呼称を海軍元帥。かの横須賀艦隊の提督である。

 

「今の戦争には海軍の力のみであれば良いことは儂がこの椅子に座ってから幾度となく論じた主張。それは諸君らもよく知っている筈じゃな? ここで海軍の挙げた戦果の数々を語るのも良いが、いささか陸軍には耳の痛い話であろうから今更言わぬ。当然、異論はない筈であろうな?」

 

 例えるならば虎。彼が言葉の終わりと同時に視線を周囲に向ければ誰もが目を伏せて何も言わない。

 否、一人だけ、この状況の中、元帥に反論の声を真っ向からあげる者がいた。

 

「陸軍としては、海軍の意見に反対である」

 

 陸軍、参謀総長であった。葉巻を咥えた小太りの狸を思わせる風貌の初老の男性は張り付いたような笑みを浮かべて元帥と真っ向から睨み合う。

 

「ほう? 他ならぬ陸軍から声が挙がるとはな」

「ほっほっほ、いやいや、実際反対という程のものでもありませぬがね。ただ、我らがまるで何の戦果もあげぬただ飯食らいのように表現されては、こちらも面子が立ちませぬのでね、少しばかり訂正をと」

「訂正する場所などあったか、何の戦果もあげぬただ飯食らい」

 

 両者の睨み合いにますます場の緊張が高まる。最早、元帥と参謀総長以外の発言など許されない空気。

 誰もが冷や汗を滲ませながら二人の行く末を見守っている。

 

「ほっほっほ、聞いておりますよ。ここ数ヶ月、突発的に発生する深海棲艦の近海出没。いくらか手を焼いていらっしゃるようで」

「…………」

「例えば、舞鶴鎮守府の方では、主力が遠方へ出撃していたために対応にいささか遅れが出たとか。その際、我が陸軍が深海棲艦の撃退や住民の避難にいくらか貢献したと報告が来ていますよ?」

「ふん、あそこの提督がたるんでいただけのこと。横須賀であのような失態は起きぬ」

「ほう、陸軍はたるみなどあり得ませぬがな」

 

 元帥の眉間の皺が深くなる。

 

「さらに、佐世保の方では陸軍との共同作戦にて突発的な深海棲艦の出没に対応したとか」

「……海老名、あの馬鹿め」

 

 元帥も流石にこれには嘆息を禁じ得ないようで、参謀総長の笑みはますます深まる。

 

「まぁ、海軍の方々は日々深海棲艦との戦いでお疲れになっているのでありましょうなぁ。少しばかり隙ができてしまうのも致し方のないことでしょう。なればこそ、我らがその隙を埋めて差し上げようと思いますが、いかがか?」

「不要だ」

「そうは言われましてもな。現状はやはり海軍だけでは万全とはいかないのでは? 海軍の方には深海棲艦に勝つことだけでなく、国民の安全も考えていただきたいものですな」

 

 議論は完全に陸軍側のペースだった。

 

「どうでしょう。陸軍の意見としてはですな。今の問題が解決するまでは予算はこれまで通り現状維持としたいのですがな」

 

 陸軍の予算縮小も海軍の予算増額もなし。同額の予算で決定する形に収まろうとしている。それは元帥の意見とは完全にそぐわぬ形である。

 

「…………ふん、狸め。思惑通りに事が運んで相当に機嫌が良いと見える」

「どういう意味でしょう?」

「儂がこの件について何も気づいておらぬとでも思ったか? これまで起こった突発的出没の記録。深海棲艦出没から陸軍の出動まで、どう考えても対応があまりに早すぎる。まるで、深海棲艦が出現する場所とタイミングを予知していたかのようだ」

「我々の日頃のたゆまぬ鍛錬の成果と受け取っていただきたいですな」

「貴様ら、裏で何をやっておる?」

「ほっほっほ、何の話やら」

 

 参謀総長の表情は常に笑顔で何も読み取れない。

 元帥が痺れを切らし始めたその時であった。

 突然、勢いよく会議室の扉が開かれた。

 

「愚か者、会議中だ!」

 

 元帥の怒号に、入ってきた軍服の青年は体を強張らせて直立する。

 

「も、申し訳ありません! 参謀総長殿に緊急の伝令です!」

「おやおや、緊急とは何事でしょう」

 

 参謀総長は青年に近づき伝令の書状を受け取りその内容に目を通す。

 その時、一瞬彼の眉がピクリと動きを見せたのを元帥は捉えた。

 

「……失礼、本会議はここで中断とさせていただきたい。続きは次回の会議でお願いいたしまする」

 

 その言葉を最後に、半ば強引に会議を中断させ、参謀総長は席を立ってしまった。

 

「ふむ……成程な」

 

 そして、その姿を見て、元帥はニヤリと笑みを浮かべるのであった。

 

 

「――そんな訳で、この前は陸軍との共同作戦があって後処理でちょっとごたついてるんでちよ。しばらく出撃もなく、久々の休日ってわけでち」

「へぇー、突然深海棲艦が出没ねぇ」

「しかも鎮守府近海にってせっこいわねー」

「いや、本土の方は大変なんだな」

「お前ら他人事じゃないでちからな!?」

 

 今日は七丈島鎮守府に伊58がやってきていた。

 

「それにしても、海老名大将は陸軍の方とは仲がいいのね? 上の方は結構陸と海で対立が激しいって聞いていたのだけれど」

「あー、他の所は割とそんな感じのとこばっかかもしれないでちなぁ。海老名ちゃんは例外でち。何故かくっそ仲良いでちよ。普通に共同作戦の後皆で宴会やってたでち」

「いいことじゃないですか」

 

 陸軍と海軍の競争意識を発端にした対立は今に始まったことではなく、上層部ではかなり根が深い。

 今のところ海軍のお荷物的評価を払拭しきれない七丈島鎮守府の提督でさえ、陸軍の士官にはキツい当たりをされてしまうというのだから佐世保鎮守府のその現状には目を見張るものがある。

 

「そういえば、ここには憲兵っていないでちな」

「ああ、確かにな」

「こんな平和な島に来たところでなぁ。やりがいもねぇし、何よりあの提督じゃなぁ」

「暇になるでしょうねぇ」

 

 あの提督が海軍懲罰令に引っかかるような不祥事など起こしようがないという確信がその場の全員にあった。

 

「そういえば、お前らここには予備戦力で集められてるんでちな」

 

 しばらく時間が経過した後、唐突に伊58が口を開いた。

 

「おう、そうだな」

「まぁ、犬見の主力艦隊を相手にあっさり勝利して見せたあの腕前からお前らが強いことに疑いは持ってないでち。で、ちょっと気になったんでちが、七丈島鎮守府で一番強いのって誰でちか?」

 

 即座に天龍が自信満々の笑みで手をあげた。

 

「やっぱ俺だろ!」

「え、天龍が? ないわー」

「天龍は正直私も一番ではないと思うぞ」

「天龍? なんで? 一番はお姉さまだよ?」

「い、いや、私そもそも戦えませんから!」

「それはそれとして天龍はないわね」

「お前ら」

 

 ほぼ全員からことごとく否定の言葉を浴びせられ、天龍は割とショックを受けていた。

 

「特に根拠なく自分で最強名乗るとか大体死亡フラグよ」

「ああ、倒された後に他の四天王から『ククク、奴は四天王の中でも最弱』とかいわれちゃう奴ですね」

「四天王って誰だよ!? それに根拠ならあるぜ、『O.C.E.A.N(オーシャン)ランキング』だ!」

 

 天龍が聞きなれない単語を叫ぶが、それに反応していたのは矢矧と伊58だけであった。

 

「え!? 何、お前ら知らねぇの!? 艦娘なのに!?」

「何それ」

「聞き覚えがないな」

「聞いたことありませんね」

「私もぉ」

「海戦における深海棲艦制圧能力ランキング。略してO.C.E.A.Nランキング。要は全艦娘を個人の戦闘力で序列付けしたものよ」

 

 対象となるのは各国の大本営データベースに集められた艦娘の個人戦果。それらのデータを元に艦娘個人の深海棲艦制圧能力を数値化し、統合して、序列をつけたものである。

 

「へぇ、そんなものがあったんですねぇ」

「一般公開されてるでちから誰でもネットから見れるでちよ」

 

 そう言いながら伊58はどこから取り出したのかスマホを操作し始める。

 

「まぁ、艦娘の技術は日本が先駆けでち、やっぱランキング上位は日本の艦娘が独占って感じでちな」

「一昔前まではWarspiteとかBismarckとか海外勢でもすげぇ奴らがいたんだがな」

「で、それに私達はいるんですか?」

「……いないでちな。ランキング圏外でち」

 

 伊58はフリック操作をしながら呟く。それに天龍が大げさにテーブルを叩いて抗議する。

 

「はぁ!? そんな訳ねぇだろ! そりゃここ数年は戦果0だろうが、ランキング自体に載ってないはずはねぇ!」

「いや、除外されてるのよ、私達七丈島鎮守府の艦娘はね。当然でしょう? 罪艦なんだから」

「まぁ、そりゃそうよね」

「じゃあ8年、いや、10年前まで遡れねぇか!?」

 

 天龍が必死に食い下がる。

 

「めっちゃ必死だな、天龍」

「舐められたままじゃ納得いかねぇ!」

「毎年更新でちから、10回前のランキングを見れば……お、でた、うえ!?」

 

 伊58が呆れたように10年前のランキングを検索していると、突然、目を見開いて大仰な声をあげる。

 

「どうした、伊58。なにかあったのか?」

「い、いや、天龍って10年前は舞鶴にいたんでちか?」

「おう、そうだぜ?」

「じゃあ、多分間違いないでちな……」

「え、なんですか? 天龍載ってたんですか?」

 

 伊58が未だ信じられないという顔で大和達にスマホ画面を見せる。

 そこには――――

 

「はぁ!? 天龍が9位ぃ!?」

「嘘だろ、天龍」

「にわかには信じがたいわね」

「いや、これ別の天龍じゃないんですか?」

「お前ら、ぶっ飛ばすぞ」

 

 全く信じていない七丈島艦隊の面々の反応に天龍は拳を固め始めた。

 

「わかったか? 俺は結構強いんだぜ? お前らにはそうは見えてなかったみてぇだけどな!」

「いや、まだ信じてないから」

「ドッキリなんだろ、天龍?」

「正直にいいなさい。不正したんでしょ?」

「いや、だからこれ別の天龍じゃないんですか?」

「よーし、お前ら歯を食いしばれ」

 

 結局殴りかかろうとした寸前に矢矧がスタンリングを起動して天龍の拳骨は不発に終わった。

 

「お前らもういいわ! 釣り行って来る! バーカバーカ!」

「うわ、涙目ですっごい拗ねてますよ? いいんですか、あれ?」

「バーカバーカって、ウケるわぁ」

「夕飯の時間には機嫌直ってるわよ、どうせ」

「そうだね! 天龍だしね!」

「では、今日は天龍のために私が腕を振るわせてもらおうか!」

「積極的にトドメ刺しに行くのはやめて差しあげろでち」

 

 特に心配もされない天龍の扱いに、信頼の裏返しなのか、普通に仲が悪いのか困惑する伊58であった。

 

 

「――ったくよー、なんで俺はあいつらにあんな舐められてんだ? 結構バトルでは活躍してんじゃんよー、チクショー。いっそ昔みてぇに髪伸ばすか?」

 

 最初こそ釣り糸をたらしながら一人で恨み言をぼやく天龍は、しかし三十分も経つ頃には既に怒りも消え失せていた。

 

「はー、しっかし、今日もいい天気だぜ」

 

 流れる雲をぼーっと見つめながら天龍はおもむろに左目の眼帯をとる。普段眼帯で覆われた左目周辺に潮風があたり、少し気持ちがいい。

 天龍の左目はとある事件以降、盲目となっている。

 光を映さなくなった左目に手を伸ばせば、いまだ抉れた古傷が残されているのが感触でわかる。それは鋭い刃物で斬りつけられたような古傷に見えた。

 

「平和だねぇ。平和過ぎて怖いくらいだぜ」

 

 ふと、耳に届いたのは、数人の男達の声。声の方に視線をずらしてやると、漁師達が集まって何かを話しているようだった。

 釣り糸に獲物がかかる気配もなく、退屈していた天龍は眼帯をつけなおすと、漁師達の方に向かって手を振りながら歩み寄る。

 

「おーい、漁師のおっさん、なんかあったのかよ?」

「おう、天龍! 実は漁に出てたらとんでもねぇもんが網にかかっちまってな」

「とんでもねぇもん?」

「――天、龍?」

 

 ふと、漁師の誰とも違う琴線を弾いたような高く、美しい声色が聞こえた。

 それは漁師達の集まっている中心あたりから聞こえてきたかと思うと、彼らを押しのけて、天龍の前に姿を現す。

 

「……天龍ちゃん、よね?」

「お前……!?」

 

 天龍と同じ紫がかった黒の髪と同色の瞳。それは、天龍型の艦娘に共通する特徴。

 天龍と異なるのは、髪はセミロングで、両目は眠たそうな垂れ目気味の半眼、左頬に泣きぼくろがある点。

 何より、彼女の右腕の火傷跡。

 天龍にとってそれは見間違えようのない人物だった。

 

「龍田……!」

「あ~、やっぱり天龍ちゃんだぁ。久しぶりね~」

 

 龍田と呼ばれた彼女は驚く天龍に向けて嬉しそうな笑顔を見せた。

 

 




天龍編、開幕です。



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