全くの偶然だった。
ストラップを買った後、俺は喫茶「あんていく」に向かうつもりだった。篠原さん達から聞いた通りなら、そこに彼がいるはずだと踏んで。
その道中、明らかに元気のなさそうな青年を――金木研を見かけたのは、本当に全くの偶然だった。
いや、彼自身生活圏がこの20区なのだ。活動範囲が似通えば、全く遭遇しないということもあるまい。だがだからこそ、このタイミングでの遭遇に俺は何か作為的なものを感じもした。
もっとも、気のせいだと言われてしまえばそれまでなのだろうが。
「亜門、さん……?」
「嗚呼。喰種捜査官をしている者だ」
俺の言葉に、彼は少し驚きながら首を傾げた。
そんな彼を、俺は注意して観察する。髪の色は黒い。アオギリ以降は真っ白な頭をしている「奴」だが、しかし遭遇した当初は確かこんな黒髪だったはずだ。
背はそこまで高くはない(俺を基準に考えれば)。
そして目を引くのは、病院で付けているような眼帯――「奴」とは反対側につけられたその眼帯に、俺は違和感を覚えなかった。
「少し話を聞きたい。時間をもらえないだろうか」
俺の言葉に、目の前の彼は少し逡巡してから、顎を触りながら言った。
「あまり長くなければ大丈夫です」
頭を下げながら、俺は近くの自動販売機まで彼と一緒に歩いた。何か飲むか聞くと「缶コーヒーで」と笑って答えた。味の指定がなかったからかなり甘いものを落として渡す。
「……あ、あはは、どうもです」
何故皆、俺が買った缶コーヒーに対してこんな反応をするのだろうか(アキラに至っては顔をしかめていたか)。
どこか腰を落ち着けられるところを、と考えて、近場の公園のベンチに座った。母親に見守られながら、幼稚園児くらいだろうか、子供達が懸命にボールを蹴っている。
隣に座った彼は、金木研は、どこかそれを眩しそうに、哀しそうに見ていた。
嗚呼、そうだ。これだ。「君だ」。――物腰も、細かい所作も、何から何までもがそうだと意識すればする程、奴と、ハイセと被る。
「……あの、話って何でしょうか。前にも一度、捜査官の方と話しましたけど」
だが、だからこそ、今の俺にそれを追及することは出来ない。
仮面ライダーを名乗るハイセのことを。……仮面ライダーという存在について迷っているからこそ。
俺は、君に話を聞きに来たのだから。
「嗚呼、済まない。取調べのようなものではないんだ。ここには俺は、あくまで俺個人として来ている」
「?」
「――怪物になった人間が、怪物の味方をする」
その言葉に、金木研は少し目を開き、顎をさする。
その様子を見なかったことにして、俺はふっと笑った。
「最近、似たような話に遭遇してな。まぁ本題はそこじゃない。
……少し、分からなくなってしまったんだ。俺は」
「分からなくなった?」
「嗚呼」
喰種捜査官としての俺が戦ってこられたのは、ひとえに、根底に怒りがあったからだ。
家族を騙り、家族を奪っていたあの男への。
その後「仮面ライダー」に救われ、より本格的にヒトを守るため捜査官を志すようになり――そこでもまた、沢山の仲間を、ヒトを失った。
決して晴れる事のないものだと思っていた。だからこそこの義憤は、正義でなくてはならないのだと。
だからこそ――仮面ライダーが喰種だとなると、その決意に揺らぎが出てくる。
駆除すべき悪としての、捕食者としての喰種である存在が、何のために同属と敵対して、俺たち人間を助けたのか。あの時――俺は彼を、決して喰種としては見れなかった。ついこの間、安浦特等に指摘されるまで、二つを結びつけて考えるなど全くなかったのだから――。
「怪物が……、そう、怪物だ。
怪物が、ヒトを守るんだ。その理由が、俺には分からない。分からないんだ……。いや、認めたくないのかもしれないな」
「認めたくない?」
「俺は――愛するものの多くを、奴らから奪われ続けた」
金木研は、何も言わずに俺を見ている。促しも、止めもしない。
「だからこそ、奴らを、俺は悪として見ることしか出来ない。そこは変わらない。変えてはいけない。
だが……、もし人間を積極的に襲わない、そんな怪物が出てきたら、次に会ったら俺は、武器を持って、殺意を振り回せる自信がない」
「……」
「捜査官失格だな。だが、そういうような迷いが確かに俺の中にあるんだ。
そんな時、君のことを思いだした。去年、臓器移植を受けてから生活に変化があったと聞いている。だが俺の予想だが――きっと、捜査官に話したものだけではないはずだろう。その変化は」
「……それは、」
「無理に聞こうとは思わない。だから、あくまで話をしに来たというだけなんだ」
コーヒーを一口飲み、改めて、俺は彼の顔を見る。
少し頼りなさげに見えるその表情だが。しかし、俺の話を彼は真摯に聞いてくれているようだ。まるで、こちらの事情を多少なりとも理解しているとでも言うかのように。
それを見て、俺は確信する。だが、その確信は決して口には出さない。……全く、この姿勢こそ捜査官失格に違いない。だが今の俺が捜査官として再び立つためには、必要なことであった。
「状況が変わっても、立ち上がるために。立ち向かうために。
それは、何が必要なのだろうか」
――例えば、
人間から喰種のようになってしまって、それでもなお忌み嫌うべき相手のために立ち上がり、本来自分が居るべき場所に立ち塞がるというのは。一体何があって、そう変化してしまうのか。
俺の言葉に、金木研はしばらく黙ってから、そして視線を逸らして、あごをさすりながら答えた。
「……大したものは、いらないんだと思います」
彼は自嘲するように笑いながら、話しながら考えを整理しているようだった。
「誰かを助けたいって思うそれに、違いはないと思います。僕も小さい頃、そう思うことがありましたから。
でも、それだけじゃたぶん駄目なんだろうなって、最近思ってるんです。だって――行きつくところまでいけばきっと、友達や、大事なヒトたちを泣かせてしまいます」
「……」
「本質的には守りたい人達が居る。守りたい場所がある。
だから、そのために戦うって、それだけじゃないかって思うんです」
「守りたいもの、か」
「はい。でも、それを支える信念は必要だと思うんですけど。
やっぱり――目の前で奪われたり、失われたりするから。だから、戦うんじゃないかと思います」
みんなに笑顔で居て欲しいから――と。
そう、だな……。考えてもみれば、簡単な話だった。俺は仲間を、守りたい人たちを守りたい。彼らが笑って暮らせるような、悲劇のない世界でありたい。
だからこそ彼らが窮地に陥れば、問答無用でクインケを振りぬく。
……だったら君は、誰のために戦ったのかと。
決してこの場で問うてはいけない言葉が、一瞬口から出かかる。それを俺は自制し、彼の横顔を見た。
微笑みながら、どこか暗い瞳。しかし決して悲壮なものではない。言うなれば、覚悟の決まった目だ。後先を考えず、今、目の前にある苦難と立ち向かおうとするような――。
「あの、僕の相談にも少し乗ってもらえますか?」
「……ん、あ、ああ」
唐突にふられ、俺は反射的にそう答える。「そんなに変なことは言いませんけど」と前置きして、金木研は言った。
「……女の子の振り方って、何かありませんかね」
「……む、むぅ?」
そして、妙に反応に困るようなことを聞いてきた。
「それは、詳しく聞かせてもらって良いか? 判断材料が……」
「…………僕は、すごくその子に助けられたんです。だから、その子が『一人にしないで』って悲痛に叫んだのを聞いて、だから、一人にしないように努力して。でも――僕と一緒にいることで、その子が不幸になるのなら、僕は一緒に居る資格はないのだと思ってます」
「……だから、振ると?」
「結果的には、たぶん」
難しい問題を、さらりと語る金木研は、やはりどこか寂しそうに笑っていた。
これだ。何をしても、本音を語るような場面において彼は終始暗い。普段の物腰は永近から聞いていた通りだが、この部分は永近が語らなかったところか――。いや、ひょっとしてそうではないのか?
永近が大事だから、彼はあえて、そういった面を見せようとしないのか?
その可能性が高いように、俺には思えた。何故ならまさに今、彼が発言している内容が、文字通り答えだ。相手を不幸にしないために、悲しませないためなら喜んで身を引き、投げ打つような姿勢は、思考停止していると言われても言い返せないそれだろう。
だからだろうか――永近のやきもきとした顔を思い出したからか、俺は彼に、普通にアドバイスをしていた。
「君は、どう思ってるんだ?」
「……僕?」
「嗚呼。そうすることは、辛くないのか?」
「それは……」
「俺は……、大切なヒトを守ることが出来なかった。その場に居合わせさえしなかった」
「……」
「だからだろうかな。そうやって、悩めることは十分贅沢なことなんじゃないかと思う」
「贅沢、ですか」
「言うまでもないとは思うが、失ったものは取り戻せない。……特に、自分がしたかったことは」
「自分が、したかったこと……」
俺の言葉を繰り返し、金木研はうつむいて、握った己の拳を、じっと見た。
「……キツいな、これ」
自嘲するように笑うその顔は、どうにも他人事のそれとは思えない感覚があった。
お互い二、三言交して、俺は彼の元を離れた。
話してみて、やはり良かったかもしれない。俺の中で疑惑が確信にまで変わったが、だからこそ確信できた。
確かに彼は、人間だ。人間の領分で生きようとしている。
だったらば……。だからこそ、何故彼がこうならなくてはいけなかったのかと、思ってしまう。何故彼が仮面ライダーを名乗るに至ったのかと。
だが、それ以上の言葉は交せない。
そうすれば、それは俺の「人間の領分」を超えてしまう――。
「あ――っ」
耳に聞こえた声に、俺はふと顔を上げる。
前方には、見覚えのある顔が居た。ある時は嘉納の地下研究所で。ある時は、CCGアカデミーで。
片目は、眼帯で覆われている。彼のように。
「……安久か」
「……あ、もん、さ――」
彼女の言葉を手で制し、俺は笑おうとし、出来なかった。
安久……彼女が喰種になった理由までは分からないが。だが少なからず、CCGを離れただろう理由に心当たりがあった。俺自身が、確証にまで至れてはいない理由が。
だからこそ、それを差し置いて俺は聞く。
「お前は、どっちだ?」
人間か、喰種か。
人間として生きているのか――喰種として生きているのか。
俺の言葉に答えず、彼女は俯いた。その目は酷く憔悴しており、そして哀しげなものだった。
彼女には確か、双子の妹が居たはずだ。
今の彼女の傍には、それさえないー―。
「……俺は、お前たち姉妹に何があったのかは知らない」
「……」
「だが……、せめて人間らしく生きてくれ」
「!」
安久は目を大きく見開いて、こちらを見た。
俺は何も言わず、その場から立ち去る。
―― 一つだけ、俺の中で結論が出た。
彼らが「人間の領分」で生きているのなら、俺は彼らを、駆逐することは出来ない。
だが、もし「喰種の領分」で生きたのなら――。
今度こそ迷いなく、戦おう。
俺の大切な、愛すべき人達のために。
トーカ「・・・研、遅」