「ぃゃ……ぃゃぁぁぁぁ」
どこかから、小さく女の子の悲鳴が聞こえた。今にも泣き出しそうな、弱々しい声。そのかすかな声を引き金にして、
「おい、なんなんだよ!」
「ふざけんな! こっから出せよ‼」
「うそだろ? なんかの冗談だよな!」
「もうやだ! ここから出して! だしてよぉ……」
混乱、怒り、恐怖、不安、そして絶望。あらゆる負の感情が、広場の至る所で溢れ出した。
ボクはそれを、無感情に眺めていた。ついさっきまで赤々と燃えていた怒りの炎も、すっかり燃え尽きてしまった。
もう……。なんでこうなるかな。ボク、なにも悪いことしてないよ。
神様はボクに恨みでもあるのかな。
心の水面に身を沈めて、ポツリポツリと独り言。
──みんな、ちょっと来い!
キリトは、クライン、ラン、ユウキの三人を呼び集めた。クラインとユウキの腕と袖を掴むと、強引に引っ張り、広場から伸びた道の内の一本に停まっていた馬車の影へと連れて行く。
ああ……そうか。
ボクが生まれてきて、そして今も生きているのは、神様にとっては何かの間違いだったのかもしれない。
そもそも無かったはずの命なんだし。
──全員よく聞け!
キリトは油断なく周りを警戒し、自分たち以外に誰もいないことを確認すると、最大限押し殺した声で話し始めた。
茅場が言ったことはおそらく本当だ。だとすると、俺たちがここから無事に元の世界に帰るためには、ゲームをクリアしなきゃいけない。だが、とりあえず自分たちの身を守るのが最優先だ。このまま混乱が続けば、何が起こるかわからない。もしかしたらプレイヤーキルだってあるかもしれないし、そうでないにしても、モンスターにやられるかもしれない。
ボクは何のために生まれてきたのか。
いつからか考えるようになった、答えのない自問自答だ。
生れるときに母さんと父さんを苦しめた。
生れてからも苦しめた。
きっと今もそう。
──ということは。
キリトは大きく息を吸って続ける。
俺たちがすべきは、そう簡単に死なないように、自分たちを強化していくことだ。強化するには当然モンスターを狩らなきゃならないが、この街の周辺のモンスターは同じことを考えた奴らにすぐ狩られ尽くしてしまうはずだ。なら、俺たちはすぐにでも次の村へ移動して、そこを拠点にしてレべリングをした方が良い。ベータテスターが三人もいるこのメンバーなら、レベル一とはいえ恐らく何の問題もなく行けるはずだ。全員で行くぞ!
ボクが生きていても、何一つ、周りに良いことがない。
ははは。そうだよ。ちょうどいい機会じゃないか。
これで諦めもつくってもんだ。
ああ。もうちょっと、いい感じで『向こう』に行きたかったんだけどなぁ。
──いや、でもよぅ……
クラインは歯切れ悪く言いよどんだ。
さっきも言ったと思うが、おりゃ、他のゲームで知り合った奴らと一緒に攻略する約束してんだ。あいつらを置いていくわけにゃいかねぇよ。
キリトは黙り込んだ。
さて、どういう幕切れにしようかな。
そうだ。
ただ殺されるのも負けたみたいで嫌だし、どうせなら少しでも上に行ってからが良いな。
……少なくとも、みんなに迷惑を掛けないように終わりにしないとなぁ。
ソロ……なら、迷惑を掛けなくて済むかな。
……うん、そうだ。ソロでどこまでも行ってやろう! この世界に負けない為に。病気にだって負けない為に!!
──じゃあ、
キリトが話している間何事かを考え込んでいたランが言った。
クラインさんのお友達も一緒に行きましょうよ。ベータテスター、それもトップランナーが三人もいるんだし、大丈夫よ。ね、ユウキもそう思うでしょ? ……ユウキ?
こちらを見ていても心ここにあらずの様子のユウキを見て、ランは肩をゆすった。
「──ウ! ユウ‼」
肩を揺さぶられて、我に返った。姉ちゃんが心配そうにボクの目を覗き込んでいて、ピタリと視線が重なった。姉ちゃんはほっとしたように息をついた。どうやら三人は、何かを相談していたようだ。姉ちゃんがボクに注意を向けたことで、クラインさんとキリトの注意もこちらに向いた。ボクは思わず顔を俯けた。みんなは敏いから、ボクの心の中がばれてしまう気がした。
ばれてしまったら、優しいみんなのことだから、ボクと一緒に居ようとするだろう。でもそれじゃだめだ。ボクが一緒にいたら、きっとその分だけみんなが不幸になる。それは何としても、防がないといけない。
「大丈夫? ボーっとしてたけど。……ユウはどう思う?」
「どうって?」
「やっぱり聞いてなかったのね。いま、みんなで次の村に行こうって話してたんだけど、クラインさんはお友達がいるから一緒に行けないって言うの。でも、それって私たちがサポートすれば何とかなると思わない?」
「え……と」
「ホントに俺達の事は気にしなくていいんだ。俺たちゃお前らの足手まといになるのはゴメンだからよぅ。まぁ、気ぃ使ってくれんのは嬉しいけどな。その分強くなって、とっととクリアしちまってくれ」
「…………分かった。そうしよう」
ほんとに気にしていない風……を装ったクラインさんの言葉を、キリトは静かに受け止めた。姉ちゃんはキリトを、驚いた様子で見て言った。
「キリト、ここはみんなで行ったほうが──」
しかし、キリトがそれを遮った。
「俺たちにできることをしよう。俺たちが強くなることで攻略が進んで、早く帰れるならそれに越したことはないよ」
「それは……そうだけど……」
姉ちゃんは俯いた。少しして、諦めたようにため息を吐く。
「そうね。そうしましょう。ユウはどうする?……私としては一緒に行きたいんだけど……無理にとは言わないよ?」
「それとも、ユウキにとっちゃレベルが低くなっちまうかもしれねぇが、俺達と来るか? まあ、俺のダチは呑み込みがはえぇから、すぐに追いつけると思うけどよ」
ああ。本当にみんな優しいなぁ。このままみんなと一緒に居たくなってしまう。……でも。
「ボクは……ソロで、行くよ」
ささやく程の小さな声で、でもしっかりとした声で、ボクは言った。
途端に三人の顔が驚きに彩られた。
「ソロ……って……何言ってるのユウ! これはゲームだけど死んだら終わりなのよ⁉ 分かってるの?」
「分かってるよ。でも、いろいろ考えたらボクは一緒に居ない方が、っむぐぅ⁉」
姉ちゃんに手で口元を抑えられて、ボクは強制的に黙らされてしまった。
「なにも分かってない。ソロなんてぜったいダメよ!」
手をどけてボクは言う。
「いや、でもボクがいたらまたみんなに迷惑が……」
「……ちょっとユウキこっち来て」
二人とも悪いけどちょっと待ってて、と言い置いて、姉ちゃんはボクの手を強引に引っ張って、路地の奥へ。
「あ、おぅ」
「……どうしたんだ、あいつら?」
残されたキリトとクラインさんは、さっきの緊張感も忘れて、ポカンとした表情でボク達を見ていた。
「ユウ、いい? 私の話を良く聞いて」
周りの人に聞かれないところまで来たところで、姉ちゃんが射抜くような視線でボクの目を見た。そこには常にない、どこか切迫したものが感じられて、雰囲気に圧されたボクは何も反応を返すことができなかった。
姉ちゃんはボクの反応を気にせず、切々とした調子で語った。
「私ね、ずっと考えていたの。……私たちが生まれた、意味を」
ボクは目を見開いて姉ちゃんを見つめた。姉ちゃんがボクと同じことを考えていたなんて、思ってもみなかった。
……でもそれは、当然のことなのかもしれない。なんてったって、ボク達は生まれてからずっと、同じ道を歩いてきたのだから。
姉ちゃんは続ける。
「でね、今日こういうことになって思ったの。私たちは、ここにいる皆を助けるために生まれてきたんじゃないかなって。もし私たちが病気じゃなかったら、たぶんこの世界に来ることなんかなかっただろうしね」
神様の奇跡としか思えないような状況で生れたボク達双子。でも、せっかくもらった命なのに、常に病気が付きまとって、制約だらけの生活を送らざるを得なかった。そんななかボク達は、誰の役に立つでもなく、むしろ迷惑ばかりかけて生きてきた。
このまま……何もしないまま、人生を終わらせてしまうのは、神様に対していけないことをしているような気がしていた。罪悪感、と言ってもいいかもしれない。
けれど、ボクには何をすればいいのかわからなくて、ずっと苦しんできた。……そしてそれは、姉ちゃんもいっしょだった、と。
そして姉ちゃんは、この世界に囚われた人たちを開放することがボク達の使命だと言った。
……本当に?
ボクは考える。
改めて、冷静に、考える。
ボク達が生まれてから、いろんなことがあった。けれど、基本的に最後はバッドエンドだったと思う。そこは変わらない事実。例えば。
生れてくるとき。奇跡で助かったけど不治の病にかかった。
病気を抱えながらも学校に行けて友達もできたけど、途中で学校から追い出され、友達とも引き離された。
実験という名目で、大注目のゲームで遊ぶことができたけど、閉じ込められて脱出できるかわからない。
笑っちゃうくらいに、ボク達には運がない。
だけど。だからこそ。
「たぶん、そう……なんだろうね」
姉ちゃんに言われて、バッドエンドの一つ一つが、この世界にボク達を導くための布石に思えてきた。いままでのことは、ボク達がこの世界に入る様にと神様が組み立てた、緻密なパズルみたいだ、と。
「でしょう? だから、一緒に頑張りましょう。これは、ユウの使命でも、私の使命でもなくて、私達双子の使命だと思うから」
姉ちゃんは最後ににっこりと笑うと、包み込むようにボクを抱きしめた。
……温かい。
ささくれ立っていた心が、溶かされていく気がした。やっぱり姉ちゃんにはかなわないなぁ。
「……分かったよ」
姉ちゃんがそう言っているんだし、ボクもそれで納得した。きっと、これで良い。
ボクはなんとしてもクリアする。そして姉ちゃんを、友達を、誰一人失わない。その思いさえあれば問題ない!
ボク達は、決意を新たに、取り残してきてしまった二人と合流することにした。
「それで、姉ちゃん、ボク達はこれからどうすればいいのかな?」
「ああ、そのことなんだけどね、いま、ユウと話しながら良いこと思いついたの! 二人と合流したら話すね」
姉ちゃんはそう言うと、明るく笑って見せた。