「――マダムと嘉納がつながってるとして、次はどうするんだ?」
「そこまで大きくは考えてないんですが、一度病院の方に行ってみようかなと。何か痕跡が残ってるかもしれませんし……」
「しれないし?」
「……いえ、何でもありません」
ひょっとすると、何かの拍子であの双子に遭遇するかもしれない。
以前あの二人と会ったのが「探り」を入れられたと仮定するのなら、嘉納本人がいないまでも、あの双子くらいは遭遇する可能性もあるのではないか。
それが良い事かどうかはともかく、僕は思考を続ける。
「それと……、最終的にはイトリさんのお店で、何か嘉納本人について探れる情報がないかも見ないといけないですし」
「そうか」
「んん、それじゃあこちらの方でも、引き続き『アレ』を探しておくよ」
「助かります。チエさんにもよろしく言っておいてください」
そんな会話を交わしながら歩いていると。
高架下の商店街、シャッターが閉まっている途中で、見覚えのある男性が仁王立ちしていた。
さっきまでバーで会話をした、剣呑な表情の男性だった。
「……えっと、あれ?」
「……ギルだ。名乗ってなかったな」
カネキです、と名乗り返すと「さっき聞いた」と彼は肩をすくめた。
「どうしましたか? 特に忘れ物とかはなかったと思うんですが――」
「拳、合わせろ」
そう言うや否や、彼は腰を低く落として手を握り、踏み込んで僕に襲い掛かって来た。
突然のことに一瞬反応が遅れるものの、それでも対応できるようになったのはいくらか鍛え上げられた結果だろうか。
「いや、ちょっといきなりで意味わからないんですけど……!」
真顔で襲い掛かってくる相手の、怖いの何の。ジャケットを脱ぎながら、僕は彼の動きに対応する。
「まったく、優雅さに欠けるね」
「カネキ!」
「大丈夫です。これお願いします」
投げたジャケットを掴むバンジョーさんを一瞥しながら、僕は相手の腹に蹴りを入れる。その動きを読んでいたのか、大きく後退して彼は再度構えた。
僕とギルさんとの、動きが止まる。
「……どうしても、やらないといけませんか?」
「……俺達から情報を聞きたいのなら、絶対だ」
どういう話の流れでそうなったのかは皆目検討も付かないけど。それでも、全く無意味にやろうとしている訳でもあるまい。
一度深く息を吸ってから、僕は相手の目を見た。腕の構えを見た。足の運びを見た。重心の位置を見た。わずかににじり動く足先を見た。少しだけ動いた眉を見た。
拳の握り方がわずかに変わったのを見て――僕はそれに合わせて、身をひねる。
「おらッ!」
右手の一撃を交わすと、それを読んでいたように後続に構えていた左手が腹部に入る。右ひじで受け止めはしたけど、たまらず僕は変な声を上げそうになった。
その状態のまま、腕力のままに左手を力任せに伸ばし、僕を跳ね飛ばすギルさん。バク転するように両手を地面につき、僕は体勢を立て直す。
立て直そうとした瞬間を狙って、ギルさんが走り、タックルをかけてきた。
明らかに動きに無駄がない。実践で磨かれた流れ以上に、そこには何か根幹的な部分に思想を感じる――。
動きも部分部分、何らかの武術めいたものが見え隠れしていた。
とするならば、最終的にはそれを読み込まないといけないだろうけど。
今、突貫的に対応するためには、目的を定めよう。
「おらッ」
まず――地面を中心に動くのも、空中を舞うのも下策だ。バランスを崩すのを前提に動いているし、一度でも空中に身を置くと言うのは、攻めている時でもない限りはただの的だ。
だが逆に言えば、攻めている場合に限り空中で動くのは使えるかもしれない。
相手が腕を突き出した瞬間、あえて僕は地面を大きく蹴って、天井、橋の鉄骨に両足をつけた。そのまま重力で落ちる前に蹴り、回転蹴り――。急な攻撃を予測していなかったのか、しかし彼は左腕を構えて、受け流すようにした。
僕の右足をひじにぶつけ、蹴りの威力の最終到達点をずらす。
すかさず胴体に右手が振りかぶられるけど、それは一応予想済みだ。僕も彼がやったように、左手で拳をはじいて、殴打の威力の到達点をずらす。
そのまま回転し、僕は右の裏拳を相手の頬に叩きこむ。
「――しゃらくせぇ!」
なんと、その一撃に彼は耐えた。そのまま僕の左足を払い、バランスを崩させる。
地面に倒れかけた僕の顔に、彼のつま先が――。
流石に顔に一発もらったら、ヒデやトーカちゃんにもバレてしまう。それは避けないと。
とっさに両手で彼のつま先を防いだ。でもその瞬間、彼の靴に引っかかってた泥が、僕の顔面にかかる。
「嗚呼、もう」
「汚ねぇぞ!」
「うっせ!」
かすむ視界。ひたすらかわすしかない状況。眼帯を外す余裕はないけど、それが出来ないと視界の確保は難しいか。
殴るのは……、あんまりやりたくない。出来るなら投げて、取り押さえたい。
とすれば、さてどう動くか――。
そうこうしているうちに足をとられ、僕は顎をアッパーカットされた。
だけど、それは同時にチャンスだ。相手との距離が詰まっているからこその足を絡めとるという動作と、そこから派生するアッパーカット。
だからこそ、顎に痛みを感じた瞬間、僕はあえて意図的に高く飛び上がり――彼の手を掴んだ。
「あ?」
本来ならそのまま、背後に投げ飛ばされるところを、そのままの状態から身をひねって、「喰種らしい」腕力を持って彼を投げ飛ばす。勢いのあまった無茶苦茶なそれは、まるでハンマーか何かを振り回すがごとくだろう。
だけど想定外すぎた動きのせいか、ギルさんはそれに合わせることが出来なかった。
投げながら左手で眼帯を外し、距離を見極めて相手の腕を引く。
背中からコンクリートに叩き付けられない程度に調整した上で、僕か彼の胸に右足を乗せ、胴体を押さえる。
左目は力を入れたためか、赫眼になっていた。
「……止めませんか?」
「…………ああ」
僕の確認に、案外とすぐ応じてくれたギルさん。そのまま外して手を貸すと、彼はため息をついてそれをとった。
「猫かぶりかと思ったが、嘘はないみてぇだな」
「?」
「……テメェからは、あの馬鹿ガキと同じような匂いがしたからな」
それは、立ち位置というか雰囲気というか……。それとももっと物理的な話なんでしょうか?
ギルさんは自分の拳を見つめてから言った。
「鯱さんの時もそうだ。拳を合わせれば、相手がどんな奴かなんとなく分かる」
「なんか、本当に武闘派みたいですね」
「本当に何も知らねぇんだな。会って驚くなよ?
……全部は、話せない。詳しくは鯱さんから聞け」
せせら笑うように言ってから、彼は表情を引き締めた。
「ただし――これだけは言っておく。鯱さんは、あのガキのせいでCCGに捕まることになった」
「リゼさんのせいで……?」
「五年前だ。全部そっからだ」
腕を押さえながら、ギルさんはふらふらとした足取りでこの場を立ち去る。
「ありがとうございます」と頭を下げた僕に、彼は鼻で笑った。
「……血酒くらいは出してやるよ。今度……、二十歳越えてたらな」
「……お、お願いします」
そして、流石にそこにはそう答える他なかった。
※
一度拠点に寄って着替えた後、月山さんや松前さんの申し出を断って、電車を利用して自宅まで帰った。
時間はぎりぎり十二時を回らないくらいか。バンジョーさんは拠点で休むと言っていた。
「痛……っ」
シャワーを浴びながら、右肘など要所要所を確認する。打撲にはなってないものの、軽く青短みたいになっている。内出血自体は一日もかからず引くだろうし、そこは気にしないでも良いかもしれない。
気にしないのは良いんだけど、でも痛いものは痛い。
人間同士相手ならともかく、喰種の打撃だ。
しかしそれでも、まともに直撃を食らうのは久々な気がする。四方さんとある程度打ち合えるくらいになってからは、そういった経験をした覚えがなかった。
これは成長と言って良いだろうか。
しかし、それ以上に今日のギルさんは強かったというべきだろうか。
武術か……。軽く読んだだけじゃ、やっぱり今後対応が難しくなるかもしれない。今日はあくまで打ち合いだったけど、赫子を併用されたらさてどうなるか。何か対策を考えないといけないだろう……。
「……でも、匂いまで人間離れしてはいないっていうのは、ちょっと助かるかな」
頭を洗い流しながら、ふとそんなことを思った。喰種に近づいていくらか嗅覚が優れたため、シャンプーなどの道具は匂いが薄めのものにするようにしてるけど、それにしたって極端に食べ物に近い匂いでなければ、ある程度は緩和されている。
月山さんが花をよく持ってくるのは、このあたりに起因するのだろうか。
……って、それを言い出すとタバコについても全然感じが変わらないから、ひょっとしたら吸えるのかもしれない。喰種だろうが。
現実逃避をするかのごとく、そんなことを考えながら体を拭いていると。不意にチャイムが鳴った。
「誰だろう、こんな遅く……にッ!?」
短パンのジャージを穿いてタオルを首から下げ、インターフォンで相手を確認。その画面に映った相手に、僕は驚き、思わずそのまま入り口へ走った。
扉をわずかに開け、相手を確認する。
「と、トーカちゃ――いや、ちょ、無理やり!?」
入り口に居たのは、トーカちゃんだった。学校の制服姿に、手にはバッグ。髪は適当に束ねていて、半眼。
無言で扉を無理やり開けると、トーカちゃんは部屋の中に無理やり入って行った。
「おじゃまします」
「じゃないよ、何やってんのさ」
「何って――って、あれ?」
僕の言葉に振り返りながら、トーカちゃんの視線は僕の身体……というより、腹部に集中していた。何だろう。首を傾げると、トーカちゃんは突然こちらに早足で向かってきた。反射的に後退するものの、壁に追い詰められる。
そしてそのまま、トーカちゃんは何故かハイテンションに僕の腹を触った。
「あれ!? カネキ、腹筋割れてる! てか筋肉ちゃんと付いてる! いつの間に、えー知らない!」
「あ、あのー……」
僕の言葉も無視して、なぜか目をキラキラさせながら、トーカちゃんは僕の腹部だけでなく、腕とかも触り始めた。お風呂上り直後なことが災いしてか、現在半裸も良いところ。特に意識せずに部屋に入ってきたトーカちゃんだったけど、腹筋に始まりそのまま僕の全身を触りそうな勢いだった。
とりあえずお尻に行きそうになったのを、両手を掴んで止める。
「えっと、何でトーカちゃん、僕の部屋に来てるの? 夜だし危ないし、夜道歩いてたら――」
「補導されるから屋根飛んできた」
「さらっと言わないで欲しいかな……。
えっと、だから何で?」
「……メールの返信なかったから、心配したんじゃん」
あれ? と僕は疑問符を浮かべた。おかしいな、トーカちゃんから来たメールはちゃんと返信したと思ったんだけど……。断りを入れてから机の上に置いてあるスマホを取り、画面を見た。
「……ごめん、なんか送信失敗してたみたい」
「……あっそ」
はぁ、と嘆息するトーカちゃん。心配して損した、みたいなニュアンスがにじみ出ている。
「いや、たまにはあることだしさ。そんなわざわざ飛んで来て確認する程の話じゃ――」
「そーゆーの、アンタ信用ないから」
「えぇ……」
思わず口元に手を当てながら「大丈夫だよ」と言う僕に、トーカちゃんは「誤魔化させないから」と半眼で、上目遣いに僕を睨んだ。
下から覗きこまれて困惑する。なんか、ちょっとカツアゲにあってる気分だった。
「リオの時だって、結局勝手に突っ走ったじゃん。信用されたかったら、信用されるように行動しろっての」
「あ、はい……」
「念のため、ヒナミ四方さんに預かってもらって店で寝泊りしてもらった意味ないじゃん、そんなんだと……。
アヤト居ないと、こういう時不便……。やっぱ本多っ」
はぁ、とため息をつきながら、トーカちゃんはそのままバッグを床に置き、僕のベッドの上に――。
「って、本当に何やってんのトーカちゃん!?」
わが道を行くと言わんばかりに、トーカちゃんは僕の反応を無視してベッドの上に寝転んで、肘をついてこちらを見た。
「何って……。他、寝るとこあんの?」
まず何故ここで寝る前提で話しているのか。
「まさかとは思うけど、補導される時間帯に一人で帰れとか言わないでしょ。正直、もう眠いし屋根飛ぶのも失敗しそうだし」
「いや、あの……、まぁ僕がソファに寝れば良いか」
「腕、痛めてるみたいだけど、ちゃんと寝ないと駄目でしょ」
そんなことをさらっと言うトーカちゃん。目ざとい。というより、いつかのやり返しだと言わんばかりにいたずらっぽく笑われて、ちょっと対応に困った。
何だこの状況。
「いや、だったらその……」
「別にカネキ、
「いや、その……」
「半分だけ使わせてくれると助かる。っていうか、むしろもう半分アンタ使え。
じゃないなら私がソファで寝るけど?」
「……」
腕を痛めてることに対して、何一つ追求して来ないトーカちゃんが地味に怖い。
そして何故だろう、どう言えば僕がどう反応するか、まるであらかじめ予想していたかのような言葉の対応力だ。っていうか、それって、あの……。
「……いや、色々拙いと思うんだけど、さぁ。トーカちゃん、年頃の女の子なんだし」
「信頼してるから」
「……」
いくら信頼してるって言ったって、限度があるだろ。警戒心が低くなりすぎてやしないか!?
繰り返す。何だこの状況。
ベッドに置いてあった着替えを「ほら」と投げてよこすトーカちゃん。
呆然としてる僕をよそに、彼女はいそいそと薄手のタオルケットを羽織って、目を閉じた。完全に寝る体勢に入ってる。
それに背を向けようとすると「あ゛?」といつものごとく威圧された。
……どうしたら良いんだろう。上着を着ながら考える。いっそのこと、諦めて寝てしまえば良いのだろうか。いや、むしろそれがもう解決策なのかもしれない。
そもそも彼女に背を向けてしまえば良い話だし、僕自身「そういうつもり」は当たり前だけど欠片もない。
なので、仕方なしに僕もベッドに乗り、トーカちゃんにかかってるタオルケットを、半分だけかける。
部屋の電気を切って、僕は目を閉じた。
……しばらく経っても、全然寝れない。
いや、当たり前と言えば当たり前なんだけど。寝返りを打とうとすると、必然トーカちゃんと対面する形になる訳で。いくらそういうつもりがないからと言えど、そこまで僕は自分自身を信用はしていない。
ただおまけに、この状況自体も慣れない。夜はここしばらく戦い詰めだったこともあってか、背後に誰かが居るという状況に対して、身体が緊張してしまう。
決して、女の子が後ろに居るという状況に関してではない。
……いや、改めて思うけど、何なんだろうこの状況は。ベッドの上でトーカちゃんが寝ていて、それに背を向ける形で僕が寝ている。彼女がわずかに動くたびにずれるタオルケットと、時折背中に当たる腕。耳元に聞こえる一定した息遣いに、不思議とこちらの精神がかき乱されていくような――。
いけないと思い、僕は立ち上がろうとする。やっぱりこの状況は拙いだろう。
トーカちゃんも何を考えてるんだ。信頼してるって言ったって、限度ってものが――。
「――お父さん」
ふと、トーカちゃんの口から漏れたその言葉。
立ち上がりかけた瞬間、彼女の手が僕の左手に伸びて、軽く握るように掴んでいた。
悪いと思いつつ振り替えると、トーカちゃんは少しだけ、嬉しそうに頬が緩んでいた。
「……ここ何ヶ月か、あんまり話せてはいなかったかな」
構ってあげられなかった、なんて自意識過剰なことを言うつもりはないけれど。
彼女が僕に、彼女の父親を投影していることは、なんとなく僕も理解している。
そうであるなら、やっぱりどこか寂しかった、ということなのだろうか。こうして無理やり、一緒に居られる時間を持とうとするくらいには――。
そんなことを思いながら、僕は現状から脱出するに、脱出することが出来なくなってしまっていた。
気が付けば、そのまま寝落ちてしまっていた。
翌朝:
カネキ「ZZz・・・」
トーカ「・・・やっぱり、何もされなかったか」
そろそろカネキの、自分自身に対する言い訳が苦しくなってきた昨今;