今回の話は、予定通り、キリト、パースさん、紺野姉妹の三人です。
完成度にはまったく納得がいかないんですが、いつまでも話が進まないのではしょうがないので、見切りをつけて投稿させていただきました。文章に違和感ありまくりだと思いますがご容赦ください <m(__)m>
では、どうぞ!
シリカさんの後は、キリト、パースさん、そしてボクたち、と言う風に順番が決まった。キリトが人を避けようとしてきた理由もこれで分かるかな、と期待しつつ、ボクは何を話そうかうんうん唸っているキリトに視線をやった。かれこれ五分は唸っている気がする。
「……キリトさんも質問してもらった方が良いですか?」
シリカさんが助け船を出すと、ああ、とキリトは申し訳なさそうに言った。「すまんがそれて頼む」
「じゃあ聞くね」
姉ちゃんが言う。
「なんでキリトは人を避けようとするの?」
……。
シリカさんの話で温まっていた場の空気が、一瞬にして氷漬けになった。キリトは「えっ」と声を漏らしたまま固まっているし、シリカさんも目を見開いて驚きを露にしていた。アスナさんは、一体何を考えているの、と若干責めるような目つきで姉ちゃんを眺めていて、ボクはボクでやっぱりびっくりして、ただ姉ちゃんを見ていることしかできなかった。いきなりすぎないかな。何を思って最初にこの話を持ってきたんだろう。
キリトが何も言えずにいると、姉ちゃんは小さく溜息を吐いた。その溜息の中には、キリトに対する何かしらの気持ちがこもっていた。
「ごめんね、いきなりこんなことを聞いて。キリトって、追及してもはぐらかしてばっかりだから。悪いとは思ったけど、逃げられないようにしたかったの」
姉ちゃんの声は常よりも細く聞こえた。その前に吐いた溜息と、同じ色をしていて、ボクにはそれが、『悲しい』色であるように思えた。
同時に、姉ちゃんの言ったことに、なるほどそういうことかと、ボクは納得していた。確かにキリトは、ベータテストの時もろくに自分の事を教えてくれなかった(もっともあの時には、まだ普通のゲームだったわけだから、当然と言えば当然だけど)。そういう会話術(?)をさせないためには、脇目も振らずの直球勝負で行った方がいい。何だかんだ言ってキリトは真面目だから、そうすれば答えてくれる……はず。
「キリト君、それは私も知りたいところです。キリト君は人との間に壁を作ってしまいがちなようですが、別に人が嫌いなわけではない。それは見ていて分かります。なぜ嫌いなわけでもないのに避けようとするのか。私たちに、教えてもらえますか?」
パースさんに促されたキリトは、ゆっくりとうなずいて、同じようにゆっくりとした口調で言った。
「俺の今の親と妹は、俺と血がつながっていないんです」
再び空気が凍った。
前の二人とは違う意味で、深刻な問題を抱えているみたい。というか、特殊な環境にいる人、ここに多すぎないだろうか。ボクたちも、アスナさんも、キリトも。この調子だとパースさんもあやしいなぁ。
「それは……仲が悪かったりしたんですか? ……本当のお父さんとお母さんは……?」
恐る恐る、といった体で、シリカさんが問う。キリトは首を横に振った。
「別に関係が悪かったとか、そういうことは無いんだ。むしろ、本当に俺は愛されて育ててもらったと思ってる。でも……」
何かを思い出すように、キリトは少しの間目をつぶった。
「自分の母親だと思っていた人が、妹だと思っていた人が、本当は血の繋がっていない他人だった。俺はそれを、十歳の時に知ったんだ。俺の本当の両親は、俺がまだ物心つく前に交通事故で死んでしまって、俺は母方の妹の夫婦に引き取られたらしい。初めて知った時は、何とも言えない違和感を覚えたんだ。この人たちは、一体何なんだろう……って」
キリトは、拳を強く握った。りきみからか、キリトの体は震えていた。全員の視線が、キリトに固定されていた。キリトの仕草が、言葉以上に雄弁に、その時の感覚と感情を表していた。
「その時から俺は、人との距離を掴めなくなった。掴めなくなって、人に近づくのが怖くなったんだ──家族にさえも。俺はだんだん家でも学校でもしゃべらなくなっていった。そして、ゲームの世界に逃げるようになった。ゲームの中なら、人との距離なんか考えなくていい。俺は俺としていられた。
SAOのベータテストの時もそうで、俺は、俺じゃない姿である限り、俺でいられたんだ。……それでも友達を作る気にはなれなかったけど。そこへ来てこのデスゲームが始まり、俺は俺にならざるを得なかった。余計にやり辛くなった。……これが、俺がここで人を避けてきた理由だよ」
沈黙が部屋を覆った。なんて言ったらいいのか分からない。色々と衝撃的だった。
自分の家族だと思っていた人たちが、実は違った。キリトはそれを知ったときに、どんな気持ちになったんだろう。想像してみようとして、やめた。父さんが、母さんが、何より姉ちゃんが、ボクの家族じゃない。想像しただけでも心が悲鳴をあげるだろうと思った。……とりあえず、ボクじゃとても耐えられそうにないことは分かった。
沈黙を破ったのは、やっぱりパースさんだった。
「キリト君。……君はたぶん、今のご家族を、身内として受け入れられなくなっているのだと思います。血が繋がっていないことを、心の準備もなく知ってしまったキリト君の心境は、察するに余りあります」
パースさんは、キリトの目を覗き込む。でも、キリトの視線はテーブルに置かれたカップに注がれていた。誰とも目を合わせたくないのかもしれない。
「……君の心の傷がまだ癒えていないことを承知で、あえて聞きます。家族、と言うものは、そもそも血が繋がっている必要があるのでしょうか?」
質問を受けても、キリトは黙り込んだままだった。パースさんは、構わず続けた。
「国語的だったり法的だったり、そういう堅苦しい意味では、確かに家族は血縁が関係してくるでしょう。
しかし、私たちは、なにもそれに縛られる必要はないはずです。自分がそう信じた物事が、自分にとってはまぎれもなく『真』になるんですよ」
キリトが、真意を問うようにパースさんに顔を向けた。
「先ほどのアスナさんの話の時にも、ユウキさんが言っていたでしょう? 『自分がそう思ったら、もう友達なんだ』と。それは家族でも同じだと私は思います。結局は、自分次第、と言うことですよ。シンプルで良いんです。キリト君が、一緒に暮らしている母方の妹さんご夫婦と、その娘さんの事を、『家族だ』と思ったのなら、それは間違いなく家族なんです。少なくとも、キリト君の中では。それにとやかく言ってくる人には、言わせておけばいいんです」
月並みな言葉ですが、自分の信じたいものを信じなさい。パースさんは、そう締めくくった。
「自分の、信じたいものを……」
キリトは、噛みしめるように繰り返す。自分に、その言葉を納得させようとしているのだろうか。視線はカップに戻されてしまったけど、何か考え事をしているのか、僅かに眉間にしわを寄せていた。
キリトのことは、たぶん今回のこの話だけで、解決できるような問題ではないんだろうと思う。いままで長い間、キリトはキリトなりに頑張って向き合って、それでも解決できなかったから今があるわけで。……それだけ難しいってことだ。
それはアスナさんにも同じことが言えると思う。心の問題は解決までに時間がかかるってよく言うし。
「もう次の質問行っていい?」
アスナさんが言った。場の空気を変えるためか、努めて声を明るくしているのが分かった。シリカさんも、盛り上げようと次々キリトに質問をし始めた。
その気遣いに気付いてるのかいないのか、キリトも一転笑顔で質問に答えていた。
その間、パースさんと姉ちゃんは様子を静観していた。今は気の利いた質問ができない気がして、ボクも質問はせずに、囃し立てるだけにしておいた。
すっかりいつもの調子に戻った(と少なくともボクには見える)キリトに、内心で胸をなでおろしていると(たぶん他のみんなもそう)、話の矛先が今度はパースさんに向いた。
「パースさんは、どうしてSAOにログインされたんですか?」
質問をしたのはシリカさんだった。キリトの時と違って、なごんだ雰囲気だったからか、気負った感じはなく、ただ話の流れで、といった風な聞き方だった。でもボクは、全神経を集中させるようにして、パースさんの言うことに耳を傾けた。パースさんがなんでSAOにログインしたのか、ボクには皆目見当がつかない。どう見てもゲーマーっぽくないし、高幡さんみたいにどこかの企業の人と言うわけでも無さそうだし。それと、パースさんの落ち着いた感じはどういう風にできあがったのか知りたい。相当な苦労をしてきたんじゃないかと、ボクは勝手に思っているけれど。
「私がログインしたのは、ただの興味本位なんですよ」
パースさんが言った。
「たまたまナーヴギアが手に入りまして、今の子たちがやっているゲームはどんなものなのかと、試しにやってみたわけです。結果はコレな訳ですが」
苦笑を見せると、パースさんは口をつぐんでしまった。え、これで終わり……?
「あの!」
思わず問いかける。
「パースさんは、リアルではどんなことをしていたんですか?」
「言ってみれば隠居生活です。元々は商社勤めでしたが、今年に入って、定年退職したんです。そのおかげで時間が余ってしまって。ただの暇つぶしのつもりだったんですが……」
定年退職⁉ あれってどの位の年齢でするものなんだっけ……。
「あのー、今パースさんは、何歳なんですか?」
「六十六歳です」
「えぇ⁉」
まさかの六十六歳‼ ボクたちのおじいちゃんおばあちゃんの世代だったんだ……。誰からしても予想外だったのか、全員が目をまん丸に見開いていた。
でも、納得できるような気もした。そうか、だからあんなに落ち着いてたのか。今までの経験と言うか、そういうのが関係しているんだろう。こういうのを『年の功』っていうのかな。それにしたって、その年齢でフルダイブして、攻略組に入ってモンスターを狩ってたっていうのは、すごい、の一言に尽きる。下手をしなくても、SAO最年長なんじゃないのかな……。
「パースさん、もっと若く見えました」
呆けたようにシリカさんが言うと、パースさんは嬉しそうに笑った。
「ずっと営業で歩いていましたし、小食なものですから、食べ過ぎて太ると言うこともなかったんです。お酒もあんまり飲みませんでしたからね。まぁ、この体型を維持できたんだと思いますよ」
若く見えた、と言うのを、容姿のことだと思ったようだ。まぁ、確かに姿からして若いんだけど(白髪は確かにあるけど、背筋はしゃんとしてるし)、たぶんシリカさんはモンスターとの戦いっぷりから判断してたんじゃないかと思う。
「……? パースさん、心理学者だって言っていませんでしたか?」
姉ちゃんが首をひねった。そういえばそんな事を言っていた気もするなぁ。パースさんは、よくそんなことを覚えていましたね、と感心しつつ、
「あれは半分本当で、もう半分は嘘です」
と答えた。
「私は大学で心理学を研究していて、大学院まで行っているんです。博士号も持っていますし、一時期教授として教鞭をとったこともありました。そういう事で心理学者と名乗ったのです」
話はそのまま、パースさんの家族についてのことになった。パースさんには娘と息子が一人ずついて、さらに娘の方は結婚していて、孫までいるらしい。仕事の方もうまくいっていたという話だし、折角今まで順風満帆できていたのに、最後にこんな試練を用意するなんて、神様はなかなかに意地が悪い。ボクがそう言うと、
「これはこれで、私にとっては刺激があっていいですよ」
と朗らかに笑って見せた。さらに、「これ以上ないボケ防止になりそうですし」と付け加えたパースさんに、思わずこちらまで笑ってしまった。ずぶといなぁ、と。物腰の柔らかさからは考えられないくらいだ。なんだか、急にパースさんがかっこよく見えてきた。
「さて、私の話はこれくらいにして、最後にランさんとユウキさんの話でしめてもらいましょう」
赤ちゃんの話(赤ちゃんって本当にかわいいよね⁉ と女性メンバーできゃいきゃい)とかで盛り上がり、収拾が付かなくなりそうなところで、パースさんが言った。
ボクは、話をこの順番にしたのを後悔し始めていた。折角こんなに良い雰囲気なのに、それを壊していかなきゃいけないなんて。こんなことなら、少なくともパースさんの話の前にしておけば良かった。
アスナさんもシリカさんもキリトも、そしてパースさんも。みんながボクたちの話を聞く体制になった。
「じゃあ、始めようか」
ボクを見て、姉ちゃんが言った。ボクは気まずさを感じながらも頷いた。まあ、話さなきゃいつまでたっても終わらないし……。
「えっと……姉ちゃん、何から話そう?」
「そうね……。順当に、病気の話からでいいと思う」
短いやり取りの間に、みんなは色々聞きたいことがあるような目をしていたけど、とりあえずスルーさせてもらう。聞きたいだろうことは大体予想が着くしね。
「まず……私たちはHIVに罹っていて、AIDSを発症しています」
姉ちゃんが何でもないことのように言った。余りにも緊張感が無かったためか、みんなは、今しがた姉ちゃんが言った内容を本当に理解するまでに時間がかかっているようだった。そして、理解が追いついてくると、今度は、大げさなんじゃない? と言いたくなるくらいの衝撃に、表情が染まった。ただ、実際にはこの反応がまったく大げさではないことも、ボクは──ボクたちは知っていた。
「HIVって……あのHIVか?」とキリトは言った。落ち着いた口調だったけど、『嘘だろ⁉』という驚愕の声が顔からあふれ出ていた。
「そうそう。あのHIVだよ。学校とかでもたまに言ってるやつ。保険の授業で」
ボクは、姉ちゃんと同じように、あえて軽いで口調で言った。
軽い口調にしているのには、当然理由がある。
ボクたちはこの世界に来た当初、病気のことは隠す方向で決めていた。ボクたちとの関係がぎくしゃくしないようにするためには、必要な事だった。身近に、いつ死ぬかもわからない人間がいたら、きっと変に気を遣わせてしまうだろう。なら、知らせないままにしていれば、そんな面倒なことにはならない。リアルでもそうだったように。
しかし状況は変わってしまった。お互いの事をしっかりと知って、そうした上での信頼関係が必要になった。そうしないと生きて行くのさえ危うい事態になってしまった。ボクたちは、厳然たる事実として、いつ死ぬか分からないリスクを抱えている。病気が進行した時にこの世界の体にどんな影響が現れるのかは分からないけど、モンスターと戦っている最中に、突然容体が急変して、ログアウトして(つまりは死んで)しまう可能性もある。それをみんなに伝えなかったら、確実にパーティーが混乱することになる。それは避けなくちゃいけない。
ただ、話すにしても、あんまりみんなに負荷がかからないようにしたかった。みんなは問題の一端がリアルにあるから、ひとまず棚上げにしておくこともできる。でも、ボクたちの事は、現在進行形で、この仮想世界にも影響しているはずだ。だから、ここで下手に深刻になってしまうと、どこまでも深刻の度を増し続けてしまうと思ったのだ。まぁ、話す事実が変わるわけじゃないから、どこまで効果があるのかは疑問だけど。
「……HIVって、性感染症だよな? なんでまだ子供のランとユウキが罹ってるんだ?」
キリトが、何の気なしに言った。
「……HIVの感染経路と言えば、性交渉と、あとは輸血用の血液製剤、といったところ?」
「うん。ボクたちが生まれてくるときに、母さんが命が危ないくらいの出血をして、それで輸血をしたみたいなんだけど」
「その輸血用血液製剤は汚染されていた、と」
ボクが無言で頷くと、それにしても、と言って、なぜかアスナさんはものすごい眼光でキリトを睨みつけた。
「あなたってデリカシーがないの? もしこの二人が……その……襲われてそういうことになったって話しだったら、一体どうするつもりだったのよ」
アスナさんの発言にキリトは仰天し、「い、いや俺はそんなつもりは──」ととっさに反論しようとして、
「キリトくん? 何か言ったかしら?」
視線と声だけで人を殺せそうなアスナさんの威圧を受け、
「いえ、滅相もございません! ご、ごめんなさいでした‼」
速攻で折れた。確かに怖いけどそれってどうなの。
「ごめんなさいね、先に進んでいいわよ」
アスナさんに促されて、ボクは語り始めた。今まで思い出そうとしてこなかった反動か、異様に記憶のフィルムは鮮明だった。少し吐き気がした。
*
ボク達が発症した、AIDSの元となるHIV感染のきっかけは、さっきも言ったけど、血液製剤を使ったことだったんだ。もっと言うと、ボク達が双子だったから、ということになるのかな。
十一年前、母さんのおなかの中で、ボク達は順調に育っていた。だけど、生まれてくるときに、大量の出血を引き起こしてしまった。双子だったこともその一因だったって、担当の先生が言ってた。──もちろんボクたちがいないところでね。その話が出たのは小学生に上がるちょっと前くらいで、偶然母さんたちが話しているのを聞いちゃったんだ。──そして貧血状態に陥った母さんとボク達を助けるために、血液製剤が使われた。おかげでボクたちはみんな助かった。母さんが致死レベルの出血をしている中で生還したボクたちは、『奇跡の双子』って呼ばれて院内で話題になったんだって。
ただ残念なことに、この手術で使われた血液製剤はHIVで汚染されていて、最終的にボクたちの家族は、全員がHIV感染者になってしまった。
それをボクたちが知ったのは、小学校に入学したその日の事だった。あんまり衝撃が大きかったもんだから、今でもよく覚えてる。その病気について語る父さんと母さんは、本当に苦しそうだったよ。ボクたちに対しての、申し訳ないって気持ちが、痛いほど伝わってきた。子供心に、見ていられない、と思った。
そこで、姉ちゃんは、ボクと一つの約束をしたんだ。
──いつも笑っていて、父さんと母さんを元気づけよう、だったわよね。
そうそう! で、その約束はずっとうまくいっていたんだ。
ボクも姉ちゃんも、効くかどうかわからないたくさんの薬をのんで、その副作用と戦いながら、それでも楽しく毎日を過ごせてた。
──ユウはやんちゃで、しょっちゅうお母さんやお医者さんの託(ことづけ)を破って、男友達と外で遊んだりしていたけどね。
でも、笑顔だけは忘れなかったでしょ?
──まぁ、そうね。
そこに転機が訪れたのは、小学校四年生になってすぐのことだった。
どこから漏れたのかは、いまだに分らないんだけど、ボク達がHIV患者だということが、学校に伝わってしまったんだ。
ありがたいことに、クラスのみんなと担任の先生、校長先生は、ボク達に協力的だった。だけど、同じ学校に子供を通わせている保護者は、そうはいかなかった。
──本当なら、このウィルスを持っていたからといって、差別をしたらいけない、と法律で決められているの。でも、それは子供を守ろうとする保護者の前では役に立たなかった。
そう。そして、ボクたちの家に、陰湿な嫌がらせが始まった。
無言電話とか、悪口をめいっぱい書き込んだ手紙とか……それ以外にもたくさんのことがあって、やがて母さんは、電話を怖がるようになった。父さんも、会社に嫌がらせの電話がかかってきたりして、色々あったって、苦笑いしながら話していた。
そしてついに、嫌がらせに耐えられなくなったボク達は、住んでいた場所を離れなくちゃいけなくなった。
母さんは、泣きながらボクたちに言った。
『私のせいで、ごめんなさい』
母さんのせいなんかじゃない。
ボク達がいくらそう訴えても、うなずくだけうなずいて、母さんは泣き続けた。
この言い方じゃ、母さんは助けられないことが分かった。でも、他にどうやって慰めたらいいのか、分らなかった。だからボク達は、「新しい学校が楽しみだ」とか、「引っ越しする場所はどんなところなんだろう」とか、話をそらすことしかできなかった。
しばらくして、ボクたちは引っ越しをして、新しい学校に転校した。不安をよそに、友達もちゃんとできて、笑顔の約束も守れていた。
でも、ついにその時は、来てしまった。
AIDSが本格的に発症してしまった。
ボクが発症すると、後を追うように姉ちゃんも発症した。病気に負ける気なんてさらさらなかった。けれど、見る見るうちに症状は悪化し続けて、ボク達は寝たきりになった。今年の五月のことだった。
ボクたちはもう、体が言うことを聞かなくて、ベッドの上から動くこともできなくなっていた。
ボクは、この病気が発症するまで、運動大好きっ子だったから──まぁ読書も好きだけど、動きたくて仕方なかった。動けないことが辛くて仕方なかった。もちろん母さんたちには、そんなところを見せないようにしてたけど。
そこへ、『メディキュボイド』の実験の話が舞い込んで来たんだ。
──『メディキュボイド』って言うのは、フルダイブマシンを医療に応用することを目的に作られた、言ってみればナーヴギアの進化形ね。想定されていた用途はたくさんあったようだけど、ひとまずはターミナルケアに有効かどうかを実験する。私たちはそういう説明を受けたの。
ターミナルケア。
ボクがこの実験を通じて初めて知った言葉。もう医療では助かる見込みが薄く、亡くなるまでに残された時間が少ない患者さんに、安らかに逝ってもらうための処法を、そう呼ぶらしい。
そしてこのメディキュボイドは、病気や薬の副作用に苦しんでいる人を、仮想世界入ってもらうことで救うことができる。五感を仮想世界に跳ばして、SAOと同じように、痛みを排除してしまえばいいわけだ。
実験で有用性が証明されれば、ターミナルケアの対象になった患者さんたちは、このメディキュボイドを使ってバーチャルホスピスに入り、短い余生を、身体的な痛みから可能な限り切り離されて過ごすことができる。さらに、今まで動かすことができなかった体を、仮想世界の中でなら思う存分動かせるから、精神的にも救いになる。
──でも、実験への協力者が一向に現れなかったらしいの。ことが頭に直接関わってくることが大体の断りの理由だったみたい。まぁ、気持ちは分かるけど。でも私なら、頭を切り開いてする手術よりも余程安全だと思うわ。
確かに。まぁ、それは置いといて、とにかくボクは、この実験の話を、迷わず引き受けることにしたんだ。
理由は二つあって、一つは当然、とにかく体を動かしたかったから。もう一つは、『日和見感染』、だっけ? それを防止するためだった。
──日和見感染と言うのは、普通の人なら病気にならないような菌でも発症してしまう感染症のことなの。AIDSは『免疫不全症候群』と名付けられているように、菌に対しての抵抗が弱くなってしまうから、こういう事が起こりうる。だからできる限り菌のいないところの方が、私たちは安全なんだ。それには、この実験がおあつらえ向きだった。メディキュボイドは超精密機器で、厳重に管理された、無菌室に設置する必要があったから。
ボクが引き受けることを決めると、姉ちゃんもすぐに続いた。父さんと母さんも、ボクたちがそうしたいのなら、と快く送りだしてくれた。
話はトントン拍子に進んで、実験の詳しい話に移った。
まず、実験の目的。『仮想現実は現実になれるか』を確かめること。
──バーチャルホスピスは、現実の延長として機能する必要があったの。現実との違和感があったら、心が疲れてしまうから、アミューズメントの要素よりも現実的な要素に力を入れる必要があった。そういう理由で、私たちのアバターは、可能な限り現実と同じように作られたのよ。
次に方法。これは簡単で、とにかくダイブすること。慣れるために少しずつ期間を延ばしながら、何回かそれを繰り返した。
SAOの話は、その中の一環として聞いたんだ。ベータテストに参加しないかって担当の人に聞かれて、ボクは一も二もなく飛びついた。剣を振ってモンスターを倒すなんて、カッコいいし楽しそうだったからね。で、あっという間にベータテストの期間が終わって、本サービスが始まる時にもう一度声が掛かった。最終実験として、SAOに一年間ダイブしないかって。
*
「で、今に至ると」
姉ちゃんに補足してもらいつつ、長い回想を終えた。色々と話していて、あんまり思い出したくないようなこともいっぱい思い出してしまったけど、最初は吐き気さえ感じていた割に、思ったほど動揺はない。姉ちゃんも顔色一つ変えていない。初日に決意をしていたせいかな。
みんなは、一様にポカンとしていた。話に一回も口を挟む人がいなくて意外に思っていたけど、挟まなかった、ではなくて挟めなかった、が正しいのかもしれない。
話すのに随分時間がかかってしまったようだ。すでに窓からは、西からの紅い陽射しが入り込んでいた。話している間は気にならなかったけど、風が強くなってきていたようで、時折出入り口や窓の扉が、カタカタと音を立てた。
薪割や井戸端会議をしていた村人のNPCは、すでに自分の家に入ってしまったのか、外からは人の立てる物音が聞こえてこない。代わりに、森の木々のざわめきが際立って響いた。
「お二人が、現実では寝たきり……?」
当惑したようなシリカさんのつぶやきは、風や葉擦れの音と混ざりつつも、ボクのもとにしっかりと届いた。
シリカさんの言いたいことはよくわかる。ここでは元気に走り回っているから、そう見えなくてもしょうがない。ボクも、ここに居ると、自分が病気であることを忘れてしまう事があるし。
でも事実は事実だ。
「そうだよ、信じられないかも知れないけど」
シリカさんの表情が、緩やかに、悲愴なものに変わった。すがりつくようにボクの目をとらえていた瞳は、俯くのと同時に、力なく降りてきた瞼に半分隠されてしまった。強く噛みしめられた唇から、嬉しいことがあるとすぐに赤く染まる頬から、テーブルでカップを握りしめている両手の指先から、みるみる血の色が失われていった。
さっきまで何ともなかったのに、ボクは胸に痛みを感じていた。
「それって、治らないのか……?」
気遣わし気に、自信無げに、遠慮がちな声でキリトが言った。キリトの目には、仲間を思う切実な気持が、熱がこもっていた。
本当に残念なことに、そして腹立たしいことに、この病気には、治療法なんてない。キリトだって博識な人なんだし、HIVに対処法がないことぐらい、知っていたはずだ。それでも聞かずにはいられなかった、ということなんだろう。だからキリトの声は自信無げだし、遠慮がちだったんだろう。きっと。
ボクたちがもし死んだら、キリトはきっと、ボクの命を背負ってしまうんだろうな。これは予想じゃなくて確信だった。例え死因が、まったくもってキリトとは関わりない理由であっても、キリトは自分を責めるだろう。キリトがそんな人である事を、ボクはもう知っていた。
キリトがこんなにもボクたちの事を思ってくれるのが、嬉しい。だというのに──だからこそ、かな。胸がもっと痛くなった。
「……今のところ、HIVを完全に排除する手段は無かったと思います」
じっと考え込んでいたパースさんは、やるせなさをにじませていて、無力な自分を責めるような調子だった。申し訳ない、と目で語るパースさんに、ボクは首を横に振った。別に気にしないでください。という思いを込めた。思いが届いたかどうかは、表情からも仕草からも伺えなかったけど、握りこまれた手に強い力が加わったままだった。それが答えだった。ボクの思いが届いたかどうかは関係なく、パースさんは、自分を許せていない。違うよ。パースさんが悪いんじゃないんだ。自分を責める必要なんてないんだよ。そう思っても、胸がつかえて声にならなかった。別に誰が悪いわけでもないのに、なんで傷つかなくちゃいけないんだ。仕方なしに、心の中でそう毒吐いた。
胸の痛みは、増すばかりだった。
「冗談でしょ……?」
微かな声は、アスナさんのものだった。何について冗談と言ったのかは判然としなかったけど、その声は、研ぎ澄まされた刃物のように、ボクの胸を、痛む胸を、鋭く刺し貫いた。貫かれた穴からは、じわじわと切なさが広がった。
「せっかくできた、友達なのに」
その一言が、ボクの心をえぐった。
「初めて、心から友達だって言える人と出会えたのに」
えぐった。
「なんで、こうなっちゃうの……」
えぐった。
アスナさんの思いが、えぐり広げられた胸の穴から、どんどん流れ込んできた。
悲しみ。寂しさ。苦しさ。そして失望。
心の傷に、よく沁みた。
痛い。痛い。胸が、痛い。
「……ごめんなさい」
自分でもなんだかよく分からないまま、ボクは謝っていた。
「ごめん、なさい」
「謝らないで」
アスナさんは、泣いた後のように、掠れた声だった。
「別に責めたかったわけじゃないの。そうじゃなくて。そうじゃなくって」
「どうして私はこうなんだろうって思ったら、やりきれなくなって、それで……」
ボクは、この病気の話をしたことを、すでに後悔していた。この話は、ボクたちの間に痛みしかもたらしていない。
ああ、そうか、とボクは何に謝っていたのかを理解した。こんな話をしてしまったことに謝っていたんだ。シリカさんを悲しませたし、キリトに心配かけたし、パースさんに責任を感じさせてしまったし、アスナさんを苦しませてしまった。何をやってるんだ、ボクは。
暮れ泥む空に、部屋は色を失い、空気の重さを一層際立たせた。机を囲んで座るボクたちの間に、会話はなく、ひたすらに俯くしかなかった。
灰色に染まった部屋の中。大きなため息とともに、
「みんな、しっかりして‼」
姉ちゃんが、部屋がビリビリと震えた気がするくらいの大声で一喝した。今までに聞いたことがないくらいの剣幕だった。姉ちゃんは鬼気迫る顔をして、ボクたちを睨みつけていた。目には、夕日の残り日が映りこんで、赤く輝き、その迫力を増していた。
え? と固まっているうちに、姉ちゃんは機関銃のような勢いでまくしたてた。
「私たちの病気は、誰のせいでもない。それを治せないのも、誰のせいでもない! 私のせいでも、ユウのせいでも、キリトのせいでも、アスナさんのせいでも、シリカさんのせいでも、パースさんのせいでも、お父さんお母さんのせいでも、お医者さんのせいでも、血液を提供してくれた人のせいでも、絶対にない‼ だから考える必要はないの‼ 私たちは今生きてる。みんなと一緒に生きてる。重要なのはそれだけよ‼ 死ぬことを考える必要なんて、これっぽっちもないの‼ 分かった⁉」
みんなして──あのパースさんでさえも、茫然としてしまった。呆然と姉ちゃんの顔を見ていた。
勢いに気圧されて、あの陰鬱に過ぎる灰色の空気は、一瞬にして吹き払われていた。
「返事は⁉」
重ねられた、姉ちゃんの凄みのある声に、ボクたちは慌てて姿勢を正して、
「はい‼」
図らずも、返事は綺麗にそろった。それがおかしくて、互いに顔を見合わせて笑った。部屋が、にわかに温かみを帯びた気がした。ボクの内側から、エネルギーが溢れてくるのを感じた。我ながら単純だ。けど、それでもいいと思った。
──病気は誰のせいでもない。
そう。その通りだ。そんなことはとっくに分かっているつもりでいたけど、そんなことは無かった。事実ボクは、シリカさんお悲しそうな顔を見て、病気に罹ったボクのせいで、と考えていたのだ。
──私たちは今生きてる。みんなと一緒に生きてる。重要なのはそれだけ。死ぬことを考える必要なんて、これっぽっちもない。
生きることだけを考えているべき。うん、その通り!
病気なんて知るかぁー!
ボクは絶対生きてやるんだ!
「私たちは今生きている。みんなと一緒に生きている。重要なのはそれだけ。さすがはランさん、素晴らしい言葉ですね」
しみじみと、いつもの微笑みを取り戻したパースさんは言う。
「ラン、ユウキ。絶対、生きようね!」
アスナさんは、今までにない、輝くような笑顔だった。
「お二人が病気に負けるなんてありえません! 向こうでも会うって約束ですし!」
フンス、と握りこぶし片手にシリカさん。
「大丈夫だ、お前ら二人は殺したって死なないよ‼」
ニヒルに片頬を上げたキリトが言った。キリト、それってどういう意味だー!
でも、そうだ、ボクたちは、殺されたって死んでやらない!
「ぜぇーったい、生きてやるぞぉー‼」
拳を天に突きだすと、「オー‼」と、みんなそろえて、拳を突き上げた。
大盛り上がりの部屋の中。
「ふふ、やっぱりユウはこうでなくちゃ。ユウには絶対、生きていてもらわないと。そのためには、みんなにも生きていてもらわないとね」
ひとりごちた姉ちゃんの声は、ボクたちの耳を素通りしていった。
短い間に、感情と雰囲気の波が大きく表れるのが今回の難所でした。淡白になっているようにも、過剰演出になっているようにも感じられてなんとも……。
ご意見・ご感想お待ちしております!
お読みいただいてありがとうございました!