アスナさんを味方に引き込むのがこんなにも難しいとは。
空気が固まっていた。
あのディアベルさんでさえ、今のアスナさんに何と声を掛けていいのか、分からないのだろう。姉ちゃんも、何も言わず、じっとアスナさんを見つめていた。
なんとかアスナさんの話を聞きたいと思ったボクも、どうしたらアスナさんが心を開いてくれるのか分からなくて、ただ見つめることしかできなかった。
「……私はこれで」
アスナさんはつぶやいて、ボクたちの前から、静かに立ち去った。
「悪かったね、二人とも」
アスナさんの姿が見えなくなってから、ディアベルさんは眉尻を下げて、申し訳なさげに言った。
「この話は無かったことにしてくれて構わない。あと、パーティーを組むのに必要な二人についても、引き続き探してみるよ。こちらから攻略の先駆をお願いしたのに、放っておいてしまって済まなかった」
「いえ、気にしないでください」
姉ちゃんは、薄く苦笑いを浮かべた。
「アスナさんは、どうしてあんな……ダーク? な感じなのか、ディアベルさんはご存知ですか?」
ディアベルさんは眉の角度をより深めると、お手上げ、というように両手を上げた。
「いや、俺もよく知らないんだ。他の人も色々聞いてみたりしたようなんだけど、答えてくれないそうだ。それさえ話してくれれば解決の余地があるんだろうけどね」
誰もアスナさんの事情を知らないのか。
じゃあ今、誰がアスナさんの味方なんだろう。話を聞いている限り、彼女はそもそも理解者を求めていないのかもしれない。でも、それでいいのかな。
……孤独、というのがどれだけ辛いことなのか、ずっと姉ちゃんと一緒にいたボクにはよく分からないけれど、並大抵のことではないと思う。それがたとえ自分でそうなるように仕向けてしまったのだとしても。家だって学校だって、その他のどんなところでも、関係のある人は必ずいるものだと思うし。
……それとも、リアルでそういう人がいなかったのかな。だから接し方が分からない、とか。いずれにしても、話をしてみないと何もわからない。
「あの!」
手を上げたボクに、ディアベルさんと姉ちゃんは、ん? と視線をよこした。
「アスナさんのこと、ボクに任せてもらえませんか?」
ディアベルさんは面食らったように目をパチクリと瞬かせた。
「それはありがたいけど……大丈夫なのかい?」
「うん。アスナさんに会ってみて、なんだかとっても……独りだって思ったんだ。それにどう見てもあれ、精神的に参ってると思う。できれば元気になってほしいって思って。姉ちゃん、どうかな」
姉ちゃんに視線をやると、
「ユウがそれでいいなら、私も協力する」姉ちゃんはボクに微笑みかけた。
「ありがとう、二人とも。あの子が前に進めるようにしてあげてくれ」ディアベルさんも、少し肩の荷が下りたようで、ホッとした表情を浮かべている。対策のしようもなくて、ずっと気を揉んでいたんだろう。
「まかせてよ!」ボクはよりディアベルさんの負担が減れば、と願いを込めて、自信満々に言ってみせた。
「ディアベルさん、いつもアスナさんはどこで練習をしているか、分かりますか?」
姉ちゃんがディアベルさんに聞くと、ディアベルさんはまた元の困り顔に戻ってしまった。
「それが、毎日練習場所を変えているようなんだ。力になれなくて申し訳ないんだけど、練習できそうなところをしらみつぶしにするしかないな。
一つ言えることは、彼女がいつも、夜遅くまで練習をしていることかな。その分、探す時間がとれるから、なんとか見つけられるかもしれないよ」
「……そうですか、参考にしてみますね」
明日から早速探してみよう。そう決心しながら、最後に挨拶を交わすと、ボクたちは黒鉄宮を後にした。
*
「じゃあ、今日もアスナさん探し、がんばろう」
「おー‼」
「はい!」
「……やっぱ俺も行かなきゃダメなのか」
訓練が終わったあと、ボクたちは黒鉄宮に集まっていた。実質リーダーの姉ちゃんの掛け声は、五日目ともなるとフラットな感じになっている。探しているのに報われないのが続いて、ボクと姉ちゃんは少々疲れてきていた。
アスナさん探しは、思っていた以上に難しかった。始まりの街が結構広いことに加えて、どうやらアスナさんが毎日練習場所を変えているのは本当みたいで(そうじゃなかったら、噂の一つくらいは立ちそうだし)、なかなか見つからない。
これはもっと人手が必要だ、ということで、今回からシリカさんとキリトにも入ってもらうことにした。キリトはずっと、ごにょごにょと往生際悪くぼやいていたけれど、シリカさんに依頼して、上目遣いにお願いしてもらうと「う……」と一瞬唸って落ちた。なるほど、キリトにお願いをするときはシリカさんに頼むのも有効かもしれない。姉ちゃんは「うわぁ……」とつぶやいて、なんだか微妙な顔をしていた。
それにしても、なんで誰もアスナさんの連絡先を知らないんだ……。本部の人の中で誰か一人くらい、知っていてもよさそうなものだけど、ディアベルさんでさえ、アスナさんとは、会おうと思ってもほとんど会えないそうだ。要はそれだけアスナさんが人と接点を持ちたがらない、ということだろう。説得するハードルは、かなり高そうだった。
「やっぱり闇雲に探しても効率わるいだろうし、今日からは聞き込みしてみる?」
そろそろ出発しよう、というところで、姉ちゃんはそう切り出した。
「聞き込み?」
「そう。そっちの方が、情報も集まるし」
「なんか探偵みたいで面白そう!」
「ですね! 私、そういうのに憧れてたんです」
「……ユウ、シリカさんも、本来の目的を忘れないように」
「分かってるよー」
「す、すみません」
「それで、どう?」
「ボクはいいと思うよ」
「私も賛成です」
「いいんじゃないか? というか、なんで最初からそうやってなかったんだ?」
「……」
「あー、キリトが姉ちゃんいじめたー」
「い、いや、別に責めてるわけじゃないんだ! よしじゃあどこから探そうか、なぁユウキ⁉」
「逃げたな……姉ちゃん、黒鉄宮の北側はまだ見てなかったよね」
「……そうね、今日はそっちの方に行ってみましょう」
「あ、手分けしませんか? 四人一緒に行っても効率悪いので、二人一組でどうでしょう?」
「うん、ボクもシリカさんの意見に賛成!」
「私も良いと思うよ」
「いいんじゃないか? 組はどうする?」
「アスナさんのことを知っている私とユウは、分かれないといけないから……キリト、私と一緒に来て。シリカさんはユウのこと、お願いします」
「おう」
「分かりました! ユウキさんのことは任せて下さい!」
「なんでボクはいつも面倒みられる側の扱いなのー?」
「アスナさんを見つけたら、メッセージを送ってください。こちらもそのようにします」
「了解しました!」
「では、解散」
おう‼ と声をそろえ、ボクたちはそれぞれ、北側方面の別の道に入った。
それにしても……ボクの扱いが、どんどんとぞんざいになっている気がする今日この頃。保護対象、というか、子供扱い。それに抗議しても流されちゃうし、なんでこうなってしまったのか。口調のせい? もしかして一人称が「ボク」なのが問題だったり? それとも身長……は姉ちゃんとかシリカさんとかともあまり変わらないし、違うか。声の高さ……もシリカさんの方が高い。うーん。
ひとり反省会のさなか、ふと、シリカさんがこちらを向いていることに気付いた。目が合ったシリカさんは、一瞬目を見開いて、
「アスナさんって、どんな人だったんですか?」
前置きなしに直球が来て、少しばかり面食らう。
「うーん、そうだなぁ」
首をかしげて考えてみる。アスナさんの印象は……。
「……まず、第一印象は、怖い、かな」
出会った時のことを思い出していた。突然背後に現れた上に、不審者っぽくフードを深くかぶっていたし、平坦で冷淡なトーンの声が恐ろしかったなぁ、と。
「え、怖い人なんですか?」若干怯えた風のシリカさん。
「あと、なんていうか、危うい感じの人」
「あ、危うい、ですか?」なおさら怯えがひどくなった。うーん、言い回しが難しいなぁ。『勉強の鬼』という二つ名のせいでもあるだろうけど。もっと詳しく説明しないとダメかもしれない。
「雰囲気がとっても張りつめていて、いつ切れるか分からない感じの危うさだった。シリカさんがボクに相談をしてくれた時の感じに似てるなーって思った。アスナさんって、何かに追いかけられているみたいな焦りというか、現実世界に置いてかれたくないっていうのがひしひしと伝わってきて、なんかほっとけないなーって」
「ほぇー、私みたい、ですか」
私、そんな雰囲気出してたんですね、と驚いたようにシリカさん。確かに、自分の雰囲気は、自分では分からないものだ。ボクもシリカさんを見て、ボクはこんな風だったのか、と悟ったわけだし。
「あとは、そもそも聞く耳を持ってくれるか分からないのが問題ですね」
「うーん。なんでそんなに焦っているのかだけでも、聞きたいなぁ。それがだめなら、攻略に行くにはパーティー組む以外にないんだもん、そこを攻めていくしかないね」
「そうですね」
「あ」二人そろって思わず声を上げ、空を見上げた。どこかで教会の鐘がなったのだ。鳴った回数は六回で、午後の六時であることを指していた。陽はすでに地平線に飲み込まれて、臙脂色から濃紺までのグラデーションを描き、辺りは薄暗くなっていた。季節は現実と同じらしいから、十二月である現在、きっとここが浮遊上でなかったら、とっくに夜闇に包まれていただろう。これ以上暗くなってしまうと、探すのも大変になる。
「シリカさん、急いで探しちゃおう!」
「はい!」
シリカさんとうなずき合って、ボクたちは夜道を掛けだした。
*
駆け足で道を行く。建物の中からは、あたたかな色合いの明かりが漏れ、時折NPCかプレイヤーかは分からないけれど、話し声が聞こえてくる。タッタッタ、と規則的に石畳を踏みしめると、二人分のそれは建物に反響して、何倍にも増幅して耳朶を打った。
アスナさんの影を探して右に左にと視線をさまよわせる。ヨーロッパの様式に統一された街並みは、当然だけれど、小さいころに見てきた日本のそれとは全く違っていて、どこか、夢の国にでも入り込んだような錯覚を覚えさせ、テーマパークに行った時のような奇妙な非現実感と、高揚感が沸き起こった。
後ろを振り返ってみれば、シリカさんもボーっとしたような、焦点の少し外れて見える眼差しで、全く乱れることなく、一定のテンポで追随していた。もはや視点は一か所に固定されてしまっている。機械のようなその様子は、どこか魂を抜かれたようにも見えた。
ゾクリ、と背中に悪寒が走った。
なんだろう、この感覚。
急速に、言い表せない不安が、胸にわだかまった。ここは本当に現実なんだろうか。実は夢の中に迷い込んでいて、ある時突然、いつもの病室で目を覚ますんじゃないか。父さんと母さんと姉ちゃんが、あの時みたいにそばにいて、楽しそうに、嬉しそうに、愛おしそうに笑いかけてくれるんじゃないか。
本サービスのルールを言い渡されたその日に認めたはずの、『この世界は現実だ』という認識が、グラグラと不安定に揺れ始めていた。
この世界では必要がない酸素を求めて、呼吸が、乱れていく。この世界は非現実だけど現実で、現実だけど非現実だ。それなのに、目に入るものすべてが非現実としてしか受け入れられなくなっていく。
怖い。
怖い。
怖い。
迫る恐怖から逃れようと、がむしゃらに足を前へと追いやる。
道の先に、小さな闇が、ぽつりと現れた。
あそこに行きたい。あの真っ暗闇に。この、幻惑するような明かりの下にいたら、気が変になりそうだ。そう思って、なりふり構わない全力疾走で駆け抜ける。どこかから水音が響いてきている。闇はどんどんと大きくなって、ついに視野の大半が闇に呑まれた。
勢いを殺すこともせず、ポーン、と闇の中に身を躍らせると、突然足元から道が消えて、もんどりうって転がった。はぁ、はぁ、と荒い息を吐いて、徐に立ち上がると、闇の塊に見えていたものは、小さな広場だったことが分かった。今立っている場所は、道から二段階段を降りたところにあって、どうやらボクはそこを踏み外したらしい。円形の広場には、真ん中に、小さな噴水があって、噴水と言うには随分慎ましやかな水音を立てていた。
「ユウキさん、どうしたんですか⁉ 大丈夫ですか⁉」
シリカさんが大慌てで広場に駆け込んでくる。
「うん」
とそれだけ答えて、あの光から抜け出したからか、はたまた転んだからか、幾分かはっきりした頭で、自分に言い聞かせる。
ここは現実だ。まぎれもない現実。仮想世界であったとしても、ここは間違いなく、現実。
「突然走り出したからびっくりしちゃいました! この広場になにか見つけたんですか?」
階段を降りて、そばまで寄ってきたシリカさんは、薄闇に包まれ、視界の悪い広場の中を見渡した。と、噴水の陰から人の姿が。
「あなた、昨日の……たしか、ユウキ、だったっけ?」その人物は言った。どこかで聞き覚えがあるなぁ、と、目を凝らすと、フードを目深くかぶった姿が、街の明かりにかすかに浮かび上がった。
「は、はい。そうです。もしかして、アスナさん、ですか?」
「……で、ここになんの用? 昨日の話はもう決着がついたはずでしょ? 要がないならさっさとここから出ていって」
質問に対して“はい”とも“いいえ”とも返って来なかったけれど、この怖くて鋭い切り返しと冷たい声は、間違いなくアスナさんだ(我ながら判断基準がひどい)。そばにいたシリカさんが、恐怖からか身を竦ませたのが分かった。ボクもボクで、少なくとも、ほとんど使ったことのない敬語を、無意識に使ってしまうくらいには、アスナさんのことが怖かった。
拳を握りしめ、生唾を飲んで、さらにこっそりと深呼吸をして。
「えーと、その……アスナさんに一つ、聞きたいことがあるんです。いいですか?」
かろうじて見えるアスナさんの口元が、真一文字に引き結ばれる。思わず唾をもう一飲み。
「質問に答えるかどうか、聞いてから決めるわ」
ぷはぁ、と息を吐き出す。遠回しに許可してくれた(のだと思う)ので、いざ本題に。
「じゃ、じゃあ、質問します。アスナさんは、どうしてそんなに勉強にこだわるんですか?」
「それが私には必要だから。誰にも負けない力を手に入れるには、勉強が一番の近道だもの」
「なんで誰にも負けない力が欲しいんですか?」
「質問は一つなんじゃなかったのかしら? ……まあいいわ。私には人並みを外れた能力があるの。それを活用しないなんて、罪と言ってもいいわ。私はトップに立って、世の中に益する行動をしなきゃならないの。そういうふうに生まれてきたのよ」
低い声で淡々と話すアスナさんに、畏怖を覚えた。
この人は根本的に生きている世界が違うんだ……。
言っている内容は、聞きようによっては傲慢ともとれるものだ。でも、そこにあるのは驕りとかそういうのじゃなくて、一種の使命感のようなもの。……でもその割に、声に覇気がない。この世界に囚われている、この状況がそうさせているのだろうか。それとも、もしかして本当はそれを望んでいなんじゃないかな。ボクの目からは、アスナさんは苦しんでいるようにしか見えなかった。残念ながら、ボクには最終的な判断がつかない。それにどちらにしても、一朝一夕にどうにかなるモノじゃなさそうだ。
作戦変更! とにかく一緒のパーティーに入ってもらうことだけを考えよう。
「もういいでしょう? ……あぁそうだ、私が頼んでおいた、一人でも攻略できるようにって、どうなったの?」
「そのことなんですけど、やっぱりボクたちとパーティーを組んでくれませんか? 組んでしまえば攻略できるんですから、わざわざ危険を冒す必要はないでしょう?」
「昨日の私の話、聞いてたの? 仲間がいたって足を引っ張られるのよ。お分かり?」
「ボクたちはそんなに下手じゃないから、大丈夫ですよ」
「私は別に、うまい下手のことを言ってるんじゃない。仲良しごっこをしながらじゃ、まともな攻略にならないって言ってるの。学校の宿題と同じよ。みんなでやりましょう? なんて言って、本当にちゃんとできる人なんてそういない。結局それで、足を引っ張り合いながら堕落していくのよ。そんな人たちを何人も見てきたわ。そんなの私は求めていない。だから一人の方が効率が良いって言ってるのよ」
「ソロには限界があるんです。ずっと一人だけで攻略を続けられるなんて思ってるなら、大間違いです。絶対に限界は来る。……攻略は学校の宿題とは違います。アスナさんが言ったようにはならないと約束しますよ」
「誰がその確証をくれるっていうの?」
「確証はありません。でもこれだけは言っておきます。ボクたちのグループの方針は、『誰よりも先に行く』ことです。それに、姉ちゃんもキリトも、一応ボクも、ベータテストの時から二つ名がつくくらい強かったんです。アスナさんの目的から外れることはないと思います」
「……ふぅん。じゃあ、あなたの後ろにいる女の子はどうなの?」
「ひゃ、はい⁉」
突然の振りに、シリカさんが素っ頓狂な声を上げた。
「わ、私ですか……?」
「そう。あなたはみんなの足を引っ張らないって言える?」
「それは……」
シリカさんは、表情を硬くして口ごもってしまった。もともと自信がないと言っていたのだから、当然と言えば当然なんだけど……。でも、シリカさんの筋がいいのは確かだ。一発でソードスキルを発動させてしまうくらいだし。だから。
「大丈夫です! ソードスキルを一発で覚えちゃうくらい筋もいいですし、努力だって人一倍してますから」
シリカさんに変わってボクが言うと、シリカさんはやっぱり自信がないのか、ボクの(無責任な)発言にわたわたしている。
「……そう。なら、足を引っ張らないことを証明して」アスナさんは、その様子に構うことなく言った。
「証明? ……私はどうすれば?」
「私とデュエルして。シリカさんが私に勝ったら、パーティーに入ってあげる。私が勝ったら、私が独りで攻略できるように、許可が下りるまで交渉し続けてもらうわ」
「え、ええええぇぇ‼‼」
自分の意思に関係なく約束をさせられてしまったシリカさんの悲鳴が、小さな広場をこだました。
次回でパーティメンバーが全員そろう予定。その次からついに攻略開始予定です。