辺りには動物や竜などといった石の彫刻が鎮座している。それら全てがその筋を長年歩み続けてきた職人の繊細な技術によって彫られ、皆が皆声なき咆哮を玉座に座る人物を祭り上げるかのようにあげている。その光景はまるで石が生きているかのようであり、その価値が安くないことが伺える。
彫刻に一家言ある者達ならば、忽ちその彫刻に一目惚れしてしまうだろう。だが、この玉座の間にはそんな彫刻がまるで道端の石ころだと思える程に、その存在が、在り方が濃厚な人物が複数居た。その存在とは言わずもがな。過去、世界に名を刻み、その行為が悠久の時が経て尚現代に生前成した事を語り伝えられる英雄達である。
彼らは皆、玉座に座る王に平伏していた。
「……一人、同胞を失った」
やおら玉座に座る人物が口を開いた。その声には僅かな怒りが含まれており、その獣の如き鋭い眼光は、目に映ったもの全てを射抜くかに思われた。
“黒”のランサー……彼は嘗てこのルーマニアを治めた領主である。彼が生前成した行為は、世界中に“吸血鬼ドラキュラ”、“串刺し公”、“悪魔”といったような呼び名で恐られている。
生前に身内……仲間に恵まれていなかった彼にとって、此度の聖杯大戦で“黒”の陣営として現界したサーヴァント達は何よりも大切な仲間であった。だが、今日、その仲間を、同胞の命が戦いにおいて失われた。
それは別に良い。これは聖杯大戦……即ち戦争だ。別に仲間を一人失ったからといって、いちいち悲しんでいてはキリが無い。それでも、“黒”のライダーはかけがえのない仲間であった。部下であった。故に、ヴラドは“王”として怒りに燃えている。
「だが、此方も敵のバーサーカーを討ち取った」
彼の脳裏には、不屈の魂を持った反逆者の姿が浮かんでいた。彼は愚かなる侵略者であった。その魂の在り方は成る程賞賛すべきものがあった。だが、例えその様な戦士であろうが敵対してきた時点でオスマントルコも同等だ。故に、彼が生前オスマントルコの軍にしたのと同じように、串刺しの刑に処した。
「お互い痛み分け……と言いたいが」
“黒”のランサーはカウレスの方を睨めつける。英雄でも何でもないただの魔術師であるカウレスにとって、その鋭い眼光に怯まないというのは些か無茶な話だろう。
「話せ。何があったか、敵はどのような魔術を使ってきたか。そして貴様が何を思ったか、感じ取ったかを」
「……分かりました」
その場にいる全員の目がカウレスの方を向く。彼の横には、彼のサーヴァントである“黒”のバーサーカーが居る筈だが、彼女は今この場にいない。……ただの魔術師に手も足も出なかった事を恥じて、“黒”の陣営の皆に顔を見せない様にしているのだろう。
カウレスは口を開く。“黒”のバーサーカーの目を通じて見た光景をありのままに口にする。
……紡ぎ出された言葉を聞いたならば、殆どの魔術師は何を馬鹿な、と嘲笑うだろう。だが、今この場にそんな魔術師は一人もいない。彼の姉も、他のユグドミレニア一族も、サーヴァント達もカウレスの話の全てを信じる。それでも矢張りどこか荒唐無稽な話だと感じられた。
泉という魔術師が、“黒”のバーサーカーの一撃を指一本で受け止め、肉体一つでサーヴァントを圧倒するなど、当の“黒”のバーサーカーからすれば悪夢に近い出来事だっただろう。
「……アーチャー」
“黒”のランサーは、“黒”のアーチャーに意見を求める。ケンタウロス族の賢者であり、今回現界した“赤”のライダーを代表にヘラクレス、イアソンといったギリシャの英雄を育てた偉大なる存在だ。そんな彼の叡智ならば、今回の出来事のネタを割ることができるかも知れないと……
だが、果たして“黒”のアーチャーは首を横に振る。
「解りません。今この場で推測するには判断材料が少なすぎますね」
「そうか……」
申し訳ありません、と“黒”のアーチャーは“黒”のランサーに頭を垂れる。
“黒”のランサーはそれを許し、次にダーニックに意見を求めた。彼は“黒”のランサーのマスターであり、ユグドミレニア一族を率いる長だ。今回の聖杯大戦の仕掛け人……というには些か不本意であろうが、大聖杯をナチスと共に強奪し、己の物としたのだからあながち間違いではないだろう。今や離反したとはいえど、その前は魔術師の最高学府である時計塔の講師に名を連ねるロードの一人だったのだ。そんな彼ならば、泉という時計塔よりの刺客について何か知っているかもしれない。
そんなランサーの予想通り、ダーニックには思い当たる節があるのか口を開く。……尤も、その言葉には多少なりとも苛立ちといったようなものが含まれていたが。
「ええ。知いますとも。というより、彼は時計塔では悪い意味で有名でした」
「と言うと?」
「…………」
ランサーの問いかけに、ダーニックは沈黙する。ダーニックは確かにランサーを王として認め、家臣相応の態度で接している。そんなダーニックとは言えど、泉の事を口にするには些か憚られた。
「構わん。どんな些事な事でも良い。答えよ、仔細に話せ」
王の問いかけに答えないのは、不敬とするところだが、ランサーはその器の広さにより許す。そしてダーニックは恭しく頭を垂れ、続きを口にする。
「奴の名は時計塔中に響いておりました。それこそ、通常他人との交流を閉ざし、四六時中工房に引き篭っている魔術師にすら」
「とすると、矢張りそれ程に強いのか?」
「いいえ、私も奴がサーヴァント相手に圧倒する程に強いとは知りませんでした。……魔術の腕はそこらの生徒よりも上を行くでしょうが。ですが、その魔術の使い方というか、普段の態度が如何せん困り物でして」
「と言うと?」
ランサーはダーニックが僅かに眉を顰め、眉間に皺を寄せたのを観察した。時折相手の話に相槌や疑問を交える。そうすると聞き手も話してもお互いにやり易いのだ。
「毎日と言っていいほど魔術による悪戯を、他の科の生徒や教師、それこそ相手が誰だろうと関係なく、無差別に仕掛けているのです。……かくいう私も奴の悪戯の被害に何度か遭っています。
しかも、その悪戯の内容というのが、実に用意周到というか、悪質でして。禍根が残らないように、被害は最小限に勤め、本当に困らせる様な事はせず、その上物質的な証拠も残さない。
実に計算ずくの悪戯を仕掛けてくるのです。少し始末書を書けばコトが済む程度の。だからこそ、下手に罰する事も出来ないのです」
「成る程な」
普段ユグドミレニアの長としての威厳があるというような表情とは違い、今のダーニックは苦汁を飲まされたかのような顔をしていた。思い出しただけでその様な顔をするところ、何度も被害に遭っているのだということが推測出来た。
「……申し訳ありません。私に話せるのはこれぐらいです。
奴はエルメロイⅡ世が講師を勤める現代魔術教室に籍を置いていますが、鉱石魔術、降霊魔術、死霊魔術、呪詛、工学など、様々な魔術を使います。これは通常ならば有り得ない事です。それぞれの魔術は、平均よりも上ですが、その道を行く者には到底敵いません」
「そうか……」
ランサーは近代の英霊であり、神秘が薄れ始めた時代に生まれた。故に魔術というモノには疎いが、それでも聖杯からの現代魔術師についての知識から、それがどんなモノなのかをある程度理解した。
通常魔術師という生物は、一つのジャンルについて極め、根源に到達する事を生涯の最終目標とする。故に、時折摘み食いする事はあれど、無闇に多数のジャンルの魔術を習得する様な事はしない。
魔術というのは膨大な“学問”であり、一つのジャンルを人間の限りある寿命で習得しようとなると、時間が足りない事が殆どだ。故に、大抵の魔術師は己の肉体に“加工”を施したり、次代の者に託したりする。
だが、それを抜きにしてもありとあらゆるジャンルの魔術を習得し、しかもその一つ一つが、時計塔の生徒の平均的な実力の上を行くという。そこからその才能がどれほどの物か推測出来るだろう。
「ダーニックよ、お前の言葉は今後の参考になるだろう」
「有り難き幸せ」
「そして、セイバーよ」
ランサーはその金の双眸で“黒”のセイバーを見る。“赤”のアーチャーとの交戦による傷はとうに回復されており、肉体にはかすり傷一つ残っていない。……それでも、彼の宝具である“鎧”を修復するには至らなかったが。
そもそも、セイバーの“鎧”が破壊されるという事態が異常なのだ。その身に纏った竜の牙や爪を連想させる鎧、そして露出した背には、菩提樹の葉の後がある。……彼の真名はジークフリート。悪竜を屠った英雄だ。
そしてその悪竜を切り裂いた時に血を浴びた事により、ありとあらゆる攻撃を撥ね付ける強靭なる肉体を得たという。その逸話が宝具と化した“悪竜の血鎧”血の様な赤黒さを思わせるその肉体は、一見無敵に思える。だが、一つだけ弱点がある。それは血を浴びた時に、背中に菩提樹の葉が張り付いていた部分だ。その部分だけ血を浴びなかったため、彼の背には菩提樹の後がくっきりと残っている。その部位はただの人間の肉体となっている。故に、セイバーのマスターであるゴルドは真名をランサーとダーニック以外のユグドミレニア一族に秘匿した。
「真名はどうだ?」
だが、ゴルドは“赤”のライダー相手に令呪を命じて、宝具を使用させた。それにより、敵に真名が破れていないかどうかが重要なのだが……
「…………」
セイバーは沈黙するばかりだ。己のマスターであるゴルドに口を開かないように命じられているのだ。臆病者──本人によると慎重──であるゴルドは、セイバーの真名を見破るヒントを少しでも敵に与えないように、一切の発言を禁止した。
ゴルドはセイバーに発言の許可を与える。
「恐らくは看破されただろう。オレの宝具である“幻想大剣・天魔失墜を開放し、あのアーチャーもオレの背中を中心に狙っていた」
「そうか……」
ランサーはそれを重大に受け止め、頷く。
「ならば、貴様の背を守護する者が必要だな……」
ランサーは今この間に居る人々を見回す。ユグドミレニアのマスター達は、ただの魔術師でありサーヴァントの戦闘に近づくだけでも危うい。魔術師を側につけるなどは論外だ。戦闘用のホムンクルスやゴーレムも同様だ。
そして残るは消去法でサーヴァントになる。
だが、誰がジークフリートの背を守護するべきか。ジークフリートのクラスは、どんな状況にも幅広く対応できるセイバーだ。故に、この聖杯大戦において、最後まで生き延びさせる必要がある。……だからといって、他のサーヴァントを捨て駒にする訳にも行かない。
この戦いはチェスの様に、何手先もの未来を読まなければならない。だが、駒の行動パターンと移動範囲が限られるチェスと違い、この戦いは何が起こるのか誰にも予測不能なのだ。だからこそランサー……否、ランサーだけではない。他のサーヴァントも、その主達もゆっくりと慎重に行動しなければならない。
ランサーは暫く逡巡した後、不敵に笑いながら言う。
「余が。余自身がそなたの背を護ろう」
この発言に、玉座にいるランサー以外の者達は動揺を隠せずにいた。それも無理がないだろう。“王”であるランサーは、前線に出るべき人物ではない。それに、ランサーはこのルーマニアに於いては、カルナとも並ぶ程の力を得る。……つまり、ランサーは“黒”の陣営最強のサーヴァントと呼ぶに相応しいのだ。もしも、万一にランサーが倒れでもしたら“黒”の陣営は一気に弱体化するだろう。
とりわけダーニックはランサーにその考えを改め、もう一度考え直す様に進言する。だが、ランサーは頭を振る。
「確かに王たる余の立場を考えるならば、無闇に戦いに出るべきではないのだろう。そんなことは余とて理解している」
「ならば!」
「だがな、此度の戦いは聖杯大戦だ。ここに居るのは成る程、天下無敵の英霊達だ。だが、敵も同じく強靱なる英雄達だ。
そして我等は決して敗北する訳には行かない。ここにいる者共は全員が願望を叶えたいのだろう? ならば、尚更敗北する訳にはいかん。──そう。立場などは関係ない──とはいえど、やはり余は王だ。そして王が臣民を守護するのに、理由などは要らんだろう?」
ランサーはそう言って不敵に笑う。最早ダーニックが、他の者達が、どれだけとやかく言おうとも、ランサーは決して己の意見を曲げないだろう。
これで決定とする。そして解散する。その言葉に、各々がランサーにひれ伏す。
あと数日で完全に満月となる月は、トゥリファスをぼんやりと照らす。その表面に映る女性の横顔は、まるでこれから、聖杯大戦にて散ってゆく命を哀れむかのように、トゥリファスを、ミレニア城を見下ろしていた。