俺ガイル短編集   作:黒猫withかずさ派

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比企谷小町。俺の妹なのだが、出来すぎた妹である。ほんとに俺の妹かと疑う事さえあるほどだ。偽妹かと疑い、まじで妹ではないという結論が出て、それなら結婚できるなと思うあたりで馬鹿な夢想から覚めることが少々……。そんな小町が俺に誕生日プレゼントをくれるらしい。何をくれようと全力で喜ぶ予定なのだが、どうも小町の様子がおかしいのが気がかりだ。比企谷八幡の誕生日当日。大学受験をひかえた夏休みだというのに、俺は朝から惰眠に精を出していた。誕生日に何をくれるかはわからないが、出来すぎた小町がくれるものなのだから、きっと俺には必要なものなのだろう。


比企谷八幡誕生日記念~比企谷小町からの贈り物

 誕生日。いつ頃から誕生日が特別な日ではなくなったのだろうか。

 今年の誕生日は、親からは出勤直前にこれでなにか好きな物を買えと財布から出した一万円札を渡されてはいる。小町からは今年も申し訳程度に祝いの言葉がいただけるだろう。

 史上最強の妹たる小町からのお言葉が毎年貰えるのならば、それだけで来年まで頑張れると思ってしまう。……まあ、一時間も経たないうちに効果が消えてしまうのが難点ではあるが。

 それよか両親よ。万札を頂けるのは嬉しいのですが、剥き出し万札で、しかも財布から直に手渡しではなくて、せめて祝儀袋に入れて渡していただけないでしょうか?

 いや、俺の両親様はエコに目覚めでもしたか?

 どうせ祝儀袋に入れて渡されても、中身の万札を財布に移動させたのちに、祝儀袋はゴミ箱にダイブだもんな。

 というわけで、両親からの愛とエコ精神を確認できた今年の誕生日は朝食後の眠気と共に忘れ去られようとしていた。

 

「おに~ちゃんっ。起きてよっ。っていうか、いつまで寝てるつもり?」

 

 よくあるラノベテンプレイベントのごとく、朝目覚めると目の前には最愛なる妹小町が俺を睨みつけていた。

 といっても、朝食を早く食べろと一度たたき起こされ、食後に二度寝?をしているので、本日二度目のイベントではあったが。

 

「俺は疲れてるんだ。今日は予備校休みだから寝かせてくれ」

 

「受験生に休日なんてないよ。しかも夏休みで24時間勉強できる時間があるんだから、きっちりと24時間勉強してよ」

 

「おい、小町。その計画でいくと食事や睡眠の時間がないんだが。いくらストイックに勉強を続けている俺であっても不可能だ」

 

「あぁ~、なんだかお兄ちゃんを見ていると、ストイックのイメージが壊れちゃうんだよなぁ。ストイックっていうと、もっとクールなイメージを持ってたけど、実際実物を見たら幻滅しちゃったみたいな?」

 

 それってよくあるよな。後姿は美人だけど、実際追い越し際にちらりと横から顔を見たらがっかりするみたいなやつ。

 こっちが勝手に期待してがっかりしているだけであって、向こうはまったく悪くないのにさ。

 だから俺は後姿美人には期待しない。相手に悪いからな。

 でも俺は鍛えられた精鋭。

 むしろ真正面から見て美人であっても期待しないまでである。やっぱ美人っていと、ちやほやされていて性格が悪いしな。

 って、これこそ身勝手なイメージか……。

 

「それって間違いなく誉めてないよな?」

 

「うんっ、誉めてないよ」

 

 無駄に朝っぱら元気な奴め。自分こそ高校受験のときは今の俺のような状態だったくせに。

 他人には厳しく。自分には……、そこそこに厳しくってところか。これでも小町は志望高校に合格したんだ。今度は俺も志望大学に合格して見せないと、将来小町が大学受験に励む時のモチベーションにもかかわるから頑張ってやるか……。

 だがしかし、今日だけは休ませてくれ。

 

「でもな小町」

 

「なんでしょうお兄ちゃん?」

 

「申し訳ないが今日だけは数学の事を考えさせないでくれ。これ以上数学の事を考え続けたら発狂しちまう。だから今日だけは見逃してほしい」

 

「はぁ……、今日くらいはお兄ちゃんの好きにすればいいとは思うよ。だってお兄ちゃんが国立大学に行かなくちゃならなくなって、数学も勉強しなくちゃいけなくなったのは小町のせいだし」

 

「小町はあんま気にするな。いきなり母ちゃんに死刑宣告された時はマジで死を覚悟したが、覚悟さえできてしまえば数学くらいどうにかなる」

 

「でもさ、お母さんもいきなりだったよね。お母さんも小町のふがいなさって言うのかな。高校受験で大学は国立は無理だって判断下しちゃったからね。その点お兄ちゃんは数学が壊滅的だとはいっても文系科目は問題ないし、どうにかなるんじゃないの?」

 

「あまいな小町」

 

「どうしてよ?」

 

「数学だけじゃない。理科もあるんだな、これが」

 

「たしかに……」

 

「でも、それも含めてどうにかするさ。親父は何も言ってはこないが、母ちゃんと同じ意見みたいだしな」

 

「そだね。でも、お父さんが何も言わないのは、お母さんに決定権があるだけだと思うけどなぁ……」

 

「……たしかに」

 

 親父には意見を言う権限も、決定を下す権限もないからな。あくまで母ちゃんの決定に従って親父は動いているだけだし。

 そう考えてみると、親父と母ちゃんの関係は、俺と小町の関係に似ているよな。俺も小町には逆らえないし。

 となると、俺は小町と結婚すべきなのか? 親の後ろ姿を見て育つと言ったものだが、やっぱ親父の背中を見習うんなら…………、いや、よしとこう。

 

「それに、さすがに子供二人を私立大学に入れるわけにはいかないみたいだし、二人ともずっと帰ってくるの遅いしさ。親が仕事を頑張ってるのを見ちゃうと、子供としても何かできないかなって、ね」

 

「ま、小町は気にするな。お兄ちゃんに任せておけ」

 

「うんっ」

 

「それで小町。なんか用か?」

 

「いつまで寝ているのかなって。せっかく起きて朝食食べたばかりなのに、食べてすぐ寝ると太っちゃうよ。しかも受験勉強で運動なんてしてないし、ますます……。あっ、でも、お兄ちゃんが太ってもお兄ちゃんはお兄ちゃんだからね。外に一緒に出かける時も、今まで通り一緒に出かけてあげるから安心してね」

 

「受験がなくても今までそんなに運動してはいないが、……太っても一緒に行ってくれるのか」

 

「今の……」

 

「小町的にポイント高いな。はいはい、高い高い」

 

「なんか今のは小町的にポイント低いんだけど……」

 

「そうか?」

 

「そうだよぉ。でも、まあいっか。それに一緒に出かけるといっても、ちょっと離れてくれる助かるっていうか」

 

「それって一緒に出かける意味あるのか?」

 

「ほら、今外暑いし、側にいられると暑いでしょ?」

 

「まあそうだな。だったら冬ならいいのか? むしろ風よけになったり、プチ暖房にもなるぞ」

 

「そ、それはぁ……」

 

 だから目をそらすなって。

 

「心配するな。俺は太るつもりもないし、今も体重は増えてもいない。だから今まで通り俺の隣を歩けるぞ」

 

「お兄ちゃん。いつ運動してるの? なんか勉強はしているようだけど、勉強以外だといつもソファーで寝てるっていうイメージしかないんだけど」

 

「お前も大概だな。あと、小町だって自転車通学してるだろ? これだって立派な運動には違いない」

 

「なるほど」

 

「というわけで、俺はもう一度寝る。昼飯できたら起こしてくれ」

 

「だぁかぁらぁ……寝ないでって言ってるじゃん」

 

 もう一度惰眠を貪りつくそうと寝に入った俺に、ついにというかとうとう小町による実力介入が行われてしまう。

 つまり、ソファーから転がし落とされた。

 

「って~な……。いくらなんでもやりすぎだろ」

 

「そんな事はないから。これでも受験勉強に精を出すお兄ちゃんを見て、ちょっとはかっこいいなって思って尊敬しているし、だからこそ敬意を払っての実力行使をしてあげたって」

 

「そう思ってるんならもう少し寝かせてくれ。それに、いちいち自分から言う事でもないが、今日は俺の誕生日だ」

 

「うん、知ってる」

 

「その割にはなにもないよな?」

 

「ん、と。だってお兄ちゃん。朝お母さんからお金貰ったでしょ?」

 

「そうだけどよ。愛しの妹君からのお祝いのお言葉とか」

 

「そう? しょうがないなぁ……。うん、おめでと」

 

「そっけないな」

 

「これでも小町が物心がついてからは毎年祝ってあげているんだから、それだけでもすごいことだと思うんだけど」

 

「わぁたよ。もういい。というわけで、俺は自分で自分の誕生日は祝う事にしたんだ」

 

「へぇ……」

 

 馬鹿にしてるだろ?

 良く言えば好奇心が宿った目が、悪く言えば馬鹿な事をまた言ってるよっていう目が俺に向けられていた。

 

「俺も将来は寿退社して主夫を目指す者として、OLがよくやる自分へのご褒美、自分への誕生日プレゼントってやつをする事にしたんだ」

 

「へぇ、すごいすごい」

 

 やはり感情が込められてい歓声は聞かなかった事にして、俺は話を続ける。

 

「でも俺はそこいらの丸の内OLとは違う。自分へのプレゼントという名の、ただ自分が欲しいものを買うだけの甘ちゃんではないのだよ」

 

「ふぅ~ん」

 

「俺は自分への誕生プレゼントとして惰眠をプレゼントすることにした。ふつうだったらただ眠たいだけの自己満足…………ごほん、ごほん。いやまて。俺の場合は欲しいものを買う為の言い訳ではなく自分への投資だ。日頃の勉強疲れを癒す為の一日だけの休暇。つまりは英気を養う為の必要な投資だといえる」

 

「言っていることは間違ってはないと思うよ」

 

「だろ?」

 

「でも、自分で惰眠って言っているあたりですでに言いわけじゃないかなぁ」

 

「あっ…………」

 

「といわけで、せっかくの誕生日だし。高校最後の夏休みでもあるわけだから、小町がデートしてあげるね」

 

「えっ、まじ?」

 

「うん、まじまじ」

 

 妹とのデートイベント。ラノベやギャルゲーではありかもしれないイベントだが、これが現実になってしまうと倫理的に問題が……、いやないか。

 どうせ将来小町に面倒見てもらう可能性が高いのならば、いまさら倫理観なんて考える必要さえない。人としてどうかは別だが。

 

「ちょっと待て。何か企んでるんだろ?」

 

「ひっどい言い分だと思うよ。そう考えてしまうのはお兄ちゃんらしいから小町は気にしないけど」

 

「本当に何もないのか?」

 

「何もないって。まあ、さっきの話の続きではないけど、家にこもっているお兄ちゃんを外に連れ出そうかなっていう思いはあるけど」

 

「別に家にいるだけじゃないぞ。予備校にだって出かけている」

 

「それは外出には含まれないから。それに、勉強ばっかりで夏らしい事を一つもしないのも寂しいでしょ?」

 

「寂しくはないが。そもそも受験勉強の夏も夏らしいイベントには違いはないと思うぞ」

 

「そうだけど、今日はお兄ちゃんに体を動かしてもらってリフレッシュしてもらおうという小町なりの気遣いなんだから、素直に受け取ってほしいなぁ」

 

「そういうんなら貰ってはおくが、去年の夏休みも家でごろごろしていて体なんてろくに動かしてはない……」

 

「シャラップ。もう文句は言わないの」

 

「じゃあ、どこかに出かけるよりも、なにかうまいもの作ってくれるほうがお兄ちゃんとしては嬉しいぞ。小町の手料理は最高だしな」

 

「嬉しい評価をくれるのはいいんだけど、今日は無駄だから。これから一緒にプールに行くの事が確定しているのです。夏といえばプール。夏といえば海。高校最後の夏休みなんだし、一度くらいは行ってもいいと思うよ」

 

「プールと海の両方いくのか?」

 

「うん。そこのプールだと、そのまま海にも行けるでしょ?」

 

 海岸沿いにある巨大プール施設。この辺の子供だったら一度は行った事がある施設の一つに数えられる。

 流れるプール、波のプール、ウォータースライダーに普通のプール。一通り有名どころのプール施設を網羅したこの施設には、他には珍しい施設がある。それは海に繋がっていること。

 夏の有名イベントたるプールと海をいっぺんに楽しめるこの施設は、子供たちにとってはパラダイスに違いない。

 一方大人といえば、馬鹿広い施設で迷子になる子供を探したり、駐車場が満車になって子供たちだけを先にプールに行かせ車で待機など、大人にとっては疲れる施設かもしれない。

 まあそんな施設が近所にあるわけで、そこに行こうと誘う小町のチョイスは悪くはなかった。

 

「海つっても、あんま泳ぎたいとは思わんけど、小町が行きたいんなら別にいいぞ。これが小町からの誕生日プレゼントというなら、目いっぱい楽しんでやるよ」

 

「楽しいんで貰うのはいいけど、これが小町からの誕生日プレゼントってわけじゃないよ」

 

「はっ? だってデートしてくれるって言ってただろ?」

 

「そうだけど、でもこれはプレゼントではありません。それに、小町からのプレゼントはもう渡してるから」

 

「いや、俺はなにも受け取ってないから」

 

「小町自身がプレゼントっていうか……、まあそのうちわかるかな。さてお兄ちゃん、早く準備してね」

 

 小町自身がプレゼント?

 あれか? 自分にリボンを巻いてプレゼントするっていう禁断の……。

 いやまて妹だぞ。でも実の妹であっても小町ならありか?

 

「はいそこまで。いやらしい目で小町を見るのは厳禁です」

 

 俺は蔑む視線から逃れるようにリビングから撤退した。

 俺は悪くないぞ? 小町の魅力が悪いんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 予想はしていたが、人が溢れるプール入口に、俺は既に体力をごっそり持っていかれていた。

 そもそも家の玄関を出た瞬間に灼熱の太陽に体力を6割ほど奪われているから、今や瀕死状態とも言える。

 だったら戦略的撤退の決断を下すべきだな。苦渋の選択ではあるが、被害は少ないうちに決断すべきだ。

 と、俺の決断はいっこうに採用されないもようで、ぐったりとしている俺の腕を引っ張る小町に連行され、俺は入り口に向かっていった。

 

「お待たせしました陽乃さん」

 

「おっ、ようやく来たな」

 

「すみません~。兄がグダグダ言ってなかなか動こうとしなかったもので」

 

「大丈夫よ。さて行きましょうか」

 

 俺は聞きたくもない名前を耳にして、ゆっくりと顎をあげる。

 予想通りそこには元気一杯の陽乃さんと、俺と同じようにグロッキー状態の雪ノ下がいた。

 元々華がある陽乃さんは夏の日差しを受け、なおも輝きを増している。当然のごとく周りからの視線も集まって来ていた。

 一方雪ノ下も疲れ切った表情はしてはいるが、そこはか弱い美少女というか、儚げな美女として雪ノ下を知らない連中の目には映るのだろう。

 本当は疲れ果てており、心の中で陽乃さんに文句を言っているだけなのだろうが、黙っている分には人目を簡単に集められほどの美貌を今日も惜しみなく発揮していた。

 そんな美人姉妹と親しげに会話する俺達には、特に俺にだが、嫉妬の視線があつまってくるわけで、このまま晒しものになるのもいい気はしない。

 俺はとりあえず現状確認だけはしてとっとと中に入ろうとしたが、小町と陽乃さんはすでに俺達を置いて中に入っていこうとしていた。

 なもんだから、もう一人残っている雪ノ下に現状を聞く事にした。

 

「なんでお前がここにいるんだ?」

 

「それは私が聞きたい事よ」

 

「俺は小町に連れられてきただけだ。ちょうど予備校も休み出し、リフレッシュするためにも体を動かせってさ」

 

「私も同じようなものよ。昨晩いきなり姉さんが来たかと思えば、どういうわけか水泳の勝負をすることになってしまったのよ」

 

「なるほどな」

 

 その簡潔な説明だけでも鮮明にその光景が浮かぶぞ。きっと陽乃さんに挑発でもされて連れ出されたのだろうな。

 

「だけど、あなたが来るなんて思いもしなかったわ」

 

「それは俺も同じだ。小町と雪ノ下さんが共謀したみたいだが、この後もなにかあるのかもしれないな」

 

「…………そうね。かもしれないわ」

 

「お互い何かわかったら情報交換な。情報は共有しておいたほうがいいからな」

 

「わかったわ」

 

 そうちいさく呟くと、陽乃さん達を追って雪ノ下も施設の中へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 人。人、人、人、人、人人人…………。

 プールに人が埋まってる。と表現しても間違いではない。

 流れるプールなんてどこが流れているのかわかったものではない。

 更衣室から出て待ち合わせの場所から眺める景色は、これもまた水の中に入る前から俺から容赦なく体力を奪っていく。

 ここまで人が多いと何が楽しいかわからない。それでも楽しそうにプールに入っている連中がそこかしこにいるわけで、楽しもうと思えれば楽しいのだろう。

 

「お待たせぇ、お兄ちゃんっ」

 

「おつ、きたか。別に待ってないから大丈夫だぞ」

 

「どうどう、小町の水着姿?」

 

「ん? いいと思うぞ」

 

「それだけぇ?」

 

「妹の水着姿に見惚れたとか感想しだしたら危ない奴だろうに」

 

 シスコン補正が入っていなくても、元気一杯で躍動的な小町の水着姿は人目を引く。まだ高校一年ともあって控えめな胸も、そこは小町のはつらつとした表情が補ってしまう。

 胸元にたくさん付いているフリルは、胸の大きさをカバーする効果があるとかないとか、いつだったか忘れた朝のテレビで言ってた気がする。

 小町がそれを知っていて水着を選んだかはわからないが。

 …………いや、小町が見ていたのを俺が朝食を取りながら耳に流していた気もするから、やっぱ知ってて選んだのか、もしれない。

 

「じゃあいいよ。だったら雪乃さんは?」

 

 小町が一歩横にずれると、タオルによる完全防備が施されている雪ノ下がいた。

 

「えっと、そのまま入るわけじゃないよな?」

 

「何を言っているのかしら? 水着を着てプールに入るに決まっているじゃない」

 

「ならいい。でもその姿って悪い意味で人目を引くぞ」

 

「だって姉さんが……」

 

 まあ、そんなところだと思ったよ。

 でもな、お前のその姿は、はっきり言って悪い意味で目立ちまくるぞ。

 腰に巻かれたバスタオルはパレオの役割を担っているのかもしれない。そして、肩から胸元に羽織ったバスタオルも似たような効果を狙ったものだろう。

 これが風呂上がりみたいに胸元でタオルを巻いている状態だったら、さすがの俺も今すぐタオルを取れといったほどだ。

 でも、今の姿も十分すぎるほど人目を引いてしまうのは確かだった。

 

「雪ノ下さんか。でも、下に着ているのも水着は水着なんだろ?」

 

「そうだけれど」

 

「ゆっきのちゃ~ん。いつまでもタオルで隠している方がよっぽど恥ずかしいと思うわよ。だってここには水着の人ばっかなんだし、そこに異物がいると目立ってしまうわ」

 

 雪ノ下から強引にタオルをはぎ取ってしまいそうな勢いで乱入してきたのは、雪ノ下になんらかの策略を働いた陽乃さんであった。

 これもまた雪ノ下に勝るとも劣らない魅力を振りまき、周囲からの視線を集めまくっていた。 周りの連中の気持ちもわからなくもない。元々の美貌に、身にまとったデニムショートパンツの水着は、はちきれんばかりの肉体が収まっていて刺激が強すぎる。小町や雪ノ下にはない主張をはっきりとしている胸も男どもの視線を集めるには効果的すぎた。

 

「姉さんが私の水着をすり替えたからじゃない」

 

「あんな地味な水着で来るつもりだったの?」

 

「だって姉さん。水泳の勝負をしにきたのよ」

 

「だからか。なんで競泳用の水着なのかなって疑問に思っていたわ」

 

「そもそも姉さんと勝負をするためにここに来たのよ。忘れてしまったのかしら?」

 

「本気でそう思っていたの?」

 

「えぇそうよ」

 

 これは雪ノ下を同情できない。このプール施設に泳ぎの勝負の為に来たって意味はないからだ。

 そもそも人が溢れているプールでどうやって水泳の勝負をするって言うんだ。

 もし水泳の勝負をするというのならば、ほかのプールに行くべきだ。

 俺は行った事はないが、新習志野にある水泳をする為のプールとかを選択しないと、今の時期普通のプールでは人が溢れていて泳ぐことなんてできやしないだろう。

 ましてや勝負だなんて、周りに迷惑すぎる。

 

「なあ雪ノ下」

 

「なにかしら?」

 

「お前ってここに来るの初めてか?」

 

「そうよ」

 

「そっか……、なら仕方ないな」

 

「どういう意味かしら」

 

「あのですね雪乃さん。今の時期ここのプールは人が多くて泳ぐ事は出来ないんですよ。遊びでくるのならわかりますが、泳いで勝負だなんて不可能なんです」

 

「えっ…………。姉さんっ」

 

 あっ、やっぱり。

 いくら雪ノ下が鋭い視線で陽乃さんを拘束しようとも、陽乃さんは素知らぬ顔で雪ノ下のタオルを剥ごうとさえしてしまう。

 

「ちょっと、姉さん。……待って、お願い」

 

「もうっ、雪乃ちゃん。プールに来たのよ。だったら水着にならなきゃ」

 

「わかっているわ。でも……」

 

 雪ノ下の抵抗も虚しく、タオルをはぎ取られた下から見せた水着姿は、周りの男連中のみならず女連中の視線さえも集めてしまう。

 かくいう俺もその魅力にはあがらえず、ぽけえっとただただ雪ノ下を見つめていた。

 

「ど、どうかしら? でも、そんなに見つめらてしまうと恥ずかしいわ」

 

「すまんっ」

 

「どうかしら? 雪乃ちゃんの水着姿。わざわざ私が用意したのよ」

 

 黒いシックなビキニ。ところどころにつけれた銀の留め金もアクセントになっていて、雪ノ下の魅力を数段階も跳ね上げさせている。

 もともと大人っぽい容姿もあって、黒のビキニははまりすぎていた。胸の大きさが足りないのさえも魅力と思えるほどスレンダーな体は完成されていた。

 白い肌に、やや赤みを帯びた頬。すれっと伸びた手脚は細く引き締まり、くびれた腰は優雅さを示し、直視してはしけないとわかっていても視線を引き剥がす事ができない。

 つまり、俺はその姿に見惚れてしまったていた。

 まあ、なんだ。小町や陽乃さんが俺の事を冷やかさなかったのは、せめてもの救いだったのだろう。

 俺は雪ノ下に負けないほど顔を赤く染めていたはずだから。

 

 

 

 

 

 

「もう泳がないの?」

 

「もう十分泳いだからな。つっても、泳ぐというよりは水につかるっていう方が正しい気もするが」

 

 俺達よりも早くばててしまった雪ノ下は、プールから上がり休んでいた。

 今日も見事に気温が上がりまくっているせいもあって長い髪もすでに乾き始め、肌もじりじりと焼き始めていた。

 

「ほら、着ておけ。焼けるぞ」

 

「……ありがとう」

 

 俺は薄手のパーカーを手渡す。

 本当は小町の為に持ってきた日焼け防止用の長そでだが、小町はまだ泳いでいるし、雪ノ下に貸しても問題はなかろう。

 雪ノ下は最初こそ戸惑いながらパーカーを広げはしていたが、なにも異常がないことを確認でもできたのだろうか、するすると袖を通す。

 いや、そもそも小町に着させるために持ってきたのだからきっちりと洗濯してあるんだがな。まあいいか。俺のパーカーだし、抵抗があっても仕方がない。

 

「フードもかぶっとけ。あとタオルも脚にかけておけよ。脚だけ日にやけるのも変だしな」

 

「そうね」

 

 いそいそをタオルの準備をする雪ノ下を横目に、俺は今もなおプールで陽乃さんと遊んでいる小町に軽く手を振ってやる。

 

「雪ノ下はもう泳がなくていいのか?」

 

「そもそも人が多すぎて泳げないじゃない」

 

「それもそうだな」

 

「……こうして」

 

「ん?」

 

「こうしてただのんびりするのも、たまには悪くはないわ」

 

「そうだな」

 

「姉さんには騙されはしたけれど、こういうのだったら悪い気はしないわね。でも、いつも驚かされてしまう立場のことも考えて欲しいけれど」

 

「あれだな。……雪ノ下さんだし、諦めるしかないっていうか」

 

「そうね。考えるだけ無駄だし、疲れるだけね」

 

「だな。…………なあ、雪ノ下」

 

「なにかしら?」

 

「海の方には行ったのか?」

 

「いいえ。海にも行けるのかしら?」

 

「ああ、このまま行く事が出来る。………………行ってみるか?」

 

「そうね。……行ってみたいわ」

 

 雪ノ下ではないが、俺も小町に連れ出されてきて良かったと思ってしまう自分がいた。

 ほんとげんきんなやつだって自分でも思う。

 でも、いいじゃないか。夏休みだし、高校最後の夏だし。

 こんな日が一日くらいあっても勉強の神様も怒りはしないだろう。

 俺は立ちあがると、柄にもなく雪ノ下に手を差し出してしまった。

 やってしまった後に後悔しまくることなんてたくさんあったが、今も自分がしでかしてしまった行為に顔が熱くなるのがわかってしまっている。

 でも、雪ノ下が俺が差し出した手に照れながらも応じてくれた事が、俺の心を軽くしてくれた。

 

 

 

 

 

 楽しい時間も終わりを迎える。それは明日からの受験勉強に立ち向かわせる為の活力にもなるが、名残惜しい気持ちは抜けきらない。

 正確に言えば家に帰って夜には勉強をするんだろうけど、やはり今はまだ夏の余韻に浸っていたかった。

 西に進路を決めた太陽は、なおも俺達の肌を焼きながら夏を演出し続ける。俺としてはもうちょっと手加減してほしいろころでもある、

 むしろ夕立ちがきて気温を下げて欲しい。

 せめてもの救いは海から来る体を冷やしてくれる海風だろうか。

 

「私は迎えの車があるけど、比企谷君たちは自転車かな?」

 

「ええそうですよ。庶民なんで自転車です」

 

「小町達は御近所ですからね」

 

「そっか。だったら雪乃ちゃんも送っていってもらえないかな?」

 

「姉さん?」

 

「喜んでこの兄が雪乃さんを送っていきますからご安心ください」

 

「おい、小町? なに言ってんだよ?」

 

「だって私はこれから千葉の方に帰らなくてはならないし、雪乃ちゃんとは方向が違うわ」

 

「車なのだし問題ないと思うのだけれど」

 

「だってほら、ご近所さんが自転車できてるんだから、車より自転車のほうが早いかもしれないわよ」

 

 それはないですから。いくら二人乗りで行ったとしても、俺もプールで疲れているし、そもそも車にかなうものではない。

 

「兄は小町を自転車の後ろにのせるのに慣れていますから、雪乃さんも安心して後ろにのって大丈夫ですよ」

 

「そういう事を問題にしているわけではないのよ」

 

「大丈夫ですって。今の時間なら風が気持ちいいですよ」

 

「だから、その……」

 

「あっ、迎えが来たわ。じゃあね雪乃ちゃん。また連絡するから」

 

「待って、姉さん」

 

「小町も行きますね。じゃあお兄ちゃん。雪乃さんのことをしっかりと送り届けるように」

 

「ちょっとまて小町」

 

「ではでは雪乃さん。今日は楽しかったです。また一緒に遊びましょうね」

 

「私も楽しかったわ。また御一緒できるといいわね」

 

「では~」

 

 俺の事を無視しまくった小町は、陽乃さんを追って帰っていってしまう。

 陽乃さんと一緒に車にのるきっかけを逃してしまった雪ノ下は、ぽつんとただ立ち尽くすしかできないでいた。

 それは俺も同じで、一人帰る手段を持たない雪ノ下を残して帰るわけにもいかず……。

 まあ、ここからなら歩いてでも帰れると思うが。雪ノ下に体力が残っていればだが。

 

「じゃあ、乗ってくか?」

 

「お願いするわ。最後も姉さんにやられたわ」

 

「気にするな。あの人に立ち向かっても面倒なだけだ」

 

「はぁ……、我が姉ながらはた迷惑な人ね」

 

「あれでもお前に気を使ってるんだろうけど、やり方がな」

 

「そうね」

 

 俺は雪ノ下を荷台に座らせペダルに力を込める。

 すすすっと回り始めるペダルは、思いのほか重くはなかった。いつもだったらだるいって文句を言いながらこぎ続ける羽目になっていたのだろうが、これも緊張による感覚のマヒなのかもしれない。

 俺の腰を掴む雪ノ下の両手は、遠慮がちにしがみつきながらも落ちないようにとしっかりと掴まれていた。

 送っていく俺に迷惑をかけないようにとの気遣いも含まれてはいるかもしれない。

 だけど、そんな気遣いは無用だ。二人乗りは小町で慣れているしな。

 それにペダルを回す脚は、プールで遊んだとは思えないほど軽かった。

 風を切り進んでいく俺達はさっきまでいた海の方を見やる。

 木々で遮られていて実際には海なんて見えやしないが、あそこにいた事実だけは本物だった。

 夏のある日、海に来た。この事実と思い出だけは俺の心に刻まれ続けるのだろう。

 来年ここに来るかなんてわからない。また小町が誘ってくれたら来るかもしれないけど、今日みたいな特別な感情を抱けるとは想像できないでいた。

 だったら今日は特別な日だったのだろう。

 そう思うと、軽かったペダルはなおも軽くなる。

 その代わりとして、背中で感じる雪ノ下の重さは腰にまわされた腕と共にリアルに体に刻み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 やっぱ近くで見るとでけぇな。ほんとこんな高級マンションの上層階に住んでるんだから、雪ノ下ってマジでお嬢様なんだよな。

 っていうか、陽乃さんが帰る時呼んだ運転手付きの車をみりゃあ金持ちだってわかるものか。まあ、あの車が俺達の最初で最悪な出会いでもあるから、今も雪ノ下にはわずかながらも負い目があるみたいだが。

 目の前まで迫ったマンションの入り口は、木々に囲まれている事もあってやや涼しく感じられる。それでも蒸し暑さが容赦なく残り少ない体力を削っていくので、俺の体力はわりとやばくはあった。

 

「……ありがとう」

 

「いや、問題ない。小町に送って行けって言われたし、お互い雪ノ下さんの陰謀に巻き込まれた被害者だしな。被害者同士助け合うのは当然だ」

 

 俺の口から助け合いなんて言葉が出てしまったせいで、雪ノ下はぽかんとした口を開け俺を見つめてくる。

 言った俺も気が狂っているとさえ思ってしまったが、そもそも雪ノ下は知らない相手ってわけでもない。しかも奉仕部で知り合ってからの一年。色々と助けてもらった事も力を貸した事もある。

 だとしたら、一方的な助力を毛嫌いする俺であっても、雪ノ下相手ならば助け合うなんて気まぐれも、ありなのではないかと思ってしまっていた。

 

「……そう。そうね。雪ノ下陽乃被害者の会の一員としては助けあうべきね」

 

「いつ被害者の会が結成されたのかは知らんが、俺もそのメンバーなのか?」

 

「今結成されたばかりよ。それに、比企谷君も普段から姉さんから被害を受けているわけだし、メンバーに加わってくれると力強いわ」

 

 小さく小悪魔めいた笑みを浮かべるものだから、俺はいつもとは違う雪ノ下に戸惑いを受ける。

 でも、悪くはない。このいつもと同じようで、ちょっとだけ違う俺達の関係。夏のせいだともいえるし、プールで解放的になった勢いだと分析する事も出来る。

 けれど、今目の前にいる雪ノ下だって、俺が普段目にしない一面であるだけで、もしかしたら由比ヶ浜と一緒の時には見せているのかもしれない。

 そもそも俺が知っている雪ノ下雪乃は、雪ノ下雪乃を形作っているほんの少しの一面でしかないのだ。

 

「そうだな。力を貸してもらえるというなら貸してもらうとする。協力とはいい響きだな。むしり取るように助けてもらうとするかな」

 

「あら? 相互援助が原則よ。比企谷君が私の助けを求めるのならば、私もそれに見合った対価をいただかないといけないわ」

 

 真面目そうな顔をしながらも、くすくすと目を細めるものだから、俺は再度雪ノ下に引き込まれてしまう。

 今日はこれで何度目だろうか?

 

「対価が払えるんなら絞りとってくれ。たぶんいくら絞ってもカスしか出ないと思うけどな」

 

「あら? 対価をくれるの? 私はてっきり……」

 

「対価を支払わないで逃げるとでも思ったのか?」

 

「ええ、そうね」

 

「そんなことをしたら、雪ノ下の事だから俺を非情に追い詰めていくだろ? そんな割に合わない目にあうんなら、自分から差し出すっての」

 

「いい心構えね」

 

「だろ?」

 

「誉めてはいないわ。私を鬼か悪魔とでも思っているのかしらってことよ」

 

「違うのか? あっ、雪女さまだったか?」

 

「…………比企谷君」

 

 蒸し暑いはずなのに、俺の背中を撫でる冷気に俺は身を震わせる。

 しかし、その情けない姿をお気に召したのか、雪ノ下の怒りは霧散してくれたようだ。

 

「いいわ。今日は比企谷君に送ってもらったのだから、私も対価としてお茶くらいは飲ませてあげるわ」

 

「たしかに喉が渇いたな。でもいいのか?」

 

「別に比企谷君は初めて私の部屋にくるわけでもないし、それに平塚先生も言っていたじゃない」

 

「なんていってたかなんて忘れたな」

 

「たしか……、自己保身にたけ、刑事罰に問われるようなことはしない、だったと思うわ」

 

「さようですか」

 

「ええ、それに、私としてもお礼くらいはしておきたいわ」

 

「それなら遠慮せずに茶をもらっていくとする」

 

 雪ノ下のあとを追い、向かっていった雪ノ下の部屋は、以前来た時と同じようにブルジョワ感を俺に見せつけてきた。

 別に成金趣味ってわけではないので、悪い気はしない。むしろ雪ノ下がそろえた家具は上品で、なおかつ温かみを感じさせるので居心地は良かった。

 ただ、なんていうか、ところどころに見え隠れするパンさんグッズが、見てはいけない秘密をみてしまった感を俺に与えてきてしまう。

 俺は雪ノ下がパンさんが好きなのを知っているし、雪ノ下も俺には隠してはいない。もはや開き直ってる感さえあるわけで。

 それでも俺がパンさんグッズを見つけるたびに敏感に視線をそらしてしまうので、それを見た雪ノ下は黙って恥じらいに耐えていた、

 いや、ほんとにこの趣味は悪いとは思ってないのよ。雪ノ下にしては可愛い趣味をもってんだな程度だし、人に言っても馬鹿にされるような趣味とも思えないしな。

 なんて、俺って悪い事しちゃったかなって思っていると、雪ノ下は俺をリビングにおいてキッチンへと隠れてしまっていた。

 まじで、あとで怒られる? いや、俺も一応はお客だし、今日は大丈夫か、な?

 そんなこんなの意味不明の迷走劇も、雪ノ下が用意した紅茶の前に、あっけなく終焉を迎えた。

 

「悪いな」

 

「別にいいのよ。私も喉が渇いていたわけだし」

 

 カランと揺れるグラスの中の氷が熱い紅茶と混ざり合って溶けていく。

 グラスに薄っすらと見え始めた雫は、今もなお紅茶の温度を下げていくのを示していた。

 

「アイスティーとは珍しいな」

 

「自宅ではわりと飲んではいるのよ。でも学校では氷がないから」

 

「なるほどな。でも、部室に氷があったら助かるな。部費で冷蔵庫とか購入できないのか。今年は新入部員が入ってきたし、部費もアップしたんじゃないの?」

 

「どうかしら? そもそも奉仕部は正式な部として認められているのかしらね?」

 

「どういう意味だよ。平塚先生が顧問で、雪ノ下が部長だろ?」

 

「一応はそうよ。でも、考えてみなさい。去年あなたが入部する前は私一人だったのよ。どこの学校に部員一人の部活があるのかしら? たしか正式な部として認められるのには部員が5人必要だったはずよ」

 

「それだと部活として認められていなかったんだな」

 

「そうね。それに同好会であっても最低構成人数が二人だったはずだから、私一人では同好会としても認められていなかったはずよ」

 

「平塚先生……。けっこういい加減だったんだな」

 

「でも、今年は部員が五名になったのだから部費は出ているはずよ」

 

「まじで?」

 

「でも、創部初年度であるわけだし、実績もない部活に多額の予算は回してもらえないわ」

 

「だとすれば、冷蔵庫は夢ってことか」

 

「そのようね」

 

 雪ノ下が頬笑みこの話題に終止符を打つのを確認すると、俺はほどよく氷が溶けたアイスティーを喉に流す。

 基本的には冷たくなったアイスティーも、ところどころ氷で冷やしきってない熱くてぬるい部分もあり、何とも言えない停滞感を醸し出している。

 とくに均一に冷やすことにこだわっていないし、これはこれでありだとは思う。

 なんというか、ちょうど今の俺と雪ノ下のようなよくわからない関係に似ているのだ。

 友達というわけでもなく、かといってただの他人とみなす事もできない。部活仲間と割り切る事もできるが、俺としては部活だけで結び付いている関係とは考えたくもなかった。

 だとしたら、俺と雪ノ下の関係とはどういうものだろうか。

 今はよくわからない。けれど、嫌いではない関係に俺は安堵に近い感情を覚えた。

 俺は部室と同じように緩やかに紡ぐ今の時間に心に安らぎを感じ取っていた。

 

「ガムシロップもあるけれど」

 

「いや、このままでいい。香りも味もいいけど、部室で飲んでいるのとは違うよな?」

 

「あら、気がついたようね」

 

「さすがに毎日のように飲んでいたからな」

 

「これはアイスティーにあうようにブレンドされたものよ」

 

「なるほどな……、これはいいな」

 

 俺はもう一口グラスに口をつける。

 俺には自慢するような紅茶の知識なんて持ち合わせてはいない。それでもなんていうか、雪ノ下が淹れる紅茶のうまさに飼いならされてしまった言うか、調教されてしまったというか。

 なんていうか、まあ、胃袋を握られてしまったのだろう。……紅茶限定だけど。

 

「……ひ、比企谷君っ」

 

 これは珍しい。雪ノ下が声を裏返して言葉に詰まっただけでなく、何とも言えない恥じらいを帯びた顔をしている。

 俺、なんかやばい発言したっけ? どうも思い付かないのだが。とりあえず俺の方から出てしまうとどつぼにはまるし、ここは様子見だな。

 

「ん、なんだ?」

 

「こ、これをあげようと、思って」

 

 雪ノ下がソファーの横から取り出した物体は、綺麗にラッピングされた、まあ……誕生日プレゼントなのだろう。

 見た目からすると、本かなんかだろう。本なら雪ノ下らしいし、この薄さと大きさからすれば、本以外は思い浮かばないしな。

 

「えっと、それって……?」

 

「今日が比企谷君の誕生日だったはずよね。私も比企谷君から誕生日にプレゼントをもらったわけだし、お返しをしないわけにはいかないわ」

 

「それはすまないな。ありがたく受け取らせてもらう」

 

 受け取った重さからも、やはり本のようだ。

 ようやく重圧感から解放された雪ノ下は、ほっとした表情を浮かべながら紅茶を飲み、手にしたグラス越しに俺を覗きこんでいた。

 

「開けていいか?」

 

「どうぞ」

 

「では遠慮なく……………………、えっと、これは?」

 

「数学の問題集よ。表紙に書いてあるじゃない」

 

 そりゃあ表紙にはでかでかとセンター試験模試問題集と書かれてはいる。

 これって誕生日やクリスマスプレゼントで、親が子供から反感をかうプレゼント第一位を毎年独走するプレゼントではないでしょうか?

 俺もただで貰ったものだし、そのうち買う必要がある問題集ではあるから邪魔にはならないはずだけどよ。

 それに雪ノ下が選んだ問題集なのだから、きっと他の問題集と見比べて俺にチョイスしてくれてもいるはずで、雪ノ下なりの心使いも伺える。

 それに、今日ここに誕生日プレゼントが用意されているってことは、予め雪ノ下が俺の誕生日の為に用意しておいてくれたのだろう。ただ、雪ノ下も陽乃さんに騙されてプールに連れてこられたわけだから、今日渡す予定だっからは不明だが。

 まあ、陽乃さんの事だから、なんらかの事情で雪ノ下のプレゼントの事を知って、それを俺に届けさせるために小町と共謀したのだろう。その辺が妥当な線だな。

 でもさ、でもよぉ、でもねえぇ…………やっぱ一位を独走するだけはあるって実感してしまった。

 

「一応聞くけど、……いやその前に誕生日プレゼントありがとな」

 

「どういたしまして」

 

「それでは改めて聞くけど、どうして数学の問題集?」

 

「比企谷君がセンター試験で数学が必要になったからよ」

 

「そうなんだよなぁ。いきなり親から国立行けって言われてさ。いきなりだぞ、いきなり。こっちは小町の合格が決まって気持ちよくなっていたところに、いきなり国立行けって」

 

「……どうして急に?」

 

「両親曰く、小町の受験を見て、小町は国立は難しいと判断したらしい。そうなると俺も私立大行く予定だし、小町も私立大だろ。やっぱ親としては財政的に厳しいらしい。無理ではないらしいが、こづかいカットは否めないとかで、バイトに行くのも面倒だし、頑張って国立にいくことにしたんだよ」

 

「国立大学に行く事自体は悪い事ではないと思うのだけれど」

 

「入れればな。小町も親も近くにいい国立大があるんだし、そこに行けって気楽にいいやがる。これでも小町にはいいところを見せたいお兄ちゃんとしては頑張りたいところだが、1,2年のとき数学やってこなかったつけは大きいな」

 

「…………そう」

 

「なあ、その顔からすると、なにか知ってたのか?」

 

 雪ノ下の表情に特に大きな変化があったわけではない。

 なんというか、勘とでもいえばいいのだろうか。そんな感じのふつうなら見逃してしまいそうな変化を捉えてしまった俺は、とりあえず確認をとることにした。

 

「……はぁ。いずれ小町さんから言われるかもしれないから言ってしまうのだけれど」

 

「小町?」

 

「ええ、小町さんよ。時期としてもあっているわ」

 

「時期っていうと、小町の合格発表か?」

 

「そうよ。小町さんが合格したお祝いをした帰りの事だったわ。小町さんが神妙な顔をして言ってきたのを今でも覚えているわ」

 

 あいつがマジな顔って、それは軽くはいなせないな。雪ノ下の元々の真面目な性格もあるわけだから、下手な対応もできなかっただろうし。

 

「小町さんから言われたの。大学でも比企谷君をよろしくお願いしますって」

 

「あいつ……」

 

「よっぽどお兄さんが心配だったのね。あなた、小町さんの兄ではなくて弟のほうがあっているのではないかしら」

 

「それはたまに思う事もある」

 

「思ってしまっているのね。自覚症状がある分救いがあるともいえるけれど……」

 

「それで雪ノ下はなんてこたえたんだ?」

 

「不可能よってこたえたわ。だって私は国立大志望だし、比企谷君は私立志望じゃない。比企谷君が私立大学に落ちて浪人する可能性はあっても、私が国立大に合格できない可能性は低すぎるわ」

 

「さようですか」

 

 そこまで自信満々に言いきるだけの学力があるもんな。普通だったら馬鹿なこと言ってるっていわれてしまう発言だが、こいつがいうと事実だとしか思えないのがすごい。

 

「でも、小町さんもなかなか納得してくれなくて。大学が違くても、たまにあってほしいとまで言われたわ」

 

「迷惑かけたな」

 

「迷惑をかけているのはあなたの方よ。小町さんはあなたを心配しているだけだもの」

 

「ですよねぇ……」

 

「だから、私も根負けして言ってしまったの。もし比企谷君が私が行く国立大に合格できたら面倒みますって」

 

「……あっ」

 

 これで全てがつながった。

 いきなり両親に国立大行けって言われたのは、小町が親をけしかけたのだろう。

 そもそも俺は高校入学時から私立大に行くと宣言していたのだから、もし私立が財政上無理ならば高1の時点で国立に行けと言われているはずだ。

 つ~か、俺ってそんなに心配かけてるの?

 これでも一人で生きていけるようにやってるつもりなんだけどな。

 

「ごめんさない。たぶん私のせいね」

 

「いや、俺のせいでもあるし、小町が面倒かけたな」

 

「だからというわけではないのだけれど、あなたがセンター試験で数学を満点とれるようにしてみせるわ。国立の二次試験で数学がなく助かったわ」

 

「ちょっとまて」

 

「あら? あなたが志望する学科は、センター試験では数学が必要だけれど、二次試験では国語、歴史、英語だったはずよ」

 

「その通りだけどよ」

 

「それにセンター試験の数学は、あなたが好きな暗記で対応できるわ。暗記さえしてしまえば数学の満点は難しくはないわ。むしろ英語の方がとりこぼしやすいのよね」

 

 それは、もともと満点取るつもりの人の考え方であって、今もなお目標点にはほど遠い俺には無縁な事情ですよね?

 

「そんなに難しい顔をしなくても大丈夫よ。予備校の帰りにきっちりと数学の面倒を見てあげるわ」

 

「予備校の帰りって、同じ予備校だったのか?」

 

「気がつかなかったのかしら?」

 

「俺は授業が終わったら、とっとと帰ってたからな。他のクラスの様子なんて興味もないしな」

 

「そう? それでもあなたは目立っていたわよ?」

 

「そうか? 予備校は高校と違ってぼっち多いぞ。勉強の為に来てるんだし」

 

「そ、そうだったかしら?」

 

 こいつ、なにを慌ててるんだ? 自分もぼっちだったことを忘れでもしたのか?

 頬を桃色に染める雪ノ下の姿に眉をひそめうが、臭いだつ色気に俺は身を固くしてしまった。

 まあ、いいか。どうせ俺はぼっちはぼっちでも、年季が違うぼっちだったから目立ったのだろう。

 

「でも、数学を教えてもらえるのなら助かる」

 

「私もセンター試験の復習にもなるし、教える場所もうちであれば時間的ロスも発生しないわ」

 

「ここでやるのか?」

 

「予備校の自習室では声を出せないじゃない。それに、うちは予備校と比企谷君の家の間にあるわけで、比企谷君にとっても場所的には問題はないはずよ」

 

「それはそうなのだが」

 

 でも、雪ノ下はいいのか? 赤の他人ってわけではないが、男を頻繁に家にあげるんだぞ?

 

「それに、小町さんと約束してしまったのだから、今さら比企谷君を見捨てる事はできないわ。だから責任を持って比企谷君の面倒を見なくてはならないのよ」

 

「えっとまあ、そのなんだ。ご迷惑をおかけします」

 

「別にいいわ。私たちは雪ノ下陽乃被害者の会の一員なのだし、相互援助は基本よ。だから比企谷君。いつか私にも比企谷君の力を貸してもらえると嬉しいわ」

 

「あぁ、俺が必要になったらいつでも言ってくれ。そのときは何があっても雪ノ下を助けるよ。……まあ、なんだ。いつでも味方でいるくらいは出来るからな」

 

「期待してしまうわよ」

 

「かまわん」

 

「ありがとう」

 

 一応雪ノ下なりの落とし所は見つけてはいるのか。

 だが、これからも雪ノ下と一緒ってわけか。

 今までは大学生になった自分はなんとなく適当に大学生をやっていくのだろうと漠然とした灰色のイメージだけはあった。

 しかし、隣に雪ノ下がいるとなると、色着いたカラフルなイメージが俺に具体性を帯びさせていく。

 悪くはないどころではない。むしろ掴みとってみたいとさえ思えてしまう。

 いや、絶対掴み取りたいとさえ思えてしまった。

 ふと見上げると、俺に頬笑みを向ける雪ノ下の姿が小町と重なる。

 小町は雪ノ下みたいに上品に笑いなどしない。

 からからと笑う元気娘の顔は、今や簡単に脳内再生できるまでである。

 おいおい小町。これがお前からの誕生日プレゼントかよ。すっげえ手の込んだ、しかも時間をかけたプレゼントを用意してくれたものだ。

 お前が言っていた「小町自身がプレゼント」って意味、今ようやくわかったよ。

 ほんと出来過ぎの妹を持ったものだ。

 誕生日。生まれた事を祝う日だ。

 でも、俺にとっては一年のうちの一日にすぎない。

 俺からすれば、小町の誕生日の方が数百倍も大切であり、小町を生んでくれた両親に感謝しまくる日でもある。

 まあ、俺が生まれてこなければ小町にも会えないっていう矛盾もあるわけだが、こんな俺の誕生日。

 ほんと悪くはない一日だった。

 でも俺は、俺の事を祝うよりも、雪ノ下、小町、ついでに陽乃さんの存在を祝いたいほどだった。

 

 

 

終劇

 

 

 

 

 

 

 

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