――高槻泉「王のビレイグ」より――
※原作ネタバレ注意回
ようやく、と言うべきか。
ようやく、店長に話を聞くタイミングが出来た。ここのところ忙しかったり、店長の都合が合わず中々話し合えなかったりといったことが続いて。
それでも自分なりに整理をつけた上で、僕は店長に聞こうと決意した。
「手間をとらせてしまったね。私も中々忙しかったから」
夏場だというのに黒いコート姿だった店長は、帽子も含めて脱いで、僕に珈琲を淹れてくれた。
匂いも、味も、いつもと変わらず。
それがもたらしてくれる安心感を胸に、僕は口火を切った。
「いくつか、聞きたい事があります。
……店長と『隻眼の梟』――いえ、エトさんは貴方の娘なのか。
あるいは、どうしてアラタさんの名乗っていた『仮面ライダー』を店長が名乗っているのか」
「……そうか、会ったのかあの子に」
聞いたのは本人からじゃありませんが、と僕はカップの中を見つめながら答えた。
「四方さんから示唆された、という程度です。でも、少なくとも一度はその姿をみたような覚えがあって……。だからこそ、導き出せる結論はそう多くない」
「子供だ、と考えたのは」
「……なんとなく、そうなのかなって。勘でしょうか」
ふと僕は、店の表の方に思いをはせる。そこにはカップが三つ並んでいて、それぞれにK、U、Eとイニシャルのようにアルファベットが彫られていた。時折それを店長は、とても大切なもののように見つめていたのを、僕は見ていた。
「元気そう、だったかね?」
「ええ。あと……、包帯ぐるぐる巻きでした」
「…………」
店長は一瞬押し黙った後「ノロイはちゃんと育ててくれたのだろうか」みたいな呟きをしていた。
「そう、だね。……話せることと、話せないことがあるが」
ちらりと、店長は一瞬入り口の扉を一瞥した後、視線を逸らして、空を仰ぐように見た。
「――昔、
※
『ふっふ……』
『やばい、アイツらが追ってくるぞ――』
三人の喰種が夜の街を駆ける。暗がり、路地裏は喰種が多く潜んでいるが、彼らもその例には漏れて居なかった。もっともそれが仇となり、喰種捜査官に目を付けられることになったのだが。
追っ手は二人。それぞれがバレットを構え、三人を追い詰めている。
やがて袋小路に行き詰ったとき、その運命は決したかのように見えた。
『お前たちには、吐いてもらわにゃならん情報がある。大人しく殺されると思――』
だが――、捜査官の一人が、表情を歪める。
見れば、己の腹を貫通する赤い刃――赫子。
『が――ッ』
『田井中!? お――』
叫んだもう一人も、顔面が、鼻から上が消失した。
倒れ付す捜査官たちを見下ろすのは、険しい表情をした大男。目には何ら感情も浮かんで居ないように見える。
『あ、あんた……助かったぜ。ありが――』
その大男は、三人が礼を言うのを待つまでもなく襲い掛かった。
肩を覆うような刃――顔の半分を覆う仮面。
その仮面が赤く染まる頃には、地面には五つの肉の塊が転がっていた。
――多くの喰種がそうするように、その喰種も生きるために多くを奪った。
人間の命であり、捜査官の命であり――時にそれは、同胞たる喰種の。
功善。
善たれ、という名とは裏腹に、彼は何もわからず、何も見えていなかった。
彼は、ただ生きながらえようとしていた。奪うだけの運命を呪いながら、しかしそれから逃げ死ぬ勇気さえなく。何も成さず、強く、孤独に。
……
そして彼の存在は、「ある喰種」たちも知る所になる。
「『調停者』『法の王』、『ナインヘッド』。あるいは単に――『
「V……?」
功善は、彼らと手を組んだ。圧倒的に楽になれたからだ。
組織に属した功善は、掃除屋として仕事をこなす事になる。彼は人間、敵対組織、喰種を屠り、喰らった。
殺し、文字通り「掃除」したのだ。
生活そのものにさほど変わりはなかった。だが衣食住、何一つ不自由することなくなったというのは、彼に多少の余裕を持たせるに至った。音楽を聞く趣味も得た。足しげく通う喫茶店も出来た。日曜大工だってするようになり、段々と、無意味だった彼の生に彩りが出てきた。
何より「食」に関する問題の解決こそが、彼にとって最も安心できる材料だった。
ただ……、生活が満たされたからといって。目的を与えられたからといって。彼の胸の穴は埋まることはなかった。
「……」
「組織は、彼の居場所に成りえなかった。
ただ――」
ただ、そんなある日。
彼がよく通うようになった喫茶店「antique' an」と言ったかな。昭和期からありそうなその旧い喫茶店でのことだ。
オーナーがいつものように常連の男性と、毎日のように競っている体脂肪率の話を聞きながら、小難しい本を片手に珈琲を飲んでいた。
空になったカップを一瞥し、しかし何もせず、ただぼうっと空を見上げていた。
『お代わりはいりませんか?』
無言でカップを差し出すと、彼女はふっと微笑んだ。
『いつも同じ席で、いつも同じ珈琲で……。ふふ、すっかり常連さんって感じですね』
『……?』
今まで話しかけられることはなかった。振り返り、ここで私は初めて彼女の姿を見た。
短い髪に、なんだか楽しそうに笑うその表情は今でも「覚えている」。
『砂糖なしで、ブレンドはいつも通り、ですよね?』
誰かに覚えられる――組織や敵対者を除いて、誰かに初めて自分を覚えられた。功善は、どうしてかその事実に戸惑った。
――
好奇心が強く、感性が独特で、喰種の彼から見ても変わった女性だった。
『いや、年齢もう十歳くらい年上だと思ってました! 結構若いんですね』
『ええ~!? クゼンさん、こんな字も分からないの?』
……後、言葉に割りと容赦がなかったかな。
裏表がなかったということだったか、あれは。いやはや。
本当に不思議なことに、彼と彼女とは気が付くと、よく一緒に出かける間柄になっていた。最初は、確か夜道でばったり会って、家まで送って行ったことだったか。
ともあれ少し落ち込む私を笑って励ましながら、彼女はやはり楽しそうにしていた。
『名前難しいのに、難しい漢字苦手なの?』
『家庭が貧しく、すぐ働きに出ていたから……』
『知的な顔つきなのに。大変だったんだね。レコード聞くのも、目で文字追わなくていいからね。そっか……。
――じゃあ、私が教えてあげる』
『……え?』
『まずは鉛筆とノート買わないと。ほらほら』
『あ、ちょっと――』
腕を掴んで引っぱる彼女は、やはり何故か楽しそうだった。
功善にとって、彼女は分からないことだらけだった。
それでも、孤独で、誰にも心開かなかった彼は、彼女には何故か心を許し始めていた。
彼にとって、それは不思議な体験だった。
――だからこそ、好奇心旺盛な彼女が、
元々勘も鋭かった。気が付けば彼女は私の後を付けており――決定的な瞬間をその目に収めていた。
殺さなければと思った。赫子を振りかぶり、私は彼女に向けようとした。
だが――彼女は抱擁を返すだけだった。
彼女は泣いていた。ずっと一人で辛かったろうと、憂那は私に涙を流していた。
……彼女を殺すことは、出来なかった。
憂那は、
私もまた――憂那を受け入れた。
「『組織』も何故か祝福してくれた。一階にあるレコードの再生機は、実はその時のお祝いなんだ」
「……」
満ち足りた生活だった。それは生来、彼が感じては来なかったものだったから。
ある日、彼女に話があると言われた。膨らみ始めたお腹を見れば、何を言わんとしているかは鈍い私にもわかった。
でもだからこそ、私は正直に伝えた。人間と喰種との間に子供は望めないと。栄養が足りず衰弱死するだろうし、万一生まれたとしても……。
「奇跡でも起こらない限り、普通に子は埋めないと。
そして――彼女は奇跡を起こそうとした」
ある時仕事から帰れば、彼女は私の食事に喰らいついていた。……泣き言も言わず、それでも堪え切れないのか涙が流れていた。血にまみれた顔を拭い、私を見て、それでも懸命に笑おうとした。
私は、どうにも弱かった。何も言えなかった。抱きしめてやるくらいしか出来なかった。
……生まれてきたあの子と、母となった彼女とを抱きしめてやることしか。
娘が……、
あれが幸せだと、今だから言える。今だから……。
私も彼女も、親としてはまだまだ半人前で。苦労もしたし、工夫もしたし。そんな毎日が愛おしかった。
私は、ようやっと愛するということを知った。
……ある時、一冊の手帳が目に止まった。
娘の成長記録や、私の観察日記(?)じみたものの中にまぎれていたそれは、私の立場では到底許容すべきでないものがあった。
彼女はジャーナリストだった。そして「V」の大きさと影響力に気づいた彼女は、独自に調査を進めていたらしい。そして――おいたを超えた彼女に、組織もどのタイミングでか気づいた。
「V」は強大だった。いくら私が強かったと言えど、とても一人で太刀打ちできるものではなかった。
『けじめを付けろ、功善』
『芥子、私は……ッ』
逃げ場は既に閉ざされていた。
『私、殺されちゃうんでしょ?
わかってるから。ゼンが、そんな顔してるの見たら』
彼女を囲い、赫子を向けた私に、憂那は微笑んだ。
『えっちゃんのこと、頼むね?
――ごめんね、また一人にしちゃって』
震える拳を隠しながら、それでも彼女は最後まで、私に笑顔を向けていた。
最後の最後で、私は彼女を理解することが出来なかった。だが、これだけは確かだった。憂那も功善も、家族を愛していたのだと――。
私はもう、掃除屋として仕事はこなせなくなってしまった。組織もそれを理解したのか、彼にその仕事をふることはなかった。
私は、結局それでも組織と縁を完全には切れなかった。
いずれこのまま生きていれば、エトにも被害が及ぶだろう――。私は決断した。自らの手の内から、彼女を離さねばならないと。
24区に居た信頼できる友人に、「家族の思い出」のノートと、「生きるための術」として、彼女がまとめた組織に関するノートを手渡して。
※
店長の言葉は、途中から「彼」が「私」に置き換わっていた。
「その後、今に至る下地を作った。20区で争っていた古間くんとカヤちゃんを押さえて、説いて、あんていくを作って。鯱から色々教わりながら、店を運営して。
……今でも、わずかながらだが『組織』がここの運営に手を貸してくれている」
「……」
「十年ほど前だったか。……アラタくんが、言ったのだよ」
「!」
芳村さんは、自分の手を見つめながら話を続けた。
どこかそれは、自分を責めるような色を帯びた声音だった。
「アラタ君は、あんていくの理念をどこから聞きつけたのか知っていた。そしてこうも言った。彼は時折店にくるくらいの間柄だったのだが、こう言っていた。『僕には時間がない』と」
「時間が……?」
「彼はドライバーを使って『変身』していた。だが同時に、ドライバーの限界を超えようとしていた。
……クインケドライバーも万能ではない。彼のRc値は、狂気は、人工のそれを上回るだろう箇所まで来ていた」
ぎりぎりを超えても人肉を拒否し続けたことも悪かったかもしれないと、芳村さんは言う。
「求めすぎた力の代償に、彼はいずれ、自分自身が――『仮面ライダー』を名乗るに足る存在でなくなると言った。そして、こう言った。自分の代わりに、仮面ライダーを続けてくれないかと」
「……」
「私は拒否できなかった。ただ、私自身はその名を名乗る資格はないと思っていた。彼の話を聞いて、彼がそれを名乗るに至る話を聞いて。人間と喰種との共存のためにと、戦っていた彼を見て。
だから、私は思った。その呼び名を、いずれ次ぎの誰かに託すべきだと――」
芳村さんは、こちらを見る。
薄く開かれた目は、全く笑ってなかった。
「それと前後して、隻眼の梟と呼ばれる喰種の存在が確認された。あの子は……、悲しいが、世界を憎んでいた」
「……それは、」
「彼女を託した相手、私の友人に、何かあったのかもしれない。だが現状、もはやそれを確かめる術もない。
出来ることはと言えば、CCGにより致命傷を負っていたあの子から、目をそらさせることばかり。そして――私はあの子に成り代わった」
だからおそらく、いずれこの身は滅ぼされるだろうと。
芳村さんはそれでも、ふっと目を瞑り、微笑んだ。
「君は時折、仮面ライダーを名乗っていた。私は、そのことについて何も言わなかった。理由が、わかるかい?」
「……」
「私は以前言ったね。君は両方の世界に立てる、只一人なのだと。……だから、君だ。君になら、私はこの名を譲って良いと思っている」
芳村さんは、それこそまるで僕を見ながら、「僕でない誰か」に語りかけるように、繰り返した。
「君になら――”仮面ライダー”の呼び名を譲って良いんだ」
「……僕は、」
「無理にとは言わない。だがもしそのつもりがあるのなら、お願いしたい。
ヒトとして、人間と喰種の狭間で考えて、考え抜いて。
時に戦い、時に守り。
時に悩み、時に迷い。
――孤独なヒトビトを、救って欲しい。いずれ、私の子も」
震える声の店長に。僕は、まだ迷いが拭いきれず――。でもそれでも、僕は頷いて。
芳村さんは、一筋涙を流した。
クロナ「……V、の」カネキたちの話を、扉の向こうで聞きながら