一面が黒に染め上げられた空が在る。
大小様々な星々を散りばめた空には一片の雲も存在しない。
本日の天気の良さを察する事が容易なくらい綺麗な空だった。
そんな美しく広大な空の下に存在するのは小さな灯りが点々とした町の姿だ。
その町の一角を私は現在全速力で駆け抜けていた。
「ああもう!なんなのよ、一体!?」
さぁ、空を見上げて現実逃避する作業はお終いだ。
声を出して意識を現実に向け直す。
まずは現状を整理するとしよう。
"奴"と出会い、逃走劇を開始してから既に10分以上は経っただろうか。
私の呼吸は乱れ、全身に蓄積した疲労も既に限界に達している。
だけど足の動きを休める事は出来ない。
何故なら足を止めるなんて事をしたら、その時点で人生が終了するだからだ。
私は大量の汗を流しながらも、肩越しに背後へと目を向ける。
そこには――、
「うわ、まだ追って来てる……!もう勘弁してよ!」
私の背後へと跳ねるようにして迫る黒が在った。
黒の正体は夜の闇にすら溶け込まずに自らの存在を主張する黒い毛玉だ。
現在、そんな異様な存在が私の背を追っていた。
『グォォォ……』
毛玉の中央部辺りにある赤い双眸が爛と光り、私を見据える。
赤が細められる様はまるで私の必死さを嘲笑っているかのように感じられた。
瞬間、背筋に走るのはゾッとする程の嫌悪感を覚える悪寒。
私は生涯で最高の身体能力を発揮して更に速度を上げた。
「うぅぅぅ!なんで会社帰りに化物に追われなきゃいけないのよぉ!?」
でぇい!と持っていた鞄から筆記用具の入ったケースを取り出して背後へと投げつける。
勢い良く飛んだそれは毛むくじゃらの顔面に当たり、めり込み、弾かれた。
ケースは衝撃にて爆発四散。しめやかに後方へと流れるように消えて行く。名誉の戦死である。
なお毛玉はノーダメージの模様だった。
ていうか私の行動が怒りを買ったのか跳ね上がる速度を上げてきた。
「うわぁ――ん!?ちょっとくらいは怯みなさいよ馬鹿ぁ――っ!」
『グォォォ……!』
私の絶叫に対して、毛玉はあまり私を怒らせない方が良いとばかりに荒ぶるばかりである。
毛玉の身に打ち据えられるコンクリート達が派手に飛び散る音が私の耳に届く。
なんという重量。なんという膂力。あんなのに捕まってしまったら一溜りもない。
されども逃げられる様子もない。
……ああっ、このまま私は捕まってあの化物に捕食されてしまうの!?色んな意味で!
きっと毛玉の背中から生えている触手で色々いけない事までされてしまうに違いない。
おっと、ここからは大人の時間よ。うふふふふふ。
って、あれ?
……夢中で走ってて今更気づいたんだけど、ここ何処?
どうやら何時の間にか私は左右に青々とした草木ばかりが見える道に迷い込んでいたようだ。
己の履いた革靴が踏みしめるのも舗装されていない土色が丸見えの大地である。
私が迷い込んだ先を一言で言うなら、山道だ。
……あ、やば。これもしかして道の選択ミスった?
周囲に人の気配が全くない。
毛玉に追われている間も何故か通行人の1人とも擦れ違わないぐらい今日は人の気配がなかったが、
この山道は更にそれが顕著だ。人どころか他の動物の気配すら感じられない。
化物+人気の無い道+疲労困憊の私=バッドエンドの構図が私の脳裏を過ぎる。
あーん。私様死んだー!?
帰ったら秘蔵の酒を飲もうって思ってたのに……。
くすん……美形薄命だ……。
「なんて、思ってる場合じゃなぁ―――いっ!」
恥も外聞もなく前傾姿勢を取り、両手を勢いよく振って加速する。
心臓は爆発しそうな勢いで早鐘を打ち、もはや足の感覚も疲労のせいで殆ど無い。
だが私の脳内で豊満な肉体を持った白髭のおっちゃんは言う。
……諦めたらそこで人生終了だよ?
なんで親指を下に向けてるんだ、おっちゃん。
ともあれ、私にはまだまだやりたい事もあるんだ。こんなところで化物に喰われて――、
「!?」
そんな風に思った次の瞬間、何故か天地が引っ繰り返っていた。
あれ?なんで後ろを走っていた筈の化物の姿が上下逆さの形で見えてるんだろうか?
「って、ひぎぃ!?」
背中から胸へと強い衝撃が突き抜けた。
肺に溜まっていた空気が全部吐き出されて、変な声が出てしまう。
「っぅ……」
唐突過ぎる事態。
されど目を白黒させながらも私は状況を把握しようと努める。
そしてそれを発見した。私の世界の上下が逆転した原因を。
「あれ、は……」
上下逆さまになった視線の先に転がるのは拳大の石だった。
コロコロと転がる様を見る限りでは、どうやら私はあれに躓いてしまったらしい。
よりにもよって、この最悪のタイミングで。
『グォォ……!』
「ひっ!?」
脳が揺れたせいで揺らめく視界の中、石がもじゃもじゃとした化物の体毛に飲み込まれた。
毛玉は身を引き摺りながら移動し、私のほんの少し手前で動きを止める。
眼球のみを動かして毛玉を見やると、毛玉の放つ赤の眼光が私へと向けられている事が理解出来た。
化物の背中で1対の触手が揺れ、体毛が意思を持っているかのように蠢く。
その様子はまるで獲物を目の前に舌なめずりをしているようだ。
……あ、これ。死んだ。
剥き出しの土の上で仰向けになったままの私の瞳から光が消え失せ、諦観の境地へ至る。
そんな私が絶望に打ちひしがれる姿が楽しいのか化物はその身を左右に揺らす。
なんかNDK?NDK?とか文字が見える気分だ。ちょっとイラッとした。
だが、イラッとする程度でこの目の前の化物が済ませてくれるわけがない。
『ギギッ』
「ぁ……」
一頻り私の様子を観察して楽しんだ化物は、その身をぶるりと震わせた。
震えと共に粘着質な音を立てながら化物の身が裂け、口が出来上がる。
大人でも1人くらいなら軽く飲み込んでしまいそうな程の大きさの口だ。
口の中には奥が見えない暗黒が広がっている。
そしてその暗黒が徐々に私に近づく。
……もう、駄目。
私の目尻に涙が浮かぶ。
こんなところで死にたくないのに。なんで私がこんな目に。
不条理な現実に怨嗟の念を投げかけた、その瞬間だった。
『ゴォッ―――!?』
「はい?」
化物の姿が私の目の前から消えた。
何事かと考える暇もない。
突発的な変化は更に続けて訪れた。
……うわ眩し!?
化物の身を包む黒の代わりに視界を埋め尽くした色は虹色。
世界を覆い尽くさんばかりに輝く派手な閃光だ。
でもその光は見ていると何故か胸が暖かくなり、危機的状況に在った私を安心させてくれた。
瞳に幾らか力を取り戻しながら、不思議な光を観察していたらふとある事に気づく。
「あれって……?」
光の奥に影があったのだ。
かなり小さな影だ。
それは本当に小さく、まるで子どものようにも見える。
影は私に気づいたのか、こちらに向かって駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?」
「って、本当に、子ども!?」
私の天地が逆になった視界の中、消え行く極彩色の光を背景に現れたのは1人の少女だった。
歳は恐らくだが10歳前後だろう。
闇夜の中だというのに一目見ただけでもハッキリと解る程に白く透き通った陶器のような肌。
月光を浴びて淡く煌めくのは金の髪。
肩程まで伸びた髪は風に乗せられて靡き、彼女の額や肩を撫でつける。
金の前髪の下、私を心配そうな表情で見つめるのは右が碧、左が紅の1対の宝玉。
柔らかな輪郭を持った幼い顔立ちの中、特に私の目を惹いたのはそのオッドアイだった。
ちなみに彼女が着込んでいるのは無地の白いティーシャツに半ズボンといった質素過ぎるものだ。
だが、少女自身の宿す幻想的な美しさの前には服装の美醜など関係がなかった。
綺麗だ。
安っぽい表現だけどそれが私の本音であり、それしか言う事が出来ない。
先程までの危機なんて既に忘却の彼方だ。
私は知らずの内に眼前の少女の姿に見惚れてしまっていた。
「お怪我は、ありませんか?」
微笑みながらの言葉と共に少女は手を差し伸べてくれる。
その慈愛に満ちた様子はまるで、
……天使、みたい。
あんな化物が居たんだから天使だっているんだろう。そうに決まっている。
混乱の極みに達した上に酸素不足で思考を停滞させた頭が意味不明な結論に至る。
同時に視界が左右上下に強く揺れた。
……うぁ……安心したら、急にクラッて……。
世界が暗転する。
意識が引きずり込まれるようにして暗闇の海の底へとゆっくりと沈んでいく。
そして底無しの闇の奥へと手招きされるような感覚に私はそのまま意識を手放した。
はじめましての方ははじめまして、ころにと申します。
まずはここまで読んでくださった方々に感謝を。
既に主人公の姿でネタバレ臭がパネェ感ですね。
というわけで、所謂ジャンル的には転生モノ?に属する当作品ですが、
よければ今後とも続けて読んでいただければ幸いです。
まぁ、転生モノ?といっても他にも逆行、最強、イチャラブ等々の要素を詰め込んだ
闇鍋的なモノを書いていきたいと思ってますので、その辺りをご了承いただければ、と。
それでは。