どういうことだろうか、町へと転移したと思ったらなぜか森の中に来てしまった。こんなことは今までの短くはないプレイ歴の中でも一度足りともなかったことだ。しかも恐ろしいことに、慌てて他の町へ転移しようとしても選択できないと来ている。まずは落ち着け、そしてGMコールを・・・しても一切の反応がない。どういうことなのだろうか。
ここで俺はさらに恐ろしいことに気がついた。周辺状況を示しているはずのミニマップがない。それどころか、大きい全体地図さえも表示することができない。これは詰んだのでは、という思いが頭をかすめるがまだ俺は落ち着いている。強制シャットダウン・・・失敗。再度GMコール・・・失敗。コンソール入力・・・は入力画面すら出ない。ああ、詰んだわこれ。
いや待てよ、モモンガさんはログインしていたはずだし、さっきは確認していなかったが他の面々だっていたはずだ。なぜ忘れていたのか。《メッセージ/伝言》の魔法を唱えるとログインしているギルドメンバーの名前が明るく表示されるはずだが・・・。
駄目だ。誰一人として点灯していない。ついさっきログインしていた筈のモモンガさんでさえだ。ちらりと時計を見やると既に数字は本来ありえない筈の00:02という時間を示している。そりゃあモモンガさんがいるわけないよなあ、だってもうこのゲームはサービス終了してるんだからなー。ということは、だ。俺はこれから地図もなく、GMも、友人たちとの連絡も取れずにたった一人でこの森を自力で突破しなくちゃならんというわけか。
なに、悲観することはないだろう。これも運営が最後まで残っているプレイヤーに向けたサプライズか何かに違いない。もしくは「ユグドラシル2」のようなもののクローズドβテストとかに参加させられているのかもしれないし。そうであればこの森だってそう広くはない筈だし、一時間も歩けば終わりが見えてくるだろう。そう思って俺は、あてもなく森を彷徨い始めた。
ミリアは敏い娘だ。村の大人たちは彼女を、まだ14になったばかりなのによくできた娘だと言い、子供達は皆彼女をお姉ちゃんと呼び実の姉のように慕っている。そしてミリア自身も、どのように振る舞えば大人たちによくできた娘だと思われ、子供達に姉として慕われるのか、そのやり方を知っていた。
だからであろうか、怖いと思いつつも彼女は森の奥にまで入り込んでしまっていた。まだ5歳の少女が誤って中に入って行ってしまったと聞いて森へ足を踏み入れずにはいられなかった。大人に伝えて村でおとなしく待つ自分と、無事に少女を助け出し皆に尊敬される自分。二つがミリアの頭の中で天秤にかけられ、大きく揺れていた。彼女もまた、14の少女でしかないのだ。
気がつけば、ある程度は見慣れていた筈の森の中は全く見たことのない顔を見せていた。もちろん、一人で森に入ったことなどない。かろうじて帰り道はわかるものの、それさえ確かなものではない。木々の上を小動物が走り抜ける音が響き、彼女の精神力を削ってゆく。
(ここまで来たのにいないんだから・・・あの子は先に村へ戻ったのよね。きっと入れ違いになったんだわ。)
だから帰ろう。もし少女が帰っていなくても、それは自分のせいではない。自分はこんなに探したのだから。そうミリアが気持ちを整理して帰ろうとして振り向いた瞬間、大きなものが動き出し音を立てた。それは狼の魔物であり、休んでいたらしいイノシシの魔物に襲い掛かったのだった。
とっさにその場にしゃがみ込んだミリアは木を盾にしその様子を見守ることにした。どちらが勝とうと、ミリアではこの場から無事に逃げきることはできないだろう。ちょっと賢いだけの村娘に、いや、普通の村娘なんかに魔物から逃げる術などないのだ。今できることはただ、共倒れになるか満足した勝者がその場を離れて行ってくれることを願うのみである。
「どうかしましたか」
突然背後からした声にミリアは飛び上がりそうになる体をすんでのところで制御した。多少声は漏れたがそれも両手で抑えることで止める。どうやら正面の魔物たちには気付かれなかったらしい。安全を確認するとミリアは振り返った。状況を考えず、背後から急に声をかけてきた不注意な人物を睨みつけて、よくよくわかるように魔物たちを指差してこの状況がいかに危険か、教えてやろうとしたのだ。
二足歩行で歩く獅子。初めはそう見えた。次いで、その獅子の顔も、二足歩行をする体も余すところなく鈍い黄色がかった金属の鎧であることがわかった。異形、というほどのものではない。確かにその獅子面の兜は全身鎧と比べると異彩を放っているがそれはただの兜にすぎない。ではなにか。何が原因で、このようなおぞましさを、近寄るだけで精神を破壊されそうな感覚を自分の脳が感じているのか、彼女にはわからなかった。開いた口から声を発することもできず、魔物たちを指さすこともできない。ただただ、全身をとめどなくいやな汗が濡らしていく。
「んー・・・あ、なるほど。」
獅子面の口元から響くその声は奇妙なもので、人間が発しているものだとは思えない金属のすれるような鈍い音であったが、不思議と耳には言葉として意味が伝わってきていた。もっとも、何がなるほどなのかは彼女には全く意味のわからなかったが。動けない彼女を置いたまま、獅子鎧はそのまま奥へ歩いていく。その歩行音は見た目からは考えられぬほどに静かであり、横を通り過ぎて初めてミリアは正気を取り戻した。
「行っては駄目です!魔物が」
振り向いたミリアが叫ぶと同時に目にしたのは空中で襲いかかる姿勢のまま幾枚かに横にスライスされた狼の魔物と衝突の衝撃で木を粉砕しつつ自らの体も破裂し周囲に臓腑をブチまけているイノシシの魔物、そして身の丈よりも長い両手剣を片手に持って振り切った姿勢の獅子鎧であった。
獅子鎧が振り返り、ミリアの方へと戻って来る。あれだけ血の飛び散るような戦闘を行ったというのにその体には一滴たりとも血は付いておらず、獲物であった両手剣などはいかなる原理かすでに手元にはない。完全に消え失せてしまっている。
「あの、倒しましたけど」
「あ、はい・・・」
獅子鎧の言葉に彼女は肯定することしかできない。もはや、何を言っていいものなのかわからない。一方で獅子鎧もまたどうしていいものか思案しているように見えた。
「えっと、クエストの進行とかはどうなってるんですかね」
「くえ、すとですか。すいません、なんのことだか私には・・・」
獅子鎧の口にした言葉は(もっともそれが口から出ているものなのかは疑問ではあるが)ミリアにはわからないものだった。死にたくないという思いからとっさに謝るものの、相手がどう思ったかはわからない。表情はその獅子の面で察することはできず、声色も人間のもののようで違う異質なものだ。人間の考え方が当てはまるかもわからない。魔物に道をふさがれていた先ほどの状況よりも、はるかに悪い状況にミリアはもう神に祈るほかなかった。彼女の命など、先ほどの魔物を屠ることに比べれば道端のアリを踏みつぶすようなものである。
「なるほど・・・まったくわからん。とりあえず、あなたに頼みがあるんだが」
ミリアは14年の生涯で初めて、神の存在を感じた。頼みがあるということはここで殺されるということはないだろう。一先ず命が保証されたのだ。あとはこの鎧を満足させ、気付かれぬように村へと帰るだけだ。無事に帰れたのならば、これから毎日神様とやらに祈りを捧げよう。少ない蓄えの中からお供え物も捧げよう。
「あなたが拠点としている町、ないしは村まで私を連れて行ってはもらえないだろうか?」
ミリアは14年の生涯で初めて、神を殺してやりたいと思った。