いつかのコンテナの山の中に、僕は様子を見に行った。
「……? よし、ヒトはいなさそうかな」
周囲を見回して中に入る。一応、近隣に集合住宅があることもあって、流石にそこから覗かれたらわからないけれど、でも少なからず周辺にヒトがいないだろうことだけ確認はした。
確かこの先をいったところに、ヒカリさんたちがいるはずだ。
とりあえず、お土産の珈琲は持った。
なんでわざわざ来たのかと言えば、まぁ、様子見だ。ただ単に遊びにいったという感じではない。
この間、僕の家に来たヒカリさんが、不思議と落ち込んだ様子だったことが気に掛かる。
昨今、喰種が暴れたというニュースがこの界隈をにぎわせている。タイミング的にヒカリさんが落ち込んだ時期と近い事もあってか、何故か妙に気になった。
仕事の合間を縫って動いているのでそこまで自由はないのだけれど、それでも気にはなる。ちょっと時間が開いてしまったのだけれど、そういう理由から元気かどうか確認しに行きたかった。
だからこそ、扉を開けた瞬間の衝撃といったらない。
「……え?」
膝から力が抜ける。
一目で分かる。もぬけの空だった。
コンテナに入っていた荷物は綺麗さっぱり姿形を消し、まるで何事もなかったかのように生活臭がない。いや、そもそもヒトが住んでいた痕跡を探すことすら困難なほどだ。
「いやいやいや、まぁ、うん……」
よくよく考えてみれば、ヒカリさん達が僕を気にする必要がないとも言えなくもないわけで。あの時のヒカリさんの様子はおかしかったけど、まぁ、元々大嫌いだーとか言われていたわけで、だから再びの引越しについて、僕に連絡がないのも仕方ないかなと思えなくも無いけど。
でも、いきなりここまで情報が断たれると、流石にちょっと堪えた。
「あー ……どうしようか」
誰ともなく呟くも、当然答えはどこからも返って来ない。
諦めてコンテナの外に出ても、当然そこに人影はない。
仕方ないと頭をふり、僕はとりあえず駅に向かおうと――。
「……?」
と、そこで僕は違和感を覚えた。何か、鼻に「嫌な」匂いを思い出す。
振り返り、再びコンテナハウスの方に足を進める。
この匂いは、覚えがある。
脳裏を一瞬ちらつく、腹部を押さえた父親の、血の気がうせた顔。
人間とか喰種とか、そういったカテゴリーじゃない匂い。いや、どちらかと言えば喰種の匂い。
強いて言えば、赫子の匂い。
赫子が活動している時の、通常、喰種なら気にするはずのない匂い。
自分だからこそ、嫌に鼻につく匂い。
「……」
コンテナハウスの入り口。その看板の裏側。
そこには、破片のような赫子がついていた。付着してからまだ新しいのは、なんとなくわかる。少なくとも形状が崩壊していないということは、そういうことだ。
でも何で? ヒカリさんのそれでないのは、以前戦ったからわかる。
なんでそんなものが、忽然と彼女たちが姿を消した後のこんな場所に――。
「違う」
そうじゃない。
僕はこれに「見覚えがある」。
だからこそ、頭の中で想起するものが、あの日の最悪の出来事なのだろう。
こんな有刺鉄線のような、ワイヤーのような赫子を使う喰種なんてものが、そう多数存在するとは思えない。
とするのなら――どこかにいるのだ。「両親の仇」が。
そしてそれが、ヒカリさん達と関係している……? いや、ひょっとしたら襲われたりしたのか?
何か、こう、苦いものを噛み潰したような感覚が、じんわりと胸の内から広がっていく。
嫌な予感を胸に抱きながら、看板の表に書いてある住所に向かう。ここの管理人の事務所だ。
当たり前といえば当たり前だけれど、距離としてはそこまで離れてはいない。そちらもコンテナハウスの延長上みたいな形状をしていて、僕はその階段を上る。
扉に手をかけると――嫌になるくらい、血のこびりついた匂いがした。
人間の、血の匂い。
手が、震える。
ノブから思わず手を離し、がたがたと言う事をきかない右手を見つめる。
それでも、ためらいながらでも、僕は扉を開けた。
部屋は、バラバラになっていた。
バラバラになった人体が、そこかしこに散らばっていた。
事務所のデスクまわりとか、地面とか、壁とか一帯が真っ赤に染まっていて、それでも時間が経過してるのか色が赤黒くなっている。
そんな中に、男はいた。
直感的に理解した。この場をこんな光景に変えた相手が、目の前の彼であると。
サングラスをかけた青年。僕よりは年上のようだが、そんな彼がこちらをちらりと見る。その目は喰種らしく赤黒く染まっていて、更には背中から、明るい紫の赫子を出している。
彼は扉を開けたこちらを一瞥すると、面白くなさそうな表情のまま、背後のそれを振るった。
「――ッ!」
体を守る余裕がない。
赫子を出すよりも早く、僕はその一撃で腹部に穴を開けられた。そのまま投げ飛ばされ、地面に叩き付けられる。
落下で受けたダメージが、栄養の足りていない強度の体に響く。
反射的に背中から赫子が這い出るのと同時に、全身から力が抜けていく。本来回復に回す分の力も、戦闘に回す分の力もないのを、無理やり動かしているのだ。これくらいは当たり前だろう。
痛みにかすれる視界と意識を、それでもなお集中させて、事務所の方からこちらを覗きこんでくるシルエットを見る。
「ほう、人間かと思ったら喰種か」
見下ろす彼は、にやりと笑う。
そのままこちらに降りてきて、持っていた「右腕」を噛み千切る。
そのまま、赫子をしならせた。
かろうじて僕の右腕には、赫子が巻き付き盾のような形状になっていた。それを前方に構えて、ぎりぎり弾く。激突と同時に火花が飛び散り、相手は不思議そうな表情を浮かべた。半透明のサングラス越しに、驚いたように見開いた目が見える。
「硬いな。強さ弱さで言えばひたすらに弱いくせに、妙に硬い」
「……ッ」
「エサを探しに来た喰種という訳でもないだろうな、お前。とすると……、ひょっとしたらナルカミ共の縁者か?」
「!」
ナルカミ……、雷?
やはり知っているのか、この男は。
「二人は一体――」
「なぁに、本当に縁者だというのなら『人質』として使えなくもないだろうが……。
んー、そうだな。これを受けたら考えてやろうか」
言いながら、彼は再び赫子を構える。僕もそれに応じるように腕を上げた。
でも、今度はさっきまでとは根本的に違った。
伸びてきたそれは、単なる赫子ではなく――まるで有刺鉄線のようなそれが、幾重にも束ねられたようなものだった。赫子の先端で分岐したそれが、猛烈な勢いでこちらにぶつかってきた。
単なる打撃ではない。刺さるという属性を帯びた攻撃が連続する。連続し、僕の赫子と腕を抉っていく。
耐えられたのは何撃だろう――元々、赫子の密度自体そこまでないのを、無理やり出しているようなものなのだ。簡単に弾き飛ばされ、転がってしまう。
そんなこちらを見て、彼は「使えん」と笑った。
「あれの弟と違って、根本的に戦うという思考回路がないと見える。
……駄目だな、これは持って帰れん」
「……何を、」
「知る必要はない。いずれここも、我らが尾に巻かれる運命にある」
再び彼は、有刺鉄線のような赫子をこちらに放ってきた。
嗚呼、駄目だこれは。何か行動を起こす起こさないということさえ、よくわからない。体感時間が延びて、一瞬だというのにとてつもない速度で頭が回っている。
だからこそ、その放たれる一撃が自分の頭を狙っていることとか。それを避けることが今の自分に出来ないとか。そういったことが全部わかってしまう。
嗚呼、何とかしないと。
僕は生き延びなきゃならないのに。
生き延びなきゃ――父さんや、母さんたちに合わせる顔がないというのに。
「――全く、不幸中の幸いかしら? いや、不幸ねどっちにしても」
そんな声と同時に、僕の目の前にキャリーバッグが降って来た。
※
落下したキャリーバッグが赫子の直撃を弾き、あまつさえ弾丸が雨あられのように注がれる。さしものサングラスの男も一瞬怯み、事務所の屋根に退避した。
攻撃をした彼女が、タイトスカートであることを無視するように膝を曲げてケースの上に下り立つ。
その女性は、既に何度か会っていた。そして、その攻撃法方も一度見た事があった。
両手に拳銃を引っさげて、腰にポーチをぶら下げ。キャリーバッグを引きずる彼女は。
「安浦……、さ……ッ」
「奇遇ね? 霧嶋君。いえ、まぁ、奇遇ではないんだけれど」
よくわからない言い回しをしながら、彼女はこちらを一瞥して、苦笑いを浮かべた。
「……どういうことだ、取引に違反するぞ?」
そんなことを、サングラスの男はいぶかしげな表情で彼女に言う。もっとも、彼女は何処吹く風だ。
「貴方、やらせすぎたのよ彼女に。お陰でこっちも、おいそれと取引を履行できなくなっちゃったのよ。
あの娘だけの命で、収まるには収まりきらなくなってしまった。少なくともコクリア送りが決まったわ」
「フン。これだから人間は信用ならん」
「ま、そっちも最初からある程度裏切られることを想定していたんでしょうから無問題なのかもしれないけれど。
でも――CCG、甘く見ない方が良いわよ? なんだかんだ、手ごわいから。
それに貴方、もう一度ちゃんと『ぎらが』を使った私と戦うつもり?」
かつん、と足元のキャリーバッグをつま先で蹴る彼女。
それを見て、サングラスの男は嫌そうな顔をした。
「……ここは引かせてもらう。相性が悪い」
「懸命ね。とはいえ、本当ならここで私を殺しておくのが正解だと思うけれど」
「ほざけ、どう考えても殺される人間の顔じゃない」
「まぁ、人生ノーコンテニューがモットーだし」
ちょっとちょっと会話にゲーム風な言い回しを入れるな、このヒト。
この間付き合わされたお陰か、僕もなんだかんだ分かるようになってきてる気がするような、しないような。
そして宣言どおり、サングラスの男は事務所の屋根からどこかへと飛び移り、姿を消した。
ふぅ、とため息を付くと、彼女はこちらの方を見た。
転がっている僕を、冷静に、冷徹に見下ろしていた。
「……ッ」
状況は、最悪と言っていい。
彼女は喰種捜査官。そして今の僕は、どう頑張っても言い訳が出来ないレベルの有様。
身動きできない僕に対して、彼女は拳銃を構え――。
思わず目を閉じると、響く発砲音。
……不思議と痛みはない。
嗚呼、なるほど。死ぬってこういうことなのかと。意外と何もないものだなと考えつつ、鼻に香る硝煙の匂いに、僕は苦笑いを浮かべる。
……いや、待て。匂いがする? それは流石におかしいんじゃないだろうか。
「良かったわね、貴方。今ここ、監視カメラ撤去されてるから」
そんな彼女ののんきな言葉に、僕は恐る恐る目を開ける。
と、こっちの方に向けて、サングラスの男が齧っていた腕が投げ飛ばされた。思わず受け止めると、彼女は肩をすくめて視線をこちらから外した。
「私の指紋が残らないくらい、全部食べちゃってくれないかしら」
「……? え? えっと……」
「私はたまたま今日、ここに寄った。血の匂いをかぎつけて、あの喰種と交戦した。そんなところかしら、筋書きとしては。それで良い?」
いや、良いとか良くないとかじゃない。何を言ってるんだ、この捜査官は。
意味がわからないというこちらの反応を察してか、彼女はこちらを向いて、あっけらかんとして言った。
「だって私、今日、オフだし」
……へ? それが理由?
「それが理由よ。仕事とオフは完全に分ける事にしてるから。私。
まぁ今みたいに襲われてるヒトを助けるくらいはするけれど」
いやいやいやいや、と。僕の中の人間的な感性が、彼女の言葉に突っ込みを入れる。
「哲学的ゾンビとかみたいな振る舞いを心がけた事はないけど、仕事で命を奪うのなら、それくらいの線引きはしてもいいと思ってるわ?」
どうやら言葉からにじみでている雰囲気からして、本気で彼女はそういっているらしい。冗談でもなんでもなく、僕をこの場から見逃すと言っているのだ。
腕を投げてよこしたあたり、僕の消耗度合いを隠そうと言う意図もあるのかもしれない。
それどころか。
「あ、その格好じゃ目立つわよね。私のコート着る?」
「い、いえ、あの……」
なんだ、この対応は。
いくら見逃すといったところで、その相手に対する接し方じゃない。
訝しがる僕に、彼女は少しだけ微笑んだ。
「何かしら。対応が手厚すぎて気持ち悪い?」
「……」
「まぁ、それはね。当たり前の感情じゃないかしら。
でも、私としても貴方は目立たなければ見逃しても良いんじゃないかと思ってはいるのよね」
「え?」
「だって、私、貴方のこと調べ回ったし」
それは、一体……。
「まかない料理とかも食べているけど、基本的には下宿先の生活状況を見るに、ヒトを襲うタイミングもない。典型的な、金銭的に苦労しているフリーターって感じね。
休日の行動までは把握しきれないけど、大型の荷物を持ち込む様子もなかったそうじゃない」
ぐらぐらと安定していない思考の僕に、彼女は必要最小限の情報を告げる。
「だから、私が仕事中に目立つようなことをしていないなら、霧嶋君はそういう意味では『どうでもいい』のよ。『どうでも良くない相手』はもう捕らえたし」
例えそれが、グレイを通り越してブラックになったとしても――。
そんな言い回しをしながら、彼女は僕にどこかに逃げろと言う。
「……一つだけ、聞かせてください」
「何かしら?」
「ナルカミ……、貴方は、彼女を知っているんですか? ヒカリさんは、今――」
おそらくその呼び名は、ヒカリさんの別名だろう。雰囲気からして簡単に予想が成り立つ。
それに対して、彼女は視線を合わせず答えた。
「知りたいならニュースを辿りなさい。まぁ、辿るまでもないんだけれどね」
その一言で、僕の脳裏には、別な意味で最悪の筋道が立った。
レンジ「・・・俺の出番は?」(ボソッ)