クイーンネペント戦、決着です
「アスナさーん!」
ボクはアスナさんを呼び止めた。ボスのフィールドに入っても、アスナさんがボクたちに気付かなかったからだ。なんという集中力。それともスルーされていただけかな。
声に反応して、アスナさんはこっちを振り向いた。慌てて頭を気にする素振り。フードがないのを気にしてるようだ。驚いた様子からして、スルーしたわけじゃないらしい。めちゃくちゃ美人なのに、隠しちゃうなんてもったいない。
アスナさんはフードのことを諦めると、クイーンネペントの攻撃をかいくぐりながら、出口の方にいるボクたちに近づいて来た。「とりあえず、一度出ましょう」という姉ちゃんの提案により、ボクたちはボスエリアから退散した。
「何しに来たの?」
最初に口を開いたのはアスナさんだった。ボクはその質問にびっくりしてしまった。ボクたちがここに来た理由なんか、すぐに分かりそうなものだけどな、と。しかしながら、アスナさんは本当に理解できていない様子で、眉をひそめていた。
「アスナさんを探しに来たんです」と、姉ちゃんがボクたちを代表して答えた。アスナさんの眉間に寄った皺は、刻まれたままだ。むしろ深くなったようにも見えた。姉ちゃんの言ったことを信じられないってこと?
「どうやって見つけたの?」
アスナさんは訊ねた。なるほど、困惑の理由はそこにもあったのか、と納得した。フレンド登録を解除していたから、見つかると思っていなかったようだった。パースさんは、今までの経緯を簡潔に説明し始めた。アスナさんはそれを、俯き加減で静かに聞いていた。
説明を聞き終わったアスナさんは、しばらく何も言わずに立ちつくしていた。混乱しているんだろう、ということは分かっても、なんで混乱しているのか、ボクの理解は及ばない。
「私を、助けに来てくれたの……?」
アスナさんは、まるで、赤の他人に突然プレゼントを押し付けられたような顔をしていた。
「それ以外に何があるんだ?」
キリトはアスナさんの反応に苦笑しながら言った。他のみんなも笑った。アスナさんだけはその笑いについて来れずに、独り困惑に取り込まれていた。ボクはその様子をずっと見ていた。
「じゃあ、全員そろったところで、フィールドボス攻略の方法を考えましょう」
姉ちゃんはそう言うと、アスナさんを手招きした。アスナさんはためらいを見せつつも、ボクたちの輪の中に加わった。
「アスナさん、あのモンスターの攻撃の特徴を教えてもらえますか?」
「え、えぇ」
まだ戸惑いの抜けない様子のアスナさんは、まだぜんぜんダメージを与えられてなかったけど、と前置きして、モンスターの特徴を説明し始めた。
「攻撃のパターンは、私が見た限りだと、四本の蔓を振り回す全方位攻撃と、何かの液体を吐き出す攻撃、体全体でのしかかってくる攻撃の三つ。予備動作は、蔓の全方位攻撃は、四本の蔓をすべて掲げて、持ち上げる。何かの液体を吐くのは、ウツボが膨らんだとき。体全体でのしかかるのは、蔓を体に巻き付けた後だった」
かなり静かな声だったけど、アスナさんの声には姉ちゃんと同じ魔法が掛けられているらしく、ボクの耳にするする入ってきた。どうやら、クイーンネペントも、攻撃の仕方は基本的に同じらしい。
のしかかる攻撃と、『何か』を吐き出す攻撃の威力が分からないのが怖いな。ボクがそう口にすると、キリトはうなずいた。
「とりあえず、情報を集めないといけないよな。その液体がどんな効果なのか、とか、その他の攻撃も、どれくらいHPを削られるのか、とか。といっても、一発KOもありうるわけだから実際にわざと喰らうわけにもいかないしなぁ」
キリトは、ゴーヤを口いっぱいに詰められたような、苦み走った顔をした。パースさんは少し声に笑いを混ぜて、確かにそうですね、とうなずいて、
「まず様子見として一度戦った方がいいでしょう。私たちがさっきまで戦っていたリトルネペントとの戦い方で、どこまで通用するかを試して、ダメだったらまたやり直しましょう。こういう時は時間を気にせず、じっくり行くべきでは?」
と言った。姉ちゃんは、それしかないと結論したのか、
「では、早速一度戦ってみましょうか」
と、これから宿題でもやりましょうか、と言うような、何気ない様子で、簡潔に号令を出した。
一歩、ボス部屋の中に足を踏み入れると、空気がピリッとした。
『グオァァァァァァ‼‼』
ボクたちが侵入したのを鋭敏に察知したクイーンネペントは、早速怒りの咆哮を上げた。いやいや、まだ怒り状態じゃないはずなのになんでこんなに怒ってるの? やっぱりリトルネペントをたくさん斬ったからかな。
そういうところを見ると、このモンスターは、本当に魂でも持っているんじゃないかと思えてしまう。クエストの病気の女の子もそうだけど。作りものとそうでないものの違いが、分からなくなりそうで、不安になった。それはどこか、アスナさんがボクたちのことを信用していないと分かってしまった時の、あの不安に似ていた。
本物って、なんだろう。
今までなんとなくで理解していた『本物』は、SAOに来てから、あっという間に霧に呑まれて、見失ってしまった。そしてボクは、霧を抜け出すための手段を持たない。
剣と蔓がぶつかって出しているはずの音は、どう頑張って聞いても金属同士のそれにしか聞こえなかった。火花こそ散らないものの、全力で斬撃を叩きこんでもほとんど傷もつかない。つまり何が言いたいかと言うと、蔓が硬すぎる!
クイーンネペントを相手に、ボクたちは攻めあぐんでいた。四本の幹のような太さで、金属のような硬さの蔓を掻い潜るのに、みんなして苦心していた。一応蔓への攻撃でも少しずつHPが減って行っているのは分かるけど(アスナさんもそうやってHPを削ったんだろう)、どうやら蔓よりもボクたちの剣の方が先に寿命を迎えてしまいそうだ、と思うくらい、ゴリゴリと耐久値が減っていた。
クイーンネペントが蔓を振り上げた。蔓の全方位への薙ぎが来る。すでに何回も受けた攻撃だけど、慣れるということはなかった。何しろ、破壊力が段違いだ。最初の時、壁役のはずのパースさんを、そこにいないかのような軽々しさで吹っ飛ばしたのを見た時点で、蔓と真正面からやり合うのを諦めた。パースさんのHPバーは、ちゃんとガードしていたのにも関わらず、一挙に三割ほどが無くなっていた。速度重視のボクたちがもしガードなしで喰らったら、一発で『あっちの世界』に行きかねない。
『液体の何か』を吐き出すため、ウツボを膨らませている間は蔓の攻撃が止むけど、それだって五秒程度しかないうえ、ちゃんとそこで退避しないと液体をかぶってしまう。戦力が心もとない中で、どんな効果があるか分からないような代物を喰らうわけにはいかない。
のしかかる攻撃の時も、蔓をウツボにぴったりと巻きつけるから、斬撃がろくに通らなかった。
「これじゃあ埒が明かない。一旦引くぞ‼」
キリトの大声が広いボス部屋をこだました。それがお気に召さないらしいクイーンネペントは、声の発生元であるキリトに、粘着質の液体を吐きかけた。しかし、その予備動作にしっかりと反応していたキリトは、射程距離も範囲も格段に広がったその攻撃に視線を寄こすこともなく、ひらりと身を翻し、出口へと駆けた。さすがの身のこなし、と感心しつつ、ボクも出口に向かった。
「蔓をかいくぐって、ウツボの部分を攻撃するしかないんだろうけど……」
「まあ、それが簡単にできたら苦労はしないよな」
全員がボス部屋から出たところで、姉ちゃんとキリトはそう言って、同時に唸り声を上げた。どうやって倒せばいいだろう、とボクも考えてみる。
とりあえず前提として、クイーンネペントのウツボを狙うべきだろう。蔓にはほとんどダメージが通らないし。ただ我武者羅によけていてもウツボまで届かないことが分かってしまったから、どうやって蔓を防いでウツボまで辿り着くかが問題だ。パースさんだけじゃ壁役が足りないなら、それを増やすしかないか。
「二人がかりで一本の蔓を防御して、残りのメンバーでウツボを攻撃するとか」
ボクが言うと、シリカさんが目を丸くした。
「そんなことって、できるものなんですか? 片手剣で攻撃を防がないといけないわけですよね」
「そういうこと。別に壁役がシステムで決められているわけじゃないから、ボクはできないことはないと思うんだけど」
姉ちゃんが難しい顔をした。
「できるとすれば、キリトくらいじゃないかな。パースさんに防御のタイミングを合わせないといけないから、相当難しいと思うけど」
「お、俺? うーん、できないこともないかも知れんが、あんまり自信はないなあ」
「でもたぶん、他にできる人いないよ。そもそも、姉ちゃんとシリカさん、アスナさんは武器の防御力が低すぎるから使えないし、ボクはそんな技術ないし」
「パースさんはどう思いますか?」
姉ちゃんがパースさんに振った。パースさんは、そうですね、と言って、少し考え込む素振りをした。
そういえばパースさん、今までほとんどしゃべってなかったな。ボクは今日のパースさんのことを振り返って思った。さっきもそんなことがあったし、あくまで見守り役で、あまり関わり過ぎないように、とでも本部から言われているのかもしれない。
今思ったけど、パースさんっていつまで一緒のパーティーでいられるんだろう。本部所属なんだし、そんなに長いことボクたちと一緒にいるわけにはいかないんじゃないかな。そうしたらまたメンバー探し? それは勘弁してほしいなぁ。
とりとめのないことを考えていると、パースさんは静かな調子で答えた。
「他のパーティーですと、壁の役割をするプレイヤーが大抵二人以上いますから、おそらくこのモンスターもそういうことを想定してステイタスを振られているのでしょう。単純に、まだ私たちのレベルや武器、防具が、適正値に到達していないというのもあるでしょうけれど。どちらにせよ、私たちがクイーンネペントを倒すには、それ以外の方法はないと思いますよ」
パースさんは一度言葉を切ると、キリトに向き直った。
「キリト君、お願いできますね?」
「……分かりました、やってみます」
さっきまで自信無げな様子だったキリトは、パースさんの言葉を受けて、しゃんと背筋を伸ばしていた。その様子を見て、ボクは、小さいころに遊んだ吹き戻しを思い出した。息を吹き込むと、重力にも逆らって、まっすぐに力強く伸びていく。パースさんが声を掛けるのと、そうやって息を吹き込むのとは、まさに同じだと思った。
大人だから、なのかどうかは分からないけれど、パースさんの言葉には不思議な説得力があった。余計なことを全くしゃべらない分、一言の重みが違うのかもしれない。もしくは、理性的で静かな口調も関係があるのかも。どちらにしても、メンバー探しが面倒、という理由より切実に、パースさんにはパーティーから外れて欲しくない。ボクは強く思った。
「みんな、準備はいい?」
姉ちゃんの問いかけに、コクりとうなずく。姉ちゃんは目に闘志を宿して、ギラギラしていた。野性の動物が狩りをするときって、こんな感じの目をしてるんじゃないかな、と漠然と思った。キリトはいつもの自然体。シリカさんは緊張気味。パースさん……はよく分からない。この人が緊張することなんてあるのかな。アスナさんは──
「パースさんとキリトは、ソードスキルも使っての防御、忘れないでね。じゃあ……三つ数えたら行くよ」
「一……二……三‼」
ボクたちは一斉に駆け出した。壁役のパースさんとキリトを先頭に、入り口から突っ込んでいく。
女王の反応は早かった。即座にボクたちが入ってきたことを感知すると、四本ある蔓を、威嚇するようにもたげ、さっきと同じように、
『グオァァァァァァ‼‼』
という吠え声の後、勢いよく振り下ろしながら回転させた。回転の範囲は大体九十度くらいで、そんなに広くはない。といっても四本あるから全方位攻撃なわけだけど、これでもし蔓の一本一本が百八十度とか回転するようだと、もう打つ手なしだったから、ありがたい。不幸中の幸い、という程度のものだけど。
「行きますよ、キリト君」
「はい!」
パースさんとキリトは、左上から猛烈な速度で向かってくる蔓に敢然と突撃していき、二人の剣はソードスキルの燐光を放ち始めた。
そしてあっという間に二人と蔓は肉薄し、武器の性質上攻撃にキリトより若干時間がかかるパースさんが、剣を突き出す。少し遅れて(本当に『少し』だ。たぶん十分の一秒くらい)キリトも攻撃態勢に入った。
「うおおおお!」
「フゥッ!」
蔓の立てる風切り音を二人の気勢の声が覆い隠し、
ガアアアアアアン
二人の気勢の声も、蔓と剣とが交わって発生した、高いところから鉄骨を落としたような轟音に掻き消される。
蔓は二人によって、弾き返された。
快哉を上げたい気持ちをこらえて、ボクは一直線にウツボへと駆け抜ける。ボクの横にはシリカさんがいて、後ろには姉ちゃん、アスナさんがいる。ボクたちはそろって剣に燐光を纏わせた。
「らあああああ!」
「はあああああ!」
「やあああああ!」
声が三つ重なり、ズッバアアン、という音を立てて、ウツボに三本の赤い軌跡を描いた。クイーンネペントは痛みを感じてか叫び声をあげ、身を悶えさせた。初めてHPバーが、目に見えて減少した。
「二人ともいい感じ‼ 次もお願い‼」
姉ちゃんは大声で発破をかけた。キリトはすでに再び掲げられている蔓を睨みつけながら、OK、と言うように左手を振った。みんなが瞳に闘志をみなぎらせていた。
その中でボクは、何かに違和感を覚えて、アスナさんの方をちらりと見た。そして目が釘付けになった。
アスナさんの目は、茫洋としてどこも見ていなかった。今倒さないといけないクイーンネペントを見ていないし、一緒に戦っているボクたちも見ていない。確かに視線はクイーンネペントに向かっているのに、そこからは何の意思も伝わってこない。空っぽに見えた。まだそんなに共闘したことはないけど、何回か一緒に戦ってみて、アスナさんはどんな相手でも手を抜かないことが分かってきていた。明らかに今のアスナさんは変だ。
どうしちゃったんだろう。
ボクはとっさにアスナさんに声をかけようとして、
ガッキイイイン
という甲高い音に遮られた。パースさんとキリトが、再び見事に蔓を弾き返してみせていた。よそ見をしている場合じゃない。アスナさんの方に行きそうになる目を無理やり目の前の敵に戻して、ボクはひたすら攻撃に徹することにした。
さらに二回、蔓を首尾よく弾き返して、ボクたちが我武者羅に攻撃を加えたところで、今度はウツボが急速に膨張した。膨張が始まってから何かの液体を吐き出すまでは、大体五秒。その間に退避しないと、と後ろを向こうとしたところで、キリトが叫んだ。
「全員で畳みかけるぞ‼」
── 一秒経過。
じゃあどうやって液体から逃れるの、と聞く間もなく、キリトがパースさんに先行して、ウツボの間近にいるボクたちの方へ駈けだした。即座にソードスキルのエフェクトが発生し、キリトが本気であることをボクたちに知らせる。
──二秒。
「みんなで一斉に攻撃しよう!」
ボクが言うと、みんなはうなずいた。アスナさんはハッとしたように身を震わせて、剣を構えなおした。そして少しウツボから距離を取り、全員でソードスキルを発生させた。キリトの後ろからパースさんも走ってきているのが見えた。
──三秒。
全員でウツボに向き直る。キリトとパースさんの足音はすぐそばまで来ていた。
──四秒
「せーの‼」とキリトが言い、それに合わせてボクたちは一斉にソードスキルを叩き込んだ。
ズババババババアアアアアアン
ソードスキルのセクステットは、音だけでも地面を揺るがすような勢いで、やった当人のボクたちがびっくり仰天してしまった。目の前で四尺玉の花火を爆発させたって、こんな音は出ないだろうとボクは思った。
──五秒
どうだ⁉ と頭上のウツボの口を見やると、石になったように硬直して動く様子がない。蔓も同様で、これは間違いなく、
「スタン‼」
リトルネペントはウツボを膨らませている時に攻撃した方がダメージが大きく、スタンしやすい。どうやらクイーンネペントもそれは同様であるらしい。
「総員、全力攻撃‼」
キリトの大音声に、
「おう‼」
と四人で呼応して、技後硬直が解けた者から次々と、ソードスキルを浴びせかける。
HPはガリガリと削れていき、一本目が消失したところで、スタンが解け、今度は蔓を体に巻き付け始めた。のしかかりをやるつもりだ。のしかかりは攻撃前に直立するから、どこに倒れこむのか判断がつかない。攻撃範囲は狭いけど、威力はきっと相当高いから、今のステータスでは絶対に喰らいたくない攻撃だ。
「みんな後ろに走って!」
姉ちゃんの声。それに従って、ボクたちは全力疾走で壁際に向かう。
一番足の速いシリカさんが真っ先に壁まで辿り着き、素早く振り返ってクイーンネペントを見つめ──大きく目を見開き、顔が一気に青ざめた。その変化につられるようにして体をよじり、後ろを振り返ったボクは、大量の土煙を舞い上げながら全力でブレーキをかけると、これまた全力で逆走を始めた。
「アスナさん‼」
シリカさんの悲鳴じみた叫び声が聞こえた。続いて、
「ユウ‼」
という姉ちゃんの驚きと焦りの混じった声。
ボクの視線の先には、クイーンネペントの方を向いて──ボクに背を向けて立ち尽くしているアスナさん。そして、アスナさんの上に倒れこもうとしているクイーンネペント。
ボクの頭には、『アスナさんをどうやって助けるか』とか、『助けたあとにどうやってクイーンネペントから逃げるのか』といった作戦は一切なかった。ただアスナさんのもとに走ることだけを考えていた。当のアスナさんは、未だに動く気配はない。
クイーンネペントが、倒れていく。倒れていく。倒れていく。
スローモーションのようにゆっくりと時間は流れ、同時にボクの足は重くなる。もっと速く、と願っても、それが聞き入れられることは絶対になく、ボクはシステムの檻の中で、ひたすらにもがく。
ボクがアスナさんに辿り着くのと、クイーンネペントがアスナさんの上に倒れ掛かるのは、ほぼ同時だった。ほぼ同時だったけど、ボクの方がほんの一瞬早かった。
アスナさんを押し倒し、覆いかぶさり、右手に持った剣を、地面とクイーンネペントの間に隙間を作ろうと、つっかえ棒代わりにする。
しかし、すでに耐久値がかなり削られていたうえ、初期装備のままの片手剣では、余りに無謀な挑戦だったらしい。あっという間にクイーンネペントの攻撃に──正確には、その胴に巻き付けられた蔓と、クイーンネペントの重量に──耐え切れず、ガラスのような破砕音と共に砕け散った。
それによってわずかにスピードが遅くなったり、軌道が逸れたりしたかもしれないけど、背中から押しつぶされんとするボクには確かめようがない。
背中に重圧がかかる。腕を頑張ってみたけど、一瞬で潰された。それでも一応力は込めておく。効果あるのかなぁ。
ボクのものでもアスナさんのものでもない悲鳴が、ボス部屋を交錯する。何しろボクたちには、声を上げる余裕なんてない。ボクの下敷きになっているアスナさんは、そもそも状況を把握できていないかもしれない。
ボクのHPがみるみる減っていく。滑らかに右から左へと移動していくゲージ。アスナさんの方の減り方は、ボクほどではないから、まぁ、一応助けにはなったみたい。
あっという間にゲージの色が緑からオレンジに変化した。もうすぐ死んじゃうのかぁ。そう思って、しかし不思議と恐怖は感じなかった。この世界には痛覚がないけど、圧力は結構感じるんだなぁ、とか、どうでもいいようなことを考えていた。
ふぅ、と圧力が減った。「ユウキさん、アスナさん、頑張れ!」「ユウ、アスナさんも諦めないで!」たくさんの声が降る。どうやらみんながクイーンネペントを持ち上げようとしているようだ。クイーンネペントが倒れている時間は約十五秒。もしみんなが来なかったら、確実にあの世行きだった。
なんで、とボクの下から声が聞こえた。
「なんで、私を助けたの?」
状況を考えれば、アスナさんの声は随分と平坦だった。
「なんででしょう。ボク、無意識のうちに走っていたから」
正直に話すと、アスナさんは、そう、とだけ言った。
するすると、ボクの下からアスナさんの手が伸ばされ、無言のままクイーンネペントを押し始めた。レッドゾーンに突入しかけているボクのHPバーは、さらに流れる速度を緩めた。
「見返りを求めない優しさって、本当にあるの?」
ボクは、アスナさんが、独り言のようにつぶやいたのを聞いた。
唐突に、圧力が一気に無くなった。
ごろりと転がって上を見ると、クイーンネペントはようやく体を起こし始めたようだ。そしてその周りには、みんながいて、瞬く間に抱え上げられ、壁際まで行くと、ポーションを口にねじ込まれた。隣でアスナさんも同じことをされている。ボクたちは目が合うと、ふふ、と短く笑った。
「何笑ってるの! 危うく死ぬところだったのに‼」
姉ちゃんがボクたちに向かって、怒声を放った。うわぁ、今まで見たことのないレベルで怒ってる。それが声と、赤を飛び越えて真っ白になった顔から知れた。
「ごめんなさい。でもほら、死ななかったから結果オーライってことで!」
あっけらかんとボクが言うと、姉ちゃんはムッとしたのか、さらに言い募ろうと大きく息を吸って──呆れ顔になって、そのまま大きく吐き出した。
「ユウがこういう性格だって、すっかり忘れてた……」
疲れたようなため息交じりの、小さな声だった。やれやれ、と首を振ると、目つきを鋭いものに変えて、アスナさんに目を遣った。
「アスナさん。あなたは、ユウに命を救われました」
アスナさんは、すっと立ち上がると、真剣な面持ちで姉ちゃんを見返して、うなずいた。
「正直、ユウが死ぬくらいなら、あなたが死んでくれた方がよっぽどいいの。私にとっては」
姉ちゃんの、辛辣と言っていい言葉にも、アスナさんは一切目をそらさない。
「だから、今度、ユウが危なくなったときは、命を懸けて助けてあげてください。それでいいですか?」
再びうなずく。姉ちゃんはそこで相好を崩すと、剣を収納してからアスナさんに右手を差し出した。アスナさんも同様にして、しっかりとその手を握った。二人とも、きれいな笑顔だった。
ようやっと、アスナさんは、ボクたちのパーティーメンバーになった。
「ではみなさん。まずは、女王様を倒してしまいましょうか」
パースさんが言った。今度こそ、ボクたちは全員でうなずいた。
残りの戦いは、連携のパターンを掴んだこともあって、スムーズに進んだ。剣を折られてしまったボクは、その様子を、何もできずにただ見ていた。物ほしそうな目でみんなを見ていると、姉ちゃんに「自業自得、身から出た錆、自分で蒔いた種‼」と言われた。全部同じ意味だね。分かってるよ。……たぶん。でも、同じことがあったら、やっぱり同じことをしちゃうんだろうなぁ、とボクは思った。姉ちゃんはきっと、それをわかっていて言っているんだとも思う。分かっていても、言わずにはいられないんだろう。ボクだって、姉ちゃんが自ら命の危険を冒すようなことをしたら、怒ると思うし。まぁ、姉ちゃんが考えなしに突っ込んでいくことは、まず無いと思うけど。
クイーンネペントが怒りモードになったときは、何が変わるのかと身構えたけど、スピードが上がるだけで攻撃のパターンは一緒だったから、問題なくダメージを与えることができた。もともとこっちはスピード特化のパーティーだし、速さへの対応はお手の物、と言った感じだった。
そしてついに。
『グギャアアアアアアア‼』
断末魔がボス部屋を震わせ、バッギィン、とひときわ大きい破砕音を響かせて、クイーンネペントは宙に消えた。
アスナさんが本当の意味でパーティーメンバーになって、次からは仲良く攻略に臨めそうです。