七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
蜻蛉隊、真価発揮




第九十七話「では、私の正体をお教えしましょうか」

 

 右のこめかみを掠めた砲弾に、磯風は冷や汗を流しながら慌ててジグザグに後退した。

 狙撃手は見えている。

 磯風を包囲しようと動き回るこの隊のさらに奥。護衛を一人付けて、さっきから好き勝手に撃ちまくってきているのはあの紙煙草をふかしている老兵だと、磯風自身もよくわかっている。

 

「おー、良く避ける。海での動きが俺らとまるで違う。こいつは仕留めるのに時間かかるぜぇ」

「地道に行きましょう、鶴屋さん。まだまだチャンスはあります」

 

 狙撃手とその護衛は戦場の真っただ中とは思えぬ冷静さで言葉を交わしていた。

 

「しかし、うちの分隊長には参ったね。マジで俺たちに命令もなんも出さずに一人で楽しんじゃってるんだからよ」

「どこの所属とも知れぬ余所者ですから、隊の動かし方なぞ知らんのでしょうよ」

「ま、滅茶苦茶な命令されるよかマシか」

 

 蜻蛉隊が装備している陸軍式艤装「ワダツミ」それは必ずしも全員全く同じという訳ではなく、隊員によっては自分の役割や得手不得手に応じ、改造が許可されていた。

 狙撃手である鶴屋の場合は、主砲にロングバレルとスコープが特徴的な狙撃砲、所謂スナイパーキャノンと呼ばれる装備を採用している。

 

(あの狙撃手が厄介だな……! しかし、こうもウジャウジャとたかられては私のレンジまで接近もできない……せめて、もう1人助力が得られれば!)

 

 そう横目で一瞬だけ、斜め後方を見る。

 しかし、数百メートル離れた場所で深海棲艦を巻き込みながら叢雲と激しい接近戦をする綾波に助力を得られるような気配はない。

 

(う、拙い。かなり疲労が溜まってきた……足が重い)

 

 磯風の弱点はその体力である。

 機動力に関しては一流の域にある磯風ではあるが、それは同時に大幅に体力を削っていく。

 今の機動力を維持できるのは後数分程度。

 

「この人数差で包囲できんとは、なんて動きだ、あの駆逐艦!」

「陸で俺達がここまで手こずらされたことは一度もない。流石、海の女神と呼ばれるだけはある」

「それでも、我々の勝利に変わりはないがな!」

(ぐ、相手も手練れ、あと少し動けなくなったら一瞬で包囲されるな)

 

 少しずつ、じわじわと追い詰められていく感覚。

 それが焦燥を呼び、そして焦りは呼吸を乱し、余計な力を使わせる。

 

「ぐっ……くそっ! くそッ!」

「あー、やだねぇ。いい大人が6人がかりで小さい娘追い掛け回して。おじさん見てらんねぇよ」

「鶴屋さん、敵を見かけで判断するのは……」

「俺さぁ、あの子と同じくらいの孫がいんのよ、それがもううんざりするほど可愛くってな? もうしんどいわぁ、おじさん撃つのやめちゃおっかな」

「少し真面目にやって――――」

「お、隙発見」

 

 護衛の兵士が呆れかけていた瞬間、砲音が鼓膜を震わせた。

 その砲撃は一瞬、集中を欠いた磯風に真正面からクリーンヒットする。

 無論、艤装保護膜がある以上、まだ死んではいないが、明らかに速度が落ちたのが見て取れた。

 

「まぁ、でも、撃つしかねぇよなぁ。そういう命令だからよ」

「ぐ、あぁ……!」

「お嬢ちゃん、頼むから早いとこギブアップしてくれよ? またぬるい動き見つけちまったら、引き金引いちまうからよ」

「う、ぐ、くそぉ!」

 

 ほんの少しだった。

 ほんの少し、疲れに負けて足を緩めただけなのだ。

 それなのに、一瞬で見抜かれ、撃ち抜かれた。

 

(ありえない、あんな狙撃手の攻撃を掻い潜りながら、目の前の蜻蛉隊を倒すなんて、とても、無理だ)

 

 磯風が肉体的にも精神的にも限界になりつつあった、その時。

 彼女の耳にその声は響いた。

 

『――矢矧よ。おまたせ、状況把握完了したわ。指示を出すわよ』

 

 

 七丈島鎮守府の作戦会議室。

 そこで四方にたてかけたホワイトボードをグルグルと見回しながら無線に話しかけているのは他ならぬ矢矧であった。

 

「悪いわね、流石に偵察機の映像から4エリアの戦況をまとめるのは骨が折れてね」

『あら、矢矧さんですか?』

 

 神通から声が返ってくる。問題なく北部チームの無線チャンネルに繋がったことを確認すると、矢矧は北部の海域の戦況をまとめたホワイトボードを見ながら口を開く。

 

「神通は現在も挟撃状態ね?」

『そうですねぇ、瑞鳳さんからの援護も途絶えてしまいましたし、厳しい戦況です。特にあの陣地防衛を彷彿とさせる亜種輪形陣が厄介ですねぇ』

「そう、でも大丈夫よ。3分間、全力で敵を引き付けておいて」

『え、それだけですか? その後は?』

「3分後に話すわ。まぁ、その時には言わずともわかっているでしょうけれど」

 

 神通の質問を遮って一旦無線を切ると、矢継ぎ早に東部のプリンツと武蔵の無線チャンネルに合わせ、声をかける。

 

『うぇええん、矢矧~! もう、本当に! 本っ当に限界だよぉ!』

『この武蔵がここまで追い込まれるとはな……!』

 

 声をかけた瞬間にプリンツの情けない声と武蔵の苦し気な声が聞こえてくる。

 それに対し、矢矧はわざとかと思うくらい大きなため息をついた。

 

「あんた達に言うことは一つだけよ、ええ」

『……え、なんか怒ってない?』

「真面目にやんなさいよッ!」

『私はいつだって真面目だぞッ!』

「私は全力を尽くさない奴が大嫌いなのよ!」

『全力だよぉ!』

 

 悲鳴をあげるプリンツに矢矧は青筋を浮かばせて怒鳴り声をあげる。

 

「潜水艦? 無音無貌の敵? プリンツ、そんなのあんたの『ストーキング』能力、相性抜群でしょうが! 今活かさなくてどうするのよ!?」

『えぇ……だってぇ、まるゆは、お姉さまじゃないし……』

『そこの問題なのか? できないわけじゃないのか? 凄いな』

「甘えてんじゃないわよ! とにかく、まるゆはあんたが追いなさい、できるわね!?」

『お姉さま以外をストーキングなんて……私の、美学、が……!』

「……わかったわ、上手くできたら、一日だけ大和の部屋の鍵を貸してあげる」

『やる、任せて』

 

 即答であった。

 

「次に武蔵」

『あ、ああ、なんだろうか』

 

 若干、うろたえたような声が返ってくる。

 しかし、そんなことを気にしている暇などないとそのまま矢矧は言葉を続ける。

 

「あなたね、バレてるわよ」

『な、なんのことだろうか……?』

「その敵を舐め腐った艤装改造。私、とっても腹立たしいわ」

『う、ぐ』

「後、なんか包囲されてるけど、あなた主砲一発で包囲崩せるわよね? なんでやらないわけ?」

『……ああ、それは気付か――――』

「気付かなかったとか言わないわよね?」

『申し訳ない……』

 

 武蔵の沈んだ声が返ってくる。打たれ強い、というか打たれたがりの彼女にしてはこの殊勝な態度はいささか意外ではあったが、かといって怒り口調を緩めるほど矢矧も優しくはなかった。

 

「あなたの性癖にプリンツを巻き込まないでもらえる?」

『あ、ああ、そうだな、身勝手が過ぎた』

「じゃあ、さっさと逆転してきなさい! 元々そんなに手こずる相手じゃないでしょう!」

『はは、いや、いつもの事の筈なのに、お前に叱られると何故か実に新鮮な気分だ! ふふ、くは、くははははは――――』

 

 そのまま何も言わず無線を切ると、今度は南部の戦況を描いたホワイトボードに向き直り、無線のチャンネルを切り替えると、矢矧は打って変わって優しい口調で声をかけた。

 

「磯風、よく耐えたわね」

『ああ、だが、もう長くは持ちそうにない……せめて、綾波と協力できれば……』

「ええ、大丈夫よ。この状況を覆すとっておきの方法があるわ。あ、綾波も聞いてる?」

『いや、その、綾波は……途中で無線を外してしまってな』

「ああ、そんなことだろうと思ったわ。ええ、問題ないわ。むしろ好都合よ」

 

 作戦内容を伝えると、磯風は少し狼狽しているようであったが、手段を選ぶ余裕もなく、素直に動き始めたようだった。

 

「さぁ、逆転するわよ!」

 

 

「3分、ですか。まぁ、それくらいは訳ないですけれど。別段、引き付けなくとも彼らは私を沈めるのに夢中ですし」

 

 前方の原田、後方の蜻蛉隊。一発でもまともに食らえば勝負が決しかねない高火力の暴風雨。そんな中に曝された状況でなおも神通は落ち着いていた。

 むしろ、普段以上に研ぎ澄まされていた。

 一撃でも食らえば死ぬ。勝率は一桁のパーセンテージ。

 その程度の理不尽と無謀は、あの元帥に一通り経験させられている。今更、敗北の可能性が出てきた程度で動揺や焦燥が生まれる方がおかしい。

 

「しかし、3分後に何が起こると言うのでしょうか。援軍の大艦隊が到着してくれたくらいでないと後ろの包囲殲滅はできませんしねぇ」

 

 後ろの亜種輪形陣の攻略だけなら消耗戦に持ち込み、敵の攻撃が鈍った時に突撃すれば時間はかかるが確実に勝てると踏んでいた。

 しかし、今はそれをすれば原田に問答無用で背中を撃たれてしまうだろう。

 練度で負けているとは思えないが、彼の人間離れした力と、それを増幅させる重装備、何より狂気にも似た殺気は警戒に値する。

 背中を向けるのは避けておきたい相手だ。

 

「ん……っ!?」

「掠った! よし、いいぞ! 徐々に捉えられてきているぞ! 勝てる! 我々の勝利は目前だ!」

 

 原田の咆哮にも似た鼓舞に、ますます弾幕が激しくなる。

 決して油断していたわけではないが、流石に相手もプロ。行動パターンを読んで、考えて撃ってくる。

 そろそろ一発程度当たってもおかしくないと思い始めたその時、3分が経過した。

 同時にイヤホン型の無線機から矢矧の声が聞こえる。

 

『ちゃんと、敵は引き付けているわね?』

「ええ、仰せの通りに。一体何が起こるんですか?」

『あら、聞こえない? この音が』

「音?」

 

 辺りは砲弾の雨が降り注ぎ、とても音の分別がつく状況ではなかったが、耳を澄ました神通にも確かに、僅かではあるが、その音は届いた。

 

「これは……」

『陣地防衛戦術に対して包囲殲滅。確かにこれも正解。でもまだ解はある』

 

 雲海の上、それまで着々と準備を整えてきたそれらが一斉に雲海に飛び込み、急降下を始めた。

 

『陣地防衛戦術っていうのは、守りに長けるけど、足が遅い。細やかな陣形維持を求められる戦術だから、移動に向かないのよ。まぁ、基本、籠城戦とかの戦法なんだから移動の必要はないのだけれど』

 

 矢矧が語る間にもそれらは一直線に蜻蛉隊の真上に突撃していた。

 

『そして、上からの攻撃には滅法弱い』

「――――ッ! 敵機直上、急降下ッ!? 散開だ、散開せよッ!」

『もう遅い』

 

 密集した蜻蛉隊の直上。

 そこに迫った彼らの脅威に彼ら自身が気付くときには、既に、攻撃は終了していた。

 

「さぁ、攻撃隊、戦果をあげてらっしゃい!」

 

 神通の耳に聞き覚えのある声が聞こえたと同時に、数多の爆撃が蜻蛉隊を包み込んだ。

 その攻撃隊の数は尋常ではなく、それから30秒間、爆撃は止まることはなかった。

 その間、広がる爆炎から脱出してきたものは1人もおらず、神通も原田でさえも、その圧倒的な攻撃を見ていることしかできなかった。

 

『私の解は、航空爆撃による範囲殲滅。動かない艦なんて、艦載機の良い的だわ』

「はっ、どうよ、この火力! 一網打尽にしてやったわ!」

「馬鹿な……貴様は、確実に仕留めたはず……!」

 

 顔を真っ赤にして歯ぎしりする原田に、瑞鳳は挑発的に答えた。

 

「やられたふりしてやってたのよ! 艦娘があの程度でやられるか! こちとら艤装保護膜っていうプロテクターがあるのよ!」

「ぐ……!」

「どうよ、死んだふりして不意打ち決めたあんたへのこの意趣返し! ねぇ、悔しい? 悔しいわよねぇ?」

「ぐ、ぐ、ぐううううおおおおおおおおッ!」

「瑞鳳さん、楽しそうですねぇ」

『ストレスがたまってたのね。深海棲艦を警戒しつつ、敵の目も盗んで艦載機を大量発艦、その全機を操り、爆撃。並の集中力ではないわ』

 

 悪役のように笑いこけていた瑞鳳が、そこでふと力尽きたかのように海面に手を突き崩れ落ちた。

 同時に大量の艦載機も弓矢に変わり、彼女の矢筒へ戻っていく。

 

『それに、艤装保護膜で気絶は免れただけで、ダメージは負ってる。本当は立っているのも厳しいレベルでね』

「私のために頑張ってくれたんですね、瑞鳳さん」

「はっ……勘違いすんじゃないわよ! ちょっと、横須賀に、私達の真の実力って奴を見せつけただけなんだから」

「ええ、素晴らしい仕事でした」

「……ちっ! 普通に褒めんじゃないわよ、面白くない……!」

「では、後は私の仕事ですね」

 

 神通は後方を確認する。

 蜻蛉隊の隊員は全員死んではいないものの、海面に浮かび、気絶している。装備も破壊しつくされ、戦闘不能といった様子である。

 あれだけの爆撃を行って死者がいないのも、瑞鳳の繊細な爆撃操作があってこそだろう。

 そこまで確認したところで、神通は再度、原田に向き直る。

 

『さて、詰みよ。そうよね?』

「ええ、その通りです」

 

 その返答に満足したのか、無線通信はそこで切れた。

 

「一騎討ち、望むところだ」

 

 しかして、原田には臆した様子は欠片もなかった。

 刀を抜く神通を前に、むしろ殺意をよりいっそうほとばしらせる。

 

「やはり油断なりませんね。負けませんけど」

「言っていろ、艦娘。お前達の時代は終わる、否、俺が終わらせるッ! これは、天意であるッ!」

 

 両者が同時に海面を蹴り、直後激しい衝突音を響かせた。

 

 

「――かっはぁ! はぁ! はぁ! う、ぐ、ゲホっ、ゲホッ!」

「大丈夫ですか、まるゆ分隊長!」

 

 プリンツと武蔵の包囲陣の外、浮上したまるゆは激しくせき込み、嗚咽を洩らす。

 その様子に隊員の1人が声をかけるが、心配無用と手で制した。

 

「大丈、夫です。後、少しなんですから、頑張れます……」

 

 まるゆの攻撃法は彼女に想定以上の消耗を強いていた。

 海中に潜り姿を消しても音は聞こえる。水を掻く音を消し、海中生物や海底に体を接触させず、ついには呼吸音まで排除する。それでいて対象の死角へ素早く回り込み、また音もなく浮上する。

 海中において彼女の肉体にかかる負担は想像を絶するものだった。

 

「呼吸音まで消したのは、久々ですよ……」

 

 全ての原因は武蔵からのプレッシャー。

 僅かな呼吸音からでさえも、彼女は自分を捕まえる。そのレベルのプレッシャーを海中から彼女は感じた。だから負担が大きくとも、確実性を取った。

 結果として、まるゆの全身全霊の強襲は武蔵、プリンツを圧倒している。

 

「後、少し、後数回の、無音の強襲(サイレント・アサルト)であの武蔵を、屠れる……!」

 

 ナイフを握りしめ、再度まるゆは潜航を始めた。

 

「プリンツ、お前のその能力を活かすにはどうすればいい?」

「取りあえず、この包囲を抜けようよ! できるんでしょ!? てかやれよッ!」

「くっ、止むをえんか……ッ!」

 

 同時に海中にいるまるゆまで聞こえる巨大な砲撃音と共に、海上の様子が一変した。

 

(拙い、包囲が破られたんですか……!?)

 

 突然のことに、止めていた呼吸を洩らしそうになりまるゆは口を塞ぐ。

 武蔵とプリンツの船影は瞬く間に包囲の外へと抜け出てしまった。

 それまで、彼女達を包囲により一定範囲に留めていたのは、無呼吸で動ける航行距離内に獲物を留めるためだった。

 

(ぐ、これでは距離が……呼吸が、もたない!)

 

 距離が開きすぎたと判断し、一旦、まるゆは呼吸を再開する。潜水艦艦娘は海水から酸素を取り込めるよう体構造が変化しているので呼吸は問題ない。

 しかし、近づく際には呼吸音は再度消さねばならない。

 まるゆは十分に酸素を取り込めたことを確認すると、再び、肺に酸素を取り込み、呼吸を消した。

 その直後だった。

 

(なっ、なんですか、このプレッシャー!?)

 

 先の武蔵のそれとは比べ物にならない、重圧がまるゆを包み込んだ。

 武蔵の二倍以上の範囲に、二倍以上の重み。

 呼吸を消して尚も、見つからないとは言い切れない。それほどのプレッシャー。

 

「プリンツ、これで、問題ないか?」

「ちょっと黙ってて、今集中してるから」

「よし、黙ろう」

 

 海面に耳をつけてしゃがみこむプリンツは真剣そのものであった。

 

「まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま、まるゆはお姉さま――――」

「なんの呪文だ?」

「お姉さま以外は黙ってろ」

(ここに来てから自分の威厳というやつに自信がなくなってきたな)

 

 しかし、そう内心、自嘲気味に呟く武蔵の表情はまんざらでもなさそうであった。

 

(あ……動けない……今、一歩でも動いたら、間違いなく見つかる)

 

 海中の中、まるゆは一歩たりとも武蔵達に近づけなかった。

 このままでは呼吸がもたない。息が漏れれば、それで見つかる。最早どうしようもなく、まるゆは詰んでいた。

 

(なんなんですか!? 聞いてない、こんなの聞いてない。武蔵以外に、こんな化物がいるなんて……聞いてません……ッ! 隊長ぉ……!)

 

 涙が出そうになる。しかし、それすらプリンツのセンサーに引っ掛かりそうで、泣くことすらできない。

 絶望的な状況に、彼女の心が軋み始めたその時だった。

 

「まるゆ分隊長を援護しろ!」

「あの金髪女を狙え!」

「怯むな! 撃ち続けろ!」

 

 蜻蛉隊の隊員達の猛攻が始まった。

 

「おわ! 武蔵! 守って! 私が無防備すぎてやばい!」

「任せろッ! これは私の仕事だ! 誰にも譲らんッ!」

(――ッ! プレッシャーが、消えた! 今なら!)

 

 蜻蛉隊の追撃によるプリンツの動揺。それにより、センサーは完全に消えた。

 それはきっと数秒にも満たないだろう。だが、いや、だからこそ呼吸も航行音も気にする必要はない、今こそ、全速力でかけるべきである、そうまるゆは瞬時に選択した。

 

「ぐぅ! まずっ! まるゆを探さないと!」

 

 まるゆの瞬間的な選択と、プリンツのかかり過ぎた復帰時間。

 その2つが逆転を許した。

 プリンツが再び海面に耳を当てる瞬間、彼女達の死角にまるゆは無音で浮上していた。

 

「想定よりも遥かに大きな隙でしたね」

「あ――――」

「私の勝ちです」

 

 プリンツに振り下ろされたナイフ。

 目前まで迫った死をプリンツの目から覆い隠したのは、他ならぬ武蔵の肉体であった。

 

「武蔵!」

(関係ない、傷口に向けて抉り込むッ!)

 

 先刻、傷口の上からならば武蔵の肉体を貫けることは確認した。

 ならば、これまでの攻撃で全身に少しずつ付けてきた彼女の傷を狙うまで。そう、瞬時に狙いを切り替えたまるゆ。

 その選択はその時点では最適解であったし、ナイフは正確に彼女の急所部位の傷を抉らんと突き刺さった。

 突き刺さるはずだった。

 

「――――え?」

「は?」

「くっ、無念……っ!」

 

 まるゆとプリンツの口から思わず声が出た。

 ガキン、というまるで鉄にでも突き刺したのではないかと思う音を立てて、まるゆのナイフは砕けてしまったのだから。

 

「なぁ……!?」

「……艤装保護膜だ」

「は?」

 

 訳が分からないという顔で武蔵を見つめるプリンツに、武蔵はまるで悪事を白状する子供のように目を逸らし、ぼそぼそと説明を始めた。

 

「その、だから、私の艤装は、艤装保護膜のオンオフが、できるように、なっててな?」

「…………」

「まぁ、あの、だから、今、艤装保護膜をオンに、したのだ」

 

 艤装保護膜は艦娘が艤装を装備した際に自動的に皮膚表面に張られる透明な薄膜である。

 敵の攻撃から艦娘の体を守る重要な役目を担っており、そのため、艦娘が甚大な被害を受けても服が破れる、擦り傷、火傷程度で済むようになっている。

 ただ、艤装の損傷により、徐々に効果が弱まっていくため、大破進撃などをすれば砲弾一発で肉塊になる可能性もある。

 艤装保護膜の強度は最低値は決まっているが、基本、その艦娘の練度次第で強度を増すと言われている。

 ましてや、武蔵ほどの艦娘の艤装保護膜となればもはや航空爆撃、戦艦砲撃、魚雷以外ではダメージを与えることすら難しい。

 

「さ」

「さ?」

「最初っからやれやあああああああああッ!」

 

 プリンツの怒号は七丈島東部に高らかに響き渡った。

 

 

 七丈島鎮守府、作戦会議室。矢矧は神通の勝利を確信し無線を切ったすぐ後に、大和と天龍のチャンネルに合わせ、無線機を耳に当てた。

 その表情は厳しい。

 

「大和、聞こえているかしら?」

『…………はい、聞こえて、ます』

 

 大和の声は今にでも倒れてしまいそうなほど消耗しているのがわかり、矢矧の顔はますます悲壮に険しくなる。

 

「天龍の方は駄目そうね。多分、七丈小島に集まってる深海棲艦の瘴気のせいでしょう。だから、大和にだけ指示をだすわ」

『はい、何でも言ってください。この状況、逆転できるならなんでも――――』

「無理よ。すぐに鎮守府に戻ってきて」

 

 息絶え絶えながら、闘志と覚悟に溢れた大和の言葉を矢矧は一刀両断した。

 無線の向こうから、大和の息をのむ声が聞こえた。

 

「一刻も早く治療しないといくらあなたでも命を落とすわ。あきつ丸も鎮守府に逃げる者を追う程余裕はないはずよ。もう十分に役割は果たしてくれたわ、だから、早く戻ってきなさい」

『……嫌です』

「大和」

『お願いします、あと、後10分だけやらせてください!』

「大和! いい加減にして!」

 

 矢矧の悲痛な怒声に大和も黙り込んでしまう。

 

「あなたを犠牲にして作戦が成功したって、何も意味がないの。それを教えてくれたのは他でもないあなたでしょう、大和」

『…………』

 

 矢矧はかつて、一度大和に殴られた時のことを思い出していた。

 彼女は言った、矢矧が私達を守りたいと思うように、私達も矢矧を守りたいのだと、仲間が傷ついているのに最善なんて言えるわけがないと。

 だから、私は誓ったのだ。

 

「効率なんて関係ない。誰かを犠牲にする作戦なんて死んでもやらないわ」

『……そんなこと言われたら、もうどうしようもないじゃないですか』

「大和、わかってくれたのね」

『でも、ごめんなさい』

「大和っ!」

『大丈夫、私は、死にませんから!』

 

 その言葉を最後に、強引に大和の無線が切られた。

 おそらくはイヤホン型無線機を潰したのだろう。

 矢矧は、拳を振り上げ、感情の昂りを会議室の机に叩きつける。

 

「怖いなー、矢矧ちゃん。美人が台無しだよ?」

「うるさいわね! 今はそれどころじゃないのよ!」

 

 エドの軽口につい八つ当たりをしてしまう。矢矧は親指の爪を噛みながら必死に策を練る。

 一番は自分が大和を連れ戻しに行くことだが、エドを信頼できない上、鎮守府に何か連絡が来た時に対応できる者がいなくなる。

 矢矧は今、七丈島鎮守府の提督代理だ。この鎮守府を空にはできない。

 

「あー、もう! 大和! あなた、なんて馬鹿なの……!」

「……何だったら、ザラとポーラに僕が命令しようか?」

「――っ!」

 

 頭を抱え、机に突っ伏しそうになる矢矧の頭を、そのエドの一言が持ち上げた。

 

「どうやら、まだ僕達は信用されていないみたいだからね。点数稼ぎに労力は惜しまないさ」

「……わかった、お願いしても、良いかしら」

 

 少し、訝し気に、申し訳なさそうに、頭を下げる矢矧に、待っていたとばかりにエドはキザったらしく右腕を回し、仰々しく頭を下げた。

 

Volentieri, Signorina(喜んで、お嬢さん)(ボランティエリ、シニョリーナ)」

 

 

「お話は終わったでありますか?」

「ええ、待っててくれたんですか? 優しいですね」

 

 無線を潰した私を見て、あきつ丸は笑った。

 

「ええ、あなたにはこれの件について聞いておきたかったのであります」

 

 あきつ丸は懐からDW-1探索用に使っていた探知機を取り出し、範囲を最小にしてスイッチを入れる。

 今、この場にはあきつ丸と私以外には誰もいない。

 深海棲艦でさえ、今はザラとポーラが迎撃しているため、ここまでは侵攻してきていない。

 それなのに、探知機は鳴り響き、近くに深海棲艦が存在することを告げていた。

 

「さて、これはどういうことでありますかな、大和?」

「…………知ってどうするんですか?」

「悪であれば滅する、それだけであります」

 

 それを聞き、私は思わず笑ってしまった。

 笑うと体の内側をつんざくような痛みが走る。笑うというだけでも全身を使っているんだと、こういう時に気が付く。

 私は、私の正体をあきつ丸が知ってなんて答えるのか気になった。

 

「あきつ丸、あなたにとって深海棲艦とは悪ですか?」

「そうであります」

「では艦娘は?」

「善、でありましょうな。だからこそ、私はあなた方が蜻蛉隊の邪魔になる悪とならない限り手は出さない。この場も、あなたが鎮守府に逃げ帰るならば、追わないでありますよ」

 

 まごうことのない本心だ。

 なんて一直線な人なのだろうと、私は心底羨ましく思った。

 己のものさしを持って、世界を見るということ。それはどっちつかずの私には難しいから。

 

「では、私の正体をお教えしましょうか」

 

 痛みで声を出すのも辛い筈なのに、何故か今だけは唇が滑らかに動き、生体がはっきりと言葉を声にしてくれていた。

 それだけ私はあきつ丸の答えを聞きたいのだろう。

 だから、私もそれに抵抗することなく、あっさりと七丈島艦隊の誰も知らない、私と提督だけの秘密を暴露した。

 

「半艦娘、半深海棲艦。『半人半深』、それが、私です」

 

 さぁ、答えてください、あきつ丸。

 私は、艦娘()なのか、深海棲艦()なのか。

 

 




戦闘処理多すぎて過去最高レベルの文字数になってしまいました。
磯風と綾波はまた次回へ。

天龍編で張る大和編への伏線の中で最大級のものが出てきました。
天龍編、あと五話か六話で完結できるといいな(願望)



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