七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
地獄の夜は明けた。




第九十三話「天龍、死ぬつもりじゃないですよね?」

 

「――もしもし? ええ、私よ、叢雲。任務完了の報告を」

 

 朝日が水平線から上ってくるのを気だるげに見つめながら、舞鶴から遠く離れた海域で彼女はヘッドホン型の通信機を装着し、マイクに話しかける。

 

「取り敢えず、結果として龍田の実験は失敗。深海化の末、招来の権能を発現したけど暴走。大量の深海棲艦を舞鶴鎮守府近海に呼び込み、大規模戦闘になったわ。舞鶴の艦娘の9割が轟沈したわ」

『残り1割は?』

「ん? ああ、暁と天龍を除いては私が沈めておいたわ」

『その2隻が生き残りというわけか』

 

 通信機越しに帰ってくる声に対し、叢雲は楽しそうに笑みを浮かべた。

 

「いいえ。暁は最後の最後に深海棲艦との戦いの末自爆。おかげで深海棲艦の片づけの手間が省けたし、良い余興になったわ」

『…………』

「何? 天龍も沈めておけば良かった?」

『いや、深海棲艦の大群と相討ちで綺麗に全滅、というよりは1隻でも艦娘に生き残りが居た方がまだ自然と言える。問題ない、後はこちらで処理しよう』

「あっそ。……ところでこれ、回収したのはいいけれど本当に大丈夫なわけ?」

 

 叢雲は輸送用のドラム缶に入ったそれを覗き込み、訝し気な表情を浮かべる。

 そこに入っていたのは四肢が折りたたまれた龍田の体と天龍に斬り落とされた首。

 

「苦労してサルベージしたのはいいけれど、これ完全に死んでるわよ? 首と胴がお別れしてるし」

『構わない。パーツさえ揃っているならどんな状態でもやりようはある。ああ、できるなら体は海水に浸すか沈めるかしておいてくれ』

「はいはい、分かったわよ。それじゃ、今から帰投するわ」

『ご苦労だった』

 

 そこで一方的に通信が切られ、叢雲は通信機を頭から取り外し、舞鶴鎮守府の方角を見る。

 

「天龍。もう、何もかも手遅れよ。あなたはあまりにも遅すぎた。遅すぎたから、龍田も暁も、全てを失うのよ」

 

 

「――大本営から勲章が届いているぞ、あと、O.C.E.A.Nランキングの昇格通知書もだ。ランキング9位、晴れてグランドランカーだ。おめでとう、天龍」

「…………」

「二つ名は暴れ天龍、百隻斬り、色々案が挙がっているが、お前は何がいい? 俺としてはやっぱり百隻斬り――――」

「いいよ、おっさん。そんな無理して明るくしてくれなくてもよ。見てるこっちがキツくなる」

 

 我ながら本当に酷いことを言ったと思う。だが、言わずにはいられなかった。提督の目元には深いクマが刻まれ、見るからにやつれている。

 あの地獄から数日、舞鶴鎮守府に所属している艦娘があの一夜で俺1人を残し、全員沈んだ。その凄惨過ぎる現実は、ただでさえ彼の心に大きな傷を残している。

 そんな状態で鎮守府立て直しの指揮を執るため提督は日夜働きづめだ。更に、今回の被害状況について、大本営からは相当厳しく詰問されているらしい。

 明るくふるまえという方が無理な話だ。

 

「そう、か。そんなに顔に出ていたか、はは、すまんな……」

「別に謝るようなことじゃねぇだろ、当然だ」

「毎日な、夢に見るんだ。あいつらが、海の底から、助けてって俺を呼んでいる」

「おっさん……」

 

 声色は悲壮に包まれていた。しかし、それでも提督は気丈に笑って見せた。

 

「……天龍、話そうと思っていたことがあるんだ。龍田の件と鏑木美鈴のことだ」

「何!? それは――――」

「――失礼いたします! 舞鶴鎮守府提督殿は在室でしょうか!?」

 

 タイミング悪く、提督の話を遮るように3度のノックと元気のよい声が室内に響き渡った。

 話を中断し、提督は一度咳払いをしてからドアの向こうに声をかけた。

 

「ああ、入ってくれ」

「失礼します! 修復工事の進捗の報告に参りました! お時間よろしいでしょうか!」

「……そうか、わかった」

 

 入ってきたのはがっしりとした体つきをした憲兵だった。その手には分厚い書類の束が抱えられている。

 

「天龍、すまないが席を外してもらえるか? 丁度良いから外へ散歩にでも出るといい」

「ん、そうだな。俺がいても邪魔だろうしな。そうさせてもらうぜ」

「天龍」

「ん、なんだよ――――わぷ!?」

 

 提督に声をかけられ、彼の方に振り向いた瞬間、俺の体が強く抱きしめられた。

 突然のことに頭が真っ白になる。

 顔に血が上っている俺の耳元で、提督は小さく呟いた。

 

「天龍、お前を、そしてお前達を、俺は心から愛している」

「は、はぁ!? おっさん、ちょ、そろそろ離してくれよ! 流石に恥ずかしいっての!」

 

 提督の抱擁から解放されても依然、動悸も顔の火照りも治まるとは思えなかった。

 

「はっはっは、すまないな。ほら、もう行っていいぞ」

「ったく、調子狂うぜ! ま、また後でな!」

「……ああ」

 

 赤くなった顔を隠すように俺は背を向け、足早に部屋を出て行った。

 

 

「お邪魔をしてしまったようで大変失礼致しました!」

「もういい」

「はっ、それでは僭越ながら自分から報告を――――」

「もう、その演技はいい、とそう言っている」

「……気付いていたのか」

 

 その言葉で静まり返る執務室。同時にそれまでは人懐っこい笑みを浮かべていた憲兵の顔から表情というものが消えた。

 憲兵は頬をつまんで引っ張る。皮膚であった部分が破け、下から浅黒い肌が新たに現れた。

 

「変装、か。用意周到なことだな」

「見ての通り、印象に残りやすい肌色をしているのでね」

 

 憲兵は顔の部分だけ変装を解くと、懐から道化師の仮面を取り出し、それを装着しながら続けた。

 

「残念だが助けは来ない。そういう準備を済ませてきている」

「来ると思っていた。鏑木美鈴の裏の顔を知れば、必ず」

「ほう、どこまで知ったと言うのだ?」

「残念ながら俺はあまり優秀な方でなくてな。お前たちが何やら艦娘を使って何かしているということしかわからなかったよ。龍田の件を聞いて、初めは深海化の研究かと思ったが、おそらくは違うな。いや、違うというよりも、さらにその先か――――」

「安心するといい。十分、殺すに足る到達度と言える」

 

 仮面の男は腰からナイフを引き抜き、その切っ先を提督へ向ける。

 

「何か言い残すことはあるか? あったとしてもそれが私以外に届くことはないが」

「何もない。俺にできることは全てやった。残すものも、残るものも何もない」

 

 逃れられぬ死を目の前にしながら提督は満足げに、勝ち誇ったかのように笑った。

 

「お前が舞鶴の生き残りである俺と天龍を殺しに来るのはわかっていた。だから、ここ数日で準備を済ませた」

「無駄だ、どう足掻こうと今日、舞鶴は一度消える」

「だが、天龍だけは殺させない。もう一度言う、そういう準備を済ませた」

「……艦娘1人守って満足か?」

「提督の仕事は艦娘を守ることだ。最後にようやくそれらしい仕事ができて満足だよ」

 

 提督が満面の笑みを浮かべた直後、ナイフが彼の胸に深々と突き刺さった。

 

 

「おい、どういうことだよ!? なんなんだよお前らは!?」

「我々はあなたの提督の遺志を継ぐ者。彼の願いに従い、あなたを保護しに参りました」

「どうか、このまま我々と同行願います」

「もう、鎮守府に戻ることは叶いません」

 

 外へ出た瞬間、フードを目深に被った3人組に取り囲まれた。

 状況を理解できず、俺は混乱を隠せない。

 

「どういう意味だ、保護って! 提督は!?」

「彼は、おそらくはもう……」

「あなたを守るためにあの人は全てを賭したのです」

「時間はありません。彼の死を無駄にしたくないのなら我々と共に来てください」

「死って……わかんねぇよ、なんで、急に、そんな……!」

「……彼から、何かを受け取ってはいませんか?」

「は? そんなもんあるわけ――――」

 

 不意に、先刻の提督からの抱擁を思い出した。上着のポケットに手を入れると、無機質な感触が伝わる。

 ポケットの中には、見覚えのないUSBが入っていた。

 

「これは……」

「やはり、彼はあなたに全てを託したのですね」

「これは我々が責任をもってお預かりします」

「あ、おい、待て!」

「安心なさい。来るべき時がくれば御返しします。これから行く所では私物の持ち込みは許されない故、一時預かるだけです」

 

 そう言って、USBは彼らに半ば強引に取り上げられた。

 訳が分からない。本当に提督が死んでしまったのか、今すぐに走って鎮守府に戻って確かめたい。

 だが、それは許されないことは、それに意味がないことは、心の奥底で理解していた。

 

――天龍、お前を、そしてお前達を、俺は心から愛している

 

「あんたも、俺を置いていくのか……」

「さぁ、本当に時間がない。行きましょう」

「御理解なさい。既にあなたの命はあなただけのものではないのです」

 

――天龍、生きることを諦めないで。力の限り、生き続けなさい

 

 心が軋む。

 わかっている。大丈夫だ。俺は、まだ生きられる。

 死ねない理由があるから。

 

「これから、どこに行くんだ?」

「鏑木美鈴の手の届かぬ場所。軍の力も及ばぬこの世の煉獄、『網走監獄』」

「我々はそこで刑務官をしております」

「あなたには罪人として入獄して頂くことになります。決して幸福とは言えぬ辛苦の日々が始まるでしょう。だが、代わりにあなたの生存は保障される。来たるべき時まで息を殺し、待つのです」

 

 心が軋む。

 全てを失い、冷たい孤独に苛まれながら、それでも俺はまだ死ねない。生きることを諦めるわけにはいかない。

 俺は、約束に生かされている。

 

 

「――天龍は、龍田を諦めてないんですね」

 

 深夜。天龍の話を聞き終えた後、それぞれ一旦休息をとることに決まった。

 詳しい話し合いは明日の朝に行うことにした方が良いと結論が出たのだ。

 一旦は自室に戻った天龍だったが、寝付けず薄暗い食堂に帰って水を飲んでいた。

 そこに、声をかけてきたのは大和だった。

 

「なんだ、お前も寝られねぇのか?」

「はい、天龍の過去を想像すると、色々考えてしまって」

「はっはっは! 別にお前が気に病むようなことじゃねぇだろ! そんな感情移入しなくたっていいんだぜ? 俺には龍田を諦められねぇ理由がある、そして鏑木美鈴に借りがある、それだけわかってもらえりゃいい」

「そんな簡単に割り切れる話でもないでしょう……」

 

 うつむく大和に、天龍は優しい笑みを浮かべ、その頭をわしゃわしゃとかき回す。

 

「ちょ、何するんですか!?」

「本当にお前は良いやつだな。お前だけじゃねぇ、七丈島鎮守府の奴らはどいつもこいつもお人好しが過ぎて、心配になるぜ」

「天龍も人のことは言えないですけれどね」

 

 互いに小さく笑い合う。そうしていると今の状況も幾分か和らいで見える気がした。

 龍田は依然行方不明、蜻蛉隊とは一触即発状態。現状は決して芳しくない。

 それでも、自分が独りではないというだけでこんなにも楽になるのだと、天龍は改めて龍田の言葉の意味を噛み締めた。

 

「独りで戦っても仕方ないもんな」

「ん?」

「なんでもねぇよ。さて、そろそろ部屋戻るか。寝付けねぇにしても少しは睡眠とらねぇと持たねぇからな」

「天龍」

「なんだ?」

 

 椅子から立ち上がる天龍を引き留めるように大和が声をかけた。

 

「あなたは、本当に暁さんとの『約束』がなければ生きられないんですか?」

「……ああ、そうだよ。俺はあいつの命令が、約束があるから、今も諦めず生き続けられている」

「お話を聞いているだけでも天龍の中で暁さんがどれだけ大きい存在なのかは伝わってきました。でも、それでも私は、それが正しいとは思えません」

 

 天龍のコップを握る力が強まった。

 それまで穏やかだった表情も険しく変わった。

 

「どういう意味だ?」

「暁さんとの約束によって生かされている今の天龍が、本当に暁さんの望んだものなんですか?」

「…………」

「少なくとも、私は、天龍に自分の意志で生きて欲しい。死ねないからではなく、生きたいから生きて欲しい」

「やめろよ、もうお前と喧嘩はしたくねぇ」

 

 天龍の言葉に怒気がこもり始める。

 それでも、大和の言葉は止まることはなかった。

 

「天龍、死ぬつもりじゃないですよね?」

「なっ……!」

 

 大和の言葉に天龍は一歩後ずさる。じっとりと嫌な汗が流れていた。

 

「何言ってんだ! そんな訳ねぇだろうが!」

「す、すみません。それならいいんですが……」

「……悪い、大声出しちまった。お互いになんやかんや疲れてんだろ。もう眠ろうぜ?」

「はい、そうですね」

 

 思わず声を荒げてしまい、後味の悪い空気のまま大和と天龍は自室に戻った。

 しかし、天龍は部屋に戻った後も大和の言葉が頭の中に響いていた。

 

「死ぬつもりはねぇ、けど。死んでも良いって思ってるのは、本当かもな……」

 

 

 明朝。研究所の直上に一機のヘリコプターが到達した。

 

「用意はいいか、愚息よ。これより研究所に乗り込むぞ。1時間以内に制圧する。良いな?」

「ええ」

 

 パラシュート降下の準備を済ませ、元帥と提督は弾丸やナイフの準備をしながら制圧作戦の確認をしていた。

 何せたった2人だけの作戦だ。段取りの確認を怠ればそれがそのまま命取りになる。

 

「拳銃2丁とナイフ2本、予備のカートリッジが8つ。それで足りるのか?」

「皆殺しにするわけではないんですから、これでいいんですよ」

「ふん、精々儂の足手まといにはならんことじゃな。万が一にも助けてはやらんぞ」

「そちらこそ、年甲斐もなく暴れまわらないよう自制してくださいね」

「ククク、言うようになったではないか」

 

 提督のセリフにさも楽し気に笑う元帥。そこら辺の士官ならばこれだけの暴言を元帥にぶつけるなど精神が参ってしまうだろう。

 

「さて、降下するぞ」

「ええ、さっさと終わらせましょう。そして一刻も早く七丈島に帰ります」

 

 

 ほぼ同時刻。七丈島。

 

「ごめんね、天龍ちゃん。もう少し時間を稼げると思ったのだけれどね」

 

 朝日が昇り始める水平線を見つめながら龍田は憂い気に呟いた。

 

「でも、天龍ちゃんも悪いのよ? あなたが、早く私を殺してくれないから……」

 

 やがて水平線に黒い線が見え始めた。

 それは徐々に太くなり、こちらへ向かって近づいている。

 深海棲艦の大群、であった。

 

「時間切れよ」

 

 龍田は消え入りそうな声でそう呟くと、その足を海面につけた。

 

 




お久しぶりです。
パソコンぬっこわれて復旧にえらい時間がかかってしまいました。

天龍編はここから一気に最終局面です。

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