神は死んだ。
さて、磯風が大和と提督の怪しげな――具体的にはR18タグが付きかねなさそうな会話を聞く直前、倉庫内に居た大和と提督の間ではこんなやり取りが行われていた。
「提督、次の棚の物品は――――」
「わぁ、見てください、大和! 懐かしいものがたくさん出てきましたよ」
「仕事しましょうよ!?」
物品の数や所在を確認するどころか、棚の段ボールを開けてみては少年のような無邪気な笑顔を浮かべるいい歳した青年の姿がそこにはあった。
「ほら、モ●ポリーとか人生●ームとか、ドン●ャラとか色々出てきました!」
「うわ、本当に懐かしい……って、提督! 今は仕事中ですから、後段ボールの中身散らかさないでくださいよ!」
段ボールから次々と中身を取り出してはにやつく提督。
それを必死に止める大和。しかし、いかんせん大和は提督に厳しくできない。もしここに矢矧がいてくれたならこんな程度の問題は三秒で片付いていただろう。
矢矧が提督の肩を叩く、提督の顔が青ざめる、提督が土下座する。合計三秒である。
しかし、今はここに矢矧はいない。彼女は今頃第二倉庫の整理作業にあたっている。つまり、今この提督の暴走を止められる人間はこの場にはいないのである。
そしてこれが提督の思惑通りであることを大和は知らない。
「――提督、何考えてるんですか……こんな所で!」
自分を止める者がいない提督はここぞとばかりに段ボールの中にあった娯楽用品の一つを開封し始める。
箱の前には『ジェ●ガ』と書かれていた。一昔前に流行った、大量の木のブロックで組まれた如何にも不安定そうな直方体のタワーからブロックを順番に抜き取り、タワーの頂上にのせる、という文面にすると何とも面白味が感じられない単純なゲームなのだが、これが実際にやってみると中々戦略性と緊張感に溢れており、非常に面白い。
現在でも個人の家に大勢で集まった時にやるパーティーグッズとして時折目にする事もある。
試しに出してみれば、何それ懐かしい、から始まり、童心に帰って皆で大いに盛り上がること請け合いである。
特に男女混合で四人以上が集まると、いつ崩れるとしれないジェ●ガの緊張感による吊り橋効果も期待でき、それが飲み会ともなればもうジェ●ガによってカップルが生まれるであろうことは火を見るよりも明らかと言える。多分。
「すみません。でも、もう我慢できないんです!」
提督はジェ●ガの箱を開け、中に入っていた木のブロックを積み上げ始める。
「ちょ、やめてください! こんな所、誰かに見られたら!」
「別に私は構いませんッ!」
もうこの提督、ノリノリである。すっかり懐かしのパーティーグッズに忘れかけていた童心を呼び起こされ、夢中になってしまっている。
「一回だけ、一回だけでいいですから!」
大和も今の状態の提督を抑えるよりはむしろさっさと提督の欲望を満たしてしまった方が早いのではないかと考え始め、その首を縦に振った。
実は心の中で自分も久々にやってみたいという思いもあったことはおくびにも出そうとはしない。
「仕方ないですね。一回したら、ちゃんと仕事してくださいよ?」
「勿論です」
☆
「一回だけ、一回だけでいいですから!」
(一回だけってなんだ!? 何をするつもりなんだ、提督と大和は!?)
一方磯風は扉の隙間から中の様子を除こうと必死に倉庫前に張り付いていた。
傍から見れば不審者にしか見えないが、そんな考えは磯風の脳内に今はない。
「仕方ないですね。一回したら、ちゃんと仕事してくださいよ?」
「勿論です」
(いいのか!? 大和、それでいいのか本当に!? そういうのは、その、もっと大事にすべきなんじゃないのか!?)
磯風も子供とはいえ、そういう方向の知識がない訳ではない。疎いだけである。
なので、今の会話もどこぞの自分の名前を漢字で書いて欲しくて仕方がない軽巡洋艦のように磯風的には全然オッケーなどとはいかないのだが、彼女は依然として扉に張り付くことをやめなかった。
恥ずかしさや気遣いから扉の前から離れ、そっとしておくでもなく、鎮守府内で起ころうとしている不祥事を止めるべく、今すぐ扉を開いて怒鳴りつけるでもない。
詰まる所この少女、興味津々である。
(くそ、やはり、中の様子は見えないな……)
「じゃあ、私からいきますね」
「はぁ、どうぞ」
(私から!? どっちからとか決まりがあるのか、知らなかった! しかも何で大和は妙に落ち着いているというか、だらけた感じなんだ!? まさか、経験豊富ということか!?)
実際はジェ●ガタワーを作り終え、ゲームを開始しようというだけのやりとりなのだが、磯風の中では別のゲームが始まっていた。
「じゃ、次、大和の番ですね」
「はい」
(え、もう終わり!? 今の数秒で一体提督は何をしていたんだ!?)
ジェ●ガのブロックを一つ取り、タワーの上に乗せただけである。
「おお、そんな所を攻めてきますか」
(どこだ!?)
「実は私、これ結構得意なんですよ」
(やっぱり、遊び慣れてるんだな!?)
ジェ●ガを、だが。
その後もしばらくゲームは続く。
「じゃあ、ここはどうですか!」
「うわ、今凄い揺れましたよ、大和!」
(揺れた!? 何が!?)
タワーが。
「提督、私なんだか、ドキドキしてきました」
「私もです」
(うわー、うわー!)
磯風もドキドキである。
「はい! 提督、どうですか!」
「うわ、もう倒れそうですよ……」
(失神するほど……)
「本当に上手ですねぇ」
「ええ、私、これは小学生の頃からやってましたから!」
(小学生の頃からヤッてた!? わ、私よりも小さい頃から……!?)
もう限界であった。
これ以上は自分には荷が重すぎると磯風はようやく観念して扉から離れた。
身体中が火照って、心臓がこれ以上ない早さで脈打っている。一瞬、私は長生きできないだろうなと確信する程の脈拍数であった。
自分の部屋にでも戻って一旦、頭を冷やそう。そう磯風がふらつきながら倉庫を離れようとしたその時、曲がり角を曲がってやってきたのは、それぞれ倉庫整理を終え、提督に報告にやって来た矢矧と天龍の姿であった。
このままでは大和と提督の秘密のゲームを二人に見られてしまうかも知れない。磯風は迷いなく二人の前に足を踏み出した。
二人の尊厳と愛を守るために。
実際、彼女が守っているのは倒れかけのジェ●ガタワーに過ぎないのだが、彼女がそんなことを知る由はない。
「止まれ」
「ん? おう、磯風じゃねーか! どうしたこんな所で?」
「ここを通りたくば、私を倒していくんだな!」
「何その中ボスみたいな台詞!?」
いつもとは明らかに違う磯風のテンションと言動に思わず、二人は後ずさってしまった。
この時天龍は。
(もしかして、チャンバラごっこみてーのがやりてぇのか? こいつもなんだかんだ言ってまだまだ子供だよなぁ)
一方で矢矧は。
(どうしようかしら、風邪薬ってまだあったかしら……取り敢えず顔が赤いし、まずは熱を計って、それから布団で寝かしときましょう)
と、二人とも磯風の内心など察する余地もなく、それぞれ勝手なことを考えていた。
「わかった、わかった。俺も刀取ってきてから後で付き合ってやるから今はそこ通してくれよ」
「まずは熱を計りましょうね。それから薬のんで、お昼にはおかゆとかを作ってあげるわ」
「お前達は何を言っているんだ!?」
限られた情報での意思疎通は非常に難しい。
「今、そこの倉庫で提督と大和が居る筈なんだよ。どうせ、まだ倉庫整理やってんだろ?」
「待ってくれ、天龍! 違うんだ、やってるけどやってないんだ! だから今はそっとしておいてくれ!」
「いや、何もかも訳が分からねぇよ!?」
必死に天龍の裾にしがみつく磯風に天龍は困った様子で彼女を見る。
磯風としてもどうにか上手い言い訳を考えて、スムーズに二人を帰したかったのだが、いかんせん磯風には荷が重い。
その様子を見て、矢矧は言った。
「磯風、何があったのか話してみなさい」
「う……」
「話して」
「はい……」
矢矧のまるで子供を諭す母親のような視線に耐え兼ね、磯風は全てを暴露した。
それから天龍と矢矧の顔が真っ赤に染まるまでは一瞬であった。
☆
「あ、崩れちゃいました」
「やった! 私の勝ちですね!」
「ん? 何やら外が騒がしいような……」
崩れたブロックをしまいながら、提督と大和は依然、ゲームの余韻に浸っていた。現在外で何が起こっているかなど微塵たりとも知らない。本当にご愁傷様である。
「もしかしたら、矢矧達が来たのかもしれません! 急いで片付けましょう!」
「全然倉庫整理終わってないんですけれど……」
「そんなのもう適当で大丈夫です! どうせ倉庫の物品変わってませんし!」
「ええ……」
二人がジェンガを片付け、辺りに散らかっている娯楽用品諸々を段ボールに戻して片付け終わるのと、まるでトマトのように顔を真っ赤にして激怒した矢矧が扉を開いたのがほぼ同時であった。
「提督! あなた、なんてことを!」
「え、いや、な、何をそんなに怒っているんですか……?」
これ以上にない怒声と共に矢矧は提督の胸倉を掴み、いとも容易く提督の身体を持ち上げた。
「しらばっくれないでッ! 全て、磯風が見ていたのよ!」
「う……」
「あ、あの、それは……」
「大和は黙っていて!」
「ひゃい!」
戦艦を一喝して圧倒できる軽巡はどの鎮守府を見てもここの矢矧だけであろうと全員が思った。
「す、すみません……つい、出来心で……」
「そんな言い訳が通じると思っているの?」
「だって、あれを見たらやりたくなるのは当然じゃないですか!?」
「何を見たのよ、変態ッ!」
「変態!?」
妙に会話がかみ合っているために以前誤解は解けない。
「天龍、あなたも何か言ってやりなさい!」
「え? いや、その……俺は、そういうのは、もっとお互いを深く知り合ってからの方が……いや、二人が幸せなら別に俺は、口出しする気も……でも、順序ってものがあるし……」
誰だ、この天龍によく似た乙女は。その場にいた全員がそう思ったに違いない。
身体をもじもじさせ、顔を赤らめて俯く彼女は別人のようにしおらしくなっていた。
(急に彼女の発育の良い胸とミニスカートが妙に存在感を主張してくる。何故だ)
(急に天龍が可愛く見えるわ。何故かしら?)
これが噂のギャップ萌えである。
「と、とにかく! この罪は重いわよ! あなたは、あなただけは、そういう事はしない人だと信じていたのに!」
最早、その目に涙が溜まり始めるのを見て、流石の提督も大いに焦り始める。
土下座でもしようかと考えたが、絶賛胸倉を掴まれて持ち上げられているのでそれは不可能。万策尽きた。
というかそもそも何で仕事中にサボって遊んでいた位で泣かれているんだろう。自慢じゃないが執務をサボって怒られるのは日常茶飯事みたいなものなのにな。と、ここでようやく提督は矢矧達と自分達の空気の差に気付き始める。
「な、泣くほど怒らなくても……自分で言うのもはばかられますが、こんなこと毎日してるじゃないですか、私」
本当に自分で言うのもはばかられる発言である。
「ま、毎日やっていたの!? あなたって人は……もう、見損なったわ!」
「今更ですか!?」
「や、大和も小学生の頃からという話だったが、提督も……二人には失望したよ」
「私も!? 後、小学生ってなんの話ですか!?」
この瞬間、決定的な話のズレに気付いたのは大和であった。
「……すみません。一旦、お互い何の話をしているのか言ってみてください」
「え? そりゃ、私がジェ●ガをしてサボってた話ですよね……?」
「それは、その、提督と大和が
「は?」
「え?」
この瞬間、ようやく全員が全ての食い違いに気付く。
「え!? 提督が大和と二人きりになれたのを良いことに襲ったんじゃないの!?」
「しませんよ! 誰から聞いたんですか!?」
「私はそこまでは言っていない!」
「磯風ですか! そんな誹謗中傷を吹き込んで!」
「いや、そもそもジェ●ガして遊んでた時点であんたが一番悪いだろ!?」
その後、無事誤解は解け、これから倉庫の扉は必ずしっかり閉めるよう徹底されたという。