「――はい、お釣りが千飛んで二円になります」
「ありがとうね。いやー、しっかしあんていくも可愛い子が増えてきたねぇ、トーカちゃんにヒナミちゃんにクロナちゃんに! お兄さん嬉しいところだよー。まぁトーカちゃん一番タイプだけど」
「その話、カヤさんに伝えておきますね」
「ちょ、それ止めて!? 色々怖いッ!!? 『私は可愛い子に入らないのね』とか色々怖いッ!?」
最近になって、常連客にも私は顔を覚えてもらえるようになった。
このヒトは人間のお客さん。どうも会社のお仕事が終わると来ているようで、来るのはいっつも夜型。なのになんでヒナミちゃんの存在まで知っているのかとか、色々謎のヒト。
金髪をがりがりとかいて、「じゃ――にヨロシク!」と言い残して行った。誰によろしくなのか、ちょっと聞き取りづらかったけど、とりあえず手を振っておいた。
普段こういう対応してると、西尾さんに「客に毒吐いてんじゃねぇよ」と言われるけど、彼もあの常連さんの扱いはどっこいどっこいなので、気にしないことにした。
古間さん(流石に名前覚えた)と一緒に片付けてると、途中で「僕用事あるから、後任せられる?」とか聞いてきた。鍵とかは四方さん?(まだそんなに会ってない)がかけてくれるから、ちょっと居残ってくれていれば良いと言われたので、特に用事もなかったから大丈夫と言った。
レジに鍵をかけると、なんかこう、すごいドギツイ色したMTBに乗って、古間さんは勢い良く走り出した。
「……一人か」
うん、ガマンしないと。
こうして夜一人で居ると、嫌な事をぽつぽつ思いだしてしまう。
嘉納が泣きながら私達に手術を施したり、部屋に行ったら大量のプラモデルに埋もれていたり。それはまだ笑える範囲だけど、結局あいつにとって、私達も道具のようなものでしかなかったろうことが。
そして、シロが――。
頭を左右に振る。今は、明るいことを考えよう。麻薬みたいなものだ、テンションを快楽でずっとブーストしておけば、そうそう暗い考えにもならないだろう。
お兄ちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃぁぁああああああああああああああああああああああああん!!!
あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんぅううぁわぁああああ!!!
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!あったかい匂いだなぁ…くんくん
んはぁっ!お兄ちゃんの白い頭クンカクンカしたいよ!クンカクンカ!あぁあ!!
間違えた!ぎゅってしたい!ふわふわ!ふわふわ!髪髪モフモフ!モフモフ…きゅんきゅんきゅい!!
時々攻めたときの戸惑ってる顔かわいいよ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!
あとたまーに視線がこっちの身体に来るのが意外と悪くない気も!あぁあああああ!かわいい!お兄ちゃん!照れてる!あっああぁ――痛いっ!
ネットで見たコピペみたいなノリで居たら、不意にリジェクションが首に走った。脈を押さえながらシャツを出して、ドライバーを巻く。背中から出てきた赫子が赤い帯になって、ドライバーを固定した。
ふぅ、と息を付きながら椅子に座る。
「……んー、なんだろう。時々、お兄ちゃんのこと考えてるとなるけど」
ひょっとして、興奮のしすぎが原因だったりする? いや、私別にそこまで興奮してはいないと思うんだけど。
私、そんな変態じゃないし。
……変態じゃないし。
まぁ、少しくらいなら人格が以前より崩壊してる気がしないでもないけど、それだって今の私の状況からしたら、無理やりでもなんとか立て直した方だと思うし。きっちりとヒトと交流して、話したり、感謝されたり――そういう当たり前のことに、素直に喜べるように「戻ったのだし」――。
そんなことを考えていると、店の裏口が開けられ、奥の方から誰か来た。
まだ夏場だというのに真っ黒なスーツにコート。帽子は被ってないのが、どうしてか違和感があるような、そんな老人は、ここの店長の芳村さん。
私を見ると、彼は不思議そうに頭を傾げた。
「やぁ、お疲れクロナちゃん。古間君は何処に行ったか知ってるかな?」
「用事があるとかで、ケッタマシーンで」
「蹴った……?」
「あ、自転車」
「そうか。となると、浴衣でも買いに行ったかな?」
「浴衣?」
「ほら、そろそろ花火大会もあるからね。毎年、古間君はカヤちゃんに一着送ってるんだよ」
その意外な事実に、ちょっと驚いた。
「……付き合ってる?」
「本人達は腐れ縁と言うだろうが……、まぁ状況も、過去も、お互いがお互いにそれを許すことはないのだろう。素直でないとも、自罰的だとも言えるかもしれない」
このヒトが言葉に含みを持たせると、何言ってるか全然わからない。
私が理解していないのを察したのか、くつくつと笑って店長は壁からレコードをとりだし、音楽をかけた。ジャズ? なかなかノリノリの曲。
「クレオパトラの夢、というそうだ。妻が生前、よく聴いていた」
「……」
その曲名に、なんだか嫌な符号というか、あてつけじみたものを感じて頬が引きつる。
流石に意図的なものではないのか、彼は気にせずカウンターの内部の側に入って行った。
「一杯飲むかい?」
「……あ、もらいます」
彼の言葉に頷いて、私は向き直った。
以前、お兄ちゃんから珈琲の注ぎ方とかについて、教わったコトがあったけど。このヒトがやるとやっぱり年季が違うのか、ものすごくスピードが違った。
置かれた一杯は、私のとも、お兄ちゃんのとも違う一杯。
香る香ばしさからは、気のせいでなければ甘みさえ香って居るように感じる。
ふと、それに手を伸ばそうとして――そして何故かカップに触れるのを躊躇してしまった。
「……店は、慣れたかな?」
「……ある程度」
「うん。カネキくんから色々、教わっているかな?」
「トーカちゃんとかも。皆、みんな、いいヒト」
言いながらも、私の手は動かない。動けない。
そんな私に、芳村さんは言った。
「君は――私とカネキくんの話を聞いていたかな?」
ぞくり、と。背筋に悪寒が走る。
目の前の老人は手を後ろに組み、ただ微笑んでいるだけだと言うのに。
そんな私を安心させるように、彼は笑った。
「別に構わないよ。あまり聞かれたくない類の話ではあったが――君なら、ね」
なにせもう知っていただろうから、と彼は言う。
私は、震える左手を右手で覆いながら、恐る恐る口を開いた。
目をあわせられない。
「……貴方は、全部は
「……」
「私が、私と妹が今の身体になったのは、奴らと正面から戦えるようになるため。だけど……、貴方は戦わなかった」
「……」
「ここが少なからず、奴らの手を借りて作られている場所だっていうのも聞いた。ということは――20区の管理みたいなことをやっているのも、ひょっとしてVの手のひらの上?」
芳村さんは少し寂しそうにしながら。
「……彼らのやり口を知っているかな?」
「?」
「基本的には、囮に次ぐ囮だ。そしてそれは、いずれここも例外ではなくなるだろう。
私とて万能ではない。例えトーカちゃんのお父さんから受け継いだ名があろうと、ここを守らなければならない」
「……」
「だから……、出来ることならば、カネキくんには『きれいごとだけ』で、己を押し通してもらいたいと思っている」
ぶしつけな私の言葉にも、芳村さんは出来る限り答えてくれた。
そこに伏せられた感情は、一言では表せなくて、やっぱり分からないけど。
でも、珈琲を手に取る手は、もう震えて居なかった。
「……特別に、何かおいしい」
「それは良かった」
「奥さんに、教えてもらったんです?」
「半分はそうだね。ものになったのは、店を始めて数年というところか。いつか、彼女にも飲んでもらいたかったなぁ……」
曲が丁度、途切れる。店の中が少しの間、静寂に包まれる。
私も芳村さんも、何も言わず、ただその無音の中に居る。
やがて曲目が変わったのか、形容の難しい感じの曲が流れる。即興のようでいて、その割には旋律が不協和音になっていないっていう、不思議な感じ。
なんとなく、ヨーロッパの夜明けのような映像が浮かんだ。
芳村さんも自分用に一杯いれて、一口。目を閉じて、音楽を染み入るように聴いている。
「魂と身体。……どちらも自由になるには、しがらみの多い生だよ」
疲れたように笑う彼は、やっぱりどこか寂しそうで。
ふとその疲れた顔に、金木研の表情が重なった。
以上、無印後半番外編でした
次の話からは中間編「A ―― the Origin ――」をお楽しみに?