日本 はじめました   作:たこわさび

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三話 はじめの一歩を

 目が覚めたらすべては夢で、本当はあの日あのまま昼寝をしている、そんな期待は簡単に打ち砕かれた。いや、よしんばこれが夢だとしても、腹が減り疲れを感じるのだからそんな考えでうつつを抜かしているわけにもいかなくなった。

 

 あの日、さっちゃんが十五少年漂流記を思い出すと言っていた。改めて振り返れば言いえて妙だ。四方は鬱蒼とした樹海、そう広くもない土地に囲い込まれたこの場所はまるで陸の孤島だ。とはいえ、絶望的な状況なんていったら冒険小説の主人公たちに叱られてしまうだろう。

 

 鉄砲や火薬はもっていなくても、畑と農具がそろっているし、本業の人ほどではないにしろそれなりに経験もある。さっちゃんは戦中猫の額ほどの土地でカボチャを育てて食いつなぎ、ヤギを観察して食べられる雑草を探した経験もあるそうだ。かくいう僕だってもの心ついたころから土くれをいじって遊んできたんだから、アマチュアを名乗れるくらいの心得はある。

 

 精神的な経験値でも恵まれていた。さっちゃん他、年長組みは言うに及ばず、僕だって四捨五入すれば三十になろうかというくらいには歳を重ねている。花も恥らう中学生でもあるまいに、ショックを受けても取り乱したり、当り散らしたりする人はいなかった。小説つながりで、かのロビンソン・クルーソーのように孤独な生活を強いられているわけでもない。

 

 当初なにより心配だった食糧事情も、災害時のための備蓄が見つかったおかげで展開が見えた。本来必要な場合を考えれば心細い量だが、今それが必要なのは高齢者メインの四人だけ。節約すれば厳しく見積もっても一ヶ月は食いつなげる計算になる。

 

 こうしてよい面を上げていけば何とかなる気もしてくるが、少なくともすぐに救助が来るという希望は捨てたほうがいい、というのが僕たちの共通見解だった。

 

 何か尋常でない事態が起こっているのだ。あの日からすでに一週間、もしこの辺り一帯が急遽森に飲まれたとして、ただの一度もヘリコプターの音が聞こえないなどありえるだろうか。ラジオは砂嵐以外の音を拾わず、携帯はことごとく圏外になり、ワンセグも使えないことなどありえるだろうか。

 

 いくつもの証拠をもとに二つの説が現実味を帯びてきた。一つは、ここのみならず日本中を覆うような、それともさらに大規模な未曾有の災害が発生したという説。もう一つは、突如現れたのは森ではなく僕たちの方である―つまり僕たちの方がどこか辺境の森の奥に瞬間移動した―という説だ。事実は小説より奇なりとはよくいうが、こんな馬鹿げた話が実際一番現実に即しているのだから救えない。携帯にGPS機能をつけて置けばよかったと後悔しても後の祭りだ。

 

 ともかく、救助は来ない、来るとしても数年後を想定すべきと考えたほうがいいだろう。

 

 さて、そうなると果報を寝て待っているわけにも行かなくなる。非常食だけで一ヶ月はもつとしても結局はそれまでだ。想定どおりに救助がなかった場合、秋を待たずに飢え死にしてしまいかねない。秋になればこれだけ大きな森に囲まれているのだ、野生の木の実にも期待できるだろうし、なにより目の前の田んぼからお米が畑からお芋が取れる。用水路は道路と一緒に途切れてしまったが、最低限の水は湧き水があるから心配要らない。収穫高が本来より下がるのは覚悟しないといけないだろうが、田植え直後の一番デリケートな時期は済んでいるし、まず確実に食料を手に入れられる考えておいてもいいだろう。

 

 だから当面の問題は、お米が収穫できる十月までのおおよそ四ヶ月、貴重なカンパンやレトルトご飯をいかにして水増しするか、そこに尽きてくるわけだった。

 

 

 

 

第三話 はじめの一歩を

 

 

 

 

 ザァ――――

 

 昨日の昼から降り続ける雨脚が少しゆるむタイミングを見計らい、レジ袋を握り締めた。しっかりと雨合羽のフードを絞り、ズボンは長靴にしまい込む。

 

 「いってきます!」

 

 雨に負けない声で帰ってきた気をつけて! の声に背を押され、玄関の軒下から一気に走り出す。立てかけてあった鍬(くわ)を右手で取り上げ、地面にたまった水を弾き飛ばさない程度に急ぎながら、畑に突っ込んだ。

 

 土手道から畑に滑り降り、大ぶりのキュウリをねじってもぎ取る。雨がなるべく入らないように気をつけながらレジ袋に突っ込み、ついでに目の前で雨宿りしていたカメムシに全力のデコピンをお見舞いする。

 

 そのままさらに三本、目に付く範囲で見繕い、トマトの畝(うね)に移動した。

 

 

 

 …………。

 

 

 

 「おかえりー、ご苦労さん」

 

 公民館の玄関に転がり込んで、乾いたタオルを受け取る。迎えてくれたさっちゃんに、重くなったレジ袋を手渡した。

 

 「急に雨が強くなったき、もう少しで水も滴るいい男やった」

 

 フードを跳ね上げ、がしゃがしゃと頭を拭く。容赦なく服に染み込んでくる雨を感じながらでは、苦笑いも出るというものだ。

 

 さっちゃんを追えば、コンロの上で土鍋が鼻息を荒くしていた。初日のおこわを食べつくして以降、料理に湯沸しにと八面六臂の活躍を見せるスーパースターだ。ライフラインが全滅した中で、ガスタンク式のコンロだけは問題なく動いてくれからありがたい。

 

 「この分だと明日も引きこもらなかねえ」

 

 料理の方はさっちゃんに任せて広間の畳に体を投げ出した。愚痴の一つも出ようというもので、実は三日前の探検で森の中に渓流を見つけていて、晴れたら魚でもとれないかと算段していたのだ。さすがに、こう土砂降りの日に水辺に近づくほど命を諦めてはいないし、そこまで切羽詰っているわけでもない。

 

 早よ降りやまんかね、と窓に叩きつける水の幕を見ながら苦笑いした。

 

 

 

 「――運ぶばい」

 

 さっちゃんの呼び声がする。よっと腰を上げ、台所に向かった。両手にタオルを巻きつけて、熱々の土鍋を持ち上げる。レトルトご飯をほぐした重湯多めのお粥と畑の夏野菜、実に健康的な最近の夜ご飯の定番メニューだ。晴れ間を狙って回収できた男爵芋で芋ご飯とでもしゃれ込みたいところだが、いかんせん芋の数が少ないもので断念せざるを得なかった事情がある。もし来年まで助けがなかったときのことを考えると、貴重な種芋を食べてしまうわけにもいかないのだ。それなりに数が揃っている里芋と薩摩芋の収穫が楽しみでしかたない。まともに外に出られない中ここまで文化的な食事ができるだけでもありがたい話だ。

 

 なべをちゃぶ台の真ん中に下ろして、いつもの場所に座り込む。みんなの準備が整ってから、最近とみに心がこもる一言を唱和した。

 

 『いただきます』

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、三日降り続いた雨もあがり、ようやく農作業に手をつけられた。朝一番に今日明日分の蕪(かぶ)を抜き、お粥に備えて台所に据えてある。葉っぱの先から根っこの先まで食べられる上に育てやすくて成長が早いとは、なんて素敵な野菜だろうか。麦藁帽子を頭に、草を抜いてまとめるだけの簡単なお仕事だ。この遠慮のかけらもない日差しがなければの話だが。

 

 ぺいっ

 

 草を根っこごと引き抜いていると、丸々太った夜盗虫(やとうむし)や根切り虫が出てくることがある。そんなときは焦らず慌てず袋にしまって、あっというまに若鳥に育った合鴨たちのおやつにする。とはいえ、油断しているとカメムシやムカデ、小さなマムシなんかが出てくることもあるから油断はできない。

 

 しかし、本当に梅雨の晴れ間というのはどうしてこう暑いのか。あの日からこっち気温は大分下がったし、風が気持ちいいから不快感は少ないのだけど、太陽がジリジリと肌を焼いてくることに変わりはない。額から流れた汗が鼻を伝い、あごから地面へ流れ落ちていった。

 

 しかし暑いからと言っておざなりにはできない。現状で畑からの収穫は生命線と言って過言でないし、この時期の手入れを面倒くさがると雨後の竹の子ならぬ雨後の雑草に畑を覆いつくされてしまう。それに事情が事情とはいえ、無断でよそ様畑の作物を拝借している分の礼儀みたいなものでもあった。

 

 とはいえ、あんまり根をつめると熱射病で倒れてしまう。とりあえず手元の雑草をひとまとめにして土手に立てかけてあった水筒を手に取った。冷たい湧き水を一気にのどに流し込み、体を冷やす。ふと見上げた先で鷺(さぎ)のような鳥が田んぼに舞い降りた。

 

 

 はたして格段珍しいわけでもないその光景を目で追ったのは偶然なのだろうか。

 

 白鷺かな、と軽い調子で落とした視線の先にいたその鳥は、白い頭飾りを持っていた。

 

 

 「佐々木さん、佐々木さん。ちょっと」

 

 一度頭を振ってもう一度しっかり観察したものの、どうしても見間違いではなさそうだ。一緒に休んでいた佐々木さんを、小声で呼んだ。

 

 「あれ、見えます? 気がついたらおったとばって……」

 

 僕が田んぼの一点を指差すと、一泊置いて佐々木さんも息を飲んだのがわかった。やっぱり、僕の勘違いというわけでもないらしい。

 

 「あれ、やっぱり朱鷺(とき)かいな」

 

 後頭部の飾り羽、うっすらと桃色がかった白い羽毛、そして朱い頭と脚、話に聞くその鳥は今や日本にいないはずだった。

 

 「朱鷺、だろなぁ」

 

 佐々木さんが声を抑えてそう言う。

 

 「ばってん首の辺りが黒かばい、違う鳥かも……」

 「いや、確か繁殖期にはそげんとなるらしか」

 

 なるほど、鮭の色が繁殖期になると変わるようなものなのか。

 

 そんな風に話しながら熱い視線を向ける僕らを尻目に、赤ら顔の君は悠々と田んぼの中を歩いて回り、何かを捕まえて満足したのか森の向こうへ帰っていったのだった。

 

 

 

 今日の夕食は蕪(かぶ)と沢蟹をたっぷり使った雑炊だった。沢蟹は例の渓流で涼みがてらにとってきたものだ。久しぶりに食べた動物性の出汁に思わず無言でがっついてしまった。が、けっして僕だけがそうなったわけではないと釈明しておきたい。みんな味の変化に飢えていたのだ。

 

 

 

 「ここは中国なのかもしらん」

 

 食事がひと段落つき、昼間のことを振り返って佐々木さんがそう言った。

 

 「なんで? 朱鷺がおったら日本じゃなかと?」

 「いや、日本の朱鷺は絶滅しとるしこんな簡単にでてくるくらいなら、とうにニュースになっとる」

 

 なるほど、動物関係に詳しい佐々木さんだからこそ、どれだけありえないことなのかの実感がわくのだろう。

 

 「ばってん、中国にはよく似た朱鷺がおる。繁殖用に中国のときを貰ったって聞いたことなかね?」

 

 言われて思い出した。そういえば、そんなニュースを見た気がする。結局失敗して日本朱鷺は絶滅したんだったか。

 

 じゃあ……。

 

 「なら、俺らの方が移動した可能性が強くなった、と」

 

 じっちゃんが言う。頷く佐々木さんの目もどこか嬉しそうだった。もし「現れた」のが僕たちのほうであれば、家族に友人に心配をかけてはいるだろう。いるだろうが、知り合いすべてが森に飲まれて消え去った……と考えるよりははるかに気が楽だった。

 

 

 いつものように、山の向こうに日が暮れていく。時折聞こえる野良犬の遠吠えも、今日だけはあまり不気味に感じなかった。 

 

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