手紙? そういえば全てはあの手紙が始まりだった。
『あなたは十二人の一人に選ばれました。力を望むなら、叶えたい夢があるなら戦って勝ち残ってください。最後まで勝ち残った人に、力とあなたの夢を一つ叶えて差し上げます。尚、この手紙を開封した瞬間から戦いは始まっております。参加拒否はできません。あしからず』
手紙の差出人がアリスだったとしたら、俺はすでにアリスゲームとやらに強制的に参加させられたことになる。
「あの手紙の差出人は、アリスか?」
「そうなの」
ペニスちゃんはにっこりと微笑んだ後、ちょっと考える仕草をする。
ちょっとの間。……再び目が合うとペニスちゃんは無言のままアジサイ畑の中に入っていった。
ついて来て。そう言っているような気がする。
見失わないよう俺はその後を追った。
アジサイの花には様々な色があり、そのどれもが綺麗な花を咲かせていた。
その合間を縫うように人ひとりが通れる空間があり、ペニスちゃんはそこを迷いなく進んでいく。小柄な少女をアジサイの中で見失わないよう俺は必死に後を追った。
「ま、待ってくれ! どこに向かってるんだ」
見渡す限りアジサイの花と葉が埋め尽くすこの空間で。
少女はどこに向かっているんだ。
「疑問ですか?」
「それもいいでしょう。もっと考えてください」
「えっ?」
少女は何の変哲もない場所で立ち止まる。そこにあるのは変わりないアジサイだけ。
「あなたがこの世界、いえ私のお遊びにおいで頂いた理由を」
少女が振り返る――。
一瞬、時が止まるように。
――感じた。
これは夢ではない何か。そう、夢幻の象徴。
綺麗な黒髪が、白く染まる。
咲き乱れていたアジサイは花を散らせ、世界は色彩を失う。
そこで俺と対峙しているのはペニスちゃんではない。
同じ容姿、だが俺を突き動かす恐怖心がそれを告げている。
――アリス。
「こんばんわ。約束通り答えを聞きに来たわ」
アリスは言う。
「選びなさい。死んで私にかしずくか、生きて私と共に戦うか」
俺はそれに答えるつもりはなかった。俺とアリスの関係は対等ではない。常にアリスは俺の上に立っている。それじゃあ、俺がどう足掻こうと結果は同じ。
――それなら。一つ賭けにでよう。
「……」
「いいの? ここで消すわよ」
アジサイなんてなかったようにアリスは一歩、また一歩と俺に近づいてくる。
俺はそれをただじっと待っているしかない。
「俺だって死にたくはない。でもこれは夢なんだろ? じゃあ俺はここで殺されても死にはしない。あのツインテールの少女だって本当に死んだわけじゃないんだろ!」
「ふふ、思ったより賢くて安心したわ」
アリスはまるで悪巧みがばれた子供みたいに笑う。
「でも一生目覚めることが出来なくなるとしたら、同じことが言えるのかしら?」
「な、なに!?」
「だって夢から醒めなければその人は死んでいるのと変わらないわよ?」
そんなことが出来るのか、それを考えるのは無意味だろう。俺はこれだけはっきりと夢の存在を認識した上でここにいる。そしてここにいる俺は俺の意志でこの夢を終わらせることが出来ない。
「わ、わかった。俺の負けだ。お前の好きにしろ」
「ふふ、別に勝負なんてしてないのだけどね」
「……、だが良いのか? どうして俺なんだ。俺にはなんの力もない、不甲斐ないだけのただの人間だ」
まだだ。
「別にあなたの力がどうという話でもないからいいの」
「……」
「この世界はご存知の通り、夢でしかない。つまり無意識下の願望とか記憶が具現化されるということ。ぺ、ペーちゃんに説明は受けていると思うけど非現実的夢世界ではこの空間そのものがその媒体になっているわ」
べーちゃんね。はてさて、ペニスと呼ぶのが嫌だったのか、本当にこの世界はあだ名呼びがルールなのか。そんなどうでもいいことに興味が湧いた。
「わかった、でも夢幻世界はそうじゃないだろ?」
「あれはどちらかというと記憶が触媒になっている世界。特に負の記憶が出やすいわ」
それで俺の部屋は大掃除前まで戻されていたのか。
「あなたにもあるでしょ?」
何がとは聞かない。俺にだって触られたくないものはある。
「それを思い出せばいいわ。そうすれば……」
「それが武器」
正解だったのだろう、アリスは微笑むだけでなにも言わなかった。
「それで俺は何をさせられるんだ?」
まだだ。
「分かりやすく言えば、人殺し。あなたの他の十一人を殺して欲しい」
手紙に書かれていた十二人のことだろう。つまり俺を除く全員……。
なにかもやもやとするものを感じる。
その姿を俺が悩んでいるように受け取ったのだろう。
「そんなに焦る必要はないから。今日はもう休みなさい」
そう言って俺の横を通り過ぎていく。
ああ、帰らせてもらうよ。
――だって俺はアリスがこの距離に入る瞬間を待っていたのだから。
ばさっ。
「どうだ?」
「何がどうだって言いたいのかしら?」
俺はアリスが無防備に俺の傍に立つ瞬間を待っていた。力の限り、飛び付き踏み荒らされたアジサイの上に押し倒すことに成功した。主導権は今、俺にあるはずだ。
俺はアリスに馬乗りになって問う。
「俺を開放しろ。こんなゲーム、俺はするつもりはない!」
さっきまで恐怖の対象でしかなかった少女は思ったより華奢で力いっぱい押さえつけると壊れそうだった。だが油断は出来ない。俺はアリスの力を目の当たりにしている。
怖れと決死の高揚感で心臓が壊れそうなほど脈っている。
「できるんだろ!」
アリスは倒れたまま、俺をまっすぐに見ていた。
「じゃあ死ぬだけだけどいいのかしら?」
「だから解放しろって言ってるんだ! そうすればすぐ放してやる」
「もう正義のヒーローとは言えないくらい悪役がハマってるわね」
アリスは変わらない笑顔を俺に向ける。
そんな顔で俺を見るな。俺は今更、正義のヒーローなんて目指していないんだ。ヒールだってなんだってやってやる。生きるためなら。
「滑稽ね」
「笑うなら笑え! 俺はお前が怖かったんだ。こうするくらいしかなかった」
「そんなに怯えなくてもいいのよ」
「俺はお前を信じられない」
すぐ敵を作り、味方を作る。正義と悪でしか理解できない姿は子供のようで。
「あなたはもう少し、大人になった方がいいわ」
そう言って、アリスは俺の首に手を回す。
――首が折られる、もしくは絞め殺されるのか、……なんにせよ俺の恐怖心が異常なほど警笛を鳴らしていた。俺は慌ててアリスの身体を押さえていた手を離し、自分の首に回された手を押さえる。
――しかし、遅かった。
そして何よりも早まった。
アリスは俺の上体を抱き寄せたのだ。――首を折るなんて物騒なこと考えもしていなかったのだ。俺はただただ予想もしてなかった行動に為す術なく導かれた。
ちゅ。
柔らかな感触。
俺は、俺は、いったい。
「キスしちゃった」
アリスは優しく微笑んでいた。
――もう夢は醒めるけど、忘れないで。この感触を――。