Infinite Stratos 学園都市最強は蒼空を翔る 作:パラベラム弾
「Qh6です」
カツッ。
「Rxh6」
コツ。
「……、Kg7ですわ」
カッ。
「Qf6+。チェックメイト」
「うぅ……っ! き、Kg8ですわ!―――あっ!? あっ、違っ……!」
「Rh8#。コッチもチェックメイトだ」
一方通行の無慈悲な宣告が告げられると同時、セシリアはがっくりと項垂れた。盤上のゲームが終了してしまったことで集中が乱れ、思わず脳内の盤面と重ね合わせてしまった結果、悪手を打ってしまったのだ。
とはいえ、そこでミスをしなければ勝てたのかと問われれば全力で首を横に振らざるを得ない。そもそも、セシリアとチェスを二局指しながら機体のデータを眺めている一方通行が異常なのであって、手加減されているとはいえ何とか食らいついているセシリアは実際よくやっているだろう。
軽く息を吐いて背もたれに背を預けた一方通行は、チェスのコマを弄びながら口を開く。
「最初に比べりゃァまだマシになったが……今みてェに揺さぶられたりすると弱ェな。何が起きても平常心を保ち続けられるようになれ」
「そう仰られましても……中々難しいです」
「実戦じゃ精神攻撃ってのも有り得る。それで集中が乱れてビットが使い物にならなくなりゃ援護射撃は来ねェし、援護射撃が来なきゃ前衛は崩れる。オマエはオマエが考えてる以上に重要な役割を担ってンだ。何が起きても平気な顔をしてろ。想定外の事態が起きても、相手がどれだけ強かろうと―――例え味方が墜とされようとも、だ」
「……っ」
その台詞は、果たして誰のことを指しているのか。
真っ直ぐにこちらを見つめてくる赤い瞳を見ていられなくて、思わず目を伏せてしまう。
もし仮に、セシリアの眼前でこの少年が撃墜されたとして、自分は平常心のままで居られるだろうか。
福音戦で彼の体を受け止めた時の光景は、今なお鮮明に思い出せる。大量に血を流し、死人のように青白くなった顔。彼と自分の体を汚す、絵の具のように生暖かくどろりとした鮮血。あまりにもリアルに蘇ってきた感触を思い出し、薄く鳥肌の立った二の腕をさすった。
そんなセシリアの様子を見てか、若干眉をしかめて頭を掻いた一方通行は再び口を開く。
「……まァ、そォなれとまでは言わねェ。あくまで例えだ。だがまァ、精神面も鍛えといて損はねェ。頭に留めとけ」
「……はい」
「……。ンじゃ、小休止にするか。デュアルチェスは脳への負担がデケェから精神的な疲労が蓄積されやすい。これでも食ってろ」
「あ、ありがとうございます」
ぽす、と放られたのは学園の購買で売っている板チョコだった。一方通行は立ち上がると、そのままどこかへと歩いていった。
その背中を見送ったセシリアはチョコレートの包み紙を開き、小さく一口。瞬間、濃厚な甘さがさぁっと口中に広がっていき、脳に糖分が送られていくのが分かる。無論そんなに早く吸収されるわけはないが、脳を酷使した後の糖分摂取はそれほどまでにありがたい。
小動物のようにぽりぽりとチョコレートを食べていると、一方通行が紅茶とコーヒーを手にして戻ってきた。礼を言って紅茶を受け取り、チョコレートの後味を洗い流す。更に一口二口と味わってから、そっと口を開く。
「……あの、透夜さん」
窓の外に向けていた視線をこちらに向け、「なンだ」と視線で問いかけてくる。一瞬だけ迷ってから、
「もし、私が透夜さんの目の前で撃墜されたとしたら……。……透夜さんは、どう思いますか?」
刹那、一方通行の目が僅かに見開かれた。そのままじっとセシリアを見つめていたが、やがて目を伏せ、彼にしては珍しくぼそぼそと小さく呟いた。
「…………、嬉しくは、ねェな」
「つまり、悲しんでくださる、と?」
「……………………、まァ、そォなるな」
さも言いづらそうに、もしかしたら恥ずかしがっているのかもしれないが、絶対に視線を合わせないでそう言った。対し、それを聞いたセシリアは我が世の春と言わんばかりの笑顔を咲かせた。
「そう……そうですか。うふふ、そうですか……それは、なんと言いますか……嬉しいです♪」
「 …………、女の考えるコトはわっかンねェわ」
何か変なものを見るような目でセシリアを眺めていた一方通行だが、やがて呆れたようなため息を吐いて缶コーヒーをすすった。
◆
「―――今日の所はこれで終いだ。機体の整備とイメージトレーニングは欠かすンじゃねェぞ。織斑は
訓練データを見ながら一方通行がそう告げるが、それに対する返事はない。何故なら一夏達三人は漏れなく全員グロッキー状態でピットに倒れ伏し、息を荒らげて床の冷たさを享受しているからである。
一方通行の教え方は非常に上手く、理論的に噛み砕きつつ実践も交えて教えてくれるため一夏にも理解できるレベルだ。しかし、それなら実践できるのかと言うのはまた別の話で、一方通行が教えているのはかなり高度な操縦技術ばかり。
それらを習得するには基礎が固まっていなければ駄目なので、基礎中の基礎である加減速に始まり瞬時加速や近接制動、射撃制動などを一から徹底的に。それが出来れば次は円形制御飛翔等の実戦技術、更には
それが終わればいよいよ個人の戦闘法に合わせた個人指導が始まるのだが、こちらも相当ハードだ。ギリギリ出来るか出来ないかのラインを設定し、常にそこを目指させる。出来なければ改善点を的確に挙げ、その対処法まできっちりと教えた上でもう一度。
怒鳴りも怒りもしない分、「成功させなくては」というプレッシャーをひしひしと感じつつも何とか乗り越えられているのが現状であった。
「……、先に戻るぞ」
いつもの事かと軽く息を吐いた一方通行は、そう言い残して死屍累々の様相を呈するピットを後にした。もう十分程すれば回復して歩き始めるだろうが、その姿はゾンビさながらである。
手早く制服に着替え、整備室へ。利用者名簿には最早常連となっている一方通行の名前が既に書かれており、その横に入室した日付と時間を書くだけという仕様に変わっていた。手間が省けて楽だとは思うが、管理が雑になっているのではないかと気になるところでもある。
そして、変わったことがもう一つ。
「……、」
「……(ぺこっ)」
楯無の妹である簪も整備室の常連なので、顔馴染み、というのも変な話だが、いつの間にか接点ができていた。無論、一方通行から話しかけることも、あちらから話しかけてくることもそう多くはないが、目が合うと簪が軽く会釈をしてくるようになった。
夏休みの一件が切っ掛けなのだろうと踏んでいるが、別段迷惑という訳でもないし、どちらかというと静寂を好む一方通行からすれば彼女の言動は嫌いではない。むしろ、何故ここまで姉妹で性格の差があるのか不思議に思うくらいである。
そんなことを思いながらキーを叩いていると、ふと視線を感じて手を止める。見れば、簪がこちらをじっと見つめていた。
「……、なンだ」
一方通行がそう訊ねると、ぴくん、と肩を跳ねさせる。どうやら言うべきか言うまいか悩んでいる様子だったが、やがてその唇から鈴を転がすような声が漏れる。
「…………その。あなたは……どうして、一人で機体を組み上げようと思ったの?」
「……あン?」
唐突な質問に、思わず疑問の声を上げてしまった。
どうして、と問われれば「そうせざるを得なかったから」と答えるしかない。如何に束と言えど、『自分だけの現実』が絡むような領域までは手を出せないので、一方通行が自分でISのノウハウを吸収して組み上げたのだ。
しかし、それを伝えては要らぬ面倒を呼びそうであるし、そもそも馬鹿正直に話したところで信じないだろう。一方通行は少しだけ考え込むと、当たり障りのない返答をしつつそれっぽく聞こえるような理由を作り上げた。
幸い簪は訝しむことなく信じてくれたようだが、何故この少女はそうまでして『一人で完成させる』ということに拘るのだろうか。
ISの生みの親である束や規格外の頭脳を持つ一方通行は例外としても、ISを一人で組み上げるのは不可能に近い。まして、個人用にフルチューンしなくてはならない専用機ならば尚更だ。
そもそも彼女の機体が完成しなかったのは、製造の途中で一夏の存在が発覚し、急遽『白式』を作ることになったために後回しにされたのが原因だ(と一方通行は推測している)。だが白式が完成した今、製造途中の機体を少女に丸投げなどと言うことはまずないだろう。
だとすると考えられるのは、簪が意図的に倉持技研からの援助を拒否しているか、開発そのものが中止になり、簪が機体を引き取ったかのどちらか。しかし、ISコアは貴重なため後者はまず無いと考えていい。
(仮に前者だとしても一体何考えてやがンだコイツ……。日本の代表候補生なンじゃねェのか? 未完成の機体とそのパイロットに対して何の手も打たねェ日本政府も大概だが……)
まァ何にせよ、と息を吐いて、
「機体調整の手助けなら他ァ当たれ。オマエが何考えてるかは知らねェが、整備科志望のヤツらにでも声かけりゃ数人は―――」
「い、要らないっ!!」
突き放すような拒絶を含んだ叫びに、思わず簪の顔を見やる。唐突に響いた彼女の大声ではなく、そんなにも大きな声を出せたのかという事実に一方通行は少しだけ驚いていた。
スカートを掴んだ拳をぎゅっと握りしめ、顔を俯けている簪。その表情は窺えないが、心中に感情の嵐が吹き荒れていることは傍目にも予想できた。
「……要らない……助けなんて、必要ないの……! そうしなきゃ、一人でやらなきゃ……お姉ちゃんに追いつけない……!」
(…………、成程)
無意識に漏れたであろう簪の呟きを耳にした一方通行は、何故彼女が頑なに援助を拒み続けるのか、そして何故一人でISを組み上げることに固執するのか、その理由をなんとなくだが理解した。
恐らく、簪は実姉である楯無に強いコンプレックスを抱いている。それが楯無の何に対してかまでは分からないが、それなりに長い間コンプレックスを感じてきたことは確かだ。
そして楯無は彼女自身の専用機、おそらく未完成状態だったそれを独力で実用化に至るまでに組み上げたのだ。それを知った簪が、姉を越えるためか周囲に認めさせるためかは分からないが、自分も姉と同じことをしようと躍起になっている―――というところだろう。
しかし、兄弟姉妹はおらず、また学園都市の学生230万人の頂点に立っていた一方通行からすればその感情は理解し辛い。傍観こそすれ、慰めや手助けなどといった行為は彼の専門外なのだ。
「……貴方も、同じなんでしょ……?」
「あァ?」
ぼそりと、どこか自嘲を含んだ呟きが耳に届く。
「お姉ちゃんと比べて……私のこと、不出来な妹だって思ったでしょ……? 側に居れば、あの人の凄さはすぐに分かる……から」
簪の言葉を受け、軽く考えてみる。
ことある事に厄介事を持ち込んできてはこちらの都合も聞かずに押し付けてきたり、自由奔放に場を掻き回しては後処理を任せて逃げ出したり、人の神経を逆なでするような言葉を浴びせてきたり―――
(…………何処が凄ェンだ?)
正直彼には楯無の凄さは微塵も感じられなかったが、まぁ妹の立場からすれば感じるところもあるのだろうと結論づけた一方通行は面倒くさそうに口を開いた。
「……生憎と俺ァ他人の優劣なンざどォだってイインだわ。オマエとアイツを比べたトコで別にどォとも思わねェし、誰にボーダー設定されたワケでもねェのに不出来もクソもねェだろ。一体何に対してムキになってンだオマエは」
「ッ……何も……! 何も知らない癖に、勝手なこと言わないで……っ!」
「知らねェし知りたくもねェよ。オマエの悩みなンざ俺には何の関係もねェし、知った所で俺に出来ることなンて何一つねェ」
これが、彼の本質なのだ。
困っている人間に善意で手を差し伸べることも、親身になって一緒に解決策を考えることもしない。思ったままをただ残酷に率直に伝えるだけ。
いくら丸くなっても、いくら甘くなっても、根本的な所はそう易易と変化しない。それが人間というもので、それが一方通行という人間の根幹なのだ。
だが―――
「……っ、ぅ、……!」
「ッ……、」
じわりと簪の赤い瞳が潤み、数秒もしない内に頬を伝って数滴の涙が零れ落ちた。ぽたぽたとリノリウムの床を濡らす雫は留まるところを知らず、次から次へと溢れ出てくる。
流石に言い過ぎたか、と僅かに顔を顰める一方通行。眼前の気弱そうな少女に向けて、普段一夏達へ向けて指摘するような感覚で言ってしまったのは失敗だった。
気丈に一方通行を睨み続けてはいるものの、そこに欠片の迫力もありはしない。一昔前ならば何とも思わなかったのだろうが、これには流石の一方通行も居心地が悪くなってくる。
「……、あァー……その、……なンだ。……悪かった。……取り敢えず、拭いとけ」
「……ぅ、っぐ……!」
セシリアに言われて渋々持ち歩くようになった黒一色のハンカチをポケットから取り出し、簪に渡してやる。素直に受け取りごしごしと目元を拭う彼女の姿を眺めながら、一方通行は厄介な事になったと頭を掻いた。
こんな場面を他人に見られては、更に厄介な事になるであろうことは容易に想像できる。となると、簪をここに置いてでもさっさと立ち去るのが最善だろうか。それともいっそセシリア辺りを呼んで丸投げしてしまおうか。
あれこれと策を考えていると、不意に整備室の扉が開く。誰でも良いから手短に事情を説明して後は任せてしまおうとそちらを向いた一方通行は、思わず顔を引き攣らせてしまった。
「透夜くーん? いるー?」
(……よりにもよって
一方通行を探しに来たであろう楯無は室内をきょろきょろと見渡し、一方通行を見つけると同時に彼の陰に隠れた簪を見つけ、そして簪が涙を流しているのに気付いた瞬間一方通行に詰め寄ってきた。
「透夜くん……貴方、簪ちゃんに何をしたの? 事と次第によっては容赦しないわよ。今ならまだ怒らないで聞いてあげるから洗いざらい話しなさい」
「待て、説明はするから一旦黙れ。頼むからこれ以上場を掻き乱すンじゃねェ。取り敢えずオマエの妹に何かしたワケじゃねェ」
「……ひぐっ……違、うの、私が―――」
「違う? 簪ちゃんは違うって言ってるわよ! どういうことなの透夜くん!? 見損なったわ、そんな嘘までついて自分の罪を隠そうとするなんて! 私の色仕掛けに反応しないと思ったら、やっぱり簪ちゃんが目当てだったのね!」
「オイ、だから―――」
「簪ちゃんは下がってなさい、私が守ってあげる。姉として指1本触れさせないんだから!」
「……っ! ぅえ、うぁぁん……!」
その時、己の堪忍袋の緒が勢いよく弾け飛ぶ音を一方通行は確かに聞いた。
「―――だから黙れっつってンだろォがクソボケ共がァァァァああああああああああああああああッ!!!!」
◆
数分後。
ギャーギャーと喚き立てる姉妹の頭に拳骨を落とし、強制的に黙らせた一方通行は仏頂面で椅子に腰掛けていた。その対面には気まずそうな表情の更識姉妹が座っており、三人で円を描くように整備室の隅に陣取っていた。
あまりの面倒臭さにブチ切れた一方通行は、全ての誤解の原因を取り除くことにしたのだ。そうすれば姉妹の不仲は解消され、その結果余計な面倒を産むことがなくなるだろうと考えてのことである。
「……そンじゃ、全員が理解できるよォに話せ。質問には簡潔に答えろ。認識の齟齬がありゃ即正すからな。まず更識」
「な、なぁに?」
「……な、なに?」
先程激昴したせいか、少々怯えながら二人が同時に反応を返した。そういえば両方更識だったか、と思い直す。
「……簪。オマエは何故専用機を一人で完成させよォとしてた?」
ストレートな問いに、目を伏せて躊躇う素振りを見せたが意を決したように口を開いた。
「……その、お姉ちゃんは、自分一人で機体を完成させてたから……私も、それくらいは出来ないと、って思ったから……」
事実か? と確認を取るように楯無を見やる一方通行。しかし、楯無は曖昧な表情で首を横に振った。
「え、っと……確かに私の機体は未完成だったし、それを私が完成させたのも確かだけど。でも、全部一人でやったわけじゃないわよ? 薫子ちゃんとか、虚ちゃんとかにも手伝ってもらったもの。そうでなくちゃ、いくら私でも相当時間がかかっちゃうわ」
「だとよ。……次、そもそもオマエらが仲違いしてる原因は? 簪、このアホが何かやりやがったのか?」
アホ呼ばわりにぷくぅっと頬を膨らませる楯無だが、生憎今の彼女に発言権は無かった。というか、全ての原因は楯無にあるのではと決めてかかっている辺り、一方通行の楯無に対する印象が窺える。
「……違うの……。私が勝手に、お姉ちゃんと私を比べて、引け目を感じてて……その、お姉ちゃんに『あなたは何もしなくていい』って言われたから、それで……!」
「それはっ。その、十七代目楯無としても、姉としても、簪ちゃんに大変な思いはさせたくないって思ったから! だから、簪ちゃんは危ないことなんてしなくていいのよって思いを込めて……!」
「え……? だ、だって、『私が全部やってあげる』って……」
「それも同じ意味なの! 御家に関わる危ない仕事は私がやってあげるから、簪ちゃんは安心してねって思いで……!」
「…………つまり、アレだな?」
二人の言い分を聞いた一方通行は、うんざりと結論を告げる。
「オマエらの不仲の原因は、お互いの受け取り方が食い違って起こったただの勘違いだった、ってワケだな?」
「……、」
「……、」
一方通行がそう口にした瞬間同時に目を伏せ、もじもじと手を弄り合わせる姿は成程姉妹なのだなと思わせるには十分であったが、今はどうでもいい。深く深くため息を吐いた一方通行はガタリと椅子を鳴らして立ち上がり、
「……俺は帰る。後は好きにしろ」
そう言い残し、後ろを振り返ることなく整備室を後にした。
秋の日暮れは早く、既に夕陽は水平線にその姿を半分以上隠している。既に人気のなくなった廊下を歩きながら、柄にも無いお節介を焼いてしまった自分と、どこまでも不器用な姉妹に対してもう1度大きなため息を吐いた。
(……俺もヤキが回ったもンだ。織斑のお節介が
妹と仲直りできた、と満面の笑みを浮かべた楯無が一方通行の元へ報告しに来たのは、その翌日のことであった。