Infinite Stratos 学園都市最強は蒼空を翔る   作:パラベラム弾

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二十九話

「―――、」

 

気が付けば、見知らぬ空間に佇んでいた。

 

白い立方体を敷き詰めて無理矢理平らに均したような歪な大地を、無機質な輝きを放つ白い太陽が照らしていた。見渡す限り何もない、果てしなく続く虚構の世界。

 

服装はIS学園の制服。いつもと違う箇所があるとすれば、夜叉の待機状態である黒いチョーカーが首からなくなっていることだった。常につけていたものがなくなった違和感を感じながら首を擦っていると、不意に背後に気配が生まれる。

 

緩慢な動作で振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。歳は十歳程度だろうか、腰まで届く濡羽色の黒髪に黒曜石のような黒い瞳。漆黒と表現するのが相応しい黒のワンピースを身に纏っていた。無表情で佇む黒い少女は、キャンパスに落とした墨汁のように白い世界で浮き彫りになっていた。

 

「……正直、眉唾モンだと思ってたンだがな」

 

自分とは対極的な少女を眺めながら、一方通行がポツリと呟いた。

 

「467個のISコア其々に自我があって、操縦者との同調率が高まると深層心理での接触が起こる……。オマエが『夜叉』のコアってコトで良いンだな?」

 

彼の言った通り、全てのISコアには自我があるとされている。『されている』というのも、確認できた事例が極端に少ないからだ。二次移行が起こる前提条件がこの『コアと接触すること』だと言われているのだが、二次移行を果たした機体は世界でもまだ数機しかいない。

 

長い間ISに乗り続けても二次移行が起こらない操縦者もいれば、短期間で二次移行を果たした者もいる。もしかしたら特定のコアだけが接触可能なのか、それとも操縦者の資質なのか。全ての条件が一定でないために、データの取りようがないのだ。

 

一方通行自身、以前束から聞かされたときには半信半疑だった。機械に自我が芽生えるなどお伽噺の世界ではないのかと。だが実際こうして対面してしまった以上信じざるを得ない。

 

少女はこくりと頷いた。

 

「肯定。私はコアNo.051、登録機体名『夜叉』」

 

「……、『私』ねェ。随分とまァ人間味のあるAIだな」

 

「否定。AIとは違う。私たちISコアは完全に『自分』としての自我を確立している。同じ量の同じデータを渡したとしても、成長の過程に操縦者の心理状態や思考・行動が影響するから同一の進化はしない」

 

「……フラグメントマップか」

 

「肯定。私たちの人格とフラグメントマップはイコールで結ばれている。コアが作成された瞬間に自我は形成されるけど、操縦者がいなければ私たちは成長しない。操縦者が得た経験が多ければ多いほど、操縦者が機体を動かした期間が長ければ長いほど私たちも成長する」

 

「俺がこの機体を使い始めてから、少なくとも700時間は越えてる。その間に得た経験値の量はオマエが一番よく分かってるハズだ。そンだけあってもまだ接触程度にしか漕ぎ着けてねェって事ァ、コアの成長速度ってのは相当遅ェのか?」

 

代表候補生にも劣らないどころか国家代表に並ぶレベルの経験値を蓄えているはずの彼と夜叉だが、それでもまだ二次移行には届いていない。他の機体がどうかは知らないが、自分でさえこれなのだ。二次移行など本当に到達できるのだろうか。

 

しかし、そんな一方通行の考えとは裏腹に少女は首を横に振った。

 

「否定。私たちの成長速度は操縦者との同調率に依存する。コアとの親和性が高い人は少しの経験でも比較的すぐに接触が起こる。だけど―――」

 

そこで言葉を区切り、無表情のまま首を傾げた。

 

「貴方は少し特殊。私と一定以上の同調を拒むように、見えない壁みたいなものが形成されている。コアとの同調は拒めるものではないのに、それでも貴方の『奥』まで踏み込むことができない。だから、私が得られる経験値がかなり少なくなっている。恐らくはそれが原因と予想」

 

それに関しては一方通行にも心当たりがあるために何とも言えなかった。己の能力が、無意識のレベルで機体側からのコンタクトを異物として反射していたのだろう。以前束にも「どうしてあっくんは同調率だけ全く上がらないんだろうね?」と言われたことがあるが、だからといって素直に解除するのも躊躇われた。

 

心に踏み込まれると言うことはつまり、一方通行が胸の内に抱える全てを覗き見られるということなのだ。別に機械に知られたからといってどうにかなるわけでもないだろうが、それでも自分の心を覗かれるのには若干の抵抗があった。

 

二次移行と同調率の課題については追々考えるとして、一方通行が本題を切り出した。

 

「その話は置いておくとして、だ。何故今、このタイミングで接触が起きた。後半は失血のせいで記憶が曖昧になってるが、俺ァ福音とやり合ってたハズだぞ。まさか戦闘中にここに呼び込ンだンじゃねェだろォな」

 

「否定。機体名『銀の福音』との戦闘行為は既に終了し、現在貴方は手当てを受けて寝かされている。銀の福音との戦闘中に貴方の『壁』が少しの間消失した。その間に急いで貴方とのリンクを確立したからこうして話すことが出来るけど、もうじき同じように弾かれる」

 

「……、」

 

これも心当たりはある。全演算能力をハッキングに費やした結果、深層心理のブロック機能までも働かなくなってしまったのだろう。そもそもそんなものがあること自体知らなかったので如何ともし難いのだが。

 

「重要事項の伝達。私は既に、貴方の願いに応えるだけの準備は出来ている。後は、貴方が望むだけ。貴方が本当に私の力を必要としたとき、進化は訪れる。覚えておいて。私たちは、願いによって強くなる」

 

それだけ言うと、少女の輪郭が滲み虚空へと溶けていった。それを合図に、白い世界もボロボロと崩壊を始める。足下の地面が消失し、落下していくような感覚の中で一方通行は小さく呟いた。

 

「……、『願い』か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深海から浮上するように。長い眠りから覚めたように。ぼんやりとしていた意識が段々と覚醒してくる。うっすらと目を開けてみれば、旅館の一室に寝かされているらしかった。既に陽は沈み、窓から射し込む柔らかな月光が部屋をぼんやりと照らしていた。

 

目を覚ましてまず感じたのは、凄まじいまでの倦怠感だった。全身が鉛のように重く、寝かされている今でもだるさを感じる。急速に血を失った影響だろうか。

 

脳虚血による演算機能への影響が心配だったが、幸いなことに不調は見られなかった。とはいえ、こんな状態での能力の使用は控えた方が良いだろう。体を動かすだけでも辛かったが、ゆっくりと上体を起こす。すると、額から何かが滑り落ちた。

 

受け止めようとして左手を伸ばすが―――濡れタオルはそのまま掛け布団の上に落下した。

 

そこでようやく、あの戦闘で左腕を失ったことを思い出す。あれだけ血を噴き出していた傷口にはしっかりと包帯が巻かれ、よく見ればISスーツを着込んでいる自分の体も包帯だらけだった。

 

仕方なく右腕を伸ばし自分の体温ですっかり温くなってしまったタオルを掴んだ瞬間、大きな物音と、次いで水音が彼の鼓膜を震わせた。音の発生源へ振り向けば、セシリアが両手で口許を押さえて立っていた。その足元にはタオルと洗面器が転がっており、ひっくり返された洗面器が大きな水溜まりを作っていた。

 

数秒ほど立ち尽くしていたセシリアだが、ハッと何かに気付いたように一方通行の元へ駆け寄る。その際に水溜まりが彼女のソックスを濡らしたが、そんなことを気にしている様子もみられない。

 

「透夜さん……!? 傷は、体は大丈夫なのですか!?」

 

「……、あァ」

 

「―――っ」

 

その返事を聞いて、セシリアの瞳に涙が溢れた。タオルを握ったままの一方通行の右手を両手で包み、そこにいることを確かめるかのように強く握り締めた。手の甲に暖かい雫が滴り落ちる。

 

そうして俯いた彼女の口から、涙に濡れた心の声が漏れ出した。

 

「……わたくしが。わたくしたちがどれだけ心配したか!! たった一人で戦って、こんな傷まで負って!! どうしてっ、どうしてわたくしたちを頼らなかったのですか!? そんなにわたくしたちが信じられませんか!?」

 

ボロボロと、蒼い雫を駆る少女は涙を流す。ただ、その雫には欠片の強さも存在していなかった。自らの無力を悔い、そして眼前の少年への怒りをない交ぜにした、脆く、儚いものだった。

 

「貴方は強い。わたくしとてそれは百も承知ですわ!! ですが、だからといって透夜さんが一人で戦う必要なんてありません!! 力を持っているからといって、全てを背負う必要もありませんわ!! ましてや軍属ではない貴方には護られる権利があるのです!!」

 

「……、」

 

「透夜さんはわたくしたちを護ってくださいます。ですが、わたくしたちからすれば貴方も護るべき対象なのです!! ……わたくしたちの力が至らないことは認めます。ですが、ですがっ!! わたくしたちの為に、その身を犠牲にするのはお止めください……!!」

 

「…………………………、悪かった」

 

「……ご自愛下さい、透夜さん。貴方がわたくしたちを大切に思って下さるように、わたくしたちもまた、貴方を大切に思っているのです……っ!!」

 

そこで限界が来たのか、握った手にすがり付いて子供のように泣きじゃくるセシリア。それに対してどういう反応をしてやればいいのかわからず、一方通行は困ったように眉尻を下げた。

 

―――それから数分後。

 

おそらくは、一方通行が目を覚ますまでずっと看病してくれていたのだろう。泣き疲れたセシリアは安らかな寝息を立てていた。目元を赤く腫らした少女を眺める一方通行の目は、今までにないほど優しげなものだった。

 

自分の為に涙を流してくれる人がいる。

 

自分の為に怒ってくれる人がいる。

 

自分の事を心配してくれる人がいる。

 

 

 

 

それだけで、十分だ。

 

 

 

 

セシリアはああ言っていたものの、一方通行の考えは変わらない。彼女たちを護れるのならば、この身を犠牲にしたって構わない。

 

ただ、

 

この少女の涙を見るのは、少しだけ嫌だなと思った。

 

小さく息を吐き、目を閉じる。

 

次に開かれた瞳には、鋭い光が宿っていた。

 

セシリアをそっと布団に横たえ、何事もなく立ち上がった(・・・・・・・・・・・)一方通行は畳まれていた制服を羽織ると、薄暗い廊下へとその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局紅椿のデータは全然取れず終い、かぁ。何だかんだであっくんが全部片付けちゃったし、やっぱり凄いねあっくんは」

 

空中に浮かぶホロディスプレイを眺めながら笑みを浮かべる女性。彼女が腰掛けている柵の下には高さ30メートルにも及ぶ絶壁が切り立っており、黒々とした海が渦を巻いていた。

 

篠ノ之束。

 

いつも通りの楽しげな表情でお気に入りの鼻唄を奏でながら、新たなディスプレイを呼び出す。そこには白式第二形態『雪羅』を纏う一夏の姿が映し出されていた。

 

「うーん、いっくんと白式にもびっくらぽんだよ。まさかあんな短時間で二次移行しちゃうとは。しかも操縦者の生体再生まで可能になるなんて、まるで―――」

 

「―――『白騎士』のようだな」

 

束の背後。木々の影から、音もなく千冬が姿を現した。大木に背を預けて腕を組むが、その眼光は束の背を射抜くように鋭く細められていた。そんな千冬の気配を感じ取ったのか、束が肩を揺らす。直接見ずとも、千冬の考えることなど予想できていた。

 

その上で、束はいつも通りに話しかける。

 

「やあ、ちーちゃん。どしたのさ? そんなおっかない顔して」

 

「生憎、下らない話に付き合う気は無い」

 

しかし千冬は束の言葉を即座に切り捨てる。対照的な二人。だが、束の笑みが崩れることはなかった。

 

「……お前の事だ。私が何を訊きたいかなど簡単に予測できているんだろうが、それでも訊くぞ。―――鈴科のアレ(・・)は……一体、何だ。お前はあいつに何をした?」

 

ISの機能が完全に停止していたにも関わらず、ISにも不可能であろう事象を引き起こした少年。千冬はあの不可解な力の原因は束だと考えていた。この天災ならば、この世の物理法則すら超越しても不思議はない。

 

千冬の問いに、束は再び肩を揺らして笑う。イタズラを成功させた子供のような、無邪気な笑い声だった。

 

「そうだよねぇ。そう考えるよね、ちーちゃんなら。うふふ。うん、ちーちゃんの考えは予想できてたよ。でもね―――」

 

この親友なら、きっとそう考えるだろうと思っていた。あの少年について、必ず自分を問い詰めてくると思っていた。確かに予想通りだ。

 

だが、

 

「違うよ、ちーちゃん。全然違う。今回ばかりに限っては、ちーちゃんのその予想は全くの的外れだよ。だって、私はあっくんに何もしてないんだもん(・・・・・・・・・・)。正真正銘、あの力に関しては私は一切関与してないってことを主張するよ」

 

「何……?」

 

千冬の顔に驚愕が浮かんだ。久方ぶりに見る親友の珍しい表情をカメラで収めながら、束はぶらぶらと足を揺らす。一方で千冬は、そんな眼前の束の発言を脳内で反芻していた。

 

束は、はぐらかすことはあっても基本的に嘘はつかない。素直に喋るか、茶を濁すか、黙秘を貫くか。そのどれかだ。そんな彼女が身の潔白を主張するということは、まさか本当に―――?

 

「あー、信じてないね、その顔は。だったら直接訊いてみればいいじゃん、本人にさ」

 

束の言葉に応じるように、千冬の立つ場所から数メートル離れた木陰から、一つの白い影が現れた。色素の抜けた白髪に、獣のような赤い瞳。着込んでいる制服の左袖は、穏やかな夜風に揺られて形を変え続けていた。

 

重傷を負っていたというのに、どういうわけかその足取りにふらつきはない。至って自然体で佇む少年の瞳がちらりとこちらを向いたが、その視線はまたすぐに束へと向かう。

 

「……よォ、クソ兎。愉快で素敵な企みが失敗した気分はどォだ? それともこの結末もテメェの掌の上か?」

 

「企みだなんて人聞きの悪いこと言うねぇ。一体なんの証拠があってそんなことを―――」

 

ハッキングパターン(・・・・・・・・・)

 

その一言で、束の言葉が止まった。そして、その言葉に絶対の確信があるのか、少年の言葉に迷いはない。ただ面倒臭そうに、つまらない謎解きの答えを導き出したかのように、的確に真相を暴き出す。

 

「福音のシステムを走査した時だ。そこかしこに、通常じゃ起こり得るハズのねェバグが幾つもあった。対処しきれねェレベルのシステムエラーを叩き付けてから、その対応で穴だらけになった他の部分を突き崩す―――オマエの常套手段だ(・・・・・・・・・)。今までに一度も突破されてねェからっつって手法を変えなかったのが仇になったな」

 

能力を用いて福音の内部を調べたときに見つけた幾つものバグ。そのパターンは、束が常用するハッキングパターンと全く同一のものだった。以前、束がハッキングを仕掛ける場面を見たことがある彼だからこそ、スーパーコンピューター並の頭脳を持つ彼だからこそ気付くことができた。

 

銀の福音をハッキングし暴走させた犯人。ひいては、今回の事件を引き起こした犯人。世界最狂の愉快犯と称してもなお質が悪い、この天災以外には有り得ないのだ。

 

「……でも、じゃあ何のために? そんなことをしたって、私の得にはならないじゃない? ほら、私って面倒なこと大嫌いだし」

 

「お前の得には、な」

 

次に口を開いたのは千冬だった。

 

「暴走事件が起きたとき、軍事回線に割り込んで虚偽の報告を送る。軍は間に合わなかったんじゃない。そもそも暴走した報告すら来ていない(・・・・・・・・・・・・・)のだから、行動のしようがなかった。そうした上で、自ら開発した最新鋭の機体を妹に与える。福音を生徒たちだけで対応させるよう仕向け、迎撃メンバーに妹を組み込めば、妹は華々しく専用機持ちの仲間入りという訳だ」

 

「……あっは。そこまでバレてたかぁ。まぁキミたち二人なら不思議でもないか。何せ私の親友と、私と並ぶ頭脳の持ち主だからね」

 

「……鈴科が? お前と同じレベルの頭脳だと?」

 

今度こそ、千冬の顔が驚愕に染まった。この天災が他人を認めるどころか、自分と同じ位置に立つことを許すなど、俄には信じられなかった。では、束にそうまで言わしめるこの少年は、一体何者だというのか。

 

そんな千冬の反応を横目で捉えた一方通行は、小さく口角を吊り上げた。いつかはその顔を驚愕に塗り潰してやろうと思っていたが、まさかこんなにも早くその機会が訪れるとは。その点に関してだけは束に感謝するが、それとこれとは話が別だ。

 

「……、一つ言っとくぞ」

 

「何かな?」

 

「俺の事に関しちゃあ、今更何したって構わねェ。くれてやったデータも好きに使え。開発も研究も好きにしろ。だが―――」

 

赤い瞳に危険な輝きが宿る。

 

細い体から放たれた重圧が、この場すべてのものを押し潰すかのように周囲へ広がっていく。

 

「そこに俺の周囲を巻き込むンじゃねェ。オマエのふざけた思い付きがアイツらを傷付けるよォなら、俺は容赦なくオマエに牙を剥く。これは警告だ」

 

一方通行の警告に、束は再び笑い声を上げる。勢いをつけて柵の上に立ち上がると、くるりとこちらを振り返る。いつものように、にんまりとした笑みを浮かべた彼女は楽しそうに言葉を紡ぐ。

 

「それは、無理な相談かなぁ」

 

「……、この場で潰されてェのか?」

 

怪物の殺意を一身に受けても、束の表情が変わることはなかった。大きく腕を広げ、空を仰いだ束は謳うように続ける。

 

「私はね、あっくん。楽しみなんだよ。キミがどういう風に歩いていくのか。どういう道を辿るのか。一度失ったものを取り戻せるのか。見せて、魅せて、私を楽しませてほしい。キミの生き様を見せてほしい。……残念だけど、私じゃキミを変えることは出来なかった。だから、キミを変えられるキミの周囲に嫉妬してるのかな」

 

「……、」

 

「初めて私の考えることを理解してくれたのがキミ。ちーちゃんも私の事を理解してくれたけど、それとは違うんだ。篠ノ之束という人間を理解してくれたのがちーちゃんで、篠ノ之束の考えを理解してくれたのがあっくん。私と対等に語り合ってくれた時の束さんの喜びはどれだけのものだったと思う? ……束さんにもこの気持ちの名前は分からない。恋? 愛? 執着? 依存? その答えを突き詰めるのはさぞかし面白いだろうけど、私と君とじゃ絶対に交わらないってわかってる。だから―――」

 

そこで言葉を切ると、束は真っ直ぐに一方通行を見詰める。背後に満月を背負ったその天災は、無邪気に笑んだ。

 

その笑みは、どこか儚く、蠱惑的で。

 

まるで恋する少女のような、純粋さを秘めていた。

 

「束さんの人生最初で最後の失恋。私からキミに対するささやかな恋の復讐だと思ってね☆ あ、あとその左腕はちゃんと代わりを用意してあるから安心してね。束さんはこう見えて尽くすタイプなのです、えっへん!」

 

一方通行が何かを口にしようとした瞬間、一陣の風が吹く。瞬きの刹那に、神出鬼没の天災は忽然とその姿を消していた。残された二人。一方通行は舌打ちをし、千冬は大きく溜め息を吐いた。

 

徐に、千冬が一方通行へと向き直る。一瞬躊躇うように視線を外したが、意を決したのか重い口を開いた。

 

「鈴科。お前は―――」

 

「……まァ、訊きてェコトは予想できてンですが」

 

一方通行が手を挙げて、千冬の言葉を制する。

 

「…………まだ、話せねェ。いつか、踏ン切りがついたら話すつもりなンで。……アイツらには、夜叉の特殊能力っつゥコトでアンタから伝えといてくれねェか」

 

「……………………、わかった。それと―――」

 

そこまで言うと、千冬が頭を下げる。この少年が帰ってきたら、必ず言おうと思っていたことだ。こんなことで贖罪になるとは思っていないが、生徒を送り出した教師として。一人の指揮官として。

 

「すまなかった。許してくれ、とは言わない。そんなことで取り返しのつくものではないだろうが、それでも言わせてくれ。……本当に、すまない」

 

一瞬面食らったような表情を浮かべた一方通行だが、やがて面倒臭そうにガシガシと頭を掻いた。

 

「……なンつーか、終わったコトを一々言われンのも後味悪ィンで。俺からの頼み一つで手打ちってコトで」

 

「なんだ?」

 

「この敬語。面倒臭ェからナシでいいか」

 

「………………、ふん。まぁ、いいだろう。……そら、旅館に戻れ。これ以上は無断外出でペナルティを負わせるぞ」

 

「……ケッ。変わり身の早ェ教師だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らぬが仏、というやつだろうか。

 

水面下であれだけの激闘があったにも関わらず、翌日には再びのんびりとした平穏が生徒たちを包み込んでいた。当初の目的だった『ISの非限定空間における稼働試験』すらも達成できなかった為、他の生徒からすれば初日に遊び倒して帰るだけ、という何とも気の抜けた校外実習になってしまったわけだ。

 

帰りのバスでざわざわと語り合う生徒たちの喧騒を耳にしながら、一方通行は軽く左手を開閉する(・・・・・・・)

 

昨日の夜、旅館に戻ると彼の部屋に用意されていた、丁寧にラッピングされた箱。蓋を開けた瞬間隣の真耶が悲鳴を上げて卒倒しかけていたが、中身が本物そのものの義手では無理もないだろう。

 

ISの生体同調技術を応用しているらしく、触覚は勿論痛みや温度の差異まで敏感に感じとることができる。動かしてみても違和感はなく、右腕と何ら変わりなくスムーズに動かせる。接続部位を覆い隠す特殊な人工皮膚までついていたのには流石に呆れたが。

 

能力で内部を調べてみても危険な点は一切無く、ただの無駄に高性能な義手だった。

 

一方通行が腕を失ったと知っている者は目を剥くほど驚いていたが、義手だと説明すると一応納得はしてくれた。それでも専用機持ち達から凡そセシリアと同じようなことを長々と言われ、真耶に至っては大号泣しながら単独行動と無茶な突撃を咎められたのは流石に罪悪感を覚えた。どうやら自分は普段強く出ない人間から強く言われると逆らえないようだ。

 

軽く息を吐き、車窓から外の景色を眺める。

 

思い出すのは、義手と共に添えられていたウサギ印のメッセージカード。ご丁寧にハートのシールで封までされてあった。

 

『そうそう、気を付けてねあっくん。またあいつらが動き出したみたいだよん。なんだっけ? あの株式会社みたいな名前のやつ。んーと……あ、あれだ!確か―――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――亡国機業(ファントム・タスク)、か」

 

一方通行の呟きは、誰に聞かれることもなく生徒達の喧騒に飲まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて福音編は終了となります。
以下ネタバレを含みますのでご注意ください。




・福音との戦闘について
この物語を書こうと思った時に、必ずどこかで原作と同じシチュエーションを再現したいと思いまして、どこが一番書きやすいかと考えたときに福音戦に白羽の矢が立ったのです。福音をスクラップにするのは簡単なので『操縦者を無傷で救出』という枷をつけた状態での戦闘になりました。


・夜叉のコアについて
フラグメントマップや人格データ云々については完全な独自解釈です。能力によって同調が阻まれるというのも独自解釈ですが、一夏に二次移行が起こって彼には起こらない理由の説明としてはこれが最適かなと。予想できた方もいるかもしれませんが、夜叉の容姿は幼女です。イメージは読者の皆様にお任せします。要望があればイラスト描きます。


・ヒロイン力限界突破セシリアお嬢
信じられるか? この作品、メインヒロインっていないんだぜ?


・トラブルメーカー束さん
好きな相手にはついついちょっかいをかけたくなるあれの最大規模バージョン(命の危険アリ)です。


・隻腕の一方通行
この作品は毎回無傷で終われるほど柔なシリアスしてません。生身でISの機動を味わってもらった上で、左腕を失いました。ですが義手があるのでイーブンです。


・亡国機業登場
あちら側の難易度だけルナティックでのスタートです。こちらは一方通行がいるのでイージーです。改めて言っておきますが本来の悪の組織はこちらです。





この後は幕間として夏休み編を予定しています。話数は未定です。夏休み編は完全な日常系のお話を予定していますので、何か希望するストーリーがありましたら活動報告にお願いします。良さそうなものがありましたらピックアップしたいと思います。

夏休みが終わればいよいよ二学期突入です。
物語が一気に加速しますよ。


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