気が付けば、距離にして拳一つ分。
その先にあるトーカちゃんの顔。両目が開かれ、目と目が合った。
「……おはよ?」
「うああああああああ――ッ!」
思わず叫びながら転がる。ベッドから落ちると、トーカちゃんが僕に馬乗りになるような体勢をとっていたのがわかった。
何だこの状況。朝日が差し込む窓に照らされる、制服姿のトーカちゃん。胸のリボンは二つ外されていて、ちょっと際どい。」
「んなに驚かなくても……。別に、取って食いやしないから」
視線を逸らしながら、少し暑いのか夏服の胸元をいじる。いやいや、取って食いやとかそういう問題では……、いや、問題はあるか(以前「味見させて」とお願いされた件もある)。
少し警戒しながら後退すると、トーカちゃんは「いや、襲わないから」と小動物でもなだめるような仕草をした。困ったような笑顔は、半年前より更に柔らかくなってる気がする。
「ちょっと出来心で『どんな寝顔してんのかな?』と思って、いざ見ようとしたらなかなかこっち向かないし。上向いたのを狙って乗ったんだけど――」
「し、心臓に悪いよ」
「ごめん。……大丈夫?」
こちらを覗き込むトーカちゃん。意図的なのか、だから胸元が際どいんだって。
一瞬そちらを見て、反射的に視線を上げればトーカちゃんの「きょとん」とした顔がある。この無防備さは信頼してくれているからなのだろうか。しかし、危ういというか危ないというか……。出会ったころのツンツンさも時折見えるのが、むしろ安心できるくらいだった。
……だからとりあえず立ち上がり、僕は部屋の扉を開けた。無問題に背後を向ける口実だ。
「着替えるから出てくれると助かるかな」
「ん、分かった。私も顔洗ってくる」
「あ、ちょっと待って。タオルはい――」
とりあえずワイシャツとズボンを適当にあつらえた。
スマホを確認して連絡がないのを見た上で、僕はリビングに向かった。
壁の時計、時刻は七時半。
……リビングでは、トーカちゃんがエプロンを付けて珈琲を淹れていた。無論インスタントだ。伸ばした髪を後ろで束ねて、以前もらった髪留めで前髪をまとめて両目で見えるようにして。
そしてお湯を入れながら「よっし」と小さくガッツポーズ。
ふと、その姿に幼少期の記憶がフラッシュバックして――。
「ん、どした?」
「……いや、何か様になってるなぁ、と」
「意味わかんない」
「ごもっとも。……僕も何言ってるんだろう。
顔、洗ってくるよ――」
「はい、タオル」
「ありがと」
ごくごく自然な流れでタオルを受け取って、ごくごく自然な流れで顔を洗って、ごくごく自然な流れでタオルを手に取って顔を拭いて――。
って、これトーカちゃん使ったやつじゃん!?
匂いで感じ取るまで、全く自覚しなかったことにちょっとびっくりした。
いくら寝ぼけてると言えど、これは酷い。我ながら不注意すぎだ。
少し自己嫌悪してから籠の中に入れて、ぶら下がってるタオルを手にとって頭から拭いた。少し強めにしてやれば、多少目も覚めるだろう。
リビングに戻ると、トーカちゃんが机に置かれていた本を手に取ったりしながら、珈琲を飲んでいた。ちなみにエプロンはちゃんと戻してあった。
椅子に座って、頂きます、と僕も一口。
多少、これで頭が冴えて欲しいところだった。
幸運にも、一応は活動を始めてくれたみたいだった。
「ってトーカちゃん、ウチから学校までって時間大丈夫?」
「一応計算済み。着替えとかもナシで来てるし」
「……というより、トーカちゃん昨日の時点で荷物ごと持ってきていたのは、ひょっとして泊り込みする前提だったりした?」
「……いや、別に」
何とも言えない表情になりながら、僕から顔をそらすトーカちゃん。
「泊まるのはまぁ……、僕だからまだしも、一緒のベッドで寝るのは流石に拙いからね? 何度も言っておくけど。変なヒトに引っかかったりしないようにね」
「そういうのはぶっ飛ばすし、別に、(カネキ)居るから別に」
「ん、僕が何?」
「な、何でもない」
なんでちゃんと聞いてんのよ、とつぶやくトーカちゃんに、僕は首を傾げた。
前後の文章が滅茶苦茶で、意味するところはわからない。
少ししてから、トーカちゃんは突然言った。
「手」
「……?」
「いいから、手」
手を出せ、と要求する彼女に、疑問符を浮かべながらも僕は右手を差し出して――。
「って、ええ――ッ!?」
その人差し指を、彼女は普通に咥えた。
目を閉じて、軽く下で指先を愛撫しながら。湿った唇が指の周りを囲う。むず痒いというかくすぐったいというか。あと前歯が軽く指先を噛んで、そのまま「ちゅう」となぜか吸われた。
そして指の面を下の面が――。
「って、いやいやいや」
すぐ引き抜くと、爪でべろを傷つけてしまいそうなので、僕も安直に動けない。
時間にして十秒もかかってないだろうけど、トーカちゃんは僕の指先をいじって、そして唇を離し――って、最後に少し物欲しそうな感じで、フレンチキスするみたいな音を立てないでもらいたい。
思わず手を引っ込め、彼女の挙動についていぶかしげな視線を向けた。
「……ん、やっぱ美味い」
「……トーカちゃん。念のため聞いておくけど昨日、寝てる間今みたいなのに類することしてないよね」
「し、してないしてない。月山じゃねーし……。
ち、ちょっと出来心」
出来心でこんなことされても、非常に困る。
何を思っての行動なのだろうか……、以前結局舐め損ねたせいだろうか。
するとトーカちゃんは、何を思ったのか自分の手もこちらに差し出して来て――。
「じゃあ、私のも舐めたら公平じゃない?」
最近とみに思う。トーカちゃんとの接し方がわからない。
※
「じゃあ、シフト夕方からだから。……ちゃんと来いよ?」
「う、うん、サボらないから手、離そうか。僕、このままだと学校まで行っちゃうことになりそうだけど」
「ん、ならよし」
途中までトーカちゃんを送った後、僕は再び6区に来ていた。
今日は珍しく授業が休校になってしまったので、しばらく時間的に余裕があった。
一度バンジョーさんと合流しようとそちらに向かったのだけど……?
「あれ、四方さん?」
「…………」
拠点の中では、一歩も動けないという風になってるバンジョーさんと、その横で目を閉じていた四方さんが居た。確かトーカちゃんの言が正しければ、今朝まで「あんていく」でヒナミちゃんと一緒にいるはずじゃ……?
そう思っていると、奥の部屋から「お兄ちゃん!」とヒナミちゃんが走ってきた。
……?
「あれ、ヒナミちゃんも何でここに?」
「えっとね、花マンが――」なお花マンとは月山さんのことだ。「遊びに来ないかって、昨日言ってたの。四方さんに言って、ヒナ、ちょっと無理してもらっちゃった」
「……着いたのはさっきだ」
嗚呼、なるほど。つまり日が昇ってから遊びに来たということか。
伸びてるバンジョーさんを、マスクを外したイチミさん達が介抱? していた。……介抱だ、たぶん。一応傷になりそうなところは、包帯を巻いたりしている。端々に聞こえるいつものいじりには、苦笑いを浮かべておいた。
とりあえず、みんなにも挨拶。
そして四方さんの方をちらりと見て、思わず口元を触った。
「まぁ、隠してる訳じゃないんですけど……、月山さんにも言っておかないとなぁ」
「ヒナ、お兄ちゃんがなにしてるかわかんないけど、手伝えることがあったらゆってね?」
「……ありがとう。でも、笑顔でいてくれるだけで結構助かってるんだよ」
「ほんと? エヘヘ――」
ヒナミちゃんの頭をなんとなく撫でる。
「お、おう、カネキおはよう」
「あ、バンジョーさん。おはようございます」
「バンジョーさん、おはよっ」
「……あれ、何でヒナミちゃん居るん――よ、四方さん!?」
四方さんの方を見て、途端居住まいを正すバンジョーさん。首を傾げるヒナミちゃんに、僕は少しだけ説明した。
「四方さんに、戦い方とか手ほどきしてもらってるんだ」
「へぇ……、じゃあ、四方さん先生なんだね!」
「…………ょせ」
きらきらとした感じの笑顔のヒナミちゃんに、なんとなく居心地の悪そうな四方さんだった。
なお、以前バンジョーさんが「師匠!」と呼んだ時も、今と似たようなリアクションをとっていた。
「あ、そうだ。ヒナミちゃんにはこれ……」
「わぁ、本! ありがと、お兄ちゃん」
「で、バンジョーさんはどうしてそんな状態に……?」
「昨日、月山と少しやり合ってよ……って、いや、たいした話じゃねぇからな。少し訓練しただけだ」
僕が右手の指を鳴らす動作をした瞬間、慌ててバンジョーさんは月山さんを庇うように言った。……別に脅しに使っている訳でもないのだけど、どうしてかこの動作は、周囲から倦厭される。
でもバンジョーさんと月山さん、仲が良い訳でもないので、庇うと言うことはたぶん大丈夫なんだろう。
ヒナミちゃんはソファに座り、本を開いた。
四方さんに一度断りを入れてから場所を移ってもらい、僕はバンジョーさんと対面する形で椅子について、持ってきた簡単なドリルを取り出した。
「はい、バンジョーさん。これは?」
「……”さ”?」
「さ行、言ってみよう」
「さ、し、す、せ、そ」
「じゃあ鉛筆を持って――」
即席の読み書き講座だった。年は僕より上のバンジョーさんだけど、勉強する機会が全くと言って良いほどなかったらしく、話し合いをまとめた書類を起こしたりしても読めないという事態が発生した。本人の希望もあって、僕は最低限、ひらがなだけでもと教えていた。
しばらくは、そうして過ごす。途中でイチミさん達がテレビを付け始め、意外なことに四方さんが有名女性司会者がゲストを招いてトークする部屋な番組とかを見たりもしていた。
こうしてると何というか、平和だという感じがしてくる。”あんていく”で感じるそれと同じようなものだ。
ただ、ここの拠点を構えてもらった目的からして、本来はまやかしでしかないのだけれども。
「お兄ちゃん、読み終わっちゃった……」
「あー、そうか。じゃあ……、ヒナミちゃんもやる? バンジョーさんに、ひらがな教えるの」
「うん!」
「お、おお!? ……すまねぇ」
一瞬バンジョーさんがぎょっとしたけれど、両手をぐーぱーさせながらやる気に満ち溢れてるヒナミちゃんに、思わず頭を下げた。
※
夕暮れ時。あんていくのシフトを上がった後、一度帰ってから再び家を出る。
僕はまた電車に乗った。向かう先は14区――ヘルタースケルター。
つまりはイトリさんのお店だ。
扉を開けると、いつものように彼女がケラケラ笑いながら「いらっしゃい、カネキチ~」と手を振った。
「何なに? カネキチ、ついに成人でもした?」
「数え年だとそうですが、まだまだ……。いえ、あの、お酒の話じゃなくて」
「わかっとるわい、わかっとるわい。商談なら受け持つよん?」
店の扉を「close」にしてから、再度イトリさんは店の中に入ってくる。
「ひっさしぶりひっさしぶり。で、今日は何が聞きたいワケ? トーカちゃんのスリーサイズとか?」
「…………」
「止めて、蓮ちゃんみたいな顔しないでって。悪かったから。
んー、で真面目な話をすると、何よ?」
欲しいものから先に言うなら、と僕は先に確認をとった。
多少、カマをかけるように。
「マダムA、知ってます?」
「あん? あの変な飼いビト多いマダムでしょ。一応わねー。
……あ、マダムAについて『知ってる』とは言ったけど、それだけよ? 個別に情報が入ってくる程大物じゃないし」
「飼いビトについては?」
「んー、スクラッパーでも特に変な体系のが多いってくらい?」
「それを提供している相手は?」
「……カネキチ、嘉納のこと言ってるのよね。ていうか知ってるでしょ」
「まぁ、そこまでは。でも名前が出てきたので、とりあえず大丈夫そうですね。リゼさんの事故について何か知っている、というのなら当然として……」
知りたいのは、嘉納教授について――。
多くはなくても構わないのでと断りを入れて、僕はイトリさんに「ある物」を手渡した。
「あん? これって……、コクリアの脱走者リスト?
こんなものCCGでもクラッキングしないと手に入らんゾ……。どうやって入手したワケ?」
「秘密、ということで」
「まぁ情報の入手経路なんて、明かさないほうが力あるからねぇ。いや~嬉しいよお姉さんは、情報の価値を理解してもらえたようで。
『レストランで何かやろうとしていたけど』失敗しちゃったみたいだけど、ドンマイ!」
「……そちらこそ、早いですね」
「そりゃ、この道長いからねぇ。カネキチ程度に遅れをとるようなイトリ姐さんじゃないさー」
うりうり、と頭を掴んでぐらんぐらんするのを止めてください。頭事態は動かないけど、カツラがぐらぐらして面倒ですから……。
しばらくカツラをいじって遊んだ後、イトリさんは一度表情を真面目な風に戻した。
「嘉納の前職は――CCGの解剖医よ」
意外なその情報に、僕は少なからず驚かされた。
「何かの研究とかもしてたみたいだけど、配属されてたのはそこね。退職した後は、父親の病院を継いだみたいだけど」
「……喰種相手にメスを振るっていたか」
「かね?」
嘉納先生が、CCG所属だった?
解剖医ということは、クインケというらしい、赫子から作られるあの武器を作るのにも携わっていたか? 思えば以前、僕が戦った巨体のスクラッパー。あの腰には、クインケドライバーを簡略化したような装置が取り付けられていた。ある意味で、それも彼の前職に関係している部分だったのかもしれないが――。
いや、その後に普通の医者をしていたことからすると、喰種被害者の解剖が主だったのかもしれない。
しかし、どちらか片方だけに居たと言うことはないだろう。少なからず僕や、あの双子――クロとシロと言ったか。彼女たちのような存在を生み出すには、両方にある程度精通していなければならない。
でも、何故だ?
そんなことをして何の意味があるのか。単なる実験目的というのなら、その後に僕を退院させているのが腑に落ちない。
――鳥が羽ばたくためには、何が必要か知っているかい?
以前、先生本人から言われた言葉が脳裏をよぎる。
アオギリから身を隠しつつ、CCGからも無論縁を切ってるだろう。
その上で喰種を生み出すのは何故だ? ――少なくとも、何かしらの目的はあるはずなのだ。
思考に埋没する僕の横で、イトリさんが僕の手渡した資料をニヤニヤと見ていた。
「はっはっはー。SS級3人も逃がしちゃ白鳩もオシマイでしょ。
しっかしキンコとか、懐かしいわねぇ。もう死んでるしね。……っと、リオ坊か……。うーん、色々惜しかったなぁ、ヤツも。
それに6区の鯱に、ピエロ……、うわぁ、コイツ出てきたのか趣味悪い」
ピエロ?
ふと、頭の奥で何かが記憶の引き出しを掠めようとしているような、いないような。そんな感覚を覚えながら、ふとイトリさんの方を見た。
彼女は、思い出したように真剣な顔をして言った。
「結構、情報量あるしついでだ。おせっかいながらもう一つ。
――最近、黒いウサギのマスクをした喰種が”白鳩殺し”やってるって話があるのよ」
「……」
「『今の』カネキチが遭遇したら、たぶん戦闘になんでしょ? 頭の片隅くらいには入れておきなさい」
彼女に礼を言って、僕は店を出た。
去り際「ホントに飲まんの? 結構良いやつ入ってるんだけどなー、なー?」と飲んでもいないのに絡み酒のようなノリになっていたのに少し遠慮して。
「……アヤトくんだろうな、やっぱり」
今のトーカちゃんが、わざわざ捜査官殺しをする必要はない。というか、そういう暇もないだろう。
となれば、逆説的にそういった理由がある人物が誰かを考えれば、おのずと答えは見えてくる。
駄目押しに、アオギリでもアヤトくんは黒いウサギみたいな仮面を持っていたのだから、断定しても良いレベルだろう。
僕自身、その行動に思うところは多い。トーカちゃんが後悔したことを、アヤトくんが引き受けようとしているのだから。あの時は殺しきれていなかったとしても、自分のせいでアヤトくんがそんなことをしてると知ったら、トーカちゃんは何を思うだろう――。
「……せめて、間が悪い形で知られることがないと良いけど」
いくら僕でも、目の前に居ない相手を守れるとまでは言い切れない。
イトリさんが「何処の区で目撃されたか」という情報を渡さなかったのも、あえてだろう。それを特定できてしまえば、僕は、それに向かわざるを得ないから。
何にしても、どうにか上手い形に収まらないものだろうか。
ずっと感じてる今ある状況の「歪さ」に、ふと僕は右手の人差し指を軽く噛んだ。
朝、カネキが起きるまで
カネキ「ZZz・・・」
トーカ「・・・(これ、ちょっとくらいギュッてしてもバレないよな)////」いそいそ