「カネキ君、2Fから珈琲ラベルもらってきていい? 赤いやつ」
古間さんに頼まれて、僕は上の階に上がる。彼の言ってる場所もあらかた把握できるくらい、段々とお店に慣れている自分に驚いている。
レジ打ちとかはまだ怖い部分もあったり、ていうかトーカちゃんに監督してもらったりしてるけど、それでも以前よりはこなせるようになってきてるのだから、マシと言えばマシなんだろう。
そんな風に、気を抜いていたのが原因かもしれない。
かちゃかちゃと食器の音が聞こえた。扉が開いてたので、誰かその部屋に居るのかなと思って覗いてみたら。
「……」
「……ッ」
腰が抜けそうになったけど、なんとか堪えた。ここは意地だ。意地でも動転しちゃいけないと、何度も自分に言い聞かせる。
部屋の中ではヒナミちゃんが食事をしていた。……何を食べていたかは、想像して余りある。
眼を完全に赤く光らせながら、彼女は喰種らしい料理を、年相応に丁寧に食べていた。
「ヒナミちゃん、居たんだね。えっと……、ごゆっくり」
「あっ……」
笑顔を浮かべて部屋を出る僕。どう反応を返すのが正しいのか、正直微妙なところだ。
下に降りてラベルを手渡した後、古間さんと相談すると、デリカシーがないとからかわれた。
「女の子は特に食事風景を見られたくないからねぇ」
「……後で珈琲お願いできます? 謝罪代わりに」
「お? うんうん、フォローちゃんとするのか。
……カネキ君結構モテる?」
苦笑いをして、肩を竦めた。
いくつかのオーダーをこなした後、古間さんは丁寧に一杯いれてくれた……、僕の給料から差し引いて。
どちらかと言えばタイプは年上なんだけど、小さい子からは割と好かれたりしたっけ。以前、幼稚園の手伝いとかした時の事を思い出しながら、僕は上の階にまた向かった。
ヒナミちゃんは、本を手に取りながら微妙な表情で僕の顔を見返した。
「さっきはごめんね。えっと、お詫びって訳じゃないけど」
「……あの、」
何かな? 振り返ると、ヒナミちゃんは聞き辛そうに僕に言った。
「お兄さんって……、”どっち”なんですか?」
その質問は、実のところ僕の方が逆に聞きたいところだ。
でも、この子に言ったところで、それは意味が無い。
「……ニオイとか、結構違う?」
「あ、その……、はい……」
「そっか。
……元は人間というか、今でもベースは人間みたいなんだけどね。でも、喰種の体と混ざっちゃって、半分くらいはそっちみたいなんだ」
僕の言葉に、ヒナミちゃんは大きく眼を見開いた。どんぐりみたいでちょっと可愛い。
「戻れるものなら戻りたいんだけど、そうも言えないみたいだしね。……それに、君達の世界も知っちゃったから、以前のようにはもう暮らせないし」
「……ごめんなさい、変な事聞いて」
「あー、いや、気にしないで? っていうか、僕も変なこと話しちゃったね」
珈琲を勧めると、ヒナミちゃんは軽く口に含む。まだ熱いのか、ふーふー何度も息を吹き掛けた。
そして、そんな彼女を見ていて気付いた。
「……あれ? 虹のモノクロ? ヒナミちゃん高槻作品読むんだ」
ちょっと意外だった。全体的に暗めというか、僕としては自分のことと重ねる部分が多くて共感できてしまうのだけど、ヒナミちゃんみたな子でもこういう難しいものを読むのかと、ちょっとびっくり。
「でも、モノクロは読み易い方かな? 短編だし、珍しくコメディみたいなお話もあるし。
ヒナミちゃんはどのお話が好き?」
「え? えっと……、お、お兄さんは?」
「んー、僕としては『なつにっき』とか、あとは『ルサンチメンズ』あたりがオススメかな? 後者はコントっぽいし」
「わ、わたしは……、こ、こよ……、ときあめ?」
一瞬分からなかったけど、思い至ったのでページを捲り、確認した。
「『
「ぶ、文章が、少し変わってて……」
「視点も固定だし、段々と歪んでくところが芸術的って言えば芸術的? テーマも含めて、そこのところは『黒山羊の卵』のプロトタイプって言えるかな」
「ぷ、ぷろ……、」
何かに四苦八苦してるらしいヒナミちゃん。
意を決したように、彼女はメモを取り出して、ページをめくった。
「あの、これは何て読むんですか?」
「
「こっちのは、あんたのし?」
「あ、
ヒナミちゃんは、ぐいぐいと僕の言った言葉をメモにとっていく。
聞いてみれば、どうやら学校には通っていないらしい。
「は、はく……」
「はくひょう、薄氷って書いてそう読むんだけど、もう一つ、うすらいって読みがあるんだ。
そっちの方が綺麗じゃない?」
「……うんっ」
ぱぁっと表情を明るくさせる彼女に、思わず手が伸び頭をなでた。
くすぐったそうに笑うヒナミちゃん。そのまままだまだ単語を聞いてくるあたり、知識には飢えているんだろう。
でも、これは難しいところだ。
この子の好奇心を満たそうとすれば、学校に向かわざるをえないはずだ。
でもそれは、トーカちゃんたちが渡っている、綱渡りをこの子にもさせなきゃいけないということで――。
無邪気に笑うヒナミちゃんを前に、僕の表情は少し硬くなった。
※
「それじゃあ、お疲れ様でした店長」
「お疲れ様、カネキ君。明日からトーカちゃんが戻ってくるから、多少楽になるとは思うよ」
「同時に怒鳴られる日々の再開なんですけどね……」
僕の苦笑いに否定する事もなく、店長は爽やかに微笑んだ。
外は雨。それとなく準備して来た傘を展開。
店を出て歩く途中。テストどうだったかなーなんてことを考えながら、僕も僕でヒデと予想した出題範囲の内容を読んでいたりする。
そんな道中で、僕の耳に入ってきた話題。
――や、俺”喰種”って初めてみたわ。
――本当、人間と全然かわらないのなー。
「……見た?」
その言葉に違和感を覚える。そして足元に、一冊のノートが落ちていた。
「……ヒナミちゃん?」
書かれていた名前は、僕にある事実を想起させて止まないものだった。
「雨というのは、ジメジメとしていて実に不愉快なものだねぇ亜門君。視界は鈍るし仕事は捗らない」
「……しかし、利点もあるのではなかと」
「例えばどんなものだね?」
「雨は色々と洗い流しますし、音もかき消します」
「くくっ、なるほど。だが同時に別な音の発生源にもなることを忘れたらいかんよ。
まあそれでも、私も概ね同意だがねぇ。
泥。汚れ。醜い叫び声さえかき消す雨は、確かにもう一つのアドバンテージだ。
さて――」
お時間頂けますかね? 笛口リョーコさん。
真戸さんがそう言うと、眼前の親子、特に母親は娘を庇うよう動いた。
娘の方は、明らかに怯えた顔をしている。
「これについて聞きたいのですが、宜しいでしょうか?」
真戸さんは、俺が引き当てた証拠を取り出して見せつける。その仮面、オペラ座のそれを思い起させるものを見て、母親は下を俯いた。
集ってくる野次馬に、俺は大声で警戒を促す。
母親は娘を一度抱きしめると、背中から――蝶の羽根のような赫子を展開した。
「行こうか、亜門君」
真戸さんは仮面を投げつける。自分にぶつかるコースでないそれを、彼女は無視する。
娘に「行きなさいッ!!」と叫ぶ。娘は投げつけた仮面を拾うと、怯えながらも走り出した。
赫子を放射状に展開し、彼女は俺達の動きを押さえる。
「足止めのつもりのようだねぇ。準備したまえ」
「……はい」
他の捜査員たちを切りつける要領で、喰種は俺の顔も霞める。
動きが鈍い。わずかに掠りはしたが、この程度どうということはない。
「行かせない……ッ」
「調子に乗るな、クズめ」
更に展開された赫子が六本。足のように構え、羽根と異なる体勢を取る。
「……駄目だ、出ない」
店長の番号に通じない。ヒナミちゃん達の確認が出来ない。
でも、もし僕の想像通りだとしたら状況は最悪と言っていい。
「……傷を受け止めるだけじゃ、駄目なんだ」
脳裏に思い描くのは、ヒナミちゃんやリョーコさんたちの顔。
そして、僕に心配無いと笑いかける母。
彼女の口が動く。
「……僕は、母さんとは違うんだ」
もう例え、力不足でも、それを理由に何もせずに居るなんて出来ない――!
「カネキさん!」
「! ヒナミちゃん」
走ってきた彼女は、僕に泣きながら抱きつく。
「お母さんが、一人で……、う、う……」
「……行こう」
彼女の持っていた仮面を手に取り、僕はヒナミちゃんの手を引く。
「なるほど、足止めになるくらいには強かったか」
くくく、と肩を振るわせる真戸さん。心底喰種との高いが楽しかったのか、それとも今現在、その敵の自由を奪いきれたことが嬉しいのか。
だが、その根底に強い絶望と怒りがあることを、俺は知っている。
経験に裏打ちされた腕を支えるのは、いっそ狂気的なほどに喰種へ向ける怒りだ。
「これほど強いのに戦い慣れしていない……、いや、鈍っているのか?
どちらにせよ、親が子のために命を賭けるか。
感動的じゃないか。……くくく、虫唾が走るよ。
亜門君、ここからは私がやろう」
俺の前に立つ真戸さん。否定する必要もないので、俺は彼に前を譲る。
赫子は、六本足はほぼ折れた。
その代わり、羽根だけは維持している。
膝を付き動きを封じられて直、こちらから視線を外さないその姿勢は、どこか野生動物のそれさえ想起させる。
だが、そんな彼女も真戸さんの取り出した「それ」を見て、表情を振るわせた。
「あ……、あ……あなた、何を……!
嫌! そんなの……」
「くくく……、良いぞ、最高だ。
悲嘆! 絶望! 憎悪!
それこそ私が向けるに相応しい感情だ。もっとだ、もっと見せろ!」
「……見つけた。ヒナミちゃんは、少しここで隠れてて」
「う、うん……」
足をやられたのか、立ち上がれないでいるリョーコさん。
それを見つけて、僕は、咄嗟に眼帯を反対側に付けなおし――ヒナミちゃんが持ってきた仮面を付けた。
「全く愚かだねぇ。大人しく付いてくれば、道の真ん中などで死なずと済んだものを。
せめてもの情けだ。辞世の句でも――ッ!」
まだ使いこなせはしない。
それでも、店長から貰っていた「角砂糖」を噛み、僕は赫子を展開して、彼女を引き寄せた。
「あなた……?」
何かを口走るリョーコさんを庇うようにして、僕は目の前の捜査官たちを見る。
身長の高い捜査官の一人が僕を見て言った。
「……眼帯?」
「おぉやおや、飛んで火に入る夏の虫だねぇ亜門君」
白い、リーダー格の捜査官は、僕にアタッシュケース状の何かを向ける。
「縁者というわけでもなさそうだが、さて、どうするかねぇ」
僕の選択肢は一つ。
そのまま僕は、脱兎の如く足を走らせた。
「逃がすか!」
背後の声が聞こえるけど、ヒナミちゃんもさらっと抱え込んで、一緒に持ち運ぶ。
荷物運搬の要領で走る分、乗り心地とかは保障しないけど。
ヒナミちゃんがそれなりに悲鳴を上げているけど、これは仕方ない。
「はっはっは! そう来なくては『狩り』甲斐がない。はッ!」
背後から何かが伸びて来るのを、感覚的に感じ取る。
振り向かず、背中の赫子だけ動かして僕はそれを受ける。
弾き飛ばされて足がもつれるけど、そこは気合と意地でカバー。
進路をいくつか回り、軽い路地裏へ。
「ヒナミちゃん、リョーコさん、もう少し頑張って――ッ」
でも逃走していた途中、リョーコさんは僕の肩を殴り、付き飛ばした。
「な、何で――」
「……逃げてください。どの道、追いつかれちゃいます」
言わんとしてる事はわかる。でも――。
「……ヒナミ?」
「お母さん……」
涙を堪えるヒナミちゃんに、リョーコさんは頭を撫でながら、諭すように言った。
「いっぱい学んで、元気に育って、幸せになりなさい? 私が、貴女のお父さんと出会えたように」
「……っ」
「カネキさん。……トーカさんも、あんていくの皆さんも、ありがとうございました。
後、ヒナミのことお願いしますね?」
「何を言ってるんですか、リョーコさん……」
路地裏に回ていたこともあってか、リョーコさんは容赦なく、赫子で僕等を付き飛ばし。
そしてそのまま通りに戻り、走って行った。
「――駄目だ!」
僕の脳裏に、僕の母さんの、死ぬ前の笑顔が重なる。
手を伸ばそうとし、そして――。
結局僕に出来たのは、ヒナミちゃんに「その」光景を、見せないようにすることくらいだった。
そして次第に、彼は決意する。