――はずだった。
俺がもし、未だ正義の味方に渇望していたならこの現実は俺のそんな幻想をぶち壊したに違いない。
事実、白髪の少女……彼女は俺を庇ったし、助けたのだ。
それは俺からすれば、弱者を救う正義に他ならない。
俺がまだ無意識に目指していたもの、そのものだったはずだ。
であるのに、
……。
無音、のち悲鳴。
肉片がまるでサイコロステーキのように細かく刻まれていく。
色彩を失った世界で映える血の紅。
俺はそれを見ているしか出来なかった。
これは戦いではない。ましてや勝負ではない。強者が弱者を嬲る、理不尽で無秩序な力の差。それはただ悲惨な光景だった。
まず少女は言葉を失った。喉に突き立てられたサーベルが舌を引き裂いたからだ。
次に少女は四肢を失った。無数に現れる黒いワイヤーを操る方法だったからだ。
最後に少女は尊厳を失った。……白髪の少女は、軽くなってしまったツインテールの少女の身体……、その首から下を切り落とした。
サーベルは少女の血で染まり、その血飛沫は俺の部屋のほとんどを紅く染めていた。
俺は穴の空いた腹を押さえ、嗚咽を堪えるので精いっぱいだった。
「こういうのはあまり好きではないの」
じゃあ、どうしてそんなことをする! そう叫ぶことすら俺にはかなわない。
俺はこの白髪の少女に怖気づいている。
「それで、あなたは大丈夫なのかしら? 怪我とかしてない?」
白髪の少女は俺の身を案じるような言葉を吐きながら、自分の足元に転がっているツインテールの少女の胴体を弄んでいた。
血に染まった衣類を剥ぎ取り、股間の割れ目からサーベルを突き入れ、腹に向かって裂いていく。
「な、何をしているんだ」
必死に振り絞る声。からからの喉から冷たい空気を感じた。
白髪の少女は困った顔で笑みを向けた。
「……」
どうして笑える?
俺は目の前で行われた行為の一部始終を目の当たりにし怒りを募らせていた。
今しがた、命を助けられたのは間違いなく俺だ。そして俺を殺そうとしていたのはその、……肉片となってしまった少女。
しかし、俺が恐怖を感じ、今また怒りを感じているのは目の前に立つ白髪の少女だった。
どうして人間をそんなおもちゃのように扱える? 既に死んだであろう少女の身体に刃物を突き立てることができる?
それは狂気以外のなんだって言うんだ!
俺の奥底で恐怖心以外の感情が湧きあがってくる。
それが何か、まだ俺には理解できない。
ただ、これ以上、俺の前で――。
「はぁ! はぁ!」
俺は立ち上がっていた。
「――やめろぉぉぉ!!」
俺の前で、これ以上罪過を重ねるな! でなきゃ、俺は……俺は……この白髪の少女に牙を剥かなければならない。
自分が異常な興奮状態にあることに俺はまだ気付いていなかった。
「もう終わったよ」
ポツリと白髪の少女が言った。
少女は振りかえり、手を差し出す。
差し出された手の上には四肢のある哺乳類の出来損ない……、キューピー人形のようなものが乗っていた。
「この子、まだ子供だった」
「それでもこの子はお母さんだったのでしょうね」
「叶わない夢だった。……現実は理想より現実的。当り前のことなのだけど、もう少し優しい世界であったらよかったのにね」
淡々と紡がれる言葉。
俺の怒りが解けていくのを感じた。
「理想を口にするだけで否定される。否定されれば理想は夢と変わらなくなる。夢は夢と同義、だってありもしないものを見ているから」
「私は夢の管理人。そうね、アリスと名乗っておこうかしら?」
「アリス?」
童話などでよく使われている名前。曖昧な記憶だが名無しの女性を指す名詞だ。
日本人らしい容姿からして偽名だろうが……。
「聞きたいことはいくらでもある。だが、まず知りたい。その子が死んだのかどうかだ」
「冷静なのね。普通、こんな状況で他人を心配しないわ、それにこの子は君を殺そうとしていたはずなんだけど?」
「どうせここは夢なんだろ」
俺は核心を投げかける、答えはすでに分かっている。
アリスと名乗った少女は自ら夢の管理人と言ったからだ。
「答えはノー。それが最初の質問というだけで、私が君に教えることがなくなったわ」
「戯言だ……、ぐふッ」
もう限界に近いか。……硬直している自分の身体はとは裏腹に明瞭な思考。
ツインテールの少女は《参加者》と言った。
それは夢の中、つまりこの世界に干渉している第三者を言ったのではないか? つまり《参加者》はこの少女アリスの言う夢の管理者たち――。
不敵に笑うアリス。
まるで全てが見透かされているのではないか、そんな疑問を抱かせる。
「見てて」
差し出された手の上、キューピー人形のようなそれが、粉塵となり消えていく。
「これであの子は忘れることができる」
「それが悪いことだとは思わない」
「でも私がやっているのは決して好かれるようなことばかりじゃない」
「戯言で一蹴されるのは寂しいのだけど、私も思うよ、戯言ならよかったのにって。そうだったらいいのにね。これも現実とそう変わらないから、誰しもが皆、力を求め誰かを傷つける」
ぐったり動かなくなった俺にアリスは説き続ける。
俺の口は肉体の機能停止と共に動きを止めた。返す言葉も詰問することもできない。
意識だけが取り残された肉体。
死というものを直感的に受け入れなければならない。
「どうせここは夢だから?」
死にはしない。
「選びなさい。死んで私にかしずくか、生きて私と共に戦うか」
アリスはそう言って、動かない俺の身体から首を切り落とした。