平口(ひらくち):マムシ
「あ、さっちゃん惜しかったあ」
「おはよう、どげしたね」
朝、まだ空は薄暗くて熱気も少ない貴重な時間。湧き水で顔を洗う時間、一足遅れてきたさっちゃんに言う。
「今、すぐそこをムササビが飛んでいったとよ」
「ムササビが、それは朝からついとったねえ」
さっちゃんが目元にくしゃっと皺を寄せて微笑んだ。口には出さないけど、僕もこんな年のとり方をしたいと常々思っている、柔らかい笑顔だ。
件(くだん)の日からとてもよく見えるようになった星空では、心なし大きく見える月が一度欠け、そして元に戻った今日この頃。すでに梅雨は終わりを告げて、もう数時間もすればカンカンに起こった太陽が肌を焼き始めるだろう。実際僕も他の三人も、夏休みに虫取りに興じる小学生のように健康的な小麦肌だった。
ところが森の住人たちにとって、この程度の暑さは考慮に値しないらしい。
餌があるとの情報が広まったのか、田んぼにはこのごろ朱鷺や白鷺、たまには一回り大きなコウノトリまでがやってきてはたむろしている。先住の合鴨も肩身が狭そう……かと思えば案外上手くお付き合いしているようだ。さすがにこう毎日続けば慣れてくるとはいえ、朱鷺の群れが一斉に飛んでくるところなどは、淡い桃色の羽が日に透けて本当に綺麗で、それが見れた朝は一日分の元気を貰った気になっている。
今日のようなサプライズがあったときも同じだ。こうして図鑑や動物園でしか見たことのない生き物の本来の姿を見ることができるのは、この生活を始めて以来楽しみの一つになっている。
「やっぱり早起きは三文の得っちいうのは本当たいね」
お互い身だしなみを整えながら笑いあった。
「寝ぼすけのひーちゃんは何処いったとね?」
「昔の話やん、そげんとは小学校に忘れてきたばい」
さっちゃんのつっこみに頭をかく。さっちゃんは小学校に上がる前からずっと、本当の孫のように面倒をかけてきた。その分なんでも話せる大人な反面、きっと一生頭の上がらない人でもあるんだろう。
第四話 腹が減っては
三度の殲滅作戦を経て激減したジャンボタニシの生き残りがいないか見て回り、乱獲したせいでめっきり減ってしまったアメリカザリガニを泥抜きのために湧き水の副槽に放り込んで朝飯前の仕事は終了した。もぎたてのキュウリを洗っていると「おーい」と声がする。
顔を上げれば渓流に行っていた稲富のじっちゃんが丁度帰ってきたようだった。先週、石と木の枝でV字の囲い……追い込みようの罠を作ってからは、食事に一品魚料理が添えられることも多くなっている。じっちゃんが腰から下げる魚篭(びく)代わりの巾着袋が膨らんでいるところを見ると、今日はそれなりの収穫があったようだった。
「お疲れ様。戦果は?」
「ただいま。ようけ捕れたばい、見るね?」
びっくり箱を差し出すときのような悪い顔でそんなことを言う。これは何かあるな、と勘ぐるなというほうが無理な話だった。とはいえ、じっちゃんとの付き合いも二十年を超え、さんざん冗談を言い合った僕を驚かせるのはそう楽ではないぞ? とこちらも不敵な笑顔で相対する。
「なんね、大物でもかかったと?」
巾着を覗き込むと、しっしっし、と怪しげな笑い声をBGMに、袋が一気に開かれた。そこにはしっかりと頭がつぶれて止めを刺されたであろう縞々な……。
「蛇い~!?」
先ほどの覚悟はどこへやら、思わず叫んで一、二歩後ずさった。じっちゃんが実に嬉しそうなドヤ顔をする。袋の中から丸々と肥えたシマヘビが、濁った瞳でこちらを睨んでいた。
「どげんしたん、これ。というか、どげんするん」
「途中で捕まえたったい。蛇は食うと旨いらしいばい」
再度のドヤ顔。
「うーん、シマなら毒はなかろうばって、どげん調理するんかねえ」
「ハモさ食うときみたく、ようけ叩いて骨を砕いときゃどうとでもできろう。ぶつ切りにした後、飯にでも混ぜればよか、よか」
じっちゃんは満面の笑顔、そして安定のドヤ顔である。しかし話を聞いてそういえばそんな小話か落語があったっけ、と思い出した。確か、蛇飯が美味しいからと食べ過ぎて、禿げるんだったか……なにぶん昔の話ではっきりとは覚えていない。
「さっちゃーん、これどげしようか!」
二人で公民館の中に入り、例のシマヘビをでろんと突き出した。さっき確認したところ、川魚自体もオイカワが一尾に小ブナが二尾となかなかのものだったが、このデカブツのインパクトにはかなわない。
「あらあら、こら立派かねえ」
台所でお湯を沸かしていたさっちゃんが、振り向きざまに目を丸くした。
「朝のうちに下ごしらえさ、しとこうか。持っといで」
怪我は無いね? と話しているさっちゃんとじっちゃんを見つつ、何の騒ぎかと近づいてきた佐々木さんに経緯を説明する。そうこうしている内に蛇の頭がまな板の上に乗せられた。
「戦争中も戦争が終わった後もかね、こげんとば捕まえるとご馳走やったとよ」
興味津々で手元を覗き込んでいると、さっちゃんはそんな話をしながら、蛇の首元にくるりと包丁を回して、皮に切れ目を入れていく。
「久(ひさし)ちゃん、これ剥がしてみんね」
ふと顔を上げてそんなことを言ってきた。
「そげん簡単にできると?」
「簡単簡単、端っこ持って、カワハギの剥がすみたかとに引っ張ればよかとよ」
そう言ってさっちゃんは一歩身を引いた。せっかくだから、と流しの前に体を滑り込ませて、蛇の首を左手で抑えてみた。細かな鱗の生えた蛇の体は、まだほのかに温かい。カワハギみたいにか……。皮の切込みに指を突っ込んで、しっぽ側に向け一気に引っ張るっ。どうだ!
つるん
擬音にするとそんな感じだろうか。力がいったのは最初だけで、その後はびっくりするほど簡単に皮がはがれ、綺麗な肌が姿を見せた。
「上手かねえ。ほら、こげんして内臓もまとめて取れるとよ」
すかさず、さっちゃんが褒めてくれる。言われて手もとを見返せば、確かに皮と一緒に内臓がまるごと剥がれてしまっていた。なるほど、これは簡単だというのも頷ける。あと、ちょっと気持ちいいかもしれない。
「こげして捌くと、上手くできとりますねえ」
佐々木さんもしきりに感心しているようだった。
「さて、これから小骨をとらんとね。久ちゃん手伝ってくれる?」
「取らないかんと? ハモみたいに骨だけ切るとか、そのまま食べるとか」
確認は大事だ。特に面倒くさい作業が予想されるときには。
「取らないかんと。平口ならそのままいけるけど、シマヘビは骨の固かとよ」
「骨を切るのは?」
「そんな腕は無か」
OK、わかった。大変そうだがやってやろうじゃないか。
「了解、半分頂戴」
腕をまくって準備を整える。ガツンと物騒な音を立ててシマヘビの身は両断された。最後にこれだけは確認しておこう。
「さっちゃん、これ美味しくなるとよね」
「そうよ。ちょっと癖があるばって美味しかよ」
よし、必要な情報はすべて揃った。
「じっちゃん、佐々木さん、朝食お願いします」
おう、とひと声、野菜を取りに行く後姿をしり目に蛇の身とむきあう。彼は不敵に己の腹を広げていた。
その晩、結局蛇飯は諦めて、無難に香菜と炒め物になった蛇が食卓に鎮座していた。グロテスクな加工前を見ているだけに躊躇し、お互い誰が先に行くか……と静かな戦いを経た末に、口にしたその肉は決して悪いものではなかった。確かにちょっと生臭くて癖があり、好き嫌いはあると思うものの、個人的にはけっこうイケるように思う。心配していた生臭さも、最近収穫できるようになった冥加や葱のおかげか、そこまで気にはならなかった。さすが筋肉の塊なのか、プリッとしたどことなくモツを思い出すような食感で、肉厚な身は鶏肉に似ているような気もする。一緒に炒まった牛蒡ともよく合っていた。ここで焼酎の一本も無いのが悔やまれる。
さっちゃんによれば、生きたまま捕まえて飲まず食わずで放置すれば、あらかたの臭みは取れるということだ。機会があればきちんとした手順を踏んでもう一度食べてみたい。蜂の子なんかと同様見た目の悪さで損をしていると感じる食材だった。
「で、これどげしたん?」
じっちゃんが誇らしげにぶら下げるナマモノを見た第一声はそれだった。
「意外と旨そうに見えんか?」
「そりゃ蛇は美味しかったばって、昨日の今日でそれ? ハードル高くない?」
ぬめって落ちないように蔦で脇の下を縛られた彼の、小さな小さな瞳と視線が交わる。これを、調理しろというのか!? と問い詰めたい気分になってくる愛らしい目だ。おまけに、僕のささやかな記憶によれば、彼はそんじょそこらの野生動物とは格の違う超VIPなお方。正直これを捕まえてきた挙句食べようと考えられるじっちゃんの頭んなかを一度覗いてみたい気分である。佐々木さんなんて泡を吹いて気を失わないだろうか、と気を揉むほどだ。
断じて食欲を理由としない唾を飲み込み、問いかける。
「オオサンショウウオ?」
「ああそれ、そんな名前だったかいね」
国に認められた特別天然記念物様を片手にぶらぶらやりながら、あっけらかんと笑った。
「いや、実際大丈夫なん? 食べて」
心の底から不安な点を指摘しても、ニコニコした目元は変わらなかった。
「まっ、どうにかなるばい。昔は雀も捕ったしカブトガニも食った、食いもんの無かときくらいはお目こぼししてもらわにゃあ」
それにあげん沢山おるとありがたみも薄れるばい、といってじっちゃんは公民館の中に入っていく。ひどいデジャビュを感じながらも、僕はその後について行ったのだった。確信犯かい! というつっこみは、喉のところでつっかかったままついに出てこなかった。
意を決して腹を掻っ捌いてみれば、さわやかな香りが台所中に広がって、それで山椒魚というのか! とひとしきり感動したその日の晩。心臓あたりに居座る罪悪感を押さえ込み、いざ食べてみれたその身は驚くほどに美味しかった。
半身を白焼きに、半身を煮込みにしたのだが、あまりの衝撃に昨日の蛇肉が霞んでしまうほどだった。白焼きは皮の表面がカリッとして、地鶏とブロイラーが親戚に思えるほど固く締まっている。ガムより噛みにくい身をくちゃくちゃやっていると、上品ながらにしっかりと味が染み出してきた。昼から時間をかけて煮込んだ方は、逆にびっくりするほど柔らかくなって舌の上でほろほろ崩れる。しかも皮はいかにもコラーゲンの塊ですというようにモチモチだった。
なんちゅうもんを食わせてくれたんや、と脳内で美味しんぼごっこをしてしまったほどだ。
こうして、食卓は少しずつ彩りをましていく。ほんの少し前まで、薄いおかゆと少しの野菜しか食べられなかったのが嘘のようだ。小魚、しじみ、沢蟹、それに山椒魚と川の幸。梅、フキ、牛蒡、唐冥加・葱に紫蘇を加えた薬味三種、他キュウリやミニトマトなど山の幸。
日本人は食べるのが大好きだと聞くが、こんな状況でも少しでも美味しい料理をと考えるのだから、さもありなんと納得してしまう。一日のうちしっかり量を取れるのが基本的には夕食だけという備蓄の辛さは変わらないが、それがただの栄養補給なのか美味しい楽しみなのかの違いは、こうして体験するとあまりにも大きい。
葉の茂った芋類や、順調に育っている稲の収穫が今から楽しみだ。一日三食お腹一杯お米をかき込む至高の贅沢を夢見て、今一生懸命働いているといってもほとんど過言で無いほどに、それはそれは楽しみだった。
この生活が始まったときに考えた、まるでサバイバルものの小説のようだという話。今こうして振り返れば、なんて自分たちは恵まれているのだろう。彼らの多くは物語が終盤になるまで、あるいは島を脱出するまでそんな夢を見ることさえ許されなかったのだから!
冒険小説といえば、かのロビンソン・クルーソーのように、僕たちも新しい家族を迎えたことを報告しなければならない。
ことの始まりは川に魚を取りに行った佐々木さんが、げっそりと痩せた子猫をつれて帰ってきたことだった。たぶんどこかの飼い猫の子供で、「あの日」巻き込まれ てしまったんだろうその子は、ずいぶんと衰弱していた。生まれたてというほどではないけども、まだまだ大人(成猫)になりきれていない体で急に森に放り出されては、狩もままならなかったに違いない。川の近くの木陰でぐったりしているのを見つけたそうだ。
濡れタオルで目やにをぬぐってやって、鼻に水をつけてやるとペロッと舌を出して子猫がなめる。それを一時間も繰り返すと少し元気になったのか、お皿から 直接水を飲んだ。猫には生肉が何よりの病院食ということで、山椒魚を捕まえてきて、みじん切りにした内蔵を出してやる。初めは警戒していたけど、しばらく ほおっておくと内臓の入った小皿は空になった。
佐々木さんによれば、この状態でも体力が回復するかはわからないということだったけど、僕たちの心配をよそに子猫はだんだん元気になって、三日もすると公民館の中を歩き回るまでになっていた。
そして今、公民館には三匹の猫が出入りしている。どうやら巻き込まれた猫はあの子だけではなかったらしい。ミケと名づけた子猫はすっかり元気になって、住み慣れた森に帰ってしまったが、ちゃっかり同じくらいの背格好の仲間を連れて食事をねだりにやってきた。見た目から僕たちはクロとブチと呼んでいる。夜になったらどこかへ消えてしまうものの、気がつけば昼の公民館は彼らのたまり場になっていた。
きっと一番得をしたのは、毎日目じりを下げている佐々木さんだろう。
ともかく、大変なことも辛いときもあるけど、僕は元気にやっています。
※蛇には寄生虫がいる可能性があり、また無毒であっても牙で大怪我をしたり、傷口から危険な菌が入ったりする可能性があります。素人が手を出すのは大変危険ですので、決して真似しないでください。
※大山椒魚を食す事について、じっちゃんがそれらしいことを言っていますが、現代日本でそれをすると普通に犯罪です。この物語はフィクションです。絶対に真似しないでください。
蛇飯:文豪、夏目漱石氏の名作「吾輩は猫である」によって広まったと思われる。ちなみに久が思い出している内容はうる覚えもいいところであり、蛇飯のくだりはそんな話ではない。
確信犯:自らの信念・信条ゆえに法をおかすこと。確信犯か! と突っ込んでいるが正しくは故意犯である。