日本 はじめました   作:たこわさび

6 / 6
こまい : 小さい
ばって/ばってん : だけれども
いっちゃん : 一番



六話 タイムスリップ

 ちゃぶ台を囲んで座布団が四つ。大根を刻んだアルファ米のお粥が部屋の空気よりもさらに熱い湯気をたてる。重湯をすすると喉と胃が熱をもって汗が吹きだす。その熱が冷えた背中や指に無理やりに血をめぐらせた。

 

 「野良犬か帰化した類(たぐい)か……こらあ慎重にいかんと」

 「そうですね。見た目はシェパードの、あの警察犬のごとあったです。――いや、一回りこまいかな? 本気で追われたら逃げれんと思います」

 「ばってん、あんたの元気で帰ってきたのが嬉しか。それがいっちゃん嬉しか」

 

 さっちゃんにそう言って肩をぐりぐりと撫で揉まれる。かなり強く揺らされて、左手に持ったお椀がひっくり返らないか心配になるほどだった。

 

 ところで無事を喜んでもらえることは素直にありがたいのだが、それとは別に森が安全でないとなるというのは大変な事態である。

 

 「飯は?」

 「後ふた箱あるばい」

 

 ふた箱、ひとつのダンボールに五十食のアルファ米が入っているからちょうど百食分か。はじめ四箱あったから二ヶ月で半分、多いと見るか少ないと見るか悩みどころだ。

 

 「きっついなあ」

 

 苦笑いしてお粥の椀をすする。ま、笑うしかないというところだ。実際のところ、本当に飢えたときの気持ちとやらを知っているのはさっちゃんだけで、当人が苦笑いですませている以上、豊かな時代に生まれた世代としては笑うしかない。今の消費ペースでも備蓄を食い潰せば九月の稲刈りまでもたせられる予定だったが甘かった。

 

 しかも森に入らなければ安全とは言い切れない。むしろ、公民館の近くまでやってこないほうが不自然というもので、この対策もまた頭の痛い問題だった。

 

 「また合鴨は中に入れて……」

 「……ばって水の中におった方が……」

 

 「護身具が……木の枝を……」

 「それよか竹で……」

 

 椀の底に残るふやけた米粒をよく噛んで味わいながら不安な点を煮詰めていく。が、いかんせん手札も人手も少なすぎて有効打をいれるのは難しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 第六話 タイムスリップ

 

 

 

 

 

 

 「大丈夫とは思うばって、一応田んぼさ見てくるばい」

 

 じっちゃんがそう言って立ち上がったのは、話がひと段落して一息入れたときだった。こんな話題をしているし、合鴨の様子を確認しておきたいという。

 

 「あ、それなら僕が……」

 

 引き止めようとすると、なら一緒に行こか、と肩を押される。肩をむんずと掴んだままずんずん歩くじっちゃんに、僕が代わりに行くよ、という言葉を諦めて一緒に居間を出た。

 

 

 

 「お先に」

 

 玄関についたのはほとんど同時だったが、靴をはき終わったのは僕のほうがいくぶん早かった。じっちゃんの方に体をねじって、ひと声かけつつ後ろ手で玄関の引き戸を開ける。と、風とともに凄まじい日差しが皮のめくれあがった首筋に追い討ちをかけてくる。すぐに靴箱の上の麦藁帽子をかぶって体勢を戻した。

 

 

 ヒュッだかカフッだか。

 

 思わず喉が鳴らしたのはそんな声にもならない声だった。ほんの五、六歩先に小さな女の子が立っていたからだ。今日はどうやらイベントが盛りだくさんの一日らしい。彼女の赤い着物が駐車場の中にひどく目立った。目が合う。おかっぱの髪と同じ黒の瞳が、小学生ほどの背丈に似合わない強い光をたたえているような錯覚。

 

 頭がくらくらする。強い日差しのせいかもしれない。数歩先にたたずむその姿からどうしても目が離せなかった。それも瞬きを何度かするていどのほんの短い時間だっただろう。あ、と声が出たのははたして僕だったのかその子だったのか。どんぐり眼が一瞬さらに大きくなって一拍、小さな体がくずおれた。

 

 「危ない!」

 

 慌てて飛び出したがぽかんと間抜け面をさらして固まっていた体は思うように動かない。僕の手が届くころにはもう手遅れで、そして手遅れになった先で、それが倒れたのではなく跪(ひざまず)いた動作なのだと気がついた。この炎天下の中フライパンのようなコンクリートの上で!

 

 「じっちゃん早よきて!」

 

 脇の下に手を差し込んでひょいと抱え上げれば、見た目相応に軽い体は簡単に腕に収まった。

 

 「どうしたん!? 大丈夫!?」

 

 抱き上げて問いかけるも返事がない。とはいえ気絶している訳ではなく、動揺した目がこちらを覗いていた。そのまま固まっている彼女を仮に暴れても落とさないよう抱えなおし、あたふたと慌てるじっちゃんに長靴を脱ぐのを手伝ってもらって居間に立ち戻る。

 

 「濡れタオル用意して! 至急!」

 

 大声に驚いたのかわずかに腕の中で身じろぎしたのに気づき、大丈夫だよ、と背中を二度軽く叩く。そのまま背中に手を当てて、転ばない程度に急ぎながら居間の敷居をくぐった。腕の中の子供をとりあえず座布団の上に座らせて手を握る。草履のようなものを履いているのに気づいたが、わざわざ脱がせはしなかった。

 

 「ごめんね、急に連れ込んで。手は大丈夫?」

 

 声をかけながらコンクリートに押し付けられた小さな手のひらを見る。幸い多少赤くなっている程度で火傷するほどではなさそうだったし、実際火傷そのものをそこまで心配していたわけでもなかった。念のためさっちゃんが用意してくれた冷たい濡れタオルをで手を包む。

 

 「その子、どげしたと?」

 「うーん、外におった。ようわからん。手を火傷しとらんか心配しとったばって大丈夫なごとある。ただなあ――」

 

 この子、僕見たとたん土下座したんよ、というと三対の目がしかめられた。何が彼女を動かしたのか。少なくともそれは普通の子供がするような態度ではない。ぱっと見た限り虐待をうけている感じではないが……。

 

 一方で、この子は何者か? という好奇心もあった。と言っても、もちろの現地の住民であることは間違いないのだろうが。彼女の顔立ちは日本人にも見えたが、真っ赤な着物はよく見ると複雑な模様が織り込まれていて、それも浴衣と言い張るにはいささか異国情緒がすぎるデザインだった。あるいはやはりここは知らない国で、先の土下座もこの子の文化圏では日常的な挨拶なのだろうか。

 

 彼女と目が合う。小学生と言いはるにはどうも意志の強さが勝ちすぎるようなしっかりとした目線だった。

 

 「ワアヒイノウシヤ?」

 

 驚いた。歳不相応な落ち着いた調子の問いかけが、幼さの残るハスキー声でつむがれた。なんと声をかけようかと悩んでいるわずかな間のことだった。ある意味で想像通り、またわずかな期待を裏切って、彼女の口から出た問いかけは明らかに日本語ではなかった。

 

 ところで僕が驚いたのはこの子供が外国語を話したということそのものではなく、”知らないはずの言葉を理解できた”ということだった。どう考えても聞いたことのない言語で、しかし彼女は先ほどこう言ったのだ。

 

 『わたしの言葉がわかる?』

 

 根拠は何もないのに僕はそれを確信しようとしていて、同時にその不自然さに困惑していた。妄想にも思える考えを無条件で信じようとする自分を含めてだ。ちらりと周りを見ると理解を示している大人はいなかった。

 

 「やっぱり外国の子なんかねえ」

 

 さっちゃんが頬をかいて苦笑いした。わたしゃ日本語しかわからんよ、と。

 

 「なんて言ったか分かった?」

 「いんや、どうしたもんかねえ」

 

 じっちゃんが額を抑える。困ったときにときどきするじっちゃんの癖だ。佐々木さんも頷いた。どうやら気持ちが通じた気がしたのは僕だけらしい。

 

 「僕の言葉は分かる?」

 

 一度天井を見上げて、大きく息をして隣に座る彼女に問うと、すぐに答えが帰ってきた。

 

 「ホサナヒイノワ」

 『ええ、きみの言葉だけは』

 

 ――会話は成立したんだろうか。

 

 「手は大丈夫? 痛くない?」

 『痛くない、心を分けてくれて嬉しい中の嬉しい』

 

 心を分ける? 嬉しい中の嬉しい? 脳内の翻訳も万能という訳ではないようだった。ただ、そう言うと同時にタオルの中から手を出してこちらに見せ、笑顔を見せる彼女とは確かに言葉が通じているのだろう。

 

 一方で他の三人は不思議そうにこちらを伺っていた。やはりこの子の声はそのままの音でしか聞こえていないらしい。

 

 「僕以外の人の言ってることはわからないの?」

 

 問いかけると彼女はうなずいた。これは……肯定ということでいいんだろうか。今度は僕が頬をかく番だった。

 

 

「なんか僕の言うことだけ通じるっぽい、僕もこの子の言うこと何となし解るとよ。なんでかよく知らんとばって」

 

 いぶかしがる大人たちに説明する。佐々木さんが苦笑しながら眉間にしわを寄せた。さっちゃんがすかさず、どこの子か聞いてみて、と言った。

 

 『わたしは大いなる母の森から会いに来たんだよ』

 

 大いなる母の森と言うとき、彼女は誇らしげに胸を張った。

 

 「誰に?」

 『きみに』

 

 「僕に!? ――僕に会いに来たんだと―― どうして……」

 『弟が生まれたのが分かって。でも会ってみると大人のようで驚いたよ。海の向こうの民が渡ってきたのを勘違いしたのかと思ってね』

 

  かと思えば難しい顔をしてよく分からないことを言う。言いながら手をひらひら振った。彼女は見た目どおりの子供でないのだろうと、僕にもだんだん分かってきていた。それはつまり……。

 

 『なに案ずるな。姉が下の子に世話をするのは当たり前のことだ。それにきみは良い民にも恵まれている』

 

 そう言って、先に僕がしたように僕の膝を二度叩く。困惑しつつも静かに待ってくれている先達方に要領を得ないからもう少し待って、と断ってつづきをうながす。彼女はうなずいて語り始めた。

 

 

 『教えてほしいのだけど、きみはクニとして生まれたの?』

 「とんでもない」

 

 いきなり飛んできた爆弾発言にすぐにそれを否定する。最近ブログをはじめた日本のおクニ、本田さんと苗字が同じなのはひそかな自慢だったが、それは日本中で何万人もの本田さんが共有しているであろうささやかな感情だった。自分がおクニだったら、なんて恐れ多い。

 

 『でもクニについては知っているのかあ』

 

 彼女は小さく笑い、そして眉をへの字に曲げた。

 

 『ヒトからクニへという話は聞いた事がない。聞いたことはないけど……きみは今ヒトじゃない。わかる?』

 

 え? という音は声になっただろうか。下から覗き込んでくる彼女の顔を正面からぽかんと見やる。

 

 「僕が人じゃない?」

 

 助けを求めるようにして無意識のうちに視線をさまよわせると、佐々木さんの眉間のしわはいっそう深くなっていた。さっちゃんは心配そうにこちらを見ている。じっちゃんは腕を組み目を瞑っていた。

 

 「それは……どういう?」

 『さっき言った通り、きみは今クニだよ』

 

 彼女は眉をへの字にしたままそう言った。

 

 『成り立てだからまだよく分からないかもしれないけどね』

 

 僕の右手が引かれ、小さな二つの手にしっかりと挟まれた。

 

 『わたしは少しだけお姉さんだから、困ったことはなんでも言ってごらん?』

 

 これがおままごとだったらどんなにいいだろう。埒のないことを考えながらも、妹としてすら年の離れすぎて見える自称姉に聞いてみたいことがひとつあった。

 

 「それじゃあ質問、あなたはどこのクニですか?」

 

 彼女は少し目を細めて自慢げに言った。

 

 『大いなる母の森がわたしのクニで、森人も海人もすべての人間がわたしの民だ!』

 

 ポーズを決めそうな勢いで宣言する、そのようやくに見かけ相応な言動に頬がゆるむも、これまたようやく働き出した耳と頭が気になる単語を拾い上げた。

 

 「すべての”アイヌ”が?」

 『すべてのアイヌ(人間)が!』

 

 

 

 




だれも現実→二次元だとは言っていないという六話でした。前回の更新から大変お待たせしてしまい申し訳ありません。

物語の背景はヘタリアによく似た世界を想定しています。

※カタカナで表記した外国語っぽい言葉はあくまで雰囲気です。あまり深く考えないでください。
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