ハッとした。
脳が全てを理解する前に本能で飛び起きた。
額に汗が伝い遅れて理解が血液とともに脳へ到達した。
殺気。
というより嫌な予感。虫の知らせ。いやいや私は昆虫じゃなく節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目 略してくもあみくもめ!違うそうじゃないし蜘蛛らしい蜘蛛でもないし私は黒谷ヤマメだし虫の知らせ。悪寒の犯人はまさしくその虫だ。
「どこだ……。」
私は意識の糸を部屋中に張り巡らせながらハエたたきを装備した。
「……そこだァッ!」
私の目の左斜め下に何かが一瞬チラついた。その正体を把握するまでもなく私は手にした獲物を振りかざした。
バシッ 「いたっ!」
手ごたえあり。今回も楽な仕事だった。いや手ごたえがありすぎる、それに最近の虫は喋るのかなんだもっと部屋の外に出るよう交渉してやればよかったかもしれない、もしかしたら話のわかるやつだったかもしれない。
なんて脳が追いつききれてない現実逃避かロクな考えが出てこない。
しかし意識を、仕留めたそいつに向けることによりさらに脳が置いてけぼりを食らう。
「急に殴った上謝ることすらしないなんて、非常識な妖怪もいたものね。妖怪らしいったらありゃしないわ。」
獲物の先から声がし次第にその声の犯人が姿を現す。
「妖怪といえども紳士でないといけないわ。失礼はいけない。乞食もそう言ってるらしいわよ。」
いやそれなんか間違ってる。
声の犯人は私より頭一つ低い身なりの女の子であった。ぶら下げた目玉を見るに妖怪に違いない。しかしなぜか見覚えのある目玉だ。
過去の記憶の整理より今の状態の整理が必要だ。
「あー…うん、ごめん。」
とりあえず謝っとこう。
「虫でも探して何する気なの?食べる気なの?あなた蜘蛛みたいな顔してるものね。ハエトリかしらアシダカかしら。」
謝るんじゃなかった。
「不法侵入でおあいこ。おまけに土足立ち入りでお釣りが返ってくるけど?」
「あー最近物覚えが悪くなってねぇ…今何時かい?」
「それそういうごまかしの時に使うんじゃない。」
どうも調子が狂うペースの妖怪だ。
この嫌な雰囲気どこかで味わった気がする。
それにこの飛び出した第三の目玉。
違いない、こいつ古明地さとりの妹だ。
「ん?ちょいと失礼。」
突如の出来事が立て続き分からなかったが、古明地の妹の首から何か手紙のようなものがぶら下げられていることに気付き素早くそれを奪い取ってみせる。
妹は、あっ!と意表を突かれた声を出しバタバタと腕を振るう。
様子を見るに私に一本取られたと思いただ仕返しがしたいだけのように見える。
取られたこいつは大事ではないのか。
バタバタと暴れるがその拳は私に届くことなく空を切る。そのはず。私の腕がこのこんまい頭を抑えているからだ。圧倒的リーチ力。
片の腕でこんまいのを精神もう一つの腕で奪い取った手紙を読む。
『拝啓 ヤバメ様。大寒の候、ヤマメ様にはご機嫌うるわしくお過ごしかどうか存じませんし、先ほどまで名前を思い出すのに必死ある今日この頃ですがいかがお過ごしでしょうか。』
読むのやめたい。
前文時点で眉間にシワが二、三本増えた気がする。
全部読み終わる頃には老人にでもなってるんじゃないかしら。
聞いたことないよそんな玉手箱機能付きお手紙。
『さて、本題の方ですが。その子は私の妹の古明地こいしと言います。
ここからは端的に。
・意識しにくい子です
・当分一緒に暮らしてあげてください
以上です。それではよろしく。 はい敬具』
あぁ、嫌がらせだこれ。全く陰湿な奴が多くて困るね。
疲れて汗かいちゃった。とっとと追い出してシャワーでも浴びて若返ろう。
「おい君。って…あれ?」
私の左腕で抑えていたこんまい頭が消えていることに気づく。
手紙にもう一度目を落とす。
『意識しにくいです』
ううむ。恐らく奴は自らへの意識を消すことができるのか、それとも素晴らしく陰が薄いのか。
「ふふふ…この黒谷ヤマメの目と糸を舐めてもらっては困る……てやっ!」
勢いよく突き上げた手から糸が四方に伸び壁に張り付く。
糸と糸の間から細めの糸が互いにくっつきあっという間に巨大な蜘蛛の巣が完成し、解けるように透明の糸へと変わっていった。
すっと腕を下ろし、目に意識を集中させる。
ぐぐぐと眼球に張り付いた小さな目が4つ、姿を現しぎょろりと回転。それぞれが別の方向を見る。その姿はまさに妖怪そのものであった。
合計8つの目玉が部屋の隅々を見渡す。
「……そこだッ!」
ヤマメの左斜め後ろ。即座に振り向きながら糸を放つ。見事命中。
当初の目的であるゴキブリに。
「へぇ、面白い目を持っているのね。」
「うわぁ!」
真後ろから声をかけられ素っ頓狂な声を上げ飛び跳ねてしまう。
「私の事を意識できる妖怪なんて珍しいわ。どうなってんのその目よく見して。ねぇねぇ。」
「痛い痛い!やめろ!とれる!」
偶然にも最悪にも気に入られてしまったようだ。
こうして奇妙な目を持つ妖怪との生活が始まったのだ。